title.gifBarbaroi!
back.gif砂漠の師父の言葉(Μ)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉(Ν)
(13/24)



305."10t"
字母Νの初め。
305."11t"
師父ネイロスについて

305.12
1 師父ネイロスが云った。「そなたに不正した兄弟に対する復讐のためにそなたが行うかぎりのことは、祈りの機に、すばてそなたの心に現れ出てくるであろう」。〔主題別18-3〕

2 彼がさらに云った。「祈りとは、柔和と寛容(ajorghsiva)の芽である」。

3 彼がさらに云った。「祈りとは、悲しみと気落ちの治療薬である」。

4 彼がさらに云った。「帰ってそなたの持ち物を売り払え、そして物乞いたちに与えよ〔マタイ19:21〕、そして、十字架を担って、己れを捨てよ〔マタイ16:24〕。一意専心祈ることができるために」。〔主題別11-17〕

5 彼がさらに云った。「持ち堪えて智を愛するならば、その実りを、祈りの機に見出すであろう」。

6 彼がさらに云った。「しかるべきとおりに祈ることを欲するならば、魂を悲しませてはならない。さもなければ、いたずらに走ることになる」[002]

305.29
7 彼がさらに云った。「そなたに関することが、そなたの思いどおりになるようにではなく、のおぼし召しにかなうようになることを望むがよい。そうすれば、そなたの祈りの中で、そなたは動じることなき感謝する者となろう」。

305.33
8 彼がさらに云った。「自分のことを万人の屑〔1コリント4:13〕と思量されている修道者は浄福である」。

305.36
9 彼がさらに云った。「敵の矢弾から無傷のままでいられる修道者とは、静寂を愛する人である。しかし、大衆むつみあう者は、絶えず攻撃を受ける」。〔主題別2-23〕

305.40
10 彼がさらに云った。「自分の主人の諸々の仕事をなおざりにする下僕をして、鞭打ちに供せられしめよ〔ルカ12:47〕」。


305."42t"
師父ニステローオスについて

305.43
1 偉大な師父のニステローオスが、ある兄弟と連れ立って砂漠を歩いていた。そうして、彼らは大蛇を見て逃げ出した。すると兄弟が彼に言う。「あなたでも怖いのですか、師父よ」。そこで老師が言う。「わしは怖くない、わが子よ。じゃが、逃げたほうが得策じゃ。〔さもなければ〕虚栄の霊を免れんじゃろうから」。〔主題別8-15〕

2 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「美しい行いとはいかなるものでしょうか、わたしが行い、それによって生きるために」。すると、老師が云った。「美はが御存知じゃ。とはいえ、わしは聞いておる — 師父たちのひとりが、師父アントーニオスの友、師父の大ニケステローオスに尋ねて、彼に云った、『美しい業とはいかなるものでしょうか、わたしが行うために』。するとこれに云われた、『行為はみな等しいのではないか? 聖書は言う、アブラアームは客遇好きであり、は彼とともにあった〔創世記18〕、エーリアスは静寂を愛し、は彼とともにあった〔列王上17〕、ダピデは謙遜なる者であって、は彼とともにあった〔サムエル上18:23〕。されば、そなたの魂がに従って望んでいることは何なのかを観想して、これを行え、そうしてそなたの心を[守るがよい]〔箴言4:23〕』と」。〔主題別1-18〕

3 師父イオーセープが師父ニステローオスに言う。「わたしの舌に何をすればいいのしょうか、これを制することができないのですが」。すると老師が彼に言う。「それで、話をするとき、平安であるか」。これに言う。「いいえ」。すると老師が云った。「平安でないならば、なぜ話すのか。むしろ沈黙するがよい。そしてもし交わりをすることになったら、話すよりも、むしろ多くを聞け」。

4 兄弟が、師父ニステローオスが2枚の袖なし衣を持っているのを見て、かれに質問した、いわく。「もし貧しい人がやって来て、あなたに外衣を求めたら、どちらを与えますか?」。すると答えて云った。「より美しい方を」。そこで兄弟が言う。「さらに他の人があなたに求めたら、これに何を差し出しますか?」。すると老師が言う。「もうひとつ半分を」。すると兄弟が言う。「さらに他の人があなたに求めたら、これに何を与えますか」。そこで相手が謂う。「残りのものをも裂いて、半分をこれに与え、残りを帯にする」。しかしさらに言う。「しかしそれをも誰かがあなたに求めたら、どうしますか」。老師が言う。「その人に残りを差し出す、そうして、ひとつの場所に行って坐る。がつかわし、わしを覆ってくださる時まで。というのは、わしは他の誰かに求めることをしないからじゃ」。

5 師父ニステローオスが云った — 修道者は、朝晩、ロゴスを作さねばならない、「われわれはが望まれることを何か行ったか、また、望まれなかったことを何か行わなかったか」と、そういうふうに自分たちの生の全体を取り仕切りつつ。師父アルセニオスこそ、そのように生きられたからである。日ごと、罪なくしての傍に立てるよう励め。に祈れ、傍にいたもうかたの傍にいるかのように。というのも、真実、傍にいたもうからである。自分自身を法とするな。だが、何びとをも裁くな。誓うこと、偽誓すること、嘘をいうこと、呪うこと、侮辱すること、笑うことは、修道者に無縁である。だが、自分の価値以上に名誉や賞讃を受ける者は、おおいに害される」。〔anony264、末尾はオール10〕


308."44t"
共住修道院のニステローオスについて

308.44
1 師父ポイメーンは、師父ニステローオスについて言うを常とした、— モーウセースが民の癒しのために作った青銅の蛇[026]のように〔民数21:8-9〕、この長老はあらゆる徳を備えており、黙って万人を癒していた」。〔主題別1-19〕

309.1
2 師父ニステローオスが師父ポイメーンに尋ねられた。— かつて困難なことが共住修道院に起こったとき、彼は口を利かず、また干渉もしなかったが、どこでその徳を獲得したのか、と。彼は答えた。「どうかわたしをお赦しください、師父よ。初めてこの共住修道院に入ったとき、わたしの想念に云いました、『おまえと驢馬はひとつだ。驢馬は殴られても口を利かず、暴行されても何も応えないように、おまえも同様であれ。詩篇がこう言っているとおりに、「わたしはあなたの前で家畜のようであった、しかしいつもあなたとともいる」〔詩篇73:22-23〕』。〔主題別15-46〕


309."10t"
師父ニコーンについて

309.11
 兄弟が、師父たちの一人に尋ねた、いわく。「悪魔はどのようにして、聖人たちに試練をもたらすのですか」。すると、これに老師が言う、— 師父たちの中に、名をニコーンという者がいて、シナー〔シナイ〕山に住んでいた。ところで、見よ、一人の男が、あるパラーン人の幕屋にやって来て、その娘が独りなのを見つけ、彼女と罪に陥った。そして、彼女に言う。「隠修者である師父ニコーンがわたしをこのような目に遭わせたと言え」。そうして、自分の父親が戻って来て、知ったとき、剣を取って長老のもとへ行った。そうして彼が扉を叩くと、老師が出て来た。そこでこれを殺そうとして、彼は自分の剣を突きつけたが、その手は萎えてしまった。そこで、このパラーン人は帰って、司祭たちに云った。そこで彼らは彼のもとに人を遣わした。そして老師がやって来た。そこで彼にしたたかな鞭打ちを課したうえで、追放しようとした。すると呼びかけた、いわく。「にかけて、悔い改めるために、わたしをここに留めてください」。そこで彼らは、3年間、彼を人々から離し、誰も彼を訪れないように、という命令を下した。そうして彼は3年間をすごした、主の日ごとに悔い改めのために出かけてゆき、309.30 そうして皆に呼びかけた、いわく。「わたしのために祈ってください」。さて、罪を犯して隠修者にこの試練を与えたかの男は、その後ダイモーンに憑かれた。そして、教会で、「わたしは罪を犯しました」と告白し、のしもべを誣告したと云った。そこで、民衆はみな出かけ、老師の前にひれ伏した、いわく。「どうかわたしたちをお赦しください、師父よ」。すると彼らに言う。「赦すことについては、あなたたちは赦されるように。留まることについては、もはやここにあなたたちとともに留まらない、わたしを哀れんでくれるほどの分別を持つ人は、一人も見出せなかったからである」。じつにこのようにして、彼はそこから隠遁した。また老師は言った。「どのようにして悪魔が聖人たちの上に試練をもたらすかが分かるであろう」。〔主題別16-30〕


312."1t"
師父ネトラースについて

312.2
 師父シルゥアノスの弟子、師父ネトラースについて語り伝えられている、— 彼は、シナー〔シナイ〕山にある自分の修屋に坐していたとき、身体の必要に応じて、適度に自身を処していた。しかし、パラーンの主教になると、もっと多くの厳しい苦行を自分に課した。そこで、彼の弟子が彼に言う。「師父よ、わたしたちが砂漠にいたとき、このような修行はなさいませんでした」。するとこれに老師が言う。「あそこには砂漠があり、静寂さと清貧があり、また、病気になって、自分の持たざるものを求めないですむよう、身体を操舵しようとしていた。だが今は世俗があり、諸々の刺激がある。わしがここで病気になったとしても、修道者たるわたしを滅ぼさぬよう、わしを気遣ってくれる人がいる」。〔主題別10-50〕


312."15t"
師父ニケータスについて

312.16
 師父ニケータスは、ある二人の兄弟について言うを常としていた、— 彼らはいっしょに住むために落ち合った。一人は心の中で思量した、— わたしの兄弟が望むことは何でも、それを行おう、と。同様に、別の者も思量した、— わたしの兄弟の意志を行おう、と。そして、彼らは長年、大いなる愛をもって生きてきた。しかし敵がこれを見て、彼らを引き離そうとして、やって来た。そして戸口に立つと、一方にはハトとして、他方にはカラスとして現れた。一人が言う。「このハトが見えるか」。もう一人が言う。「カラスだ」。そうして各人各様に言って愛勝しはじめ、立ち上がって、流血に至るまでの喧嘩をして、敵の完全に喜ぶところとなり、彼らは喧嘩別れした。しかし3日後には後悔して頭を振った。そうしてお互いに悔い改め、自分たちの各々が見た鳥を何と思量したか告白しあった。そうして敵の戦争を知り、最後まで別れることなく過ごしたのであった。〔主題別17-33〕

2016.01.30.

forward.gif砂漠の師父の言葉(Ξ)14/24
back.gif表紙にもどる