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原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata)1

砂漠の師父の言葉(Σ)
(18/24)



392."22t"
字母Σの初め。
392."23t"
師父シソエースについて

392.24
1 兄弟が他の兄弟から不正されたので、師父シソエースのところにやって来て、これに言う。「ある兄弟から不正されました、わたしも自分が仕返ししようと思います」。しかし、老師は彼を諭す、いわく。「それはいけない、わが子よ、仕返しの件はに任せる方がよい」。しかし相手は言った。「自分で復讐しないうちは収まりません」。そこで老師が云った。「祈ろう、兄弟よ」。そうして老師は立ち上がって云った。「よ、もはやあなたが、わたしたちのことを慮る必要はありません。わたしたちは自分で仕返しをするからです」。すると、これを聞いた兄弟は、こう云って老師の足元にひれ伏した。「わたしはもう兄弟と争訟しません。どうかわたしをお赦しください」。〔主題別16-13〕

2 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうしたらよいでしょうか、教会に通うと、しばしば愛餐があって、〔人々が〕わたしを引き止めるのですが」。これに老師が言う。「困った事じゃ」。すると、彼の弟子アブラアームが言う。「会合が土曜日や主日に行われ、兄弟が三杯のぶどう酒を飲んだら、多くはなでしょうか」。老師が言う。「悪魔がいないなら、多くはない」。〔主題別4-45〕

3 師父シソエースの弟子である師父アブラアムが彼に言った。「師父よ、あなたは老いられました、ひとの住まいする地の少し近くに行きましょう」。これに師父シソエースが言う。「女のいないところ、そこに行こう」。これに彼の弟子が言う。「いったいどこに女のいない場所がありましょうや、砂漠以外に」。すると老師が言う。「されば、わしを砂漠に連れて行くがよい」。〔主題別2-26〕

392.50
4 師父シソエースの弟子が何度も言った。「師父よ、立ってください。食事をしましょう」。すると相手が彼に向かって言った。「われらは喰わなかったのか、わが子よ」。そこで相手が、「はい、師父よ」。すると老師が言った。「もし喰わなかったのなら、持ってきなさい、食べよう」。〔主題別4-46〕

393.1
5 あるとき、師父シソエースが気易く(meta; parjrJhsivaS)云った。「元気を出せ。見よ、わしはこれから30年問、もはや罪についてはに祈らぬ。むしろ祈ろう、いわく、『イエスゥスのよ、わたしの舌からわたしを守ってください』と。わしは今までそれのせいで日々つまずき、罪を犯している」。〔主題別4-47〕

6 兄弟が師父シソエースに云った。「どうしてわたしから情念が撤退しないのでしょうか」。これに老師が言う。「それら〔情念〕の器具がそなたの中にある。それらにその保証を与えよ、そうすれば、去ってゆく」。〔主題別10-98〕

7 あるとき、師父シソエースは師父アントーニオスの山に住持していた。そうして、彼の奉仕者が彼のもとに来るのが遅れたので、10か月間、人間を見ることがなかった。ところで、彼が山を歩いていたとき、野生の生き物を狩っているファラン人を見つけた。そこで、これに老師が言う。「どこから来たのか。ここにどれくらいいるのか」。すると相手が謂った。「じつに、師父よ、11か月この山にいるのですが、人間を見たことがありません、あなた以外には」。すると、これを聞いて老師は、修屋に入って、自らを打った、いわく。「見よ、シソエースよ、おまえはひとかどのことをしたと考えていた。しかし、この在俗の者がしてきた高みにも達していないのだ」。〔主題別20-5〕

8 師父アントーニオスの山で奉献の祭儀(prosforav)が催され、そのおりに革袋一杯のぶどう酒がふるまわれた。すると老師のひとりが、小さな容器と杯を取って、師父シソエースのところに携え、彼に与えた、すると彼〔シソエース〕は飲んだ。すると二度目も同様にし、そうして受け取った。三度目にも彼に差し出すと、こう云って受け取らなかった。「やめよ、兄弟よ、それとも、悪魔がいることを知らないのか」。〔主題別4-44〕

9 兄弟のひとりが、師父アントーニオスの山にいる師父シソエースのもとを訪れた。そして、話をしているときに、師父シソエースに言った。「あなたはまだ師父アントーニオスの境地には達しておられないのでしょうか、師父よ」。するとこれに老師が言う。「わしが師父アントーニオスの想念の一つをいだくなら、全身は火のごとくなるだろう。ただし、苦労して彼の想念を担える人なら知っておる」。〔主題別15-62〕

10 あるとき、テーベ人のひとりが師父シソエースのもとにやって来た、修道者になろうとしたのだ。すると老師は、彼が世間に誰か大事な人がいるかどうか尋ねた。そこで相手が謂った。「一人息子がいます」。すると老師がこれに言う。「行け、それをを川に投げこめ、その時こそそなたは修道者じゃ」。そこで、彼はこれ〔息子〕を投げこむために立ち去るや、老師はこれを妨げるために兄弟を遣わした。兄弟が言う。「やめよ、何をするか」。すると相手が云った。「師父がわたしに、これを投げこめと言った」。396.1 そこで兄弟が言う。「いや、改めて云われた、これを投げこむなと」。かくしてこれを後に残して、彼は老師のもとに行った。そして、その従順によって名だたる修道者になった。

11 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「はたして、悪魔は昔の人々を、このように迫害したのですか」。これに老師が言う。「今はそれ以上である、というのは、あの方の〔裁きの〕時は近づいたが、乱れておるからじゃ」。〔主題別15-63〕

12 あるとき、師父シソエースの弟子アプラアームが、ダイモーンに試みられた。すると老師はそして、長老は彼が躓いたのを見て、立ち上がって、両手を天に伸ばした、いわく。「よ、あなたが望むと望まざるとにかかわらず、わたしはあなたを放しません、彼を癒してくださらないかぎりは」。すると、すぐに癒された。〔主題別19-18〕

13 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「わたしは自分自身が見えます、の記憶がわたしに現前していると」。これに老師が言う。「そなたの想念がとともにあることは、大きなことではない。偉大なのは、そなたがすべての被造物の下にある自分自身を見ることである。この身体的な労苦こそが、謙遜の在り方へと導くからじゃ」。〔主題別15-65〕

14 師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼が命終せんとしたとき、師父たちが彼のそばに坐っていたが、彼の顔は太陽のように輝いた。そして、彼らに言う。「見よ、師父アントーニオスがいらっしゃった」。そしてしばらくして言う。「見よ、預言者たちの一隊がやって来た」。そうして、彼の顔はさらにますます輝いた。そして云った。「見よ、使徒たちの一隊が来た」。彼の顔はさらに倍も輝きを増した。そして、見よ、みずから何人かと話しているようであった。そこで老師たちが彼に頼んだ、いわく。「どなたと交わっておいでですか、師父よ」。相手が謂った。「見よ、天使たちがわしを連れにやって来た迎えに来た、それで頼んでいるのだ、悔い改めるためしばし猶予してくれるよう」。そこで老師たちが彼に言う。「悔い改める必要はないでしょう、師父よ」。すると老師が彼らに云った。「まこと、何を始めたのか自分でわからぬ」。そこで、完徳者だとみなが知った。すると突然、またもや彼の顔は太陽のようになった。そこで、皆は畏怖した。すると彼らに言う。「見よ、主が来られた、そして言われる。『砂漠の器をわたしのところに連れて来い』〔使徒言行録9:16〕と」。すると直ぐに彼は息を引き取った。そうして稲妻のようなものが現れ、家全体が芳香に満たされた。〔主題別20-7〕

396.43
15 ネイルゥポリスの主教、師父アデルピオスが、師父アントーニオスの山に、師父シソエースを訪ねた。そうして彼らが出かけようとしたとき、彼らが旅立つ前に、夜明けに、〔師父シソエースは〕彼らに食事をさせようとした。しかし断食日であった。そこで、彼が食卓を調えると、見よ、兄弟たちが扉を叩いた。そこで自分の弟子に云った。「彼らにトウモロコシの粥を少し与えよ。疲れているだろうから」。これに師父アデルピオスが言う。「しばらく放っておくがよい、彼らが、師父シソエースは明け方から食事をしていると云わないように」。すると老師が彼を見つめ、兄弟〔=弟子〕に言う。「行け、彼らに与えよ」。ところが、彼らはお粥を見るや、云った。「お客ではなかったのですか。長老はあなたたちと一緒に食事をしなかったのですか」。そこで彼らに兄弟〔弟子〕が云った。「いいえ、なさいました」。それで彼らは憂慮し、言い始めた。「があなたがたをお赦しになりますように、あなたたちが今しがた老師が喰うに任せたことを。それとも、あなたたちは知らないのですか、長い日々、苦労しなければならないことを」。そこで、主教は彼らのいうのを聞いて、老師の前に跪いた、いわく。「どうかわたしをお赦しください、師父よ、わたしはひどく人間的なことを思量しました。ところがあなたは、の御わざを行われたのでした」。するとこれに師父シソエースが言う。「が人間を栄化なさるのでなければ、人間どもの栄光は無である」。〔主題別8-20〕

16 ある人たちが師父シソエースのところに、彼から言葉を聞くために訪れたが、彼らに何も話さなかった。ただ、「どうかわしを赦してほしい」と言うばかりであった。そこで彼らは彼の小籠を見て、彼の弟子アブラアームに云った。「この小籠をどうするのですか」。相手が云った。「これはあちこちで(w|de kajkei:)消費します」。すると老師が聞いて、云った。「シソエースでも、ときには(e[nqen kajkei:qen)食事する」。彼らは聞いて、大いに益された。そうして、彼の謙遜に高められ、嬉々として帰って行った。〔主題別15-64〕

397.24
17 ライトゥ〔アラビア半島の都市〕の師父アムモーンが師父シソエースに尋ねた。「聖書を読むと、〔他人からの〕質問に答えられるよう、言葉に夢中になってしまいます」。これに老師が言う。「不必要なことじゃ。むしろ、理性の浄化心によって、無帽明着であることと言うこととをおのれに所有せよ」。〔主題別8-21〕

397.30
18 あるとき、在俗信徒が自分の息子を連れて、師父アントーニオスの山にいる師父シソエースを訪ねようとした。しかし道中で彼の息子は死んでしまった。だが、彼は動揺することなく、信頼をもって老師のもとにこれ〔息子〕を運び、老師から祝福を受けるために、悔い改めて息子とともに身を投げ出した。そして父親は立ち上がり、長老の足元に息子を置いて、外に出て行った。老師はといえば、〔子どもが〕自分に悔い改めているものと思い、これに言う。「立て、外に出よ」。が死んでいると知らなかったからである。すると、たちどころに立ち上がって出ていった。そうして、彼の父親が彼を見て、吃驚した。そうして入っていって老師の前にひれ伏して、ことの次第を彼に告げた。すると老師は聞いて、悲しんだ。というのは、このようなことが起こるのを望んでいなかったからである。そこで彼の弟子は、老師が命終するまでは、誰にも云わないよう、彼にいいつけた。〔主題別19-17〕

19 三人の老師が師父シソエースを訪ねた、彼のことを聞き及んだからである。そうして一番目の者が彼に言う。「師父よ、どのようにしたら火の川〔ダニエル7:10〕から救われることができるでしょうか」。相手は彼に答えなかった。二番目の者が彼に言う。「師父よ、どのようにしたら歯がみ〔マタイ8:12〕や眠ることのない蛆虫〔マルコ9:48〕から救われることができるでしょうか」。三番目の者が彼に言う。「師父よ、どうしたらよいでしょうか、外の暗闇〔マタイ8:12〕の記憶がわたしを殺そうとするのですが」。すると長老が答えて彼らに云った。「わしはそれらのことを何も記憶しておらん。というのは、は憐れみ深い方(fileuvsplagcnoV)であるから、わしを憐れんでくださることを希望しているからじゃ」。そこで、この言葉を聞いて、老師たちは悲しみながら立ち去った。
 しかし、老師は彼らを悲しみのうちに立ち去らせることを望まず、呼び戻して彼らに云った。「そなたたちは浄福である、兄弟たちよ。というのは、わしはそなたたちが羨ましい。そなたたちの一番目の者は、火の川について云い、二番目の者はタルタロスについて、三番めの者は暗闇について〔云った〕。されば、そなたたちの理性がこのようなことを記憶の主であるならば、そなたたちが罪を犯すのは不可能であろうから。だが、頑なな名心の持ち主であるわしはどうしたらよかろうか、人間どもに罰があることを知っていると認めず、そのためにまた、あらゆる機会に罪を犯しているのじゃから」。そこで、彼らは悔い改めて彼に云った。「わたしたちがかつて聞いたように、今われらはそのまま見た〔詩篇48:9〕」。

400.14
20 幾人かの者が、師父シソエースに尋ねた、いわく。「もし兄弟が躓いたら、1年間悔い改める必要があるでしょうか」。相手は云った。「その説話(rJh:ma)は厳しい」。そこで一同が謂う。「しかし、六か月は?」。すると再び云った。「多い」。そこで一同が謂った。「40日間は?」。再び謂った。「多い」。彼に言う。「では如何。兄弟が躓いて、すぐに愛餐が行われることになれば、彼も愛餐に入るのでしょうか?」。彼らに老師が言う。「いや。数日間、悔い改める必要がある。というのは、わしはを信じておる、こういう者が心から悔い改めるなら、三日後にはが彼を受け容れてくださると」。〔主題別10-57〕

400.26
21 あるとき、師父シソエースがクリュスマに来られたので、在俗信徒たちが彼に会いに訪れた。そうして彼らは盛んに話したが、彼らに言葉を答えなかった。そこでついに、彼らの一人が云った。「どうして諸君は苦しめるのか。食事をなさっていない。だから話すこともできないのだ」。老師が答えた。「わしは、わしに必要になったときに、食事する」。

22 師父イオーセープが師父シソエースに尋ねた、いわく。「どれくらいの間に、人は情念を断ち切らなければならないでしょうか」。これに老師が言う。「その期間を知りたいのか?」。師父イオーセープが言う。「はい」。すると老師が言う。「いかなる刻であれ、情念がやって来たら、すぐにそれを断ち切れ」。

23 兄弟がぺトラの師父シソエースに暮らし方について尋ねた。するとこれに老師が言う。「ダニエールは云った。『パンが欲しても食べなかった』〔ダニエル10:3〕」。

24 師父シソエースについて言い伝えられている、— 修屋の中に坐っているときは、いつも戸を閉じていた。〔主題別20-6〕

25 あるとき、アレイオス派の人々が、師父アントーニオスの山にいる師父シソエースのところに来て、正統教会の人々の悪口を言い始めた。しかし、老師は彼らに何も答えなかった。そうして自分の弟子に声をかけて云った。「アブラアームよ、わしに聖アタナシオスの書を持って来てくれ、そしてそれを読んでくれ」。そうして彼らが沈黙していると、彼らの異端がわかった。そして、彼らを平安のうちに送り帰したのであった。

26 あるとき、師父アムーンがライトゥからクリュスマへやって来た、師父シソエースを訪ねるためである。そして、砂漠を棄てたことを彼〔シソエース〕が悲しんでいるのを見て、これに言う。「何を悲しんでいるのですか、師父よ。今や砂漠で何ほどのこともできないでしょう、こんなに老いられたのですから」。すると老師は厳しく彼を見つめた、いわく。「わしに何を言うか、アムーンよ。というのは、砂漠ではわしの想念の自由さだけでわしには満足だったではないか」。

401.6
27 あるとき、師父シソエースが自分の修屋に坐っていた。すると彼の弟子が戸を叩いたので、老師は叫んだ。「去れ、アブラアームよ、入って来てはならない。今、ここではそんな暇はない」。

401.10
28 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「あなたは姉父オールとともにいながら、スケーティスを後にして、ここにやって来て住持なさったのですか」。これに老師が言う。「スケーティスがいっぱいになりはじめた頃、わしは師父アントーニオスが永眠なさったと聞き、立ち上がって、この山に来た。そして、ここに静寂さを見出したので、しばらく住持したのじゃ」。これに兄弟が言う。「ここでどれくらい時を過ごされるのですか?」。これに老師が言う。「72年になる」。

29 師父シソエースが云った。「人がそなたの世話をするならば、そなたは命令してはならない」。

30 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「わたしたちが道を歩いていて、もし案内人がわたしたちを迷わせたならば、彼に云う必要があるでしょうか?」。これに老師が言う。「否」。そこで兄弟が言う。「それでは、彼がわたしたちを迷わせるのを放っておくのですか」。これに老師が言う。「では如何。そなたは梶棒を執って、彼を撲ることができるのか? わしは兄弟たちを知っている、めぐっていて、夜、案内人が彼らを迷わせたと。ところで彼らは12人いた、そして迷わされたことを全員が知っていた。そして、云わないことを各々が闘っていた。やがて朝になって、彼らの案内人は道に迷ったことに気づいて、彼らに言う。『どうかわたしをお赦しください、道に迷ってしまいました』。すると一同が云った。『われわれも知っていたが、しかしわれわれは沈黙を守った』。すると相手は驚嘆した、いわく。『修道者たちは話さないように、死ぬまで自制している』。そして、彼はを栄化した。ところで、彼らがさまよったのは、街道から12ミリアの長さである」。

401.38
31 あるとき、サラケーノス族〔サラセン人〕が襲来し、老師とその兄弟を略奪した。そこで彼らは何か食べ物を見つけるために砂漠に出て行き、老師は駱駝たちの糞を見つけ、〔これを〕引き裂いて、大麦の穀粒を見つけた。そこで一粒を噛み、一粒を手に持った。さて、彼の兄弟が来て、彼が食べているのを見つけて、これに言う。「これが愛ですか、食べ物を見つけても、一人で食べてしまい、わたしに声をかけもしないとは」。これに師父シソエースが言う。「わしはそなたに不正したわけではない、兄弟よ。見よ、わしの手にそなたの分を取っておいた」。

401.50
32 テーベの人、師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼はアルセノエのカラモーンに住んでいた。ところで、他の老師が他の集落で病気になった。すると聞くや、彼は悩んだ。だが、二日二日に〔二日に一度〕断食していたので、その日は食事をしない日だった。そこで聞いたとき、想念に言う。「どうしようか。行けば、兄弟たちは食事するようわしに無理強いせずばおくまい。しかし明日まで延ばせば、命終するかも知れない。それではこうしよう、行っても、食べないことに」。じつにこういうふうに、彼は食べずに出かけ、の命令を果たした。そしてのための自分の行住坐臥を緩めることがなかったのである。

404.5
33 師父たちのひとりが、カラモンの師父シソエースについて話すを常としてい、— あるとき、眠気に打ち勝とうとして、ペトラの絶壁に自身を釣り下げた。しかし天使がやって来て、彼を解き放し、もうこのようなことをしないように、また、そのような見せびらかせを他の人々にしないように、命じた。

34 師父たちの一人が師父シソエースに尋ねた、いわく。「砂漠に坐っていて、蛮族がやって来てわたしを殺そうとしたら、そしてわたしが相手よりも強かったとしたら、彼を殺してもよいでしょうか」。すると老師が云った。「否。むしろ彼をにゆだねよ。というのは、人間に襲来する次のごとき試練をして言わしめよ、『わたしの罪ゆえにこれが結果したのだ』と。もしも善であるなら、『の摂理によって〔結果したのだ〕』と」。

404.19
35 兄弟がテーベの師父シソエースにこう云って尋ねた。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。すると言う。「そなたに云うべき何をもっていよう。わしは新約聖書を読み、それから旧約聖書に立ち帰る」。

36 同じ兄弟が、ペトラの〔司祭である〕師父シソエースに、テーベの人、師父シソエースが云った説話(rJh:ma)〔の意味〕を尋ねた。すると老師が言う。「わしは罪の中に眠り、罪の中に目覚める」。

37 人がテーべの人、師父シソエースについて言い伝えられている、— 教会〔の務め〕が終わるや、自分の修屋に逃げ帰った。そこで、人々は言った。「ダイモーンが憑いている」。しかし彼はのわざを行っていたのである〔ヨハネ10:20〕。

38 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、師父よ、躓いてしまったのですが」。これに老師が言う、「もう一度立ち上がれ」。兄弟が言う。「立ち上がりましたが、またもや躓いてしまったのです」。老師が言う。「何度でも立ち上がれ」。そこで、兄弟が云った。「いつまでですか」。老師が言う。「善のうちにであれ、躓きのうちにであれ、捉えられてしまうときまで。なぜなら人間は、見出されるとき、そのときにこそ進んでゆくからである」。

405.1
39 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「どうしたらよいでしょうか。手仕事に苦しんでいるのですが。というのは、わたしは縄綯いが好きですが、それをすることができないのです」。老師が言う、— 師父シソエースが言ったことがある、われわれを休ませる仕事をしてはならない、と。

40 師父シソエースが云った。「を求めよ、しかし、お住みになっているところを求めてはならない」。

41 彼はさらに云った。「恥と長れのないことは、しばしば罪をもたらす」。

405.10
42 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうすればいいのでしょうか」。これに言う。「そなたが求めるべきものは、大いなる沈黙と謙遜である。書かれているからである。『彼のうちに住む者は、浄福である』〔イザヤ30:18〕。このようにしてそなたは立つことができる」。

43 師父シソエースが云った。「自らを無とせよ、そなたの意志を、後ろに投げ捨てよ、思い煩うな。そうすれば平安を得るであろう」。〔主題別1-26〕

44 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「情念に対して何を為すべきでしょうか」。すると老師が言う。「われわれは各々、自分自身の欲望によって試みられる」〔ヤコブ1:14〕。

45 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。相手が謂った。「なぜわしにむだに語ることを強いるのじゃ。見よ、そなたが見ていることを行うがよい」。〔主題別10-16〕

405.25
46 あるとき、師父シソエースの弟子である師父アブラアームが、奉仕のために出かけて行き、数日問、他の者に奉仕されることを、こう謂って拒んだ。「わしの兄弟以外に、他の人間をわしに慣れさせようとするのか」。そして、自分の弟子が帰ってくるまで受け入れず、苦労を忍んだ。

47 師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼は坐っているとき、大声で叫んだ。「何とつらいことか!」。405.33彼の弟子が彼に言う。「どうなさったのですか、師父よ」。これに老師が言う。「わしは話のできる者を一人求めているが、見出せないのじゃ」。

48 あるとき、師父シソエースは師父アントーニオスの山を離れ、テーベの郊外の山に行き、そこに居住した。しかし、そこにはメリティオス派[033]がいて、アルセノエのカラモーンに住んでいた。さて、彼が郊外の山に出て行ったと聞いた一部の人たちが、彼に拝謁したいとおもった。そこで彼らは云った。「どうしようか。山にはメレティオス派がいるのだから。老師が連中から害を受けないことは分かっている。しかしわれわれの方は、老師に会おうとすれば、かの異端者たちの試みに陥ってしまうにちがいない」。そこで彼らは、異端者たちに遭遇することのないよう、老師に面会に出かけなかった。

49 師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼が病気になった。そして長老たちが彼の周りに坐っていると、〔シソエースは〕誰かと話をしていた。彼らが彼に言う。「何を見ておられるのですか、師父よ」。すると彼らに言う。「誰かがわしのところに来るのが見える、それで、少し悔い改めをさせてくれるよう彼らに頼んでいるのじゃ」。これに老師たちの一人が言う。「いったい、あなたにそれをさせるなら、悔い改めに今からでも役立ちうるのですか?」。これに老師が言う。「そうし得ないとしても、わしの魂について少し嘆こう。わたしにはそれで十分じゃ」。

408.10
50 師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼がクリュスマにやって来たとき、病気になった。そして彼が自分の弟子とともに修屋に坐っていると、見よ、戸を叩く音がした。すると老師が気づいて、自分の弟子のアプラアームに言う。「戸を叩いている者に云え。『わしは山にいるシソエースであり、わしは谷にいるシソエースである』」。すると相手は聞いて、姿を消した。

51 テーベの人、師父シソエースが自分の弟子に云った。「わたしの中に何が見えるか、わしに云え、わしもそなたの中に何が見えるかそなたに言おう」。これに彼の弟子が言う。「あなたは心において美しいですが、少し頑闘です」。これに老師が言う。「そなたは美しいが、理性において虚(cau:noV)である」。

52 テーべの人、師父シソエースについて言い伝えられている、— 彼はパンを食べなかった。そこで、過越祭のおりに兄弟たちが彼の前に跪いた、自分たちと一緒に喰うよう。すると答えて彼らに云った。「わしができるのは一つのことをすること。わしができるのは、パンを摂るか、そなたたちが作った食べ物を摂るか、じゃ」。そこで彼らは彼に云った。「パンを喰うだけにしてください」。そこで彼はそのとおりにした。


408."28t"
師父シルゥアーノスについて

408.29
1 あるとき、師父シルゥアノスと彼の弟子のザカリアースが、修道院を訪れた。旅立つ前に彼らに少し食事をさせた。かくして彼らは出かけたが、道中、彼の弟子が水を見つけ、飲もうとした。するとこれに老師が言う。「ザカリアースよ、今日は断食日だ」。相手が言う。「わたしたちは喰ったではありませんか、師父よ」。老師が言う。「われわれが喰った、あれは愛のわざじゃ。だが、われわれは、自らの断食を墨守しよう、わが子よ」。〔主題別4-48〕

2 あるとき、同じ人が兄弟たちとともに坐っていて、恍惚状態になり、うつぶせに倒れた。かなり経ってから立ち上がり、泣いた。そこで兄弟たちが彼に呼びかけた、いわく。「どうなさったのですか、師父よ」。しかし彼は黙って、泣いていた。しかし、彼らが云うよう強いるので、云った。「わしが審判に引き上げられた。そしてわれわれの仲間の多くが罰を受けに行くのを見、他方、多くの在俗信徒が王国に行くのを〔見た〕のじゃ」。そして、老師は悲歎し、自分の修屋から出て行こうとはしなかった。しかし外に出るように強いられると、自分の顔を頭巾で覆った、いわく。「なんでわしが、かりそめの、何ら益ないこの光を見たいものか」。〔主題別3-33〕

409.1
3 別のとき、彼の弟子ザカリアースが入って行って、彼が恍惚状態にあるのを見たが、その両手は天に広げられたままであった。そこで彼は扉を閉めて出て行った。そして第六時と第九時に来てみると、彼が同じ状態なのを目にした。さらに第十時ころ戸を叩いた。そうして入ると、彼が静寂を保っているのを目にして、これに言う。「今日はどうされたのですか、師父よ」。相手が云った。「今日は病気じゃった、わが子よ」。しかし相手は、彼の両脚を捉えて云った。「あなたを放しません、何をごらんになったかわたしに云ってくださらないかぎりは何を見たかを話してくださらない限りは」。これに老師が言う。「わしは魂を引き上げられ、の栄光を見た、そして、さっきまでそこに留まっていたが、今解放されたのじゃ」。〔主題別18-27〕

409.14
4 かつて、師父シルゥアーノスがシナイ山に住持していたとき、彼の弟子ザカリアースが奉仕に出かけるようとして、老師に言う。「水を撒いて、菜園に水をやってください」。そこで彼は外に出て、自分の眼を頭巾で覆い、自分の足跡だけを見るようにしていた。そのとき、兄弟が訪れた。そして遠くから彼を見、何をしているのか観察した。そして、兄弟は彼のところに入っていって、云った。「どうかわたしに云ってください、師父よ、どうしてあなたは、頭巾であなたの顔を覆って、菜園に水をやるのですか」。これに老師が言う。「わが子よ、わしの両眼が樹木を見ないため、そしてわしの理性がおのれの業を離れてそれら〔樹木〕に没頭しないためじゃ」。〔主題別11-68〕

5 ある兄弟が、シナイ山の師父シルゥアーノスのもとを訪ねた。そして、兄弟たちが働いているのを見て、老師に云った。「『汝ら朽ちる食物のために働くな』〔ヨハネ6:27〕、『マリアはよい方を選んだ』〔ルカ10:42〕とあります」。老師が自分の弟子に言う。「ザカリアースよ、この兄弟に書物を与えよ、そして彼を何もない修屋に入れよ」。さて、第九時になったとき、扉を見つめていた、はたして喰うために自分を呼びにひとを寄越してくれるかと。しかし誰も自分を呼びに来なかったので、立ち上がって老師のもとに赴き、これに言う。「兄弟たちは、今日、喰わなかったのですか、師父よ」。これに老師が言う。「いいや〔喰った〕」。そこで云った。「なぜわたしを呼んでくれなかったのですか」。これに老師が言う。「そなたは霊的な人で、このような食物を必要としないからじゃ。しかしわしたちは肉的であるので、喰うことを望み、そのために働く。しかるにそなたは美しき分け前を選び、一日中読書をして、肉的な糧を喰うことを拒む」。そこでこれを聞くや、跪いた、いわく。「どうかわたしをお赦しください、師父よ」。これに老師が言う。「全くのところ、マリアもマルタを必要としている。なぜなら、マルタのおかげでマリアも称えられるのである」。〔主題別10-99〕

6 あるとき、師父シルゥアーノスに尋ねた〔人たちがいる〕、いわく。「どんな行住坐臥をしたらよいのでしょうか、師父よ、この思慮を得るには」。すると答えた。「を怒らせるような想念を、わしの心に赦したことはない」。〔主題別11-70〕

412.1
7 師父シルゥアーノスについて言い伝えられている、— 修屋に隠れて住持していたとき、わずかなアイギュプトス豆を持っていたが、それ〔の蔓〕で百個の篩を製品としてつくった。すると、見よ、アイギュプトスから人がやって来たが、パンを積んだ驢馬を連れていた。そして扉を叩き、彼の修屋に〔パンを〕下ろした。そこで老師は篩を取って、驢馬に積み、これを送り帰した。〔Anony294、主題別14-27〕

8 師父シルゥアーノスについて言い伝えられている、— 彼の弟子ザカリアースは、彼を置いて外に出た。そして兄弟たちを連れて、菜園の囲いを取り払い、これを大きくした。すると老師が知って、自分の羊皮外套を着て外に出、兄弟たちに言う。「わしのために祈ってくれ」。彼らは彼を見て、こう言ってその足元にひれ伏した。「どうかわたしたちに云ってください、師父よ、どうなさったのか」。すると彼は彼らに謂った。「わしは中に入らず、羊皮外套をわしから脱がぬ、そなたたちが囲いをそのもとの場所に戻さないうちは」。そこで彼らは再び囲いをもどし、これをもとどおりにした。しつにこういうふうにして、老師は自分の修屋に引き返した。〔Anony412〕

9 師父シルゥアーノスが云った。「わしは奴隷で、わしの主人がわたしに言った。『わたしの仕事をせよ、そうすればわたしもそなたを養おう。どうしてかは、詮索するな。わたしの持ち物であれ、盗んだものであれ、借りたものであれ、詮索するな。ただ働け、そうすればそなたを養ってやろう』。されば、わしが働いたときは、わしの報酬によって食べる。だが働かないときは、施し食べるのじゃ」。〔主題別6-28〕

10 彼はさらに云った。「件の人間に災いあれ、自分の名声を自分の働きよりも大きなものとして有する者に」。

412.30
11 師父モーゥセースが師父シルゥアーノスに尋ねた、いわく。「人間は日々、始めることができるのでしょうか?」。すると老師が云った。「もし勤勉ならば、刻々であっても始めることができる」。〔主題別11-69〕

12 師父の一人が云った、— かつてある人が師父シルゥアーノスに出会ったが、彼の頭と体全体が天使のそれのように輝いているのを見て、顔を伏せた。また、他の何人かのひとたちも、この恩寵をもっていたと言った。


412."39t"
師父シモーンについて

412.40
1 あるとき、長官が師父シモーンに面会に来た。相手は聞くと、帯を締めて、ナツメヤシを刈り込むために、これに登った。一行がやって来て、叫んだ。「ご老体よ、隠修者はどこですか」。相手が云った。「隠修者はここにはいない」。すると聞いて、一行はひきさがった。〔主題別8-22〕

2 また別のとき、別の長官が彼に面会に来ようとした。すると聖職者たちが先に手配して彼に云った。「師父よ、準備してください。長官があなたについて耳にして、あなたから祝福を受けるためにやって来るのですから」。そこで相手が云った。「わかった、自分で準備しよう」。そこで、自分の古外套(kentwvnion)をまとい、自分の手にパンとチーズを持って、入口に行って、食べながら坐っていた。そうして、長官が自分の一隊を引き連れてやって来て、彼を見て、彼を軽蔑した、いわく。「これが、われわれが噂に聞いた隠修者か」。そして、すぐに引き返して行った。〔主題別8-23〕


413."6t"
師父ソーパトロスについて

413.7
 ある人が師父ソーパトロスに尋ねた、いわく。「どうかわたしに掟を与えてください、師父よ、そうすればわたしはそれを守ります」。すると相手が彼に云った。「女をしてそなたの修屋に入らしむるな、外典を読んではならない。偶像について詮索してはならない。というのは、それは異端ではないが、二つの学派の無教養さであり、愛勝である。この問題は、どんな被造物によっても理解されることはない」。


413."15t"
師父サルマタースについて

413.16
1 師父サルマタスが云った。「わしは罪人を好む、罪を犯したと知って、悔い改めるならば、罪を犯さず、自分は正義を行っているかのようにみなしている人間よりもな」。

413.20
2 師父サルマタースについて言い伝えられている、— 彼は師父ポイメーンの勧めによって、しばしば40日間〔の断食〕をした。これらの日数は、彼の前を何でもないことのように過ぎ去った。そこで、師父ポイメーンが彼のところに来て、これに言う。「わしに云ってくれ、これほどの労苦を果たすことによって、何を見出したか」。すると相手が彼に言った。「とくに何もありません」。これに師父ポイメーンが言う。「そなたを放しはせぬ、わしに云わないかぎりは」。そこで相手が云った。「わたしはただ一つのことを見出しました、眠気に『去れ』と云うと、去り、『来い』と云うと、来る、と」。

413.30
3 兄弟が師父サルマタースに尋ねた、いわく。「諸々のも想念がわたしにこう言います。『働くな、むしろ喰え、飲め、眠れ』と」。これに老師が言う。「飢えたときには、喰え。渇いたときには、飲め。眠いときには、眠れ」。ところが好都合にも別の老師が兄弟のところにやって来た。そこでこれに、師父サルマタースが言ったことを兄弟は云った。するとこれに老師が言う。「師父サルマタースがそなたに云ったことはこうである。『もはや耐えられないほどまでに飢え、渇いたならば、その時に喰え、飲め。非常に長い間徹夜して、眠かったら、眠れ。これこそ老体がそなたに言おうとしたことだ」。

413.43
4 さらに、同じ兄弟がさらに師父サルマタースに尋ねた、いわく。「諸々の想念がわたしに言います。『外に出よ、そして兄弟たちを訪れよ』と」。すると老師が言う。「連中のいうことを聞いてはならん、むしろ云え。『見よ、最初はおまえのいうことを聞いたが、いまからはおまえのいうことを聞くことはできない』と」。


413."49t"
師父セラピオーンについて

413.50
1 あるとき、師父セラピオーンが出かけて行き、アイギュプトスのとある村を通りかかった。そうして、ひとりの娼婦が自分の小屋の中に立っているのを見かけた。そこで彼女に老師が云った。「今晩わしを待っていなさい。そなたのところに来て、今夜あなたのそばで過ごしたいから」。彼女が答えて云った。「美しいですわ、師父よ」。そこで彼女は支度をし、寝台に敷布を掛けた。さて、夜になって、老師は彼女のところへやって来て、小屋に入り、彼女に言う。「寝床の準備をしたか」。彼女が云った。「はい、師父よ」。そこで扉を閉めて、彼女に言う。「少し待て、われわれは規則を有するから、それを行うまでは」。そうして老師は自分の時課祈祷を始めた。つまり、詩編朗誦を始め、各詩編ごとに祈りを上げて、彼女が悔い改めて救われるよう、彼女のためにに願ったのだ。そして、はそれを聞き入れられた。女は立っていた、震えながら、老師のそばで祈りながら。そうして老師が全詩編を唱え終わるや、女は地面に倒れた。すると老師は使徒の書を読み始め、その多くの部分を云った。こうして時課祈祷を満了したのである。
 かくて女は打ち砕かれ、悔恨の情に打たれ、〔老師が〕自分のところに来たのは、罪を犯すためではなく、自分の魂を救うためであったことを悟り、彼の前にひれ伏した、いわく。「愛餐を行ってください、師父よ、そうしての御旨に適うことができるところまで、わたしを導いてください」。そこで、老師は彼女を乙女たちの修道院に導き、彼女を教母に預けて、云った。「この姉妹を受け容れてください、しかし、彼女には、姉妹たちに対するような束縛や命令を与えず、欲しがるものを与え、したいことをすることを彼女に許してください」。すると、幾日か経って彼女は云った。「わたしは罪の女です。二日に一度だけ、食事をしたいのです」。さらに数日後、彼女は云った。「わたしには多くの罪があります。四日に一度食事をしたいのです」。さらに数日後、彼女は教母に呼びかけた、いわく。「わたしはわたしの不法によってを大変悲しませましたので、施しをしてください、そしてわたしを修屋に入れ、これを閉じ込め、通気孔からわずかのパンと手仕事を与えてください」。教母はそのとおり彼女にした。そして、その生涯の残りの問、の御旨に適う者となったのである。〔主題別17-34〕

2 兄弟が師父サラピオーンに尋ねた、いわく。「どうかわたしにお言葉を云ってください」。これに老師が言う。「そなたに何を云いえようか。そなたはやもめたちとみなしごたちのものを取り上げ、この窓のところに置いたのじゃから」。というのは、それ〔窓〕が書物で満たされているのを目にしたのである。〔主題別6-16〕

3 師父サラピオーンが云った、— 語った。「あたかも皇帝の将兵たちが、立っているとき、右とか左を眺めることができないようなものだ。ひとも同様で、の御前に立ち、つねに畏れのうちにその御顔を注視するならば、彼が敵を恐れることはあり得ない」。〔主題別11-71〕

4 兄弟が師父サラピオーンを訪ねた。すると老師は、いつもどおりに祈りをするように彼を促した。しかし相手は、自分は罪人で、修道服自体にふさわしくないからと言って、聞き入れなかった。さらに、〔老師が〕彼の足を洗おうとした。しかし同じ言葉を使って、受け入れなかった。そこで、彼に食事をさせた。で、老師も食べ始めた。そして彼を諭した、いわく。「わが子よ、益を得たいと思うなら、そなたの修屋に住持せよ、そしてそなた自身とそなたの手仕事に心を注げ。というのは、出歩くことは、坐ることほどの益をそなたにもたらさぬからじゃ」。相手はこれを聞いて、腹を立て、老師が気づかずにおれないほど、顔色を変えた。そこで、これに師父サラピオーンは云った。「今までそなたは、『わたしは罪人です』と言い、生きるにも値しないと自分を責めていた。ところが、わしが愛をもってそなたに思い起こさせると、それほど凶暴になるのか。されば、謙虚であろうと思うならば、他人からそなたにもたらされる教訓を気高く担い、粗野な説話(rJh:ma)をしてそなた自身を支配せしむるな」。これを聞いて、兄弟は長老の前に悔い改め、大いに益を受けて帰って行った。〔主題別8-12〕


417."15t"
師父セリノスについて

417.16
1 師父セリノスについて言い伝えられている、— 彼は大いに働き、いつも二個のピスケツトを食べていた。彼の仲間で、自身も偉大な苦行者だった師父イオーブが、彼のもとにやって来て、彼に云った、— わたしは自わたしの修屋では、わたしの行いを守ります。しかし、外に出ると、兄弟たちに合わせます」。するとこれに師父セリノスが言う。「偉大なる徳とは、そなたの修屋でそなたの規則を守ることではなく、そなたの修屋から出たときにこそ、いっそう〔それを守る〕ことじゃ」。

2 師父セリノスが云った、— わたしはわしの生涯を、刈り入れ、縫い物、編み物で過ごした。が、このようなすべてのことで、の御手がわしを満腹にさせなかったならば、満腹にさせられることはできなかったじゃろう。


417."36t"
師父スピュリドーンについて

1 スピュリドーンについては、彼が人間どもの牧者にさえなるのがふさわしいほどの、それほどの敬虔さがこの牧者にそなわっていた。というのは、キュプロスにある名をトリミテュスという一都市で、この人は主教に選ばれたのである。しかし、非常に謙虚であったので、主教でありながら、羊たちをも牧していた。ところが、真夜中、盗人たちが羊小屋にこっそり襲ってきて、懸命に羊を盗もとした。しかし、牧者を救うは、羊をも救った。というのは、盗人たちは目に見えない力によって羊小屋の近くで縛られたからである。さて、夜明けになった。羊飼いは、羊のところにやってきた。そして、後ろ手に縛られている盗賊たちを見て、何が起こったかを悟った。そこで祈りつつ、盗人たちを解いた。そして、不正に生きるより、義をもって労苦するよう、彼らを懇々と諭し、言いつけ、彼らに一匹の雄羊を与えて解放したが、丁寧に声をかけて云った。「いたずらに眠れぬ夜を過ごした、と考えてはならない」。

2 さらに言い伝えられている、— 彼には乙女の娘がおり、父親の敬虔さを分け持ち、名をエイレーネーといった。これにある知り合いが高価な装飾品を預けた。そこで彼女は、より安全なように、預かり物を地中に隠した。しかし、間もなく彼女は逝去してしまった。後に、預けた人がやって来た。が、乙女を見つけられず、父親である師父スピュリドーンを責めた、脅したり、哀願したりして。そこで、老師は預けた人の損害を災難とみなし、娘の墓に行き、約束された復活が、前もって示されるよう、に願った。まさしくこの希望は空しくはされなかった。というのは、乙女がもう一度生きて父親に現れたからである。そうして、彼女は装飾品を隠した場所を彼に示し、再ぴ立ち去った。そこで預かり物を取って、老師はそれを与えた。


420."12t"
師父サイオーについて

420.13
 師父サイオーと師父ムゥエーについて言い伝えられている、— 彼らはお互いいっしょに住持していた。師父サイオーは非常に従順であったが、大変頑であった。そこで、老師が試そうとして、これに言った。「行け、強奪してこい」。そこで彼は行って、従順によって兄弟たちから強奪してきた、万事において主に感謝しながら。老師の方は、それらを持って行って、ひそかに返していた。ところが、あるとき、彼らが道を歩いていると、サイオーは疲れ果ててしまった。師父は彼を倒れたまま放っておいた。そして行って、兄弟たちに云った。「行け、サイオーを連れて来い、彼はへたばって倒れているから」。彼らは行って、彼を連れて来た。


420."24t"
教母サッラーについて

420.25
1 教母サッラーについて語られている — 13年間、邪淫のダイモーンによって執拗に戦いを挑まれつづけたが、けっしてその戦いが除かれるよう祈ったことはなく、ただこう言った。「わがよ、わたしに力をお与えください」。〔主題別5-13〕

420.30
2 また、彼女について云われている — 同じ邪淫の霊がさらに激しく彼女に襲いかかり、この世の虚栄で彼女をそそのかした。しかし彼女はへの畏れはもちろん、修行に欠けることなく、一日、祈祷のため自分の屋上に上っていった、すると邪淫の霊が身体的に彼女に見え、彼女に云った。「そなたはわしに勝った、サッラーよ」。すると彼女がこれに言う。「おまえに勝ったのではわたしではなく、わたしの主クリストスです」。〔主題別5-14〕

3 彼女について言い伝えられている、— 彼女は60年問、川のほとりに住持したが、これを見るため身を屈めたことはなかった。〔主題別7-26〕

4 別のとき、偉大な隠修者である二人の老師が、ペールゥシオンの地方から彼女のもとにやって来た。やってくる際、彼らは互いに言いあった。「この老女を謙遜へと導こう」。そして、彼女に言う。「そなたの想念が思いあがり、女であるわたしのところに隠修者たちが来ると云わぬよう用心せよ」。彼らに教母サッラーが言う。「わたしは自然本性的には女ですが、想念ではそうではありません」。〔主題別10-107〕

5 教母サッラーが云った。「もしすべての人間たちがわたしに満足してくれるように祈ったならば、わたしが悔い改めて各人の戸口にいるのを見出すことになるでしょう。いや、むしろ、わたしの心が万人にともに潔いことを祈ります」。〔主題別10-108〕

421.1
6 彼女はさらに云った、— わたしは上るために梯子にわたしの足をかけますが、それにわたしが上る前に、眼前に死を置きます。〔主題別11-127〕

7 彼女はさらに云った、— 人間どもの間に施しをすることは美しいことです。というのも、人を満足させることによって、さらにはを満足させることにもなるからです。〔主題別13-19〕

421.8
8 あるとき、スケーティスの人々が教母サッラーを訪れた。彼女は彼らに、一龍の果物を供した。しかし、彼らは美しいのを残して、傷んだのを喰った。すると彼らに云った。「本当に、あなたがたはスケーティスの人です」。


421."12t"
教母シュンクレーティケーについて

421.13
1 教母シュンクレーティケーが云った。「に近づこうとする人々にとっては、初めは多くの闘いと労苦があります。しかし次には、言葉に言い表せぬほどの喜びがあります。というのは、火を灯そうとする人々が、初めは燻されて涙を流すのですが、ついには求めていたものを手に入れるように(というのも、わたしたちのは焼き尽くす火〔ヘブライ12:29〕ですから)、そのようにわたしたちも、涙と労苦とともに421.20的な火を自らのうちに灯さなければなりません」。〔主題別3-34〕

2 さらに云った、— わたしたちはこの約束を受けた者として、究極的な慎みを堅持しなければなりません。というのも、在俗の信徒においても慎みが生活態度とされていますが、それには慎みのなさも混在しているように思われます、自余のあらゆる感覚によって過ちをおかすからです。というのも、彼らは不適切にものを見、だらしなく笑うからです」。〔主題別4-49〕

3 さらに云った。「薬のひどい苦さが有毒な虫を追い払うように、421.30 断食を伴う祈りが、邪念を追い払うのです」〔主題別4-50〕。

4 さらに云った。「空しい快楽のために、何か有用性があるかのように、世俗的な富の賛沢さをして、あなたを誘惑させてはなりません。あの人たちは料理の技を尊重しますが、自分は断食と、安っぽい食べ物によって、あの人たちの裕福さを凌駕するのです。というのも、〔聖書は〕謂います。『贅沢三昧の魂は、蜂の巣をもあざける』〔箴言27-7〕。パンに満腹してはいけません。そうすれば、葡萄酒も欲しくなくなるでしょう」。〔主題別4-51〕

5 浄福なシュンクレーティケーが、無所有は究極的な善であるかどうか421.40 尋ねられた。そこで彼女が云った。「それができる人々にとっては、それは完全な善です。なぜなら、それを耐え忍ぶ人々は、肉体においては苦しみますが〔1コリント7:28〕、魂においては安息を得るからです。というのは、硬い外衣は、足で踏んだり強く絞ったりされて洗濯されるように、強い魂も、自発的な貧しさによって、ますます強くなるものなのです」。〔主題別6-17〕

6 彼女はさらに云った。「もしもあなたが共住修道院にいるならば、場所を変えてはなりません。それは大きな害となるからです。424.1 例えば、卵から〔離れて〕立ち上がる鳥が、それを風卵で不産にしてしまうように、修道者や処女も、場所を転々とするなら、彼らの信仰は冷えて、屍となるのです」。〔主題別7-22〕

7 彼女はさらに云った。「悪魔の罠は沢山あります。貧しさによって魂を変動させるのではありませんか? 富を餌として連れて来ます。暴力と侮辱によって力を振るうのではありませんか? 称讃と名誉とを差し出します。健康によって打ち負かされると、身体を病気にさせます。というのは、快楽によって欺くことができなかったら、意に反した労苦によって、逸脱させようと試みるからです。例えば、〔悪魔の〕要請によって、諸々の重病のようなものを、これによって自分たちのへの愛を軽視して濁らせるために持ちこみます。いや、それどころか、非常な高熱によって身体をぼろぼろにし、耐えがたい渇きによって苦しめます。もしも罪人としてこれらを被るならば、来世の懲罰であれ、永遠の業火であれ、審判の責苦であれ思い起こしなさい。そうすれば、今生じていることに対して絶望することはないでしょう。
 があなたをみそなわすことを感謝しなさい。そして次の好評な辞を舌に乗せなさい、『教育者として主はわたしを教育なさったが、わたしを死に渡されることはなかった』〔詩篇117:18〕。あなたは鉄であった。いや、火によって錆を落とされます。たとえ義人であろうとも、あなたが病気になるならば、大なるものからからより大なるものらへとあなたが前進するでしょう。あなたは黄金ですか? しかし火によってこそ、さらに吟味された者となるでしょう。み使いがあなたの肉に与えられたのですか〔2コリント12:7〕。〔それなら〕わたしは歓喜します。ごらんなさい、あなたが等しくなった方を〔2コリント3:18〕。なぜなら、あなたはパウロの分け前にふさわしい者とされたからです。あなたは火によって吟味されるのですか? 寒さによって教育されるのですか? むしろ聖書は謂います。『われわれは火の中や水の中を通ったが、あなたはわれわれを憩いの場所に導かれた』〔詩篇65:12〕。第一のものを手に入れましたか? 第二のものを期待しなさい。徳を行いながら、聖者の説話(rJh:ma)を叫びなさい。というのは、謂っています。『わたしは物乞いであり、苦しんでいます〔詩篇68:30〕。苦患のこの二重によって、あなたは完全なるものとなるでしょう。こう謂っているからです。『苦患によってわたしを迷わされました』〔詩篇4:2〕。これらの苦患によって、わたしたちは魂をもっと修練しましょう。わたしたちは目の前に敵手を見るからです」。〔主題別7-23〕

424.48
8 彼女はさらに云った。「病気がわたしたちにたかるとき、わたしたちは苦しまないようにしましょう、病気と身体の打撃のせいで、声に出して詩編朗誦できなくても。というのは、これらすべては、わたしたちにとって諸々の欲望を浄める効果があるからです。というのも、断食や地面に寝ることは、快楽のせいでわたしたちに律法として与えられているからです。ですから、病がそれらを鈍くするならば、〔その律法の〕言葉は余計事になります。というのは、偉大な修行とは、病にあって持ちこたえ、に感謝の賛歌を捧げることだからです」。〔主題別7-24*〕

424.48
9 彼女はさらに云った。「断食をしながら、病気のことを口に出しはいけません。というのも、断食しない人たちも、しばしば同じ病気に罹るからです。あなたは何か美しいことを始めたのですか? あなたを根こそぎにする敵から退いてはいけません。相手はあなたの忍耐によって、力を失うからです。例えば航海に乗り出す人々も、初めは順風に遭遇します。彼らは帆を広げますが、ついで逆風に遭っても、水夫たちが逆風のために船を見捨てることはありません。彼らはしばらくの問静かにし、あるいは大波と戦って、さらに航海を続けます。われわれも同様で、逆風に直面したら、帆の代わりに十字架を掲げて、無事に航海を終えましょう」。〔主題別7-25〕

10 彼女はさらに云った。「海の苦難と危険を冒して、感覚的な富を集める人々は、多くのものを手に入れても、さらに手に入れようと望みます。彼らは持ち合わせているものらは無と考えるのです。他方、持ち合わせていないものらへと手を伸ばします。しかし、わたしたちは求めているものさえ何も所有していないのですから、への畏れゆえに、何ものをも所有しようとは思いません」。〔主題別10-101〕

11 彼女はさらに云った。「ファリサイ派の者とともに罰されないために、徴税人に倣いなさい〔ルカ18:10-14〕。また、あなたの心の険しさを水の泉に変えるために、モゥセースの優しさを選びなさい〔詩篇113:8〕」。〔主題別15-68〕

12 彼女はさらに云った。「実践的な生活によって養成されなかった人が教えることは危険です。例えば、腐った家を持ち、客人たちを迎える者がいたとすると、建物の崩壊によって傷付けるように、先の人たちも同様で、先に自分たち自身を形成しなければ、自分たちのところにやって来る人々まで破滅させます。つまり、彼らは言葉によって人々を救いへと招いたのですが、行いの悪によって、むしろ闘士たちに不正を為すのです」。〔主題別10-104〕

425.30
13 彼女はさらに云った。「怒らないことは美しいことです。しかし、万一生じたら、この感情に対して、『太陽をして沈ましむるな』〔エペソ4:26〕と云って、一日の猶予もあってはなりません。ところが、あなたはあなたの全生涯が終わるまで怒りを保っています。なぜあなたは、悲しませた人を憎むのですか。不正を行うのは彼ではなくて、悪魔です。病気を憎みなさい。しかし、病人を憎んではなりません」。〔主題別10-103〕

14 彼女はさらに云った。「闘士たちは進歩すればするほど、ますます強い競争相手に接することになります」。〔主題別10-106〕

15 彼女はさらに云った。「敵から課せられる苦行さえあります。というのも、彼〔敵〕の弟子たちさえそれを行うからです。それでは、どのようにしてわたしたちは、的で王者的な苦行を、僭主暴的でダイモーン的な苦行と区別すべきでしょうか。明らかに、適切な程度か否かによってです。一度だけの断食の規則に、つねに従いなさい。四日も五日も断食してはなりません。そんなことをすると、次の日食事をたくさん取ってしまい、この断食を駄目にしてしまいます。というのは、過度はつねに破滅をもたらします。若くて健康なときに断食をしなさい。なぜなら、病弱とともに老いがやってくるからです。それゆえ、できるときに、食べ物の宝を積みなさい。できなくなるときに平安を見出すためです」。〔主題別3-46、10-105〕

425.51
16 彼女はさらに云った。「共住修道院にいるときは、苦行よりもむしろ従順を選びましょう。というのは、苦行は傲りを、従順は謙遜を教えるからです」。〔主題別14-17〕

428.4
17 彼女はさらに云った。「わたしたちは自分の魂を、分別でもって導かねばなりません。共住修道院にいるときには、自分の利益を求めず〔1コリント13:5〕、自分の判断で仕えず、信仰に基づいて師父に従いなさい」。〔主題別14-18〕

428.9
18 彼女はさらに云った。「こう書かれています。『蛇のように聡く、鳩のように素直であれ』〔マタイ10:16〕。蛇のようであるということは、悪魔の攻撃と姦計を忘れないことを意味します。というのは、似たものはすぐに似たものを認めるからです。他方、鳩の素直さとは、行いの清さを示しています」。〔主題別18-28〕

2015.12.21.

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