砂漠の師父の言葉(Ρ)
392."22t" 392.24 2 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうしたらよいでしょうか、教会に通うと、しばしば愛餐があって、〔人々が〕わたしを引き止めるのですが」。これに老師が言う。「困った事じゃ」。すると、彼の弟子アブラアームが言う。「会合が土曜日や主日に行われ、兄弟が三杯のぶどう酒を飲んだら、多くはなでしょうか」。老師が言う。「悪魔がいないなら、多くはない」。〔主題別4-45〕 3 師父シソエースの弟子である師父アブラアムが彼に言った。「師父よ、あなたは老いられました、ひとの住まいする地の少し近くに行きましょう」。これに師父シソエースが言う。「女のいないところ、そこに行こう」。これに彼の弟子が言う。「いったいどこに女のいない場所がありましょうや、砂漠以外に」。すると老師が言う。「されば、わしを砂漠に連れて行くがよい」。〔主題別2-26〕 392.50 393.1 6 兄弟が師父シソエースに云った。「どうしてわたしから情念が撤退しないのでしょうか」。これに老師が言う。「それら〔情念〕の器具がそなたの中にある。それらにその保証を与えよ、そうすれば、去ってゆく」。〔主題別10-98〕 7 あるとき、師父シソエースは師父アントーニオスの山に住持していた。そうして、彼の奉仕者が彼のもとに来るのが遅れたので、10か月間、人間を見ることがなかった。ところで、彼が山を歩いていたとき、野生の生き物を狩っているファラン人を見つけた。そこで、これに老師が言う。「どこから来たのか。ここにどれくらいいるのか」。すると相手が謂った。「じつに、師父よ、11か月この山にいるのですが、人間を見たことがありません、あなた以外には」。すると、これを聞いて老師は、修屋に入って、自らを打った、いわく。「見よ、シソエースよ、おまえはひとかどのことをしたと考えていた。しかし、この在俗の者がしてきた高みにも達していないのだ」。〔主題別20-5〕 8 師父アントーニオスの山で奉献の祭儀(prosforav)が催され、そのおりに革袋一杯のぶどう酒がふるまわれた。すると老師のひとりが、小さな容器と杯を取って、師父シソエースのところに携え、彼に与えた、すると彼〔シソエース〕は飲んだ。すると二度目も同様にし、そうして受け取った。三度目にも彼に差し出すと、こう云って受け取らなかった。「やめよ、兄弟よ、それとも、悪魔がいることを知らないのか」。〔主題別4-44〕 9 兄弟のひとりが、師父アントーニオスの山にいる師父シソエースのもとを訪れた。そして、話をしているときに、師父シソエースに言った。「あなたはまだ師父アントーニオスの境地には達しておられないのでしょうか、師父よ」。するとこれに老師が言う。「わしが師父アントーニオスの想念の一つをいだくなら、全身は火のごとくなるだろう。ただし、苦労して彼の想念を担える人なら知っておる」。〔主題別15-62〕 10 あるとき、テーベ人のひとりが師父シソエースのもとにやって来た、修道者になろうとしたのだ。すると老師は、彼が世間に誰か大事な人がいるかどうか尋ねた。そこで相手が謂った。「一人息子がいます」。すると老師がこれに言う。「行け、それをを川に投げこめ、その時こそそなたは修道者じゃ」。そこで、彼はこれ〔息子〕を投げこむために立ち去るや、老師はこれを妨げるために兄弟を遣わした。兄弟が言う。「やめよ、何をするか」。すると相手が云った。「師父がわたしに、これを投げこめと言った」。396.1 そこで兄弟が言う。「いや、改めて云われた、これを投げこむなと」。かくしてこれを後に残して、彼は老師のもとに行った。そして、その従順によって名だたる修道者になった。 11 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「はたして、悪魔は昔の人々を、このように迫害したのですか」。これに老師が言う。「今はそれ以上である、というのは、あの方の〔裁きの〕時は近づいたが、乱れておるからじゃ」。〔主題別15-63〕 12 あるとき、師父シソエースの弟子アプラアームが、ダイモーンに試みられた。すると老師はそして、長老は彼が躓いたのを見て、立ち上がって、両手を天に伸ばした、いわく。「神よ、あなたが望むと望まざるとにかかわらず、わたしはあなたを放しません、彼を癒してくださらないかぎりは」。すると、すぐに癒された。〔主題別19-18〕 13 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「わたしは自分自身が見えます、神の記憶がわたしに現前していると」。これに老師が言う。「そなたの想念が神とともにあることは、大きなことではない。偉大なのは、そなたがすべての被造物の下にある自分自身を見ることである。この身体的な労苦こそが、謙遜の在り方へと導くからじゃ」。〔主題別15-65〕 14 師父シソエースについて言い伝えられている、 彼が命終せんとしたとき、師父たちが彼のそばに坐っていたが、彼の顔は太陽のように輝いた。そして、彼らに言う。「見よ、師父アントーニオスがいらっしゃった」。そしてしばらくして言う。「見よ、預言者たちの一隊がやって来た」。そうして、彼の顔はさらにますます輝いた。そして云った。「見よ、使徒たちの一隊が来た」。彼の顔はさらに倍も輝きを増した。そして、見よ、みずから何人かと話しているようであった。そこで老師たちが彼に頼んだ、いわく。「どなたと交わっておいでですか、師父よ」。相手が謂った。「見よ、天使たちがわしを連れにやって来た迎えに来た、それで頼んでいるのだ、悔い改めるためしばし猶予してくれるよう」。そこで老師たちが彼に言う。「悔い改める必要はないでしょう、師父よ」。すると老師が彼らに云った。「まこと、何を始めたのか自分でわからぬ」。そこで、完徳者だとみなが知った。すると突然、またもや彼の顔は太陽のようになった。そこで、皆は畏怖した。すると彼らに言う。「見よ、主が来られた、そして言われる。『砂漠の器をわたしのところに連れて来い』〔使徒言行録9:16〕と」。すると直ぐに彼は息を引き取った。そうして稲妻のようなものが現れ、家全体が芳香に満たされた。〔主題別20-7〕 396.43 16 ある人たちが師父シソエースのところに、彼から言葉を聞くために訪れたが、彼らに何も話さなかった。ただ、「どうかわしを赦してほしい」と言うばかりであった。そこで彼らは彼の小籠を見て、彼の弟子アブラアームに云った。「この小籠をどうするのですか」。相手が云った。「これはあちこちで(w|de kajkei:)消費します」。すると老師が聞いて、云った。「シソエースでも、ときには(e[nqen kajkei:qen)食事する」。彼らは聞いて、大いに益された。そうして、彼の謙遜に高められ、嬉々として帰って行った。〔主題別15-64〕 397.24 397.30
19 三人の老師が師父シソエースを訪ねた、彼のことを聞き及んだからである。そうして一番目の者が彼に言う。「師父よ、どのようにしたら火の川〔ダニエル7:10〕から救われることができるでしょうか」。相手は彼に答えなかった。二番目の者が彼に言う。「師父よ、どのようにしたら歯がみ〔マタイ8:12〕や眠ることのない蛆虫〔マルコ9:48〕から救われることができるでしょうか」。三番目の者が彼に言う。「師父よ、どうしたらよいでしょうか、外の暗闇〔マタイ8:12〕の記憶がわたしを殺そうとするのですが」。すると長老が答えて彼らに云った。「わしはそれらのことを何も記憶しておらん。というのは、神は憐れみ深い方(fileuvsplagcnoV)であるから、わしを憐れんでくださることを希望しているからじゃ」。そこで、この言葉を聞いて、老師たちは悲しみながら立ち去った。 400.14 400.26 22 師父イオーセープが師父シソエースに尋ねた、いわく。「どれくらいの間に、人は情念を断ち切らなければならないでしょうか」。これに老師が言う。「その期間を知りたいのか?」。師父イオーセープが言う。「はい」。すると老師が言う。「いかなる刻であれ、情念がやって来たら、すぐにそれを断ち切れ」。 23 兄弟がぺトラの師父シソエースに暮らし方について尋ねた。するとこれに老師が言う。「ダニエールは云った。『パンが欲しても食べなかった』〔ダニエル10:3〕」。 24 師父シソエースについて言い伝えられている、 修屋の中に坐っているときは、いつも戸を閉じていた。〔主題別20-6〕 25 あるとき、アレイオス派の人々が、師父アントーニオスの山にいる師父シソエースのところに来て、正統教会の人々の悪口を言い始めた。しかし、老師は彼らに何も答えなかった。そうして自分の弟子に声をかけて云った。「アブラアームよ、わしに聖アタナシオスの書を持って来てくれ、そしてそれを読んでくれ」。そうして彼らが沈黙していると、彼らの異端がわかった。そして、彼らを平安のうちに送り帰したのであった。 26 あるとき、師父アムーンがライトゥからクリュスマへやって来た、師父シソエースを訪ねるためである。そして、砂漠を棄てたことを彼〔シソエース〕が悲しんでいるのを見て、これに言う。「何を悲しんでいるのですか、師父よ。今や砂漠で何ほどのこともできないでしょう、こんなに老いられたのですから」。すると老師は厳しく彼を見つめた、いわく。「わしに何を言うか、アムーンよ。というのは、砂漠ではわしの想念の自由さだけでわしには満足だったではないか」。 401.6 401.10 29 師父シソエースが云った。「人がそなたの世話をするならば、そなたは命令してはならない」。 30 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「わたしたちが道を歩いていて、もし案内人がわたしたちを迷わせたならば、彼に云う必要があるでしょうか?」。これに老師が言う。「否」。そこで兄弟が言う。「それでは、彼がわたしたちを迷わせるのを放っておくのですか」。これに老師が言う。「では如何。そなたは梶棒を執って、彼を撲ることができるのか? わしは兄弟たちを知っている、めぐっていて、夜、案内人が彼らを迷わせたと。ところで彼らは12人いた、そして迷わされたことを全員が知っていた。そして、云わないことを各々が闘っていた。やがて朝になって、彼らの案内人は道に迷ったことに気づいて、彼らに言う。『どうかわたしをお赦しください、道に迷ってしまいました』。すると一同が云った。『われわれも知っていたが、しかしわれわれは沈黙を守った』。すると相手は驚嘆した、いわく。『修道者たちは話さないように、死ぬまで自制している』。そして、彼は神を栄化した。ところで、彼らがさまよったのは、街道から12ミリアの長さである」。 401.38 401.50 404.5 34 師父たちの一人が師父シソエースに尋ねた、いわく。「砂漠に坐っていて、蛮族がやって来てわたしを殺そうとしたら、そしてわたしが相手よりも強かったとしたら、彼を殺してもよいでしょうか」。すると老師が云った。「否。むしろ彼を神にゆだねよ。というのは、人間に襲来する次のごとき試練をして言わしめよ、『わたしの罪ゆえにこれが結果したのだ』と。もしも善であるなら、『神の摂理によって〔結果したのだ〕』と」。 404.19 36 同じ兄弟が、ペトラの〔司祭である〕師父シソエースに、テーベの人、師父シソエースが云った説話(rJh:ma)〔の意味〕を尋ねた。すると老師が言う。「わしは罪の中に眠り、罪の中に目覚める」。 37 人がテーべの人、師父シソエースについて言い伝えられている、 教会〔の務め〕が終わるや、自分の修屋に逃げ帰った。そこで、人々は言った。「ダイモーンが憑いている」。しかし彼は神のわざを行っていたのである〔ヨハネ10:20〕。 38 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、師父よ、躓いてしまったのですが」。これに老師が言う、「もう一度立ち上がれ」。兄弟が言う。「立ち上がりましたが、またもや躓いてしまったのです」。老師が言う。「何度でも立ち上がれ」。そこで、兄弟が云った。「いつまでですか」。老師が言う。「善のうちにであれ、躓きのうちにであれ、捉えられてしまうときまで。なぜなら人間は、見出されるとき、そのときにこそ進んでゆくからである」。 405.1 40 師父シソエースが云った。「神を求めよ、しかし、お住みになっているところを求めてはならない」。 41 彼はさらに云った。「恥と長れのないことは、しばしば罪をもたらす」。 405.10 43 師父シソエースが云った。「自らを無とせよ、そなたの意志を、後ろに投げ捨てよ、思い煩うな。そうすれば平安を得るであろう」。〔主題別1-26〕 44 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「情念に対して何を為すべきでしょうか」。すると老師が言う。「われわれは各々、自分自身の欲望によって試みられる」〔ヤコブ1:14〕。 45 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうかわたしに説話(rJh:ma)を云ってください」。相手が謂った。「なぜわしにむだに語ることを強いるのじゃ。見よ、そなたが見ていることを行うがよい」。〔主題別10-16〕 405.25 47 師父シソエースについて言い伝えられている、 彼は坐っているとき、大声で叫んだ。「何とつらいことか!」。405.33彼の弟子が彼に言う。「どうなさったのですか、師父よ」。これに老師が言う。「わしは話のできる者を一人求めているが、見出せないのじゃ」。 48 あるとき、師父シソエースは師父アントーニオスの山を離れ、テーベの郊外の山に行き、そこに居住した。しかし、そこにはメリティオス派[033]がいて、アルセノエのカラモーンに住んでいた。さて、彼が郊外の山に出て行ったと聞いた一部の人たちが、彼に拝謁したいとおもった。そこで彼らは云った。「どうしようか。山にはメレティオス派がいるのだから。老師が連中から害を受けないことは分かっている。しかしわれわれの方は、老師に会おうとすれば、かの異端者たちの試みに陥ってしまうにちがいない」。そこで彼らは、異端者たちに遭遇することのないよう、老師に面会に出かけなかった。 49 師父シソエースについて言い伝えられている、 彼が病気になった。そして長老たちが彼の周りに坐っていると、〔シソエースは〕誰かと話をしていた。彼らが彼に言う。「何を見ておられるのですか、師父よ」。すると彼らに言う。「誰かがわしのところに来るのが見える、それで、少し悔い改めをさせてくれるよう彼らに頼んでいるのじゃ」。これに老師たちの一人が言う。「いったい、あなたにそれをさせるなら、悔い改めに今からでも役立ちうるのですか?」。これに老師が言う。「そうし得ないとしても、わしの魂について少し嘆こう。わたしにはそれで十分じゃ」。 408.10 51 テーベの人、師父シソエースが自分の弟子に云った。「わたしの中に何が見えるか、わしに云え、わしもそなたの中に何が見えるかそなたに言おう」。これに彼の弟子が言う。「あなたは心において美しいですが、少し頑闘です」。これに老師が言う。「そなたは美しいが、理性において虚(cau:noV)である」。 52 テーべの人、師父シソエースについて言い伝えられている、 彼はパンを食べなかった。そこで、過越祭のおりに兄弟たちが彼の前に跪いた、自分たちと一緒に喰うよう。すると答えて彼らに云った。「わしができるのは一つのことをすること。わしができるのは、パンを摂るか、そなたたちが作った食べ物を摂るか、じゃ」。そこで彼らは彼に云った。「パンを喰うだけにしてください」。そこで彼はそのとおりにした。 408."28t" 408.29 2 あるとき、同じ人が兄弟たちとともに坐っていて、恍惚状態になり、うつぶせに倒れた。かなり経ってから立ち上がり、泣いた。そこで兄弟たちが彼に呼びかけた、いわく。「どうなさったのですか、師父よ」。しかし彼は黙って、泣いていた。しかし、彼らが云うよう強いるので、云った。「わしが審判に引き上げられた。そしてわれわれの仲間の多くが罰を受けに行くのを見、他方、多くの在俗信徒が王国に行くのを〔見た〕のじゃ」。そして、老師は悲歎し、自分の修屋から出て行こうとはしなかった。しかし外に出るように強いられると、自分の顔を頭巾で覆った、いわく。「なんでわしが、かりそめの、何ら益ないこの光を見たいものか」。〔主題別3-33〕 409.1 409.14 5 ある兄弟が、シナイ山の師父シルゥアーノスのもとを訪ねた。そして、兄弟たちが働いているのを見て、老師に云った。「『汝ら朽ちる食物のために働くな』〔ヨハネ6:27〕、『マリアはよい方を選んだ』〔ルカ10:42〕とあります」。老師が自分の弟子に言う。「ザカリアースよ、この兄弟に書物を与えよ、そして彼を何もない修屋に入れよ」。さて、第九時になったとき、扉を見つめていた、はたして喰うために自分を呼びにひとを寄越してくれるかと。しかし誰も自分を呼びに来なかったので、立ち上がって老師のもとに赴き、これに言う。「兄弟たちは、今日、喰わなかったのですか、師父よ」。これに老師が言う。「いいや〔喰った〕」。そこで云った。「なぜわたしを呼んでくれなかったのですか」。これに老師が言う。「そなたは霊的な人で、このような食物を必要としないからじゃ。しかしわしたちは肉的であるので、喰うことを望み、そのために働く。しかるにそなたは美しき分け前を選び、一日中読書をして、肉的な糧を喰うことを拒む」。そこでこれを聞くや、跪いた、いわく。「どうかわたしをお赦しください、師父よ」。これに老師が言う。「全くのところ、マリアもマルタを必要としている。なぜなら、マルタのおかげでマリアも称えられるのである」。〔主題別10-99〕 6 あるとき、師父シルゥアーノスに尋ねた〔人たちがいる〕、いわく。「どんな行住坐臥をしたらよいのでしょうか、師父よ、この思慮を得るには」。すると答えた。「神を怒らせるような想念を、わしの心に赦したことはない」。〔主題別11-70〕 412.1 8 師父シルゥアーノスについて言い伝えられている、 彼の弟子ザカリアースは、彼を置いて外に出た。そして兄弟たちを連れて、菜園の囲いを取り払い、これを大きくした。すると老師が知って、自分の羊皮外套を着て外に出、兄弟たちに言う。「わしのために祈ってくれ」。彼らは彼を見て、こう言ってその足元にひれ伏した。「どうかわたしたちに云ってください、師父よ、どうなさったのか」。すると彼は彼らに謂った。「わしは中に入らず、羊皮外套をわしから脱がぬ、そなたたちが囲いをそのもとの場所に戻さないうちは」。そこで彼らは再び囲いをもどし、これをもとどおりにした。しつにこういうふうにして、老師は自分の修屋に引き返した。〔Anony412〕 9 師父シルゥアーノスが云った。「わしは奴隷で、わしの主人がわたしに言った。『わたしの仕事をせよ、そうすればわたしもそなたを養おう。どうしてかは、詮索するな。わたしの持ち物であれ、盗んだものであれ、借りたものであれ、詮索するな。ただ働け、そうすればそなたを養ってやろう』。されば、わしが働いたときは、わしの報酬によって食べる。だが働かないときは、施し食べるのじゃ」。〔主題別6-28〕 10 彼はさらに云った。「件の人間に災いあれ、自分の名声を自分の働きよりも大きなものとして有する者に」。 412.30 12 師父の一人が云った、 かつてある人が師父シルゥアーノスに出会ったが、彼の頭と体全体が天使のそれのように輝いているのを見て、顔を伏せた。また、他の何人かのひとたちも、この恩寵をもっていたと言った。 412."39t" 412.40 2 また別のとき、別の長官が彼に面会に来ようとした。すると聖職者たちが先に手配して彼に云った。「師父よ、準備してください。長官があなたについて耳にして、あなたから祝福を受けるためにやって来るのですから」。そこで相手が云った。「わかった、自分で準備しよう」。そこで、自分の古外套(kentwvnion)をまとい、自分の手にパンとチーズを持って、入口に行って、食べながら坐っていた。そうして、長官が自分の一隊を引き連れてやって来て、彼を見て、彼を軽蔑した、いわく。「これが、われわれが噂に聞いた隠修者か」。そして、すぐに引き返して行った。〔主題別8-23〕 413."6t" 413.7 413."15t" 413.16 413.20 413.30 413.43 413."49t" 413.50 2 兄弟が師父サラピオーンに尋ねた、いわく。「どうかわたしにお言葉を云ってください」。これに老師が言う。「そなたに何を云いえようか。そなたはやもめたちとみなしごたちのものを取り上げ、この窓のところに置いたのじゃから」。というのは、それ〔窓〕が書物で満たされているのを目にしたのである。〔主題別6-16〕 3 師父サラピオーンが云った、 語った。「あたかも皇帝の将兵たちが、立っているとき、右とか左を眺めることができないようなものだ。ひとも同様で、神の御前に立ち、つねに畏れのうちにその御顔を注視するならば、彼が敵を恐れることはあり得ない」。〔主題別11-71〕 4 兄弟が師父サラピオーンを訪ねた。すると老師は、いつもどおりに祈りをするように彼を促した。しかし相手は、自分は罪人で、修道服自体にふさわしくないからと言って、聞き入れなかった。さらに、〔老師が〕彼の足を洗おうとした。しかし同じ言葉を使って、受け入れなかった。そこで、彼に食事をさせた。で、老師も食べ始めた。そして彼を諭した、いわく。「わが子よ、益を得たいと思うなら、そなたの修屋に住持せよ、そしてそなた自身とそなたの手仕事に心を注げ。というのは、出歩くことは、坐ることほどの益をそなたにもたらさぬからじゃ」。相手はこれを聞いて、腹を立て、老師が気づかずにおれないほど、顔色を変えた。そこで、これに師父サラピオーンは云った。「今までそなたは、『わたしは罪人です』と言い、生きるにも値しないと自分を責めていた。ところが、わしが愛をもってそなたに思い起こさせると、それほど凶暴になるのか。されば、謙虚であろうと思うならば、他人からそなたにもたらされる教訓を気高く担い、粗野な説話(rJh:ma)をしてそなた自身を支配せしむるな」。これを聞いて、兄弟は長老の前に悔い改め、大いに益を受けて帰って行った。〔主題別8-12〕 417."15t" 417.16 2 師父セリノスが云った、 わたしはわしの生涯を、刈り入れ、縫い物、編み物で過ごした。が、このようなすべてのことで、神の御手がわしを満腹にさせなかったならば、満腹にさせられることはできなかったじゃろう。 417."36t" 1 スピュリドーンについては、彼が人間どもの牧者にさえなるのがふさわしいほどの、それほどの敬虔さがこの牧者にそなわっていた。というのは、キュプロスにある名をトリミテュスという一都市で、この人は主教に選ばれたのである。しかし、非常に謙虚であったので、主教でありながら、羊たちをも牧していた。ところが、真夜中、盗人たちが羊小屋にこっそり襲ってきて、懸命に羊を盗もとした。しかし、牧者を救う神は、羊をも救った。というのは、盗人たちは目に見えない力によって羊小屋の近くで縛られたからである。さて、夜明けになった。羊飼いは、羊のところにやってきた。そして、後ろ手に縛られている盗賊たちを見て、何が起こったかを悟った。そこで祈りつつ、盗人たちを解いた。そして、不正に生きるより、義をもって労苦するよう、彼らを懇々と諭し、言いつけ、彼らに一匹の雄羊を与えて解放したが、丁寧に声をかけて云った。「いたずらに眠れぬ夜を過ごした、と考えてはならない」。 2 さらに言い伝えられている、 彼には乙女の娘がおり、父親の敬虔さを分け持ち、名をエイレーネーといった。これにある知り合いが高価な装飾品を預けた。そこで彼女は、より安全なように、預かり物を地中に隠した。しかし、間もなく彼女は逝去してしまった。後に、預けた人がやって来た。が、乙女を見つけられず、父親である師父スピュリドーンを責めた、脅したり、哀願したりして。そこで、老師は預けた人の損害を災難とみなし、娘の墓に行き、約束された復活が、前もって示されるよう、神に願った。まさしくこの希望は空しくはされなかった。というのは、乙女がもう一度生きて父親に現れたからである。そうして、彼女は装飾品を隠した場所を彼に示し、再ぴ立ち去った。そこで預かり物を取って、老師はそれを与えた。 420."12t" 420.13 420."24t" 420.25 420.30 3 彼女について言い伝えられている、 彼女は60年問、川のほとりに住持したが、これを見るため身を屈めたことはなかった。〔主題別7-26〕 4 別のとき、偉大な隠修者である二人の老師が、ペールゥシオンの地方から彼女のもとにやって来た。やってくる際、彼らは互いに言いあった。「この老女を謙遜へと導こう」。そして、彼女に言う。「そなたの想念が思いあがり、女であるわたしのところに隠修者たちが来ると云わぬよう用心せよ」。彼らに教母サッラーが言う。「わたしは自然本性的には女ですが、想念ではそうではありません」。〔主題別10-107〕 5 教母サッラーが云った。「もしすべての人間たちがわたしに満足してくれるよう神に祈ったならば、わたしが悔い改めて各人の戸口にいるのを見出すことになるでしょう。いや、むしろ、わたしの心が万人にともに潔いことを祈ります」。〔主題別10-108〕 421.1 7 彼女はさらに云った、 人間どもの間に施しをすることは美しいことです。というのも、人を満足させることによって、さらには神を満足させることにもなるからです。〔主題別13-19〕 421.8 421."12t" 421.13 2 さらに云った、 わたしたちはこの約束を受けた者として、究極的な慎みを堅持しなければなりません。というのも、在俗の信徒においても慎みが生活態度とされていますが、それには慎みのなさも混在しているように思われます、自余のあらゆる感覚によって過ちをおかすからです。というのも、彼らは不適切にものを見、だらしなく笑うからです」。〔主題別4-49〕 3 さらに云った。「薬のひどい苦さが有毒な虫を追い払うように、421.30 断食を伴う祈りが、邪念を追い払うのです」〔主題別4-50〕。 4 さらに云った。「空しい快楽のために、何か有用性があるかのように、世俗的な富の賛沢さをして、あなたを誘惑させてはなりません。あの人たちは料理の技を尊重しますが、自分は断食と、安っぽい食べ物によって、あの人たちの裕福さを凌駕するのです。というのも、〔聖書は〕謂います。『贅沢三昧の魂は、蜂の巣をもあざける』〔箴言27-7〕。パンに満腹してはいけません。そうすれば、葡萄酒も欲しくなくなるでしょう」。〔主題別4-51〕 5 浄福なシュンクレーティケーが、無所有は究極的な善であるかどうか421.40 尋ねられた。そこで彼女が云った。「それができる人々にとっては、それは完全な善です。なぜなら、それを耐え忍ぶ人々は、肉体においては苦しみますが〔1コリント7:28〕、魂においては安息を得るからです。というのは、硬い外衣は、足で踏んだり強く絞ったりされて洗濯されるように、強い魂も、自発的な貧しさによって、ますます強くなるものなのです」。〔主題別6-17〕 6 彼女はさらに云った。「もしもあなたが共住修道院にいるならば、場所を変えてはなりません。それは大きな害となるからです。424.1 例えば、卵から〔離れて〕立ち上がる鳥が、それを風卵で不産にしてしまうように、修道者や処女も、場所を転々とするなら、彼らの信仰は冷えて、屍となるのです」。〔主題別7-22〕
7 彼女はさらに云った。「悪魔の罠は沢山あります。貧しさによって魂を変動させるのではありませんか? 富を餌として連れて来ます。暴力と侮辱によって力を振るうのではありませんか? 称讃と名誉とを差し出します。健康によって打ち負かされると、身体を病気にさせます。というのは、快楽によって欺くことができなかったら、意に反した労苦によって、逸脱させようと試みるからです。例えば、〔悪魔の〕要請によって、諸々の重病のようなものを、これによって自分たちの神への愛を軽視して濁らせるために持ちこみます。いや、それどころか、非常な高熱によって身体をぼろぼろにし、耐えがたい渇きによって苦しめます。もしも罪人としてこれらを被るならば、来世の懲罰であれ、永遠の業火であれ、審判の責苦であれ思い起こしなさい。そうすれば、今生じていることに対して絶望することはないでしょう。
424.48 424.48 10 彼女はさらに云った。「海の苦難と危険を冒して、感覚的な富を集める人々は、多くのものを手に入れても、さらに手に入れようと望みます。彼らは持ち合わせているものらは無と考えるのです。他方、持ち合わせていないものらへと手を伸ばします。しかし、わたしたちは求めているものさえ何も所有していないのですから、神への畏れゆえに、何ものをも所有しようとは思いません」。〔主題別10-101〕 11 彼女はさらに云った。「ファリサイ派の者とともに罰されないために、徴税人に倣いなさい〔ルカ18:10-14〕。また、あなたの心の険しさを水の泉に変えるために、モゥセースの優しさを選びなさい〔詩篇113:8〕」。〔主題別15-68〕 12 彼女はさらに云った。「実践的な生活によって養成されなかった人が教えることは危険です。例えば、腐った家を持ち、客人たちを迎える者がいたとすると、建物の崩壊によって傷付けるように、先の人たちも同様で、先に自分たち自身を形成しなければ、自分たちのところにやって来る人々まで破滅させます。つまり、彼らは言葉によって人々を救いへと招いたのですが、行いの悪によって、むしろ闘士たちに不正を為すのです」。〔主題別10-104〕 425.30 14 彼女はさらに云った。「闘士たちは進歩すればするほど、ますます強い競争相手に接することになります」。〔主題別10-106〕 15 彼女はさらに云った。「敵から課せられる苦行さえあります。というのも、彼〔敵〕の弟子たちさえそれを行うからです。それでは、どのようにしてわたしたちは、神的で王者的な苦行を、僭主暴的でダイモーン的な苦行と区別すべきでしょうか。明らかに、適切な程度か否かによってです。一度だけの断食の規則に、つねに従いなさい。四日も五日も断食してはなりません。そんなことをすると、次の日食事をたくさん取ってしまい、この断食を駄目にしてしまいます。というのは、過度はつねに破滅をもたらします。若くて健康なときに断食をしなさい。なぜなら、病弱とともに老いがやってくるからです。それゆえ、できるときに、食べ物の宝を積みなさい。できなくなるときに平安を見出すためです」。〔主題別3-46、10-105〕 425.51 428.4 428.9 2015.12.21. |