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原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 5

砂漠の師父の言葉(主題別)
(4/21)






4.
(T.)

節制(ejgkrateiva)について、また、食事の際のみならず、魂の自余の動きの際にもこれを厳守すべきこと

(1.)
 兄弟たちがスケーティスを発って、師父アントーニオスを訪ねようとした。そうして、彼の許に行くべく船に乗りこんだとき、別の老師がいて、彼もまたそこへ行こうとしているのを見つけた。しかし彼のことを兄弟たちは知らなかった。そうして、船中に坐って、師父たちの言葉や、聖書からのや、さらにまた自分たちの手仕事について喋っていた。しかしくだんの老師はまったく沈黙していた。さて、彼らが船着き場について、老師も師父アントーニオスのところに行こうとしているのを目にした。さて、彼らが彼のところに着くや、彼らに〔アントーニオスが〕言う。「この老師を美しき同行者として見つけたものだ」。さらにまた老師にも云った。「あなたのともに美しい兄弟たちを見つけられたものだ」。これに老師が言う。「たしかに彼らは美しくはある、しかし、彼らの中庭には扉がない。その気の或る者は家畜小屋に入りこんで、驢馬を解き放つだろうて」。これは、彼らが自分の口にのぼることを喋ったことを彼は言ったのだ。〔アントーニオス18〕

(2.)
 師父ダニエールが師父アルセニオスについて云った — 彼は一晩中眠らずに過ごし、明け方になって自然に眠気がさしてくると、眠気に言った。「さあ来い、悪しき奴隷め」。そうして坐ったまま少しまどろむが、すぐに目覚めるのだった。〔アルセニオス14〕

(3.)
 師父アルセニオスはこう言うを常としていた。「修道者は、闘士である以上、1刻眠れば足りる」。〔アルセニオス15〕

(4.)
 師父ダニエールが言うを常とした —。「〔師父アルセニオスが〕わたしたちのもとに留まっておられるこれほどの歳月、わたしたちは1年1籠の穀物のみをあの方に渡していた。そして、わたしたちが彼のもとを訪れるときには、わたしたちがそれを食べるのだった」。〔アルセニオス17〕

(5.)
 さらに云った — 〔師父は〕ナツメヤシの枝の水を1年に1度しか変えず、〔水を〕加えるだけであった。というのは、彼は第6時課まで縄を編み、編物をしていたからである。そこで長老たちは彼に勧めた、いわく。「なぜナツメヤシの枝の水を変えないのですか、匂っているのに」。すると彼らに言った。「わたしは、世間で享受していた薫香や香料の代わりに、この悪臭を受け入れねばならないのだ」。〔アルセニオス18〕

(6.)
 さらに云った — あらゆる種類の果物が熟した聞くと、自分から「それをわたしのところに持って来なさい」と言った。そして、すべての中で小さなのを一度だけ、に感謝しつつ味わうことにしていた、と。〔アルセニオス19〕

(7.)
 師父アガトーンについて言い伝えられている — 彼は沈黙を成就するまで、3年間、自分の口に石を含んでいた。〔アガトーン15〕

(8.)
 あるとき、師父アガトーンは自分の弟子たちといっしょに道を行っていた。すると彼らのひとりが道に小さな緑の豆を見つけ、老師に言う。「師父よ、これを拾うようおいいつけになりますか?」。すると老師は驚いて、彼を見つめ、そして言う。「そなたがそれをそこに置いたのか?」。「いいえ」。すると老師は云った。「されば、そなたが置いたのでないものをどうして取ろうとするのか?」。〔アガトーン11〕

(9.)
 老師たちのひとりが師父アキッラスを訪ねたところ、彼がその口から血を吐いているのを目撃した。そこで彼に尋ねた。「それは何ですか、師父よ」。すると老師がこう云った。わしを悩ませている兄弟の言葉じゃ、わしは彼に告げないよう戦い、わしから取り除かれるようにお願いしたところ、その言葉がわしの口の中で血となった、そこでこれを吐き出し、わしは安らかになり、悩みを忘れたのじゃ」。〔アキッラス4〕

(10.)
 あるとき、師父アキッラスは、スケーティスの師父ヘーサイアースの修屋に赴いたところ、彼が食事をしているのを見た。で、皿に塩と水とを入れていたのである。で、老師〔アキラース〕は、彼がナツメヤシの葉の編み物後ろにそれを隠したのを見て、彼に言う。「わしに云ってくれ、何を食べていたのか」。相手が云った、「どうかわたしをお赦しください、師父よ、ナツメヤシの葉を伐り、登ってきましたので、わたしのパン切れに塩をつけてわたしの口に入れました。しかし、わたしの喉は暑さのためにかわいて、パン切れが喉を通りません。そのため、食べることができるようにと、やむなく塩の中に水を少し入れたのです。しかし、どうかわたしをお赦しください」。すると老師が言う。「さあ、ヘーサイアースがスケーティスでブロスを飲むのを見るがよい。もしブロスが飲みたければ、アイギュプトスに行け」。〔アキッラス3〕

(11.)
 師父アムモーエースについて言い伝えられている — 彼は病弱であった。そして長年床に就いていたが、自分の外なる修屋で何が起こっているか見るために、自分の想念を注ぐことは決してなかった。というのは、病気だというので多くのものを彼に運んでくれたからである。また、自分の弟子イオーアンネースが出入りするときにも、何をしているのか見ないために、眼を閉じたままであった。というのは、信実の修道者であることを知っていたからである。〔アムモーエース3〕

(12.)
 ケッリアの司祭、師父ベニアミンが云った —。「われわれはスケーティスにある老師を訪ね、これにわずかのオリーヴ油を差し上げようとした。すると、われわれに言う。『見よ、3年前にそなたたちがわしに持ってきた小さな容器がどこかにある。そなたたちがそれを置いたまま残っていよう』。聞いてわれわれは老師の行住坐臥に驚嘆した」。〔ベニアミン2〕

(13.)
 ナキアスティスの師父ディオスコロスについて語り伝えられている — 彼のパンは大麦とレンズ豆で出来ていた。そして、毎年一つの行住坐臥を決めていた。「今年、わしは誰にも会わず、煮たものを食べず、果物も野菜も食べまい」と言うように。彼はあらゆる修行につけても、このように実行していた。そして、一つを全うすると、また他の目標に取り掛かる。そして年ごとにそれを行っていたのである。〔ディオスコロス1〕

(14.)
 老師が云った。わしが諸々の快楽を取り除こうとする所以は、気性の口実を根絶するためである。というのは、それが常に諸々の快楽をめぐってわしに喧嘩を仕掛け、わしの理性を乱し、知性を追い払うことを知っているからである、と。 〔*Anony951、エウアグリオス「実修論」99a〕

(15.)
 あるとき、聖エピパニオスは師父ヒラリオーンにひとを遣わした、こう言って彼を招待するためである。「こちらへ、わたしたちが身体を離れる前に対面するために」。そして彼が着くと、彼らは互いに喜びあった。さて彼らが食事しているとき、鳥肉が運ばれて来た。そこで主教が取って、師父ヒラリオーンに与えた。するとこれに老師が言う。「どうかわたしをお赦しください、わたしは修道服を身に着けて以来、肉(qu:ma)を食べたことがないのです」。すると、これに主教は言う。「わたしは、修道服を着て以来、誰であれ、わたしに反感を抱かせたまま、眠りに就かせたことはなく、またわたしも、人に反感を抱いたまま眠りに就いたことはありません」。するとこれに老師が言う。「どうかわたしをお赦しください。あなたの行住坐臥は、わたしのものよりも偉大です」。〔キュプロスの主教、聖エピパニオス4〕

(16.)
 師父エラディオスについて言い伝えられている — ケッリアで20年間を過ごしたが、教会の天井を見るために、眼を上にあげたこともなかった。〔エラディオス1〕

(17.)
 師父ゼーノーンについて言い伝えられている — パレスティナを巡り、疲れたので、喰うため胡瓜畑のそばに座った、すると、想念が彼に言う。「おまえ自身のために胡瓜を取って喰え。それが何だというのだ」。そこで彼は想念に答えて云った。「盗人は罰を受ける。それでは、そのことで自分自身を吟味せよ、罰に堪えられるかどうか」。そこで立ち上がって、五日間、炎熱の中に立ち、自分自身を焼かれうえで、云った。「わたしは罰に耐えられない」。そこで、想念に言う。「できないのであれば、盗んで食べるな」。〔セーノーン6〕

(18.)
 師父ヘーサイアースが云った。「わしはものをいうことよりも沈黙することを愛する。なぜなら、沈黙は宝を積むが、話すことは浪費するからである」。

(19.)
 師父テオドトスが云った。「パンの欠乏は、修道者の身体を疲れさせる」。だが、他の老師が言った、— 徹夜は、それ以上に身体を疲れさせる、と。〔テオドトス〕

(20.)
 コロボス人、師父イオーアンネースが云った、— 王が敵どもの都市を占領しようと思うならば、先ず水と食料とを支配し、じつにそうやって敵どもは空腹に打ちのめされて、彼に降服する。肉の情念も同様であって、人が断食と空腹の中に暮らすなら、敵どもはその人の魂に対して無力になるのだ」。〔コロボスのイオーアンネース3〕

(21.)
 師父イシドーロスが云った、— あるとき、わずかな品物を売りにわしは市場に行った。が、怒りがわしに近づいてくるのを見て、品物を置いて逃げた、と。〔イシドーロス7〕

(22.)
 師父イサアークが云った。「わしが知っている兄弟が、畑で刈り入れをしていて、麦の穂を喰いたいと思った。そこで畑の主人に云った。『麦の穏を一本食べてもよいですか』。相手はそれを聞いて、驚いて、彼に云った。『この畑はあなたのものです、師父よ、それなのに、わたしに尋ねるのですか』。これほどまでに、この兄弟は厳格であったのだ」。〔ケッリアのイサアーク4〕

(23.)
 司祭である師父イシドーロスについて言い伝えられている、— あるとき、兄弟がやって来た、彼を朝食に呼ぶためである。しかし老師は、こう言って出かけることを承知しなかった、— アダムは食べ物によってだまされ、楽園の外に住まわせられた」。これに兄弟が言う。「あなたは、あなたの修屋から出て行くことをそんなに恐れているのですか」。相手が再び云った。「わが子よ、わしは恐れる、悪魔が吠えたける獅子のように、誰かを飲み込もうとして探し回っている〔1ペトロ5:8〕からじゃ」。また彼は、しばしば言うを常とした、— もし誰かがおのれを飲酒にゆだねるならば、さまざまな想念の悪巧みからけっして逃れられない。というのも、ロートは、自分の娘たちに強いられて、葡萄酒に酔い、酪町の結果、悪魔はやすやすと彼を、無法な姦淫へと向かわせた〔創世記19:30-38〕からだ、と。〔司祭イシドーロス1〕

(24.)
 兄弟が、こう言って彼に尋ねた。「なぜダイモーンどもは、あなたをそれほど強く恐れるのですか」。これに老師が言う。「わしが修道者になって以来、決して怒りをわしの喉にまで上らせぬよう修行しているからじゃ」。〔イシドーロス2〕

(25.)
 さらに云った、精神における罪を看取して以来、30年間、欲性にも気性にも同意したことはけっしてない、と。〔イシドーロス3〕

(26.)
 師父カシアーノスが、修道院の院長となった師父イオーアンネースについて語り伝えている — 40年間、最奧の砂漠で暮らしていた師父アルセニオスを〔師父イオーアンネースが〕訪ね、彼に大きな愛と、それに由来する気易さ(parjrJhsiva)とを持っていたので、彼に問いただした、いわく。「これほど長い期間にわたってこのように隠修し、どんな人間にもたやすくは悩まされずにいて、どんなことが達成できましたか?」。相手が謂う。「修行者となって以来、わたしが食事するのを太陽が見たことはありません」。すると師父イオーアンネースも云った。「わしが怒るのも〔太陽が見たことは〕ない」。〔カシアーノス4〕

(27.)
 さらに云った — 師父モーゥセースが、師父セラピオーンについて、〔セラピオーンが〕次のように云ったとわれわれに語り伝えている、と —。わしがまだ若く、師父テオーナースと坐していたとき、食事して、食卓から起つ際に、〔ダイモーンの〕活動で、平菓子を盗み、わしの師父に隠れてこれをもぐついたことがある。ところが、しばらくの間これをしつづけていたところ、すっかり夢中になって、おのれに打ち勝つことができず、自分の良心に裁かれるのみで、老師に打ち明けることを恥じていた。しかし、人間を愛するの摂理で、或る人たちが益を受けるために老師のもとにやって来たことがあり、彼らは自分の諸想念について彼に質問した。すると老師が答えた —。諸想念を霊的な師父たちから隠すことほど、修道者たちを害し、ダイモーンたちを歓ばせることは何もない、と。また、節制についても彼らに語った。以上のことが言われたので、わしは、がわしのことを老師に確信させたのだと思量して、痛悔して号泣しだし、悪い盗み癖がついていた平菓子をわしの懐から投げ出した。地面に身を投げだし、居合わせる人たちに免じて容赦と、来たるべき事柄の安全のために祈りを懇願した。このとき、老師が言う。「おお、わが子よ、わしが黙っていたとしても、そなたの告白がこの囚われから解放し、沈黙のせいでそなたを傷つけるダイモーンを、そなた自身のことを打ち明けることで屠ったことであろう、今までそなたを支配するがままにさせて、反対もせずやつを反駁もしなかったにしろ、今からはそなたの心から追い出されて、そなたの内に居場所を持つことはないであろう」。老師がまだ語り終えていないうちに、見よ、〔ダイモーンの〕活力は火の煙のようにわしの懐から出て来て、居合わせた人たちが、多量の硫黄が燃えていると思うほど悪臭で家を満たした。すると、このとき老師が云った。「見よ、わしの言葉と、そなたの解放の証を、が生じた徴によってもたらされたのじゃ」。

(28.)
 師父ロンギノスが、一度悪病にかかったとき、自身に言いきかせた。「悪病にかかるがいい、死んでしまうがいい、わしが時宜にはずれて喰うことをむやみに求めるならば、おまえの日々の糧さえもやらない」。〔ロンギノス2〕

(29.)
 師父マカリオスについて言い伝えられている —、彼が兄弟たちと時を過ごすときには、こんな決まりを自身に定めていた — たまさか葡萄酒があるときには、兄弟たちのために飲め、しかし、葡萄酒一杯ごとに、1日水を飲んではならない、と。そういう次第で、兄弟たちは彼に休息の恩寵を与えようとした。すると老師は喜んでそれを受けたが、それは自分自身を苦しめるためであった。彼の弟子はといえば、事情を見知っているので、兄弟たちに言った。「主にかけて、彼に与えないでください、さもないと、修屋で自らを圧殺しかねません」。これを知った兄弟たちは、もはや彼に勧めることはなかった。〔マカリオス10〕

(30.)
 偉大なる師父マカリオスは、教会を解散させるとき、スケーティスの兄弟たちに言った。「逃げるがよい、兄弟たちよ」。するとこれに、老師たちの一人が云った。「この砂漠をわたってどこに逃げればいいのですか?」。すると自分の指を口に当てた、いわく。「ここから逃げよ」。そうして自身の修屋に入り、扉を閉めて、坐った。〔エジプトのマカリオス16〕

(31.)
 同じ師父マカリオスが云った。「人を咎めようとして、怒りに衝きうごかされるなら、自分の情念を満足させてしまう。つまり、他者を救おうとして、自分自身を滅ぼしてはならない」。〔マカリオス17〕

(32.)
 師父ポイメーンが云った。「もし近衛兵の隊長であるナプゥザルダンが来なかったならば、主の殿は焼かれなかっただろう〔列王下25:8〕。これはこういう意味だ。つまり、大食という安息が魂に起きなければ、理性が敵の攻撃に屈することはないだろう、ということじゃ」。〔ポイメーン16〕

(33.)
 師父ポイメーンについて言い伝えられている — 自分の意に反して喰うために呼ばれると、涙を流しながら出かけて行った、自分の兄弟たちのいうことを聞き入れないことで、彼らを悲しませないためにである。〔ポイメーン17〕

(34.)
 ある修道者について師父ポイメーンに話す人たちがいた — 彼はぶどう酒を飲みません、と。すると彼らに言う — 。「葡萄酒というものは、まったく修道者たちのものではない」。〔ポイメーン19〕

(35.)
 さらに師父ポイメーンが云った。「魂は何ものにおいても謙遜することがない、おのれをパンに劣れさせないかぎりは」。

(36.)
 さらに云った — 書かれた文句 —『そなたの言葉から義とされ、また、そなたの言葉から義に反すると断罪される』〔マタイ12:37〕をひとが憶えているなら、むしろ沈黙の方を選びとるだろう、と。〔ポイメーン42〕

(37.)
 老師がさらに云った — 隣人を称賛するのは美しいかどうか、兄弟が師父パムボーに尋ねた。すると彼に云った。「むしろ沈黙する方が美しい」。

(38.)
 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「共住修道院にあるには、いかにすべきですか?」。これに老師が言う —。共住修道院に坐す者は、兄弟たち全員をひとつと見、自分の口と両眼とを見張らねばならない、そうすることによってのみ、休息できるのだ、と。〔983ポイメーン〕

(39.)
 師父ポイメーンが云った —。「煙が蜜蜂たちを追い払い、そのとき彼らの働きの甘美さが取り上げられるように、身体的休息も、魂からへの畏れを追い払い、それからすべてのわざを解散させる」。〔ポイメーン57〕

(40.)
 師父の一人が、師父ポイメーンとその兄弟たちについて語り伝えている、— 彼らはアイギュプトスに住んでいた。すると、彼らの母親が彼らに会いたいと欲していたが、できなかった。そこで彼女は、彼らが教会に行く頃合いを見張っていて、彼らに出会った。しかし、彼らは彼女を見ると、引き返し、彼女の面前で扉を閉めてしまった。彼女は扉に向かって、大変哀れな様子で泣いて叫んで、いわく。「あなたたちを見たいのです、わたしの愛しい子どもたちよ」。彼女のいうのを聞いて、師父アヌゥブは、師父ポイメーンのところに入って行った、いわく。「扉に向かって泣いている老女をどうしましょうか?」。そこで〔修屋の〕中に立ち、彼女が大変哀れげに泣いているのを聞いた。そして彼女に云った。「どうしてそのように叫んでいるのか、老女よ」。彼の声を聞いた彼女は、一層激しく叫び、泣きながらいわく。「あなたたちに会いたいのです、わが子たちよ。わたしがあなたたちを見たからといって、それが何でしょうか。わたしはあなたたちの母親ではありませんか。わたしはあなたたちに乳を与えたのではありませんか。わたしの髪は真っ白です。そなたの声を聞いて動揺してしまったのです」。彼女に老師が言う。「そなたがわれわれに会いたいのはこの世でか、それとも、あの世でか?」。彼に言う。「ここであなたがたを見ないとしたら、あの世であなたがたを見ることになるのですか?」。彼女に言う。「ここでわれわれを見ないように自身を抑えるならば、あの世でわれわれを見るだろう」。そこで、彼女は喜び立ち去った、いわく。「あの世で本当にあなたたちを見るのならば、もはやここでは会うことをことわります」。〔ポイメーン76〕

(41.)
 師父パウロスについて言い伝えられている — 彼は1マティンのレンズ豆と1壺の水で四句節を過ごすを常とした。〔大パウロス3前半〕

(42.)
 師父ピオールについて言い伝えられている — 彼は歩きながら食事するを常とした。ある人が、「なぜそのように食事しているのか」と訊くと、「わしが望むのは」と彼が謂った、「食事を用いるのは、わざとしてではなく、副業としてだ」。また、同じ件について尋ねた別の者に対しては答えた。「わしが食事する場合にも」と彼は謂う、「わしの魂が身体的な快楽を感じないようにするためである」。〔ピオール2〕

(43.)
 ケッリアにあるピオニトスの師父ペトロスについて言い伝えられている — 彼は葡萄酒を飲まなかった、と。ところが、老齢になり、兄弟たちが少し混酒した飲み物を作ったとき、彼に摂るよう願った。すると、言った。「わしを信じよ — それは香料のようなものじゃ」。そして、混酒されたその飲み物を自らに禁じたのだった。〔ピオニトスのペトロス1〕

(44.)
 あるとき、師父アントーニオスの山で奉献の祭儀(prosforav)が催され、そのおりに革袋一杯のぶどう酒がふるまわれた。すると老師のひとりが、小さな容器と杯を取って、師父シソエースのところに持って行き、彼に与えた、すると彼〔シソエース〕は飲んだ。すると二度目も同様にし、そうして飲んだ。三度目にも彼に差し出すと、受け取らなかった、いわく。「やめよ、兄弟よ、それとも、サターンがいることを知らないのか」。〔シソエース8〕

(45.)
 兄弟が師父シソエースに尋ねた、いわく。「どうしたらよいでしょうか、教会に通うと、しばしば愛餐があって、〔人々が〕わたしを引き止めるのですが」。老師が言う。「困った事じゃ」。すると、彼の弟子アブラアームが言う。「通うのが土曜日や主日になって、人が三杯のぶどう酒を飲んだら、多くはなでしょうか」。するとこれに老師が言う。「サターンがいないなら、多くはない」。〔シソエース2〕

(46.)
 師父シソエースの弟子が何度も言った。「師父よ、立ってください。食事をしましょう」。すると相手が彼に向かって言った。「われらは喰わなかったのか、わが子よ」。そこで相手が、「はい、師父よ」。すると老師が言った。「もし喰わなかったのなら、持ってきなさい、食べよう」。〔シソエース4〕

(47.)
 あるとき、師父シソエースが気易く(meta; parjrJhsivaS)云った。「元気を出せ。見よ、わしはこれから30年問、もはや罪についてはに祈らぬ。むしろこう言って祈ろう、『イエスゥスのよ、わたしの舌からわたしを守ってください』と。わしは今までそれのせいで日々つまずき、罪を犯している」。〔シソエース5〕

(48.)
 あるとき、師父シルゥアーノスと彼の弟子のザカリアースが、修道院を訪れた。旅立つ前に彼らに少し食事をさせた。かくして彼らは出かけたが、道中、彼の弟子が水を見つけ、飲もうとした。するとこれに老師が言う。「ザカリアースよ、今日は断食日だ」。相手が言う。「わたしたちは喰ったではありませんか、師父よ」。老師が言う。「われわれが喰った、あれは愛のわざじゃ。だが、われわれは、自らの断食を墨守しよう、わが子よ」。〔シルゥアーノス1〕

(49.)
 浄福なシュンクレーティケーが云った —。わたしたちはこの約束を受けた者として、究極的な慎みを堅持しなければなりません。というのも、在俗の信徒においても慎みが生活態度とされています。が、それには慎みのなさも混在しているように思われます、自余のあらゆる感覚によって過ちをおかすからです。というのも、彼らは不適切にものを見、だらしなく笑うからです」。〔シュンクレーティケー2〕

(50.)
 さらに云った。「薬のひどい苦さが有毒な虫を追い払うように、断食を伴う祈りが、汚れた想念を追い払うのです」。〔シュンクレーティケー3〕

(51.)
 さらに云った。「世俗的な富の賛沢さをして、何か有用性があるかのように、あなたを誘惑させてはなりません。快楽のために、あの人たちは料理の技を尊重します。が、自分は断食と、安っぽい食べ物によって、あの人たちの裕福さを凌駕するのです。というのは、聖書は謂います —。『贅沢三昧の魂は、蜂の巣をもあざける』〔箴言27-7〕。パンに満腹してはいけません、そうすれば、葡萄酒も欲しくなくなるでしょう」。〔シュンクレーティケー4〕

(52.)
 師父ティトエースが云った — われわれの余所者性(ceniteiva)とは、自分自身の口が人間を支配するということだ、と。〔ティトエース2〕

(53.)
 師父ヒュペレキオスが云った。「ライオンが野驢馬たちにとって恐ろしいものであるように〔シラ13:19〕、試練を経た修道者は享楽の想念にとってそうである。〔ヒュペレキオス1〕

(54.)
 さらに云った。「断食は修道者にとって、罪に対する歯止めである。これを投げ捨てる者は、雌馬狂いである〔エレミア5:8〕」。〔ヒュペレキオス2〕

(55.)
 さらに云った。「断食によって修道者の身体は魂を深みから汲み上げるが、諸快楽の水路は修道者の断食が干あがらせる」。〔???〕

(56.)
 さらに云った。「慎み深い修道者は地上で誉めたたえられ、天界では至高者の前で栄冠を授けられるだろう」。

(57.)
 さらに云った。「怒ったときに自分の舌を制しない者、こういう者はそのとき情念をも制しない」。〔ヒュペレキオス3〕

(58.)
 さらに云った。「汝の口をして邪悪な文句を発せしむるな。葡萄の木は茨を産しないからだ」。

(59.)
 さらに述べた。「肉を喰い酒を飲むことの方が美しい、兄弟たちを中傷しながら肉を喰わないよりは」。〔ヒュペレキオス4〕

(60.)
 さらに云った。「蛇はささやくことで、エウァを楽園から追い出した〔創世記3:1-3〕。されば、隣人を中傷する者も、これに似ている。聞く者の魂を滅ぼし、自分のそれをも護らないからだ」。〔ヒュペレキオス5〕

(61.)
 老師が云った —。「獅子は強いが、その腹のせいで罠に落ちる、そうしてその強さはみな低められる」。〔コロボスのイオーアンネース28〕

(62.)
 老師が云った。「大食のダイモーンを引き留めよ、そやつにこう言って。『とどまれ。おまえは飢えているわけではないのに、ますます厳かに食う。そうして、おまえを駆りたててれば駆りたてるほど、ますますおまえは平等に食う。なぜなら、すべてを食い尽さんとするかのようにひとを駆りたてるのだからだ』」。〔???〕

(63.)
  あるとき、スケーティスで祝祭が執り行われ、老師に葡萄酒の器が与えられようとしたが、彼はこれを断って云った。「この死をわしから取り除いてくれい」。すると、彼といっしょに食していた残りの人たちもこれを見て、自分たちも受け取らなかった。〔N144〕

(64.)
 他の時、葡萄酒の器(saivths)〔約37リットル〕が初穂としてそこ〔スケーティス〕にもたらされた、飲用に兄弟たちに与えられるためである。するとある兄弟がひとを避けて丸屋根にのぼろうとしたとき、丸屋根が崩落した。その轟音に逃げ出した者たちは、彼が投げ出されているのを目にして、彼を責めはじめた、いわく。「見栄っ張りめ、おまえにはお似合いだ」。すると師父が彼を助け起こした、いわく。「わが息子を放せ、美しい業をしたのじゃ、まさに主は生きておられる、わしの時代にこの丸屋根が建てられることは決してない、酒の器のせいでスケーティスでは丸屋根が崩落したということを、世間が知るために」。〔N148〕

(65.)
 ある兄弟がある人に対して怒りに動かされて、その兄弟に対して寛容であるよう、試練が無害なまま行き過ぎるよう懇願して、祈りのうちに立ちつくしていた。するとすぐに、自分の口から煙が出て行くのが見え、それが起こると、怒りは止んでいた。〔N372〕

(66.)
 あるとき、スケーティスの長老が、アレクサンドレイアの大主教のもとにやって来たが、スケーティスに帰る時、兄弟たちが彼に尋ねた。「都市はいかがですか?」。相手が彼らに云った。「まこと、兄弟たちよ、ひとり大主教以外には、わしは人間の顔を見なかった」。彼らはこれを聞いて驚嘆し、彼の業から、自分たちの眼をぐらつきから守るよう堅固にされたのであった。〔イシドーロス8〕〔Anony161〕

(67.)
 老師が云った。「悪魔は修道者の弱点により激しく攻めかかる。なぜなら習慣は、長い時間をかけて確実なものとされることによって、自然の強さを獲得するからである、とりわけ、より怠惰な者たちの場合には、なおさらのことである。されば、どんな食物も、美味そうでそなたが求めるものは、とりわけ健康な場合には、与えようとしてはならず、そなたが欲するものも、喰ってはならぬ。むしろ、によってそなたに遣わされたものらを食しつつ、何時いかなる刻も、その方に感謝するがよい」。〔N373前半〕

(68.)
 老師が云った。「修道者たちのパン切れと、あやゆる安息とを浪費し、修道者たちの仕事を実習せずして、それでもなおわれわれは修道者になったと思いこんでいる。これからは、おお、修道者よ、他人の姿形を装わないよう男らしく振る舞え。されば汝自身に言え。『兄弟よ、刻印を持て、謙遜がそれである』と」。〔N373後半〕

(69.)
 老師たちのひとりが別の老師を訪れ、その弟子に云った。「われらのためにレンズ豆を少々作ってくだされ」、そこで彼が作ってやると、「われらのためにパンを浸してくだされ」、そこで浸してやった。そうして、次の日の第6時まで、霊的な事柄について話しつづけた。するとその弟子に再び言う。「われらのためにレンズ豆を少々作ってくだされ、わが子よ」。そこで言う。「昨日作りました」。まさにそういう次第で彼らは喰ったのである。〔N149〕

(70.)
 他のある老師が、老師たちの或る者を訪ねた。後者はわずかなレンズ豆を煮たうえで彼に云った。「少しお勤め(suvnaciV)をしよう」。そうして詩篇朗誦全篇をしたが、他の者も偉大な預言書2編を暗誦した。すると夜明けになったので、訪問した老師は帰って行き、食事も忘れていた。〔Anony150〕

(71.)
 あるとき、ある兄弟が早朝から空腹になったが、第3時までは喰うまいと、想念と戦っていた。そうして第3時になったが、第6時になるまではと、おのれを強制した。そうして第6時になったので、パンを浸し、喰うために坐ったが立ち上がった、いわく。「第9時まで我慢しよう」。そうして第9時になり、祈りを上げたが、活力が煙のように簡単に立ちのぼり、そうやって空腹は彼から止んだのであった。〔N145〕

(72.)
 老師たちのひとりが病気になり、何日も食事を受けつけられず、彼が野菜を少し摂るよう、自分の弟子に勧められた。で、〔弟子は〕出かけて行って作り、喰うよう彼に持ってきたが、そこには、わずかな蜂蜜の入った容器と、亜麻の種子油の入った別の容器がぶらさがり、灯火用の悪臭が漂っていた。しかし兄弟は気づかず、蜂蜜の代わりに、老師の食べ物の上にそれをかけた。しかし老師は味わい、何も喋らず黙って喰った。そこで〔弟子は〕彼に三杯目をも与えた。しかし〔老師は〕こう言って喰うことを断った。「ほんとうに喰うことができぬのじゃ、わが子よ」。そこで彼を元気づけようとして言う。「よろしい、師父よ、見よ、わたしもあなたといっしょに食べましょう」。で、味わってみて、自分が何をしたかがわかり、こう言って彼の前にひれ伏した、「ああ、師父よ、わたしはあなたを殺し、あなたはその罪をわたしに犯させるところでした、何もおっしゃらないのですから」。老師が言う。「わが子よ、気に病むことはない、わしが蜂蜜を喰うことをもしもがお望みなら、そなたは蜂蜜をかけることができたじゃろうから」。〔N151〕

(73.)
 ある老師について語られている — あるとき彼は小無花果を欲し、これを自分の眼前にぶら下げたが、その欲望に負かされなかったので、単に欲望しただけで自分を服従させたことを後悔した。〔N152、主題別152〕

(74.)
 ある兄弟が、修道院にいる自分の妹が病気になったので見舞うため出かけたが、彼女は信仰心きわめて篤く、男と会うことばかりか、自分の兄弟が彼女を口実に女たちの中に入ることをも承知せず、彼にこう言って説明した。「お行きなさい、兄弟よ、わたしのために祈りつつ、そうして、クリストスの恩寵で、諸天の王国であなたにお目にかかりましょう」。〔N153〕

(75.)
 修道者が道中で修道院女たちに行き会わせ、道を迂回しようとした。すると嚮導していた修道女が彼の方に向かって云った。「あなたが完全な修道者なら、わたしたちが女だということに気づかなかっでしょうに」。〔N154〕

(76.)
 かつて、師父たちがアレクサンドレイアに出かけたことがある、大司教である浄福なテオピロスに呼ばれ、祈りを上げ、域を占領するためであるが、彼らが彼と食事しているとき、仔牛の肉を供せられ、何の分別もなく彼らは食したが、大司教は一切れをとって、こう言いながら自分の傍にいた老師に与えた。「見よ、これは美しい一切れです、お食べなされ、師父よ」。彼らは答えて云った。「わたしたちは、今の今まで野菜を食べていました、もし肉なら、わたしたちは食べません」。そうして、もはや彼らの誰ひとりそれを味わうことはなかった。〔大主教テオピロス3、Anony162〕

(77.)
 兄弟が自分自身の新しいパン塊を修屋群に運び、老師たちを一席に呼んだが、各人は2塊当て喰ったところで止めた。そこで兄弟は、彼らの修行の労苦を知っていたので、ひれ伏した、いわく。「主のために、今日は満腹するまで喰ってください」。すると彼らは他に10個のビスケットをさらに食った。されば、見よ、真の修行者たちの食事が、どれほど必要性以下であるかを。〔N155〕

(78.)
 師父イサアークが大病を患い、しかもそれが長引いた。そこで兄弟が彼のために少しの粥をつくり、これに干しぶどうを加えて与えた。しかし老師は味わうことを拒んだ。そこで兄弟がこう言って呼びかけた。「少し召し上がってください、師父よ、ご病気なのですから」。するとこれに老師が言う。「自然本性に、兄弟よ、わしはこの病気とともに30年間を敢えて過ごしてきたのだ」。〔ケッリアのイサアーク10、N156〕

(79.)
 他のある老師が、遠く離れた砂漠に坐していた。たまたま兄弟が訪ねて、彼が病気なのを見出した、そこで〔面倒を〕引き受け、彼を洗い、持って行った必要品の中から少しの煮物をつくり、彼に喰うよう差し出した。すると老師が答えて、云った。「まこと、兄弟よ、人間どもがこんな安らぎを持っていようとは、わしは忘れておった」。そこで彼にぶどう酒の容器をも差し出した。すると、これを見て号泣した、いわく。「わしの死まで葡萄酒を飲むことを期待したことはなかったのに」。〔N157〕

(80.)
 老師が云った。「大食は邪悪の母である」。

(81.)
 さらに云った。「胃袋を制する者は、邪淫と舌をも制することができる」。

(82.)
 老師が40日間不飲の修行をしていた。そして暑くなると、水差しを濯ぎ、これに水を満たし、これを自分の前にぶら下げた。「どうしてそんなことをするのですか」と兄弟から尋ねられると、答えた、いわく。「渇きでわしをますます苦しめて、からより多くの報酬を得るためじゃ」。〔Anony158〕

(83.)
 兄弟が自分の年老いた母親を連れ立って旅していた、そうして河にやって来たが、老女は渡ることができなかった。そこで彼女の息子は自分の頭巾をとって自身の両手に巻きつけた、自分の母親の身体に触れないようにするためである。そしてそうやって彼女を運んで、対岸に渡した。そこで彼の母親が云った。「何ゆえそなたの両手を包んだのか、わが子よ」。相手が謂った。「女の身体は火で、あなたに近づくことで、他の女の連想がわたしによみがえるからです」。〔Anony159〕

(84.)
 師父たちのひとりが云った。「ケッリアの兄弟で、復活祭のまるまる1週間、断食していた兄弟を知っている。そうして夕方、集まると、教会で喰わないために逃げ出た。そこで、煮られたフダンソウを少しつくり、オリーヴ抜きで塩で喰っていた。〔Anony160〕

(85.)
 スケーティスで兄弟たちが縄を綺麗にするよう命じられた。〔Anony357〕

(86.)
 ニトレイアの司祭が、兄弟たちはどのように過ごすべきかを尋ねた。彼らが云った。「大いなる苦行によってであり、隣人に対して良心を見張ることによってである」。〔パムボー11〕

(87.)
 老師が云った。「魂の富とは、自制である。へりくだった思いとともに、これを所有しよう、虚栄つまり諸悪の母を避けて」。

(88.)
 老師が云った。「労苦なくして何びとも徳を所有することはない。たとい所有しても、彼のもとにとどまることはない。なぜなら、諸天の王国を約束なさったのは、悲嘆し貧しい者たちに対してだからである」。

(89.)
 あるとき、〔人々が〕野菜と瓢箪をスケーティスに運んで来て、これを教会に置いた、兄弟たちがやって来て、少しずつ自分たちの修屋に受け取るためである。するとひとりの老師がわずかな野菜と小さな瓢箪を取り、歩きながら道々これを生で喰った。ところが、これに兄弟が行き合わせて、彼に云った。「あなたの野菜はどこにありますか?」。相手が謂った。「それは喰ってしまいました」。これに兄弟が言う。「見よ、わたしのは取り置いてあります」。するとこれに老師が言う。「あなたは飢えていない、兄弟よ、だからそれをとりのけているのでしょう」。〔N 481〕

(90.)
 兄弟が老師に尋ねた。「だらしなく喰ったり飲んだりするという振る舞いは、人間に何を生じさせますか?」。そこで老師が答えた —。「あらゆる悪を生じさせる。というのは、われわれは目にしている、完全な荒廃が料理長ナブゥザルダのせいでヒエルゥサレームに生じた、さらにまた主が弟子たちにいいつけられた、いわく。「二日酔いや酩酊や生活上の思い煩いでもってそなたたちの心が重くならないよう注視せよ」〔ルカ21:34〕と」。〔N 466〕

(91.)
 かつて、ケッリアの教会で兄弟たちが、受難の祝祭で食事したとき、兄弟に葡萄酒の飲み物を与え、彼に飲むよう強要した。すると彼らに言う。「どうかわたしを許してください、師父たちよ、昨年もこんなふうにわたしになさったので、一杯飲んで、長い間苛まれたのですから」。〔Anony60〕

(92.)
 さらに云った。「物乞いのために養うこと、そして断食することは美しい」。

(93.)
 さらに云った。「的なロゴスにおいて贅沢に暮らそう、そして聖なる師父たちの話で祝祭をしよう、胃袋で贅沢するのではなく、霊的に好機嫌となって」。

(94.)
 老師が云った。「独りでいるのに、刻限より前に食卓を据えるな、そなたが問われる前にしゃべるな、しかし問われたら、適切で難しくないことを話せ」。〔N 468〕

(95.)
 老師が云った。「飢えるまでは喰うな、眠くなるまでは眠るな、問うより先にしゃべるな」。

(96.)
 かつて、老師がスケーティスに下っていったとき、ある兄弟がこれに同道した。そうしてお互いに別れて行きかけたとき、老師が彼に言う。「いっしょに食事しよう、兄弟よ」。そこで食事した。しかし刻限前で、週の初めであった。そこで土曜の朝早く起き、兄弟のもとに赴いて彼に言う。「はたして空腹なのですか、兄弟よ、いっしょに喰ったとき以来?」。するとこれに言う。「いいえ。わたしは毎日食べていて、空腹ではありません」。これに老師が謂った。「わたしは、まこと、わが子よ、あの時以来喰っていないので、空腹です」。これを聞いて兄弟は驚愕し、益されたのであった。〔Anony73〕

(97.)
 兄弟たちの或る者が言った — アイギュプトスの塔頭で論議が起こり、大も小も全員が話しをした。ただひとり話さない者がいた。さて、彼らが出ていった後、ひとりの兄弟が彼に尋ねた、いわく。「どうしてあなたは話さなかったのですか?」。相手は、その兄弟に強いられて彼に云った。「どうかわたしを赦してほしい、— わたしは想念に云ったのです —。『わたしの下にある座蒲団が話さないかぎり、おまえは話すな』と。そういう次第でずっと発言しないでいたのです」。 〔Anony29〕

(98.)
 老師が云った。「3杯以上飲んだ修道者をして、わしのために祈らしむるな」。〔N 465〕

(99.)
 兄弟が言うを常とした。「わたしが知っている老師は、山に坐し、何であれひとからものを受け取ることをしなかった。ただし、わずかな水を取り、野菜を愛した。そしてこれによって50年間生きて生活し、自分の菜園の外壁から外に出ることがなかった。しかし彼のもとにやって来る者たちのめいめいに自分が実修する数々の癒しゆえに非常な有名人となった。そこで平安のうちに永眠したが、その場所に自分の弟子5人を残した。〔???〕

(100.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、わたしの腹がわたしを呵責し、わたしは多くのものらを咀嚼し、自制することができず、わたしの身体は少しずつ贅沢になるのですが」。すると老師が答えて彼に云った。「それ〔腹〕の上にそなたが恐怖と断食を投げかけなければ、まっすぐ歩むことはない」。そうして次のように喩えを云った。「ある人が驢馬を持っていた。そうして彼が坐していると、彼の前をあちこちうろついた、そこで杖を取ってこれを打擲した。すると彼に驢馬が言う。『わたしを打擲しないでください、これからはまっすぐ歩きます』。しかしそれからもやはり少し歩きまわって  その上の鞍袋(disavkkion)に杖を入れたが、自分の上にあるとは知らなかった。そこで〔驢馬は〕杖があるのを知らずに、蔑ろにして、麦畑に寄りかけた。そこで彼の主人がやって来て、杖を執り、まっすぐ歩くまで驢馬を打擲した。腹のことも同様である」。〔N 431〕

(101.)
 この兄弟が同じ老師にさらに尋ねた、いわく。「わたしの諸々の想念がわたしを呵責し、囚われの身でしばしばそれを非難するのですが隠遁することなく、それらの場所に堅持するのはどうしてでしょうか?」。すると老師が答えて彼に云った。そなたがそれらに、『わたしから下がれ』と云うのでないならば、それらは引き下がることなくとどまる。なぜなら、それらが安らぎを持つかぎり、引き下がらないからである」。〔N 453〕

(102.)
 老師が云った。「ロゴスと明晰さをもって断食せよ。そなたの断食の取引を知らないように注意せよ。おそらくは、救主はこのことについて述べておられるのだと思う。『有能な両替商となれ、つまり、王の刻印を精確に知れ』というのは。つまり、贋金もあるからである。確かに黄金の自然は同じである。しかし刻印においては異なる。黄金とは断食であり、節制であり、憐れみである。しかしヘッラス人たちの子どもたちはその僭主的似像をそれらに捺しつけるが、異端者たちは皆それらによって崇められる。しかしそられを見、贋金として忌避しなければならない。されば、修練なきままそれらに取り巻かれて害されないよう注意せよ。されば、諸々の徳に刻印された主の十字架を安全に、つまり、まっすぐな信仰を、厳かな実修とともに、迎え入れよ」。〔Cf. シュンクレティケー伝100b〕

(103.)
 司祭たちのある人が、年ごとに、スケーティスの師父たちを訪ねた。さて、これに出会った兄弟が、彼を自分の修屋に連れていった。そうして彼にパンと塩とを供して言った。「どうかわたしをお許しください、主よ、ほかのものは何もあなたに供することができないのです」。これに司祭が言う。「望むらくは、めぐりくる年ごとにやってくることではなく、塩さえも見出さないことを」。〔Anony28〕

(104.)
 あるとき、スケーティスで断食の四旬節が布令された。そこである兄弟が出かけて行って、偉大な老師に報告する、いわく。「師父よ、断食期間が来ました」。これに老師が言う。「それはいかなるものか、わが子よ」。兄弟が云った。「四旬節の断食期間です」。このとき彼に老師が答えた。「まこと、わが子よ、見よ、四旬節の期間を知らず、そなたの言う断食期間がいつ始まっていつ終わるのかも知らぬが、わしの時間はすべてわしにとって断食なのじゃ」。

2016.03.12.

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