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back.gif砂漠の師父の言葉(4/21)

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 5

砂漠の師父の言葉(主題別)
(5/21)






5.
(T.)

姦淫に由来してわれわれに対立する諸々の戦いの確実性に対する様々な話

(1.)
 師父アントーニオスが云った。「思量するに、身体は、おのれにおのずときざしてくる自然の動きを有しているが、しかし、魂にその気がなければ、活動することはない。〔こうしたものは〕身体の内なる無心の動きを示しているにすぎない。他方、身体を食べ物や飲みもので養い温めることによって生じる別の動きもあり、それらを通して、血液の熱が身体を活動へと促すのだ。だからこそ使徒は言ったのだ。『酒に酔うな、酒は放縦の基である』〔Ephes 5:18〕。さらにまた、福音書の中で、主は、弟子たちに指令して云われた。『二日酔いや酩酊であなたたちの心が鈍らないよう心せよ』〔Luc 21:34〕。また、競う者たちにとっては、悪霊の姦計と嫉妬から生ずる別の動きもある。それゆえ、三つの身体的な動きがあることを知らねばならない。一つは自然的なもの、他の一つは過度の食事からくるもの、三つ目は悪霊から来るものである」。〔アントーニオス22〕

(2.)
 ペトラの人である師父ゲロンティオスが云った —。「多衆は身体的な諸快楽に試みられて、身体と交わるのではなく、精において姦淫する。つまり、身体の処女性を守りながら、魂において姦淫する。されば、美しいのは、愛する者たちよ、書かれていることを実行し、めいめいが『油断することなく、おのれの心を見守ること』〔箴言4:23〕じゃ」。〔ゲロンティオス〕

(3.)
 コロボスの人、師父イオーアンネースが云った —。「満腹するまで食べて、少年と話す者は、想念において、すでに彼と姦淫の罪を犯したことになる。〔コロボスのイオーアンネース4〕

(4.)
 師父カシアーノスが云った —。師父モーウセースがわれわれに言った、と。「美しいのは、諸々の想念を隠すことではなく、霊的で慎重な老師たちに(単に時間的に齢を重ねただけの者たちにではなく)それらを打ち明けることである、それは、多くの人たちは、年齢に目を奪われて、おのれの諸想念を表白するだけで、癒しの代わりに、聞者の無経験のために、失望へと陥るものだからである。実際、すこぶる真面目な〔兄弟〕たちの中にある兄弟がいたのだが、姦淫のダイモーンに烈しくたかられ、ある老師のもとに赴き、これに自分の諸々の想念を報告した。するとかの人物が聞いたが、無経験だったので、可哀想な者に憤慨し、その兄弟を呼びもどしたのである、そのような諸々の想念を受け容れる者、修道者の恰好にふさわしくない者として。これを聞いて兄弟はおのれに失望し、自分の修屋を後に、還俗してしまったのである。しかしの摂理により、この人に師父アポッロースが出会った。そうして、彼が心乱されてすっかり顰め面しているのを見て、彼に尋ねた、いわく。『わが子よ、そのような気塞ぎの原因は何か?』。相手は、最初は、多くの失意から何も答えなかった。しかし後には、老師に励まされて、自身に起こったことを表白した、いわく。『姦淫の諸想念がわたしにたかり、出かけて行ってこれこれの老師に報告したのですが、その言葉どおり、わたしには救いの望みがないのです。それで、自身に失望して、還俗してしまったのです』。これを聞いて師父アポッロースは、賢明な医師のようにあれこれ励まし、彼を諭した、いわく。「異常視してはならない、わが子よ、またおのれに失望してもならない。例えばわしは、このような年齢と白髪にしてこれらの諸想念によって激しくたかられておる。されば、の憐れによって癒やされないかぎり人間的な真面目さによっては癒やされないこのような火に失望してはならない。

(5.)
 姦淫の想念について尋ねられて、アレクサンドレイアの人、師父キュロスが次のように答えた。「もしそなたが諸々の想念を持たなければ、そなたは希望を持たぬ。そなたが諸々の想念を持たなければ、そなたは行為を持つ。これこそ、精において罪と戦わず、反対さえしない者は、身体的にそれ〔罪〕を行うということじゃ。なぜなら、諸々の行為を持つ者は、諸々の想念に悩まされることがないからじゃ」。そこで老師はこう言って兄弟に尋ねた。「そなたは女との交わりの習慣を持たぬな?」。すると兄弟は云った。「はい。新旧の肖像がわたしの想念です。記憶がわたしを悩ますのです、女たちの影像という」。すると老師が彼に云った。「死者たちを恐れるな、むしろ生者たちを、つまり、同意と、活動における罪とを逃れ、ますます祈りに専念するがよい」。〔キュロス〕

(6.)
 師父マトエースがこう言った。「兄弟がわしのところにやって来て、中傷は姦淫よりも悪いと云った。そこでわしは云った。『その言は受け容れがたい』とな」。すると兄弟が彼に云った。「いったい、あなたはこの問題をどう考えているのですか?」。老師は言う。「中傷は悪いが、しかしすぐに癒やされる。なぜなら、中傷する者は、言いながら、しばしば後悔するからじゃ。しかし姦淫は、自然本性的に死である」。〔マトエース8〕

(7.)
 師父ポイメーンが云った。「王の護衛兵が常に備えをして傍に立っているように、魂は姦淫のダイモーンに備えをしていなければならない」。〔ポイメーン14〕

(8.)
 さらに云った。「人は、姦淫と隣人を中傷すること、これら2つの想念から完全に身をひき、中傷はもちろん、心に考えることさえ完全にしてはならない。なぜなら、それらを棄ててこそ安らぎを得られ、大いに益されるからである」。〔ポイメーン154〕

(9.)
 あるとき、師父ポイメーンのところに兄弟がやって来て、彼に言う。「わたしは何をなすべきでしょうか、師父よ、姦淫に悩まされているのですが? それで、見よ、師父イビスティオーンのところに出かけていったのですが、わたしに言われました。『そなたのもとにそれを留め置いてはならない』と」。これに師父ポイメーンが言う。「師父イビスティオーンの諸々の行いは天使たちとともに天上にあり、わしやそなたが姦淫の内にあることを彼は忘れておるのだ。わしに関するかぎり、人が腹と舌を制するなら、自信を持つがよい」。〔ポイメーン62〕

(10.)
 兄弟が姦淫のゆえに師父ポイメーンに尋ねた。これに老師が言う — の扶けは数多く、人間を取り巻いておるが、われわれの眼で見ることを許されておらぬ」。

(11.)
 別の兄弟が師父ポイメーンにこう言って尋ねた。「わたしは邪淫と気負いに戦いを仕掛けられているのですが、どうしたらよいでしょうか?」。老師が言う。「それゆえダピデは言っている、— 獅子は打った、熊は絞め殺した〔サムエル17:35〕。これはすなわち、彼は労苦によって気負いは取り除き、邪淫は潰した、ということじゃ」。〔ポイメーン115〕

(12.)
 さらに云った。「そなたがに従って生きることは、快楽を愛し、金銭を愛する者であるなら、不可能じゃ」。〔司祭イシドーロス3、主題別6-13、Anony390〕

(13.)
 教母サッラーについて語られている — 13年間、姦淫のダイモーンによって執拗に戦いを挑まれつづけたが、けっしてその戦いが除かれるよう祈ったことはなく、ただこう言った。「わがよ、わたしに力をお与えください」。〔サッラー1〕

(14.)
 また、彼女について云われている — 同じ姦淫の霊がさらに激しく彼女に襲いかかり、この世の虚栄で彼女をそそのかした。しかし彼女はへの畏れはもちろん、修行に欠けることなく、一日、祈祷のため自分の屋上に上っていった、すると姦淫の霊が身体的に彼女に見え、彼女に云った。「そなたはわしに勝った、サッラーよ」。すると彼女がこれに言う。「おまえに勝ったのはわたしではなく、わたしの主クリストスです」。〔サッラー2〕

(15.)
 兄弟が姦淫にたかられて、彼の心の中の戦いは、夜も日も燃える火のようであった。しかし兄弟はその想念に屈服しないよう競合した。そうして、久しい時がたって、兄弟の忍耐のおかげで、何の足跡も残さず、その戦闘は去り、彼の心にすぐ平安がおとずれた。〔Anony163〕

(16.)
 他のある兄弟が姦淫に戦いを仕掛けられた。そこで夜間に起きあがり、ある老師のもとに出かけ、彼に想念を云った。すると老師が彼を励ました。そうして益せられて、自分の修屋に帰った、しかし見よ、再び闘いが彼を見舞った。そこで彼は再び老師のもとに出かけた。これをすることしばしば。しかし老師は彼を苦にすることなく、益になることを彼に言い、そうして彼に言った。「遠慮するな、むしろ何度でも、ダイモーンがそなたにたかるたびにやって来い、そうしてやつを吟味せよ。そして、そういうふうに吟味されれば、撤退するであろう。なぜなら、やつの為業を暴露するぐらい、姦淫のダイモーンを嫌悪させるものはなく、その想念を包み隠すぐらいやつを喜ばせるものもないのじゃから」。かくて、兄弟は同じ老師のもとに11度、おのれの想念を告発するために出かけて行った。しかしついに兄弟が老師に言う。「愛餐を執り行ってください、師父よ、そうしてわたしに説話を云ってください」。これに老師が言う。「元気を出せ、わが子よ、わしの想念がそなたに起こることをがお許しになるなら、そなたはやつを背負っているのではなく、はるか下方に退かせているのじゃ」。老師がこう云うや、彼の多くの謙遜のおかげで、兄弟の戦いは終熄したのであった。〔Anony164〕

(17.)
 兄弟が姦淫に闘いを仕掛けられたが、競合した、ますます苦行を激しくし、欲望に屈することのないよう想念を見張って。後に、教会へ行き、大衆全員に事件を明かし、そうして誡めが与えられ、全員が1週間、彼についてに祈る労をとり、かくて闘いは止んだ。〔Anony165〕

(18.)
 姦淫の想念について、老師たちの中のある砂漠の修行者が云った。「永眠後、救われたいとおもうか? 行って労せよ、行って労苦せよ、行って探求せよ、そうすれば見出すであろう、目覚めてあれ、叩け、そうすれば汝のために開かれん、この世にまったき浄福者たちあり、数多くの打擲を受け、もちこたえ、張り切ることで、花冠を受け、しばしば一人で二人から打擲されても、その殴打に張り切り、打擲者たちに打ち勝った。あらゆる張り切りが肉の益得であることを知ったか? されば、そなたももちこたえ張り切れ、そうすればがそなたのために敵と闘ってくださる。〔Anony166〕

(19.)
 同じ想念について、他の老師が云ったことがある。「市場で小売店の前を通りすがりに、何かの煮物とか炙り物の匂いを嗅ぐ者のごとくあれ。その気の或る者は、中に入って喰うが、その気のない者は、通りすがりに匂いを嗅ぐだけで、立ち去るであろう。そなたも同様である。そなたから悪臭を振り払え、目覚めよ、祈れ、いわく。『の子よ、わたしをお救いください』と。その他の諸々の想念についてもこれを為せ。われわれは諸想念を根こそぎにする者ではなくて、対戦者なのだから」。〔Anony167〕

(20-21.)
 同じ想念について別の老師が云った。「以下のことはわれわれが等閑からこうむることである。すなわち、がわれわれの内に住みたもうことにわれわれが満足していれば、無縁の品をおのれに付け加えることはなかろう。なぜなら、主人であるクリストスがわれわれの内に住み、われわれとともにいまし、われわれの生をみそなわすからである。ここから、われわれも、あのかたを身にまとい、観て、等閑にしてはならない、むしろ、あのかたが聖なる者であるごとくに、おのれ自身を聖化すべきである。
 岩の上に立とう、そして邪悪な者をして粉砕されしめよ。臆するな、断じてそなたを害するな。力強く詩篇朗誦せよ、いわく。『主に信頼する者らはシオーンの山のごとく、ヒエルゥサレームに定住する者は、永遠に揺るがされることがない』〔詩篇124:1〕」。〔Anony167〕

(22.)
 兄弟が老師に尋ねた、いわく。「修道者が罪に陥ったら、進歩から退歩に落ちたとして苦悩し、立ち直るまで苦労するでしょう。しかし世俗から出離した者は、初めて出発する者として前進するでしょう」。すると老師が答えて云った。「試練に陥った修道者は、倒れた家のごとくであって、自分の想念に対して完全に素面であり、倒れた家を建て直す気なら、多くの材料、つまり、土台、石、土塁、を見出し、掘ったり土台を打ったりしたこともなく、必要なものを何も持たず、いったいどうすれば完成するのかどうか希望にすがるだけの者よりも、速やかに進歩することができよう。されば、修道者の為業から〔転落した〕者も同様である。試練に陥っても立ち帰るなら、数多くの営業資本、つまり、思慮(melevth)、詩篇朗誦、手仕事 — これらこそ土台である — を有する。入門者が、それらを学んでいる間に、修道者は初めの状態へ到達するのである」。〔Anony168〕

(23.)
 兄弟が姦淫にたかられたので、偉大な老師を訪ね、彼に願った、いわく。「願わくは、わたしのために祈ってください、姦淫にたかられているのです」。そこで老師は彼のためにに懇願した。二度目にまたもや老師のもとにやって来て、同じ言葉を言った。老師も同様に、彼のためにに願って等閑にしなかった、いわく。主よ、どうかわたしに、この兄弟の境涯と、この活力がどこから来るのかを闡明してください、あなたにお願いしましたのに、彼はまだ平安を見出せません」。するとが彼に彼〔兄弟〕のことを闡明したのであるが、彼〔兄弟〕が坐しながら、姦淫の霊がその近くにあって、彼がそれと駄弁っているのを見た、しかし救済のために彼に遣わされた天使が傍に立ち、兄弟に対して怒っていた、の方へおのれを捨てず、諸々の想念を喜んで、おのれの理性全体を〔ダイモーンの〕活動に委ねているからであった。こういう次第で、原因が兄弟に起因することを老師は知って、赴いて彼に告げた —。「原因はそなたにある、そなたの諸想念に賛同しているからじゃ」。そしていかにして諸想念に反対するかを彼に教えた。かくて兄弟は素面となり、その教えと老師の祈りとによって平安を見出した。〔Anony169〕

(24.)
 ある時、偉大な老師の弟子が姦淫に戦いを仕掛けられた。老師は、彼が苦労しているのを目にして、彼に言う。「よければに願ってやろう、そうすればそなたから戦いを軽くしてくださろう」。相手が云った。「いいえ結構です。確かにわたしは苦労していますが、この苦労からわたしへの果実を目にします。むしろ、次のことをこそあなたの祈りでにお願いしてください、わたしにもちこたえられるだけの忍耐を与えてくださるように、と」。彼の老師が彼に言う。「そなたが進歩のなかにあり、わしを確実に超えていることが、今日わかった」。〔Anony170〕

(25.)
 ある老師について言い伝えられている — スケーティスに下った、乳飲み子を持っていたが、〔その子は〕女の何たるかを知らなかった。さて、大人になり、これにダイモーンたちが女たちの姿を示し、〔子は〕自分の父親に告げ、驚いた。さて、ある時、自分の父親と連れ立ってアイギュプトスに上り、女たちを見て、自分の父親に言う。「父さん、この者たちは、スケーティスで、夜、わたしのところにやって来た連中です」。するとこれに彼の父親が言う。「この者たちは、村々の修道者たちじゃよ、わが子よ、この者たちと砂漠の者たちは別々の姿をしておる」。そうして、老師が驚いたのは、ダイモーンたちが砂漠においても女たちの幻をどのように彼に示すかということであった、そうしてすぐに自分たちの修屋に引き返したのであった。〔Anony171〕

(26.)
 スケーティスに闘技者のある兄弟がいたが、敵が、このうえなき器量よしのある女の記憶で彼をそそのかし、それが彼をひどく苛んだ。しかし摂理により、他の兄弟がアイギュプトスからスケーティスに下ってきて、彼らが話している時、件の女が死んだと云った。彼女こそ、この闘技者が戦っていた相手だった。彼はこれを聞くや、夜、僧衣(lebhtwn)をとって、〔アイギュプトスに〕上り、彼女の塚を開けて、彼女の体液を自分の僧衣に浸し、これを持って自分の修屋に引き返し、その悪臭を自分の前に押しつけ、想念と戦った、いわく。「見よ、おまえが求めるおまえの欲望、これをおまえは持っている、おのれを満腹させるがいい」。まさにこのようにして、戦いが彼から休止するまで、おのれを悪臭で拷問したのであった。〔Anony172〕

(27.)
 あるとき、ある人がスケーティスで修道者になろうとして出離したが、乳離れしたばかりの自分の息子をも自身に連れていた。〔その息子が〕若者になると、敵たちがこれに襲いかかりはじめ、自分に父親に云った。「わたしは世俗に行きます。戦いをもちこたえる力がありませんから」。彼の父親は、彼に呼びかけつづけた。しかし再び若者が言う。「お父さん、わたしには力がありません、わたしに立ち去ることを許してください」。これに彼の父親が言う。「もう1回だけ、わたしのいうことを聞け、わが子よ、そうしてパン40対と、ナツメヤシの枝葉40日分とをおのれに取り、砂漠の奥へ行け、そうしてそこに40日とどまれ、そうしての御心をしてあらしめよ」。そこで自分の父親に聞きしたがい、立ち上がって、砂漠に入り、そこで労苦し、乾燥したナツメヤシの枝葉を編み、乾燥したパンを食べ続けた。そうしてそこで20日間静寂を保ったところ、自分に向かってくる活力を見た。そうして自分の面前に悪臭ふんぷんたるアイティオピア女のように見えたので、その臭いに耐えられなかった。そこで彼女を追い払ったが、〔彼女が〕彼に言う。— わたしは人間どもの心の内で甘美なるものと見えるのに、おまえの従順とおまえの労苦ゆえに、おまえを欺くことをが許さず、おまえにわたしの悪臭を現したのだ」。そこで彼は立ち上がり、に感謝し、自分の父親のもとに行って、これに言う。「もはや世俗に帰る気はありません、父さん、彼女の活動と悪臭を目にしたのです」。そこで彼の父親も彼について満足し、彼に言う。「40日間とどまって、いいつけを守っておれば、もっと大きな観想を見る事ができたものを」。〔Anony173〕

(28.)
 ある老師が、はるか遠い砂漠に坐していた。この人には女の親族がいて、長年の間、彼に会いたがっていた。そこで、どこで坐しているか騒ぎまわり、砂漠への道にのぼり、駱駝の隊商を見つけ、これといっしょに砂漠に入った。しかし、悪魔に引きずられた。かくて老師の戸口にやって来ると、徴で正体を示し始めた、いわく —。「わたしはあなたの親類です」。そうして彼のそばにとどまった。ところで、ある隠修者が、下の部分に坐していた。そうして、自分の喰う刻に、自分の水差し(baukavlion)を水で満たしているときに、引っ繰り返した。すると、の摂理により、心中に云った。「砂漠に出かけて、老師に報告しよう」。そこで立ち上がって、進んでいった。しかし遅くなり、途中、偶像の殿で寝た。すると、夜、ダイモーンたちが言っているのを聞いた、いわく。「今夜、あの隠修者を姦淫に投げこんでやろう」。これを聞いて心痛した。そうして老師の近くにやって来て、彼がふさぎこんでいるのを見つけ、彼に言う。「どうしたらいいのでしょうか、師父よ、喰う刻限に水差しに水を満たしているとき、ひっくり返ったのですが」。相手が云った、「わしもわかった」。そこで彼に言う。「どうしておわかりになったのですか?」。すると彼に云った。「わたしが神殿で眠っているとき、ダイモーンたちがあなたについて話しているのを聞いたのです」。すると老師が云った。「見よ、わしも世俗へ出て行く」。相手が彼を励ました、いわく。「いけません、父よ、むしろあなたの場所にとどまってください、女はここから追い出しなさい。これこそ敵の疫病だからです」。相手は彼のいうことを聞いて、涙を流して自分の行住坐臥を引き締め、ついに自分の初めの情態へ達した。〔Anony176〕

(29.)
 老師が云った。「煩いのなさと沈黙と隠修とが純潔(aJgneiva)を生む」。 〔Anony127〕

(30.)
 兄弟がある老師に尋ねた、いわく。「何らかの活動(ejnevrgeia)のせいで人が姦淫に陥ることになったら、躓いた者たちを通して何かが起こるでしょうか?」。すると彼が話した、いわく —。「アイギュプトスの共住修道院にある名高い助祭(diavkonoV)がいた。ところが、ある役人が執政官に訴追されて、自分の家族全員を連れて共住修道院にやって来た。しかし、悪魔の活動によってこの助祭が妻と堕落し、万人にとって恥の的となった。そうして自分の敬愛するある老師のもとに行き、これに事件を打ち明けた。ところで、老師は自分の修屋の中に穴蔵を持っており、助祭は彼に頼んだ、いわく。「わたしをここに生きながら埋めて、ひとに打ち明けないでください」。そうしてその闇の中に入って、しんじつ悔い改めたのであった。
 しかしかなり経って、川の水が上昇しなくなった。そこで皆が連祷していると、聖人たちの或る者に、かくかくの老師のところに隠された助祭が出てきて祈らないかぎり、水は上昇しないと啓示された。これを聞いて彼らは驚き、出かけて行って、彼のいた場所から彼を引き出した。そうして彼が祈ると、水が上昇し、かつて躓いた者たちが、彼の悔い改めによってはるかによく益され、を栄化したのである」。〔Anony177〕

(31.)
 二人の兄弟が、自分たちの品物を売るため、市場に出かけた。そうして、ひとりがひとりと別れるや、姦淫に陥った。そこで彼の兄弟がやって来て、これに云った。「わたしたちの修屋に行こう、兄弟よ」。相手がこれに答えた、いわく。「わたしは行けない」。そこで彼を励ます、いわく。「どうしてなのだ、わが兄弟よ」。相手が云った。「あなたがわたしと別れた後、わたしは姦淫に陥ったのだ」。すると彼の兄弟は彼に得させようと彼に言いはじめた。「わたしもあなたかと別れるや、わたしに同様のことが起こった、さあ、懸命に悔い改めよう、そうすればがわれわれを許してくださるだろう」。そこで行って、自分たちに起こったことを老師たちに報告した、すると〔老師たちが〕彼らに悔い改めの誡めを与え、ひとりが他の者のために、自分も罪を犯したかのように悔い改めた。するとが彼の愛の労苦を見て、わずかな日のうちに、老師たちのひとりに、罪を犯さなかった方の兄弟の多大な愛ゆえに、罪を犯した方をお許しになったことを明らかにされた。見よ、これこそが、自分の兄弟のために自分の魂を捨てるということである。〔Anony179〕

(32.)
 あるとき、兄弟がある老師のもとに行き、彼に云った。— わたしの兄弟があちこちうろついて、わたしを消耗させ、わたしはぼろぼろです、と。すると老師が彼を励ました、いわく。「そなたの兄弟を担え、そうすればはそなたの忍耐の業を見て、彼を運んでくださる、というのは、ひとを運ぶのが容易なのは、頑ななさによってではなく、ダイモーンでさえダイモーンを追い出さないのであって、むしろそなたが彼に耐えるのは善良さによってである、というのも、われわれのも、励ましによって人間どもに耐えておられるのだからである」。
 そうして彼は物語った、いわく。— テーバイに二人の兄弟がいて、一人が姦淫に戦いを仕掛けられたので、他方の者に云った。「わたしは世俗に去ります」。すると他方の者が哀号した、いわく。「君を放さない、わが兄弟よ、君が去るのも、君の労苦と君の童貞を捨てるのも」。しかし他方の者は説得されなかった、いわく。「去らないかぎり坐らない、それともわたしといっしょに行こう、そうすればまた君といっしょに戻ってこよう、それともわたしを放せ、そうすれば世俗にとどまろう」。そこで兄弟は出かけて行って、偉大な老師に以上のことを報告した。すると老師が彼に云った。「彼とともに行け、も、そなたの労苦ゆえに、彼が転落するがままにはなさらない」。そこで彼らは立ち上がって、世俗に還ったが、村に着くやいなや、は彼の労苦を見て、その兄弟から戦いを取り除かれた。すると彼に言う。「もう一度砂漠に行こう、兄弟よ、見よ、わたしは罪を犯し、ここから何も得るところがなかったとみなせ」。そうして彼らは害されることなく、自分たちの修屋に立ち帰ったのであった。〔Anony180〕

(33.)
 〔欠番〕

(34.)
 あるひとが老師に尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、老師よ、姦淫に対して」。相手が云った。「この想念については、そなたに可能なかぎり、安全を保て。というのも、この想念から敗者に救いのあきらめが生じるからである。例えば、あたかも第三波や荒波や豪雨の中で戦う船が、舵を捨てれば、危機に瀕するが、なお航行するがごとくである。帆柱が折れたり、そういったことの何かが起こっても、なお救われる船の有用な希望の内にあるのと同様、修道者も、その他の情動になげやりになるなら、悔い改めによってそれらに取り巻かれることを期待するのである。しかし、いったん姦淫の情動に転落して海難したら、失望に陥る、それは船が下にないからである」。〔*Anony1393〕

(35.)
 兄弟が老師に云った。「どうしたらいいのでしょうか、汚れた想念がわたしを殺しかけているのですが」。これに老師が言う。— 母親がおのれの嬰児に乳離れさせようとすると、自分の乳房にスキッラをつけると、嬰児が習慣によって乳を飲もうとするが、その苦さから止めるという、そなたもスキッラをつけるがよい」。これに兄弟が言う。「スキッラとは何ですか、つけると役立つというのですが」。すると老師が云った。「死と、来たる代の拷問所との記憶のことじゃ」。〔Anony182〕

(36.)
 同じ人が、同じ想念について他の老師に尋ねた。すると彼に老師が言う。「わしはいまだかつてそのようなものに挑戦されたことがない」。そこで兄弟は躓いた。そうして他の老師のところに出かけた、いわく。「見よ、老師何某はこれこれのことをわたしに云いました、それでわたしは、超自然的なことを話されたので、躓きました」。これに老師が言う。「の人は、そなたにこのことを単純に云わなかったのじゃ、これから発って、あの人に跪け、ロゴスの力をそなたに云ってくれるように」。そこで兄弟は立ち上がって、老師のところに行き、彼の前に跪いた、いわく。「どうかわたしをお許しください、師父よ、無思慮に振る舞い、暇乞いもせずに出て行ってしまいました、あなたにお願いです、いまだかつて姦淫に挑戦されたことがないとはどういうことなのか、どうぞわたしに説明してください」。これに老師が言う。「修道者になってこの方、パンに満腹したことなく、水にも、眠りにも〔満ち足りたこと〕なく、これらのことの思い煩いがすっかりわしにたかって、そなたが述べた戦いをわしが感知するのを許してくれなかったのじゃ」。かくて、兄弟は益されて退出したのであった。〔Anony183〕

(37.)
 兄弟が師父たちの或る者に尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、わたしの想念がいつも姦淫に向かい、一刻としてわたしを休ませず、わたしの魂が迫害されるのですが」。相手が彼に云った。「ダイモーンたちが諸々の想念を種蒔くときは、連中と語り合うな。なぜなら、そそのかしこそがいつも連中のすることで、なおざりにしているわけではないが、強制しているわけではない。受け容れるか受け容れないかは、そなた次第である。マディアム族が何をしたか知っているか。自分たちの娘たちを美装させて、〔Anony184〕

(38.)
 老師たちが言うを常とした — 姦淫の想念は書物である、されば、われわれの意に適っても、それに説得されなければ、われわれはそれをわれわれから振り捨て、安らかに切り捨てるが、それが現存すると、説得された者のようにそれに甘美さを感じ、転化して鉄となり、切り捨てられがたくなる。されば、この想念においては判別が必要である、これに説得された者たちには救済の望みはなく、これに説得されざる者たちには、花冠が待っているからである、と。〔Anony185〕

(39.)
 二人の兄弟が姦淫に挑戦されて立ち去り、妻を娶った。しかしその後互いに云いあった。「天使的状態を放棄し、この不浄に落ちて、何か得るところがあったろうか? 後は永遠の火と懲罰の中に逝去することになろう」。そこで再び砂漠に出離した。出離すると師父たちに、自分たちの行いを告解し、自分たちに悔い改め〔の秘蹟〕を与えてくれるよう願った。そこで老師たちは一年間彼らを閉じこめ、日没時に等量のパンと水を与えた。彼らは姿形の似た者になった。そうして、悔い改めの時機が満たされて出て来たとき、師父たちが見たのは、一人は陰気でひどく青ざめた者、他方は溌剌として輝かしい者だった。そうして、彼らが等量の栄養を摂ったということに驚いた。そこで陰気な者に尋ねた、いわく。「そなたの修屋で諸々の想念といかにしてうまく折り合った〔???〕のか?」。相手が謂った。「自分がした悪事と、来たるべき懲罰、『わが骨はわが肉に膠着する』〔詩篇101:6〕という恐怖を、思量しておりました」。また他の者にも尋ねた。そなたもそなたの修屋で何を思量していたのか?」。相手が謂った。「この世の不浄と、来たるべき懲罰からわたしを救い、この天使的な行住坐臥へとわたしを引き上げてくだったことをに感謝しておりました。そうして、を憶えて、わたしは好機嫌だったのです」。そこで老師たちは云った —。「二人の悔い改めはの前に等しいのだ」。〔Anony186〕

(40.)
 スケーティスにある老師がいたが、大病にかかり、兄弟たちに世話された。しかし老師は、彼らが疲労しているのを見て言った。「アイギュプトスに下がろう、兄弟たちを困憊させないために」。しかし師父ポイメーンが彼に言う。「立ち去ってはならぬ、そなたは姦淫に陥るはずじゃから」。相手は悲しんで言った —。「わたしの身体を殺せとでも言われるのですか?」。そういう次第でアイギュプトスに去った。すると人々が聞いて、多くのものらを彼に寄進した。また、信仰において処女であるひとりの女が、この老師の世話にやって来た。そうしてしばらくして、健康になったのち、彼女と堕落し、胎に孕み、息子を産んだ。人々が彼女に云った。「これは誰の子か?」。彼女が云った。「老師の」。しかし彼らは彼女を信じなかった。しかし老師が言った。「つくったのはわしだ、しかし生まれてくる児は保護させてくれ」。そこで保護させた。
 かくて幼児が乳離れしたとき、ある日、スケーティスで祝祭が催された、老師は幼児を自分の肩に乗せてくだり、教会に入って、兄弟たちに言う。「この児を見よ。不従順の息子じゃ。されば、おのれ自身を安全に守れ、兄弟たちよ、わしの老年においてこれを為したのじゃから。さあ、わしのために祈ってくれ」。すると全員がこれを目にして泣いた。そして彼は、自分の修屋に帰って、自分の初めの仕業を再開したのであった。〔Anony187〕

(41.)
 ある兄弟が姦淫のダイモーンによって烈しく試みられた。事実、4つのダイモーンが、器量よしの女の姿に変身して、20日間、恥ずべき交わりへと彼を引きずりこもうと格闘しつづけた。しかし件の人は男らしく競い合い、負けなかったので、がその美しい戦いに注目したもうて、もはや肉的炎を持たないよう彼に恵みたもうた。〔Anony188〕

(42.)
 アイギュプトスの下地方にある隠修者がいたが、砂漠地帯の独立修屋に坐していることで有名であった。しかし見よ、サターンの活動で、ある猥らな女が、彼について聞いて、若者たちに云った。「わたしに何をくれるつもりか、もしもあんたがたの隠修者をわたしが倒したら?」。彼らは何か目に見えるものを彼女に与えることを約束した。そこで、暮れ方、いかにも道に迷ったかのようにして、彼の修屋に赴いた。そうして彼女が戸を叩くと、出て来て、彼女を見て乱された、いわく。「どうしてここにいるのか?」。彼女が泣きながら云った。「道に迷ってここにやって来たのです」。そこで同情して、彼女を自分の道場に招き入れたうえで、自分の修屋に入って、戸を閉じた。すると見よ、みじめな女は叫んだ、いわく。「師父よ、獣どもがわたしを貪り食うのです」。相手は再び心を乱されたが、やがての審判を恐れもして言った。「わしのこの怒り(ojrghv)はどこから起こるのか?」。そうして戸を開けると、彼女を中へ招き入れた。すると悪魔は彼を彼女へと狙い撃ちはじめた。しかし相手は敵の戦いを思惟して、ひとりごちた。「敵の行道(meqodeiva)は暗黒であるが、の御子は光である」。そこで立ち上がって、燭台に点火した。しかし欲情に燃えあがらされるので言った —。「こういうことをする者たちは懲罰を受ける。されば、ここで汝自身を吟味せよ、永遠の火にもちこたえられるかどうか」。そこで自分の指を灯火の上にかざしてこれを焼いたが、肉の炎上に対する超越のおかげで感じなかった。じつに夜明けまでこういうふうにして、自分の指全部を焼いた。件のみじめな女はといえば、彼のしていることをまのあたりにして、恐怖から石化してしまった。
 さて、明け方、若者たちが隠修者のところにやって来て言った。「夕べ、ここに女がやって来ましたか?」。相手が云った。「うむ。中で寝ている」。そこで連中が入って、彼女が死人となっているのを見つけて、彼に言う。「師父よ、死んでいます」。そのとき、自分の両手を連中に見せた、いわく。「見よ、悪魔の娘がわしに何をしたかを。わしの指を滅ぼしたのじゃ」。そして出来事を連中に話したうえで言った。「〔聖書に〕書かれている。『悪に悪を返すな』〔ロマ12:17,1テサ5:15,1ペテロ3:9〕とな」。そうして祈りを上げ、彼女をよみがえらせた。かくて〔女は〕帰って行き、余生は慎み深く生きた。〔Anony189〕

(43.)
 兄弟が姦淫へと戦いを仕掛けられた。彼がアイギュプトスのある村に通りがかったことがあった。そうしてヘッラス人〔異教徒〕たちのある官の娘を見て、これを歓愛した。そこで彼女の父親に言う。「彼女をわたしの妻にください」。相手が答えて彼に云った。「そなたに彼女を与えることはできない、わたしのの許しがないかぎり」。そこで彼〔官〕はダイモーンのところに進んで、これに云った。「見よ、ある修道者がわたしの娘を所望してやって来ました。彼女を彼に与えましょうか?」。するとダイモーンが答えて云った。「自分のと洗礼と修道者の約束を否認するかどうか、彼に訊け」。そこで官は行って彼に云った。「そなたのと洗礼と修道者の約束を否認するか?」。相手は約束したが、すぐにその口から鳩が出て行き、高みに飛びあがるのを目にした。かくて殿のダイモーンのところに進むと、官が云った。「見よ、彼は先の3つのことを決心しました」。このとき、悪魔が答えて彼に云った。「彼にそなたの娘を妻に与えてはならぬ。なぜなら、彼のは彼から離れず、まだ彼を助けるからだ」。そこで官は行ってその兄弟に云った。「そなたに彼女を与えることはできぬ。そなたのがまだそなたを助け、そなたから離れないからだ」。これを聞いて兄弟は心中に云った。「これほどの善性をがわたしに示されるのなら、悲惨なわたしが彼と洗礼と修道者の約束を否認したのに、善きは今もなおわたしを助けてくださるのか?」。そうして我に返って素面となり、砂漠の偉大な老師のもとに出離して、これに事態を物語った。すると老師が答えて彼に云った。「わしとともにわしの洞窟で坐せ、3週間連続して断食せよ、わしもそなたのためににお願いしよう」。かくて老師は兄弟のために労苦し、に願った、いわく。「あなたにお願いします、主よ、わたしにこの魂をめぐみたまえ、そしてその悔い改めをお受けください」。するとは彼に耳をかしたもうた。かくて第1週が達成された時、老師は兄弟のところに赴き、彼に尋ねた、いわく。「何か目にしたか?」。すると答えて云った。「はい、上方天の高みから鳩が舞い降りてきてわたしの頭にとまったのが見えました」。そこで老師は答えて彼に云った。「おのれ自身に傾注し、引き続きに願え」。そして第2週目に再び老師が兄弟のもとにやって来て、彼に質問した、いわく。「何が見えたか?」。相手が云った。「鳩がわたしの頭の上にやって来たのが」。そこで彼に云いつけた、いわく。「素面になれ、祈れ」。そうして第3週が満たされたとき、再び老師がやって来て、彼に尋ねた、いわく。「さらに何か見えたか?」。相手が答えて云った。「鳩が見えました、やって来てわたしの頭の上にとまり、これを捕らえるためにわたしの手を延ばしましたが、これは飛び立ってわたしの口の中に入りました」。このとき、老師はに感謝して兄弟に云った。「見よ、はそなたの悔い改めを受け容れられたもうた。今後、そなた自身に傾注せよ。そこで兄弟は答えて彼に云った。「見よ、今からはあなたとともにいます、師父よ、わたしの死ぬときまで」。〔Anony190〕

(44.)
 テーバイ人の老師たちの或る者が言うを常とした —。わしは偶像の官の子であった。そういう次第で、幼い頃、殿に坐して、わが父が入っていって、偶像に供犠を執り行うのを観察していた。ところで、一度、その後からこっそり入って、サターンが坐しており、その軍勢がそのまわりに立っているのを目にした。そして見よ、その長が一人やって来て、それに跪拝した。すると悪魔が答えて彼に云った。「おまえはどこから来たのか?」。相手が云った。「わたしはこの村にいて、戦いと多くの混乱を惹起し、諸々の流血を起こしたので、あなた様に報告に来ました」。するとこれに云った。「いかほどの期間でこれを行ったのか?」。相手が云った。「30日間でです」。相手は彼が鞭打たれるよう命じたうえで云った。「それほどの期間をかけてそれを行っただと?」。すると見よ、他の者が彼に跪拝した。するとこれに言う。「どこから来たのか?」。するとダイモーンが答えて云った。「海にいて、地震を起こし、船を沈め、多衆の人間どもを殺して、あなた様にご報告にやって来ました」。相手がこれに云った。「いかほどの期間でそれを為したのか?」。するとダイモーンが答えて云った。「20日間でです」。すると彼も鞭打たるべしと命じた、いわく。「何ゆえそれほどの日数がかかるのか、これをするだけのことで」。すると見よ、第3の〔ダイモーン〕がやって来て彼に跪拝した。するとこれにも云った。「そなたもどこからやって来たのか?」。すると答えて云った。「この村で婚礼が行われましたが、わたしは戦いを惹き起こし、花婿とも花嫁とも多数の流血を起こしたので、あなた様にご報告にやって参りました」。相手が云った。「どれほどの日数でそれをしたのか?」。すると云った。「10日間で」。するとこの〔ダイモーン〕も、時間がかかったとして鞭打たれるよう命じた。さらに第4の〔ダイモーン〕も彼に拝跪するためやって来た。するとこれにも云った。「そなたもどこから来たのか?」。相手が云った。「わたしは砂漠にいましたが、見よ、40年かけて、ある修道者と戦い、今夜、これを姦淫に落とし入れました」。すると相手はこれを聞くや立ち上がり、彼に接吻うぃあびせ、身につけていた花冠を取って、その頭に置き、自分の王座におのれとともに彼を坐らせた、いわく —。でかしたぞ、と。さて、老師が云った —. これを見てわしは云った。「修道者という部類はこれほど偉大なのだ、と。そうして主がわしの救済を嘉したもうたので、わしは出離して修道者になったのじゃ、と。〔Anony191〕

(45.)
 師父たちの或る者について言い伝えられている — 世俗の人であったが、おのれの妻に戦いを仕掛けられた。そこでこのことを師父たちに話したところ、彼が働き手であり、自分たちが言うこと以上のことを実修することを知っていたので、彼に諸々の行住坐臥(politeiva)を課した結果、その身体は弱り切り、もはや立つこともできないほどになった。しかしの摂理により、師父たちの中のある異邦人がスケーティスを訪れようと、彼の修屋にやって来て、それが開いていないのを見たが、どうして自分に会うため誰も出てこないのか驚きつつ通り過ぎた。だが、引き返して、戸を叩いた、いわく。「まさか兄弟は病気ではあるまいが」。そうして戸を叩いて、中に入って、彼が重病なのを見つけた。そこで彼に言う。「どうなさったのですか、師父よ」。すると彼に説明した、いわく。「わたしは世俗の者ですが、目下、敵がわたしの妻を使ってわたしに戦いを仕掛け、師父たちに話し、わたしにさまざまな行住坐臥をあてがい、それを実修しおかげで病気になり、敵も増えたのです」。これを聞いて老師は、心痛し、彼に言う。「師父たちは、有能ですから、諸々の行住坐臥をあなたにあてがったのですが、わたしの謙遜を聞くなら、あなたからそれらを捨て去り、わたしのわずかな糧をその好機に摂りなさい、そうしてあなたのわずかな祈祷を実修し、あなたの煩わしさは主に委ねなさい、というのは、あなたの労苦によっては、この事態を凌ぐことはできません、というのも、われわれの身体は上衣のようなものだからです。それを気遣うなら、立ちますが、等閑にすれば、腐敗するのです」。相手は彼に聞いて、そのとおりにし、数日後に敵は彼から離れた。〔Anony174〕

(46.)
 昔の人で、敬虔さにおいて前進し、アンティノエー地方の山に坐していたある隠修者がいた。世に知られた修道者たちからわたしたちが聞いたところでは、多くの人たちが彼の言葉とその行いに益されたという。で、そういう人物であったので、敵は有徳者なら誰に対してもそうであるように嫉妬し、想念(もちろん、敬虔さのであるが)で彼をそそのかしたのである —。おまえのなすべきことは、他者に隷従されたり奉仕されたりすることではなく、おまえはもっと他者に奉仕することである、少なくともおまえ自身で隷従せよ、そこでおまえの〔葦で編んだ〕手提げ籠を都市で売れ、そうしておまえの必要品を買え、そうして再びおまえの隠修にもどってくるがよい」。悪魔がこれを勧告したのは、彼の静寂と、主への祈願の専心と、〔彼がから享〕数多の益に対する嫉妬からであった。というのは、敵はあらゆる面から彼を狩りたて捕らえようと必死だったからだ。しかし彼が、善き想念に聴従して、自分の修道院に下ってくると、彼は当時驚嘆されていた人物であったが、待ち伏せするやつの数々の手管に無経験だったのである、目に見える普通の人たちによってはよく知られ著名な人ではあったけれども。
 さて、長い時間が経って、女に出会い、不注意からよろめいて、砂漠地に行き、これに敵がお伴していたため、川のそばで堕落した。で、敵が自分の堕落に歓喜していることに思いを致し、おのれ自身が絶望しかかった、の霊を苦しめた、天使たちや聖なる師父たちを〔苦しめたこと〕に。その多くが、都市にあってさえ敵に勝利してきた。されば、それらの誰にも似ていないので、彼はひどく苦しんだ。そうして、<は、おのれにに希望をかける者たちに力を授けたもうということ> を思い出さず、犯した罪の癒しに<頑固になって> 川の流れに、敵の完全な歓喜に、身を投じようとした。かくて、魂の多大な苦痛のあまり、身体を病み、ついに憐れむが彼を死なないよう助けなかったなら、敵の完全な歓喜のうちに<……〔悔い改めもなく死んだことであろう〕>。しかし、ついに我に返り、堅忍のうちにもっと多くの労苦を引き受けて、哀号と悲嘆の中にに嘆願することを思量した。そうして再び自分の修道院に隠棲した。そうして戸を塞ぎ、死人には哀号しなければならないかのように哀号したのである、に嘆願し、の悔い改めに眠ることなく。しかし、悔い改めの充足感をまだ持てないうちに、身体的に衰弱した。そして、兄弟たちが、自分たちの益のために彼のもとをしばしば訪れ、戸を叩いたとき、彼は自分で、開けることができないと言った。「なぜなら」と彼が謂う、「1年間、真に悔い改めをすると約束したのですから」。さらに言った。「わたしのために祈ってください」。というのは、彼は彼らのもとで尊敬され、すこぶる偉大な修道者であったので、聞く者たちが躓かないように何か弁明する術に窮したからであった。かくて、厳しい断食と真正な悔い改めのうちに、まる1年が過ぎた。
 さて、受難祭の日のころ、聖なる復活の夜、聖なる主日の明け方、新しい蝋燭芯を取って用意し、新しい土器に入れてこれを覆ったうえで、夕方、祈りを上げた、いわく。「慈悲深く憐れみ深いよ、蛮族さえ救われるて真理の悟りにいたることを望まれる方よ、信者たちの父たるあなたに、主よ、庇護を求めます。わたしを憐れんでください、しばしばあなたにそむいて敵の歓びに陥ったわたしを。そうして、見よ、わたしは死人です、彼の意思に聞きしたがったゆえに。されどあなたは、主人よ、不敬虔な者たちや憐れみなき者たちにさえ憐れまれ、隣人たちを憐れむよう教えておられる — わたしの謙遜を憐れんでください。御身に不可能なことは何もありません、わたしの魂は塵のように冥府で篩い分けられているのですから。わたしを憐れんでください、ご自身の被造物にとって有用な方ですから、復活の日に不有の身体にさえ甦らせられるはずの方ですから。わたしに耳を貸してください、主よ、わたしの霊とわたしの惨めな魂がなくなったということに。わたしの、わたしが汚したこの身体さえ溶け、あなたの恐怖にとらわれているので、もはや生きる力がありません、悔い改めによってわたしに罪が許してもらえるという元気が出ない代わりに、失望は二重です。身体を潰されたわたしを生かしてください、そしてあなたの火によってこの灯芯が点火されるよう火に課命してください、わたしもお赦しのお慈悲から憐れみの元気を得らて、以後、わたしの生きられる時間としてわたしに恵まれた間、あなたの誡めを守ります、そうしてあなたへの恐れを離れず、これまでよりももっと多くあなたに真に隷従します」。
 復活の夜、おびただしい涙とともに以上のことを云ったうえで、灯芯が点火したかどうか見るために立ち上がり、覆いをとったが、点いていないのを見て、再び主の前に平伏して、願った、いわく。「わかっております、主よ、????。さればご容赦ください、主よ、見よ、あなたの善性にわたしの恥を告白します、あなたの御使いたちや義人たち全員の面前で、そうして、また、躓きがなければ、人間たちにも告白しましょう、ですからわたしにお慈悲をください、他の人たちを教育するためにも」。「然り、主よ、わたしを生かしてください」。まさにこのように3度祈って、聞き入れられた、そうして立ち上がって、灯芯が明るく燃えているの見出した。そこで希望に歓喜雀躍して、心の喜びに力づけられ、この恩寵に驚きながらも嬉々として喜んだ、がここでも彼を満足させてくれたからである。そこで彼は言った — わたしはこの世の生に値しないものであるのに、この大いなるより新しい徴によって憐れんでくださった、と。このように彼が告白しつづけていると、曙光が射し、主に好機嫌となった、身体的な養いも忘れて。灯芯の火は、これを彼はその生涯守った、油を注ぎ足し、消えることがないよう上に用意して。かくして的な霊が再び彼の内に宿り、彼は万人に有名な、謙虚な人物となり、告白と恩寵の点で主に明白な者となった。そして、魂をも引き渡そうとするとき、数日前にその啓示を目にしたのであった。〔Anony175〕

(47.)
 兄弟が川に水を汲みに出かけた。しかし、着物を洗っている女を見つけ、彼はこれと堕落する結果になった。罪を犯した後、自分の修屋に帰った。だが諸々の想念を通してダイモーンたちが跳びかかり、彼を呵責した、いわく。「引っこむところがあるのか? これからはもはやおまえに救いはない。いったい何のために世俗を邪慳にするのか?」。兄弟は、連中が自分を完全に破滅させようとしていると悟って、諸々の想念に言う。「おまえたちはどこからでも攻めこむのか、おれを呵責するのか、おれ自身を失望させるために。おれは罪を犯さなかった」。そこで自分の修屋に帰り、昨日一昨日まで静寂を保った。そこで主が、彼の隣人なる一人の老師に、兄弟何某が堕落したが勝利したと啓示した。そこで彼のもとに行って、老師が彼に言う。「兄弟よ、いかがですか?」。相手が言う。「美しくあります、師父よ」。これに老師が言う。「がわたしに啓示されました、あなたは堕落したけれども勝利した、と」。このとき兄弟は自分に起こったことすべてを彼に物語った。老師が彼に云った。「まこと、兄弟よ、あなたの分別が敵の力を粉砕したのです」。〔Anony50〕

(48.)
 ある隠修者は、女というものをほとんど知らない童貞(parqevnoV)であった。ところが姦淫のダイモーンが彼を煩悶させ、全身燃えあがり、無経験さから事柄の欲望を知らないために、紙の奴隷のみを恋するまでになった???、欲望の対象を知らなかったからである。そこで悪魔が、醜行にかけて精通したある女を彼に示そうとした。しかしがダイモーンの欺瞞と優越を見抜いて、男を覆い、戦いを終熄させた。〔N 455〕

(49.)
 ある隠修者を世俗信徒たちが訪ねた。すると彼らを喜んで迎え入れた、云わく —。「主があなたがたを遣わされたのは、わたしを埋葬するためです、その召命が届いたからです。そこで、あなたがた聞く者たちの益のために、わたしの人生をもあなたがたに物語ろう。わたしは、兄弟たちよ、身体において童貞ですが、魂においては、敵によって姦淫の内にあるまでに非人間的に戦っています。見よ、あなたがたに話そう、天使たちもわたしの魂を受け取るため待機し、ここにはサターンも立っていて、姦淫の諸想念をわたしに投げこんでいるのが見えます」。そう云うと、身を伸ばして、彼は命終した。そして彼の死体の整形をしつつ、在俗信徒たちは、まこと彼が童貞であったことを見出したのであった。〔Anony63〕

(50.)
 ある老師がケッリアに坐していた、これに想念が言う。「さがれ、そなたに女を娶れ」。そこで立ち上がり、泥を捏ねて、おのれに女を造型した。そして老師は言う。「見よ、汝の妻だ、これを養うためにせっせと働く必要がある」。そこでせっせと骨身を削って働いた。そして数日後、再び立ち上がって泥を捏ね、おのれに娘を造型し、自分の想念に言う。「見よ、汝の妻が出産した、汝の子らを養い着物を着せることができるよう、もっと余計に働く必要がある」。じつにそのようにしたため、過労でおのれの肉体をやつれさせてしまい、想念に言う。「もはや辛労をもちこたえる力がない」。そして云った。「されば、汝に辛労する力がないなら、女を捜し求めるのもいけない」。そうして、が彼の辛労を見て、彼から想念を取り去り、休ませたもうた。〔オリュムピオス2〕

(51.)
 かつて、老師たちのなかの或る者が、姦淫について云った — 姦淫の情動は数が多い、と。また云った — 使徒が言っている。『姦淫と不浄と貪欲とをして、あなたがたのところで名指されることさえなからしめよ、それこそが聖者たちにふさわしい』〔エペソ5:3〕と、— 姦淫とは身体において罪をつくること、不浄とは身体において触ってみること、つまり、笑いと気易さ(parrhsiva)である。〔N 427〕

(52.)
 さて、彼〔?〕が語り伝えている — 二人の兄弟が遣わされて村に下ったが、ダイモーンが堕罪を年長者に5度戦いを仕掛けた。しかし競い合って寸暇を惜しんで祈りを上げた。そして自分たちの師父のもとに帰ったが、その面前で乱され、悔い改め、いわく。「わたしのために祈ってください、師父よ、姦淫に陥ってしまいました」。そうして、いかにして自分の理性が戦いを仕掛けられたかを物語った。すると、老師は透視者であったので、彼の頭に5つの花冠を観想し、彼に云った。「元気を出せ、わが子よ、そなたが来ると、そなたの上に5つの花冠が見えた。そなたは負けたのではなく、むしろ勝利して、行為を遂げなかったも同然じゃ。大いなる闘いとは、好機をとらえてひとが自制する場合である。大いなる報酬を得るのは、敵のこの戦闘がより強力でより苛烈で、その罠を逃れることが難しいことである。いったい、浄福のイオーセープの件が単純であったことについて、そなたは何と考えるか? いや、劇場で起こるように、と天使たちは彼が競合するのを観、悪魔とダイモーンたちは女を野獣化させる。されば、闘技者が勝利したとき、天使たちは大声で栄光をに帰するものなのだ、いわく。『闘技者は稀なる勝利に勝利せり!』。されば、思いめぐらしの中に置いてさえ悪を行わなかったということが美しいのだ。だが、誰か試みられる者がいたら、負けないよう戦うべし」。〔N 454〕

(53.)
 老師が云った。「以下のことを死にいたるまで守れ、そうすれば救われよう。女とともに食事するな、愛情を持つな、若年者と寝るな、そなたが若年者のときは、そなたの兄弟とかそなたの異母兄弟〔?〕とかでないかぎり、しかも、恐怖を持って、軽蔑を持ってでないかぎり、ひとつの敷物の中で〔寝るな〕。そなたの目でそなたの着物を着て、???。やむを得ないなら、〔葡萄酒〕3杯までは摂るがよい。情愛によって縛めを破るな。に対して罪を犯した場所に住むな。そなたの勤行を軽視するな、そなたの敵たちの手に陥らないために。おのれを詩篇朗誦の修行に強制せよ、これは敵の捕囚からそなたを守ってくれるゆえに。あらゆる苦難を歓愛せよ、そうすればそなたの苦は低められよう。何かひとつのことにおいておのれを評価しないよう心掛け、そなたの諸々の罪を嘆くことに専心せよ。おのれを虚偽から護れ。なぜならそれはそなたからへの畏れを追放するから。また、そなたの諸想念をそなたの師父たちに曝け出せ、の庇護がそなたを覆うために。おのれをそなたの手仕事へと必然づけよ、そうすればへの畏れがそなたの中に住みつこう」。

(54.)
 名をパコーンという人は、およそ70年間、駆りたてられてスケーティスに坐しました。ところで、わたしは姦淫のダイモーンにたかられ<て>、女に対する欲求に憑かれて、諸々の想念にも夜の幻影にも堪え難くなったことがあります。そうして、この試練のせいで砂漠から出て行かんばかりになり、情動がすこぶる激しくわたしを駆りたてたので、師父たちの隣人たちにもわたしの師にも事態を言明しなかったが、ひそかに砂漠を訪ね、15日間、スケーティスの砂漠で年老いた師父たちに面会しました。その中でパコーンにも巡り会ったのです。そういう次第で、彼はより純真でより修行を重ねたひとなのを見出しました。そこで勇気を出して、わたしの精神のありさまを彼に打ち明けました。するとこの聖人がわたしに言う。「この事態をしてそなたを特別視させてはならない。なぜなら、そなたはこれをそなたの怠惰(rJaqumiva)から被っているからじゃ。というのは、場所も、必要なものらの欠如も、ここで女たちとの出会いがないことも、そなたのために証言している。いや、むしろ、これは反対に、徳に対するそなたの真剣さからそなたに起こっていることだ。というのは、砂漠で過ごす者たちにとって、姦淫との戦いは3つの場合がある。すなわち、ひとつは、肉(savrc)が良い目をみるためわれわれに襲いかかるとき、ひとつは、苦患(pavqh)が諸々の想念を通して〔働く〕場合、ひとつは、ダイモーンそのものまでが邪眼を通してわれわれを僭主支配する場合である。実際、わしがこのことを発見したのは、多くの観察を通してなのじゃ。というのは、見よ、わしはごらんのとおり老人じゃ、この修屋で40年間すごし、おのれの救いを心がけ、これほどの年齢を重ねて、ここまで経験を重ねてきた」。
 そうして、彼は誓いました、いわく —。
 「50歳になってから12年間、夜となく昼となく、〔邪淫の念が〕わしに取り憑いて、襲いかかってきた。されば、はわしを見放したもうたと猜疑し、あまりに虐めぬかれたため、身体の苦患によって見苦しい振る舞いをするよりは、何も言わず死のうとわしは決心した。そこでわしの修屋から出て行って、沙漠を歩き回り、ハイエナの洞穴を見つけ、昼日中、裸になって、その洞穴に身を横たえ、獣が出てきてわしを食べるようにしたのじゃ。
 ところが、夕方になったとき、書かれているとおりになった。『陽はその沈む時を知っている。暗黒になり、夜が来た。このとき、林の獣たちはみな忍び出て、若き獅子は吼えて、の御許に自分たちの餌を集め求める』〔詩編103_19〕、されば、野獣たちが、牡も牝も、その時刻に出てきて、わたしの頭の先から足の先まで臭いを嗅いだのじゃ、舐めまわすために。そして、わしが貪り食われることを期待したとき、わしから離れていったのじゃ。こうして、一晩中そこに倒れていたが、貪り食ってはもらえなんだ。はわしを完全に惜しまれたのだと思量して、そこでもう一度、わしの修屋に引き返した。こうして、ダイモーンは数日間はおとなしくしていたが、再び、以前よりもいっそう激しくわしに襲いかかってきた、すんでのところで、わたしが呪詛さえしかけるほどに。
 ついに、〔ダイモーンは〕アイティオピアの乙女 ― わしの若いころ、夏、芦刈をしていたのを見たことのある ― に変身して、わしの膝の上に腰を下ろしたと思い、わしは衝き動かせて、わしは彼女と交合したと思ったほどじゃった。そこでわしは狂ったようになって、彼女に張り手をくらわすと、そのまま消えてしまった。そこで、2年間、わしの手の悪臭に耐えることができなかったと言うわしを信じよ。されば、意気消沈し、それがますます大きくなって、ついにおのれを捨てて、大沙漠に出てさまよった。そして、小さなコブラを見つけ、これをつかまえて、わしにとって試練の基となっている生殖器に押しつけた、そうやって咬まれて死のうと。ところが、そうやっても、の恩寵の計らいで咬んでくれず、その後、わしの心の中に次のように言う声が聞こたのじゃ —。行け、パコーンよ、闘え。そのためにこそ、おまえがこれほどまでに虐げられることをわたしは許したのだ、出来る者としてこのダイモーンに勝って尊大になるのではなく、いつもの助けにすがりつくようにと、と。そういうわけで満足して、わしはわしの修屋に引き返し、勇んで坐し、もはや女狂いの敵を気にすることなく、残りの日々をあの闘いからは平安に過ごしているのじゃ。それで、ダイモーンは、やつに対するわしの軽蔑を見て、以後は恥じて、もはやわしに近づくことがない」。
 サタンと闘ってきたこれらの想念によって、聖パコーンはわたしを強固にし、諸々の労苦に対してもっと気高く、邪淫のダイモーンとの闘いを容易に持ちこたえられるようわたしに塗油し、あらゆることにおいてわたしが男らしくあるよう励ましてわたしを送り出したのである。そこでわたしは立ち去って坐した、おのれの救いを心がけ、と聖者に感謝しつつ。アメーン。 〔Cf. ラウソス修道者史23〕

2016.04.03.

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