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back.gif砂漠の師父の言葉(主題別)7/21

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 5

砂漠の師父の言葉(主題別)
(8/21)






8.
(T.)

何ごとも見せびらかしのためにしてはならないことについて

(1.)
 師父アントーニオスは、ある若い隠修者が道中で奇跡(shmei:on)をなした、ということを耳にした。その者は、旅をして道中疲れてしまった長老たちを見て、驢馬たちに、行って、アントーニオスのもとまで、長老たちを運ぶよういいつけたのである。そこで長老たちは、師父アントーニオスにこのことを報告した。すると、彼は彼らにこう言う。「その隠修士は、財宝を一杯に積んだ船に似ているようにわたしに思われる。しかし、港に着くかどうかは知らない」。そして、しばらくすると、師父アントーニオスは突然泣き出し、自分の髪を掻きむしって嘆き始めた。彼の弟子たちが彼に言う、「なぜお泣きになるのですか、師父よ」。すると長老は云った。「教会の大きな柱がたった今倒れた(これは、その若い隠修士のことを言ったのである)。さあ、彼のところに行け」と彼は謂う、「そして起こったことを見よ」。そこで弟子たちは行って、隠修士が蓆の上に座り、自分の犯した罪を泣いているのを見出した。長老の弟子たちを見て言う。「長老にお伝えください。あと十日だけわたしに与えてくださることを、に執り成してくださるようにと。そうすれば、弁明できる希望が持てるでしょう」。しかし、彼は五日目に命終した。〔アントーニオス14〕

(2.)
 ある兄弟が、師父アントーニオスの前で修道者たちによって称賛された。そこで、彼に出会ったとき、侮辱に耐えられるかどうか試みたが、耐えられないのを見て、彼に云った。「そなたは村に似ておる、正面は美麗に見えるが、裏は盗賊どもに荒らされているところの」。〔アントーニオス15〕

(3.)
 師父アルセニオスとペルメーの師父テオドーロスについて言い伝えられている — 何にもまして彼らは人間どもの名声を憎んでいた。それゆえ、師父アルセニオスは容易に人に会わなかった。師父テオドーロスの方は、会いはするものの、その剣のようであった、と。〔アルセニオス31〕

(4.-5.)
 エウロギオスなる人は、浄福なる主教イオーアンネースの弟子で、司祭であり大いなる修行者であって、二日続けて断食し、また一週間続けることもしばしば、パンと塩だけを食べ、人々から栄化されていた。しかし、師父イオーセープをパネポーに訪ねた、彼からさらに厳しい修業を見ることを期待したからである。老師は喜んで彼を迎え、持てるものは何でも願いどおりになるようにした。そこでエウロギオスの弟子たちが言う。「司祭はパンと塩しか食べないのです」。しかし師父イオーセープは黙って食事をしていた。こうして三日間を過ごしたが、彼らが詩編朗唱したり祈祷するのを聞くことがなかった。彼らの業は隠されていたからである。かくて益されることなく、引き返していった。
 しかし、摂理によって暗闇が生じたため、道に迷ったため、老師のもとに戻ってきた。そして彼らが戸を叩こうとすると、詩編の朗唱が聞こえてきた。そこで長い間待ってから、ようやく戸を叩いた。すると、彼らは詩編朗唱をやめ、喜んで彼らを迎え入れた。そして暑さのために、エウロギオスの弟子たちが小さな壷に水を汲んで彼に渡した。しかしそれは海の水と川の水を混ぜたものであった。それで彼は飲むことができなかった。そこで我に返り、彼の生活を知りたくなって、こう言って老師のまえに身を投げだした。「師父よ、これはどういうことですか。あなたがたは、詩編朗唱は前にはせず、そして今、わたしたちが出ていった後にはなさっている。また、今、壺を取ってみると、塩水が入っているのです」。これに老師が言う。「兄弟がうっかりしていて、これに海水を混ぜたのです」。しかし、エウロギオスは真実を知ろうとして、老師に願った。そこでこれに老師が言う。「あの葡萄酒の小さな杯は、愛餐のそれです。この水は兄弟たちがいつも飲んでいるものです」。こうして、老師は彼に諸々の想念の識別の仕方を授け、彼の中のすべての人間的なものを取り除いた。そこで、エウロギオスはさらに思慮深い者となった。それ以来、人が施してくれるものは何でも食べ、自分も隠れてわざをなすことを学び、老師に云った。「あなたがたのわざこそ、本当に真実のものです」。〔司祭エウロギオス〕

(6.)
 師父ヘーサイアースが云った。「虚栄に勝利しの覚知へと前進することは、偉大で価値あることだとおもう。なぜなら、この邪悪なる者の手中に陥った者は、虚栄の情動を平安とは無縁とし、聖人たちに対して心を頑なにし、自分の諸悪の権職の中に高慢(高ぶりこそあらゆる諸悪の母である)を取り囲む。しかしそなたは、おお、クリストスの信実の僕よ、そなたの働きを隠されたものとして持て、そうして労苦によって心を気遣え、そなたの働きの報酬を、おべっかによって無にしないために。なぜなら、人間どもに見せびらかせるために何かを為す者は、クリストスが云ったとおり〔マタイ6章〕、自分の報酬から離れているからである」。

(7.)
 同じ人がさらに言った。「人間どもによって栄化されることを愛する者は、妬みの対象外でありえない。妬みを有する者というのは、謙遜を見出すことができない。こういう者は、自分の固有の魂を自分の敵たちに引き渡し、連中もまたそれ〔魂〕を多くの悪しきものらへと引きずりゆき、それ〔魂〕を亡き者とする」。

(8.)
 さらに云った。「虚栄を避けよ、来たるべき代におけるの栄光を尊べ」。

(9.)
 あるとき、兄弟が師父テオドロースを訪ね、お言葉を聞くことを彼に願って、3日間を過ごした。だが、相手は彼に答えなかった。彼は悲しみながら、立ち去った。そこで、彼に彼の弟子が言う。「師父よ、なぜ彼に言葉を云われなかったのですか。彼は悲しんで戻ってゆきました」。すると、これに老師が言う。「いかにも、わしは彼に言わなかった。他人の言葉によって栄化されんとすることこそ、商売人だからじゃ」。〔ペルメーのテオドーロス3〕

(10.)
 兄弟が彼にこう言って尋ねた。「師父よ、わたしは数日パンを喰わないのがよいでしょうか?」。するとこれに老師が言う。「それは美しい。実際わしもそうしたことがある」。するとこれに兄弟が言う。「それでは、わたしのエジプト豆を持ってパン焼き場に行き、これを粉にしようと思います」。するとこれに老師が言う。「今度パン焼き場に行く時に、そなたのパンを作るがよい。この外出にいったい何の用があるのか?」。〔ペルメーのテオドーロス7〕

(11.)
 ある兄弟が師父テオドーロスのところに来て、自分がまだ業を為していない事柄をはなし、その問題を調べ尋ね始めた。するとこれに老師が言う。「まだ船を見つけず、そなたの荷物も積まず、航海する前に、もうしかじかの都市に着いてしまった。189.20 先ず仕事を為してはじめて、今そなたが話しているところに達するのじゃ」。〔ペルメーのテオドーロス9〕

(12.)
 兄弟が師父サラピオーンを訪ねた。すると老師は、いつもどおりに祈りをするように彼を促した。しかし相手は、自分は罪人で、修道服自体にふさわしくないからと言って、聞き入れなかった。さらに、〔老師が〕彼の足を洗おうとした。しかし同じ言葉を使って、受け入れなかった。そこで、彼に食事をさせた。で、老師も食べ始めた。そしてこう言って彼を諭した。「わが子よ、益を得たいと思うなら、そなたの修屋に住持せよ、そしてそなた自身とそなたの手仕事に心を注げ。というのは、出歩くことは、坐ることほどの益をそなたにもたらさぬからじゃ」。相手はこれを聞いて、腹を立て、老師が気づかずにおれないほど、顔色を変えた。そこで、これに師父サラピオーンは云った。「今までそなたは、『わたしは罪人です』と言い、生きるにも値しないと自分を責めていた。ところが、わしが愛をもってそなたに思い起こさせると、それほど凶暴になるのか。されば、謙虚であろうと思うならば、他人からそなたにもたらされる教訓を気高く担い、粗野な言葉をしてそなた自身を支配しないようにせよ」。これを聞いて、兄弟は長老の前に悔い改め、大いに益を受けて帰って行った。〔サラピオーン4〕

(13.)
 あるとき、長官が師父モーウセースのことを聞き及び、彼に会うためにスケーティスにやって来た。そこである人たちが、事情を老師に報告した。すると彼は立って、沼地に逃げた。すると〔長官一行が〕彼に出くわして、いわく、「どうかわれわれに云ってください、ご老人よ。師父モーウセースの修屋はどこですか。すると彼らに言う。「彼に何を求めているのですか。彼は愚か者ですよ」。しかし長官は教会に行き、聖職者たちに言う。「わたしは師父モーウセースのことを聞き及び、彼に会いに下ってきました。ところが、見よ、アイギュプトスに向かう老人がわれわれに行き合い、彼に云いました、『師父モーウセースの修屋はどこですか』。するとわれわれに言うのです。『彼に何を求めているのですか。彼は愚か者ですよ』と」。これを聞いた聖職者たちは、こう言って悲しんだ。285.16「聖人のことをそのように話す老人とは、どのような人でしたか?」。彼らが云った。「老人で、古い服を来て、背丈があって色黒い人です」。彼らが云った。「それこそ師父モーウセースです。自分があなたがたに会わないために、あなたがたにそんなことを云ったのでしょう」。じつに多くのことを益されて、長官は帰って行った。〔モーウセース8〕

(14.)
 兄弟が師父マトエースに尋ねた、いわく。「場所に住持しに行くなら、そこでどう過ごせばよろしいでしょうか?」。老師が言う。「場所に住むなら、そなた自身にとって名称をつけることを拒むがよい、つまり、『日課礼拝に出かける』とか、『愛餐を食さない』とか。こういった名称は虚しさをつくり、ついにはそなたが煩わしさを見出すからじゃ。なぜなら人間どもは、それらを見出すところに走るからじゃ」。〔モーティオス1〕

(15.)
 偉大な師父ニステローオスが、ある兄弟と連れ立って砂漠を歩いていた。そうして、彼らは大蛇を見て逃げ出した。すると兄弟が彼に言う。「あなたでも怖いのですか、師父よ」。そこで老師が言う。「わしは怖くない、わが子よ。じゃが、逃げたほうが得策じゃ。〔さもなければ〕虚栄の霊を免れんじゃろうから」。〔ニステローオス1〕

(16.)
 あるとき、この地方の長官が師父ポイメーンに会いたいと思ったが、老師は受け入れなかった。そこで、彼の姉妹の息子を悪行を口実に捕え、牢に入れた、いわく。「老師がやって来て、彼のために頼むなら、わしは彼を釈放してやろう」。そこで、彼の姉妹がやって来た、戸口で泣くためである。だが、彼は彼女に返事をしなかった。すると彼女は、彼を罵った、いわく。「頑なな人よ、わたしを憐れんでください、あれはわたしのひとり息子なのですから」。彼は彼女にひとを遣わして云った。「ポイメーンは子どもを産んだことはない」。じつにこういう次第で、彼女は引き上げていった。これを聞いた長官は、人を遣わした、いわく。「一言でもその方が命ずるならば、彼を釈放しよう」。すると、老師は返事をした、いわく。「法に従って彼を取り調べよ。死に値するなら、死刑にするがよい。そうでないなら、好きなようにするがよい」。〔ポイメーン5〕

(17.)
 師父ポイメーンが云った。「まったく、人間どもの愛を張り合う者は、に対する愛を放置する。万人を満足させることは美しくない。なぜなら、『禍あれ』と〔クリストスは〕謂っておられる、『誰もが汝らを美しく云う時は』〔ルカ6:26〕」。〔???〕

(18.)
 さらに云った。「そなたの舌が教えることを守るよう、そなたの心に教えよ」。〔Cf. ポイメーン63、164〕

(19.)
 さらに云った。「人間どもは完璧に話すが、為事の最少をも実行しない」。〔ポイメーン56〕

(20.)
 ネイルゥポリスの主教、師父アデルピオスが、師父アントーニオスの山に、師父シソエースを訪ねた。そうして彼らが出かけようとしたとき、彼らが旅立つ前に、夜明けに、〔師父シソエースは〕彼らに食事をさせようとした。しかし断食日であった。そこで、彼が食卓を調えると、見よ、兄弟たちが扉を叩いた。そこで自分の弟子に云った。「彼らにトウモロコシの粥を少し与えよ。疲れているだろうから」。これに師父アデルピオスが言う。「しばらく放っておくがよい、彼らが、師父シソエースは明け方から食事をしていると云わないように」。すると老師が彼を見つめ、兄弟〔=弟子〕に言う。「行け、彼らに与えよ」。ところが、彼らはお粥を見るや、云った。「お客ではなかったのですか。長老はあなたたちと一緒に食事をしなかったのですか」。そこで彼らに兄弟〔弟子〕が云った。「いいえ、なさいました」。それで彼らは憂慮し、言い始めた。「があなたがたをお赦しになりますように、あなたたちが今しがた老師が喰うに任せたことを。それとも、あなたたちは知らないのですか、長い日々、苦労しなければならないことを」。そこで、主教は彼らのいうのを聞いて、こう言って老師にひれ伏した。「どうかわたしをお赦しください、師父よ、わたしはひどく人間的なことを思量しました。ところがあなたは、の御わざを行われたのでした」。するとこれに師父シソエースが言う。「が人間を栄化なさるのでなければ、人間どもの栄光は無である」。〔シソエース15〕

(21.)
 ライトゥ〔アラビア半島の都市〕の師父アムモーンが師父シソエースに尋ねた。「聖書を読むと、〔他人からの〕質問に答えられるよう、言葉に夢中になってしまいます」。これに老師が言う。「不必要なことじゃ。むしろ、理性の浄化心によって、無帽明着であることと言うこととをおのれに所有せよ」。〔シソエース17〕

(22.)
 あるとき、長官が師父シモーンに面会に来た。相手は聞くと、帯を締めて、ナツメヤシを刈り込むために、これに登った。一行がやって来て、叫んだ。「ご老体よ、隠修者はどこですか」。相手が云った。「隠修者はここにはいない」。すると聞いて、一行はひきさがった。〔シモーン1〕

(23.)
 また別のとき、別の長官が彼に面会に来ようとした。すると聖職者たちが先に手配して彼に云った。「師父よ、準備してください。長官があなたについて耳にして、あなたから祝福を受けるためにやって来るのですから」。そこで相手が云った。「わかった、自分で準備しよう」。そこで、自分の古外套(kentwvnion)をまとい、自分の手にパンとチーズを持って、入口に行って、食べながら坐っていた。そうして、長官が自分の一隊を引き連れてやって来て、彼を見て、こう言って彼を軽蔑した。「これが、われわれが噂に聞いた隠修者か」。そして、すぐに引き返して行った。〔シモーン2〕

(24.)
 聖シュンクレーティケーが云った。「宝物は明らかになると散らされるように、徳は世に知られ公然となされると消えます。なぜなら、蜜蝋は火の前では溶けるように、魂も称賛によって融解し、その緊張を台なしにするのです」。〔Cf. シュンクレティケー伝38〕

(25.)
 さらに云った。「同じ牧草に実は一つもないように、わたしたちにまといつく世俗の栄光から天上の果実を作ることは不可能です」。 〔シュンクレティケー伝78〕

(26.)
 あるとき、ケッリアで祝祭が催され、兄弟たちが教会で食事をしていた。そこに、煮物を食べない兄弟がいた。すると、兄弟たちの一人が給仕係に言う。「兄弟何某が食べるのは煮物ではなく、塩だ」。このとき、別の助祭が皆の前で兄弟に声をかけた、いわく。「兄弟何某は煮物を食べない、彼に塩を持って行け」。すると老師たちの一人が立ち上がって、彼に云った。「今日、そなたの修屋で肉を喰っても、同信の前でこの声を聞かない方がそなたにとって益とせよ」。〔Anony256〕

(27.)
 パンを食べない修行者のある兄弟が、ある偉大な老師のところに訪れた。すると、そこには他にも客人たちがいて、老師は彼らのためにわずかな煮物を作った。そうして彼らが喰うために坐ると、修行者の兄弟が自分にだけは水に浸したヒヨコ豆〔Dsc.II-126〕を供した。そして食べた。そうして彼らが立ち上がると、老師が彼をそっとつかまえて、彼に云った。「兄弟よ、誰かのところに訪れたら、そなたの行住坐臥をひけらかしてはならん。もしそなたの行住坐臥を支配したいなら、そなたの修屋に坐せ、そして決して出かけてゆくな」。相手は老師の言葉に聴従して、兄弟たちの出会いの際に寛大な者となった。〔Anony257〕

(28.)
 スケーティスの人たちについて言い伝えられている — 彼らの為業に従事する者は、もはや徳としてそれをもつのではなく、罪としてである」。〔Cf. 8-24〕

(29.)
 老師が云った。「へつらい(ajnqrwparevskeia)は人間のあらゆる性質を無にし、彼を乾涸らびたものにしさる」。〔主題別21-46〕

(30.)
 さらに云った。「自分の美しい為業を公然と公衆の面前で行う者は、大地の表面に種蒔く人に似ているが、天の鳥類がやって来て、これを喰い尽くすもの。だが、自分の行住坐臥を隠す者は、大地の中に種蒔く人のように、何倍も〔の実り〕を刈りとる」。

(31.)
 老師が云った。「人間どもを避けに避けよ、あるいは、人間どもと俗世をからかって、汝自身を愚か者とせよ」。〔オール14、Anony320〕

(32.)
 師父たちのひとりが云った — パライスティネーにある村の近くの川のほとり、そこに浄福者シルゥアーノスが過ごしていたのだが、兄弟がずっと愚昧のふりをしていた。というのは、兄弟が彼に出会うと、すぐに笑い出すのであった。それで、以降は、各人が彼を見捨て、離れていった。ところが、師父たちの3人が師父シルゥアーノスを訪問することがあり、祈りを上げた後、兄弟たちをその修屋に観察するため、自分たちに誰かを同行させるよう彼に要請した。そうして彼に言った。「願わくは、全員のところにわれわれを連れて行くようその兄弟にいいつけてください」。しかし、彼にこっそり言い渡した、いわく。「彼らが躓かないために、愚かな兄弟のところには彼らを連れて行かないよう注意せよ」。さて、兄弟たちの修屋を巡り歩くさいに、自分たちを案内してくれる者に老師たちが言った。「願わくは、全員のところにわれわれを連れて行ってもらいたい」。すると彼らに言った。「よろしい、よろしい」。しかし彼は、老子の言葉どおり、愚か者の修屋には彼らを連れて行かなかった。さて、彼らが老師のもとに帰ってくると、彼らに云った。「兄弟たちをごらんになったか」。彼らが云った。「はい、感謝します。しかし心残りは、全員のところには行かなったことです」。そこで彼らを連れて行った者に老師が言う。「そなたに云わなかったか、『この方たちを全員のところへお連れするように』と」。すると兄弟が云った。「そのとおりにいたしました、師父よ」。そこで、再び出て行って、師父たちが老師に言った。「兄弟たちに会えたことを本当に感謝いたします、ただひとつ心残りは、全員には会えなかったことです」。このとき、こっそり兄弟が老師に言う。「愚か者の兄弟のところには彼らを連れて行きませんでした」。そういう次第で、師父たちが帰るや、老師は自分で出来事を分別して、愚か者を装っている件の兄弟のもとに出かけて行き、扉は叩かず、sisovgrinを開けて、兄弟の虚を衝き、彼が座に坐って、二人の少年が、一人は彼の右に、一人は左にいるのを見出した。そして老師を見るや、彼はいつもどおり笑い出した。そこで彼に老師が言う。「今の不作法を許してくれ、しかしどうかわしにそなたの境涯を云ってくれ」。すると彼は再び笑った。これに師父シルゥアーノスが言う。「土曜日と主日以外、わしの修屋からわしが出てこないことをそなたは知っている。しかし今、週の途中に出かけてきた。というのは、わしのがわしをそなたのところに遣わしたからじゃ」。すると彼は畏れ入って、老師の前にひれ伏し、彼に言う。「どうかわたしを許してください、師父よ、夜明け方、わたしはこれらの標石を掴んで坐し、善き想念がわたしに起これば、右の少年に標石を投げ、邪悪なそれなら、左に投げます。こうして、夕方に標石を数え、右の標石のそれが多いのを見れば、食事をし、左のそれが〔多ければ〕、食事をしません。そうして翌日、再び邪悪な想念がわたしに起これば、自分自身に言います。『おまえが何をしているか注視せよ、またもや食事しないとは』と」。これを聞いて、師父シルゥアーノスは驚いて云った。「本当に、来訪した師父たちは聖なる天使たちであった、この兄弟の徳を公然化しようとしてだったのだから。というのも、多くの歓喜と霊的な好機嫌とが、彼らの現前によってわたしに生じたのだから」。〔N 408〕

2016.03.04.

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