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back.gif砂漠の師父の言葉(主題別)8/21

原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 5

砂漠の師父の言葉(主題別)
(9/21)






9.
(T.)

何びとをも裁かないということを守るべきこと

(1.)
 あるとき、師父エーリトの共住修道院で、兄弟に試練が起こった。そうしてそこから追放されて、師父アントーニオスの山にやって来た。そうして兄弟はしばらく彼のもとにとどまったが、追放された共住修道院に彼を送り返した。しかし彼を目にした者たちは、彼を再び追放した。そこで彼は師父アントーニオスのもとに帰ってきた、いわく。「彼らはわたしを受け容れることを拒みました、師父よ」。そこで老師は彼らに遣いをやった、いわく。「船が海洋で難船し、積み荷を失い、ほうほうのていで陸地に救われた。しかるに汝らは陸地に救われたものらを海に沈めるつもりか?」。彼らは、師父アントーニオスが彼を送ってよこしたのだと聞いて、すぐに彼を受け容れた。〔アントーニオス21〕

(2.)
 ある兄弟が罪を犯し、司祭によって教会から破門された。すると師父ビッサリオーンが立ち上がり、彼といっしょに出ていった、いわく —わしもまた罪人である、と。〔ビサリオーン7〕

(3.)
 師父ヘーサイアースが云った。「何らかの罪で隣人を裁こうという想念がそなたに生じたら、先ず、そなたは彼以上に罪人であると自分で思量せよ、そうして美しいことを実行するのだとそなたが看做すことも、に嘉されていると信ずるな、そうすれば、隣人を裁こうなどとはしないだろう」。

(4.)
 さらに云った。「隣人を裁くことなかれ、汝自身を軽蔑せよ、それが意識(suneidhvsiV)の安らぎの場である」。

(5.)
 テーバイの人、師父イサアークが共住修道院を訪れ、兄弟が躓いたのを見て、これを裁いた。しかし、砂漠に戻ると、主の御使いがやって来て、彼の修屋の戸の前に立ちはだかった、いわく。「おまえが中に入るのことは許さぬ」。相手は頼んだ、いわく。「何事ですか?」。御使いが答えて彼に云った。「がわたしをそなたのもとに遣わされた、いわく。『彼に云え、「躓いた兄弟を、どこへ追いやれと命ずるのか?』と」。そこで、師父イサアークただちに悔い改めた、いわく。「わたしは罪を犯しました、どうかわたしをお赦しください」。すると御使いが云った。「立て、はおまえをお赦しになった。だがこれからは、がこれを裁く前に人を裁かぬことを守れ」。〔テーベのイサアーク1〕

(6.)
 アイギュプトス人、師父マルコについて言い伝えられている — 彼は30年間ずっと、自分の修屋から外に出ることはなかった。そこで、司祭がやって来て、彼のために聖なる奉献祭儀をする習慣であった。ところが、悪魔がこの人〔師父マルコ〕の有徳な忍耐を観察して、彼を試すことをたくらみ、ダイモーンに憑かれた或る者を、祈りを口実に、老師のもとに行くよう仕組んだ。さて、懸かれた者は、開口一番、老師にくってかかる、いわく。「おまえの司祭は罪人だ、もはややつをおまえのところに入れてはならん」。しかし師父マルコスは、彼に向かって云った。「わが子よ、こう書かれている。『裁くな、裁かれないために』〔マタイ7:1〕。たとえ罪人であっても、主は彼をゆるしたもう。実際、わしは彼よりも罪人であり」。そして、この言葉の間に祈りをし、その人からダイモーンを追い出して、彼を健康にしたのである。
 さて、司祭がやって来ると、老師はいつもどおり喜んで彼を迎えた。そこで、善なるは、老師の無垢さを見て、彼にある徴を示した。つまり、司祭が聖なる食卓の前に立とうとすると、当の老師が話したところでは —「御使いが天から下って来るのを見た、そしてその手を聖戦者の頭の上に置いた、するとその聖職者は、聖なる奉献祭儀の間、火の柱のように立っていた。この光景にわたしが驚いていると、わしにこのように言う声が聞こえた。「人よ、なぜこの出来事に驚いているのか。地上の王が自分の高官たちに、汚れた上衣のまま正装もせず自分の前に立つことを許さないならば、まして的な力が、天の栄光の前に立つ聖なる秘の祭礼の司式者たちを浄めないことがあろうか」。こうして、浄福なマルコスは、聖職者を断罪しなかったことで、この恩寵にふさわしい者とされたのである。〔アイギュプトス人マルコス〕

(7.)
 あるとき、スケーティスで兄弟が躓いた。そこで集会が関かれることになり、師父モーウセースのところに遣いが出された。しかし、彼は来ようとしなかった。そこで司祭はこう言って彼のもとに遣いをやった。「お越しください、民があなたを待っています」。相手は立ち上がって、出かけた。ただし、穴のあいた籠を取り、砂を満たして、担いだ。彼を出迎えに出て来た人々が彼に言う。「それは何ですか、師父よ」。そこで彼らに老師が云った。「わしの諸々の罪はわしの背中にあふれているが、わしにはそれらが見えない。それなのに、わしは今日、他人の罪を裁こうとしている」。これを聞いた者たちは、兄弟には何も話さず、彼を赦した。〔モーウセース2〕

(8.)
 師父イオーセープが師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうかわたしに云ってください、どうしたら修道者になれるのでしょうか?」。すると老師が云った。「この世でもあの世でも安息を見出そうとするなら、万事においてこう言え。『わたしは何者だろうか』と。そしてひとを裁いてはならない」。〔パネポーのイオーセープ2〕

(9.)
 兄弟が同じ師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「わたしの兄弟の躓き転落を見た場合に、それを秘匿するのは美しいでしょうか」。老師が言う。「われわれの兄弟の転落を秘匿する刻はいつも、もまたわれわれの〔転落〕を秘匿してくださるであろうが、兄弟のを曝く刻には、もまたわれわれのを曝きたもう」。〔ポイメーン64〕

(10.)
 あるとき、共住修道院で兄弟が躓いた。その地域に、隠修者がいた。彼は長い間外出したことがなかった。共住修道院の師父は、その老師のもとに行き、躓いた者について彼に報告した。相手が云った。「彼を破門せよ」。それで、兄弟は共住修道院から出て行って、洞窟に入り、そこで泣いていた。折よく兄弟たちが師父ポイメーンのところに行こうとして、彼が泣いているのを耳にした。彼らが中に入ると、兄弟が非常に苦しんでいるのを見つけた。そこで、兄弟たちは老師のところに行くように勧めた。しかし彼は、こう言ってことわった。「わたしはここで死ぬのです」。
 さて、彼らは師父ポイメーンのところに着くと、彼に話した。すると彼らに頼んで、こう言い遣った。「彼に云え、師父ポイメーンがあなたを呼んでいる、と」。そこで、兄弟は彼のところに行った。老師は彼が大変悲しんでいるのを見て、立ち上がって彼に挨拶し、彼と打ち解け、食事に招いた。そして、師父ポイメーンは、こう言って自分の兄弟のひとりを隠修者のもとに遣わした。「わたしはあなたについて聞き及び、長い間会いたいと思っていましたが、双方のためらいから、互いに会う機会に恵まれませんでした。今、のご意志によってその機会が来たので、ご足労ですが、ここまでお出でください。互いに会いましょう」。相手は自分の修屋から出たことはなかった。しかし聞いて以下の説話を云った。「が老師に霊感を与えなかったならば、わしに人を遣わしはしなかっただろう」。彼は立ち上がり、彼のところにやって来た。彼らは喜んで互いに挨拶を交わし、坐った。師父ポイメーンが彼に云った。「二人の人間がある場にいて、二人とも死骸を持っていました。一人はその死骸を見捨て、もう一人の方のそれ〔死骸〕を泣きに出かけました」。すると老師は聞いて、この言葉に心動かされ、自分のしたことを思い出して、云った。「ポイメーンよ、天高く昇れ。わたしは地に深く下ろう」。〔ポイメーン6〕

(11.)
 兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「どうしたらいいのでしょうか、わたしは坐しているのを軽視するのですが」。これに老師が言う。「何びとをも無視するな、何びとをも断罪するな、決して謗るな、そうすればがそなたに安息をもたらし、そなたの坐は穏やかなものとなる」。

(12.)
 兄弟が、コロボス人・師父イオーアンネースに尋ねた、いわく。「わたしの魂は傷を負っていながら、恥知らずにも隣人を中傷してしまうのはどうしてでしょうか?」。これに老師が、中傷について譬え話を言う。「ある物乞いの男がいて、妻を持っていた。ところが、彼は自分の好みにあった他の女を見て、これをも娶った。ところで、どちらの女も裸であった。さて、あるところで祝祭が催されたとき、〔妻たちが〕彼に頼んだ、いわく。「わたしたちをあなたといっしょに連れていってください」。そこで二人を連れ、大甕の中に入れ、船に積みこんで、その場に出かけた。しかし炎熱となり、人々が静寂を保っているとき、女の一人が覗いて、誰もいないのを見て、堆肥の中に跳びこみ、古いぼろぎれを集めて、自分の腰巻をつくり、いけしゃあしゃあと(meta; parjrJhsiaV)歩きまわった。すると、裸のまま中に坐っていた他方の女が言った。「見よ、あの淫婦は、恥知らずにも裸で歩きまわっている」。すると彼女の夫がうんざりして云った。「これは驚いた。あれは少なくとも自分の不調法を隠蔽している。おまえときたら、素っ裸のくせに、そんなことをいって、恥ずかしくないのか」。中傷についても同様である。〔コロボスのイオーアンネース15〕

(13.)
 あるとき、スケーティスで会議が催され、躓いた兄弟について師父たちが話しあった。しかし師父ピオールは沈黙を守っていた。最後には立ち上がって出て行き、袋を取って、砂で満たし、自分の背に背負い、さらに、砂を小籠に入れて、これをも前に提げた。「これはどういうことか?」と師父たちに尋ねられると、言う。「多くの砂を入れたこの袋は、わしの過失である、多いゆえに、また、これを痛哭する労をとらないですむよう、これをわしの背に放した。また、見よ、こちらはわしの前にいるわしの兄弟の小さな罪であるが、これのためにわしの兄弟を裁くために、無駄話をしている。しかし、このようなことをしてはならない、むしろわしの前にわが罪を置き、それを顧みて、これをわしに赦してくださるよう、にお願いしなければならない」。するとこれを聞いて、師父たちは云った —。「これこそ真に救いの道である」。〔ピオール3〕

(14.)
 師父パプヌゥティオスが云った —。「あるとき、遵をたどっていて、わしは霧のせいで道に迷ったあげく、村の近くに着いたのだが、恥知らずに互いに交接している幾人かの者を目撃した。しかしわしは顔をそむけ、の面前に自分自身を断罪するため身を投げだした。すると、見よ、戦刀を持った天使がやって来て、わしに云った。「パプヌゥティオスよ、自分たちの兄弟たちを裁く者はすべて、この戦刀で滅びる。しかしおまえは断罪することなく、おまえが罪を犯したかのように、の面前で自らをへりくだらせた。それゆえ、おまえの名は生命の書に書き込まれた〔詩編68:29〕」。〔パプヌゥティオス1〕

(15.)
 老師が云った。「そなたが慎み深い人間であろうとも、淫行者を裁いてはならない。そなたも同じように律法を踏み外しているからである。というのは、『姦淫するな』と云われた方が、『裁くな』とも云われたからである」。〔Anony11〕

(16.)
 ある隠修者のもとに、管区の司祭が訪れた、彼に聖なる秘儀の奉献祭儀をするためである。ところがある人が隠修者のところに行って、司祭に任じた。だから、司祭がいつもどおり奉献の祭儀をするため着いたとき、隠修者は気を悪くして戸を開けなかった、そこで司祭は引き上げた、すると見よ、隠修者にこう言う声がきこえた。。「人間たちがわたしから裁きを取り上げた」。そこで忘我状態のようになり、黄金の井戸と黄金の綱、そして黄金の水桶、非常に美しい水を見た。また、ひとりの癩病患者が水を汲み上げて移し替えるのを見、飲みたいと思ったが飲めなかった、汲んだのが癩患者だったからである。すると、見よ、再びこう言う声が彼に聞こえた。「何ゆえ水を飲まないのか? 汲んだ癩患者に何の意味があるのか? 彼はただ汲み上げ、移しただけだ」。隠修者はわれに返り、幻視の力を分別し、司祭を呼んで、従前通り、自分に奉献の祭儀をするように彼にさせたのである。〔Anony254〕

(17.)
 師父たちの一人が、ある人が罪を犯しているのを観て、激しく痛哭しながら云った。「この徴は、明日はわが身」。〔主題別9-19、Anony327a、396〕

(18.)
 共住修道院に、生き方において偉大な二人の兄弟がいて、めいめいが、その兄弟のうえに、の恩寵を見るにふさわしい者となっていた。ところが、あるとき、彼らのひとりが準備の日〔金曜日〕に共住修道院から外に出て行くことがあり、或る者が夜明けから食べているのを見て、これに云った。「準備の日のこんな刻限に食べているのか?」。そしてその後、祈祷会がもたれ、彼の兄弟がいつもどおりに凝視していると、彼から恩寵が離れているのを見て、悲しみ痛んだ。そして修屋に着くや、彼に言う。「何をしたのか、兄弟よ。というのは、以前のようには、あなたの上にの恩寵が見えないのだ」。相手が答えて云った。「わたしは行為においても想念においても、何が悪いのか自覚できない」。これにその兄弟が言う。「何らかの言葉も口にしなかったのですか?」。相手は思い出して云った。「そう、昨日、或る者が明け方に食べているのを見て、彼に云いました。『準備の日のこんな刻限に食べるのか?』と。それこそがわたしの罪です、さあ、二週間わたしのためにいっしょに労苦してください、そして、わたしを赦してくださるようにお願いしよう」。彼らはそのとおりに実行し、そして二週間後、兄弟はその兄弟の上にの恩寵が降るのを見た、そして彼らは願いをかなえられ、善きに感謝したのであった。〔Anony255〕

(19.)
 老師が云った。「たといそなたの面前で罪を犯す者があっても、これを裁いてはならない、むしろ、そなた自身を彼よりも罪人とみなせ。なぜなら、そなたは罪を見ても、悔い改めを見ていないのだから」。 〔主題別20-23(欠番)、Anony327b〕

(20.)
 かつて、師父ポイメーンがアイギュプトスの地方に、住むために赴いたとき、彼の隣に、妻を持った或る兄弟が住持することになった。そして老師は〔そのことを〕知っていたが、彼を批判することはけっしてなかった。 ところが、一夜、彼女が出産することになり、老師は気づいて、自分の年下の兄弟に命じた、いわく。「〔葡萄酒〕1クニディオンを携えて、隣人に与えよ、今日必要だろうから」。しかし彼の兄弟たちは事態を知らなかった。しかし相手は、老師が自分に指図したとおりにした。そうして〔隣人の〕老師は益せられ、痛悔して、数日後、妻を離縁し、彼女が必要とするたびごとに、彼女に与えるようにして、去って老師に云った。「わたしは今日から悔い改めます、師父よ」。そうして去って、老師の近くにおのれのために修屋を建て、足しげく彼のもとに通った。そうして老師はの道を彼に照らし、彼を獲得したのであった。

(21.)
 師父たちの幾人かが、師父ポイメーンに尋ねた、いわく。「兄弟が罪を犯しているのを見たときには、彼を叱ったほうがよいでしょうか?」。彼らに老師が言う。「わしなら、あるところを通過する必要があって、彼が罪を犯しているのを見たら、彼を通り過ぎて、彼を叱ることをせぬ」。〔ポイメーン113〕

(22.)
 また、付け加えて云った。「〔聖書に〕書かれている、『そなたの両眼が目にしたものら、これが証人である』〔箴言25:7〕と。だが、わしはそなたたちに言おう — そなたたちの両手で触ってみたとしても、証人となってはならない。なぜなら、兄弟はそのようにして欺かれたのだ、つまり、彼は自分の兄弟が女と罪を犯しているのを見た、そして、この考えにいたく悩まされ、彼らに違いないと思い込み、行って彼らを足蹴にした、いわく。「もうやめろ」。ところが、見よ、それは麦の束だったのである。だから、わしはそなたたちに云ったのだ —。もしそなたたちの手で感じたとしても、訴え出てはならない、と。〔ポイメーン114〕

(23.)
 ある隠修者が司祭となった。この人物は敬虔さゆえに何びとをも咎めず、万人の過失を気長に耐えていた。ところが、このひとの執事(oijkonovmoV)は教会の事務をロゴスにしたがって処理しなかった。それである人たちが司祭に言う。「どうして執事を咎めないのですか、こんなに軽んじているのに」。司祭は叱責を次の日に見送った。そこで、執事のことで彼に腹を立てている者たちが彼のところにおしかけた。司祭はそれと知って、ある場所に隠れた。で、件の者たちが上ってきたが、司祭が見当たらない。しあkし、彼の習慣から隠れているところを知り、見つけて彼に言う。「どうして隠れるのですか?」。相手が謂った。「60年間、わしがに懇願して修めてきたこと、これをそなたらは2日で強奪しようとするからじゃ」。〔N 462〕

(24.)
 ある老師がいて、日毎にビスケット3つを食していた。この人のもとに兄弟が訪れ、彼らが坐しているとき、兄弟にビスケット3つを供した。そして、老師は必要と見て、さらにもう3つを彼に差し出した。しかし、満腹して生き返るや、老師は兄弟を断罪して、彼に言う。「兄弟よ、肉切れに仕えてはならない」。兄弟は老師に対して悔い改めて、出て行った。ところが、次の日、老師が味わう機になると、いつもどおり3つのビスケットを供し、それを喰ったがまだ空腹で、自分で足した。さらにまた他の日に同じことをつづけた。すると、やめられなくなり、自分にの見捨てが起こったことを老師は知った。そうして、の前に落涙とともに身を投げだし、生じた見捨てについて祈願し、御使いが彼に言うのを見た。「兄弟を断罪したゆえに、そなたにこれが結果した」。そこで、自制したり、他者に善を為すことが可能な者は、自分の能力によって為すのではなく、の善性が人間を力づけるのだと知った。〔Anony20〕

(25.)
 兄弟が老師たちの一人に、修練の理(lovgoV)を自分に解釈してくれるよう尋ねた。「見よ」と彼が謂う、「ある人が事を行うのを見、これをある人に説明します、わたしも」と彼が謂う、「彼を裁くのではなく、ただ話すだけです。されば、それは思量においても中傷ではありません」。すると老師が云った。「情動的衝動を持つなら、中傷である。しかし情動から自由であるなら、中傷ではない。しかしながら、悪を広げないためには、沈黙するのが美しい」。〔N 475〕

(26.)
 さて、他の兄弟が老師に云った。「老師たちのある人のところに行き、何某のところに留まろうと思うのですが、と彼に尋ねたとします、で、わたしの益にならぬと知っていたとします、彼はわたしに何と答えられますか? もし、『行くな』とわたしに云えば、自分の想念で彼を断罪することになるのではありませんか?」。すると老師が云った。「この繊細さを多くの人たちは持たぬ。もしも衝動が情念を持つならば、己をふり返り、理は力能を持たぬ」。「では、どうですか? 『わしは知らぬ』と言う人は、自分自身を自由にするでしょう。しかし、情念から自由になれば、誰かを断罪することはないけれども、おのれを責めるでしょう、いわく。『まこと、わたしもだらしない、そしてそなたの役には立たぬ』と。そして件の人が賢明であるならば、去ることはないでしょう。なぜなら、彼が云った所以は、性悪からではなく、悪を広げないためなのですから」。〔N 476〕

2016.03.04.

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