砂漠の師父の言葉(主題別)16/21
原始キリスト教世界
語録集(Apophthegmata) 13
砂漠の師父の言葉(主題別)
(17/21)
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[底本]
TLG 2742.013 Apophthegmata patrum (collectio systematica) (cap. 17-21)
Gnom., Eccl.
J.-C. Guy, Les apophtegmes des pères. Collection systématique, chapitres xvii-xxi [Sources chrétiennes 498. Paris: Éditions du Cerf, 2005]: 12-214.
Breakdown
17.
(1.)
師父アントーニオスが云った。「わしはもはや神を恐れず、これを歓愛する。『歓愛は畏れを締め出す』〔1Epi.Jo 4:18〕からだ」。〔アントーニオス32〕
(2.)
さらに云った 。生も死もわれわれの隣人から来る。というのは、われわれが兄弟を獲得するならば、神を獲得するが、兄弟を躓かせるならば、クリストに対して罪を犯すことになるからである、と。〔アントーニオス9〕
(3.)
ニトリアの人、師父アモーンが師父アントーニオスを訪ね、彼に云った。「わしはそなたよりも多くの労苦をしているのを見る。いったい、どうして、そなたの名の方が、わたしよりも人々の間で偉大なものとされるのか?」。これに師父アントーニオスが言う。「わしの方そなたよりも神を愛しているからじゃ」。〔ニトリアのアムムゥン(アモーン)1〕
(4.)
師父ヒラリオーンは、パライスティネーから山に、師父アントーニオスのもとを訪ねた、すると、これに師父アントーニオスが言う。「美しくもいらした、夜明けに昇る明けの星よ」。すると、これに答えて師父ヒラリオーンが云った。「あなたに平和がありますように、ひとの住まいする〔全地〕を支える光の柱よ」。〔ヒラリオーン〕
(5.)
師父の三人が、毎年、浄福な師父アントーニオスのもとに下ることを習慣としていた。そして二人は、諸々の想念と魂の救いとについて彼に質問した。しかし一人は何も質問せず、終始沈黙を保っていた。さて、長い間経って、師父アントーニオスがこの者に言う。「見よ、そなたがここに来て随分経つが、何もわたしに質問たことがない」。相手が答えて云った。「わたしには、あなたを見つめているだけで十分なのです、師父よ」。〔アントーニオス27〕
(6.)
(sequitur textus latinus)
〔〕
(7.)
師父たちの或る者が言った 。かつて、われわれが坐して、愛について話し合っていたとき、師父イオーセープが言った。「われわれは、愛とは何であるかを知っているのだろうか?」。そして、師父アガトーンについて云った 彼は小刀を持っていたが、兄弟が彼のところにやって来て、彼に云った 。あなたは美しい小刀を持っておられる、と。すると、〔兄弟が〕それを受け取るまで、彼を放さなかった。〔アガトーン25〕
(8.)
師父アガトーンが云った 。わしはいまだかつて、誰かに対して反発を抱いたままで床に就いたことはなく、誰かがわしに対して反感を抱いたまま床に就くことを、わしにできるかぎり、放置したこともない。〔アガトーン4〕
(9.)
師父ヘーサイアースが云った。「愛は、神に対する、間断なき感謝をもっての多弁ajdolesxivaであるが、神はこの感謝を喜ばれる。それはまた平安の徴である」。
(10.)
かつて、師父イオーアンネースが、他の兄弟たちと連れ立って、スケーティスから上ってきたとき、彼らを道案内していた者が道に迷った。夜だったからである。兄弟たちが師父イオーアンネースに言う。「どうしたらいいでしょうか、師父よ、兄弟が道に迷ったのですが、迷って死ぬことがないようにするには」。彼らに老師が言う。「彼に云えば、彼は悲しみ、恥じるであろう。いざ、見よ、わしが病気を装って、言うことにしよう。『歩くことができないから、夜明けまでここにとどまろう』と」。そしてそのとおりにした。残りの者たちは云った。「わたしたちも先へは行きません、あなたとともに坐りましょう」。こうして、彼らは夜明けまで坐し、その兄弟を責めなかった。〔コロボスのイオーアンネース17〕
(11.)
師父ポイメーンの一派がやって来る前、アイギュプトスにある老師がおり、多大な名声と尊敬を受けていた。しかし、師父ポイメーンの一派がスケーティスから上って来ると、人々は彼を見捨てて、師父ポイメーンのところに行き始めた。彼は心を痛めて、自分の兄弟たちに言う。「人々はあの偉大な老師を見捨て、何者でもないわれわれのところにやってきて、われわれを苦しめているが、われわれはこの偉大な老師に対して、何を為すべきだろうか。どうすれば、この老師を癒すことができるだろうか」。そこで兄弟たちに言う。「少しの食べ物をつくり、革袋一杯分の葡萄酒を持って来てくれ。彼のところに行き、一緒に食事をしよう。そうすれば恐らく彼の心を癒すことができよう」。そこで、彼らは食べ物を持って、出発した。彼らが戸を叩くと、老師の弟子がこう言って訊いた。「あなたがたは誰ですか」。彼らが云った。「師父に取り次いでください、ポイメーンがあなたから祝福を受けることを望んでいます、と」。そこでこのことを弟子が報告すると、こう云って言明した。「行け、わしには暇がない」。しかし、彼らは、こう言って暑さの中を待ち続けた。「わたしたちは老師に認められないかぎり、引き下がりません」。老師は、彼らの謙遜と忍耐とを見て、心を動かされ、彼らのために戸を開けた。そこで、彼らは中に入って、ともに食事をした。彼らが食事をしているとき、老師が言った。「まこと、あなたがたについて聞いていたことだけでなく、その百倍ものことを、あなたがたの業のうちにわしは見た」。こうして、その日から彼は彼らの友となったのであった。〔ポイメーン4〕
(12.)
師父ポイメーンが云った。「誰かに対して絶対に悪行しないようそなたの力を尽くせ、そうしてそなたの心を万人に対して潔白なものとして守れ」。〔*Anony1712〕
(13.)
さらに云った。「『自分の隣人のために自分の魂を捨てること、これより大きな愛をひとは見出すことができない』〔ヨハネ15:13〕。例えば、ひとが、邪悪な言葉、つまり、人を苦しませる言葉を聞いて、たとい自分も同じようなことを云うことができても、それを云わないように闘うとする。また、人に倣慢な態度を取られでも耐え忍び、復讐しないとする。そのような人は、隣人のために自分の魂を捨てているのだ」。〔ポイメーン116〕
(14.)
あるとき、師父パムボーは兄弟たちとともに、アイギュプトスの地方に旅することになった。そして、在俗信徒たちが坐っているのを見て、彼らに言う。「立って、祝福を受けるため、修道者たちに挨拶するがよい。彼らは絶えず神と話しており、彼らの口は聖なるものだからだ」。〔パムボー7〕
(15.)
師父パプヌゥティオスについて言い伝えられている 彼は滅多に葡萄酒を飲まなかった。しかしあるとき、道を歩いていて、盗賊の一団にみつかり、連中が酒を飲んでいるのをしった。首領は彼を見知っており、酒を飲まないことも知っていた。そこで、彼が非常に疲れているのを見てとり、杯に酒を満たし、自分の手に剣を〔執って〕、老師に言う。「飲まないと、おまえを殺す」。長老は、神の命令を果たすつもりだとわかりつつ、また彼に益をもたらすことを望んで、取って飲んだ。すると、首領は彼に対して悔い改め、いわく。「どうかわしを赦してください、師父よ。わしはあんたを苦しめました」。すると老師が言う。「わしは神を信じておる、この杯のために、今の世においても来たるべき永遠の世においても、そなたを憐れんでくださる、と」。首領が言う。「神を信じます、わしは、今後、何びとにも悪行しない、と」。このようにして老師は、神のために自分の意志を捨てることで、一団全員に得をもたらしたのであった。〔パプヌゥティオス2〕
(16.)
師父ヒュペレーキオスが云った。「隣人を諸々の罪から、非難することなく、そなたに可能なかぎり救え。なぜなら、神は回心する者たちをお見捨てにならないからである。そなたの兄弟に対して、悪意と邪悪の文句をしてそなたの心内に生長せしむるな、次のように言うことができるように。『われらの負い目を赦したまえ、われらもまたわれらに負い目ある者たちを赦しますゆえに』〔マタイ6:12〕と」。
(17.)
ある苦行者が、或る者がダイモーンに憑かれて断食できないのを見て、神に対する愛ゆえに(〔聖書に〕書かれているように、おのれのことではなく他者のことを求め、ダイモーンがおのれに寄留し、件の者が自由になるよう祈願した。そういう次第で、その願いを神が聞き入れられ、修行者はダイモーンに押し潰されたが、断食と礼拝と苦行にさらに専念し続けたので、ついに、彼の愛によって、短日時のうちに神が彼からダイモーンを追い出されたのであった。〔Anony354〕
(18.)
二人の兄弟が修屋村にいたが、一人は老人で、若い方に頼んだ、いわく。「いっしょに住持しよう、兄弟よ」。相手が彼に言う。「わたしは罪人で、あなたといっしょに住持することはできません、師父よ」。しかし相手は彼に頼んだ、いわく。「いや、われわれならできる」。ところで、老師は純粋な人で、修道者は姦淫の諸想念を持っているということに耳を貸すことを拒んだ。これに兄弟が言う。「わたしに1週間猶予してください、そうしてもう一度話し合いましょう」。かくて老師がやって来た、すると若い方が彼を試してみようとして言った。「この1週間、わたしはひとつの大きな誘惑の手に墜ちました、師父よ。というのは、村の奉仕者のところに行って、女と転落したのです」。これに老師が言う。「悔い改めたか?」。兄弟が言う。「「はい」。すると老師が言う。「わしが罪の半分をそなたと担おう」。するとこれに兄弟が言う。「これからは、いっしょにいることができます」、そうして彼らの死に至るまでお互いに住持したのであった。〔Anony346〕
(19.)
師父たちの或る者が云った。「誰かがそなたにものを要請したら、むりやりにそれを提供するにしても、与えられることに想念も歓びとすることは、『誰かがそなたを徴用して千歩行かせようとするなら、その者と二千歩行ってやれ』と〔聖書に〕書かれている〔マタイ5:41〕とおりである。これはすなわち、もし誰かがそなたにものを要請したら、全身全霊で彼に与えよ、ということだ」。〔Anony345〕
(20.)
ある兄弟について言い伝えられている 籠を作って、これに把手をつけたところで、彼の隣人が言うのが聞こえた、「どうしようか、市〔の日〕は近いのに、わたしの籠には把手がつけられていない」。そこで彼〔聞いた兄弟〕は、おのれの籠の把手を外し、兄弟のためにに持っていった、いわく。「見よ、これは余分に持っている、受けとりなさい、そうしてあなたの籠につけなされ」。そうして兄弟の仕事をはかどらせ、自分のはやめたのであった。〔Anony347〕
(21.)
スケーティスのある老師について言い伝えられている、 病気になり、新しいパンを喰うべしということになった。兄弟である闘士たちの或る者が聞いて、彼の羊の毛皮を取り、これに干涸らびたパンを〔包み〕、アイギュプトスに出かけて行って、煮物に替え、老師のところに持って来た、するとそれが温かいのを見て、彼らは驚いた。しかし老師は味わうことを拒んだ、いわく。 わたしの兄弟の血である、と。すると老師たちが彼に頼んだ、いわく。「クリストスのために喰え、兄弟の犠牲がむなしくならないように」、そうして彼は頼まれて喰ったのである。 〔Anony348〕
(22.)
兄弟が老師に尋ねた、いわく。 二人の兄弟がいました。ひとりは〔1週間に〕6日続けて静寂を保ち、数々の労苦をおのれに課していたが、もうひとりは具合の悪さに仕えていた。どちらの業を神はより多く迎え入れたものでしょうか?、と。これに老師が言う。「6日を引く兄弟が、もしもおのれを鼻に掛けるなら、具合の悪い情態に仕える〔兄弟〕と同等ではありえない」。〔Anony355〕
(23.)
兄弟が老師に尋ねた、いわく。「今でも行往坐臥に尽瘁する人たちがいるのに、古人のように恩寵を受けないのはどうしてですか?」。これに老師が言う。「かつては愛餐があり、各人も自分の隣人を上へ引き上げたが、今は、愛餐は冷え、各人は自分の隣人を引きずり降ろし、だからこそ恩寵を得られないのじゃ」。〔Anony349〕
(24.)
あるとき、3人の兄弟が刈り入れに出かけ、60アルゥラを請け負った。しかし彼らのひとりが初日に病気になり、自分の修屋に引き上げた。すると二人のうちの一人がもう一人に云った。「見よ、兄弟よ、見てのとおり、われわれの兄弟が病気になった、そこで、君の想念を少し強制せよ、ぼくも少し〔そうしよう〕、そうしたら彼の祈りのおかげで、彼の地所を刈り入れられると信じる」。かくて仕事が完了して、報酬を受け取りに赴くとき、彼らは兄弟に声をかけた、いわく。「行け、君の報酬を受け取るのだ、兄弟よ」。相手が云った。「刈り入れをしていないのに、どんな報酬を受け取れようか」。彼らが云った。「君の祈りのおかげで君の刈り入れができたのだ、だから来て、君の報酬を受け取りたまえ」。しかし、一方は「受け取らぬ」と言い、他方は、「受け取らないなら容赦しない」と言い張り、彼らの間にいつまでも言い合いが起こったので、裁いてもらうため偉大な老師のもとに赴いた。そして、彼に兄弟が云った。「師父よ、われわれ3人は刈り入れに出かけました。ところがわれわれが畑に出かけたとき、初日にわたしが病気になり、1日も刈り入れることなく、わたしの修屋に引き上げましたが、兄弟たちがわたしに強要するのです、いわく。『来て、君が刈り入れなかった報酬を受け取れ』と」。また他の二人も云った。「師父よ、われわれ3人は60アルゥラを請け負いましたが、われわれ3人では、それを仕上げることはできなかったでしょうが、この兄弟の祈りのおかげで、われわれ二人は簡単に刈り入れを終えられました、それで彼に言うのです。『君の報酬を受け取れ』と、しかし彼は拒むのです」。老師はこれを聞いて、驚嘆し、自分の兄弟〔弟子〕に云った。「叩け、兄弟たちがみな集まるよう」。そして全員が集まると、彼らに云った。「こちらへ、兄弟たちよ、今日、義しい裁きを聞くがよい」。そうして老師は彼らにすべてを報告し、兄弟には自分の報酬を受け取り、それで何でも好きなことを実行するよう裁断した、すると兄弟は、泣きながら悲しみながら出かけていった。〔Anony350〕
(25.)
老師が云った。「われわれの師父たちは、単独で修行しようと望む新参の兄弟たちの修屋を訪問し、彼らの中に、ダイモーンたちに試みられて、想念を害されている者がいないか視察する慣例があった。そうして、もしも彼らの中に害されている者が見つかれば、これを教会に連れて行き、水盤が据えられ、病んだ者のために祈りが上げられ、兄弟たちが全員で水浴させ、彼の上に水を掛けると、すぐに快癒するのであった。〔Anony351〕
(26.)
二人の老師が長年お互いに坐していたが、いまだかつて喧嘩をしたことがなかった。そこで一人がもう一人に云った。「われわれも人間どものように一つ喧嘩をしてみよう」。相手が答えて云った。「どうやって喧嘩が起こるのかわからない」。相手がこれに云った。「見よ、plhnqavriVを真ん中に置こう、そうしてぼくのものだとぼくが言おう、君も、否、ぼくのものだと言う、するとここから始まるのだ」。そこでplhnqavriVを真ん中に置いて、ひとりが言う。「これはぼくのものだ」。そこでもうひとりが云った。「いや、ぼくのものだ」。すると他方が云った。「君のものなら、取りたまえ、そうして下がりたまえ」。そうして彼らは別れた、お互いに愛勝することも見出せずに。〔Anony352〕
(27.)
兄弟が師父ポイメーンに尋ねた、いわく、 そのひとの躓きについて聞き及んだ兄弟に出会ったら、彼がわたしの修屋に入ることをわたしは拒みます。しかし美しい〔兄弟〕に出会ったら、彼とともに喜びます」。これに老師が言う。「美しい兄弟にわずかな善を施すならば、もう一方に対しては二倍を施せ。後者こそ病人だからだ。〔ポイメーン70前半〕
(28.)
同じ師父アガトーンが云った、 わしは未だかつて愛餐を与えたことはない。しかし、授受はわしにとっての愛餐であった。わしの兄弟の利得は、実を結ぶ業だと思量するゆえに。〔アガトーン17〕
(29.)
兄弟が師父たちのある病人に仕えていた。その身体は痛み、化膿した悪臭とともに熱を発することになった。兄弟の想念が云った。「逃げ出せ。この悪臭に堪えることはできないのだから」。しかし兄弟は陶器を取って、病人の膿をその中に投げこんだが、自分の想念が逃げろと言いはじめると、想念に云った。「逃げるな、この悪臭を飲むこともするな」。そうして兄弟は刻苦し、老師に仕えることを堅持し、神が兄弟の刻苦を見て、老人を癒やされた。〔Anony356〕
(30.)
兄弟が老師に尋ねた、いわく。「どうすれば、人は神を愛する恩寵を得ることができるのでしょうか?」。相手が答えて云った。「ひとが自分の兄弟が過失を犯しているのを見、彼について神に助けを求めるなら、そのとき神を愛すべき仕方を悟るであろう」。〔N 636〕
(31.)
老師が云った。「諸善の頭として愛を所有しよう。断食は無であり、徹宵は無であり、いかなる労苦も、愛なくしては無である。〔聖書に〕書かれているからである。『神は愛である』〔1ヨハネ4:8、4:16〕と」。
(32.)
師父たちは言うを常とした 悪魔は何でも真似することができる。断食なら、当人が喰うことはけっしてなかった。徹宵なら、当人が眠ることはけっしてなかった。だが、謙虚さや愛だけは、当人が真似ることができなかった。されば、われわれにとっての数々の競合をして、その中に愛をもち、悪魔が諸天から墜落した所以の傲りを憎むことができるようあらしめよ、と。
(33.)
師父ニケータスは、ある二人の兄弟について言うを常としていた、 彼らはいっしょに住むために落ち合った。一人は心の中で思量した、 わたしの兄弟が望むことは何でも、それを行おう、と。同様に、別の者も思量した、 わたしの兄弟の意志を行おう、と。そして、彼らは長年、大いなる愛をもって生きてきた。しかし敵がこれを見て、彼らを引き離そうとして、やって来た。そして戸口に立つと、一方にはハトとして、他方にはカラスとして現れた。一人が言う。「このハトが見えるか」。もう一人が言う。「カラスだ」。そうして各人各様に言って愛勝しはじめ、立ち上がって、流血に至るまでの喧嘩をして、敵の完全に喜ぶところとなり、彼らは喧嘩別れした。しかし3日後には後悔して頭を振った。そうしてお互いに悔い改め、自分たちの各々が見た鳥を何と思量したか告白しあった。そうして敵の戦争を知り、最後まで別れることなく過ごしたのであった。〔ニケータース〕
(34.)
あるとき、師父セラピオーンが出かけて行き、アイギュプトスのとある村を通りかかった。そうして、ひとりの娼婦が自分の小屋の中に立っているのを見かけた。そこで彼女に老師が云った。「今晩わしを待っていなさい。そなたのところに来て、今夜あなたのそばで過ごしたいから」。彼女が答えて云った。「美しいですわ、師父よ」。そこで彼女は支度をし、寝台に敷布を掛けた。さて、夜になって、老師は彼女のところへやって来て、小屋に入り、彼女に言う。「寝床の準備をしたか」。彼女が云った。「はい、師父よ」。そこで扉を閉めて、彼女に言う。「少し待て、われわれは規則を有するから、それを行うまでは」。そうして老師は自分の時課祈祷を始めた。つまり、詩編朗誦を始め、各詩編ごとに祈りを上げて、彼女が悔い改めて救われるよう、彼女のために神に願ったのだ。そして、神はそれを聞き入れられた。女は立っていた、震えながら、老師のそばで祈りながら。そうして老師が全詩編を唱え終わるや、女は地面に倒れた。すると老師は使徒の書を読み始め、その多くの部分を云った。こうして時課祈祷を満了したのである。
かくて女は打ち砕かれ、悔恨の情に打たれ、〔老師が〕自分のところに来たのは、罪を犯すためではなく、自分の魂を救うためであったことを悟り、彼の前にひれ伏した、いわく。「愛餐を行ってください、師父よ、そうして神の御旨に適うことができるところまで、わたしを導いてください」。そこで、老師は彼女を乙女たちの修道院に導き、彼女を教母に預けて、云った。「この姉妹を受け容れてください、しかし、彼女には、姉妹たちに対するような束縛や命令を与えず、欲しがるものを与え、したいことをすることを彼女に許してください」。すると、幾日か経って彼女は云った。「わたしは罪の女です。二日に一度だけ、食事をしたいのです」。さらに数日後、彼女は云った。「わたしには多くの罪があります。四日に一度食事をしたいのです」。さらに数日後、彼女は教母に呼びかけた、いわく。「わたしはわたしの不法によって神を大変悲しませましたので、施しをしてください、そしてわたしを修屋に入れ、これを閉じ込め、通気孔からわずかのパンと手仕事を与えてください」。教母はそのとおり彼女にした。そして、その生涯の残りの問、神の御旨に適う者となったのである。〔セラピオーン1〕
(35.)
老師が言った 師父たちの或る者が、「無味乾燥だが不規則でない暮らしは、愛に軛でつながれていれば、これを獲得した者を無心(ajpaqeiva)の港へと、より速やかに案内する」と云った、と。〔主題別1-4、10-193、エウアグリオス6〕
2016.04.30.
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