砂漠の師父の言葉(主題別)19/21
原始キリスト教世界
語録集(Apophthegmata) 13
砂漠の師父の言葉(主題別)
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(t.)
(1.)
師父ドゥラースが語り伝えている、いわく 。あるとき、わしと師父ビッサリオーンとが砂漠をめぐっていて、或る洞窟にたどりついて、或る兄弟を見つけたが、彼は坐して、縄を綯って、われわれには顔も向けず、挨拶もせず、わたしたちとまったく言葉を交わそうともしなかった。そこで老師がわしに言う。「ここから立ち去ろう、恐らく、この兄弟はわれわれと話すことに満足を覚えないのだ」。そして、そこから、師父イオーアンネースを訪ねるため、リュコーンへの道をとった。
さて、われわれが帰る途中、兄弟を見たあの洞窟に再びやって来た。すると、老師がわしに言う。「彼のところに入ろう、おそらく神が、われわれと話す気を彼に起こさせたかもしれない」。そして中に入ると、彼が命終しているのを見つけた。すると老師がわしに言う。「こちらへ、兄弟よ、彼の身体を包もう、なぜなら、そのためにこそ神がわれわれをここに遣わしたのだから」。そこでわれわれが彼を埋葬するため包んでいるとき、実は女性であることを見出した。すると、老師は驚嘆して、云った。「見よ、女たちもどのようにしてサターンを組み伏せるかを。そしてわれわれが、都市都市で恥しらずな振る舞いをしているかを」。そして、御自分を愛する人々を守る神を栄化し、それからそこを立ち去ったのであった。〔ビサリオーン1〕
(2.)
師父たちの或る二人が、自分たちがどれほどの境位に達しているか確信を持たせてくださるよう、神に願った。すると彼らに声が聞こえてきた、いわく。アイギュプトスのこれこれの村に、エウカリストスという名の平信徒がいるが、その妻もマリアと呼ばれる。そなたたちはまだ彼らの境位に達していない、と。そこで二人の老師は立ち上がり、その村に赴いた。そうして尋ね回って、彼の小屋とその妻を見つけ出した。そして彼らが彼女に言う。「あなたの夫はどこにいますか?」。彼女が云った。「羊飼いで、羊の群に草を食ませています」。そして彼らをその小屋へ招き入れた。さて、夕方になって、エウカリストスが羊たちとともに帰って来た。老師たちを見ると、彼らのために食卓を設けて、彼らの足を洗うために水を運んで来た。だが、老師たちは彼に言う。「あなたの業をわたしたちに教えてくれなければ、わたしたちは何も食べません」。エウカリストスが謙虚に云った。「わたしは羊飼いで、これはわたしの妻です」。老師たちは彼に願い続けたが、彼は云うことを拒んだ。そこで彼に云った。「神がわたしたちをあなたのもとに遣わしたのですよ」。するとこの言葉を開いて彼は恐れを抱き、彼らに云った。「見よ、この羊たちはわたしたちの親から譲り受けたものです。そして、これらから首尾よく得られるように主がしてくださるものは何でも、三つに分けます。一つは貧しい人々のため、一つはもてなしのため、一つはわたしたちに必要な分です。で、わたしが妻をめとって以来、わたしも妻も床をともにせず、彼女は処女です。そしてわたしたちの銘々は独りで眠っています。そして、夜は苦行衣を身に着け、昼はわたしたちの上衣を着ています。今まで誰もこのことを知りませんが」。これを聞いて彼らは驚嘆し、神を栄化しつつ帰って行った。〔平信徒エウカリストス〕
(3.)
師父べーティモスが、師父マカリオスが語り伝えていた、と言うを常とした、いわく。「かつて、わしがスケーティスで坐していたとき、二人の異邦の若者が下ってきた。一人は顎髭を生やし、もう一人は生やしかけていた。彼らはこう言ってわしのところにやって来た。「師父マカリオスの修屋はどこですか?」。そこでわしが彼らに云った。「彼に何の用か?」。すると彼らが言う。「あの方とスケーティスとのことを聞いて、彼に会うためにやって来ました」。彼らに言う。「それはわたしだ」。すると彼らはひれ伏した、いわく。「わたしたちはここに留まりたいのです」。しかしわしは、彼らが贅沢で、裕福な出であることを見て取って、彼らに言う。「そなたたちはここに住持できまい」。すると年長の方が言う。「ここに住持できないのであれば、よそに行きます」。わしはわしの想念に言う。『何ゆえ、わしが彼らを追い払ったり、躓かせたりしようとするのか。労苦が彼らを自分たちから逃げ出させるだろう』。そこで、彼らに言う。「こちらへ、できるならば、自分たちのための修屋を建てよ」。すると彼らもまた言う。「わたしたちに場所を示してください、そうすれば建てます」。そこで彼らに斧と、パンと塩で満たした小籠(ajnabokivdion)を与え、また、彼らに鉄の岩場を示した、いわく。「ここで石を切り、自分たちのために沼地から材木を運び、屋根をふいて坐すがよい」。だが、わしは、彼らが労苦のために逃げ出すだろうと思いなしていた。ところが彼らは、ここで何をして働くべきか、わしに尋ねた。そこで彼らに言う。「縄を〔綯え〕」。そうして、沼地からナツメヤシの枝を取って、縄の綯い始めと、どのようになうべきかを示した。そして彼らに云った。「籠を編んで、監督者たちに渡せ、そうすれば、そなたたちにパンをくれる」。そのうえで、わしは立ち去った。しかし彼らは、忍耐をもって、わしが彼らに云いつけたことすべてを為したが、3年の間、わしのもとを訪ねることはなかった。
さて、わしは諸々の想念と闘いつづけた、いわく。「彼らの業はいったいどうなっているのか、わしに想念を尋ねに来ないとは? はるか遠くからの連中が、わしのところに来るのに、近くにいるこの者たちはやって来ず、他の者のところに行くこともなく、ただ教会で奉献祭儀を黙ってうけるだけだ」。そこで、わしは1週間断食して、彼らの為業をわしに示してくださるようにと、神に祈った。で、1週間後、わしは立ち上がり、彼らがどのように坐しているかを見るために、彼らのところに出かけた。そしてわしが扉を叩くと、彼らは開け、黙ってわしに挨拶した。わしは祈りをなして、坐った。すると年長の方が年少の方に、出て行くように合図して、何も話しかけずに、縄をなうために坐った。そして、第9時に、彼が手を叩くと、年少の方が戻って来て、粥を少しつくり、食卓をしつらえた、年長の方が彼に合図したからである。そして、彼はそこに3つのビスケットを置いて、黙って坐った。そこでわしが云った。「立ち上がれ、食べよう」。そして、われわれは立ったまま食べた。すると彼が水差しを持って来たので、われわれは飲んだ。そして夕方になると、彼らがわしに言う。「出かけられますか?」。しかしわしは云った。「いや、ここで眠ろう」。すると、彼らはわしのために隅のほうに茣蓙を敷き、別の茣蓙を自分たちのために別の隅に敷いた。彼らは自分の帯と肩衣とを解き、わたしの向かい側に、一緒に茣蓙に身を横たえた。
彼らが身を横たえると、わしは、彼らの為業をわたしに開示してくださるように、神に祈った。すると、屋根が開き、真昼のような光が差し込んできた:。しかし、彼らにはその光は見えなかった。彼らはわたしが眠っていると考えたので、年長の者が若いほうの横腹をつついて起こした。彼らは帯を締め、手を天に伸ばした。わたしは彼らを見ていたが、彼らはわたしを見ていなかった。すると、わたしはダイモーンたちが蝿のように若いほうの修道者に寄って来るのを見た。或る者は彼の口の中に、他の者は眼の上に居座ろうとした。わしはまた、主の使いが火の剣を持って彼を取り囲み、彼からダイモーンたちを追い払うのを見た。しかし、年長の修道者には近づくことができなかった。
夜明け頃、彼らは身を横たえた。わしも眠りから目を覚ましたように振舞い、彼らも同じようにした。年長の者が、次の言葉だけをわしに云った。「詩編を12編唱えてもよいでしょうか」。わしが言う。「よし」。すると若い方が6つの唱句とアッレールゥイアを唱え、5つの詩編を歌うと、唱句に従って、火のような松明が彼の口から出て、天に昇っていった。同じように、年長の者が詩編を唱えるためにその口を開くと、火の縄のようなものが出て来て、天まで昇っていった。わしも心から少し歌った。外に出ながらわしは言う。「わしのために祈ってほしい」。しかし彼らはひれ伏した、黙ったまま。そこで、わしは、年長の者は完徳に達しているが、若い方は、敵がいまだ闘いをしかけてくることを知った。ところが、数日後、年長の者が永遠の眠りにつき、さらに3日後には若い方が〔死んだ〕。それからは、師父たちの何人かが師父マカリオスを訪ねるたびに、こう言って彼らをかの兄弟たちの修屋に連れて行った。「来て、異邦の若者たちの殉教の場所を見よ」。〔エジプトのマカリオス33〕
(4.)
あるとき、アイギュプトス人マカリオスが、師父パムボーの行う奉献の祭儀のために、スケーティスからニトリアの山にやって来た。すると彼に老師たちが言う。「兄弟たちにおことばをください、師父よ」。相手が云った。「わしはまだ修道者になれないでいるが、修道者たちを見たことはある。というのは、あるとき、わしがスケーティスで修屋に坐っていると、諸々の想念がこう言ってわしにたかった。『砂漠に去れ、そして、そこでそなたが何を目にするか見よ』。しかし、わしは5年間、『これはダイモーンから来たのかもしれない』と言って、想念と闘い続けた。しかし想念が続いたので、砂漠へと向かった。
そして、〔水の〕湖を見つけ、その中央には島があった。砂漠の獣たちがそこに水を飲みに来ていた。すると、その真中に二人の裸の人間を見つけた。わしの身体は怯んだ。霊であると思ったからである。しかし彼らは、わしが怯んでいるのを見ると、わしにはなしかけた。『恐れるな。われわれも人間なのだから』。そこで彼らに云った。『あなたたちはどこから来たのですか、どうしてこの砂漠に来たのですか』。彼すると彼らが云った。『われわれは共住修道院の出身である。われわれに同意が得られたので、ここに来た。見よ、40年になる。一人はアイギュプトス人、もう一人はリビュア人だ』。自分たちも、こう言ってわしに質問した。『世間はどうか。また、その時宜にかなって雨は降るかどうか、世間はその豊作を得ているかどうか』。そこで彼らに云った。『はい』。わしも彼らに尋ねた。『どうすれば修道者になれるでしょうか』。するとわしに言う。『世俗のものすべてから出離しなければ、修道者になることはできない』。そこで彼らに云った。『わたしは弱いので、あなたたちのようにはできません』。すると彼らもわしに云った。『仮にわれわれのようにできないのならば、そなたの修屋に坐れ、そしてそなたの罪を泣くがよい』。そこで彼らに尋ねた。『冬が来たら、凍えるのではありませんか。また、暑くなったら、あなたがたの身体は焼けるのではありませんか』。彼らが云った。『神がわれわれにこのような生活を授けてくださった。だから、冬でも凍えず、夏にも暑さがわれわれに不正することはない』。そういう次第で、わしはまだ修道者になれないが、修道者たちを見たことはある、とそなたたちに云ったのじゃ。どうかわしを赦してほしい、兄弟たちよ」。〔エジプトのマカリオス2〕
(5.)
あるとき、師父シソエースは師父アントーニオスの山に住持していた。そうして、彼の奉仕者が彼のもとに来るのが遅れたので、10か月間、人間を見ることがなかった。ところで、彼が山を歩いていたとき、野生の生き物を狩っているファラン人を見つけた。そこで、これに老師が言う。「どこから来たのか。ここにどれくらいいるのか」。すると相手が謂った。「じつに、師父よ、11か月この山にいるのですが、人間を見たことがありません、あなた以外には」。すると、これを聞いて老師は、修屋に入って、こう言って自らを打った。「見よ、シソエースよ、おまえはひとかどのことをしたと考えていた。しかし、この在俗の者がしてきた高みにも達していないのだ」。〔シソエース7〕
(6.)
師父シソエースについて言い伝えられている、 修屋の中に坐っているときは、いつも戸を閉じていた。〔シソエース24〕
(7.)
師父シソエースについて言い伝えられている、 彼が命終せんとしたとき、師父たちが彼のそばに坐っていたが、彼の顔は太陽のように輝いた。そして、彼らに言う。「見よ、師父アントーニオスがいらっしゃった」。そしてしばらくして言う。「見よ、預言者たちの一隊がやって来た」。そうして、彼の顔はさらにますます輝いた。そして云った。「見よ、使徒たちの一隊が来た」。彼の顔はさらに倍も輝きを増した。そして、見よ、みずから何人かと話しているようであった。そこで老師たちが彼に頼んだ、いわく。「どなたと交わっておいでですか、師父よ」。相手が謂った。「見よ、天使たちがわしを連れにやって来た迎えに来た、それで頼んでいるのだ、悔い改めるためしばし猶予してくれるよう」。そこで老師たちが彼に言う。「悔い改める必要はないでしょう、師父よ」。すると老師が彼らに云った。「まこと、何を始めたのか自分でわからぬ」。そこで、完徳者だとみなが知った。すると突然、またもや彼の顔は太陽のようになった。そこで、皆は畏怖した。すると彼らに言う。「見よ、主が来られた、そして言われる。『砂漠の器をわたしのところに連れて来い』〔使徒言行録9:16〕と」。すると直ぐに彼は息を引き取った。そうして稲妻のようなものが現れ、家全体が芳香に満たされた。〔シソエース14〕
(8.)
師父オールについてこう言われている 彼はいまだかつて嘘をついたこともなく、誓ったこともなく、人を呪ったこともなく、必要なとき以外しゃべったこともない。〔オール2〕
(9.)
同じ人が自分の弟子に言った。「注意せよ、この修屋に余計な言葉を決して持ち込まないよう」。〔オール3〕
(10.)
スケーティス人たちについて言い伝えられている 彼らの間に傲り(e[parsiV)がなかったのは、彼らが諸徳において抜きん出ていたからである。例えば、或る者は2日に一度食事をし、或る者は4日に〔1度〕、或る者は1週間に〔1度〕であった。或る者はパンを食べなかった。簡潔に云えば、あらゆる徳に飾られた聖なる人たちであった、と。〔N 467〕
(11.)
ある弟子が、自分の師父について語った まる20年間、脇腹を下に横になったことなく、自分の座(そこで仕事をした)に坐ったまま眠った。食事を摂ったのは、2日おきか、4日おきか、5日おきで、20年間そうであった。しかも食事するときには、自分の一方の手は祈りのために差し伸べ、もう一方の手で食事を摂り、そこでわたしが彼に、「それは何ですか? なぜそんなふうになさるのですか、師父よ」と云うと、わたしに向かって答えた。「神の裁きをわしの眼前においておる、わしはじっとしておれんのじゃ」。さて、われわれの祈祷集会がもたれたとき、わたしはど忘れし、詩篇の語を思い出せなかったことがある、すると祈祷集会を終えるや、老師が答えて云った。「わしが祈祷集会を執り行っていたら、わしの下から火が燃えあがっているように思われ、わしの想念は右とか左に傾くこともできなかった。われらが祈祷会を持っているとき、そなたの想念はどこにあったのか、詩篇の言葉がそなたに忘れられたのはなぜなのか? そなたはわかっているのではないか、そなたが神の目前に立ち、神に話しかけていることが」。
あるときには、老師は、夜、出かけて行き、わたしが修屋の中庭で眠っているのを見つけ、老師はわたしのことを嘆きつつ立っていた、そうして泣きながら言った。「いったいこやつの想念はどこにあるのか、こんなにのんきに眠っているとは」。〔Anony146〕
(12.)
ある偉大な長老たち二人が、スケーティスの荒野を旅した。すると、大地から誰か呟いているのを耳にした。洞穴の入口を探し出した。そこで入っていった。一人の聖なる処女の老女が横たわっているのを見つけ、これに言う、「いつここに来られたのか、老女よ。いったいあなたの奉仕者は誰ですか」。というのは、彼らは洞穴に何も見かけなかったからである、横たわって病んでいる彼女一人以外は。すると彼女が云った、「わたしは38年間、この洞穴の中で、草に満足し、クリストスに隷従してきました。そうして人間に会ったことがありません、今日以外は。なぜなら、あなたがたを神がお遣わしになったのです、あなたがたがわたしの遺骸を埋葬するために」。そうしてこれを云うと、彼女は永眠した。そこで長老たちは神を誉めたたえた。そうして彼女の死体を埋葬し、立ち去ったのである。〔N132C〕
(13.)
或る隠修者について語り伝えられている ― 〔その隠修者は〕大鍋だけを持って荒野に出て行った。そうして3日間巡り歩いて、岩に登り、その下方に青物と、〔その草を〕獣のように食んでいる人間を見た。そこで、ひそかに下りていって、これを捉まえた。しかしそれは裸の老人であった。そうして、人間どもの臭いを我慢できず、軽視していた。相手をすり抜け逃げることができた。しかしくだんの兄弟は、その後を走って追いかけながら叫んだ、「神のためにあなたを追いかけているのです。わたしを待ってください」。すると相手は振り返って彼に云った、「わしも神のためにおまえから逃げているのだ」。そこで彼は大鍋を投げ捨て、彼の後を追い掛けた、すると相手が自分の外衣を投げ捨てたと見るや、彼を待ち受け、そうして近づくと彼に云った、「あなたは世俗の質料をあなたから投げ捨てた。わたしもあなたをそばに留まろう」。そこで〔隠修者は〕彼にこう言って懇願した、「師父よ、どうすれば救われるかお言葉をわたしにください」。すると相手は彼に云った、「人間どもを避けよ、そうして沈黙せよ、そうすればそなたは救われよう」。〔N132D〕
(14.)
ケッリアに住んだ或る者について言い伝えられている 次のような規則を持っていた、と。夜は4時間眠り、4時間時課祈祷に立ち、4時間働いた。さらに昼は第6時まで働き、第6時から第9時まで朗読し、おのれのナツメヤシの枝を裂き、9時から残りは食糧のことを配慮し、修屋の片手間仕事を持った、じつにこのようにして1日を過ごしたのである。
(15.)
隠修者の一人が、ライトー〔紅海のほとり、シナイ山の近く、今のTor〕にある兄弟たちに物語った。そこは、ナツメヤシの幹70本があるところ。ここは、モーゥセースがエジプトの地から脱出し、その民とともに屯営したところである。そうして、〔隠修者の一人が〕言ったのは、以下のごとくである。
かつて、わしはもっと奥の荒野に出離しようと思い立ったことがある。そう云っていると、わしよりも奥で過ごしている者を見つけた。しかも、彼は主人であるクリストスに隷従していた。そこで、4昼夜旅をして、洞穴を見つけた。そこで近づいて、中をうかがった。そうして、いっしょに坐っている人間を目にした。そこで、修道者たちの習慣どおり、彼が出てきてわたしに挨拶するものと思って扉を叩いた。が、彼は動かなかった。というのは、休息していたからである。しかしわしは何も気にしなかった。入っていって、彼をその肩で掴んだ。すると簡単に崩れ、塵になった。なおもよく見ると、下着(kolovbion)がぶらさがっているのを目にした。そこでこれをも掴んだとたん、ばらばらになって、何もなくなった。そこで困惑して、そこから出て行き、荒野を渡っていったところ、またも別の洞穴と人の足跡を見つけた。上機嫌になって、その洞穴に近づいた。しかし再び叩いたが、誰一人わたしに応えなかったので、入っていったが、誰も見つからなかった。そこで洞窟の外に立って、わたし自身に言った。「神の僕が来るに違いない。しかしどこにいるのか」。やがて日が暮れると、大型レイヨウと、神の裸の僕が来るのをわたしは目にした。その毛髪によって、身体の不格好な肢体は覆われていた。で、わたしに近づいて来るや、わたしを霊だと思ったらしい。礼拝するために立ち止まった。というのは、後に彼が言ったところでは、霊たちによってさんざん試みられていたからである。そこでわたしはそれと気づいて、彼に言った、「わたしは人間だ、神の僕よ。わたしの足跡を見よ、わたしに触って、わたしが肉と血であることを知れ。だから、アメーンをもってわたしをよく見よ」と彼は呼びかけられた。そうしてわしを洞穴の中に迎え入れ、尋ねた、「どうしてここにやって来られたのか」と。そこでわしは言った、「神の僕たちを探し求めるためにこの荒野にやって来ました。しかしわたしの欲望は強くされませんでした」。わしも彼に質問して言った、「されば、あなた自身もどうしてここにやって来たのですか。そうしてどれほどの期間を過ごし、どうやって食糧を得ているのですか。またどうして裸で、着物を必要としないのですか」。〔N132A〕
すると彼が謂った、
「わしはテーベの共住修道院にいた。麻布織りを仕事としていた。しかし想念がわしに忍びこんでこう言う、「出て行け、自分ひとり座せ、そうして、静寂を守り、客遇し、おまえの仕事の融通からもっと多くの報酬を手に入れられるようにせよ」と。そこでこの想念にわしは同意した。そうしてまさに仕事をやめにした。というのは、修道院に住んでいたからじゃ。命令をくだす者たちをわしは持っていた。で、集められたものらをすべて焼いて、物乞いたちや外人たちに分配することを競っていた。しかし、われわれの敵である悪魔は、わたしに起こるはずの方向転換をいついつまでも妬んでいた。神に労苦を捧げる急いでいたときに?、処女に留まっていたひとりの女が、わしに姿を命ずるのをわしは知った?。しかも、わしが実行し与えたのに?、またもや他のことをわしに命じるよう彼女をそそのかした?。それ以降、馴染みと気安さ(parrhsiva)が生じた。ついにつまらぬことを許しさえした?。そうして笑いと、いっしょに摂る食事が陣痛に苦しみつつ無法(ajnomiva)を産んだ。そこで、わしは彼女と6ヵ月間、躓きの内にとどまったものの、今日か、明日かと思量しておった。多年の後では、死にすり替えられて、永遠の懲らしめを受けるだろう。なぜなら、人間の女を堕落させる者は、永遠の懲らしめにすり替えられるのじゃから。クリストスの花嫁を堕落させるとは、どれほどの罰に値することか。じつにそういうふうにして、ひそかにこの荒野に駈けこんだのじゃ、すべてをその女に任せて。そうして、ここにやって来て、この洞穴とこの泉を見つけた。そうしてこのナツメヤシが、ナツメヤシの12本の小枝をわしにもたらしてくれる。毎月1本の小枝をもたらしてくれ、これが30日間わしを満たしてくれる。その後は別の〔小枝を〕熟させるのじゃ。長い間に、わしの髪の毛は伸び、わしの外衣はぼろぼろになったが、この〔毛髪〕によって身体の部分をわしは包んでいるのじゃ」。
さらにわたしが、初めのころ、ここが嫌だったかどうか彼に質問したところ、彼は謂った、
「初めの頃、ひどくしごいた。その結果、肝臓から〔心から?〕地面に横たわるほどじゃった。すると、わしは立ったまま集会(suvnaxiV)を仕遂げるができなくなり、地面に横たわったまま至高者に向かって叫んだほどじゃ。それで、わしは洞穴の中にいて大いなる失意と労苦に陥った。その結果、以降は出かけることができなくなった。人が入って来て、わしの隣に立ち、わしにこう言うのを目にした、「何を患っているのか」。するとわしはたちどころに少し元気になったので、云った、「肝臓を患っています」。するとわしに云った、「どこを患っているのか」。そこで彼に示すと、自分の手の指を真っ直ぐに結んで?、剣のように患部を切り裂いた。そうして肝臓を引っぱり出した。わたしにその傷を示した。そうして手で殺いで、そのかさぶたを薮の中に投げ入れた。そうして再び肝臓を納め、手でその箇所を拭ったうえで、わたしに云った、「見よ、おまえは健康になった。主人たるクリストスにふさわしいように仕えよ」。以来、わたしは健康となった。そうして、それからはここで爽快にしごいている」。
そこでわたしは彼をあれこれ励ました結果、先の洞穴でわたしをしごき、ダイモーンたちの突進に耐えられないと云った。わたしもその点で裁かれ、祈ることでわたしを解放するよう励ました。そうして祈って、解放した。そうして以上のことをわたしが物語ったのは、あなたがたにとって益となるためである。 〔3Apophthegmata〕
(16.)
さらに他の長老が言った、この人は、オクシュリュンコスの監督として認められた人物であるが、この人物に、別のある人が物語ったというのである。この〔別のある〕人こそ、それを実行したことのある当の人物であった。
「わしにはよいと思われたのじゃ」と〔その当の人物が〕謂う、「オーアサス?よりもっと奥の荒野に行き、そこにはマジコイ人の種族がいたが、クリストスに隷従する人をわしが見つけられるかどうか見るのがよいと。そればかりか、わずかの固い乾しパン(paxamavtia)を取り、また約4日分の水で旅をつづけた。しかし4日が過ぎた。食べ物が尽きた。どうしたらよいか困った。しかし勇み立って、捨て身になった。そうしてさらに4日間、食べ物のないまま旅をした。しかし食べ物のないことと旅の疲れで、もはや身体の張りを保てなかった。気を失ったばかりか、地面に倒れた。すると何かがやって来た。自分の指でわしの唇に触れた。ちょうど医者のように、肢体に眼を走らせた。するとすぐにわしは元気になった。その結果、わしは旅をしたこともなければ飢えたこともなかったように思った。されば、この力がわたしに入りこむのを見たかのように。立ち上がって、荒野を渡っていった。で、さらに4日がすぎたとき、再びわしは意気阻喪した。そうしてわしの両手を天に差しのべた。すると見よ、先ほどの人がわたしに力を与えた。そうして再び指でわたしの唇を塗布し、わたしを強固にした。さらに17日間、わたしは遍歴し、その後、小屋とナツメヤシと水を見つけた。また人も立っていた。その頭の毛は彼の着物になっていた。すべて灰白色であった。見た目も恐ろしかった。しかしわしを見ると、礼拝のために立った。そうしてアメーンをし終わった。わしが人間だと知り、わしの手を掴んで、こう言って尋ねた、『どうしてここにやって来たのか、世俗のことはすべてまだ続いているのかどうか、迫害はまだ支配しているのかどうか』。そこでわしは云った、『主であるクリストスに真理とともに隷従しているあなたがたのために、わたしはこの荒野をめぐっているのです。迫害の件は、あの方の力によって止みました。で、あなた自身も、どうしてここにおられるのか、わたしに謂ってください』。すると彼は慨嘆して泣いた。言いはじめた、『わしはたまさか監督であったが、迫害が起こり、数多くの罰がわしにもたらされた、そうして拷問に堪えられず、ついに犠牲とした〔棄教した?〕が、正気に返るや、わしの無法を悟り、この荒野で死ぬことに身をゆだねた。そうしてここで過ごして49年になる、告白しつつ、神を勧請し、わしの罪がわしのために許してくださるよう云いつつ、そうして命は、主がこのナツメヤシからわしに授けてくださっている。だが、赦しの慰めは、48年に至るもわしは得ておらぬ。が、今年、慰められた』。で、彼がこれを言ったところ、突然立ち上がって駈け出し、長い間礼拝のために外に立っていた。そして礼拝し終わると、わたしのところにやって来た。しかし、彼の顔を観て、わたしは放心と臆病の状態に陥った。火のようになっていたからである。するとわしに云った、『恐れるな。しゅがそなたを、わしの身体の世話と埋葬のために遣わされたからだ』。で、そう言い終わると、すぐに両手と両足を伸ばして生の終わりを迎えた。そこでわたしはわたしの箱を解いた。半分は自分に残した。そうして半分で包んだ。彼の聖なる身体を。地に隠した。そして彼を埋葬するや、すぐにナツメヤシが取り上げられた。小屋も倒壊した。そこでわたしは、わたしにナツメヤシをくださるよう云って、神に懇願してさんざんに泣いた。そうすれば、この場所でわたしの余生を過ごしますと。だがそれは生じなかった。神のご意志でないのだと自分に言いきかせた。そうして祈り、再び人の住まいする世界に出発し、見よ、わたしの唇に塗油した人間がやって来た。そうしてわたしに見られながらわたしを元気づけた。そうして兄弟たちにもとに急ぎ、彼らに物語ったのである。そうして、自分に失望することなく、忍耐をもって神を見出すよう、励ましているのである」。 〔N132B、3Apophthegmata〕
(17-20.)
(sequitur textus latinus)
〔17 N 491
兄弟が或る老師に尋ねた。「〔善いのは〕名声ですか、救済ですか、それとも為業ですか?」。老師が答えた。「為業じゃ」。そして付け加えた。「わしは或る兄弟を知っておる、彼は、その願いを口にするやいなや、聴き届けられた。或る考えが、彼の魂に忍びこんだ、彼は罪人の魂を、しかも身体を離れるまさにその刹那を見たくなったのだ。神はこの願いを遺憾としなかった。或る日、この修道者が自分の修屋にいた時、狼が入って来て、彼の衣を引っ張って、彼をそこから連れ出そうとした。そこで兄弟は立ち上がって、狼についていった、狼は彼を都市に連れて行き、それから引き返して、彼をそこに置き去りにした。そうして兄弟は、市壁の外にある隠修者の庵にいることに気づいた、その住人は、偉大な隠修者なりとの名声を博する人物であった。その隠修者は病気で、死の刻を待っていた。〕
〔18 N 492、主題別18-51
老師が、或る千里眼の持ち主について云った 用具を売るため、都市に入り、たまたま、命終しかかっている或る富裕者の門前に坐った。そうして坐ると、傾注して、そうして見えたのは、黒い馬たちと、これに騎乗して、黒い恐怖に満たされ、燃える剣を携えている者たちとであった。そうして、彼らは門に近づくと、彼らのめいめいが入っていった。そうして、彼らを見ると、病人は大声で叫んだ。「主よ、どうかわたしを助けてください」。するとこれに向かって遣わされた者たちが言う。「太陽が沈む今になって、神を憶える気になったのか? 何ゆえ、陽が輝いているときに、あのかたを求めなかったのか? されば、今、おまえに希望の余地なく、慰めもない」。そうしてそういうふうにして、彼らは彼を受け取って立ち去ったのである。〕
〔19-20
師父たちが或るマカリオスなる人について言い伝えている、この人は、スケーティスに最初に僧院を樹立した人である。しかし、その場所は沙漠で、ニトリアから沙漠の中を1昼夜の距離を隔てている。しかも、旅行者たちにとって大いなる危険があった。というのは、少ししくじっても、沙漠に迷う危険があったからである。しかし、そこの人たちは全員が完徳者である。完徳に至らざる者は、何びともあの場所にとどまることができない。荒涼として、いかなる必需品にも慰めがなかったからである。
さて、前述のあのマカリオスという人は、市民であったが、あるとき、大マカリオスといっしょになったことがある。そうして、ネイロス河を渡ろうとして、彼らが大きな渡し場に入っていったことがあったが、そこに2人の護民官が大騒ぎしながら乗りこんできた。青銅ずくめの戦車(r(e/dion )、黄金の馬勒をつけた馬匹、槍持ちの将兵の一団、黄金の帯をつけた首飾りをした童僕の一団を引き連れていた。そうして、護民官たちは古いぼろ切れを身にまとった修道者たちが片隅に座っているのを見て、彼らのみすぼらしさを浄福視した。そして、その護民官のひとりが彼らに向かって謂った。「あなたたちは浄福です、この世を愚弄しているのですから」。すると市民マカリオスが答えて彼に云った。「わたしたちは世界を嘲弄し、あなたたちは世界が嘲弄している。しかし、あなたがそれを云ったのは、自発的にではなく、預言によってだということをあなたは知っておられる。なぜなら、わたしたちは両者ともマカリオス(浄福者)と呼ばれるのですから」。相手は、この言葉に刺し貫かれ、家に帰ると、着物を脱ぎ、数多の施しをしたうえ、修道者となることを選んだ。
Cf. 『エジプト修道者史』第23話〕
(21.)
或る老師が、おのれの修屋で祈っていると、彼に声が聞こえた、いわく。「おまえはこれこれの都市の二人の女たちの境位にいまだ達していない」。そこで老師は明け方立って、杖を取って、その都市へと旅立った。かくしてそこに着き、その場所を聞き知って、その戸を叩いた。するとひとりの女が出て来て、彼を自分の家に迎え入れた。そこで彼は坐すと、彼女たちを呼んだ。すると彼女たちはやって来て、彼の近くに坐った。そこで老師が彼女たちに向かって言う。「そなたたちのためにどれほどの苦労を耐え忍んだことか、されば、そなたたちの為業がいかなるものか、わしに云ってくれ」。彼女たちが彼に言う。「わたしたちを信じてください、師父よ、一夜もわたしたちの夫と共にしない夜はありません。されば、どうしてわたしたちが為業を持てましょうか?」。しかし老師は、彼女たちが自分たちの為業を自分に明かしてくれるよう頼んだ。このとき彼女たちは彼に言う。「わたしたちは此の世でお互いに余所者です。〔N 489〕
(22.)
老師が云った。 ある老師が砂漠に坐していた、長年神に隷従しこう言って。「主よ、わたしが御身に嘉せられたなら、わたしに確信させてください」。すると、御使いが彼に言うのが見えた。「某所の野菜作り〔人〕にはまだ及ばぬ」。老師が驚いて、心中に云った。「彼がつくったものがいったい何か、わしのこれほどの為業と労苦を凌駕するほどなのか、彼を見るため都市に出かけよう」。それで老師は出かけ、御使いから聞いた場所に赴くと、坐って野菜を売っている人を見つけた。そこで、その日の残り、彼といっしょに坐し、その人が終了すると、これに老師が言う。「兄弟よ、今夜あなたの修屋にわたしを迎えてくれませんか?」。その人は歓んで、彼を迎え入れた。さて、修屋に行って、その人が老師の平安のためのことをもてなしていると、これに老師が言う。「お願いです、兄弟よ、どうかわたしにあなたの行住坐臥を云ってください」。しかしその人は披瀝することを拒んだので、老師はしつこく頼みつづけた。するとその人は不機嫌になって云った わしは夕方だけ食事し、終わると、わしの食い扶持だけ取って、残りは必要とする者らに差し出し、神の僕たちのうち誰かを迎えるなら、その者たちにそれを消費する。そうして、明け方起き上がるや、手仕事に坐す前に、言うのじゃ この都市が、小から大まで、その義によって王国に入り、わたしのみは、わたしの罪によって罰を受け継ぎますように、と。そうして、再び夕方、わしが眠る前に、同じ言葉を言うのじゃ」。
これを聞いて老師が彼に云った。「その為業は美しいですが、これほどの歳月のわたしの労苦を凌駕する価値はありません」。さて、彼らが食事をしようとしたとき、老師は道で何人かの連中が歌をうたうのを耳にした、野菜作り〔人〕の修屋は悪名高い場所にあったからである。そこで彼に老師が言う。「兄弟よ、こういうふうに神に従って生きることを望んでいるのですか? どうしてこんな場所にとどまっているのですか、今、これらの歌をうたうのを聞いて乱されないのですか?」。その人が云う。「あなたに言おう、師父よ、わたしはいまだかつて乱されたことも躓いたこともありません」。これを聞いて老師が言う。「それでは、これを聞いたとき、あなたの心中に何を思量するのですか?」。相手が言う すべて王国に至ると、と。これを聞いて老師は、驚いて云った。 これこそ、これほどの年月にわたるわたしの労苦を凌駕する為業です、と。そうしてひれ伏して云った。「どうかわたしを赦してください、兄弟よ、この境位にわたしはまだ達していません」。そうして食事もせず、再び砂漠に帰っていった。〔Anony67〕
(23.)
(sequitur textus latinus)
〔Anony19
ある老師について言い伝えられている 彼は砂漠を遍歴し、見よ、二人の御使いが彼に同道した、一人は右に、一人は左に、そうして行くうち、道に行き倒れ者を見つけ、その臭いに老師は自分の鼻を覆い、御使いたちもそうした。そうして少し行ってから、彼らに老師が云った。「あなたがたもあれを嗅いだのですか?」。すると彼らが云った。「いいや、あなたのせいでわれわれも覆ったのです、われわれはこの世の不浄を嗅ぐことはなく、われわれに近づくこともないが、魂たちは諸々の罪に臭うので、われわれはそれを嗅ぐのだ」。〕
(24.)
師父たちの或る者が語り伝えている、いわく 或る地方の司教が命終し、在地の住人たちが母市にやって来た、命終した司教の代わりに、〔新しい〕司教を自分たちに任命してくれるよう、主教に要請するためである。すると彼らに主教が云った、いわく。「クリストスの羊の群を牧する資格者としてそなたらが知っている者を、どうかわしに与えてくれ、そうしたら、わしはこれをそなたらの司教として按手しよう」。すると彼らが云った。「あなたの御使いがわしらに差し出す者以外には、何びとをも知りません」。そこで彼らに主教が云った。「そなたら全員がそうなのか?」。すると彼らが云った。「否」。相手が彼らに云った。「下がれ、そして、そなたら全員が集まれ、そうして、そなたら全員が一致して、そなたらに投票された司教がうまれたら、わしのところにやって来るがよい」。そこで彼らは立ち去って全員が集まり、司教を自分たちに按手してくれるよう要請しにやって来た。そこで彼らに云った。「そなたらが誰を信任したのか、どうかわしに云ってくれ」。すると彼らが云った。「わしらは、あなたの御使いがわしらに授けてくれた者以外には誰も知りません」。そこで彼らに云った。「そなたらはこれで全員か?」。すると彼らが云った。「わしらはこれで全員です」。そこでもう一度云った。「そなたら以外には誰も残っていないのか?」。すると云った。「わしら以外には誰も残っていません、わしらの頭領の驢馬番以外は」。そこで云った。「わしの心に適う者をそなたらに与えれば、そなたらは満足するのか?」。すると彼ら全員が云った。「神があなたを満足させる者を、わしたちに与えてくださるなら、満足です」。そこで主教は、彼らの頭領の驢馬番を連れて来るよう命じた。そして彼らに言う。「この者をそなたらの司教に按手したら、満足か?」。すると彼らが云った。「はい」。そこで彼を按手した。すると彼らは彼を連れ、大喜びで自分たちの土地に帰っていった。
ところが、大干魃が起こり、選ばれた司教は、雨を降らせてくれるよう神に呼びかけた。すると彼に声が聞こえた、いわく。「明け方、都市の云々の門に行け、そして何であれ、最初に入ってくるのを見たものを確保し、かつ祈れ、そうすれば雨が降ろう」。そこでそのとおりに実行した。つまり、聖職者そのものの格好をして出かけて行って坐った、すると見よ、或るアイティオピア人の老人が材木の重荷を運んで入って来た、この都市で売るためである。そこで司教は立ち上がって彼をつかまえた。すると相手はすぐに材木の重荷を降ろした、そこで司教は彼に頼んだ、いわく。「祈ってください、師父よ、雨が降るように」。しかしその老人は断った。それでもさんざんに強要されたので祈った。すると見よ、すぐに雨が、天から滝のように〔降り〕、再び祈らなかったら、止むことはなかったであろう。そこで司教は老人に頼んだ、いわく。「愛餐をして、師父よ、わしらを益し、あなたの生をわれわれに云ってください、われわれも見習えるように」。すると老人が云った。「堪忍してください、御坊の旦那、見よ、わしをご覧のとおり、わしは出かけて行き、材木のこの小さな荷を自身のために切り出し、入城してこれを売り、パン2切れさえ手に入れられないほどじゃが、残りは物乞いたちに与え、教会で眠る、そして翌日再び出かけて行き、同じようにしている。もし、1日なり2日なり嵐が起これば、再び天気になるまで空腹のまま、出かけて行って伐採もできぬのじゃ」。この老人の為業から実に多くのことを益されて、神を栄化しつつ彼らは戻って行ったのであった。〔N 628〕
2016.08.29.
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