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原始キリスト教世界

語録集(Apophthegmata) 13

砂漠の師父の言葉(主題別)
(21/21)





(t.)

苦行の内に老齢を重ねた師父たちの語録、彼らの究極の徳を要約的に明らかにするところの〔言葉〕

(1.)
 師父が尋ねられた。「金銭欲(filarguriva)とは何ですか?」。すると答えた。「がそなたに配慮してくださることを信じず、の諸々の約束に失望して、諸々の有害な快を愛することである」。〔ヘーサイアース9〕

(2.)
 さらに尋ねられた。「悪罵(katalaliav)とは何ですか?」。すると答えた。「ないしはの栄光を知らぬこと、隣人に対する妬み」。〔ヘーサイアース10〕

(3.)
 さらに尋ねられた。「怒り(ojrghv)とは何ですか?」。すると答えた。「争い(e[riV)、偽り(yeu:doV)、無知(ajgnwsiva)」。〔ヘーサイアース11〕

(4.)
 老師が尋ねられた。「修道者はいかなる者であるべきですか?」。すると答えた。「わしに対して、単独者が単独者に対してのようであるなら」。〔Anony89〕

(5.)
 老師が尋ねられた。「砂漠を経巡っていると、わたしが畏怖に満たされるのはどうしてですか?」。すると答えた。「そなたはまだ生きておるのじゃ」。〔Anony90〕

(6.)
 さらに尋ねられた。「救われるには、何を為すべきですか?」。しかし彼は縄をないながら、その仕事をやめることなく、答えた。「見よ、そなたが目にしているごとし」。〔Anony91〕

(7.)
 老師が尋ねられた。「あなたがいまだかつて軽蔑なさったことがないのは、なぜですか?」。すると答えた。「日々、死ぬことを期待しているからじゃ」。

(8.)
 さらに尋ねられた。「いつまでもわたしが憂鬱なのは何ゆえでしょうか?」。すると答えた。「まだ太陽を見たことがないからじゃ」。〔Anony92〕

(9.)
 老師が尋ねられた。「修道者の仕事とは何ですか?」。すると答えた。「分別(diavlrisiV)」。〔Anony93〕

(10.)
 老師が尋ねられた。「邪淫への誘惑はどこからわたしにおこるのですか?」。すると答えた。「多食し眠るゆえに」。〔Anony94〕

(11.)
 老師が尋ねられた。「修道者は何を為すべきですか?」。すると答えた。「あらゆる善の為業と、あらゆる悪の忌避(ajpoxhv)」。〔Anony95〕

(12.)
 老師たちは言うを常とした — 祈りは修道者の鏡、と。〔Anony96〕

(13.)
 老師たちは言うを常とした。「裁くことほど悪しきことはない」。〔Anony97〕

(14.)
 老師たちは、諸々の想念に保証を与えたことは断じてない、と言うを常とした。〔Anony97A〕

(15.)
 老師たちは言うを常とした — 修道者の花冠は謙虚さ(tapeinofrosuvnh)である、と。〔オール9、Anony98〕

(16.)
 老師たちは言うを常とした。「そなたにのしかかるあらゆる想念に言え、『汝は、われらのものか、それとも、敵対者たちのものものか?』。そうすれば、それは完全に白状しよう」。〔Anony99〕

(17.)
 老師たちは言うを常とした — 魂は泉である、掘れば澄むが、溜めれば消える、と。〔Anony100〕

(18.)
 老師が云った。「は牢屋から釈放したり、牢屋に投獄したりできるが、不正者ではないとわしは信じる」。〔Anony101〕

(19.)
 老師が云った。「万事にわたっておのれを強制されること、これこそがの道である」。〔Anony102〕

(20.)
 さらに云った。「働かない修道者は欲深い者として裁かれる」。

(21.)
 老師が云った。「もしわれわれが悪事を為しても、寛容ながわれわれを赦してくださるのなら、美しい事を為せば、はるかにもっとよくわれわれのための同労してくださるのではないか」。

(22.)
 老師が云った。「そなたが為そうとすることがゆえであるのかどうか、そなたの心を調べるより先に、何かを為してはならない」。〔Anony103〕

(23.)
 老師が云った。「修道者が祈りのために立ったときにのみ祈るなら、こういう者は全然祈っているのではない」。〔Anony104〕

(24.)
 老師が云った。「20年間わしが1つの想念と戦いつづけたのは、あらゆる人間を一人として見るためであったのだ」。〔Anony105〕

(25.)
 老師が云った — あらゆる徳より偉大なのは分別である、と。〔Anony106〕

(26.)
 魂が謙遜を獲得するのはどこからかと老師が尋ねられた。すると答えた。「おのれの悪事を気遣うときのみ」。〔Anony107〕

(27.)
 老師が云った。「悪口をきく者は避けるべきである、そうすれば、悪口する者が正される」。

(28.)
 老師が云った —。自分の抑えることのできなかった限りのことを、二度と繰り返したことはない、と。〔Anony109〕

(29.)
 老師が云った。「地面は下に落ちたことがないように、おのれをへりくだらせる者も落ちたためしがない」。〔Anony108〕

(30.)
 老師が云った。「修道者にとっての恥とは、おのれのことを放置して、ゆえに客遇しながら、その後で懲罰に陥ることである」。〔Anony110〕

(31.)
 老師が云った。「この世代が求めるのは、今日ではなくて明日である」。〔Anony112〕

(32.)
 老師たちが云った —。われわれの仕事は材木〔苦という火の原因〕を焼くことである、と。〔Anony113、vgl.21-63〕

(33.)
 さらに云った。「軽蔑されざる者になろうとするな」。〔Anony114〕

(34.)
 老師が云った。「謙遜(tapeivnwsiV)は怒らず、誰かを怒らせることもない」。〔Anony115〕

(35.)
 また云った。「修屋に坐すことは、諸善を美しく満たす」。〔Anony116〕

(36.)
 老師が云った。「悲しいかな人間、その名がその為業よりも大きいとは」。〔Anony117、シルゥアノス10〕

(37.)
 老師が云った。「気易さ(parrhsiva)と笑い(gevlwV)とは、藁を焼き尽くす火に似ている」。〔Anony118〕

(38.)
 老師が云った。「ゆえにおのれを強制される者は、告白者たる人に等しい」。〔Anony119〕

(39.)
 同じ人が云った。「のせいで愚者となった者は、がこれをわきまえさせてくださる」。〔Anony120〕

(40.)
 老師が云った。「いついかなる刻も眼前に死を有するひとは、弱気(ojligoyuxiva)に打ち勝つ」。〔Anony121〕

(41.)
 老師が云った。「が人間に求めたもうのは以下のものらである、つまり、理性、言葉、行為」。〔Anony122〕

(42.)
 同じ人が云った — 人間が必要とするのは以下のものである。の審判を恐れること、罪を憎むこと、徳を愛すること、いつもに嘆願すること、と。〔Anony123〕

(43.)
 老師が云った。「われわれが鼻の気息をいつも身につけているように、死の恐れと哀号を、どこに居ようとも常に身に帯びていること」。

(44.)
 老師が云った — 神的なを読むことも、ダイモーンたちを恐れさせる、と。

(45.)
 老師が云った。「不注意というこの小さな青草を根こそぎにしなければ、釘になる」。〔主題別11-100〕

(46.)
 老師が云った。「人間的な思慮は、人間のあらゆる肥満を取り除き、おのれを干涸らびたものとして見捨てる」。〔*Anony673〕

(47.)
 老師が云った。「力を咎なきものとし、虚飾を追い求めるな」。

(48.)
 老師が云った。「感謝(eujxaristeiva)は、の前で不能性を執り成してくれる」。〔N 637〕

(49.)
 老師が云った。「平安を持ってそなたが為すまで、は安らぎをあたえることができない」。

(50.)
 老師が云った。「そなたの心配とそなたの腹を縮めよ、そうすればそなたは平安を得られるであろう」。

(51.)
 老師が云った。「下がれ、おのれが強制されることを愛せよ」。〔*Anony25a〕

(52.)
 老師が云った。「わたしの身体はわたしをまだ選択的に担えない」。〔*1661b〕

(53.)
 老師が云った。「自由人となれ、奴隷となるな、話すことにおいて、気性と欲性を制御せよ、そうすれば、そなたの逝去するとき、そなたの為業を用意して、乱されることはあるまい」。

(54.)
 老師が云った。「修道者を称讃するのは、彼を敵の手に売り渡す者だ」。〔N 498〕

(55.)
 老師が云った。「慰めの言葉を口にする者は、先ずそれが益されるものであることを考えない限りは、口にしてはならない」。〔N 433〕

(56.)
 師父たちが言うを常とした — 何びともイエースゥスを愛することはできない、先ず労苦を愛するのでなければ、と。

(57.)
 老師が云った。「のための客遇は、沈黙をともなえば美しい。気安さ(parrhsiva)は客遇ではないからである」。

(58.)
 老師が云った。「おのれを無とすることは、囲壁である」。

(59.)
 老師が云った。「怯懦(ojknhrovV)と無精(a[ergovV)とは、の拒まれるところである」。〔N 602〕

(60.)
 老師が云った。「そなたの隣人とともに、そなたの良心(suneivdhsiV)を守れ、そうすれば平安を得られよう」。

(61.)
 老師が云った。「あらゆる美しい仕事の根は、真理である」。〔主題別10-158a〕

(62.)
 老師が云った。「あらゆる人間を等しく受け容れるのではなく、判別する者、こういう者は完徳者ではありえない」。〔主題別1-33〕

(63.)
 老師たちは言うを常とした — 火が材木を焼くように、修道者の仕事は情動を焼くことであるべし、と。〔vgl. 主題別21-32、Anony113〕

(64.)
 老師が云った。「修道者は〔悪口を〕聞く者であってはならない、悪口する者であってはならない、躓いてはならない」。〔Anony386〕

(65.)
 兄弟が老師に尋ねた。「いつまで沈黙しているべきですか?」。相手が云った。「そなたが質問されるまで。〔聖書に〕書かれているからである。『そなたが聞く前に答えてはならない』〔ベン・シラの知恵11:8、cf.箴言18:13〕」。

(66.)
 兄弟が老師に、生について尋ねた、すると答えた、いわく。「草を喰え、草を身につけよ、草の上に寝よ、しかし心は鉄の心を持て。日々、真面目であれ、……〔語録はここで途絶〕」。〔エウプレピオス4、Anony172〕

2016.04.26.

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