[解説]
[底本]
Bel and the Dragon
Author: William Hayes Ward
Source: The American Journal of Semitic Languages and Literatures, Vol. 14, No. 2 (Jan.,1898), pp. 94-105
Published by: The University of Chicago Press
Stable URL: https://www.jstor.org/stable/528078
通常、ドラゴンと呼ばれるアッシリア美術の合成怪獣は、ライオンの頭と前肢、鱗状の羽根で覆われた身体、2つの翼、そして鷲の後ろの肢と足を持つ四足動物である。この表現の目的は明らかに、悪風であれ、疫病であれ、あるいは破壊の一般的な原因であれ、破壊的な精霊を表すことである。神と対立して現れるので、ジョージ・スミス(『カルデア創世記(Chaldean Genesis)』ed. A. H. Sayce, pp. 62, 114)によって、メロダクと対立するティアマト、つまり、原初的な混沌と悪の霊を服従に還元して、それから宇宙を創造する造物主を表すと認識された。 このドラゴンとティアマトとの同一視は一般的に受け容れられたが、このドラゴンを表したもっと注意深く描かれたアッシリアの表現では、ドラゴンは明らかに男性であるが、ティアマトは女性であった。上述のようにジョージ・スミスによって与えられた当の事例は、レイヤードの『(Monuments of Nineveh)』Second Series, Pl. V.,)から採られたが、蛇頭の陽根がはっきり描かれている。この浅浮き彫り(fig. 1)は、紀元前900年頃、おそらくアッシュルナジルバル時代のニムルドに出土したものである。
ドラゴンの最も古くから知られている表現は、メトロポリタン博物館所蔵 3500〜4000 B. C. の円筒印章上にある(図2)。ドラゴンは、神が着座する四輪戦車に引き具でつながれている、われわれがおそらくニップルの長老ベル、ほとんありそうにないがベル・メロダクと呼ぶ彼は、片手に手綱を握り、もう片方で鞭を振り回している。ドラゴンの翼の間に裸の女神が立っている、彼女をわれわれはおそらくイシュタルの一形態であるアルルと認めるかもしれない、彼女は、創造神話1形態に従えば、人類の創造の際にベルと提携したのだが、それぞれの手に雷霆を持っている。礼拝者がことのほか古風な祭壇の前に立ち、水差しの口から灌奠の酒を注いでいる。ドラゴンの開いた口から何か吐いているのかもしれないが、多分それは蛇の裂けた舌を示唆するつもりであろう;ニムルドの図像の蛇の男根を参照。女神が持った光は、図1のメロダクの持った二重の三叉槍に対応し、一重の三叉槍が神に持たれることはしばしばである。
大英博物館所蔵の別の古風なバビロニアの円筒(暗緑色の蛇紋岩「碧玉」で出来ている)円筒印章は、類似した図案(図3)をしている。神自身はドラゴンの翼の間に立ち、〔このドラゴンも〕同様に、まるで嘔吐しているかのようにその口から吐き出される流れを持っているが、むしろ裂けた舌を表しているのであろう。神は彼の肩に鞭と柄を保持しているが、多分斧なのであろう。もう一方の手は蛇からこしらえた湾曲した三日月形剣シミター武器、あるいはおそらくドラゴンの口の装着する紐を持っている。これは、後世のバビロニアの円筒に、牡牛ないしドラゴンを紐で、或る場合にはその鼻に通したはっきりした鼻輪と一致するだろう。ドラゴンの前の女神は裸ではなく、両腕を広げ、水の流れに完全に包まれている。彼女の下には牡牛がいるが、肩を突き刺されている、〔英雄の方は〕膝をつき、髭を生やし、その腰回りの紐以外は裸である。彼の背後には、天空の容器から水が注がれている。情景全体の背後には、三日月の星、人像、銘刻文字がある。
図2で、われわれはすでにドラゴンの上に立つ女神を見た。おそらく2000-2500 B. Cの後期の赤鉄鉱の円筒印章は、稲妻の三叉武器を保持し、裾襞飾りのドレスを着てドラゴンの上に座り、〔ドラゴンは〕口から流出ないし分岐した舌を出しているところを示している。他の図像は、この期間の変容した型のものである。座った女神(図4)は、おそらく Rich のすばらしい古い印章のen face に現れるもの、ライオンの supra leones イシュタル(Menant, Glyptique Orientale, I., p. 163)を見よ)と同じものであろう。
図4 の en face イシュタルとほぼ同じ時期の赤鉄鉱円筒印章(図5)では、裾襞飾りのついたドレス、2匹の蛇をつけたカドゥケウスを持って、2匹のドラゴンの上に立っている。この女神の通常の形では、彼女は片方の裸の脚を前に en face 向けて立っており、一匹の小さなドラゴンないしライオンで休んでいる。
このドラゴンの表現については、以前から、古いバビロニア帝国の時代に由来し、どれも女性であろうとずっと考えられてきた、図3の同じ大きさの牡牛において、性別は述べられていないにもかかわらずである。
初期バビロニア芸術に現れるドラゴンの別の形態は、後ろ足で立ち上がり、両翼を後ろに立て、膝をつくか獣を攻撃している男の頭の上に口が開いている。図6においては男性の性別が示されているようだが、こんな例はめったにない。この種の円筒印章は通常、太い赤鉄鉱であり、この素材の最も古いものはおそらく紀元前3000年に遡り、この図案はやや頻繁である。ここでは、ドラゴンを表すのは明らかに、メロダクに打ち負かされ殺され、他の神ないし女神に服従するティアマトではなく、疫病や竜巻の破壊的デーモンのことである。
アッシリア時代まで、神メロダクとドラゴンとの対立の表現をわれわれが見つけることはない。ドラゴンはもはや引き具をつけられ、踏みつけられ、まったく従順ではない;しかし、頭を神に向けて致命的な打撃を受けると、小さな神殿の壁に見られる図1に現れるように、逃げ出す。他の例はアッシリアの印章に現れる。最もよく知られている例は、ジョージ・スミス(『カルデア創世記(Chaldean Genesis)』ed. Sayce, p. 114)によって「ベルとドラゴン」と同一視されたものである。この玉髄の円筒印章は、Lajard の『(Culte de Mithra)』(Pl. XXXVII., fig. 4) 、今はメトロポリタン美術館蔵(図7)で、長らく姿を表してきたものである。この一般的な図案にはいくつかの例があるので、一般的な説明を行う前にそれらは適切にグループ化できるだろう。
別の例(図8)は、Lajard の『(Culte de Mithra)』(Pl. XXXIII., fig. 4) に図示されている。それは「土の緑泥石(chlorete terreuse)」でできた小さな印章で、上下に枠線を持った彫られた図案で、散らばった幾つかの楔形文字を含み、紛れもなくアッシリア期、あるいは北部のものである。同じ図案が Utica のR. I. Williams 氏所蔵の「カルケドニア玉髄」でできたすばらしい円筒形印章の上に再び現れ、J. Menant 氏によって『American Journal of Archaelogy』(II., p. 556) の中で記述されている。彼は、いかなる王名も読んでいないにもかかわらず、王の印章だと刻印証拠の中に見つけたと思っている。この円筒印章は700ないし800 B. C. の年代に属するかもしれない。さらに他にふさわしい円筒印章は、メトロポリタン博物館所蔵の大きな蛇紋岩(図10)である。これはその柔らかい素材を考慮して、異常にすばらしい保存状態にあり、おそらくは知られている情景の最も完全な表現である。神がドラゴンを撃つときの矢は三叉武器、それゆえ雷霆であることを観察するであろう。また大小二頭のドラゴンは、末端が分かれたか分岐した舌をもっている。
Collection De Clercq, Pl. XXXI., fig. 331 の壊れた円筒形印章の図像は独特で、矢を放って追いかける神格から逃げるドラゴンが、別の神格に直面しているか、あるいは同じ神格が二度目には、ドラゴンの顔に二重雷霆を突きつけている(図11)。この後者の神は、その身体が光の輪に囲まれ、Lenormant がアダルと呼んだアッシリアの普通の神格の形式で、これはむしろマルドゥクかもしれない。さらに別の破損した円筒 Lajard, XXV. 5(図12)は、メロダクが三叉武器でドラゴンをうっている様子を示している。これらはすべて、わたしの知る円筒であり、メロダクとドラゴンの対立の情景が現れ、後者〔ドラゴン〕は複合怪獣という本来の形を採っている。
さて、情景を分析しよう。先ず、この情景は古いバビロニアのものではなく、アッシリアないしメソポタミアのものであることをわれわれは観察する。芸術や神話の何がその起源をアッシリアに持ち、何がナーリナないしミタンニに持っているかをまだ区別することはできない。後者は、エジプト、フェニキア、ヒッタイト王国と密接な関係にあり、アッシリアの芸術や神話の新しいものは、源泉よりもアッシリアの西の地方から借りられた可能性が高いと思われるかもしれない。マルドゥクとドラゴンとの戦いというバビロニアの古い伝説は、北の北でかなり作り直されたというのがありそうなことだ。そうであったという事例がある。実際、バビロニアそのものの中で様々な形をとっていた。おなじみの文学版によると、メロダクは神々の優勝者である。 エアの求めで、 彼は他のどの神もあえて試みることのなかったことを達成した。しかしそれは、Morris Jastrow, Jr. が『The American Journal of Theology』I., April, p. 469 の中で示しているように、バビロンでのハンムラビ王朝の設立と、その結果としての主要な神としてのメロダクの即位よりも後でなければならない物語の修正である。実際、この神話のより古い形式は、1つの創造神話の中に与えられるが、ニップルの長老ベルを、ティアマトを征服した神格としているのである。彼が彼女を殺したのかは、円筒がハムラビよりも古いので、決して明らかでないことは、図2と図3においてのごとく、ドラゴンを殺戮したのではなく、戦車に引き具をつけて、ベルによって駆りたてられ、他方、女神はその背に騎乗して、雷霆を揮っている;あるいは神がドラゴンの背に立っているからである。このドラゴンは、男性の兆候がないので、ティアマトであるかもしれない。
アッシリアの円筒印章を調べると、ドラゴンが男性であることをわれわれは見出す。これは図1、図9、図10に現れる。混沌怪獣の性別についての同じ観念は、ヘブライ語の物語にも現れる。〔「テホーム」創世記1:2〕は女性または男性で、これとティアマトとの関係は失われている;また、〔「ラハブ」〕や 〔「タンニーン」〕のように、無秩序の精霊が図案化された他の言葉は男性である。したがって、この図像の淵源たるペルシア神話の中に、その二元論の実体はベルとドラゴンというこの対立に由来するのではないにしても、アフラマズダの敵である邪悪な蛇アーリマンが男性であることを発見しても、われわれが驚かされることはない。この問題では、アッシリア人とペルシャ人はヘブライ語の概念に同意するが、バビロニアの概念には同意しない。そこでわれわれが推し測るに、ドラゴン物語のヘブライ語版が 〔「テホーム」〕であれ、〔「タンニーン」〕であれ、あるいは、創世記の蛇は、その源泉をハムラビやアブラハム時代のバビロニア それらは女性ではなかったのだが にではなく、アッシリアまたはメソポタミアに見出す。
この争いのアッシリアの表現で注意を要する別の論点は、2つめのより小さい方のドラゴンであり、これは常に登場する。これはより大きい方のとまったく同形であり、しかも男性である。この小さなドラゴンは、犬のようにその四つ足で跳びかかるこの小さなドラゴンが、メロダクに同行するのか、男性のティアマトに同行するのかを判断するのは容易ではない。後者の場合、彼はティアマトの夫であるキングーと結びつけられるであろう;前者は、おそらくよりありそうなことなのだが、彼の立場から判断すると、メロダクを助けた悪風たちを表し、これはティアマトと同じ形で表されたことだろう;しかも、「ラハブの助力者たち」も神「に屈した」(ヨブ記9:13)ということがここに表現されているのかもしれない。T. G. Pinches によって記述された Sir Henry Peek のコレクション中の円筒印章〔図13〕においては、小さい方のドラゴンが大きい方のドラゴンを攻撃しているようにも見える。
さらにわれわれの観察では、この争いのアッシリア的表現は、ドラゴンが最終的に殺戮されたのか、あるいは単に征服されて、最古のバビロニアの形態のよう奴隷にされたのかをわれわれに告げないが、それは殺されたとひとは自然に推し測るだろう;アッシュルバニパルが南王国から持ち込んだ版の中にわれわれが持つバビロニア物語のティアマトと同様に;またわれわれが知っているように、捕囚時代のヘブライ人たちはそれを理解していた、イザヤ 51:9「ラハブを切り殺し、ドラゴンを刺し貫いたのは、あなたではなかったのか?」。ヨブ26:12, 13 参照。
ベルの神話がより古いものであろうがより新しいものであろうが、バビロニアからアッシリアに移る際に、ドラゴンがかなり改造されたことをわれわれは見てきた。それはさらに、別の神話の物語である強力な狩人ギルガメシュのそれとひどく混同されるまで変更された。しかし、神話の本質的な意味に影響を与えない変奏が1つあり、それは1つの小さな赤鉄鉱製円筒印章の上に見られる、これは、何年も前、マーディンとモスルの宣教師であるウィリアムズ博士によってこの国に持ち込まれたが、おそらくその地域で入手されたものである。これは今は彼の甥、ニュー・ヘブンの F・ウェルズ・ウィリアムズ氏蔵であり、Bibliotheca Sacra 1881, p. 226 の中でわたしによって初めて図示され記述され、Sayce によってスミスの『カルデア創世記(Chaldean Genesis)』p. 90 の彼の編集の中に採録された。その情景(図14)は、ドラゴンの代わりを蛇にさせるという非常に意義深い置換を除けば、すでに言及した情景とまったく同じである。神メロダクは同じである;彼は逃げる蛇を素早く追いかけ、槍のような武器で、あるいはむしろ、大蛇の口に突き刺された曲がった把手のついた剣でこれを攻撃している。神の身体の下と彼の足の間には、小さなドラゴンの代わりになる不確定なものがある。残りの隙間は通常の装飾で埋められている。この円筒印章は、それが作られた地域で、悪の霊が蛇として受け取られる神話の形が親しまれていたことの説得力のある証拠である、例えば、創世記においてのように、あるいはまたヨブ記26:13「彼の手は逃げる蛇を刺し貫いた」;さらにイザヤ27;1「その日、主は堅く大いなる強い剣で逃げる蛇レビアタン、曲がりくねる蛇レビアタンを罰し、また海におるドラゴンを殺される」。 もしヨブ記が、パレスチナの周りの土地の一つ、例えばウズの土地で創作されたなら、パレスチナから離れて、蛇が神話に入った国の指標を持つ。この円筒印章がメロダクを伴うかどうか、蛇がアッシリアのものかどうか、わたしは大いに疑わしく思う。これはもっと西から、おそらくヨブ自身の土地から来たというのが蓋然性が高いとわたしには思われる。それはバビロニアではなく、疑わしいがアッシリアであろう。ドラゴンを抑制して蛇に変えさせたのは、神ホルスによるアペピ蛇の刺殺がエジプトの宗教芸術で頻繁に表されているように、エジプトの影響であった可能性があり、したがってペルシアのアーリマンが、エジプトのアペピと、バビロニアのティアマトの観念とを結びつけたのかもしれない。これまで未刊だがわたしの所蔵するササン朝の印章は、おそらく後300年ないし400年のものだが、蛇がこの後期に7頭を獲得し、この争いの観念がいかに存続したかを示し、ここにヨハネ黙示録13:1の7頭の獣の反響というよりは、むしろ聖ゲオルギウスのドラゴン(図15)の先取りをわれわれは持つのである。
後期アッシリア、ヒッタイト、ペルシア、および他の円筒印章は、メロダクとドラゴンの両方の表現において素晴らしい破格を提示する。後者は非情に頻繁にスフィンクスになり、明らかにエジプト的逸脱である。それはまた駝鳥になり、一連の円筒印章のうち最も有名なのが、アルメニア王のものである。もう一つは、メトロポリタン美術館所蔵の図16 の中にある。後者の場合、小さいドラゴンも駝鳥になるが、これらの変更された形式では、通常はすっかり省略された。 情景ががギルガメシュのそれといかに混同されるようになったかという実例として、われわれはわたし自身の収集の中でもすばらしい円筒印章図17を観察できる、ここでは、メロダクが彼の特徴的な恰好と武器を保持しながら、牡牛の後ろ肢をつかんで、まるでギルガメシュの役割rôle を演じている。
ドラゴンがその元の形のもとに、ヒッタイト人たちに採用されると、ライオンの頭をした鷲に、その後2頭のライオンの頭を持ち、さらに後には2羽の鷲の頭を持つに至る移行の段階を追跡し、サタン的諸原理のこの象徴が、紋章学の趣向としてセルジューク・トルコ人たちによっていかに適用されたか、また、この2頭の鷲がオーストリア人たちの紋章としていかに尊重されているか、を追跡することは興味深いであろう;しかしそれは、ベルとドラゴンとの戦いが何であるかというわれわれの主題の外であろう。エリドゥとニップールにおける人間の文明と宗教のまさに揺りかごから、アッシリアと、エデンの園の創世記の蛇、アヴェスタの二元論的神学まで、そして最終的に、英国の聖ゲオルギウスのドラゴンに対する偉大な勝利まで、善と悪との間の永遠の闘争のすべての絵画表現のこの最も古いものをたどるだけで十分である。
この論文を締めくくる前に、M. Heuzey によって「Revue Archéologique」1895, p. 307 の中で与えられた明らかにきわめて初期の円筒印章(図18)に注意を喚起さるべきである。M. Heuzey は一流の権威ではあるが、この円筒印章、およびその論文の中で初めて与えられたいくつかのその他のもの(現在の場所は述べられていない)はさらに研究されるべきである。この円筒印章は驚くべきものであり、図2と図3に見られると同じ詳細をわれわれに示しているように見える。 この図案はあまりに驚異的で新鮮すぎて、これが贋造だと思わせるほどのものであり、それについての疑わしい点は、摩耗した円筒印章を業者たちがあまりに頻繁に再切断したためかもしれない。
2019.09.01. 訳了
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