|  外典ヨハネの黙示録(3) 
						
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 原始キリスト教世界
								旧訳偽典・ヨベル書(ギリシア語断片集)
								
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 [解説]
 旧約偽典の1書。この名称は、本書が、〈ヨベルの年〉によって歴史をくぎっていることによる。また、正典的権威が劣る創世記という意味で、小創世記とも呼ばれる。
 本書の内容は、創1-出12章の1種のミドラシュ(注解)である。神がシナイ山で天使に命じて書かせ、モーセに与えたという前文がつけられ、創38章が41章と42章の間に移されている以外は、忠実に聖書の記事を追い、それを、著者の目的に従って書きかえている。その目的は、律法の重要性を強調することにある。
 完全な形では、ギリシア語からの翻訳と思われるエティオピア語とラテン語の写本がある。しかし、へブル語の写本断片がクムランから発見されたことにより、本書のへブル語原典説がたしかめられ、著者がクムラン教団と何らかの関係をもつ人であり、著作年代は、前2世紀の中頃と推定されるに至った。(『キリスト教大事典』)
 
 ヨベルの年とは、
 7年ごとに土地を休ませる安息年が7回巡った次の年、つまり第50年目の年を指す。つまり7年を1周年とする暦法である。
 
 
 
 
 [底本]
 TLG 1464
 LIBER JUBILAEORUM
 (2/1B.C.)
 
 1464 001
 Fragmenta
 Pseudepigr.
 
 A.-M. Denis,  Fragmenta pseudepigraphorum quae supersunt Graeca [Pseudepigrapha Veteris Testamenti Graece 3. Leiden: Brill, 1970]: 70-101.
 
 
 
 
 
 
					 (frag a)(48,1) 立法をば、最初に、モーゥセースはイウゥダイオイ人のために書き、モーゥセースはアイギュプトスにおける暮らしぶりを打ち捨てて、砂漠に出て愛知した。
 (2,1) 大天使ガブリエールから、世界の誕生の事を教えられ、
 (2,14) 最初の人間、および、彼とともなるものらの〔事〕、
 (5,20) 大洪水の〔事〕、
 (10,24) 話し言葉の混乱と多様さの〔事〕、
 (1,1) 最初の人間にまつわる〔事〕、彼に至るまでの時間の〔事〕、また、将来の立法について彼からイウゥダイオイ人たちの習わしに授けられたこと、
 (2,8) 星辰の配置と構成要素、
 (4,17) 算術と地理とあらゆる知恵を〔教えられたことこそ〕、小創世記にあるところである。
 (2,2) すなわち、第1日目に、上なる天、地、水を創造したまい、これらから雪、水晶、雹、霜、露、彼の御前で奉公する諸霊  それは以下のようなものらである、つまり、御前の天使たち、栄光の天使たち、息吹する諸霊の天使たち、雲の、闇の、雪の、雹の、氷の天使たち、音声の、雨の、稲妻の、寒さの、暑さの、嵐の、秋の、春と夏の、また天上と地上にある彼の被造物たりあらゆる霊の、天使たち、深淵、混沌と暗黒、夕べと夜、昼と夜明けの光を〔創造したもうた〕。
 (2,3) 以上7つ大業を、神は第1日目に為したもうた。
 (2,4) 第2日目には、水の中央に蒼穹を〔創り〕、蒼穹の上なる水と、蒼穹の下に、全地の表面上の〔水と〕の分離を〔実行〕したもうた。この仕事のみを、神は第2日目に為したもうた。
 (2,5) 第3日目には、
 (2,7) 海、河、泉と港、播かれる種、芽、実の成る樹と成らぬ樹、森林、生成によるあらゆる植物を〔創りたもうた〕。以上4つの大業を、神は第3日目に為したもうた。
 (2,8) 第4日目には、太陽、月、星辰を〔創りたもうた〕。
 (2,10) これら3つの大業を、神は第4日目に為したもうた。
 (2,11) 第5日目には、大いなる海獣、魚、他にも水中を這うものら、羽あるものら、翼あるものらを〔創りたもうた〕。
 (2,12) これら大いなる3つの大業を、神は第5日目に為したもうた。
 (2,13) 第6日目には獣、家畜、地を這うものら、
 (2,14) 人間を〔創りたもうた〕。これら4つの大業を、神は第6日目に為したもうた。
 (2,15) かくして、6日の間に神によって創造され業は全部で22となった。(2,16) かくして神6日の間にすべてを完成したもうた、天と地、海と深淵、光と闇とあらゆるものの中にあるかぎりのものらを。
 (2,17) かくして神は、おのれのあらゆる業を、第7日目に休みたまい、
 (2,19) これ〔安息日〕を祝福し、これを聖別し、
 御使いを通じてモーゥセースにこう説明したもうた 
 (2,23) そしてアダムからイアコーブに至るまでの22の頭
 (2,20) あらゆる族民の中から、おのれの民として、自分の種子にみずから選ぼう
 主が云われた頭とは、以下のものらである。アダム、セート、エノース、エノーク、アルパクサド、サラ、カイナン、パレク、マラエレール、ヘベル、ラガウ、イアレド、セルゥク、ナコール、マトゥサラ、タラ、ラメク、ノーエ、アブラアム、アサアク、イアコーブ、セーム。計、22種族である。22は、ヘブライオイ人たちの文字数であり、かてて加えて、27書から成る彼らの〔聖〕書も、22と数えられる。尤も、彼らのもとでは5元素は2倍にされ、これも27であるから、22で完成され、このため27書あっても、22としたのである。
 (frag b)(2,24) 神が祝福したもうたのが第7日であって、すべての日々でないのは何故か?と、或る人たちは謂う。そこでわれわれは言う、自余の日々の各々は、その日に起こった造物から祝福を得ている。しかるにこの〔第7日目の〕日だけは、この日に何ひとつ造物が起こらなかったので、無報酬のままであり、この故に、この日こそ神によって祝福され、聖別され、サバトを安息日として、また7千年周期と罪人たちの終末の予型として命ぜられたとは、イオーセープと『小創世記』とが証言しているところである。
 (frag c) このことについても、また他にも歴史的な人物たちによって、イウゥダイオイの古伝、あるいはまたにも、部分的に明らかにするよう必然的に導かれた、
 (3,1) 週の第1日目、これはアダムの創造から第3日目、第1月であるニサン月の第8日、アプリッリス月の第1日、アイギュプトス人たちのパルムティ月の第6日にあたるが、アダムは野生の獣たちに、ある神的な恩寵によって名をつけた。第2週の第2日に、家畜たちに名をつけた。第3週の第3日に、這うものたちに名をつけた。第2週の第5日に、泳ぐものたちに名をつけた。
 (3,5) 第2週の第6日に、これはローマイオイ人たちのアプリッリスの第6日、アイギュプトス人たちによるパルムゥティ月の11日であるが、神はアダムの脇腹の一部を取って、女を創造したもうた。
 (3,9) 世界創造から46日目、第7週の第4日、パコーン月24日、マイウス月9日、太陽が牡牛宮、月が正反対の天蠍宮にあり、プレイアデスが昇る時、神はアダムを、自分の創造の40日に基づいて、楽園に案内したもうた。世界創造の第8日、しかしアダムの創造の44日、主の日〔の曜日〕、パコーン月18日、マイウス月13日、彼の楽園への入場の3日後、太陽が牡牛宮に、月が天羯宮にあるとき、神はアダムに、知の樹の摂食を控えるよう命じたもうた。
 創造の93日目、第14週の第2日、夏至の日、太陽と月が巨蟹宮にあるとき、ユニウス月の25日、エピピ月の第1日、アダムの助手エウアが、神によって楽園に案内された、彼女の創造から80日目である。
 (3,33) これを得て、アダムはエウァと名づけた、これは生命(zwhv)を意味する。
 (3,10) それゆえ、神が『レヴィ記』の中でモーゥセースを介して、あるいは、創造後、楽園からの彼らの出離の日々に命じたもうたのは、男児出産の際には、彼女は40日まで不浄であるが、(3,11)女児出産の際には、80日まで〔不浄〕であるということであった。アダムもその創造の40日目に楽園に案内されたので、そのため生まれたものらも、律法どおり、40日目に神殿に連れて行かれた。しかし女児の場合は彼女は80日間不浄であり、楽園への彼女の登場は80日目であり、男児に比して女児は不浄さの故である。(3,13) さらに月経のため、律法によって7日まで神殿に入れないからである。以上が、いわゆるアダムの生涯から、愛学のために簡潔に要約したところである。
 (frag d)(3,16) アダムは、羽あるものらや這うものらを追い払い、楽園にある果実を集め、自分の妻とともに、それを食した。 さて、以上のことは、なおまたわたしは言わなかったが、それよりはるかにもっと多くのことをも、『小創世記』の詳述しているところである。
 (frag e)(3,21) また『小創世記』は言う、アダムは、無頓着に樹から取って喰い、エゥアの言葉に全然留意しなかった、労苦と貧しさに疎かったからである。
 (frag f)(3,23) 蛇は家畜から這うものになり、両手・両脚を所有していた。それらを奪われたのは、大胆にも楽園に入りこみ、最初に樹から取って喰ったからである。
 (frag g)(3,28) 獣らと羽あるものらと這うものらとは、イオーセーッポスと『小創世記』の謂うところでは、楽園の前、初代被造物らと同じ言葉を話した。それゆえ、謂われるところでは、蛇は人間の声でエゥアに話しかけた、それは不可能事に思えるが。
 (frag h)(3,32) 『小創世記』から。 第7年に堕罪し、第8年に楽園から追放されたのは、謂いつたえられるところでは、プレイアデスの上昇時、堕罪の45日後であった。アダムが楽園で過ごしたのは、300日、65週であった。???そうして、堕罪のせいで、マイウス月の10日、妻のエゥアとともに追い出された。
 (frag j)(3,34) 第8年、謂いつたえでは、アダムは自分の妻エゥアを知った〔交接した〕。
 (4,1) 第70年、彼らに長子カインが生まれた。
 第77年、謂いつたえでは、義人アベルが生まれた。
 第85年、彼らに娘が生まれ、これを彼らはアスゥアム〔アワン。「不義」の意〕と名づけた。
 第97年、彼らはカインを寄進した。
 第99年、22歳になった?????アベルは、ヘブライオイ人たちの第7暦月の満月の日、つまり天幕の中で、神に供儀を捧げた。
 意味するところは、聖書はカインを果実をもたらす供犠と呼ぶが、アベルの贈り物は、両者の性格を明らかにしているということである。
 (4,2) 同じ第99年、カインがアベルを亡き者にし、第一被造者たちは4週間、つまり28日間、悲しんだ。
 (4,7) 第127年、アダムとエゥアは悲嘆をやめた。
 (4,9) 第135年、カインは自分の妹アサウナン  50歳であった  を娶った。当人は65歳であった。
 (frag k)(4,9) カインは、サウエーとそう呼ばれる上の妹によって、
 (4,11) セートは、アズゥラと呼ばれる自分の妹によって、第3子としてうまれた。(4,10)他方、アダムには、他にも息子たちが生まれた、と『小創世記』は述べている、先の3人の後に9人、その結果、彼の娘は2人、男は12人で、一人は死に、11人は生きながらえた。
 (frag l)(4,13) エノースの妻は、自分の妹ノーア〔ノエム〕。
 (4,14) カイナンの妻は、自分の妹マオーリト〔ムアレレテ〕。
 (4,15) マレレエール〔マラルエル〕の妻は、自分の父の兄弟バラキエールの娘であった。
 (frag m)(4,15)(カイナン、マレレエール、イアレドの教えによれば
 (frag n)(4,18) この者〔ヘノーク〕は、文字を学び、教え、神的秘儀の啓示に値した最初の人である。
 (frag o)(4,16) イアレド〔ヤレデ〕の妻はバラカは、自分の父の兄弟アスゥエール〔ラスイエル〕の娘(4, 18, cf.  supra)。
 (4,20) エノークの妻エアニ〔エダニ〕は、自分の父の兄弟ダニエール〔ダネル〕の娘
 (4,27) マトゥサラ〔メトセラ〕の妻エドナは、彼の父の兄弟エズリエールの娘
 (4,28) ラメクの妻ベテノース〔ビテノシ〕は、彼の父の兄弟バラキエール〔バラクエル〕の娘
 (frag p)(4,31) 930年、カインもまた、家が彼の上に倒れたために死んだ、というのは、自分も石でアベルを亡き者にしたからである。かくして、アダムの死後、まる1年後に死んだ。
 (frag q)(4,33) ノーエの妻はエムザラは、彼の父の兄弟バラキエール〔レケエル〕の娘。
 (frag r)(5,22) というのは、ここにおいても預言者によって告げられたことが成就したからである。「神の〔契約の〕筺がわたしたちのところにやって来る(クリストスの成就を人間どもに言っているのである)第5の月の第5日に」、その時ヘブライオイ人たちのもとで成就したように。
 (frag s)(7,1) この2251年、謂われているところでは、ノーエはアルメニアのルゥバル〔ルバル〕山に葡萄を植えた。
 (frag t)(8,2) 585年、カイナンは平野を旅し、(8,3)巨人たちの書を見つけ、自分のところに隠した。
 (frag v)(8,5) カイナンの妻メルカは、イアペトの息子マダイの娘である。
 (8,6) サラ〔シェラ〕の妻はモーアカ〔メルカ〕は、彼の父の兄弟の娘ケエダムである。
 (8,7)
 エベル〔ヨベル〕の妻は、ネブロード〔ネブロデ〕の娘アズゥラ〔アズラデ〕である。
 (frag w) というのも、いわゆるモウーゥセースの黙示録中で彼らについて述べられているところでは、(10,1) 大洪水後の世界暦2582年、妬みに衝き動かされて、(寝ずの番人たちは)死後にノーエの息子たちを惑わしたのである。
 (10,2)そこでノーエが彼らを払除するため祈ったので、
 (10,7)主は、大天使ミカエールに、連中を底知れぬ所に審判まで投げ込んでおくよう命じたもうた。
 (10,8)すると悪魔が、人間どもに対する誘惑の持ち分を彼らから得られるよう懇願し、(10,9) 神の命により、その1/10が、神に対する各人の選択を検査するために人間どもを試みることが許され、残りの9/10は、底知れぬ所に投げこまれた。しかし、わたしたちには、これは不調和なように思われる、生きた人間が、死者の魂によって試みられるというのは。だから、われわれも、ここや他の場所において、啓示に遭遇する人たちに警告しよう、いかなる場合も、彼らの内にもたらされる思いつきにしたがってはならない、と。
 (frag x)(10,18) パレク〔ペレグ〕の妻は、センナアル〔シナル〕の娘デュムナ〔ロムナ〕
 (frag y)(10,21)契約。43年かけて家を建てた。その高さは5433ペーキュスと2掌尺。間口は203プリントス。プリントスの高さは、1煉瓦の1/3。<1つの壁の長さは>13スタディアとさらに30〔プース?〕。
 (frag z)(10.21) というのは、40年刊かけて彼らは家を建て、あの人(ネブロード)が彼らを背教へと強く使嗾したとき、(10.24)神によって乱されて、多言語へと分かれた。そこでかの人(ネブロード)は、?????
 (10,26)このために塔は強風によって、記録されているところでは、倒れ、神的審判によってこれを倒したもうた。
 
 (frag a*)(11,1) ラガウの妻オーラは、ケザの息子ウルの娘
 (frag b*)(11,1) 生まれたラガブは、132年、セルゥク〔セルグ〕を生んだ。
 (11,2) このため、人間どもは互いに対する慢心を増大させ、自分たちを将軍や王と自任しあった。これこそ、戦具を整えて、互いに戦争をし始めた最初である。
 (frag c*)(11,7) セルゥク〔セルグ〕の妻はメルカ〔マルカ〕、彼の父の兄弟であるカベル〔カブラ〕の娘である
 (11,9) 妻はカルデア人ネスタの娘で、ナコール〔ナホール〕をもうけた
 (frag d*)(11,8) ナコールが成人するや、父はあらゆるあらゆる鳥占い、天界と地上との万象の前兆の判断法、カルデアの占い法(11,9. cf.  supra)を教えた
 (11,14) ナコールは79歳になって、タッラ〔テラ〕をもうけた。他方、アッシュリア人たちの初代の王ニノスは、王国の43年?、アブラアムをもうけた……他方、タッラは70歳になって、自分の父の兄弟アブラアムの娘にして妻であるエドナから、アブラアムをもうけた、これは母親が、自分の父の名前にちなんで呼んだ名である。というのは、件の人はこの〔アブラアム〕の生まれる前に亡くなったことを惜しまれていたからである。
 (frag e*)(11,16) 愛神者であったので、被造物にさえ自分の心を浪費することを潔しとせず、(11,17)被造物の美しさに惹かれて、創造作業に神的照明を要求し、なおも祖国の中で過ごした、と、最初の証言者が行伝の中で謂っているのは、先に示されていたとおりである。
 (frag f*)(12,9) サラ〔サライ〕はアッランの娘、メルカとロートの妹であったとイオーセーポスが記録している。
 (frag g*)(12,12) 世界暦3373年、アブラアム61歳、自分の父親の肖像を焼き捨てた
 (12,14) 夜、アッラン〔ハラン〕はその火を消そうとして、それら〔肖像〕といっしょに燃えつきた。そしてタラ〔テラ〕はカナアンの地に行くため、アブラアムを連れて出かけたが、後悔して、死ぬまでカッランに住んだ。
 
 (frag h*)(12,26) アブラアムに語りかける天使が彼に云った、わしは最初の想像のおりに、あらゆる家族がヘブライ語を話すよう、アブラアムに教えた、と、そのように『小創世記』にある。
 (frag j*)(16,9) ロートの血を引くモーアベータイ〔モアブ人〕とアマニタイ〔アモン人〕とは、違法な混合からうまれた呪われた種
 (15,17) このアブラアムは、100歳にしてイサアクをもうけた。
 (16,21)
 (frag k*)(16,31) ナツメヤシとオリーヴの枝を手に祭壇をまわったのは、アブラアムをもって嚆矢とする。(16,10) その後、マブレーにある樫の樹から引き返し、アブラアムは誓いの井戸のほとりに天幕を張った。
 (16,21)そして、おのれ自身と自分の家人たちのために仮庵をしつらえたが、7日間仮庵の祝祭を執り行ったのは、アブラアムをもって嚆矢とする、この〔祭〕は今もなおイウゥダイオス人は仮庵の祭を祝っている。
 (frag m*)(17,15) イサアクが生け贄に捧げられたのは、25年、と謂われている。
 (frag n*)(17,16) ダイモーンたちの支配者マスティパム〔マステマ〕は、『小創世記』が謂うところでは、神のところに進み出て云った、「もし御身がアブラアムを愛したもうなら、その息子を御身に供犠せしめよ」。
 (frag o*)(18,13) その場所に〔『小創世記』の〕言うところでは  アブラアムが住み、後に、ダビドがそこに神殿を建てた。
 (19,11) アブラアムはその最後の妻ケトゥラ〔ケトラ〕から再び5人の息子をもうけた。
 (19,13) 60年、この年イサアクはイアコーブをもうけた。
 (frag p*)(22,4) レベッカは穀物の小さな菓子(kollurivs)をつくり、イオーセーッポスの謂うところでは、イアコーブに与え、別の贈り物ともども、イサアクのもとに送り出した。
 (frag q*)(26,34) 祝福の際、ヘーサウにイサアクは謂った、「おまえがおまえの首からその軛を取り払い、取り除くときであろう、[おまえが死を成就するのは]」と。
 (frag r*)(29,12)イオーセーッポスの〔こと〕。 イサアク153歳の時、イサアクが彼のもとにメソポタミアから帰ってきた。
 (31,9) そうしてイサアクは目をあげて、イアコーボスの息子たちを見て、
 (31,14) レウィを大祭司として祝福し、
 (31,18) イウゥダを王にして支配者として〔祝福した〕。
 (35,9) レベッカはイサアクに、ヘーサウとイアコーブが互いに愛し合うよう、老齢にかけて諫めるよう懇願した。
 (36,1) そこで彼らを諫めてこう予言した、(36,9)もしイアコーブにヘーサウが逆らうなら、その手に落ちるだろう、と。
 (37,1) さて、イサアクが命終した後、ヘーサウは息子たちに動かされ、(37,9)諸部族を集めて、イアコーブとその息子たちに対して戦端を開いた。
 (37,17) そこでイアコーブは櫓の門を閉ざし、親のいいつけを思い出すよう呼びかけた。
 (37,18)しかし相手は耳を貸さず、驕り高ぶって罵るので、
 (38,1) イアコーブはイウゥダに強いられて、
 (38,2) 弓を引き絞り、右   ヘーサウを斃した。
 (38,3) 相手が死んだので、イアコーブの息子たちは門を開け、大多数を亡き者にした。
 以上のことが『小創世記』に含まれている。
 (frag s*)(46,3) イオーセープは17歳の時に売られ、3年間奴隷としてすごし、3年間獄屋にあり、80年間、全アイギュプトスの地の執政官であった。
 (frag t*)(46,14) すなわち、ほとんどの運河開鑿のために河を掘り抜くよう、また諸都市に市壁を築き、堤を盛りあげさせるよう、彼ら〔イウゥダイオイ人〕に命じた、彼らによって河が港になるよう貯められ、ピラミッドを建て、これによってヘブライオイ人たちを疲弊させるためであった。
 (frag v*)(47,3)『小創世記』によれば、ほとんど10ヵ月間、イスラエール人たちの嬰児たちは河に投げこまれつづけたが、その時までにモーゥセースが王女によって取り上げられた。このせいで、10ヵ月間に10の打撃がアイギュプトス人たちに与えられた。
 (frag w*)(47,5) 同じこの息子が、パラオの娘テルムゥティス〔タルムテ〕  パリエーともいう王女  に育てられ、王女の息子として、アイギュプトスのあらゆる教育で訓練され、????
 (frag x*)(モーゥセースは知者の第一人者になった……と、エウポレモスが謂っていること、(48,1)そこでモーゥセースは、アイギュプトスでの暮らしを捨てて、荒野に出て愛知し、大天使ガブリエールから、世界の誕生に関することを教えられ……(et cf.  Rés., p. 70)。
 (48,5)また次のことも   アイギュプトスにおける隷従の144年、アイギュプトス人たちは十災害を受け始めた。イゥニオス月〔6月〕に水が血に変わり、イゥリオス月に蛙が、アウグゥストス月に蚋が、セプテムブリオス月〔9月〕に犬虻が、オクトーブリオス月〔10月〕に家畜の破滅が、ノエムブリオス月〔11月〕に腫れと出来物が、デケムブリオス月〔12月〕に雹が、イアヌゥアリオス月〔1月〕に飛蝗が、ペブルゥアリオス月〔2月〕に3日間暗闇が、マルティオス月〔3月〕に長子が。この月の14日、アイギュプトス人たちを掠奪して、出て行き、神の命によってこれを為したものたちが。
 (frag y*)(48,14)これによって、十ヵ月間に十災厄がアイギュプトス人たちに与えられ、ついにヘブライオイ人たちの嬰児を河で溺死させた仕方で、海中に転覆させられたのである、イスラエールの1嬰児につき、強壮なアイギュプトス人たち千人が溺死して。
 2017.09.19. 訳了。 |