外典ヨハネ黙示録(2)
[解説]
不明。
[底本]
TLG 1158 003
Apocalypsis apocrypha Joannis (versio tertia), ed. A. Vassiliev,
Anecdota Graeco-Byzantina, vol. 1. Moscow: Imperial University Press,
1893: 317-322.
5
(Cod: 1,916: Apocalyp., Apocryph.)
外典のヨハネの黙示録(第3の翻訳)
317."1t"
主の兄弟イアコーボスと、「神-言(ロゴス)」論者・聖イオーアンネースとの間の問いと答え。
主人よ、祝福したまえ。
「わたしたちに云ってください、「神-言(ロゴス)」論者イオーアンネースよ、人間たちの最後の日々について。魂は身体からどうのように去りゆくのですか、そして、わたしたちの主イエースウス・クリストスの第2の来臨まで、どこに住まうことになるのですか?」。
するとイオーアンネースが彼に向かって言う。
「お聞きなさい、イアコーボス。わたしたちの眼に見えぬ神の、魂が身体から離れるようにとの命令が出ると、最初から人間といっしょにいた天使がやってくる、また、火の両刃剣をおびた第1天使長ミカエールも、これら二人といっしょに、他に4人〔の天使たち〕も〔やって来る〕、そうして魂を身体から取りもどし、魂とともに墓まで身体の〔後から〕ついてゆき、祭司によって墓が封印されるまで、墓の内に立ち合う。そのときこそ、罪を犯した魂は激しく嘆いて言う。
『ああ、悲し、悲し! 力ある光を手放し、闇の中に、そこで生まれたものはいまだかつていないところに去りゆくとは。ああ悲し! わたしの友たちを手放し、かつて見たこともない土地に去りゆく。ああ、悲し、悲し! わたしの身体を手放したとは、それは総て屑にすぎない。とはいえ、それとともにかりそめの喜びを持っていたが、喜びや栄光が罪人にはないところ、そこにくだってゆくとは』。
そうして、その後、天使たちはそれ〔魂〕を引き取り、空にまでのぼってゆく、すると悪霊たちの、その全軍の部隊が、群雲のごとく、カラスのごとくに暗くなるが、〔天使たちは〕罪を犯した魂を絡めとって、次のように言う。
『祭司による自分たちの洗礼のおりに、おまえたちはわれわれを否認した、そしてまたもや自分の証印(sphragis)を否定し、われわれの意向を自分の身体なみに扱った』。
そのときこそ、天使長ミカエールの嘆きが生じ、幾千万の天使たちが集結する、焔の両刃剣と、貴く生を与える十字架とをおびて、そして悪霊たちの部隊は冥府の混沌(chaos)の中まで追い払われる。[318] そのときこそ、罪を犯した〔魂〕を火の河の中に連れくだり、火の河はその魂を受け取り、魂は諸々の強力な懲罰に燃えあがる。そして、魂は河を渡るとき暗くされて言う、『罪人たちによって惑わされ、諸々の責め苦を〔つかさどる〕この者たちにゆだねられ、いや、主よ!主よ! このような懲罰は、かつて見たことがありません』と。そしてそこに3日間とどまり、河の軋みと、責め苦の力(dynamis)を眼にする、そしてそれから、魂は天使たちによって去りゆき、四相の王座を礼拝し、天使たちは彼を不眠の蛆虫の中に連れ行き、その魂を、それが食う自由を持たないままに置き去りにする、主の第二の臨在まで。そうして罪を犯した魂は涙ながらに言う。
『われは罪人にして、悔い改めず、おのが責め苦に身をゆだねるとは! ああ、悲し、罪人にして愚かなるわれ、福音を聞かず、われらに証言しつづける祭司たちを嘲笑し、預言者たちのいうことを聞きながら、彼らを聞かざるかのごとくにふるまいしとは! ああ、悲し、罪人たるわれは! いや、主よ、主よ、このような責め苦に、かつて見たことはありません』。そしてそこに9日間とどまる、そしてそれから天使たちによって立ち去り、火の形した王座を礼拝し、〔天使たちは〕彼をあらゆる懲罰の中に連れゆく。そして万人から侮辱され、彼に向かって懲罰たちがわめく。
『さあ、こっちへ来い、もっとほかの懲罰にあたいするやつよ。おまえは光を拒み、闇を受け容れた。楽園の喜びを拒み、懲罰を受け容れた』。
そのときこそ、魂は涙を流しつつこう言って嘆く。
『ああ、悲し、罪人にして、諸々の罪に惑い、悔い改めなかったわれ!』。
そしてそこに魂は40日間とどまり、天使たちによって連れゆかれ、主の王座を礼拝する。そのとき神の御子を見る、すると天使たちと天使長たちは悲しんだ、魂が邪悪な天使たちもろとも永遠の懲罰の中にくだってゆくことを。というのも、邪悪な天使たちというものは存在せず、生まれることはなかったが、罪人たちの行為のせいで、天使たちも邪悪になり、諸々の懲罰の前に、永遠の時全体の間、懲罰を受けることになるところに、連れ行かれるのだ、そうして〔魂は〕懲罰を受けることになるところに、諸々の責め苦を眼にして言う。
『主よ、主よ、[319]天と地を作った方よ、第2の臨在はやってこず、わたしは自分の責め苦にゆだねられます』。
いや、このことをわたしは言うのだ、イアコーボス、神の愛する者よ、罪人たちが悔い改めないかぎり、神はこれに耳を傾けられないのだ」。
イアコーボスが彼に向かって言う。
「「神-言(ロゴス)」論者イオーアンネースよ、義人たちについてもわたしに知らせてください」。
「それでは、魂は自分の身体から離れるときに言う。
『(あなたに)感謝します、わが神、天の美しき王よ、土塊の身体から立ち去り、わたしは光り輝く者(photeinos)として現れ、分解されるのが相応しかったものは、地中に横たわっています。というのも、楽園の光の中に去りゆくのですから、祭司たちの言いつけに、まして聖なる福音の諸々の言葉に違背せずきましたから』。
そのときこそ、〔天使たちは〕彼を空に連れ行き、悪霊たちは彼を眼にして身を隠す、義人に対面するにあたいしないから、いやむしろ、彼を遠くから眼にして、嘆きに嘆き、〔こう〕言うからである。
『ああ、悲しいかな、われわれは、彼をただ眼にするにもあたいしないとは!』。
そして天使たちは彼を火の河の中に連れくだり、〔彼は〕鳩のように飛んで渡り、そこに魂は3日間とどまり、次のように言う。
『あなたに感謝します、主よ、けがされることなく懲罰を受けることなく、これらの責め苦を渡り終えられたことを』。
そして四相の王座を礼拝し、また天使たちは彼とともについて行き、彼を不眠の蛆虫の中に連れ行く、そのときこそ諸々の懲罰はわめく。
『わしらから離れろ、光り輝く魂よ、わしらに近づくな、わしらはあたいしないのだから』。
そのときこそ魂は言う。
『あなたに感謝します、主よ、責め苦そのものとわたしが無縁なことを』。
そうして、そこに9日間とどまる。そしてそれから天使たちによって連れ行かれ、四相の王座を礼拝し、天使たちは彼について行く、責め苦そのものに、これを見ることにさえあたいしないことに、歓喜歓喜踊躍しながら。そうしてそこに魂は40日とどまり、そのときになって再び連れ行かれ、四相の王座を礼拝し、そのときに神の御子を眼にする、そのときに父は御子とともに喜ぶ、また聖なる霊もすべての天使たちも、松明と数多の栄光をおびた天使長たちも〔喜ぶ〕、そして彼を楽園の前に連れ行き、〔彼は〕これから受けることになる自分の栄光を眼にして言う。[320]
『主よ、主よ、あなたの第2の来臨は間もない、わたしの栄光をわたしが受けるということは』。
そして、罪人たちと義人たちとの間には大きな裂け目があり、その裂け目の中には罪人たちを燃やす火がある、義人たちに対しては露があり、彼らを露でうるおすのである」。
すると彼にイアコーボスが言う。
「わたしたちに云ってください、神に祝福された奴隷、「神-言(ロゴス)」論者イオーアンネースよ、いったいどうすれば、すべての魂は救われることになるのですか、罪なき者は一人もいないからには?」。
すると彼にイオーアンネースが言う。
「聞きなさい、おお、イアコーボスよ、あなたがわたしに質問したその言葉は不愉快です。聖なる福音はわたしに証言している、100頭の羊(probata)を持っていて、(かりに)その中から1頭が迷子になったとしたら、99頭を山に放置して、失ったのを探しに行くのではないか、そしてそれを見つけて、これを自分の肩に乗せて運び、友たちや自分の兄弟たちのところにやってきて、言うのではないか、『わたしといっしょに喜んでくれ、わたしの見失った羊を見つけた』と。そういうふうに、たとえ誰かが罪に惑っても、再び回心して、自分の罪のすべてを告白して聖所に出てくるなら、そのとき彼の悪魔は教会の扉から冥府まで逃げ、言うであろう。
『ああ、悲しいかな、われは、わしの友を失った』。
そのときこそ、わたしたちの主イエースウス・クリストスは、彼を右手で受けとめ、自分の天使たちに言われる。
『わたしといっしょに喜んでくれ、見失っていた羊を見つけたことを』。
そうして、罪人の悔い改めに、大いなる喜びが天に地に起こる。たとえ告白を明日しようとしても、罪を捨てさえすれば、聖霊は、今日、彼の内に住まう。ひとが罪を犯せば、聖霊は彼から逃げ出し、彼がみずから夜と昼の影のようにし、苦悩にさいなまれるのは、彼の内にわたしたちの主も住んでおられるからである。預言者がこういって気の毒がっている。『少年だったわしも、年老いた、しかし知らぬ、義人が退けられ、その裔(sperma)までがパンをもとめるなどということは』〔詩篇(七十人訳)36_25〕。わたしイオーアンネースもこう言う、主イエースウス・クリストスはその第2の臨在のおりに気の毒がってくださるであろう、気の毒がってその魂を救ってくださる。あなたに例を示そう、だから、神の人間愛に絶望してはならぬ。〔???な〕事例を持たなくても、ペトロスを(見よ)、わたしたちの主イエースウス・クリストスを3度否みながら〔マタイ26_69-74参照〕、再び熱き涙によってすぐに許され、[321]熱き悔い改めによって天の鍵を持つ者となったということを。姦淫ならば、淫婦マリアを見よ、1703人の男たちにを相手に罪を犯したが、外国人はもとより同市民をさえ知ることをせず、心弱いこの女は熱き涙によって、自分のすべての罪をぬぐい去ったということを。人殺しにして熱く悔い改めた者ならば、マナッセースを見よ、自分の息子を偶像にして、供犠をなし、長老たち40人を殺し、ヘーサイアス〔イザヤ〕を鋸でひき殺した、しかるに、40日にいたるまで、呻吟と涙の熱き回心によって、深淵は充たされ、数多の罪から許されたということを。盗賊をも見よ、盗みや人殺し、みずからも99人の人殺しをなし、しかるに熱き信仰と大いなる助命の叫びによって、十字架のうえで、『わたしを思い出してください、主よ、あなたの王国で』〔ルカ23_40-43〕と云って、楽園を受けたということを。姦夫ならば、預言者ダウイデを見よ、ウウリアの妻ベールサベエを取り、他にも99人の女を手に入れたところの。しかし全霊をあげて預言者ナタンに告白し、火の両刃剣から身をかわして、神の父(theopator)として座についている。さらにまたクレーテー人アンドレアスをあなたに指摘しよう、彼もまた自分の母親と姦通したが、清浄な悔い改めによって、讃美歌の歌い手かつ神的な書物の雄弁家となり、監督の座を受けた。マゴス僧にして人殺しなら、キュプリアノスを見よ、みずからも悪霊たちの種族の生まれで、1030人の幼児を殺戮し、他にもみずからを目立った者となし、八つ裂きにして〔???〕、多くの人たちを神の道から外れさせた。しかるに、正しい回心(と)熱き告白とによって、精霊たちの軍勢に勝利し、監督者たちと同じ座につき、神への奉仕者(leitourgos)となったということを。こ〔の言葉〕をあなたに言おう。『ああ、わざわいなるかな、悔い改めない者たちは、無法のうちに死んで、クリストスの甦りを観ず、精霊たちもろとも懲罰を受けるために冥府におもむくとは、それは、あたかも福音が謂うとおり、『すなわち、罪を作る者はすべて罪の奴隷であり』〔ヨハネ8_34〕、罪は悪魔の息子である。悔い改めない者たちは悪魔が受け取り、これを彼〔罪を作る者〕の父なる悪魔のところに連れ行く。しかし、罪人が悔い改める前に供犠をなすなら、[322]主を激昂させる、預言者が謂うとおりに。つまり、『罪人の供犠は主にとって忌まわしく、彼の祈りは、悔い改めないなら罪を50倍にして、呪われたものとなろう、彼の頭の毛は白くなるからである』。もしも、罪を犯せば、自分の妻ももたないまま年老いても、自分の娘を相手に姦淫したのだ、だから万人の父と呼ばれるのだと、そういうふうに呼ばれよう。女でも、自分の頭の毛を白くして姦淫すれば、自分自身の生子を相手に姦通したと、そういうふうに呼ばれよう。これに反し、悔い改めた者にはみな主が耳を傾けられて言われる。『罪人の死を望まぬ。(彼が)回心して生きるために』。すなわち、聖なる福音はこう言っている。『無花果の木を切り倒すことを許せ、掘ることで3世代それを生き残らすために、それを切り倒せ、むしろ土地まで疲弊させるから』。木とは罪人のこと、掘るとは祭司の言葉、ブドウとは世界のことである。もしも回心せず、悪しき実をもたらすなら、永遠の火の中に連れ行かれる。ああ、わざわいなるかな、罪を犯しても悔い改めない祭司たちは!」。
彼にイアコーボスが言う。
「わたしたちに云ってください、イオーアンネース、諸教会や山々や物乞いたちの中に宝をたくわえる人たちについて。代価は何ですか?」。
使徒イオーアンネースが彼に言う。
「喜捨する者(hilaros dotes)を主は愛される〔IIコリント9_7〕ということです。何であれ、人が施しをすれば、百倍を報いられる。〔その人が〕弱弱者であるなら、それ〔病弱〕は軽減され、九十倍を報いられる。そしてひとが命終し、自分の従者に言う、『わたしの持ち物をくれ、ひとつは家令が持ち、ひとつの分け前は死者のもの』。〔???〕
確信をもちなさい、聴衆の兄弟たちよ。ひとが死んだ後には、悔い改めはなく、後悔する者たちに対する許し(synchoresis)もない。いや、あなたがたにもう一度言おう、わたしたちの神の人間愛を失望させてはならない、〔神〕ご自身が云っておられるからだ。『わたしのもとにやってくるひとを、外に追い出すことはけっしてしない』と。栄光と力は、永遠の永遠にいたるまでこの方のもの、アメーン。
2004.03.13. 訳了。 |