title.gifBarbaroi!
back.gifラウソス修道者史(1/7)


原始キリスト教世界

ラウソスのための修道者史(2/7)









10."t".
第10話 パムボーについて
10.1.
 この山には、また浄福のパムボーもいた。〔パムボーは〕監督者ディオスコロス、アムモーニオス、エウセビオス、エウテュミオスといった兄弟たちや、またドラコンティオスの甥にして、最も賛嘆すべき人物オーリゲネースの師である。彼パムボーは、高潔さ(andragathema)と長所を最多に持った人物であるが、次のこともそのひとつである。彼がどれほど金や銀を軽蔑していたか、この話(logos)が物語っている。
10.2.
 例えば、浄福のメラニオンが話してくれたことだが、「最初、ローメー〔=ローマ〕からアレクサンドレイアに着きました。彼〔パムボー〕の徳については聞いていましたが、それは、浄福のイシドーロスがわたしに話してくれ、沙漠にいる彼のもとに案内してくれたからです。このとき、300リトラの銀牌を彼のために運び、わたしの財産を受けとるよう彼に頼みました。ところが彼は、座ったまま、ナツメヤシの葉を編みながら、一言わたしを祝福して、云っただけです。『神があなたに報いられますよう』。
10.3.
 そして自分の家令(oikonomos)のオーリゲネースに言います。『受け取って、これをリビュエーや島嶼にいる兄弟姉妹みんなに分けなさい。あそこの修道院がもっと困窮しているのだから』。アイギュプトスにいる人たちの誰ひとりにも与えないよう言いつけたのは、この土地はより豊かだからです。
わたしは」と彼女は主張する、「起って、この寄贈(dosis)を彼に褒めてもらい讃えてもらうことを期待しましたが、相手から何も聞くことができなかったので、相手に云いました。『主よ、いかほどあるかおわかりでしょうか、300リトラあるのですよ』。
10.4.
 すると彼は、まったく顔もあげずにわたしに答えました。『あなたがこれを運んできた相手のお方には、わが子よ、金額の必要性をお持ちでない。その方は、山々を量る方であるから〔イザヤ40_12〕、銀の総額ごときははるかによくご存知だからじゃ。だから、もしもそれをわしに与えるのなら、そなたの言は美しい。だがが、神に〔与える〕なら、オボロス2つも見過ごしになさらぬ。口をつぐみなされ』。
 このように分配なさったのです」と彼女は謂う、「この主は、わたしがこの山に入ったときに」。
10.5.
 少したってから、神の人は発熱することなく永眠されました、病気によってではなく、籠を編みながら。70歳であるのに。この方はわたしを呼び寄せ、最後の1針で仕上げてから、立ち去ろうとするときに、わたしに言う。『この籠をわしの手から受け取りなされ、わしを思い出すために。そなたのために残せるものをほかに持たぬからじゃ』」。
 彼女は彼を埋葬するため、亜麻布でその身体を巻いて横えた。じつにそのようにして、彼女は沙漠から引き揚げたのだが、死ぬまでその籠を手許に持っていたのである。
10.6.
 このパムボーは命終するとき〔393年〕、逝去するまさにその刻限を、長老にして家令のオーリゲネースとアムモーニオス — いずれも音に聞こえた人たちである — や、その他の兄弟たちに知らせ、こういうことを述べたと言われている。『沙漠のこの場所にやってきて以来、わが僧坊を建て、住み、わしの両手〔で稼いだもの〕以外に「与えられたパン」〔第2テサロニケ3_8〕を口にした覚えはない。今の今までわしがしゃべった言葉に悔いはない。まさにかくのごとくして、敬神たること(theosebein)をまだ始めもしない者として去る』。
10.7.
彼のために証言して、オーリゲネースとアムモーニオスとがわたしたちにこう物語っている。 — 書かれた言葉や、あるいは何か他の実践的な言葉を質問されても、即座には答えることなく、彼は言った、『まだ見たことがない』。しばしば3ヶ月過ぎても、答えを出すこともしなかった、理解できないと言って。しかし、そうであればこそ、彼の表明は、神から、神の意志に従って考え抜かれたものとして、人々は受け入れた。すなわち、このような徳、言葉の厳密さという徳は、万人に抜きん出ている[大アントーニオスにさえも抜きん出ている]と言われていた。
10.8.
 また、パムボーについて次のような行状(praxis)が伝えられている。つまり、修行者ピオールが彼に会うため、自分のパンを携行してきたところ、彼からなじられた。「何のためにそんなことをしたのか?」。答えた。「あなたに厄介をかけたくないので」と謂う。彼〔パムボー〕は相手に、きっぱりと沈黙〔の教え〕を教育した。しばらくして彼〔パムボー〕は彼〔ピオール〕に会うため、パンを湿らせて携行した。そして問いただされると云った。「そなたに厄介をかけないため、だから湿らせたのだ」。

11."t".
第11話 アムモーニオスについて
11.1.
 このアムモーニオスは、そのひと〔=パムボー〕の弟子で、[他の3人の兄弟と]自分の2人の姉妹と同時に、愛神(philotheia)の極致に達した。彼らは沙漠にやってきて、彼女らは別々に離れて独りとなり、この〔アムモーニオス〕も別に離れ、お互いの間に充分な隔たりをとった。しかし、この人物は途方もないほどの学者(philologos)だったので、とある都市も監督になってくれるよう彼に懇請し、浄福のティモテオスのところにおもむき、彼〔アムモーニオス〕を自分たちの監督者に選任してくれるよう彼〔ティモテオス〕に頼んだ。
11.2.
 すると〔ティモテオスは〕彼らに言う。「わたしのところに彼を連れてきなさい、そうしたら、彼を選任しよう」。
 そこで、助けを伴って下向したところが、〔アムモーニオスは〕つかまえられると見て、彼らに頼み、選任は受け容れられないし、まして沙漠から出て行くことはないと、誓った。しかし彼らはこれに同意しなかった。すると、彼らが見ている前で、鋏をとって、自分の左の耳を基部まで切り取り、彼らに言った。「今からなら資格があろう。耳を切られた者は聖職(hierosyne)に就くべからずと法が禁じているのだから、わたしには〔監督者に〕なることができないのだから」。
11.3.
 さて、こういう次第で、彼をゆるしてひきさがり、引き揚げて監督者に云った。すると彼らに言う。「そんな法は、イウウダイオイ〔=ユダヤ〕人たちのもとで行われているがいい。たとえ鼻を切られた者であろうと、わたしのところに連れてきたら、性格の点で価値或る者なら、選任しよう」。
 そこで彼らは再び下向し、彼に頼んだ。すると彼らに誓った、「あなたがたがわたしを強制するなら、わたしの舌を切ることにしよう」。そういう次第で、彼を放免して彼らは引き下がったのであった。
11.4.
 このアムモーニオスには、次の驚異譚が伝えられている。つまり、彼の肉の快楽が彼に対して謀反を起こしたとき、彼がこれを放任したことはかつてなく、鉄を真っ赤に焼いて、自分の四肢に押し当てるので、彼はいつもひっつりだらけだったというのである。しかしながら、彼の食卓は、若いときから死ぬまで、生食があったためしがない。すなわち、火を通されたものは、パンを除いて、なにひとつ食べたことがかつてなかった。旧約聖書と新約聖書を暗誦し、オーリゲネース、ディデュモスピエリオス、ステパノスといった著名者たちの著作のうち、600万句を暗記していたということは、沙漠の師父たちが彼のために証言している。
11.5.
 また、他に誰かいるとしたら、沙漠の兄弟たちにとっての激励者(parakleitikos)にほかならなかった。[このことに賛成票を投じたのが浄福者エウアグリオス — 聖霊にまとわれ思慮分別のある人物 — であって、こう言っている。彼以上に心の平静な人(apathes)はいまだかつて見たことがない、と]。
 [この人物〔アムモーニオス〕が、所用でコーンスタンティヌウ・ポリスにかつて行ったことがあり……少ししてから眠りについた。そしてルウピニアナイと言われる殉教者廟に葬られた。彼の塚はどんなふるえの患者たちも治したと言われる]。

12."t".
第12話 ベニアミンについて
12.1.
 ニトリアのこの山に、ベニアミンという男がいた。彼はそういうふうに呼ばれ、80歳まで生き、修行の極致に達した人であった。癒し(iamata)の天賦の才(charisma)をありがたがられていた。どんな人でも彼が手を当てたり、祈ってオリーブ油を与えると、あらゆる病弱さを治すことができたからである。ところが、こういう天賦の才(charisma)をありがたがられていたこの人が、その死の8ヶ月前、水腫にかかり、その身体が腫れあがったあまりに、もうひとりのイオーブ〔=ヨブ〕のように見えるまでになった。そこで、監督ディオスコロス[当時、ニトリア山の長老であった]がわたしたち — わたしと浄福のエウアゴリオスとを迎え入れ、わたしたちに言う。
12.2.
 「こちらへ。ごらんなさい、これほど身体がふくらみ、不治の苦患(pathos)にありながら、度はずれた祈りを持っている新しいヨブを」。
 そこで身体があまりにふくらみ、自分の手の指でほかの指をつかむことも出来ないのをわたしたちは眼にした。苦患(pathos)の恐ろしさに見つめることもできず、わたしたちは眼をそらした。そのとき、かの浄福のベニアミンがわたしたちに言う。「祈ってくれ、子どもたちよ、わしの内なる人間が水腫にかからぬよう。というのは、この〔身体〕は、いいめをしている時も益することもなく、ひどいめにあっているときも害することもないのだから」。
12.3.
 それから8ヶ月間、幅広い椅子が彼のために据えられ、その上に、彼はいつも座っていた。ほかの必要性から、もはや寝椅子にもたれることもできなかったのである。この苦患(pathos)にありながら、ほかの人たちを治療したのである。ところで、この苦患(pathos)をわたしが話さなければならなかったのは、義しい人たちに何か危なっかしいことが結果した場合に、わたしたちがいぶかしがらないためである。さて、彼が命終した時、戸口の枠の上下(phliai)と、脇柱(padastades)まで押し広げられた。〔彼の身体の〕ふくらみ方はそれほどであったのだ。

13."t".
第13話 アポッローニオスについて
13.1.
 名をアポッローニオスという人は、商売人の出身で、遁世して、ニトリア山に住んでいた。年をとって技術を学ぶことも、書く修行もできなくなったので、このような修行〔=商売〕をして、山中に20年間生きた。自分の財産と自分の労苦によって、ありとあらゆる医療品や食糧雑貨品を買いにアレクサンドレイアに行き、島嶼に行って兄弟姉妹たち全員を援助した。
13.2.
 じっさい、朝早くから9刻ころまで、彼が諸々の修道院をまわり、病臥している者がいないか戸口ごとに入ってゆくのを目撃することができた。そして、干しぶどう、ザクロ、卵、秋まき小麦 — これらは病弱な人たちが必要とするものだった — を運び、老いにいたるまで、このような行住坐臥(politeia)に自分の喜びを見出していた。この人は命終する時、似た人に自分の小物を残し、同じ務めをはたすようその人に頼んだ。というのは、この山に住む5000人の修道者たちと、その訪問者にとって、必要だったからである。その場所は沙漠だったので。

14."t".
第14話 パエーシオスとエーサイアスについて
14.1.
 ほかには、パエーシオスとエーサイアスとがいた。〔彼らは〕そういうふうに呼ばれ、スパノドゥロモス人の交易商人を父親にもっていた。父親が命終したとき、彼らは所有していた不動産、貨幣5000枚、衣服や家僕といった見つけられた財産を分けあった。この者たちはお互いに考え、自分たちで相談して言った。「わたしたちはどんな人生の道を歩んだらいいか、兄弟よ。わたしたちの父親が従事した交易に携われば、わたしたちも他の人たちに労苦をかけることになろう。
14.2.
 そして、盗賊や海難やといった危険にも陥ることになろう。そこで、さあ、修道生活に進もう、そうすれば、わたしたちの父親の財産をも儲け、魂を破滅させることもなかろう」。
 こうして、修道生活の目標が彼らの気に入った。しかし、それぞれ相手と調子が合わなかった。というのは、財産を分け合い、めいめいが神の気に入られるという目標を持ったものの、行住坐臥(politeia)は相異なったのである。
14.3.
 例えば、ひとりは、修行道場や教会や牢屋に全財産を喜捨し、パンを供給する技術を学んで、修行と祈りに専念した。もうひとりは、何も喜捨することなく、自分で修道院を建て、少数の兄弟たちを迎え入れ、あらゆる外国人、あらゆる病弱者、あらゆる老人、あらゆる貧乏人を、主の日と安息日ごとに受け入れ、3ないし4つの食卓を立てた。そうやって自分の財産を消尽したのである。
14.4.
 さて、両者が命終してから、両者が完徳に達したとして、彼らに対して異なった浄福視が生じた。そして、ある人たちにはこちらが気に入り、ある人たちにはあちらが〔気に入った〕。こうして、兄弟団の間に、称賛をめぐって言い争いが起こったので、浄福のパムボーのところにやってきて、彼に判定を申し入れた。より大いなる行住坐臥(politeia)を学ぶことが大事だと思ったからである。すると彼は彼らに言う。「両者とも完徳者である。すなわち、ひとりはアブラアムの仕事を証し、ひとりはエーリアの〔仕事を証した〕」。
14.5.
 すると一派の人たちが言う。「あなたの足にかけて、どうして彼らが等しいことがありえましょう」。つまり、〔この一派は〕修行を重視し、こう言うのだ。「福音の〔命ずる〕ことを実践し、すべてを売り払い、乞食たちに与え、昼も夜も、刻々に十字架を担いつづけ、救主と祈りにつきしたがった」。するともう一派が異議をとなえ、こう言う。「このひと〔エーサイアス〕は、必要とする人たちに自分を証したのだ、公道に座りさえし、患難にある人たちを集め、そうして自分の魂を休息させたのみならず、他の多くの人たち、看病する人たちや援助者たちの〔魂〕までも〔休息させた〕」。
14.6.
 浄福のパムボーが彼らに言う。「もう一度あなたがたに言おう。両方とも等しいのだと。あなたがたの各人に確信させよう、 — このひとが、あれほどの修行をしなければ、あの人の善さと比較されるにあたいする人物とはならなかったろう。逆に、あの人は外国人たちを休息させ、彼もまたいっしょに休息したのだ。たとえ、辛苦して重荷を担っているように見えても、やはりそれによってまた休息をも得たのだ。しかし、待ちなさい。そうすれば、わたしは神から啓示を受けられよう。そうして、その後でやってくれば、あなたがたは学ぶでしょう」。  こうして、数日後やってきて、再び彼に催促すると、彼らにこう言う。 — 神のおそばに、「楽園に両者ともいっしょに立っているのを見た」。

15."t".
第15話 若きマカリオスについて
15.1.
 名をマカリオスという若者がいた。18歳のころ、マリアと言われる湖のほとりで同輩たちと遊んでいた。四つ足動物を放牧していて、心ならずも殺人をしでかした。そして、誰にも何も告げず、沙漠に出会って、神と人とに対する怖れに駆り立てられ、みずからに無感覚となり、3年の間、沙漠で屋根なしのまま留まった。ここの人たちにとって大地は雨が降らない。このことは、言葉によってであれ経験を通してであれ、誰もが知っている。
15.2.
 この人が、後に、自分のために僧坊を建てた。そしてさらに25年、その僧坊で生き、ダイモーンに唾を吐く天賦の才で尊敬され、修道に耽った。わたしはこの人と多くいっしょに過ごしていたので、殺人の罪について彼がどういう思念(logismos)でいるのか尋ねた。苦悩に耐えたおかげで、殺人に感謝さえするほどまでになったと言った。すなわち、彼にとって心ならずもの殺人は、救い(soteria)の出発点となったのである。
15.3.
 さらに彼は聖書から証言を引用してこう言った。 — モーセースは神的な幻想[やあれほどの恩寵や聖なる言葉の著作]にあたいするものとはならなかったであろう、もしも、アイギュプトスでしでかした殺人のせいで、パラオに対する怖れからシナイ山を後にしなかったならば、と。わたしがこのことを言うのは、殺人へと手引きするためではない。むしろ、ひとがすすんで善に接近しない場合、惨禍〔環境〕に由来する徳というものもあるということを示すためだ。なぜなら、諸徳の中には、自由意志による選びに由来するもの(proairetike)もあれば、惨禍〔環境〕に由来するもの(peristatike)もあるのだから。

16."t".
第16話 ナタナエールについて
16.1.
 古老たちの中には、ほかに名をナタナエールという人がいた。わたしはこの人をに、その存命中に出会うことはできなかった。わたしの到着よりも15年も前に永眠していたからである。しかし、彼といっしょに修行し、同時代を生きた人たちにはめぐりあって、その人物の徳を詮索するのに忙しかった。彼らは彼の僧坊もわたしに示してくれたが、そこにはもはや誰も住んでいなかった。それ〔僧坊〕が人の住まいする地に近いからであった。というのは、あの人がそれを建てたのは、隠遁者たちが稀なときであった。さて、彼らは彼についてとりわけ次のことを話してくれた。 — この僧坊でこれだけ堅忍したのは、決意(prothesis)を揺すぶられないためだったというのである。
16.2.
 万人を弄んで欺くダイモーンによって、初めて愚弄されたときには、最初の僧坊で懈怠(akedia)に陥った。そこで去って、もっと村の近くに別の〔僧坊〕を建てた。ところが、その僧坊を完成し、移り住んだ後、3ヶ月ないし4ヶ月して、夜、ダイモーンが現れた。それは死刑執行人たちのように牛革を携え、ぼろぼろの兵士の恰好をして、牛革で騒音を立てていた。これに向かって、浄福のナタナエールは答えて言った。「そなたは何者か、わしの客間でこんなことをしでかすとは」。
 ダイモーンが答えた。「おれはあの僧坊からおまえを追い出した者だ。ここからもおまえを逃げ出させるためにやってきたってわけだ」。
16.3.
 かくて、愚弄されていたと知って、彼はもう一度最初の僧坊に引き返した。そしてまるまる35年間、扉を越え出ることなく、ダイモーンと闘いつづけた。これ〔ダイモーン〕が彼を外に引きずり出すために、どれほどのことを彼に示したか、話し尽くすことはできない。次のことも、その中のひとつである。聖なる監督たち7人の来訪 — これは神の配慮によって起こったことなのか、あるいは、あやつ〔ダイモーン〕の試みによって〔起こったこと〕なのか — を待っていて、もう少しのところで彼の決意(prothesis)を無に帰するところであった。というのは、祈りの後、監督たちが出て行きかけたとき、彼らを先に立って送り出さなかったのはもちろん、一歩も〔動かなかった〕。
16.4.
 執事(diakonos)たちが彼に言う。「あなたは尊大なことをなさる、師父(abba)よ、監督たちを先に立って送り出されぬとは」。すると彼が彼らに言う。「わしは、わしの主である監督たちに対しても、この世全体に対しても、死んでいる。なぜなら、わしは隠された目的を持っており、わしの心(kardia)は神がご存じだ。だからあの方たちを先に立って送り出さないのだ」。
 こうして、ダイモーンはこの芝居を当て損なったので、彼の死の9ヶ月前に姿を変え、10歳ぐらいの少年になった。〔この少年は〕パンの籠を運ぶロバを追っていた。そして、夕方おそく、彼の僧坊の近くを通りがかったとき、ロバが倒れたふりをして、少年は泣き声をあげた。
16.5.
 「師父(abba)ナタナエール、ぼくを憐れんで、ぼくに手を貸してください」。  彼は、まことしやかな少年の声を聞いて、扉を開き、内側に立ったまま彼に話しかけた。「何者か、いったいわしにどうして欲しいのだ」。〔少年が〕彼に言う。
 「これこのとおり、わたしは黒人奴隷で、パンを運んでいるところです。しかじかの兄弟の愛餐(agape)があるので、明日、安息日が明けるまでに届ける必要があるのです。あなたにお願いです。わたしを無視しないでください。わたしがハイエナに食べられないようにしてください」。
 たしかに、そのあたりにはハイエナが多数いた。そこで、無言で立ったまま、聖ナタナエールは同情に混乱してひどいめまいがし、自分のなかで思案して言った。「言いつけ(entole)を破るべきか、それとも、決意(prothesis)を」。
16.6.
 しかしながら、思案した後に、悪魔の侮辱に対しては、これほどの歳月、決意(prothesis)を揺るがせないできたのがよりよいと考え、祈りを捧げてから、まことしやかに話しかけてきた少年に言う。「聞け、少年よ。わしがお仕えしておる神をわしは信じる。おまえに必要とあらば、神はおまえに助けをお送りになり、ハイエナたちも他の何も、おまえを害することはないとな。じゃが、もしもおまえが試みるもの〔ダイモーン〕なら、神はこの芝居をもはやこの場で暴露なさるであろう」。そうして扉を閉ざして、中に入った。
 ダイモーンはといえば、この敗北を恥じて一陣の風に分解し、さらに野生ロバとなって飛びはね、逃走し、騒音は消えた。
 これが、浄福のナタナエールの格闘(athlon)であり、これがその生き方(diagoge)であり、これがその終わり(telos)であった。

17."t".
第17話 アイギュプトス人マカリオスについて
17.1.
 その名を謳われた2人のマカリオスに関する話は、数も多く偉大で信じがたいので、言ったり書いたりすることにわたしは躊躇するが、虚言者という疑いだけはけっして招かないようにしたい。「主は嘘をいう者たちをすべて滅ぼさせる」〔詩篇5_6〕ということは、聖なる霊が表明しているところである。だから、わたしは虚言しないから、最も忠信な人〔ラウソス〕よ、信じなくてはなりません。これら〔2人の〕マカリオスのうち、ひとりは生まれがアイギュプトス人、もうひとりはアレクサンドレイア人で、乾物を売っていた人である。
17.2.
 そこで、最初に、アイギュプトス人〔マカリオス〕について話そう。この人は、まる90年生きながらえた。そのうち、60年を沙漠で過ごし、隠棲したのは30歳の若者のときである。そして、洞察力(diakrisi)のあることで尊ばれ、彼は老人の知恵を持った少年(paidariogeron)と言われたほどである。だからしてまた進歩も早かった。というのは、40歳になったとき、諸々の霊に対する癒し(iamata)と予言の恩寵を授かった。さらにまた祭司の務めでも尊敬された。
17.3.
 この人には2人の弟子がいて、沙漠の最深部、スケーティスと呼ばれるところまでついて行った。このうちのひとりは、到来者たちを世話するために、召使いとして彼のそばに侍り、もうひとりは、すぐ近くの僧坊にいて学んだ。やがて時が過ぎ、透視力のある眼で予見して、自分に仕えている弟子に言う。〔この弟子は〕イオーアンネースと呼ばれ、後にマカリオスその人の場所で長老となった。「わたしのいうことを聞きなさい、兄弟イオーアンネースよ、そしてわたしの警告を甘受しなさい。すなわち、あなたは試みられ、また金銭欲の霊があなたを試みている。
17.4.
 というのは、そういうふうにわたしに見えたからです。そしてわかりました、あなたがわたしに我慢するなら、ここで命終し、称賛され、『鞭もあなたの天幕に近づくことはない』〔詩篇91_10〕。しかし、わたしのいうことを聞かねば、ギエゼー〔ゲハジ。列王紀下5_20-27〕の最後があなたに降りかかり、その苦患(pathos)の病にかかるであろう」。
 結局、マカリオスの永眠後、さらに15ないし20年たって、彼はいうことを聞かず、乞食たちのものをかっぱらって象皮病にかかり、彼の身体に指を当てると、無雑な箇所が見つからないほどになった。これこそが、聖マカリオスの予言にほかならなかった。
17.5.
 ところで、食べること飲むことについて話すことは余計なことで、無頓着な人々の間でさえ、そういった問題における大食(adephagia)ないし無関心(adiaphoria)を見いだすことはできない。それは、必要なものの欠乏と、住民たちの期待のせいである。
 わたしが言いたいのは、彼のほかの修行についてである。というのは、彼は絶えず忘我状態にあった、というより、もっと多くの時間、天の下の事柄よりも、むしろ神に従事していたと言われる。次のことも、彼の驚異として伝えられている。
17.6.
 あるアイギュプトス人の男が、夫のいる女に恋をしたが、これを誘惑することができず、呪い師と膝を交えて言う。「彼女を攻略して、彼女がおれを愛するようにするか、何とかして彼女の亭主が彼女を放り出すようにし向けるか、してくれ」。そこで呪い師は充分な〔賄賂〕を受け取って、呪いの詐術を使い、彼女が牝馬(phodas)に見えるようにした。さて、外から入ってきた夫は、自分の寝台に牝馬が横たわっているのを眼にしてたまげた。夫は泣き、悲しんだ。その動物に話しかけた。答えはない。村の長老たちを呼びにやる。
17.7.
 案内し、示す。事態が解せぬ。
 3日間、牝馬としてまぐさを摂るでもなく、人間としてパンを〔摂る〕でもなく、彼女はどちらの食べ物も奪われてしまっていた。最後に、聖マカリオスの徳が現れるようにとの神のおぼしめしから、彼女の夫の心に、彼女を沙漠に連れて行こうと思い立ち、馬のように彼女に馬勒をつけて、そうやって沙漠に連れてきた。彼らが近づいたとき、マカリオスの僧坊の近くで、兄弟たちが立ちはだかって、彼女の夫と言い争って言う。
17.8.
 「なぜこんな牝馬をここに連れてきたのか」。
 〔夫が〕彼らに言う。「憐れみをいただくために」。
 これに彼ら〔兄弟たち〕が言う。「どういうことか」。
 彼らに夫がこう答えた。「これはあっしの妻でがしたが、馬に変身して、今日で第3日になりやすが、何も食べないのでがす」。
 彼らは聖人に言上した。〔聖人は〕内で祈っていた。神が彼に啓示なさったので、彼女のために祈っていたのである。そして、聖マカリオスは兄弟たちに答えて、彼らに言う。「あなたがたは馬だ。馬の眼を持っているのだから。
17.9.
これは女だ、姿が変わったのではなく、罪人たちの眼に〔変わって見える〕にすぎない」。
 そうして水を祝福して、頭から注ぎかけ、彼女の裸体にひきのばしていった。そうして、たちどころに彼女がすっかり女に見えるようにした。そして彼女に食べ物を与え、彼女に食べさせ、主に感謝する彼女を、自分の夫とともに去らせた。そのさい、彼〔マカリオス〕は彼女に言いつけて云った。「けっして教会を見捨ててはならぬ、[けっして聖餐式(coinonia)から離れてはならぬ]。そなたがこんな目に遭ったのは、5週間、〔聖餐の〕秘義に近づかなかったせいなのだから」。
17.10.
 彼の修行の実践はほかにもある。長い間かけて、自分の僧坊から、地下に半スタディオンの坑道を作り、その端を洞穴に仕上げた。そうして、多数の人たちが彼のところに押し寄せるたびごとに、彼はこっそりと自分の僧坊から抜け出して、その洞窟に引きこもり、誰も彼を見つけられなかった。こうして、彼の熱心な弟子たちのひとりがわたしたちに話してくれたところでは、洞窟に引きこもって、祈りを24回行い、出てくるときも24回したと言う。
17.11.
 彼について、身体のよみがえりがあることを認めない異端者を説得するために、死者をよみがえらせたという噂が広まっている。この噂も沙漠で流布しているものである。あるとき、ダイモーンにつかれた若者が、これを嘆く自分の母親によって、彼〔マカリオス〕のもとに連れてこられた。彼〔若者〕は2人の若者に縛られていた。ダイモーンは次のような活動力(energeia)を有している。〔つまり〕パン3モディオス、水キリキア壺分を飲んだ後、霧のように噴き出し、食った物を吐き出す。そういうふうに、食った物や飲んだ物を、火によってのように無駄にしたのである。
17.12.
 というのも、「火」と言われる1隊がいるからである。ダイモーンたちには、人間たちと同様、種々いるが、それは実体(ousia)ではなく、考え(gnome)である。ところで、この若者は、自分の母親から〔与えられるものでは〕満足せず、自分の糞を食べた。自分の尿を飲むこともしばしばであった。そういうわけで、母親が泣きながら、この聖人に懇願するので、彼〔若者〕を受け取り、これのために神に嘆願して祈った。そして、1、2日後、苦患(pathos)が衰えたので、聖マカリオスは彼女に言う。
17.13.
 「どれくらい食べて欲しいのか」。
 すると彼女は答えて言った。「パン10リトラ」。
 すると、多いといって彼女を叱って、7日間、断食して彼のために祈り、3リトラを彼に食べさせ、労働も課するようにした。じつにこういうふうに治療して、彼を母親に引き渡した。
 これこそが、神がマカリオスを通してなさった驚異であった。この人物とはわたしは面談したことがない。わたしが沙漠に着く1年前に、永眠したからである。

18."t".
第18話 アレクサンドレイア人マカリオスについて
18.1.
 わたしが面談したのは、もうひとりのマカリオスの方である。こちらはアレクサンドレイア人で、ケッリアと言われる地方の長老であった。わたしがケッリアに逗留したのは9年間。そのうち、わたしとの3年間、彼は存命であった。したがって、あることはわたしが目撃し、あることは本人から聞き、あることは、別の人たちから学んだことである。
 さて、彼の修行はこうであった。いつか何かを聞いたら、それを完全に達成したのである。例えば、ある人たちから、タベンネーシア人たちが四旬節の間中、火を通したものは食べないと聞けば、7年間、火を通したものは食べぬと決心し、生の野菜や濡れた豆類がたまたま見つかる以外は、何も口にしなかった。
18.2.
 こういうしだいで、その徳を達成し、今度は他の人から、1日にパンを1リトラしか食べないと聞いた。すると、自分のビスケット(boukkellaton)を砕いて、秤壺(saites)の中に入れ、手でつかめるだけずつ食べる決心をした。そして、彼は楽しげにこういうことを話してくれた。「もっと多くのかけらを掴んだとしても、全部を取り出すことはできんのじゃよ。〔壺の〕首が狭くてな。まるで収税吏のようにわしを容赦してくれん」。こうして3年間この修行をつづた。パンは4ないし5ウンキアを食べ、水は同じくらいの量を飲み、オリーブは1年間に1クセステース〔を使うだけであった〕。
18.3.
 彼の別の修行。睡眠を克服しようと決心し、こういうことを話してくれた。 — 20日間、屋根の下に入らず、睡眠に打ち勝とうとし、炎熱に焼かれ、夜間の寒さに縮みあがった。そうして、彼はこう言った。「早く屋根の下に入って、睡眠をとらなければ、わたしの脳味噌がしなびてしまって、それから先はわたしは忘我状態になってしまうほどになった。そこで、わたしの意志のもとにあるかぎりのことには打ち勝った。しかし、自然が必要とするかぎりは、睡眠に譲歩することにしたのじゃ」。
18.4.
 この人が、朝早く、僧坊に座っていると、蚊が足にとまって彼を刺した。そこで痛みを感じてそれを手で潰した。血をたらふく吸っていた。すると、自分で自分に復讐したのだと悟って、スケーティスの沼地 — 大沙漠の中にある — において自分を処罰した。つまり、裸で、6ヶ月間、そこに坐ったのである。そこは、イノシシの皮膚さえ食い破るという、蜂のような蚊がいるところである。こうして、全身も背骨も食い破られて、象皮病になったのだと信じる人々がいるくらいになりはてた。こうして、6ヶ月後、自分の僧坊にもどったが、声によって〔かろうじて〕それがマカリオスだと知れた。
18.5.
 あるとき、この人は、イアンネー〔=ヤンネ〕とイアムブレー〔=ヤンブレ〕の菜園墓(kepotaphion)に参ることを思い立ったと、自分からわたしたちに話してくれた。しかし、その菜園墓は、かつてファラオのそばで権勢をふるったマゴス僧たちのところにあった。だから、長い間権勢をもっていたので、4プース四方の石でその作品を建造し、そこに彼らの墓をつくり、多数の黄金を収めていた。樹木も植えたのは、その場所が湿地だからで、そこには井戸も掘っていた。
18.6.
 さて、聖人は道を知らなかったので、ちょうど海洋におけるように、一種の目標として星に従って、沙漠を旅しながら、葦の束をとり、1ミリオンごとに1束置いて、帰り道を見つけるための徴とした。こうして9日以内の旅をつづけ、その場所に近づいた。すると、ダイモーン — いつもクリストスの格闘者たちに反対するやつが、葦を全部集めて、菜園墓から1里程へだったところで眠っていると、彼の枕元に置いたのだった。
18.7.
 そういう次第で、起きあがって、彼は葦を見た。これも、彼の訓練をより多くするために神が認められたことであろう。葦にではなく、沙漠で40年間イスラエールを道案内した雲の柱〔出エジプト13_21〕に望みをかけるようにと。彼はこう言った。「70人のダイモーンたちが、迎え撃つために菜園墓から打って出てきた。わたしの目の前をオオガラスのようにわめき飛びまわった。そして言う。『何が望みだ、マカリオスよ。何が望みだ、修道者よ。どうしてわれわれのこの場所にやってきたのだ。おまえはここにとどまることはできんぞ』。そこで彼らにこう云った、と彼は謂う。『入って、調べて、出て行くだけだ』。
18.8.
 こうして、彼の謂うのには、入っていって、かれが見たのは、小さな青銅の水瓶(kadion)と鉄の鎖 — すでに長い間使い古されたもの — が井戸のところにぶら下げられていたが、ザクロの実は太陽に乾しあげられて、内側には何もなかった」。
 さて、こうして、引き返し、20日間かかって帰ってきた。しかし、携行した水もパンも尽き、多大な難儀に見舞われた。そうして、ほとんど衰弱死しかかったとき、ひとりの乙女が彼の前に現れた。彼の話では、〔その乙女は〕純白の亜麻布を身にまとい、水の滴る水差し(baukalion)を掴んでいた。
18.9.
 彼の言では、彼女は彼から遠く、およそ1スタディオンくらい離れて、3日間、旅をした。彼女は水差しを持って立っているように見えるのだが、まるで夢の中でのように、つかまえることができず、水が飲めるという希望をいだいたまま、それを引き延ばされた。彼女の次には、一群の野牛が現れ、その中に一頭の牝が子牛を連れて立っていた。というのは、その地方には処々方々に多数の牝野牛がいるからである。そうして、彼の言では、その牝牛の乳房からは牛乳が流れ出ていた。そこで彼は〔牝ウシの腹の〕下にもぐりこんで、乳を存分に吸った。そうして、自分の僧坊まで、牝ウシは彼に乳を飲ませながらやってきた。自分の子牛は受け容れずに。
18.10.
 また、他の時には、灌木の茂みの近くで井戸を掘っているとき、コブラに噛まれたことがある。それは致命的な猛毒を持った生き物である。すると両手でこれをつかまえて、その牙を押さえて引き離し、これに云う。「神がおまえを遣わされたわけではないのに、どうして勝手にやってきたのか」。
 また、彼は沙漠にさまざまな僧坊を持っていた。ひとつは、大沙漠の深部スケーティスにあるもの。ひとつは、リバにあるもの。ひとつは、いわゆるケッラにあるもの。ひとつは、ニトリア山にあるものである。いくつかの〔僧坊〕には窓がなく、これらの僧坊では、40日間、闇の中に座っていたと言われる。また他の僧坊は狭く、ここでは足を伸ばすこともできなかった。しかし別の僧坊は広く、ここでは、自分に会いに来た人々と面談した。
18.11.
 この人は、ダイモーンに憑かれた人々を多数手当てしたので、数え切れないほどである。わたしたちがそこにいたときに、生まれのよい処女がテッサロニケーから連れてこられた。彼女は長年のあいだ麻痺を患っていた。この女性に、20日間、聖なるオリーブを自分の手で塗油し、祈って。健康にして本人の国に送り返した。この女性は立ち去ってから、多数の献納物(karpophoria)を彼に送り届けた。
18.12.
 この人物は、タベンネーシス人たちが〔神の国の〕大いなる行住坐臥(politeia)を送っていると聞き、衣服をあらため、労働者の俗な恰好をして、15日間かけて沙漠を旅して、テーバイスにのぼった。そうして、タベンネーシア人たちの修行場に行き、彼らの大修道院長(archimandrites)を訪ねた。〔大修道院長は〕名をパコーミオスといい、最も有名で、預言の恩寵を有した人物であった。彼にはマカリオスのことは隠されていた。さて、面会して彼に言う。「あなたにお願いです、わたしをあなたの僧院に入れてください、修道者になるために」。
18.13.
 パコーミオスが彼に言う。「あなたはすでに老齢に達しておられるから、修行はできません。兄弟たちは修行者ですから、彼らの労苦にあなたは耐えられないでしょう。そうして、背教して、逃げ出して、彼らを悪口するのがおちです」。かくして、彼を受け容れなかった。第1日目も、第2日目も、7日に至るまで。  力のあるかぎり何も食べずにとどまりつづけ、その後で彼〔パコーミオス〕に言う。「わたしを受け入れてください、師父よ、彼らほど断食や労働ができないときは、わたしが放り出されるよう命じてください」。
 〔マカリオスは〕自分を受け入れてくれるよう兄弟たちを説得する。ひとつの僧院の組織は、その当時、1400人である。
18.14.
 こうして受け入れられた。そして少したってから、四旬節が催され、各人がさまざまな行住坐臥(politeia)を修行をするのを眼にした。或る者は夕方に食事をとり、或る者は2日おきに、或る者は5日おきに〔食事をとるのを〕。また別の人は、夜通し立ちつづけ、昼には寝るのを〔眼にした〕。ところが〔マカリオスは〕、ナツメヤシの葉を〔縄をなうために〕大量に濡らし、一隅に立って、四旬節が完了し過越祭(pascha)になるまで、パンに接することなく、水に〔接すること〕なかった。膝を屈することなく、横になることなかった。例外として、キャベツのわずかな葉しか摂らなかった。それも主の日のみ。食事をしていると思われるためである。
18.15.
 そして、時として、自分の必要から出て行くときも、再びすぐにもどってきて立ちつづけた。誰ともしゃべらず、口を開けず、沈黙して立ちつづけた。心(kardia)の内なる祈りと、両手のナツメヤシの葉〔で縄をなう〕以外には、何もしなかった。そういう次第で、修行者たちが皆これを観て、指導者に反乱を起こして言う。「こんな無肉(asarkos)をどこかからわれわれのところに連れてきたのは、われわれを咎めだてするためなのか? やつを追い出せ、さもなければ、われわれがみな出て行くとおもえ」。
 こういう次第で、〔パコーミオスは〕彼〔マカリオス〕の行住坐臥(politeia)ぶりを聞いて、神に祈った。彼が何者であるかを自分に明らかにされたからである。
18.16.
 こうして彼に明らかにされた。そして、彼の手を取って、彼を礼拝堂(eukterios oikos) — そこには供儀台(thysiaterion)があった — に案内して、彼に言う。「こちらへ、尊師(kalogeros)。あなたがマカリオスですな、わたしに隠しておられた。長年のあいだ、あなたにお目にかかりたいとおもっておりました。わたしの子どもたちを殴りつけてくださったこと、あなたに感謝いたします。おかげで、あれらは自分たちの修行を自慢しないですみます。されば、あなたの場所におもどりください。もはや充分に、わたしたちを善導してくださったのですから。そして、わたしたちのために祈ってください」。
 このとき、要請にしたがって彼は退去した。
18.17.
 また、ほかの時に彼がこういう話をしてくれた。「わしが欲した行住坐臥(politeia)はすべて達成したので、あるとき、もっと別の欲求がきざし、そこから、5日間、わしの理性(nous)を気を散らされることなく、神にのみそそぐことをのぞんだことがある。そうして、こう決心して、僧坊と中庭を閉ざし、人間に返事しないようにし、第2刻限から始めて、立ちつくした。このとき、わしの理性(nous)に言い渡して云った。「おまえは諸天から降りてきてはならぬ。そこにおいて、天使たち、天使長たち、上天にある諸権力、なかんずく神をもつ。おまえは天から下に降りてきてはならぬ」。
18.18.
 そうして、2日と2夜を頑張りとおしたが、あまりにダイモーンを激昂させたので、火が焔となって、わたしの僧坊内にあったあらゆるものを焼き尽くし、わしがいつも坐っている茣蓙までも火で燃えあがり、全身に火がついたとわしが思ったほどになった。とうとう、恐怖に圧倒されて、3日目に中止した。わしの理性(nous)を気を散らされないものとすることができず、俗世の観賞に降りてきた。傲慢(typhos)がわしに帰せられることのないためだ」。
18.19.
 あるとき、わたしはこの聖マカリオスを訪問し、彼の僧坊の外に、村の長老が横たわっているのを見つけた。この〔長老の〕頭はすべて、カルキノス〔蟹〕と呼ばれる苦患(pathos)に侵され、頭頂からは骨そのものが露出していた。そこで、癒してもらおうとやってきていたのだが、〔マカリオスは〕これとの面談(syntychia)を受け容れなかった。そこで〔わたしは〕彼にこう頼んだ。「あなたにお願いです、彼を哀れに思って、彼に答えを与えてください」。
18.20.
 すると、わたしに言う。「癒してもらうにあたいしない。なぜなら、彼には教育(paideia)がすでに送られたのだから。しかし、彼が癒されることをもしもあなたがのぞむなら、聖餐式の指導(leitourgia)をやめるよう彼を説得しなさい。というのは、彼は姦淫しながら聖餐式の指導(leitourgia)をした、だからこそ教育(paideia)を受けたのだから。つまり、神はすでに癒されたのだ」。
 そこで、苦しんでいるその人にそう云うと、彼は合意して、もはや祭司の業を行わないと誓った。このとき、〔マカリオスは〕彼を受け容れ、彼に言う。「神がいることを信じるか?」。
 相手に言う。「はい」。
18.21.
 「神をからかうことはできまいな?」。
 こう答えた。「できません」。
 相手に言う。「おまえの罪と、神の教育(paideia) — これによっておまえはこの事態に見舞われた — を悟るなら、これからは直くするがよい」。
 こうして、その罪を告白(exomologesthai)し、もはや罪も犯さず、正餐式の指導(leitourgein)もせず、平信徒(laikos)として聖職者には別れを告げるとの言質(logos)を与えた。じつにそういう次第で、彼に手を当て、数日にわたって癒され、髪がのび、健康体となって立ち去った。
18.22.
 わたしの眼の前で、邪悪な霊に活動力を発揮された少年が、彼〔マカリオス〕のもとに運びこまれたことがあった。するとこれの頭の上に一方の手を、もう一方の手を心臓の上に置いて、祈りつづけて、ついにその〔少年〕を空中に浮遊させるまでになった。すると、その子は、皮袋のように膨張し、あまりに真っ赤になったので、完全に丹毒にかかったようになった。すると、突如、〔少年は〕泣き声を上げ、感覚器官という感覚器官を通して、水を吐き出した。すると、腫れがひいて、再びもとどおりの大きさになった。こうして、これを父親に引き渡し、聖なるオリーブ油を塗り、水を注ぎかけて、40日間は肉に接することなく、酒に接することなきよう言いつけた。じつにこういうふうにして彼を癒した。
18.23.
 あるとき、虚栄(kenodoxia)の思念(logismoi)がこの人物を苦しめたことがある。つまり、彼を僧坊から追い出すために、病弱者たちを手当(therapeia)することで、善導(oikonomia)するために、ローメー〔=ローマ〕への旅をすることを〔ダイモーンたちが〕唆したのである。霊たちに対する恩寵(charis)が、彼の内で大きく働いていたからである。そうして、久しいあいだ、聞き入れなかったものの、激しく駆り立てられ、僧坊の敷居の上で倒れ、両足を外に投げ出して言う。「引っぱるがいい、ダイモーンたちよ、引きずってゆくがいい。わしは、わしの両足で出かけることはせんぞ。おまえたちがわしをそうやって運び去ることができるなら、わしは出かけよう」。彼らにこう誓った。「夕方まで横たわっていよう。おまえたちがわしを揺すぶることができないなら、おまえたちのいうことは決して聞かん」。
18.24.
 こういう次第で、長らく倒れていたが、立ち上がった。しかし、夜になると、再び彼に襲いかかった。そこで、籠を2モディオス〔8.75×2リットル〕の砂で満たし、両肩に担いで、沙漠中を運びまわった。このとき、セオセビオスという修道院の清掃人(kosmetor) — 生まれはアンティオケイア人 — が彼に出くわし、彼に言う。「何を運んでおいでで、師父よ。その荷物をわたしに渡してください。いためつけてはいけません」。そこで彼が相手に言う。「わたしをいためつけるやつを、いためつけているのだ。こいつは手に負えぬやつで、わたしに外遊を唆しよるのだ」。こういう次第で、長いあいだ運びまわってから、僧坊に帰った。身体をくたくたにさせて。
18.25.
 この聖マカリオスが、わたしたちにこう話してくれた。というのは、彼は〔聖餐式を執り行う〕長老だったからだが。「〔聖餐式の〕秘儀の〔聖体〕授与(diadosis)のときに、修行者マルコスにわたしは聖餐(prosphora)を与えていないのに、天使が供儀台から彼に配分していることに気づいた。ただし、授与するものの手のくるぶしを観ただけではあるが」。このマルコスとは、若者であった。旧約聖書・新約聖書を暗唱し、はなはだしく柔和な人物で、他に誰かいるとしても、この人こそは知者であった。
18.26.
 さて、ある日のこと、わたしはのんびりできたので、老齢の極みに達した彼のところに出かけ、その戸口に坐っていた。彼を超人と信じていたので、昔からではあるが、何を言うか、何を為すか、耳を澄ましていた。このとき、彼は内にまったく独りでいた。すでに100歳ぐらいに達し、歯は抜け落ちていたにもかかわらず、彼は自分自身と、悪魔と闘い通して、言った。「何が望みか、悪たれ爺(kakogeras)。見ろ、オリーブも酒も持っているのに、まだ得ようとする。このうえ何が望みだ、大食らい(poliophagos)め」。彼は自身を侮辱した。そうして悪魔に対しても。「おまえにまだ借りがあるなんてことはあるまい。何も見つけられはせん。わしから立ち去れ」。そうして、歌うがごとくに自分と対話した。「こちらへ、大食らい(poliophagos)。いつまでおまえといっしょにおられようか〔マタイ17_17〕」。
18.27.
 また、彼の弟子パプヌゥティオスがわたしたちにこう話してくれた。 — ある日のこと、ハイエナがおのれの仔を — 盲目であった — をとって、マカリオスのもとに運んできた。そして頭で中庭の戸を叩いて、彼が座っているにもかかわらず入ってきて、仔を彼の足許に投げ出した。すると聖者は取り上げて、その眼に唾を吐きかけて祈った。すると、たちまち見えるようになった。そうして、それの母親は、それに乳を飲ませると、それを取り上げて立ち去った。
18.28.
 そして、次の日、〔牝ハイエナは〕大きなヒツジの毛皮を聖人のところに運んできた。また浄福のメラニオンがわたしに言ったところでは、「マカリオスからわたしはその毛皮を答礼品としてもらいました」。
 何と驚嘆すべきことであることか、ダニエールのためにライオンをおとなしくさせた方は、ハイエナをも啓発なさるとは。
 彼はまたこう言っていた。 — 洗礼を受けたとき以来、大地に唾したことはない。洗礼を受けたときから、60年になるが、と。
18.29.
 ところで、彼の姿は背が低く、髭がまばらで、唇の上だけと、顎の端に、毛が生えていた。これは、修行の過酷さに、彼の顎髭には毛も生えなかったのである。
 かつて、わたしは懈怠になって、この人のところに近づき、この人に言う。「師父よ、わたしはどうすればいいのでしょう? 思念(logismoi)がわたしをくたくたにさせてこう言うのです。 — おまえのすることは無、ここから立ち去れ、と」。すると彼がわたしにこう言う。「連中に言いなさい。わたしはクリストスによって諸々の城壁を見張っているのだ、と」。
 以上、聖マカリオスについての話は数々ある中で、あなたに指摘したのは僅かである。

19."t".
第19話 アイティオピア人モーセースについて
19.1.
 モーセースと、そういうふうに呼ばれた者がいた。生まれはアイティオピア人の黒人で、ある為政者の家僕(oiketes)であった。たいへんな怒りっぽさと、盗賊であったので、自分の主人に放り出された。人殺しも平気だと言われていたからである。わたしが彼の邪悪さの話をせざるを得ないのは、彼の改心(metanoia)の徳を示したいがためである。じっさい、〔人々の〕話では、一つの盗賊団の頭目でもあったという。盗賊行為のなかで、彼の仕業のひとつとおもわれているのは、こうである。あるとき、ひとりの羊飼いに遺恨をいだいた。夜、犬たちを連れていて、目当てのものの邪魔になったからである。
19.2.
 これを殺すつもりで、〔羊飼いが〕羊を囲い込む場所を探しまわった。すると、ネイロス河の対岸だと彼に露見した。このとき、河は満水で、〔川幅は〕優に1里程ぐらいあったので、戦刀を口にくわえ、衣服を頭に乗せ、そうやって河に飛びこんで泳ぎ渡った。しかし、この男が泳ぎ渡っている間に、羊飼いはこれに気づいて、砂のなかに身を埋め〔て姿を隠す〕ことができた。そこで、選び出した子羊4頭を屠り、縄で結んで、再び泳ぎ渡った。
19.3.
 そうして、小さな前庭に入りこんで、皮を剥ぎ、肉の最美なところを喰らい、酒代にするため毛皮を売り払って、1サイテース、すなわち、およそ18イタリア・クセステースを飲んで、50里程の距離を、自分が組織をもっている場所に引き上げた。その日のおそく、これほどのこの男が、何らかの事情で気絶したので、修道院に身をゆだね、改心(metanoia)の業(pragmata)に大いに専念し、若いころからの自分の諸悪の仲間そのもの、自分といっしょに罪を犯してきたダイモーンさえも、正反対にクリストスの認知へと導こうとしたほどである。
 言われていることのなかには、彼が僧坊に座っているところに、盗賊たちが、相手が何者か知らずに、襲いかかるということがあった。相手は4人であった。
19.4.
 これを全員捕縛して、ちょうど籾殻の袋(zaberna)のように背に負い、兄弟たちの教会に運んでいって云った。「わたしには誰にも不正することができないので、この連中をどうすべきか命じてくれ」。
 こういうふうにして、連中が告白(exomologesthai)し、相手がかつて有名な、盗賊として札付きのモーセースであることを知って、彼らもまた神を讃え、この人物の転向(metabole)にならって、遁世した。それはこう考えたからである。「盗賊においてこれほど充分な権力者が、神を畏れるのなら、われわれが救済を延期することがどうしてできようか」。
19.5.
 このモーセースにダイモーンたちが襲いかかり、淫蕩な放縦の旧習にひきもどそうとした。彼はあまりにひどく試みに遭い、彼自身の話では、もう少しで決意(prothesis)が座礁するところであった。そこで、スケーティスにいた偉大なイシドーロスのところに行き、闘いの様をぶちまけた。
 すると〔イシドーロスが〕彼に言う。「悲しむな。これは始まりにすぎない。それゆえ、もっと激しくあなたに襲いかかるだろう。習慣を詮議せんとして。
19.6.
というのは、犬が肉市場から離れないのは習慣によるが、肉市場が閉められ、誰もこれに何もやらなければ、もはや近づかない。そのように、あなたもじっとしていれば、ダイモーンはがっかりして、あなたから離れざるを得ないのだ」。
 そこで、退出して、そのときから、より激しく、とりわけ食い物から修行を始め、乾しパン12ウンキア以外は何ひとつ摂らず、仕事はより多くこなし、50回の祈りをやり遂げた。こうして、彼の身体はやつれはて、それでもなお焼かれ、夢に幻を見〔悩まされ〕続けた。
19.7.
 今度は、別の聖人を訪ね、彼に言う。「どうすればいいのでしょう。わたしの思念(logismos)を快楽の習慣にしたがって、魂の夢幻が暗くするのです」。これに聖人が言う。「それらの幻影からそなたの理性(nous)を引き離さぬから、そのためにこれに服従しているのだ。不眠(agrypnia)とまじめな祈りに身をゆだねなされ。そうすれば、ただちにそれらから自由の身になろうぞ」。
 彼はこれを聞いて、そういう決意をもって僧坊に帰り、一晩中眠らず、膝を曲げぬという誓い(logos)を立てた。
19.8.
 こうして、僧坊に6年間留まり、一晩中、僧坊の真ん中に立ったまま祈り、目を閉じることがなかった。それでも事態を打開できなかった。そこで今度は別の行住坐臥(politeia))をみずからに課し、夜な夜な出かけは、老人たちや、もっと修行の進んだ人たちの僧坊に赴き、彼らの水瓶をとって、知られるぬよう、水を満たした。というのは、水場が遠く離れていたからである。ある人たちは2里程、ある人たちは5里程、別の人たちは半里程と。
19.9.
 さて、ある夜のこと、ダイモーンが待ち伏せていて、辛抱しきれなくなったので、彼が井戸をのぞきこんだときに、その腰部に棍棒のようなもので一撃をくらわし、何をされたのかも、誰にやられたのかも感知しない死人として彼を放置した。次の日になって、水を汲むためにやってきた人が、彼がそこに横たわっているのを発見し、スケーティスの長老である大イシドーロスに報告した。そこで彼を引き取り、教会へ運んだ。こうして1年間、病気になったが、やっとのことで彼の身体と魂が力を回復した。
19.10.
 そこで大イシドーロスは彼に言う。「モーセースよ、ダイモーンたちとの闘いはやめなされ。彼らを踏みにじってはならぬ。なぜなら、修行における勇気(andreia)にも程度があるのだから」。
 しかし彼は相手に言う。「ダイモーンたちのわたしの幻影(phantasia)がやむまでは、けっしてやめません」。
 すると、これに言う。「イエースウス・クリストスの名にかけて、あなたの夢幻(enypnia)はすでにやんでいる。だから、素直に(meta parrhesias)聖体を受けなさい。そうすれば、苦患(pathos)に優越したと自慢することはなくなるのです、そのおかげで益となるために屈服させられたのだから」。
19.11.
 こうして、再び自分の僧坊に帰っていった。それからおよそ2ヶ月後、イシドーロスに訪問されたとき、彼はもはや何も苦しめられることがないと言った。こうしてこの人物は、ダイモーンたちに対抗する天賦の才(charisma)でありがたがられた。彼がダイモーンたちを恐れるのは、わたしたちがこれらのハエを恐れる以上ではなかったのである。
 これがアイティオピア人モーセースの行住坐臥(politeia)であり、彼自身も偉大な師父たちのひとりに数えられるに至った。かくして、75歳でスケーティスで命終したが、長老となって、弟子たちも70人を残した。

forward.gifラウソス修道者史(3/7)