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back.gifラウソス修道者史(2/7)


原始キリスト教世界

ラウソス修道者史(3/7)






19."t".
第19話 アイティオピア人モーセースについて
19.1.
 モーセースと、そういうふうに呼ばれた者がいた。生まれはアイティオピア人の黒人で、ある為政者の家僕(oiketes)であった。たいへんな怒りっぽさと、盗賊であったので、自分の主人に放り出された。人殺しも平気だと言われていたからである。わたしが彼の邪悪さの話をせざるを得ないのは、彼の改心(metanoia)の徳を示したいがためである。じっさい、〔人々の〕話では、一つの盗賊団の頭目でもあったという。盗賊行為のなかで、彼の仕業のひとつとおもわれているのは、こうである。あるとき、ひとりの羊飼いに遺恨をいだいた。夜、犬たちを連れていて、目当てのものの邪魔になったからである。
19.2.
 これを殺すつもりで、〔羊飼いが〕羊を囲い込む場所を探しまわった。すると、ネイロス河の対岸だと彼に露見した。このとき、河は満水で、〔川幅は〕優に1里程ぐらいあったので、戦刀を口にくわえ、衣服を頭に乗せ、そうやって河に飛びこんで泳ぎ渡った。しかし、この男が泳ぎ渡っている間に、羊飼いはこれに気づいて、砂のなかに身を埋め〔て姿を隠す〕ことができた。そこで、選び出した子羊4頭を屠り、縄で結んで、再び泳ぎ渡った。
19.3.
 そうして、小さな前庭に入りこんで、皮を剥ぎ、肉の最美なところを喰らい、酒代にするため毛皮を売り払って、1サイテース、すなわち、およそ18イタリア・クセステースを飲んで、50里程の距離を、自分が組織をもっている場所に引き上げた。その日のおそく、これほどのこの男が、何らかの事情で気絶したので、修道院に身をゆだね、改心(metanoia)の業(pragmata)に大いに専念し、若いころからの自分の諸悪の仲間そのもの、自分といっしょに罪を犯してきたダイモーンさえも、正反対にクリストスの認知へと導こうとしたほどである。
 言われていることのなかには、彼が僧坊に座っているところに、盗賊たちが、相手が何者か知らずに、襲いかかるということがあった。相手は4人であった。
19.4.
 これを全員捕縛して、ちょうど籾殻の袋(zaberna)のように背に負い、兄弟たちの教会に運んでいって云った。「わたしには誰にも不正することができないので、この連中をどうすべきか命じてくれ」。
 こういうふうにして、連中が告白し、相手がかつて有名な、盗賊として札付きのモーセースであることを知って、彼らもまた神を讃え、この人物の転向(metabole)にならって、遁世した。それはこう考えたからである。「盗賊においてこれほど充分な権力者が、神を畏れるのなら、われわれが救済を延期することがどうしてできようか」。
19.5.
 このモーセースにダイモーンたちが襲いかかり、淫蕩な放縦の旧習にひきもどそうとした。彼はあまりにひどく試みに遭い、彼自身の話では、もう少しで決意(prothesis)が座礁するところであった。そこで、スケーティスにいた偉大なイシドーロスのところに行き、闘いの様を申告した。
 すると〔イシドーロスが〕彼に言う。「悲しむな。これは始まりにすぎない。それゆえ、もっと激しくあなたに襲いかかるだろう。習慣を詮議せんとして。
19.6.
というのは、犬が肉市場から離れないのは習慣によるが、肉市場が閉められ、誰もこれに何もやらなければ、もはや近づかない。そのように、あなたもじっとしていれば、ダイモーンはがっかりして、あなたから離れざるを得ないのだ」。
 そこで、退出して、そのときから、より激しく、とりわけ食い物から修行を始め、乾しパン12ウンキア以外は何ひとつ摂らず、仕事はより多くこなし、50回の祈りをやり遂げた。こうして、彼の身体はやつれはて、それでもなお焼かれ、夢に幻を見〔悩まされ〕続けた。
19.7.
 今度は、別の聖人を訪ね、彼に言う。「どうすればいいのでしょう。わたしの想念(logismos)を快楽の習慣にしたがって、魂の夢幻が暗くするのです」。これに聖人が言う。「それらの幻影からそなたの理性(nous)を引き離さぬから、そのためにこれに服従しているのだ。不眠(agrypnia)とまじめな祈りに身をゆだねなされ。そうすれば、ただちにそれらから自由の身になろうぞ」。
 彼はこれを聞いて、そういう決意をもって僧坊に帰り、一晩中眠らず、膝を曲げぬという誓い(logos)を立てた。
19.8.
 こうして、僧坊に6年間留まり、一晩中、僧坊の真ん中に立ったまま祈り、目を閉じることがなかった。それでも事態を打開できなかった。そこで今度は別の行住坐臥(politeia))をみずからに課し、夜な夜な出かけは、老人たちや、もっと修行の進んだ人たちの僧坊に赴き、彼らの水瓶をとって、知られるぬよう、水を満たした。というのは、水場が遠く離れていたからである。ある人たちは2里程、ある人たちは5里程、別の人たちは半里程と。
19.9.
 さて、ある夜のこと、ダイモーンが待ち伏せていて、辛抱しきれなくなったので、彼が井戸をのぞきこんだときに、その腰部に棍棒のようなもので一撃をくらわし、何をされたのかも、誰にやられたのかも感知しない死人として彼を放置した。次の日になって、水を汲むためにやってきた人が、彼がそこに横たわっているのを発見し、スケーティスの長老である大イシドーロスに報告した。そこで彼を引き取り、教会へ運んだ。こうして1年間、病気になったが、やっとのことで彼の身体と魂が力を回復した。
19.10.
 そこで大イシドーロスは彼に言う。「モーセースよ、ダイモーンたちとの闘いはやめなされ。彼らを踏みにじってはならぬ。なぜなら、修行における勇気(andreia)にも程度があるのだから」。
 しかし彼は相手に言う。「ダイモーンたちのわたしの幻影(phantasia)がやむまでは、けっしてやめません」。
 すると、これに言う。「イエースウス・クリストスの名にかけて、あなたの夢幻(enypnia)はすでにやんでいる。だから、素直に聖体を受けなさい。そうすれば、苦患(pathos)に優越したと自慢することはなくなるのです、そのおかげで益となるために屈服させられたのだから」。
19.11.
 こうして、再び自分の僧坊に帰っていった。それからおよそ2ヶ月後、イシドーロスに訪問されたとき、彼はもはや何も苦しめられることがないと言った。こうしてこの人物は、ダイモーンたちに対抗する天賦の才(charisma)でありがたがられた。彼がダイモーンたちを恐れるのは、わたしたちがこれらのハエを恐れる以上ではなかったのである。
 これがアイティオピア人モーセースの行住坐臥(politeia)であり、彼自身も偉大な師父たちのひとりに数えられるに至った。かくして、75歳でスケーティスで命終したが、長老となって、弟子たちも70人を残した。

20."t".1
第20話 パウロスについて
20.1.
 アイギュプトスに、スケーティス大沙漠とを分かつ山がある。ペルメー山と呼ばれる。この山に、およそ500人の修道者たちが住持している。そのなかにパウロスという人もおり、そういうふうに呼ばれて、次のような行住坐臥(politeia)をしていた。〔すなわち〕仕事には触れず、商売に〔触れ〕ず、食べる分以上は誰からも受け取らなかった。ただ、彼にとっての仕事とはすなわち、不断に祈るという修行のみであった。だから、所定の祈りを300回を行った、そしてそれだけの数の小石を集め、籠の中にためておいて、1回祈るごとに、小石をひとつ籠の外に取り出した。
20.2.
 この人物が、「市民(politikos)」と言われていた聖マカリオスと面談(syntychia)するために出かけ、これに言う。「師父マカリオスよ、わたしは悩んでいます」。すると彼〔マカリオス〕が、何ゆえにか云うようこれに促した。そこでこれが相手に言う。「ある村にひとりの乙女が住んでいて、30年間修行しつづけている。彼女についてひとびとがわたしに話してくれたところでは、安息日ないし主の日のほかは決して食事をとらないという。いやそれどころか、1週間から食事をする日を引いた5日の間ずっと、700回の祈りを行うということです。これを知って、わたしは300回以上行うことのできないので、自分に不満なのです」。
20.3.
 聖マカリオスが彼に答えた。「わたしは60歳になる、定めの祈りを100回行い、食うための諸事をこなし、兄弟たちのために面談(syntychia)の務め(opheile)をはたしていて、しかもわたしが無配慮だと思念(logismos)が責めることはない。だから、あなたが300回行いながら、良心に責められるとしたら、明らかに、その祈りを清浄に行っていないか、あるいは、もっと多く祈ることができるのに、それなのに祈っていないかであろう」。

21."t".
第21話 エウロギオスと不具者
21.1
 ニトリアの長老クロニオスは、わたしにこういう話をしてくれた。「若いころ、懈怠におちいり、わたしの大修道院長(archimandrites)の僧院から逃げだし、さまよったあげく、聖アントーニオスの山にたどりついた。彼が住持していたのは、バビュローンとヘーラクレアとの中間、紅海に達する沙漠に面し、河から30里程離れているところだった。さて、河の畔にある彼の修道院にゆくと、そこには、ピスピルと言われるところに弟子たちマカリオスとアマタスが住持しており、彼らは永眠した彼〔アントーニオス〕を埋葬した者たちだが、わたしが聖アントーニオスに会えるまでの5日間、迎え入れてくれた。
21.2
 すなわち、彼〔クロニオス〕はこの修道院を訪ねるよう言われたのである、ときには10日おき、ときには20日おき、ときには5日おきに。あたかも神が、この修道院を訪れる者たちに対する好意を受けるよう、彼を導いたかのごとくであった。こうして、相異なった兄弟たちが、相異なった必要性をもって、寄り集まってきた。その中に、アレクサンドレイア人の修道者エウロギオスと他にも不具者がいて、彼らはまた次のように理由でやってきていたのだった。
21.3.
 このエウロギオスは、一般教育を終えた学究の徒(scholastikos)で、不死(athanasia)に対する恋に打たれて世の喧噪を遁れ、所有していた全財産を喜捨して、自分の手許にわずかな貨幣を — 働くことができなかったので — 残したという人物であった。ところが自分で懈怠して、集団に入ってゆくことも望まず、独りで成就もせずにいたとき、市場にひとりの不具がうち捨てられているのを見つけた、この不具は両手もなく両足もなかった。ただ舌だけは、道行く人々に禍を訴えるだけの使い物にはなっていた。
21.4.
 するとエウロギオスは立ったまま、彼をじっと見つめ、神に祈り、神とこういう契約(diatheke)を結んだ。『主よ、あなたの御名にかけて、わたしはこの不具者を引き取り、死ぬまでこれの面倒をみます。そうすれば、これによってわたしも救われるでしょう。これに仕えるだけの忍耐(hypomone)をわたしにお恵みください』。
 そうして不具者に近づいて、これに言う。『よければ、大いなる者よ、あなたを家に引き取り、あなたの面倒をみましょう』。
 これに〔不具者が〕言う。『ありがたい』。
 『それでは』と彼が謂う、『ロバを連れてきて、あなたを乗せてもいいですか』。彼が承知した。そこでロバを連れてきて、彼を押し上げ、自分の宿に連れて帰り、これの世話をすることになった。
21.5.
 こうして、不具者は生きながらえて、15年間にわたって、彼に手当てされたのである。沐浴させてもらい、エウロギオスの手で世話をしてもらい、病にふさわしく養ってもらって。しかし15年たって、ダイモーンがこの男に襲いかかり、エウロギオスから離反させた。つまり、この人物に対してひどい悪口雑言を浴びせかけ始めたのである、こう言い加えて。『くそったれ、逃亡奴隷め、ひとの財産を盗むやつめ、わしを利用して救われようとしていやがる。わしを市場にうち捨ててくれ。肉が欲しい』。彼のために肉を持ってきてやった。
21.6.
 すると再び大声をあげた。『わしは満足できん。人混みが恋しい。市場に行きたい。おお、暴行だ。わしを見つけたところにうち捨ててくれ』。もしも〔不具者が〕手を持っていたら、すぐにでも絞め殺されんばかりであった、それほどまでにダイモーンが彼を粗暴にしていたのである。
 そういうわけで、隣人の修行者たちのところに出かけて、エウロギオスは彼らに言う。『どうしたらいいだろう。あの不具者はわたしを絶望に陥れる。あれをうち捨てようか。神に右手を挙げて誓ったのだから、わたしは怖ろしい。それでは、彼をうち捨てるべきではないのか。〔そうしたら〕彼は悪しき日夜をわたしに与えることになろう。いったい彼をどうしたらいいのか、わたしはわからない』。
21.7.
 すると彼らが彼に言う。『大いなる方が』、すなわち、アントーニオスのことをそのように呼びならわしていたのだ、『大いなる方がまだご存命であるから、不具者を船に乗せてあの方のところに参上しなさい、そして彼を修道院に連れて行って、〔アントーニオスが〕洞穴から出てこられるまで待っていて、あの方の判断を仰ぎなさい。そしてあなたに何をおっしゃるにせよ、あの方の判断に従いなさい。神はあの方を通してあなたに言うでしょうから』。
 かくして彼らのいうことを受け入れて、不具者を牛飼い用の小舟に乗せて、夜、都市から出て行き、これを聖アントーニオスの弟子たちのいる修道院に連れて行った。
21.8.
 さて、次の日、夕方遅くなって、大いなる方がやってこられた。クロニオスの話によれば、獣皮の打ち掛けを羽織って。
 そして彼らの修道院に入られると、マカリオスを呼び、これにこう問いかけるのが慣例となっていた。『兄弟マカリオスよ、ここにやってきた兄弟たちが誰かいるか』。彼〔マカリオス〕は答えた、『はい』。『アイギュプト人ですか、ヒエロソリュマ人ですか』。これは彼に次のような示唆を与えたものだった。『もしも怠け者とみるなら、アイギュプト人と言いなさい。しかし敬神の念篤く学問の或る者と〔見る〕なら、ヒエロソリュマ人と言いなさい』と。
21.9.
 そういうわけで、慣例どおり、彼に尋ねたのである。『兄弟たちはアイギュプト人ですか、それともヒエロソリュマ人ですか』。マカリオスは答えて、彼に言う。『あいのこです』。
 〔いつもなら〕『アイギュプトス人です』と彼に言ったときは、聖アントーニオスは彼にこう言うことになっていた。『レンズ豆を料理して、彼らに食べるよう与えなさい』。そして彼らのために祈りをひとつして、彼らに暇を告げるのを常とした。しかし、『ヒエロソリュマ人です』と言ったときは、夜通し座って、救済に関することを彼らに話し続けるのをつねとしていたのである。
21.10.
 ところがその夕べには」と彼〔クロニオス〕が謂う、「腰を下ろしたまま、全員を呼び寄せ、どんな名前なのか誰も何も告げなかったのに、暗闇となっていたにもかかわらず、声に出して言う。『善き言(eulogios)かな、善き言(eulogios)かな、善き言(eulogios)かな』と3度。
 くだんの学究者は返答しなかった。ほかのエウロギオスが呼ばれたと思ったのだ。再び彼に言う。『あなたに言っているのだよ、エウロギオス、アレクサンドレイアからやってきたあなたに』。
 エウロギオスが彼に言う。『何をお命じになりますか、あなたにお願いいたします』。
 『なぜやってきたのか』。
 エウロギオスは答えて彼に言う。『わたしの名をあなたに啓示した方が、行為をもあなたに啓示してくださいました』。
21.11.
 アントーニオスが彼に言う。『そなたがなぜやってきたのかわたしは知っている。とにかく、兄弟たち皆の前で云いなさい。そうすれば、彼ら自身も聞けるであろう』。
 エウロギオスは彼に言う。『わたしはこの不具者を市場で見つけました。そして右手を挙げて神に誓ったのです、これを手当てしてやります、そうすればわたしも彼によって救われ、彼もわたしによって〔救われるだろう〕、と。ところが、これだけの年月がたってから、わたしをひどく悩ませるようになり、彼をうち捨てたくなったので、このためにあなたの聖潔(hagiosyne)を当てにしてやってきたのです。どうすべきかわたしに忠告してくださり、わたしのために祈ってくださるように。恐ろしいほど悩んでいるんです』。
21.12.
 アントーニオスは威厳のある厳しい声で彼に言う。『彼をうち捨てるのか。しかし、彼を作った方は、彼をうち捨てにはならんぞ。そなたが彼をうち捨てるのか。神はそなたよりも美しい者を目覚めさえ、その者を寄せ集められる』。
 するとエウロギオスは口をつぐんで、身をすくませた。今度はエウロギオスはそのままに、不具者を鞭打ち、叱り始める。
21.13.
 『不具者よ、不具になった者よ、地と天にあたいしない者よ、神と争うことをやめぬか。クリストスはそなたの仕え人だということを知らぬのか。クリストスに対してこれだけのことを言いつのるとはどういう了見か』。
 このように厳しく当たり、これを突き放した。そして他の者たち皆と対話したうえで、エウロギオスと不具者に話をもどして、彼らに言う。
21.14.
 『そなたたちはここに留まっていてはならぬ。帰りなさい。お互いに離ればなれになってはいけない。そなたたちが時を過ごすそなたたちの僧坊よりほかには。なぜなら、神はそなたたちにすでに派遣されたのだから。この試練(peirasmos)がそなたたちの身に起こったのは、両人ともに終末(telos)がせまり、花冠にあたいすることになろうからだ。だから、ほかのことは何もするな。さもなければ、天使がやってきても、その場所におまえたちを見つけられぬから』。
 そこで、急ぎ彼らは道をとり、自分たちの僧坊にもどった。そして、エウロギオスは40日たたぬうちに命終した。さらに3日たたぬうちに、不具者も命終した」。
21.15.
 さて、クロニオスがテーバイス地方で時を過ごしているとき、アレクサンドレイアの修道院に降りていったことがある。すると、兄弟姉妹によって、ある人のは40日目の祈祷が執り行われ、ある人のは3日目の祈祷が執り行われるようになっていた。さて、クロニオスはこれを知って驚いた。そこで福音書をとり、兄弟姉妹の真ん中において、誓ったうえで、何が起こったのかを話して聞かせた。「わたしはこれらの言葉のすべての通訳だった。浄福のアントーニオスはヘッラス語を知らなかったから。つまり、わたしは両方の言語を知っていたので、他方の者たちにはヘッラス語で、こなたにはアイギュプトス語でというふうに、彼らのために通訳したのだ」。
21.16.
 さらに次のこともクロニオスが話したことだ。
 「あの夜、浄福のアントーニオスはわたしたちにこう話した。『まるまる1年、義人たちと罪人たちの場所がわたしに啓示されることが増してきた。そしてわたしが見たのは、雲に届くほど背の高い、黒い巨人が、天に手を伸ばしており、その下には海ほどもある湖がある。そしてわたしは眼にした、魂たちが小鳥のように飛び交っているのを。
21.17.
 そして、彼〔巨人〕の手と頭より高く飛ぶもの〔魂〕らは。救われた。しかし、彼の両手ではたかれたものらは、湖の中に墜落した。するとわたしに声が届いて、こう言う。おまえが見ているこれらの魂は、高く飛ぶ魂は義人のもので、楽園にいたって救われる。しかし他のものらは瞑府に引きずりこまれる。肉の欲と遺恨につきしたがったゆえに』」。

22."t".
第22話 単純者パウロス
22.1
 また次の話も、わたしが言おうとしていることについて、クロニオスや聖ヒエラクスや他の多くの人たちが語っていることである。
 つまり、パウロスという田舎者の百姓がいた。ことのほか純真(akakos)で、単純(haplous)な男であったが、非常にうるわしい、心の性悪な女を娶った。彼女は長年の間ひそかに罪を犯していた。ところが、パウロスが突然田舎から帰って、彼らの醜行を見つけた。摂理がパウロスを益となることに導くためだ。つまり、彼は気高く厳かに笑って、彼らに声をかけて言う。「美しいかな、美しいかな。真実、わしの問題ではない。イエースウスにかけて、わしはもう彼女に連れ添わなくてよい。去れ、彼女とその子どもたちも連れて。わしは行って、修道者になるから」。
22.2.
 そうして、誰にも何も告げず、8日行程を駆けて、浄福のアントーニオスのもとにたどりつき、扉をたたいた。
 そこで〔アントーニオスが〕出て行って彼に尋ねる。「何が望みか」。
 これに言う。「わたしは修道者になりたいのです」。
 アントーニオスが答えて彼に言う。「60歳の老人は、ここでは修道者になれない。むしろ村に帰って畑を耕し、百姓の人生を生きなされ。神を讃えつつな。なぜなら、沙漠の患難(thlipsis)にあなたは耐えられぬから」。
 老人が再び答えて言う。「わしに教えてくださることがあれば、それを実行します」。
22.3.
 アントーニオスが彼に言う。「あんたは老人で、できないとあんたに言った。とはいえ、修道者になりたいなら、行って、もっと多くの兄弟たちとの共同生活に入りなされ。彼らならあんたの弱さを受け入れてくれるであろう。というのは、食事と食事の間の5日間、わしは独りここに座って飢えているのだから」。
 これらのことや、これに類したことばでパウロスを退散させようとした。そうして、彼を受け入れないため、扉を閉めて、アントーニオスは3日間、所用があっても外に出なかった。しかし相手は引き下がらなかった。
22.4.
 4日目に、彼〔アントーニオス〕に余儀ない所用があったので、〔扉を〕開けて外に出、再び彼に言う。「ここからどいてくれ、老人よ。どうしてわしを煩わせるのだ。あんたがここに留まることはできないのだ」。
 パウロスが彼に言う。「わたしには、ここ以外に、よそで命終するすべがない」。
 そこでアントーニオスはしげしげと見て、食用のものを — パンを持たず、水を持たず、何も食べずに4日を辛抱したのを見て、「死ぬなどということがあってはならん」と彼は謂う、「さもなければ、わしの魂の汚点になる」。彼を迎え入れた。そうして、アントーニオスは、若いころにも決してしたことがないような、そういう行住坐臥(politeia)をその〔パウロスの〕日々に採用した。
22.5.
 つまり、ナツメヤシの葉を湿らせて彼に言う。「受け取って、わしと同じように縄をなえ」。老人は、9刻まで辛労して15尋の縄をなった。しかし、これを見てアントーニオスは不機嫌に彼に言う。「ない方が悪い。ほどいて、初めからないなおせ」。
 空腹であり、高齢の彼にこのようなうんざりする作業を課したのは、老人が閉口してアントーニオスのもとを逃げ出すようにするためだった。しかし相手はほどいて、同じナツメヤシの葉をもう一度なった。〔葉が〕もつれて難しかったのにである。アントーニオスは、相手が不平も言わず、卒倒もせず、不機嫌にもならないのを見て、心を打たれた。
22.6.
 やがて日が沈んだので、彼に言う。「よければ、パンくずを食べることにしよう」。
 パウロスが彼に言う。「あなたの思いのままに、師父よ」。
 食事を告げられて、一目散にとびつくのではなく、自分の随意に任せたということ、このことはまたもやアントーニオスの心を打った。こうして卓を置いて、パンを運ぶ。そこでアントーニオスは、ビスケット(paxamas)6ウンキア以上を置き、自分には湿ったのをひとつ — 乾いていたからである — 、相手には3つを〔分けた〕。そうして、アントーニオスは自分の知っている讃美歌を唱え、これを12回歌い、12回祈った。パウロスを審査するために。
22.7.
 すると相手は再び熱心に唱和した。わたしの思うに、姦婦といっしょに生活するよりもサソリの世話をする方を選んだからだろう。さて、12回の祈りの後、夕べも更けて、座って食べた。ところで、アントーニオスはひとつのビスケットを食べて、ほかのものには手を出さなかった。老人の方は、ビスケットをもっとゆっくり時間をかけて食べ続けた。アントーニオスは、彼がたべ終わるまで待って、彼に言う。「お食べなさい、もひとつ、父さん」。
 パウロスが彼に言う。「あなたが食べるなら、わたしも。しかし、あんたが食べないなら、食べません」。
 アントーニオスが彼に言う。「わたしは充分です。修道者だから」。
22.8.
 パウロスが彼に言う。「わたしも充分です。わたしも修道者になりたいから」。
 〔アントーニオスは〕再び起って、12の祈りを唱え、12の讃美歌を歌った。最初の仮眠を少しとって、夜半に再び起きて、夜明けまで讃美歌を歌った。すると老人が自分の行住坐臥(politeia)に熱心に付き従っているのを見て、これに言う。「毎日こういうふうにできるなら、わたしのもとに留まりなさい」。
 パウロスが彼に言う。「もっと多くのことがあれば、〔できるかどうか〕わかりません。わたしが見たぐらいのことなら、実行するのは簡単です」。
 翌日、アントーニオスが彼に言う。「見よ、あなたは修道者になった」。
22.9.
 所定の月の後、〔彼パウロスが〕完全な魂の持ち主であることに — あまりに単純で、恩寵が彼と共働しているので — アントーニオスは満足して、3ないし4里程離れたところに彼のために僧坊をつくってやった。「見よ、あなたは修道者になった。ダイモーンたちの試し(peira)を受けるため、独りでここに留まりなさい」。
 こうして1年間パウロスは住んで、ダイモーンたちや病気に対抗する恩寵(charis)をありがたがられた。そのころ、きわめて恐るべきもの — ダイモーン的なものたちに対する支配的な霊を持ったものがアントーニオスのもとに連れてこられた。それは天そのものさえ呪詛した。
22.10.
 するとアントーニオスは注視して、連れてきた者たちに言う。「これはわたしの仕事ではない。こんな支配的な部隊(tagma)に対しては、まだわたしは恩寵にあたいしない。これはパウロスの〔仕事〕だ」。
 そこでアントーニオスはパウロスのところに赴き、彼らを紹介して、彼に言う。「師父パウロスよ、このダイモーンをこの人から追い払ってください。健康になって自分のことに戻れるように」。
 パウロスが彼に言う。「いったい、どうしてあなたが?」。
 アントーニオスが彼に言う。「わたしは暇がない、ほかに仕事がある」。
 そうして、アントーニオスは彼を後に残して、再び自分の僧坊に帰っていった。
22.11.
 すると老人は立ち上がって、はっきりした祈りを唱えながら、ダイモーン的なものに話しかける。「師父アントーニオスが、『このひとから追い出せ』とおっしゃった」。
 するとダイモーンが、呪詛しながら叫んで言う。「出て行かぬぞ、耄碌爺」。
 すると、背中の自分の羊の毛皮をとって、彼を打ち据えながら言った。「『出て行け』と師父アントーニオスがおっしゃった」。
 ダイモーンは、再びアントーニオスをも彼をもひどく罵る。最後に、彼に言う。
 「出て行くか、さもなければわしが行って、クリストスにいいつけてやる。イエースウスにかけて、今すぐに出て行かないなら、わしが行ってクリストスに言いつけてやる、わざわいなるかな、おまえは、〔クリストスは〕できなさるのに」。
22.12.
 再びダイモーンが呪詛しながら叫ぶ。「出て行かんぞ」。
 そこでパウロスはダイモーンに対して腹を立てて、宿から出て行った。まさしく正午である。アイギュプトスの暑さはバビュローニアの炉と同類である。そうして山の中の岩のところに立って祈り、次のように言う。「あなたはごらんになっています、イエースウス・クリストス、ポンティオス・ピラトスの御代に十字架にかけられた方よ、わたしが死ぬまでこの岩から決して降りず、喰わず、飲まぬことを。霊があの人から出て行き、あの人を自由にしないかぎりは」。
22.13.
 すると、彼の口から言葉が終わらぬうちに、ダイモーンが叫んで言った。「何たる暴力、俺は追い立てられる。パウロスの単純さが俺を追い立てる、いったいどこに逃げればいいのだ」。
 そして、たちどころに霊が出て行き、7ペーキュスの大きな竜となって、紅海に引きずりこまれ、かくして言葉がまっとうされたのである。「義人は、みずからにおいて示された信仰を宣べ伝える」〔箴言12_17〕。以上がパウロスの驚異である。すべての兄弟姉妹から単純者と呼ばれたひとの。

23."t".
第23話 パコーンについて
23.1.
 名をパコーンという人がいた。およそ70歳に達し、スケーティスに住持していた。ところで、わたしは、女に対する欲望に、〔昼間の〕思念(logismos)にも夜の幻影(phantasi)にも悩まされて、耐えがたくなった。ほとんど沙漠に出て行くことになったのは、苦患(pathos)がわたしを駆り立て、わたしの隣人たちには事態を打ち明けられず、わたしの師エウアグリオスにも〔打ち明けられなかった〕からである。そして気づかれずに大沙漠におもむき、15日間、スケーティスの沙漠の老師父たちと面談した。
23.2.
 わたしがめぐりあった中に、パコーンもいた。そうして、彼がより無雑(akeraiotetos)にして修行の進んだ人と見たので、おもいきって彼にわたしの心(dianoia)の状態を打ち明けた。するとこの人物はわたしに言う。
 「そのことであなたをいぶかることはやめなさい。あなたがそれをこうむるのは怠惰(rhathymia)によってではないからです。このことは、場所(topos)もあなたに証言していますし、必要なものの欠乏によっても、女に面談(syntychia)する〔機会が〕ないということによっても〔証明しています〕。いや、むしろ、〔あなたがそれをこうむるのは〕真剣さ(spoude)によってです。すなわち、姦淫との戦いは3つの場合があります。ひとつは、肉(sarx)が強くなってわたしたちに襲いかかるとき。ひとつは、苦患(pathos)が思念(logismos)を通して働く場合。ひとつは、ダイモーンそのものがお化けによって〔襲いかかる〕場合です。わたしがこのことを発見したのは、多くの観察を通してです。
23.3.
 見よ、ごらんの通り、わたしは老人です。この僧坊で40年間すごし、わたし自身の救いを心がけてきました。これほどの年齢を重ねてここまで戦い(agon)を経験してきました」。そうして、彼が誓っていったのは、こういうことである。「50歳になってから12年間、夜も、昼も、わたしに容赦なく襲いかかってきました。神はわたしを見放したといぶかり、いじめぬかれたので、身体の苦患(pathos)によって見苦しい振る舞いをするよりは、何も言わず(alogos)死のうと決心しました。そこで出て行って、沙漠を歩き回り、ハイエナの洞穴を見つけました。昼日中、裸になって、その洞穴に身を横たえ、獣が出てきてわたしを食べるようにしました。
23.4.
 やがて夕方になったとき、書かれたとおりになりました。「暗黒になり、夜が来た。このとき、林の獣たちが忍び出て」〔詩編103_20〕、牡と牝の野獣たちが出てきて、わたしの頭の先から足の先まで臭いを嗅いで、舐めまわしました。そして、貪り食われることを期待したとき、わたしから離れていったのです。こうして、一晩中、倒れていましたが、貪り食ってもらえませんでした。そこで、神はわたしを惜しまれたのだと考えて、もう一度僧坊に引き返しました。こうしてダイモーンは数日間はおとなしくしていましたが、再び、以前よりもいっそう激しくわたしに襲いかかってきました。もう少しでわたしが呪詛さえしかけるほどに。
23.5.
 ついに、アイティオピアの乙女 — わたしの若いころ、夏、芦刈をしていたのを見たことのある — に変身して、わたしの膝の上に腰を下ろしました。わたしは彼女といっしょになりたいと思うほど、それほどまでにわたしを動かせました。そこでわたしは狂ったようになって、彼女に張り手をくらわすと、消えました。こうして、2年間、わたしの手の悪臭に耐えることができませんでした。こうして意気消沈し、嘔吐し、大沙漠に出てさまよいました。そして、小さなコブラを見つけ、これをつかまえて、生殖器に押しつけました。そうやって咬まれて死のうと。そこで毒蛇の頭を、わたしにとって試練の原因である生殖器にこすりつけましたが、咬んでくれませんでした。
23.6.
 すると、わたしの心の中に声がやってくるのが聞こえました。『行け、パコーンよ、闘え。そのためにこそ、おまえがいじめられることをわたしは許したのだ。出来るものとして尊大になるのではなく、おまえの弱さを悟って、おまえの行住坐臥(politeia)に勇み立つことなく、神の助けにすがりつくようにと』。
 そういうわけで満足して、わたしは引き返し、勇んで住持し、もはや敵に意を用いることがなく、残りの日々を平安に過ごしているのです。敵はわたしの軽蔑を知って、もはやわたしに近づくことがありません」。

24."t".
第24話 リビュア人ステパノスについて
24.1.
 ステパノスという人がいた。生まれはリビュア人で、マルマリカとマレオーティスの海岸に60歳まで住持した。この人物は、修行の極致に達し、恩寵の識別者として尊崇されていた。だから、どんなに苦悩にさいなまれている人も、彼と面談すると、苦悩がなくなって立ち去るのだった。また、浄福のアントーニオスとも知己であった。わたしたちの時代まで存命であった。わたしが面談しなかったのは、場所が遠隔であったことによる。
24.2.
 聖アムモーニオスとエウアグリオスの仲間の人々が面談したとき、次のようなことをわたしに話してくれた。「わたしたちは彼が次のような病にかかっていることがわかった。睾丸のまさにその場所に、いわゆるガン(phagedaina)がドングリ状の潰瘍まで形成しているのだ。わたしたちは彼がひとりの医者に手当てされているのを見たのだが、両手は動かして、ナツメヤシの葉を編みながらわたしたちに話しかけ、残りの身体は処置されていた。彼は、まるで他人が手術されているように、ふるまっていた。そうして、器官が髪の毛のように切り取られると、
24.3.
 わたしたちがこれを気の毒に思い、これほどの生が、この苦患(pathos)により、このような手術を受けることをおぞましくさえ思っていると、わたしたちに言う。「子どもたちよ、この事態に傷ついてはならない。なぜなら、神がなさることは何ひとつ悪意によるものはなく、有用な目的にかなっているのだから。おそらくは、この器官は懲罰を受けるべきもの、ここで償い(dike)をする方が、闘技場を出た後で〔償いをする〕よりましだから」。こういうふうにわたしたちを励まし、支え、善導してくれたのである」。
 こういうことをわたしが話したのは、聖なる人たちがこのような苦患(pathos)に見舞われるのを見て、わたしたちが不審がることのないようにするためである。

25."t".
第25話 ウゥアレースについて
25.1.
 ウゥアレースという人がいた。生まれはパライスティネー〔=パレスチナ〕人だが、思想(gnome)的にはコリントス人である。というのは、コリントス人たちには、聖パウロスが高ぶり(physiosis)の苦患(pathos)を帰したからである。この人物が沙漠に出会い、長年わたしたちといっしょに暮らした。この人物は思い上がりの念(hyperephania)に駆り立てられたあまり、ダイモーンたちにたぶらかされた。つまり、彼は少しずつたぶらかされることで、あたかも自分には天使たちがついているかのように、〔ダイモーンたちは〕彼が尊大となるようにさせのである。
25.2.
 とにかく、ある日のこと、彼らの話では、暗闇のなかで仕事をしているときに、籠をかがる針を紛失した。そしてこれを彼が見つけられないでいると、ダイモーンが明かりをこしらえ、その針を見つけた。そういう次第で高ぶって、思い上がりの念が昂じ、聖餐の秘義さえ彼が軽蔑するほどまでになったのである。さらに、ある外国人たちがやってきて、教会の兄弟姉妹に菓子を持ってくるということがあった。
25.3.
 そこで、わたしたちの長老、聖マカリオスが受け取って、およそ手一杯を、わたしたちのめいめいのために僧坊に届けられた。そのさいウゥアレースにも〔届けられた〕。するとウゥアレースは受け取ると、届けた者に暴行を働き、打擲して、これに言う。「さがって、マカリオスに云え。『わしはおまえに祝福の賜物を届けてもたうほど、おまえより劣っているわけではない』とな」。そういうわけで、マカリオスは彼がふざけすぎているとのを知って、1日後、彼に勧告するため出かけて、彼に言う。『ウゥアレースよ、ふざけすぎだ。やめなさい』。しかし彼の勧告に耳を貸さなかったので、引き返した。
25.4.
 こうしてダイモーンは、自分の惑わしに極端まで従っているのに満足し、出かけて救主におのが姿をやつし、夜、明かりと火の円盤 — その中に救主が姿を現しているように見えた — を持した千人の天使たちの幻影の中に現れ、その中のひとりの天使が近づいて言う。『クリストスはそなたの行住坐臥(politeia)と生の率直さ(parrhesia tou biou)に満足され、おまえに会うためやってこられた。だから、僧坊から出て行って、ほかのことは何もせず、ただ遠くからあの方を見て平伏し、礼拝し、そうしておまえの僧坊に入ることだけをせよ』。
25.5.
 そこで出て行って、明かりをもった隊列 — しかしそれは1スタディオン離れたところにいるアンティクリストスにすぎなかったが — を見て、身を投げ出して礼拝した。そうして、他日再び取り憑かれたあまりに、教会に行って、兄弟たちが集まっていたので、言った。『わしは聖餐式を必要とせぬ。今日、クリストスを見たからだ』。そのとき師父たちは彼を縛り、1年間鎖につないで、祈りと自堕落(adiaphoria)と、より有閑な生活(apragoteros bios)によって、彼の自惚れ(oiema)を引きずりおろしてて、手当した。言われているとおりである。「反対のものらには反対のものらが癒し(iamata)である」。
25.6.
 さて、この小著に、こういった人たちの伝記を挿入するのは、読者たちの安全のために必然だからである。あたかも、楽園の聖なる樹木にとって、美と邪悪を知る木があるように。あのとき彼らに正しい行為が結果していたら、徳に関して尊大となることはなかったように。というのは、徳でさえ、倒壊の原因となることしばしばだからである。正しい考察(skopos)によって達成されなければ。すなわち書かれている。「義人がその義によって破滅するのを見た。これこそ虚しいことである」〔伝道、6_15〕。

26."t".
第26話 ヘーローンについて
26.1.
 わたしの隣人のひとりに、ヘーローンという人がいた。生まれはアレクサンドレイア人で、都会人の若者で、精神(dianoia)は良稟にして、生活は清浄な人物であった。彼自身も、数多くの労苦のすえに傲慢(typhos)にとらわれてくつがえされ、師父たちに対しても尊大となり、浄福のエウアグリオスをさえも侮辱して、こう言った。「あんたの教えに聴従する連中は、たぶらかされているのだ。クリストスよりほかに別の教師たちに心を寄せるべきではないから」。こうして、証言を誤用して、自分自身の愚かさ(moira)という目的に寄与させ、こう言った。「救主ご自身が云われた。『教師を地上に呼ぶなかれ』〔マタイ、23_10〕と」。
26.2.
 この人物は、彼自身がこれほどまでに闇に包まれたので、後に彼も鎖につながれることになった。〔聖餐式の〕秘儀に近づくことさえ拒んだからである。愛こそが真理である。彼の行住坐臥(politeia)は極端に質素であって、知己であった多数の人たちが語るところでは、食事はしばしば3ヶ月に1度、秘儀の〔ときの〕聖餐〔の食べ物〕で満ち足り、野生のレタスがどこかに生えれば、それを食するを常としていたという。彼に対する試み(peira)については、わたしも浄福のアルバニオスと、スケーティスへ行く道すがら目の当たりにしたことがある。
26.3.
 スケーティスは、われわれのところからは40里程隔たっていた。この40里程の間に、わたしたちは2度食事をとり、3度水を飲んだが、くだんの人物は、なにひとつ味わうことなく、徒歩ですすみつつ、15の讃歌をとなえ、次いで長大〔讃歌〕を、次いでヘブライ人たちへの書簡を、次いでエーサイア〔イザヤ〕と、ヒエレミオス〔エレミア〕の一部分を、次いで福音作家ルカを、次いで箴言集を。そうして、それらがそういうふうであるのに、われわれは彼が歩くのに追いつけなかったのである。
26.4.
 この人物は、最終的に、火によって追い立てられるように、自分の僧坊に住持することができなかった。善導のために、と言われているが、アレクサンドレイアに行き、釘によって釘を叩き出した。というのは、自発的に自堕落(adiaphoria)に転落し、後には、心ならずも救いを見いだしたのである。すなわち、劇場や競馬場に現れ、居酒屋で暇つぶしをしたのである。こうして大食し大酒を飲んで、色欲の泥沼にはまりこんだのである。
26.5.
 こうして罪を犯すことを決心したとき、ひとりの女優と面談し、おのれの腫瘍に至ることを選んだ。それがそういうふうになされているとき、彼にちょうどドングリ状の悪性膿疱ができ、6ヶ月の間病が進行し、彼の部位は腐りきって離れ落ちた。しかしその後、それらの部位は欠いたものの健康になり、神的な配慮(phronema theikos)に立ち返り、〔沙漠に〕帰って、以上のことすべてを師父たちに告白(exomologesthai)した。そして数日後、活動に出る前に永眠したのである。

27."t".
第27話 プトレマイオスについて
27.1.
 さらに、ほかには、名をプトレマイオスという人がいた。この人が生きた人生は、語りがたく、筆舌に尽くしがたい。すなわち、スケーティスの彼方の、「梯子(Klimaka)」と呼ばれる地に住んでいた。その場所がそう呼ばれるのは、兄弟たちの井戸が18里程離れたところにあって、誰ひとり住むことのできない場所だったからである。だから、くだんの人物は、数多くのキリキア風陶器を歩いて運んできたし、12月と1月には、露を — 当時、その部分には露がたくさんあった — 石からスポンジで集めた、15年間そこに満足して住んでいた。
27.2.
 彼は、敬虔な人物たちの教え(didaskalia)や面談(syntychia)や助け(opheleia)、さらには聖餐の秘儀の持続からさえ遠ざかり、脇道へと一直線に進んで、エジプトの地においてこの日までさまよってきたということを除いては、もろもろの行事が(pragmata)は無意味であると言い放つまでになり、見放された者としてみずからを大食と大酒にゆだね、誰とも何も話を交わさなくなった。そうして、道理に外れた自惚れ(oiesis)から、災禍そのものがプトレマイオスに結果したのである。書かれているとおりに。「舵取りをもたぬ者たちは、木の葉のように散る」〔箴言、11_14〕。

28."t".
第28章 落ちこぼれた処女について
28.1.
 さらに、ヒエロソリュマ〔エルサレム〕の処女をわたしは知っている。6年間、袋地の粗服をまとい、閉じこもり、快楽に関係することはなにひとつ手を出さなかった。彼女は、後に投げやりとなり、思い上がり(hyperephania)のあまりに転落してしまった。そうして扉を開けて、仕えてくれていた男を迎え入れ、これといっしょにこねあわせたのである。神意(theike prothesis)や神の愛に従ってではなく、人間的な舞台効果に従って修行を重ねることで。これは虚栄心(kenodoxia)やいびつな選び(sathra proairesis)のせいである。というのは、彼女の思念(logismos)は他の人たちを知ることに耽り、貞淑(sophrosyne)の守護〔天使〕は不在だったからである。

29."t".
第29話 エーリアスについて
29.1.
 エーリアスという修行者は、すこぶる処女を愛する人だった。というのは、徳の目的を証言してくれるような魂があるからである。彼は女修道者たちの隊をあわれにおもい、アトリベーという都市に資産をもっていたので、大きな修道院を建設し、さまよっていた彼女たち全員をこの修道院に集め、これに随伴して面倒をみ、彼女たちにあらゆる休息と菜園と必需品と、生活に必要なものをこしらえた。彼女たちはさまざまな人生を過ごしてきた者たちなので、お互いにひっきりなしに諍いを起こした。
29.2.
 そういうわけで、およそ300人を集めたので、彼は耳を傾け平和を保たねばならなかったので、2年間、仲介をしなければならなかった。彼が連れてきたのは、年頃の若い女で、30ないし40歳ぐらいであったから、この人物は快楽の試み(peira)にあった。そこで修道院を離れ、何も食べず、2日間、沙漠の中をさまよい、こういうことを願った、つまり「主よ、わたしを殺して、彼女たちがもめるのを見ないですむようにしてください。さもなければ、わたしの苦患(pathos)を取り去って、道理に従って彼女たちの面倒をみられるようにしてください」。
29.3.
 すると、夕方になって、沙漠で眠っていると、3人の天使たちが彼のもとにやってきて、彼自身の話では、彼をつかまえ、言う。「どうして女たちの修道院から出てきたのか」。
 彼らに事情を説明した。「わたしは怖れたからです。彼女たちをも自分自身をも害するのではないかと」。
 〔天使たちが〕彼に言う。「それでは、おまえの苦患(pathos)を取り去ったら、おまえはもどってあれらの面倒をみるのか」。
 そのことに同意した。彼らは彼から誓いを取りつけた。
29.4.
 その誓いとは、次のようなものだと彼は言った。「わたしたちに誓え、 — わたしの面倒をみてくださる方に誓って、彼女たちの面倒をみる、と」。
 こうして彼らに誓った。そのとき、ひとりが彼の両手を、ひとりが両足を押さえ、そして第三番目の〔天使〕が剃刀を執って、彼の睾丸を切り取った。真実にではなく、幻影で。すると、誰かが言っているように、恍惚感によって治癒したように思えた。〔天使たちが〕彼に尋ねた。「得を感じたか」。
 彼らに言う。「とても軽くなりました。苦患(pathos)を取り去られたことに納得します」。
29.5.
 彼に言う。「それでは去れ」。こうして、5日後、立ち返って、修道院が嘆き悲しんでいるところに入っていって、そのとき以来、隣の僧坊のうちに留まりつづけた。すぐ近くなので、そこから自分にできるかぎり彼女たちを矯正しつづけたのである。こうして、さらに40年間生きながらえ、師父たちにこう確言した。「わたしの精神(dianoia)に苦患(pathos)は湧いてこない」。
 これがかの聖人の恩寵である、そういうふうに修道院の面倒をみたところの。

forward.gifラウソス修道者史(4/7)