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back.gifラウソス修道者史(3/7)


原始キリスト教世界

ラウソス修道者史(4/7)






30."t".
第30話 ドーロテオスについて
30.1.
 この人物〔エーリアス〕の跡を継いだのがドーロテオスであった。老いるまで有用(chrestos)・活動的(empraktos)な人生をすごして、最も高く評価された人物である。僧院そのものの内にそのままは留まることができず、上階に隠棲し、女たちの修道院を眺める窓をつくった、この窓は閉じることも開くこともできた。こうして、この窓のそばに座って、しょっちゅう、彼女たちに諍いをしないよう思い起こさせていた。じつにこういうふうにして、上階の上に留まったまま老い、女たちも上に登ることなく、彼もまた下に降りてくることができなかった。梯子が置いてなかったからである。

31."t".
第31話 ピアムゥンについて
31.1.
 ピアムゥンという処女がいた。彼女は自分の人生の歳月を、自分の母親といっしょに、食事は1日おきの夕方にとり、亜麻を紡いで暮らした。彼女は予言の恩寵によっ尊崇されていた。そんなあるとき、アイギュプトスで河が乾あがり、村が村を襲撃するということが起こった。すなわち、水の分配をめぐって争いが起こり、殺人や打ち壊しまで付随するまでになったのだ。そうして、より強い村が、彼女の村を襲撃しようと、多数の男たちが槍や棍棒を手に、彼女の村を打ち壊すためにやってきた。
31.2.
 このとき、彼女に天使が臨み、この襲撃のことをあかした。そこで彼女は村の長老たちに使いをやって言う。「出て行って、あの村からあなたがたのところに押し寄せてくる人たちに面会しなさい、あなたがたも村といっしょに滅ぼされないよう、そして不和を軽減するようあの人たちを呼びかけなさい」。
 しかし長老たちは怖れをなして、彼女の膝に身を投げ出して頼み、彼女にこう言う。「わしらはあの連中に対面するだけの勇気はない。連中の酔っぱらいぶりと逆上ぶりを知ってるからだ。
31.3.
 いや、この村全体と、あんたの家をあわれと思うなら、自分が出て行って、連中に面会してくれ」。
 彼女はそのことにはとりあわず、夜、自分の部屋にこもると、立ったままずっと祈りつづけ、膝もつかず、神に願をかけた。「主よ、大地を裁く方、不正事をなにひとつ喜ばれぬ方、この祈りがあなたに届くなら、あなたの権力をして、どこであれ、彼らを取り押さえられる場所に彼らを制止してください」。
31.4.
 すると、第1刻限のころ、3ミリオン離れたところで〔襲撃してきた村人たちは〕その場所に制止され、身動きできなくなった。そして、この邪魔立てが彼らに起こったのは彼女の使いによってだということが彼らにも啓示され、村に人をやって、和平を要請し、こう明らかにした。「おまえたちは感謝せよ。神と、われわれを妨害したピアムゥンの祈りに」。

32."t".
第32話 パコーミオスとタベンネーシス人たちについて
32.1.
 タベンネーシスは、テーバイ州にあって、そういうふうに呼ばれる地域である。ここにパコーミオスという人がいた。まっすぐに生きた人たちのひとりで、その結果、預言でも天使の顕現〔の才〕でも尊崇されていた。この人は、過度なほど人間愛と兄弟愛にあふれる人であった。さて、彼が洞窟の中に住持していると、天使が現れ、彼に言う。
 「そなた自身に関することでは正しく行ってきた。だが、洞窟の中に住持しているとは、もってのほかだ。さあ、出て行って、若い修道者たちを皆集め、彼らといっしょに住め。そうしてそなたに与えるこの仕方にしたがって、そのとおりに彼らに立法せよ」。そうして、〔天使は〕彼に青銅の書板を授けた。そこには以下のことが書かれていた。
32.2.
 『おのおのに、力に応じて、食いかつ飲むことを容認せよ。そうして、食事する者たちの力に比して、釣り合いのとれた仕事をも彼らに手がけさせよ。そうして、断食も食うことも妨げてはならぬ。ただし、そういうふうに、より体力があって食べる者たちには体力の要る仕事を、より体力が弱くより修行に励む者たちには、より体力の要らぬ仕事を手がけさせよ。また、中庭(aule)の中に異なった僧坊をつくり、僧坊ごとに3人を留まらせよ。しかし全員の食事は、ひとつ家でとられるようにせよ。
32.3.
 また、眠るときは、もたれてではなく、椅子を平らにつくって、そこに自分たちの敷物を置いて、座って眠ること。また、夜間は、亜麻布の袖無しを帯で締めてまとってよい。彼らのめいめいには、製作されたヤギの毛皮を持たせよ、これをつけずに食事をしてはならぬ。また、安息日と主の日には聖餐式に出かけ、帯を解いて、毛皮を脱ぎ、頭巾付き外套(koukoulion)のみをつけて入ること』。彼らに対して、子どもに対してのように、毛羽のない頭巾付き外套(koukoulion)を制服とした。これには十字架の焼き印が紫色で捺されているよう命じた。
32.4.
 さらにまた彼〔天使〕は24隊をつくるよう命じ、各隊には、アルファ、ベータ、ガムマ、デルタ、以下からなるギリシア語の字母を名につけた。だから、これほど多数を相手に彼が質問したり干渉したりするときには、より上位の者が次席の者に質問するのが常であった。「アルファ隊はどうか?」とか、逆に「ゼータ〔隊〕はどうか?」とか。「ロウ〔隊〕に挨拶せよ」と〔いうふうに〕、文字の固有の徴にしたがって〔彼らは呼びあった〕。「そうして、より単純で、より無垢な者たちには、イオタ隊と名づけ、より気難しくてひねくれた者たちには、クシー隊〔という名を〕割り当てるべきである」。
32.5.
 まさにそのとおりに、選び(proairesis)や性格や人生の状態(katastasis)に応じて、各隊に字母を一致させていたのであるが、何が意味されているかを知っている者は、霊的な人々のみであった。
さらに、書板にはこう書かれていた。
 『他の規則(typos)を有する他の修道院からきた外人は、これらといっしょに食してはならず、いっしょに飲んではならず、旅の途中にあらざるかぎりは、他の僧院に入ってはならない。しかしながら、入った者は、3年間は彼らとともに奥殿の内にともにとどまることは受け容れない。しかし、手仕事的な仕事をして、3年たったら、足を踏み入れる。
32.6.
 食事をするときは、頭巾(koukoulion)で頭部を隠すこと。兄弟が噛むのを兄弟が見ないために。食事しながらしゃべってはならず、皿や卓以外の別のところに眼を移してもならない』。さらに彼は制定した、 — 日中のあいだに彼らが祈りを12回するよう、そして第9刻に3回。さらに、大衆が食事をするときには、それぞれの祈りに加えて讃歌を歌うよう制定した。
32.7.
 ところが、祈りが少ないといって、パコーミオスが天使に抗弁したところ、天使が彼に言う。「わたしがこの規則を定めたことで、小さき者たちも、基準(kanon)を達成し、苦しまなくてよくなる。他方、完徳者たちはといえば、立法の必要はない。なぜなら、めいめいがその僧坊で、自分たちのすべての生を、神の観想(theoria)にささげてきたからだ。だから、わたしが立法したのは、理性(nous)を判断者として持たぬかぎりの人たちのためであって、そうすることで、家僕(oiketes)たちのように、行住坐臥(politeia)の決まりをまっとうして、はばかるところなく(en parrhesia)すごすためなのだ」。
32.8.
 さて、この規則を適用したこういった修道院は多数あり、7000人を擁している。また、第一の大きな修道院があり、ここにはマコーミオス本人が住んでいた。この〔修道院〕は、他にも諸々の修道院をうみだし、1300人を擁していた。これらの〔修道院の〕なかに、美しきアプトニオスもいた。彼はわたしの真正の友にして、現在、この修道院の次席のひとりである。自分たちの製作品を売りさばき、必要なものを購入するために、彼らは彼を、誘惑されぬ者として、アレクサンドレイアに遣わすをつねとしている。
32.9.
 他にも、200人や300人から成る修道院がある。そのなかのひとつに、わたしはパノ・ポリスにいって、200人を見出した。[この修道院には、仕立屋15人、銅細工師7人、大工4人、駱駝使い12人、洗い張り屋15人をわたしは見出した。]彼らはありとあらゆる技術を駆使し、余剰物の中から、諸々の女たちの修道院も、諸々の牢屋をも差配していた。
32.10.
 [彼らは子豚さえ飼っている。そのことをわたしが非難すると、彼らはこう言った。「わたしたちは伝統として受けついでいるのです、 — 〔昔の人たちは〕籾殻によって、野菜の食べ残しによって、棄てられた余り物によって養われたということを。それは罰を受けないためです。そして、子豚たちは屠られ、肉は売りに出され、四肢は、病人たちや老人たちのために消費されてきました。この地方は〔広さは〕程々で、人口稠密だからです」。というのは、ブレムミュエース人たちの種族が彼らのまわりに住んでいるからである。]
32.11.
 こうして、日直当番の者たちは、早朝、起きだし、或る者たちは台所仕事に、或る者たちは食卓仕事にたずさわる。そうして、刻限までに完了するために、それら〔の食卓〕を立て、食卓ごとにパンを配り、ヌマダイオウのサラダ、オリーブ、牛の〔乳からつくられた〕チーズ、[肉の四肢]そして刻み野菜を〔配る〕。こうして、第6刻に入って食事する者たちがおり、他の者たちは第7刻、他の者たちは第8刻、他の者たちは第9刻、他の者たちは第11刻、他の者たちは夕方遅くなって〔食事する者たちがおり〕、他の者たちは2日に1度、おのおのの字母〔隊〕がそれぞれに自分の刻限を知っている。
32.12.
 彼らの仕事も同様である。或る者は百姓となって畑で働き、他の者を菜園で、他の者は鍛冶屋で、他の者はパン屋で、他の者は大工の仕事場で、他の者は洗い張り屋で〔働き〕、他の者は大きな籠を編み、他の者は皮鞣し場で、他の者は靴屋で、他の者は写字場で、他の者はやわらかい葦を編んで〔働く〕。その一方で、彼らは〔聖〕書をすべて、繰り返し暗唱する。

33."t".
第33話 女たちの修道院について
33.1.
 およそ400人を擁する女たちの修道院もある。〔この修道院は〕それら〔男子修道院〕と同じ規則(diatyposis)、同じ行住坐臥(politeia)を有していた。毛皮のほかは。そして女たちは河の対岸に、男たちはその対岸にいた。しかし、処女が命終すると、処女たちが彼女の埋葬の準備をし、運んで、河の堤に安置する。すると、兄弟たちが渡し船で渡ってきて、ナツメヤシの枝とオリーブの小枝を手に、讃歌の後、彼女を対岸に運び、自分たちの塚(mnemata)に埋葬する。
33.2.
 しかしながら、長老と執事(diakonos)のほかは、誰ひとり女たちの修道院に渡ることはできない。〔その長老と執事も〕主の日〔だけ〕そうするのである。  女たちのこの修道院で、次のような事件が起こった。俗世の仕立屋が知らずに仕事を探していた。そして若いひとりの修道女が出て行き、この場所は人気がなかったからであるが、心ならずも彼と面談して、彼にこう答えを与えた。「わたしたちはわたしたちの仕立屋を持っています」。
33.3.
 別の〔修道〕女が面談(syntychia)を目撃した。少したって喧嘩が起こったとき、多くの邪悪さと煮えくりかえる怒りのせいで、悪魔的な猜疑心に陥り、姉妹たちに彼女を誣告した。他の少数の〔修道〕女たちも、悪徳によってこの女に結託した。こうしてくだんの女は、自分の思いもよらないこのような誣告を受けて苦しみ、耐えられなくなって、ひとしれず河に身を投げ、命終した。
33.4.
 こうして、誣告した女は、邪悪さから誣告して、こんな(宗教的な)罪を働いたと知って、彼女自身も事態に耐えられず、ひもをとって縊死した。
 さて、長老がやってきたとき、他の姉妹たちは事件を報告した。すると、彼女たちのうちいずれにも供え物を供えることのないよう命じた。また、誣告した女と共犯となり、語られたことを信じて、和解しようとしない女たちは、7年間、聖餐式に与ってはならぬ者として隔離した。

34."t".
第34話 馬鹿を装った〔修道〕女について
34.1.
 この修道院には別の処女がいて、馬鹿とダイモーン〔に取り憑かれた〕ふりをしていた。そして〔修道女たちは〕彼女を忌み嫌い、彼女と食事を共にしないほどであった。それを彼女が選んだのである。こうして、台所の中をあるきまわって、ありとあらゆる下働きをし、僧院のスポンジと諺にあるとおり、行動によって聖言をまっとうしていたのである。『もしあなたがたのうちに、自分がこの世(aion)の知者だと思うひとがいるなら、知者となるために愚者となるがよい』〔1コリン、3_18〕。彼女は頭に布きれを結わえ — 他の女たちはみな毛を刈りこみ、頭巾付き外套(koukoulia)をまとっていたから — そうやって下働きしていた。
34.2.
 彼女の人生の歳月の間、彼女が口をもぐもぐさせているのを見た者は、400人の修道女たちのなかに一人もいなかった。食卓についたことなく、パン切れをもらったことなく、食卓の上の屑を集め、壺を洗って、それら〔の残り物〕で満足していた。かつて誰かを侮辱したことなく、不平をこぼしたことなく、少なくも多くもしゃべったことがなかった。酷使され侮辱され、罵られ、嫌悪されることはあっても。
34.3.
 ところが、聖ピテールゥム — ポルピュリテースに暮らし、最高の試練を経た(dokimotatos)世捨て人(anachoretes) — に天使が臨み、彼に言う。
 「こんな場所に座っているだけなのに、敬神者(eulabes)のごとくそなた自身を誇るのは何ゆえか。そなたよりも敬神の念篤き女を見たいか。タベンネーシスの女たちの修道院に行ってみよ、そうしたら、そこに頭に頭巻布をまいた女をひとり見つけるであろう。彼女はそなたより善い女である。
34.4.
 あれほどの群衆と拳闘しながら、彼女の心(kardia)は神から離れたことがない。しかるにそなたときたら、ここに座っていながら、精神(dianoia)は国中をさまよっている」。そこで彼は今まで出かけたことはなかったが、その修道院まで出かけていって、女たちの修道院に入れるよう教師たちに頼んだ。彼らは、彼が高名であり、老いていたので、信用して彼が案内されることを許した。
34.5.
 こうして入って、すべての女たちを見るために歩いた。彼女は姿を現さなかった。最後に彼女たちに言う。「すべての修道女たちをわたしに見せてくれ。ほかにも残っているはずだから」。〔修道女たちが〕彼に言う。「気のふれたのが内の台所にひとりいます」。 — 受難している女たちのことを彼女たちはそういうふうに呼んでいたのだ。彼女たちに言う。「その女をもわたしのところに連れてきてくれ。彼女に会わせてくれ」。彼女らは彼女のところに出かけて声をかけた。彼女は耳を貸さなかった、おそらくは、事態を感じていたのか、あるいはまた、啓示されていたのであろう。力ずくで引き立て、彼女らは彼女に言う。「聖ピテールゥムがあんたに会いたいのだよ」。彼には名声があったからである。
34.6.
 こうして、彼女が来ると、彼女の額の頭巻布を見て、彼女の足下に身を投げ出して彼女に言う。「わたしを祝福してください」。同様に彼女も彼の足下に身を投げ出して、言った。「あなたがわたしを祝福してください、主よ」。女たちはみなびっくりし、彼に言う。「師父よ、侮辱を受けてはいけません。彼女は気がふれた女です」。女たち全員にピテールゥムが言う。「おまえたちこそ気がふれている。この女性はわたしにとってもおまえたちにとっても太母だ — そういうふうに霊的な女性のことを彼らは呼んでいた — 。だから、裁きの日に、彼女にあたいする者として見いだされるようわたしは祈るのだ」。
34.7.
 これを聞いて、〔修道女たちは〕彼の足下に身を投げ出し、全員が口こもごも告白(exomologesthai)した。ある女は、皿の食い残しを彼女に浴びせかけたという。別の女は、げんこつでぶったという。別の女は、彼女の鼻を辛子責めにしたという。そうして、全員がさまざまな暴行(hybris)を報告した。そこで彼女たちのために祈って、彼は立ち去った。そして数日後、くだんの女は姉妹たちの讃美(doxa)と礼遇(time)に耐えられず、また、弁解を負担に感じて、修道院から出て行った。そしてどこに行ったのか、どこに潜伏したのか、どのように命終したのか、知るものは一人もいない。

35."t".
第35話 リュコ・ポリスのイオーアンネースについて
35.1.
 リュコ・ポリスに、イオーアンネースという人がいた。この人は、子どものころ大工術を学んだ。彼の兄弟は染物屋であった。しかし後に、〔イオーアンネースが〕およそ25歳の時に遁世した。そして、〔イオーアンネースは〕さまざまな修道院で5年間過ごし、ひとりリュコス山に隠遁し、その山の背に3つの円い御堂をつくり、そこに入って、自分の住処とした。ところで、御堂のひとつは肉の用をなすためのもの、ひとつはそこで働き食事をするところ、もうひとつはそこで祈るところであった。
35.2.
 この人物は、まる30年間、閉じ籠もり、自分の世話をしてくれる者から、必要品を窓を通して受け取り、預言の賜物を尊崇された。その預言のなかには、浄福のテオドシオス皇帝に、さまざまな預言を届けたものも含まれている。僭主マクシモスについて、これに勝利して、ガッリアから撃退することや、同様に、僭主エウゲニオスについても吉報をもたらした。有徳者なりというこの人物の噂(pheme)は大いに流布した。
35.3.
 さて、わたしたちがニトリアの沙漠にいたとき、わたしと、浄福のエウアグリオスの信奉者たちは、この人物の徳がいかなるものか、精確なところを学ぶことを渇仰した。すると浄福のエウアグリオスが言う。「この人物が河なら、心(nouus)と言葉(logos)の審査の仕方を知っている人から喜んで学ぶところだ。というのは、わたし自身が彼と会見することができないにしても、彼の行住坐臥(politeia)のさまを他の人が話すのを精確に聞くことができるなら、山まで出かけることはないのだから」。
 わたしは〔これを〕聞いて、誰にも何も告げず、1日静かにしていた。しかし次の日、わたしの僧坊を閉じ、自分自身とこれ〔僧坊〕を神に預けて、テーバイ州までの〔旅の〕労をとった。
35.4.
 そして、18日間かかってたどりついた。一部は徒歩で、一部は河を航行して。しかし氾濫の時機で、この間に多数の人びとが病にかかった。わたしもまたかかった。こうして出かけたが、彼の前庭が閉ざされているのを見つけた。(後には、兄弟たちが前庭を最大に増築し、ここにはおよそ100人が収容できた。そして〔兄弟たちは〕閂で閉ざし、安息日と主の日に開けることにしていた)。さて、閉ざされている理由を知ったので、安息日まで平静にしていた。そして面談(syntychia)のため第2刻限に到着し、彼が窓辺に座っているのを見いだした。その窓を通して、来訪者たちに慰めを与えているように思えた。
35.5.
 こうして、わたしに挨拶すると、通訳を介して言った。「どこからいらっしゃったのか。また、なぜやってこられたのか。というのは、あなたはエウアグリオスの御同行(synodia)の方とお見受けするが」。
 わたしは言った。「ガラティアから飛び出した外人です」。
 そして、エウアグリオスの仲間でもあることを認めた。わたしたちがしゃべっている最中に、土地の首長(hegemon)、名をアリュピオスという者が割りこんできた。〔イオーアンネースは〕彼のそばに寄ると、わたしとの談話を中断した。そこで少し離れて、彼らに場所を譲って、わたしは離れていた。長い間彼らが話し合っていたので、わたしはうんざりしてきた。そしてうんざりして尊師(kalogeras)に不平を鳴らした。わたしをないがしろにして、あのものを大事にしていると。
35.6.
 そして、こういうことに精神をくさらせて、彼を軽蔑して、引き下がろうと決心した。すると、〔イオーアンネースは〕名をテオドーロスという通訳を呼び寄せて、これに言う。「行って、あの兄弟に云いなさい、『狭量になってはいけない。すぐに首長とわかれ、あなたと話す』と」。
 そういう次第で、彼を霊的な人としてこれに意を注ぎ、さらに辛抱するのがよいと思われた。こうして、首長が出て行くと、わたしを呼び寄せて、わたしに言う。「わたしに対して気分を害したのは、なぜですか。わたしのためにもならず、あなたにとってもふさわしくないとあなたはみなしたようですが、どんな害にあたいすることをあなたは見つけられたのか。それとも、こう書かれていることをあなたはご存じないのか。『医者を必要とするのは、健康な人びとではなく、具合の悪い人びとである』〔ルカ、5_31〕。あなたは、わたしが望むときにこれを見つけられ、あなたも〔望むときに〕わたしを〔見つけられる〕のです。
35.7.
 また、たとえわたしがあなたを慰めなくても、他の兄弟たちが、他の師父たちも、あなたを慰めるでしょう。ところが、あの人は、俗事のせいで悪魔に引き渡され、わずかな刻、一息つくために、あたかも主人から逃亡する家僕のごとく、益されようとしてやってきているのです。だからして、あなたは不断に救済に従事しているのに、彼を捨ておいてあなたと暇つぶしするとしたら、それは奇妙なことでしょう」。
 そういう次第で、わたしのために祈ってくれるよう頼み、彼が霊的な人であることをわたしは確信したのだった。
35.8.
 このとき、冗談めかして、彼は右手でわたしの左頬をやさしく叩いて、わたしに言う。「数多くの患難があなたを待ち受け、沙漠から出て行くようあなたは数々の挑戦を受けています。そして、あなたは怯え、ぐずつく。しかも、あなたのための口実として、ダイモーンは諸々の敬神や諸々の祝福をもたらして、これを雲散霧消させるのです。例えば、父親〔に会いたい〕というあなたの欲求とか、あなたの兄弟や姉妹を独修生活に〔導く〕教育をあなたにほのめかしてきました。
35.9.
 だが、見よ、あなたに吉報を告げよう。両者とも救われました。つまり、彼らは遁世したのです。あなたの父親も、さらなる歳月、達者に生きることができます。だから、沙漠で辛抱して、そういったことのためにあなたの祖国に出かけようなどとしてはなりません。書かれているとおりですから。『手を鋤にかけてから、後ろを見る者は、諸天の王国にふさわしくない』〔ルカ9_62〕」。
 そういう次第で、これらの言辞に益されて、充分に心を引き締められ、わたしを駆り立てていた口実がなくなったのを学んで、わたしは神に感謝した。
35.10
 そのうえ、再び冗談めかしてわたしに言う。「あなたは監督になりたいですか?」。彼にこう云った。
 「わたしは〔すでに監督〕です」。
 するとわたしに言う。「どこの?」。
 こう云った。「台所の、小売店の、食卓の、陶器類の。それらを監督していて、例えば葡萄酒が酸っぱくなっていたら、これを破門して、有用なものを飲みます。同様に、〔煮物用の〕壺も監督していて、例えば塩とか香辛料が足りない場合は、ふりかけ、味付けして、まさにそういうふうにしてそれ〔=壺に盛った食べ物〕で食事します。これがわたしの監督職です。大食(mastrimargia)がわたしを選任したものですから」。
35.11.
 彼は微笑してわたしに言う。「ことば遊びはやめなさい。あなたは監督として選任され、多くのことに辛労し患難すべきです。とはいえ、患難を逃れたいなら、沙漠から出てはなりません。なぜなら、沙漠には、あなたを監督として選任できる者は誰もいないのですから」。
 そういう次第で、彼のもとを辞去して、沙漠に、わたしの慣れ親しんだ場所に帰った。以上のことを、浄福の師父たちに話すために。彼らは、2ヶ月後、船で出かけ、彼〔イオーアンネース〕と面談した。ところで、わたしは彼の言辞を忘れていた。というのは、3ヶ月後、脾臓と胃臓の慢性病にかかったからである。
35.12.
 そういうわけで、わたしは兄弟たちの手でアレクサンドレイアに送り届けられた。水腫症を脅すためである。医者たちの忠告は、アレクサンドレイアを出て、気候のために、パライスティネーに行くようわたしにいった。〔そこは〕気候がおだやかで、わたしたちの体質によいらしい。パライスティネーからビテュニアに達した。そしてそこで — 人間的な篤信のせいなのか、力ある方のはからいなのか、どうなのかわたしは知らず。神ならご存じであるが — 、浄福のイオーアンネースの逆境に連座して、わたしは選任の価値ありとみとめられたのである。
35.13.
 そうして、11ヶ月間、暗い僧坊に身を隠しているあいだに、かの浄福者が、わたしが陥っている状況をわたしに予告していたことを思い返していた。
 彼はまたこういうこともわたしに話してくれていた。 — この話によって、わたしを沙漠の堅忍(hyponome)に導くのに役立つとおもったのだ。つまり、「この僧坊に、わたしは48年間をすごした。女の顔を見たことなく、貨幣の光景を〔見たことは〕ない。口をもぐもぐさせている者を見たことがない。食事する者を〔見たこと〕なく、わたしが飲むのを見た者はない」。
35.14.
 この人物は、神の女奴隷ポイメニアが、調査(historia)のために来訪したときも、彼女と面談することなく、しかし秘密事もかなり明らかにしてやったのである。そして、テーバイ州から下向する彼女に、アレクサンドレイアに寄らぬよう指図した。「試練に見舞われるはずだから」。しかし彼女は心得違いをしたのか、あるいは忘れるかして、アレクサンドレイアの都市を調査するため、そこに立ち寄ることにした。かくして、途上、停泊するため彼女の船をニコ・ポリスの近くに接岸した。
35.15.
 ところが、下船した童僕たちが、ちょっとした混乱から、現地人たちと喧嘩を始めた。彼ら〔現地人たち〕は捨てばちな連中であった。彼らは、ひとりの宦官の指を切り捨て、他のひとりを殺害し、至聖の監督ディオニュシオスさえ、知らずに河に投げ込み、彼女本人までも、罵詈雑言と恐喝によってぼろぼろにし、残りの童僕全員に傷を負わせたのである。

36."t".
第36話 ポセイドーニオスについて
36.1.
 テーバイ人ポセイドーニオスの話は、数も多く話しがたい。彼がいかに柔和な人物であったか、どんなに高度の修行をした人であったか、またどれほどの無邪気さ(akakia)をうちに秘めていたか、〔こんな人物に〕誰かほかに会ったことがあるかどうか、わたしはわからない。なぜなら、彼がポイメニオンの彼方に住持していたとき、この人物とベートゥレエム〔ベツレヘム〕で1年間いっしょに生活し、彼の徳の数々を目の当たりにしたからである。
36.2.
 そのなかで、ある日のこと、彼自身がわたしに話してくれたのは、まさしく次のことであった。「ポルピュリテースという土地に1年間住んでいた。その間、人間と面談したことなく、話を交わしたことなく、パンに手を出したことがなかった。ただ、少しばかりのナツメヤシと、どこかで野生の野菜を見つけたら〔それで〕すごしていた。そんなあるとき、わたしの食べ物が尽きたので、人の住まいする地に行くため、洞窟を出た。
36.3.
 そして、一日中歩きまわって、やっとのことで洞窟から2里程離れたところにたどり着いた。そうして、見回して、騎士を見た。彼は将兵の恰好をして、王冠(tiare)のついた兜をいただいていた。それで、彼は将兵だと思い、洞窟まで急ぎ、ブドウの房ともぎたてのイチジクの入った籠(kartalos)を見つけた。これをとって、大喜びして、洞窟に入った。2ヶ月ぶりにあんな食べ物に慰められたので」。
36.4.
 また、次の驚異譚も彼がベトゥレエムではなしてくれたものである。ひとりの妊娠した女がいた。彼女は不浄な霊に憑かれ、出産しようとするそのときに、難産になった。霊が彼女を打ち砕いたのだ。そういう次第で、女はダイモーンに憑かれ、彼女の夫はびっくりして、かの聖者に来てくれるよう頼んだ。そこでわたしたちが入っていって、祈ると同時に、彼は立ち上がって祈り、2度目に膝まづいたとき、霊を追い出した。
36.5.
 ところが、立ち上がって彼がわたしたちに言う。「祈ってください、不浄の霊がいま逃げ出すところですから。確信するには、何か徴があるはずです」。
 すると、ダイモーンが出て行きざま、中庭の壁をことごとく土台から打ち倒した。女の方はといえば、それまで6年間しゃべることができなかった。ところが、ダイモーンが出て行くと、子を産み、しゃべったのである。
36.6.
 この人物の、次のような預言もわたしは知っている。ヒエローニュモスという長老が、その地方に住んでいた。ローメー語の徳と生まれのよさに飾られた人物であった。ところが、かれはひどい邪眼(baskania)を持っていたので、それによってことばの徳が隠されてしまった。ところで、ポセイドーニオスは彼と長らくいっしょに時を過ごして、わたしの耳にこうささやく。「自由身分の女パウラは、彼の世話をする女性だが、先に命終するだろう。彼の邪眼(baskania)から解放されるために。そうわたしはおもう。
36.7.
 そして、あの男のせいで、聖者がこの地方に住みつくことはけっしてなく、彼の妬み(phthonos)は自分の兄弟にまで及ぶことだろう」。
 そのうち、実際そのとおりになった。というのも、じっさい、浄福のオクシュペレンティオス — イタリア人 — は逃げだし、アイギュプトス人のもうひとりのペテロスという人も、シュメオーンも、これら驚嘆すべき人々は〔逃げ出した〕。この人たちが〔驚嘆すべき人々であることは〕これまでわたしが特記してきたところである。
 このポセイドーニオスがわたしにこう話してくれた。 — この40年来、わたしはパンの試練を持ったことなく、もちろん、半日も、誰かに遺恨を持ったこともない。

37."t".
第37話 サラピオーンについて
37.1.
 他に、サラピオーンという人がいた。彼が「亜麻布(sindonios)」と添え名されたのは、亜麻布以外のものは何も身にまとったことがなかったからである。この人物は徹底した無所有(aktemosyne)の修行に打ちこんだが、学のある人(grammatos)であったので、〔聖〕書をすべて暗唱した。そして徹底した無所有(aktemosyne)と〔聖〕書の朗読(melete)の結果、僧坊に独住することさえできず、物質(hyle)によって引き離されたからではなく、人の住まいする地を歴訪して、徳そのものをまっすぐにしようとした。それが自然本性(physis)にもかなっていた。というのは、自然本性(physis)に種々相があるのであって、実体(ousia)が種々異なっているわけではないからである。
37.2.
 さて、師父たちの話によると、修行者(asktes)〔の身〕を一種の遊び人〔の姿〕にかえて、ある都市のヘッラス人の俳優たちに、自分の身を貨幣20枚で売った。そして、その貨幣を封印して自分のところに蓄えた。これほどのことまでして、自分を購入した俳優たちのところにとどまり、奴隷として仕え、ついに彼らをキリスト教徒にかえて、しかるのちに劇場を離れた。〔その間〕パンと水のほかはなにひとつとらず、〔聖〕書の朗読(melete)が口にとぎれることもなかった。
37.3.
 〔こうして〕長い時間がかかって、男優が最初に〔信仰に〕刺し貫かれた。次いで女優が。次いで彼らの家族全体が〔刺し貫かれた〕。しかし、彼を知らぬ間、彼は両者の足を洗ったといわれている。とにかく両者が洗礼を受けて、舞台に立つことをやめ、謹厳で敬神的な生活に突き進み、この人物をはなはだ尊敬し、これに言う。「さあ、兄弟よ、あなたを自由の身にしよう。あなたはみずから、わたしたちを恥ずべき奴隷の身から自由にしてくれたのだから」。
 彼らに言う。「神が行われ、あなた方の魂が救われたのだから、あなたがたにこの芝居(drama)の奥義を云おう。
37.4.
 わたしは、あなたがたの魂に同情し、自由民であり、生まれはアイギュプトス人の修行者であるので、このために自分を売ったのです。あなたがたを救わんとて。そして、これを神がなさり、わたしが低くすること(tapeinosis)によって、あなたがたの魂が救われたのですから、あなたがたの金貨を受け取りなさい。そうしたらわたしは立ち去り、他の人たちを助けられよう」。
 彼らはさんざんに彼に頼み、こう確言した、「あなたを師父として、主人として持てるよう、とにかくわたしたちといっしょにとどまってください」。彼を説得することはできなかった。そのとき、彼らは彼に言う。「金貨は物乞いたちにやってください、そうすれば、わたしたちにとって救いの手付け金となるでしょう。しかし、1年間はわたしたちに会ってください」。
37.5.
 この人物は次々と旅をつづけ、ヘッラスにたどり着いた。そしてアテーナイで3日間時を過ごしたが、誰からもパンを恵んでもらえなかった。なぜなら、小銭も携行せず、頭陀袋なく、毛皮なく、そういったものがなにひとつなかったからである。こうして4日が過ぎ、はなはだひもじくなった。なぜなら、心ならずものひもじさは、不信仰を伴っているときには、恐るべきものだからである。そこで、この都市の丘の上に立って、そこではこの都市の貴顕たちが集会をしていたので、拍手をした後、強引に嘆き訴え叫び始めた。「アテーナイ人諸君、助けてください」。
37.6.
 すると、山羊の毛皮(tribon)を着た〔哲学者〕たち、外套(birros)を着た〔労働者〕たち、全員が駆け寄ってきて、彼に言う。「どうしたのか。いったいどこから来たのか。いったいどんな目にあったのか」。
 彼らに言う。「わたしは生まれはアイギュプトス人です。わたしの正真正銘の祖国を離れて以来、3人の債権者の手に落ちました。しかし2人は、負債を充当してわたしを解放してくれました。告訴するものを持っていなかったので。ところがひとりはわたしを解放してくれないのです」。
 すると、彼らは債権者を満足させてこれにお節介しようと、彼に尋ねた。「そいつはどこにいるのか、いったい誰々なのか。あんたを悩ますやつは誰なのか。そいつをわれわれに示しなされ、そうしたらあんたを助けて進ぜよう」。
37.7.
 このとき彼らに言う。「わたしを若いころから悩ましているのは、金銭欲(philargyria)と大食(gastrimargia)と淫行(porneia)です。2つ — 金銭欲と淫行からは解放されました。もはやわたしを悩ませません。ところが大食からは解放されることができないのです。というのは、4日間食べ物がなく、胃袋がわたしを悩ませつづけ、それなくしては生きることのできない必要物を探しているのです」。
 このとき、何人かの哲学者たちが、それが芝居だとおもって、彼に貨幣を与えた。そこで受け取って、パン屋に払い、パン1個を受け取ると、ただちに旅に出て、その都市から離れ、もはやそこに帰らなかった。
37.8.
 そのとき、哲学者たちは、彼が真に有徳者だと知って、パン屋にパンの代金を与え、〔彼が払った〕貨幣を〔記念にするために〕受け取った。
 こうして、ラケダイモーン人たちの地方にいたった。この都市の第一人者たちのひとりがマニカイオス人で、自分の家族全員といっしょにくらし、その他の点では有徳者だと聞いた。最初の芝居同様に、再び、この人に自分自身を売った。そして2年以内に、これを異教から離教させ、これの自由民の妻をも教会へ向け直させた。そのとき、彼を歓愛して、もはや家僕としてではなく、まことの兄弟あるいは師父とし、神を讃えた。
37.9.
 この人物は、あるとき、ローメーへ航行するのがわが身のためと思って、船に乗りこんだ。船乗りたちは、船賃を払ったか、費用を黄金で所有しているものだとばかり思いこんで、単純に彼を受け入れ、各人各様に、彼の道具を受け取ったと思っていたのだ。彼らが船出し、アレクサンドレイアから500スタディオーン離れ、日の入りのころ、乗客たちは食事を始めた。船乗りたちは先に食べていた。
37.10.
 ところが、第1日目に彼が食事をとらないのを目撃したが、船酔いのせいだと希望的観測をしていた。第2日目も、第3日目も、第4日目も同様だった。5日目に、全員が食事をしているのに、彼が静かに座っているのを目にして、彼に言う。「なんで食事をとりなさらぬのか、あんさんは」。
 彼らに言う。「持ってないから」。
 すると彼らは口々に言い合った。「やつの道具なり費用なりを受け取ったやつが誰かいるか」。
37.11.
しかし、誰もいないと知って、彼に喧嘩腰で言い始めた。「費用もなしにどうやって乗りこんだのか。どうやってわれわれに船賃を払うつもりか。いったいどこから食い物を得るつもりか」。
 彼らに言う。「わたしはものを持たない。わたしを連れもどして、わたしを見つけたところに棄ててくれ」。
 もちろん、彼らは金貨100枚を無駄にすることを喜ぶはずもなく、自分たちの目的地にたどりついた。こうして、船に乗り、〔船乗りたちは〕ローメーまで彼に食べ物をやるようにしてやった。
37.12.
 こうしてローメーにいたり、男子修道者なり女子修道者(asketria)なり、大いなる者が誰かこの都市にいるか尋ねまわった。このとき、オーリゲネースの弟子でドムニノスという人にもめぐりあった。かの〔オーリゲネースの〕寝椅子は、その死後、病人たちを癒したものである。さて、この人物にめぐりあって、これから益せられた。というのは、性格においても生まれにおいても 彼から、男子修道者なり女子修道者なり、他に誰かいるか教えられて、ひとりの処女が、誰にも会わず、独居していることを知った。
37.13.
 そこで、どこにいるか教えられ、出かけて行き、彼女に仕えている老女に言う。「その処女にこう云ってくれ。『わたしはそなたと面談しなければならない。神がわたしを遣わしたのだから』と」。さて、二、三日たって後、彼女と面談し、これに言う。「どうして座っているのか」。
 彼に言う。「座っているのではなく、旅をしているのです」。
 彼女に言う。「どこに旅しているのか」。
 彼に言う。「神のところに」。
 彼女に言う。「あなたは生きているのか、それとも死んでいるのか」。
 彼に言う。「神にかけて、わたしは死んでいると信じています。なぜなら、肉において生きながら旅する人はいませんから」。
 彼女に言う。「それでは、あなたが死んでいるとわたしを確信させるために、わたしのすることをしてください」。
 彼に言う。「わたしにできることをいいつけなさい、そうしたらします」。
37.14.
 彼女に答えた。「屍体にはどんなことでも可能です、不敬なことをする以外は」。そのとき彼女に言う。「出て行って、姿を現しなさい」。
 くだんの女性が彼に答えた。「わたしは25歳になりますが、姿を見せたことがありません。いったい何のために姿を見せることがあるのでしょう」。
 彼女に言う。「もしもあなたがこの世に対して死に、この世があなたに対して〔死んで〕いるのなら、姿を見せるも見せないも、あなたにとって同じことです。だから、姿を見せてください」。
 彼女は姿を現した。すると、彼女が外に姿を見せ、ある教会まで行った後で、その教会で彼女に言う。「それでは、あなたが死んでいて、もはや生きていないということをわたしに確信させたかったら、人々の歓心をかって、わたしのすることをしてください、そうすればあなたが死んでいることをわたしは知ります。
37.15.
 わたしのように脱衣して、あなたの着物を全部両肩に掛けて、町中を通ってください、この格好でわたしが先導しますから」。
 くだんの女が彼に言う。「そんな恥ずべきことをしたら、多くの人たちを躓かせることになるでしょう、そして言うことでしょう、 — 彼女は正気を失ってダイモーンに憑かれている、と」。
 彼女に答えた。「彼女は正気を失ってダイモーンに憑かれていると云われることが、いったいどうしてあなたの気になるのですか。あなたは彼らに対して死んでいるのに」。
 そのとき彼にくだんの女が言う。「何か他のことをお望みなら、いたしましょう。それほどまでに至ることをわたしは祈りませんから」。
37.16.
 そのとき彼女に言う。「されば、見よ、誰よりも敬神の念篤く、この世に対して死んでいるなどと、もはや自分について尊大になってはならぬ。なぜなら、わたしはそなたより屍体であり、この世に対して死んでいることを行動において示している。すなわち、無心に(apathos)、恥じることなく(anepaischyntos)それを行うのだから」。そのとき、彼女を卑下(tapeinophrosyne)の中に取り残し、その傲慢(tyhos)を打ち砕いて、彼は引き上げていった。
 彼が行った驚嘆すべきはなし、不動心(apatheia)を発揮したはなしは、他にも数多くある。この人物は、60歳まですごして命終し、当のローメー〔=ローマ〕に埋葬された。

38."t".
第38話 エウアグリオスについて
38.1.
 エウアグリオス — その名を謳われた執事(diakonos)で、使徒たちに匹敵する人生を送った人物 — のはなしを、黙っているのは義しくない。むしろ、これを書によって伝えることこそ〔義しい〕。それは、読者たちの善導(oikodome)のために、また、わたしたちの救い主の善性(agathotes)の栄光(eudoxia)のために。初めから述べる価値があると考える。どのようにして監督になったのか、どうやってみずからを修行し、ふさわしくも沙漠で54年の生涯を閉じたのか。書かれたもののとおりに。「わずかな間に、多くの歳月をまったくした」〔ソロモンの知恵、4_13〕。
38.2.
 この人物は、都市イボラ出身のポントス人にして、地方監督(chorepiskopos)の息子であった。カイサレア人たちの教会の監督である聖バシレイオスによって、読師(anagnostes)に選任された。ところが、聖バシレイオスの死後、最高の知者にして、無心の極致に達した人物、教育に輝けるナジアンゾスの監督グレーゴリオスが、彼の適性(epitedeiotes)に注目して、執事(diakonos)に任命した。これによって、コーンスタンティヌゥポリスにおける大公会議(synodos)において、あらゆる異端者に対する駁論において弁が立つことから、監督であった浄福のネクタリオスにこれを預けた。かくして、この大都市で、血気盛んな彼は、全異端反駁の議論において花開いた。
38.3.
 ところが、この人物は、この都市じゅうからはなはだもてはやされたが、女に対する欲望という偶像(eidolon)の金縛りに遭うことになった。これは、後に、その思念(phronoun)から自由になってから、彼自身がわたしたちに話してくれたことであるが。そのおなご(gynaion)が、今度は彼に恋を仕返した。しかも、彼女は最上流階層に属していた。しかし、エウアグリオスは神を怖れ、自分の良心(syneidos)に恥じ、羞恥(aischemosyne)の大きさと、異端者たちの他人の不幸を喜ぶさまを目の当たりにして、自分に障碍がおこるよう嘆願して、神に祈った。ところが、その女がまとわりついて半狂乱となり、〔エウアグリオスは〕別れたかったが、それができず、その女の手当(therapeia)に縛りつけられていた。
38.4.
 この事態の試練〔に遭う〕より先に、彼の祈りが少し先んじた結果、天使の顕現(optasia)が彼に臨んだ。〔その天使は〕"hynarchos"〔???〕の将兵の恰好をしていて、さらって、これをいわゆる衛兵所(Lat. custodia)に投げこみ、〔衛兵たちが〕鉄の首枷と鎖で、首と両手を緊縛した。彼を襲った者たちは、もちろん、理由を言わない。しかし、彼女のせいでこんな事態を招いたことは、自身は良心でわかっていた。彼女の夫が訴えたのだと想像したのである。
38.5.
 そういう次第で、彼がひどく苦悶しているときに、別の裁きが行われ、ほかの者たちが訴えによって拷問を受けている間、彼は激しく苦悶しつづけた。すると、顕現した天使が姿を変えて、真正の友となって現れ、彼が、40人の犯罪者たちの中に縄で縛られている間に言う。「誰のせいでこんなところ留置されているのか、主たる執事殿よ」。
 彼に言う。「真実のところは知らぬが、もと知事の恐るべきやつが、わたしに対して無道な嫉妬に撃たれて訴え出たとの推測がわたしをとらえる。だから、役人が金で堕落して、わたしを処罰するのではないかと恐れている」。
38.6.
 彼に言う。「君の友人のいうことを聞くなら、この都市にいるのは君のためにならぬ」。
 エウアグリオスが彼に言う。「神がわたしをこの禍からまぬがれさせてくださり、しかもコンスタンティヌゥポリスに君がわたしを見ることがあるなら、いいかい、ぼくは四の五のいわずこの罰に服するよ」。
 かの相手が彼に言う。「福音書を持ってこよう。これにかけてわたしに誓ってくれ、 — この都市を去って、君は君の魂に気を配ると。そうすれば、この苦境から君をまぬがれさせてあげよう」。
38.7.
 そういう次第で、福音書が持ってこられ、この福音書にかけて相手にこう誓った。「1日以内に、わたしの衣服を急ぎ船に積みこみ、けっしてとどまることはありません」。
 すると、この誓いが成立したとたん、その夜、彼に起こった忘我からさめた。そうして起きあがって、こう思量した。「この誓いが忘我の中で起こったにしても、やはり誓ったのだ」。そこで、自分のものをすべて船に積みこみ、ヒエロソリュマ〔エルサレム〕へと出発した。
38.8.
 そこでも、ローメー〔ローマ〕女の浄福のメラニオンに歓迎された。そして、またもや、悪魔が彼の心(kardia)を、パラオのそれのように頑なにし、若くて年齢的にも元気溌剌としているので、一種の遅疑(endyasmos)が彼に生じ、誰にも何も告げられず、二心におちいった。そして、ここでも再び、服装も話しぶりもすっかり替え — 虚栄心(kenodoxia)が彼を麻痺させてしまった。しかし、わたしたちみなの破滅の阻止者たる神は、彼を火のごとき熱病に投げこんだ。そしてここから、6ヶ月の長い病のせいで、彼の肉体がミイラ化し、おのおかげで〔彼は堕落を〕阻止された。
38.9.
 しかし、医者たちが行き詰まり、手当の仕方も見つけられなかったとき、浄福のメラニオンが彼に言う。「わたしには気に入りません、息子よ、あなたの長患いが。だから、あなたの精神(dianoia)の内にあることをわたしに云ってください。あなたの病気そのものは、神的ではないのですから」。
 そのとき、彼女に事情をことごとく告白した。
 すると彼女が彼に言う。「主にかけて、わたしに言質をください。独身生活を目標とすると。たとえわたしは罪人なりとも、あなたに生命の賜暇(Lat. commeatus)が与えられますようにと」。
 彼は承知した。こうして、数日のうちに彼は健康となった。そして、立ち上がり、かの女性本人に着替えさせてもらって、出発して、アイギュプトスにあるニトリアの山めざして出郷した。
38.10.
 ここに住むこと2年。3年目に沙漠に入った。それから14年、ケッリアと言われる地域で生きた。食べるものはパン1リトラ、オリーブは3ヶ月に一度、 — 繊細・華奢・官能的な生活から脱して訓育された者となった。また、100回の祈りをなし、食べるものの値段を〔稼ぐに足るだけ〕1年間に書いた。というのは、彼は鉤鼻字体(oxyrynchos charakter)を書いたからである。こうして、15年たたぬうちに理性(nous)をその極まで浄化し、知識(gnosis)と知恵(sophia)と霊たちの識別(diakrisis)の賜物(charisma)を尊崇された。こうして、この人物は、修道者たちのために『駁論集(antirrhetika)』とそういうふうに言われる聖なる書3巻を著した。〔ここにおいて彼は〕ダイモーンたちに対するもろもろの技術を提示している。
38.11.
 淫行のダイモーンがこの人物を徹底的に悩ませた。これは本人がわたしたちに話してくれたところである。そこで、冬であったが、一晩中、裸で井戸の中に立ちつくした。自分の肉体が凍るまでになった。また、別のときには、呪詛(blasphemia)の霊が彼を悩ませた。そこで、40日間、屋根の下に入らなかったので、本人がわたしたちに話してくれたところでは、彼の身体は言葉なき動物たちのそれのように、こぶを発生させたほどである。この人物に、日中、3人のダイモーンたちが襲いかかった。〔そのダイモーンたちは〕僧の恰好をしていて、信仰をともに渇仰した。ひとりは自分のことをアレイアノス〔「アリウス主義者」の意〕と言い、ひとりはエウノミアノス〔「エウノミオス主義者」の意〕、ひとりはアポリナリアノス〔「アポリナリオス主義者」の意〕と〔言った〕。しかし、彼は短い言葉によって自分の知恵(sophia)でもって連中を圧倒した。
38.12.
 また、ある日、教会の鍵がなくなったとき、錠の前で十字を切り、手で押し開けた。クリストスに呼びかけながら。ダイモーンたちによってどれほどの鞭をくらい、ダイモーンたちのどれほどの試練を受けたか、その数はきりがない。自分の弟子たちのひとりに、18年後に起こることを彼に云ったが、すべて目に見えるがごとくに彼に預言した。
 また、彼はこう言っていた。「沙漠に出会って以来、レタス一切れに手を出したことなく、ほかの緑の野菜のようなものにも、果物にも、ブドウにも、肉にも、入浴にも〔手を出したことはない〕」。
38.13.
 後に、調理したものを摂らない行住坐臥(politeia)をして16年たって、彼の肉体は、胃弱のせいで、火を通したものをとる必要に迫られたが、パンにはもはや手を出さず、2年間、野菜とか大麦の粥とか粥をとり、こういうものらを摂りつづけて命終した。教会での御公現の祝日(Ephiphania)に参加した後で。
 ところで、死にさいして、わたしたちにこう話してくれた。「肉の欲望に悩まされなくなって3年目になる。 — これほどの人生(bios)と辛労(kopos)と労苦(ponos)と不断の祈り(proseuche)の後に」。この人に父親の死が知らされると、知らせた者に言う。「呪詛をやめなさい。わたしの父は不死ですから」。

39."t".
第39話 ピオールについて
39.1.
 ピオールというアイギュプトス人がいた。若くして遁世し、父親の家を出た。渇仰のあまり、もはや身内の誰にも会うことはしないと神に言質を与えた。さて、50年後、この人物の姉妹が年老い、〔彼が〕存命であると聞いて、彼に会わなければと、忘我状態になるまでにかりたてられた。しかし、沙漠に出かけることができないので、土地の監督に嘆願し、彼を遣わして、これに会えるようにしてくれるよう、沙漠の師父たちに手紙を書いてもらった。こうして、多くの強制が彼にまとわりついたので、他に1人を同伴して出かけるのがよいと思った。
39.2.
 そうして、姉妹の家に、「あなたの兄弟ピオールがやってきた」と告げさせた。しかし外に立ったまま、扉の音で、老女が対面するために出てきたとわかるや、両眼を閉じて、彼女に向かって叫んだ。「恐るべき女よ、恐るべき女よ、わたしはそなたの兄弟ピオール、わたしはここにいる。好きなだけわたしを見るがよい」。
 こうして、くだんの女が確信し、神を讃え、自分の家に入るよう彼を説得することなく、自分の家に引き返した。彼の方は、門柱に祈りを捧げると、再び沙漠に立ち返った。
39.3.
 彼の驚異譚としては、次のことが伝えられている。つまり、彼が住んでいた場所を掘削して、非常に苦い水を発見した。そして、命終するときまで、そこに留まりつづけたが、それは、水の苦さによって自分の堅忍(hypomone)を示すことが狙いであった。ところで、彼の死後、多くの修道者たちが彼の僧坊に留まることを競い合ったが、1年と住み続けられた者はいない。その場所は恐るべきところで、慰めがなかったからである。
39.4.
 リビュア人モーセースは、きわめて柔和で、最も愛された人物で、癒し(iamata)の賜物(charisma)で尊崇されていた。この人物がわたしにこう話してくれた。「若いころ、修道院で、わたしたちは最大の井戸を掘った。幅20プゥスあった。このとき、3日かけて、人員80人で掘り抜き、通常の期待される井戸を約1ペーキュスを超過しても、水を発見できなかった。そこで、すっかり意気消沈し、作業を中止しようと考えた。すると、ピオールが、まさしく第6刻限に、炎熱のなか、沙漠からやってきた。年老い、毛皮を身にまとっていた。わたしたちに挨拶し、挨拶が終わると言う。『何をしょげているのか、信仰薄き者たちよ。あなたがたがしょげているのを、昨日から、わたしは見ていたのだ』。
39.5.
 そして、梯子を使って、井戸の穴に降りてゆくと、彼らといっしょに祈りを捧げた。そしてツルハシをとると、3度振り下ろして言う。『聖なる族長たちの神よ、あなたの奴隷たちの労苦を無駄にせず、彼らに必要な水を送ってください』。すると、たちまち水が噴き上げた。全員に降り注ぐほどに。こうして、再び祈りを捧げて、立ち去った。このとき、彼に食べてゆくよう進めたが、受けることなく云った。『わたしが遣わされた所以のことは成就した。わたしが遣わされたのは、その〔食事する〕ためではないのだ』」。

forward.gifラウソス修道者史(5/7)