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back.gifラウソス修道者史(4/7)


原始キリスト教世界

ラウソス修道者史(5/7)






40."t".
第40話 エプライムについて
40.1.
 エデッサ人たちの教会の執事(diakonos)アプライムの話は、きっと聞いたことがおありだろう。というのは、敬虔な人々によって記憶されるにあたいする人々のひとりであったから。この人物は、ふさわしくも霊の道をきわめ、真っ直ぐな道を踏み外すことがなかったので、自然の知識(gnosis) — 神の説教(theologia)や浄福さの極みが受け継ぐ — の賜物(charisma)を尊崇された。そういう次第で、寂静の生活を常に修行し、充分な歳月、来訪者たちを善導した。後に、僧坊を離脱したのは、次のような理由による。
40.2.
 エデッサ人たちの都市を大飢饉が見舞ったとき、地方全体が壊滅したのを哀れみ、物質的に豊かな人たちのところに行って、彼らに言う。「何ゆえに、人間的自然が壊滅しているのを憐れむことなく、あなたがたの富を腐らせて、あなたがたの魂の罰金にしているのですか?」。すると彼らが注目して彼にこう言う。「飢えた者たちを世話したくても、信用できる者を持たないのです。誰もが財を売り物にするから」。彼らに言う。「わたしはあなたがたにどう思われますか?」。彼らの間で彼は、嘘ではなく、真実に、大いなる名望を得ていた。
40.3.
 彼に言う。「あなたが神の人であることをわたしたちは知っています」。「それなら、わたしを」と彼は謂う、「信頼してください。見よ、あなたがたをとおして、わたしはわたし自身を歓待者(xenodochos)に選任しよう」。そうして、金貨を受け取り、玄関をふさいで、寝椅子およそ300を据えて、飢えた人々を看病した。亡くなった者たちは埋葬し、生命の希望の或る者たちは看病し、飢えのために来訪する者たち全員に、単純に歓待(xenodochia)と奉仕(hyperesia)を、日々、提供した。自分に寄進してくれた物の中から。
40.4.
 こうして、その年が過ぎ、豊作が続き、全員が家に帰り、もはや彼のすることはなくなったので、自分の僧坊に帰り、数ヶ月後に命終した。神はそういう仕方で、彼の臨終までに、花冠のこの機会を彼に授けたのだった。彼はまたいくつかの著作を残した。その大部分は尊重にあたいする。

41."t".
第41話 聖女たちについて
41.1.
 さらに、この書のなかでは、男らしい〔=勇敢な〕女たちにも言及しなければならない。神も彼女たちに、男たちと同等の〔格闘の〕褒賞を恵与なさったのであるから。徳の達成において、彼女たちをより弱いといいわけにしないためである。そういう次第で、わたしは多数の女性に会い、処女であれ寡婦であれ、多数の女性修道者と面談したことがある。
41.2.
 [そのなかに、ローメー〔=ローマ〕女パウレーもいる。トクソティオスの母親で、霊的行住坐臥(politeia)の修行をきわめた女性であった。彼女の邪魔をしたのは、ダルマティア出身のヒエローニュモスなる者であった。というのは、彼女は最も生まれよき女性であるから、誰よりも凌駕することができたのに、彼が邪魔したのだ。自分〔ヒエローニュモス〕の私的な目的のために、自分自身の邪眼(baskania)によって彼女を引き寄せて。彼女には娘がおり、今も修行している。名をエウストキオンといい、ベートゥレエム〔=ベツレヘム〕にいる。この女性とわたしは面談(syntychia)したことがないが、すこぶる知恵深く、50人の処女の教団(synodia)を持っていると言われている。
41.3.
 さらに、ベネリアもわたしは知っている。官吏(Lat. comes)バッロビコスの娘で、美しくも駱駝の輸送路を喜捨し、物質から受ける傷をまぬがれた女性である。また、護民官の妻テオドーラをも〔わたしは知っている〕。無所有(aktemosyne)に駆り立てられたあまりに、施し(eleemosyne)を受けるまでになり、そういうふうにして、海辺のヘーシュカスの修道院で命終した。名をホシアという女性をわたしは知っている。どこをとっても謹厳至極な女性であった。また、彼女の妹のアドリアも、彼女ほどではなかったものの、自分の力相応に生きた女性であった。
41.4.
 わたしはバシアニッラをも知っている。軍司令官(stratelatos)カンディディアノスの妻で、熱心かつ敬神的に徳を修行し、今もまだはなはだしい格闘をつづけている女性である。また、ポーテイネーを〔知っている〕。極端なまでに謹厳至極な女性で、ラオディケイアの長老テオクティストスの娘である。さらにまた、アンティオケイアで、謹厳至極な、神に話しかける女性と面談したことがある。女執事(diakonisse)サビニアネーで、コーンスタンティヌゥポリスの監督イオーアンネースの叔母である。さらにまた、ローメーで美しきアセッラに会った。修道院で年老いた処女で、すこぶる柔和な女性で、教団(synodia)を堅持していた。
41.5.
 わたしが観察した者たちの中には、新しく教理問答を受けた男たちや女たちがいる。神にふさわしい女性アビタも見た。自分の夫アプロニアノスと、両人の娘エウノミエーもろとも、神に嘉せられた結果、有徳で自制的な行住坐臥(politeia)へと向け直され、それらによって、クリストスにおける永眠にもあたいする者とされ、あらゆる罪からは自由の身となったが、知識(gnosis)の内にはとどまり、自分たちの人生を善き記憶のうちにとどめたのであった。]

42."t".
第42話 イウゥリアノスについて
42.1.
[エデッサ地区のイウゥリアノスという、修行を極めた人について、わたしは聞いたことがある。この人は、自分に肉体(sarkoon)を溶解させて骨と皮ばかりになっていた。この人物は、最期のときに、癒し(iamata)の恩寵(charisma)の価値(time)を尊崇されていた。]

43."t".
第43話 アドリオスについて
43.1.
 再びヒエロソリュマ〔=エルサレム〕にもどって、名をアドリオスという人をわたしは知っている。生まれはタルソス人で、彼はあまりに風変わりな道をたどってヒエロソリュマ〔=エルサレム〕にたどりついた。多くの人たちが歩んだ道ではなく、自分に一種異様な行住坐臥(politeia)を拓いた。すなわち、超人的な修行をしたので、当のダイモーンたちでさえ、彼の厳格さに戦慄し、彼に敢えて近づこうともしなかったほどである。節制(enkrateia)と不眠(agrypnia)の極端さのせいで、化け物とさえ疑われた。
43.2.
 例えば、四旬節の期間は、食事は5日に1度、その他の時はすべて、1日おきにであった。しかし彼の偉大さは次の点であった。夕刻、兄弟団が再び祈りの家に集まるときまで、オリーヴ山の昇天の丘 — ここでイエースウスは昇天された — にゆき、立ちつくし、讃美歌を歌い、祈りを捧げ続けた。雪が降ろうと、雨が降ろうと、霜が降りようと、揺らぐことはなかったのである。
43.3.
こうして、いつもの時を満たすと、起床の拍子木で全員の僧坊の戸口を叩いてまわり、彼らを祈りの家に集め、それぞれの家ごとに、1ないし2回交唱(antiphonos)を彼らと交わし、そうやって日の出前に自分の僧坊に帰っていった。真実ありのままいえば、兄弟たちはしばしば彼を脱がせ、彼の衣服を洗いさらし屋がやるように絞り、他の衣服を着せた。こうして、再び讃美歌の刻限まで休むと、夕刻まで祈った。さて、これこそがアドリオス — タルソス人で、ヒエロソリュマ〔=エルサレム〕で完徳に達した人、またそこで永眠した人の。

44."t".
第44話 インノケンティオスについて
44.1.
 オリーブ山の長老、浄福のインノケンティオスの話は、多くの人たちからお聞きになったであろうが、3年間彼と共に生活したわたしたちからも、劣らずお聞きになるであろう。この人物は、はなはだしく単純このうえない人であった。ところが、コーンスタンティオス帝〔Constantius II, 在位337-61〕の治世のとき、パラティオン宮の高官のひとりとながら、結婚〔生活〕から飛び出して遁世した。このとき、パウロスという名の息子を持っていた。〔息子は〕宮廷護衛官(domestikos)として軍務についていた。
44.2.
 この〔息子〕が、長老の娘と罪を犯したとき、インノケンティオスは自分の息子を呪い、神に呼びかけて、こう云った。「主よ、この子に、もはや肉体の過ちを犯す機会がなくなるような、そのような霊を与えたまえ」。息子は、ふしだらさ(akolasia)と〔拳闘する〕よりは、ダイモーンのようなものと拳闘する方がより善いと、考えたからである。じっさいまたそのとおりになった。そのときもまだ鎖につながれてオリーブ山にいた彼は、霊によって教育されたのである。
44.3.
 このインノケンティオスが、どれほど憐れみ深い人物であったか、真実を話しても、駄法螺だと見られることであろう、例えば、しばしば兄弟たちから盗んで、必要とする人たちに与えたほどである。はなはだしく無邪気で単純で、ダイモーンに対する賜物(charisma)で尊敬されていた。あるときのこと、わたしたちが見ていると、霊と麻痺に取りつかれた若者が彼のところに運ばれてきた。わたしは観察して、手当を断り、連れられてきた〔若者〕の母親を逆に追及しようとしたほどである。
44.4.
 ところが、その最中に、くだんの老人がやってきて、彼女がたたずみ、泣いて訴え、息子の名状しがたい災禍を嘆いているのを眼にすることになった。すると尊師(kalogeros)は涙を流し、同情して、若者を連れると、自分の礼拝堂の中に入っていった。その礼拝堂は、自分が建てたもので、その中には洗礼者イオーアンネースの遺品がおさめられていた。そうして、若者のために第9時から第3時まで祈りを捧げると、その日のうちに、健康になった若者を、その母親に引き渡した、彼の麻痺とダイモーンとを追い払ったのである。
44.5.
 ひとりの老女が羊を見失い、彼のところにきて泣いて訴えた。すると彼女について行って、言う。「どこで見失ったのかその場所をわたしに示してください」。ラザリオンの近くの場所に彼を連れて行く。すると彼は立ったまま祈り始めた。盗んだ者たちは若者で、先にそれを食べてしまっていた。そこで、彼が祈っているとき、誰も認めず、肉切はブドウの林の中に隠されていたが、どこからかカラスがやってきて、飛び降り、肉片を取ると、再び去っていった。そこで浄福者が注目して、犠牲獣をみつけた。こういうふうにして、若者たちは彼の前に身を投げ出し、それを屠ったことを認め、相応の罰金を弁償させられた。

45."t".
第45話 ピロローモスについて
45.1.
 [わたしたちがガラティアでめぐりあい、長い時間をともに過ごしたのは、長老ピロローモスであった。彼は修行と忍耐をきわめた人であった。この人は、家内奴隷の女を母親、自由民を父親として出生した。クリストスにしたがっての行住坐臥(politeia)の気高さ(eugenesia)を実証し、生まれにおいて人後に落ちぬ人々も、彼の生命(zoe)と徳には敬意を払ったほどである。この人物は、悪名高き皇帝イウゥリアノス〔背教者ユリアヌス、在位361-63〕の代に遁世し、これと率直に(meta parrhesias)対話した。〔イウゥリアノスは〕彼が剃られ、童僕らによって打擲されるよう命じた。彼〔ピロローモス〕はこの行為を耐え忍び、相手に感謝の念を表明さえした。これは、彼自身がわたしたちに話してくれたところである。
45.2.
 〔修行の〕初期には、淫行(porneia)や大食(gastrimargia)といった敵が彼に襲いかかった。この苦患(pathos)を彼が追い払ったのは、引き籠もり(enkleismos)と鉄鎖を身に帯びること(siderophoria)とによって、そして、食物のパンや、火を通しての調理物をすべて差し控えること(apoche)によってであった。こういう情況に18年間耐え抜き、クリストスの祝勝の讃美歌を歌ったのである。この人物は、邪悪さの諸霊によってたえず挑戦され、40年間、ひとつの修道院のなかで耐え忍んだ。そしてこの人物はこう話すのだった。「32年間、わしは果物ひとつにも手を出したことがない」。しかし、あるとき、怯懦(deilia)が挑戦したので、これに打ち勝つために、6年間、みずからを塚(mnema)に閉じこめた。
45.3.
 終始、彼の世話をしたのが、浄福のバシレイオスであった。この監督は、彼の峻厳さ(austeria)・苛烈さ(styphotes)を喜んだ。そのときもまだ、筆と〔週の〕第4日に書くことをやめなかった。たしか80歳になっていたのにである。この人物はこう主張した。「入信し、生まれ変わって以来、今日まで、わしが口にしたのは、他人の贈り物のパンではなく、自分の労苦によって得たものだ」。神かけて、彼はわたしたちをこう説得した、 — 貨幣250枚を自分の両手の労働で得て、不具者たちに与えてきたが、誰ひとりにも一度も不正したことはない、と。
45.4.
 彼は徒歩で旅行して、ローメー〔=ローマ〕そのものまでも行ったことがある。浄福のペトロス〔に捧げられた〕殉教者廟(martyrion)で祈るためである。さらにまたアレクサンドレイアにも寄った。マルコス〔に捧げられた〕殉教者廟(martyrion)で祈るためである。そして2回目には、ヒエロソリュマ〔=エルサレム〕に赴いた。自分の足で旅し、自分で出費を充ててである。そしてこう言うのが常であった。「わたしの心(nous)に神が不在だった記憶は一度もない」。

46."t".
第46話 老メラニオンについて
46.1.
 三倍浄福なメラニオンは、生まれはスパニア女であったが、後にローメー〔=ローマ〕女となった。もと執政官(hypatos)のマルケッリノス〔341年の執政官〕の娘であったが、貴族出身のある男 — わたしはその名を美しく覚えていない — の妻となった。この彼女が22歳のとき寡婦となったが、神への恋で尊崇され、誰にも何も告げず、 — 邪魔されたであろうから — ウゥアレンティス〔ヴァレンティアヌス1世、在位364-75〕が帝国の支配権を握った時期に、管財人に自分の息子の名が登録されるようにすると、自分の動産すべてをとって、船に積みこみ、著名な子どもたちや女たちといっしょに、全速力でアレクサンドレイアに航行した。
46.2.
 かの地で物財を売り払い、金にくずして、ニトリアの山に入った。彼女がめぐりあった師父たちは、パムボー、アルシシオス、大サラピオーン、スケーティス人パプヌゥティオス、証聖者(homologetes)イシドーロス、ヘルムゥポリスの監督ディオスコロスといった面々であった。そして半年間、沙漠をめぐって彼らのところで時を過ごし、聖人たちすべてを捜し出した。
46.3.
 しかしその後、〔エジプトの〕州総督〔augoustalios。正式名はpraefectus Augustalis〕がアレクサンドレイアからイシドーロス、ピシミオス、アデルピオス、パプヌゥティオス、パムボー、これらの中にはアムモニオス・パローテースも含まれていたが、12人の監督と長老たちを、ディオカイサレイアの近くのパライスティネーに追放した。彼女は自分の財産をはたいてこの人々についてゆき、仕えた。しかし、彼らの話では(というのは、わたしは聖ピシミオス、イシドーロス、パプヌゥティオス、アムモーニオスに面談したのだ)、従者たちが邪魔するので、彼女は童僕の外套(karakallion)を着て、夕方、彼らのために必要なものを運んだという。ところが、パライスティネーの領事(hypatikos)がこれを知って、懐を肥やそうと、彼女を強請ることを思いついた。
46.4.
 そこで彼女を捕らえて、牢に放りこんだ。自由民の女だとは知らずに。
 そこで彼女が彼に明らかにした。「わたしはしかじかの者の娘にして、しかじかの者の妻。そしてクリストスの女奴隷。わたしの恰好のみすぼらしさをないがしろにしてはなりません。なぜなら、わたしが望めば、自分を高くすることができ、こんなことでわたしを強請ることができないのはもちろん、わたしのものを何も取ることもできないでしょうから。ですから、知らずに、あなたが告訴に陥ることのないようにするために、あなたに明らかにしました。なぜなら、残忍非常な者たちに対しては、タカ〔を用いる〕ように権柄(typhos)を使用すべきでしょうから」。
 このとき、裁判官は知って、あれこれ釈明し、彼女の前に身を投げ出し、彼女が何の障碍もなく聖人たちと面談できるよう命じたのであった。
46.5.
 彼女は、これらの〔聖〕人たちの召還(anaklesis)の後、27歳のときのヒエロソリュマ〔=エルサレム〕に修道院を建て、50人の処女たちの教団(synodia)を維持して、そこに時を過ごした。ルゥピノスも彼女と共生したが、〔ルゥピノスは〕このうえなく善良で、似た性格で、しっかりした人物で、イタリアのアキュレーイアという都市の出身で、後には長老として尊崇された人物あった。男たちのなかでこの人より高い覚知者(gnostikoteros)にして公正な人(epieikesteros)は見いだされたことがない。
46.6.
 こうして、両人は27年間、祈りのためにヒエロソリュマ〔=エルサレム〕に来訪する人たち、監督たち、修道者たち、処女たちを受け入れ、私的な出費で来訪者たち全員をもてなす一方、パウリノンにおけるおよそ400人の修道者たちの分裂を終息させ、霊の闘いをしていたすべての分派主義者たちを説得して、教会に導き入れ、地方の聖職者(klerikos)たちを贈り物や食べ物によってたたえ、こうして誰ひとりをも不快にさせることがなかった。

47."t".
第47話 クロニオスとパプヌゥティオスについて
47.1.
 名をクロニオスという人は、ポイニケーと言われる村の出身。沙漠に近かった自分の村から、右足で数えて15000歩を計測して、そこで祈って井戸を掘った。すると7オルギュイアの深さに最美な水を発見し、そこに小さな宿(xenia)を自分のために建てた。そして、自分を座に据えた日以来、もはや住んでいた場所にはもどることはないと神に祈った。
47.2.
 やがて少しの歳月がたち、彼の周囲に兄弟団およそ200人が集まり、長老として尊敬された。こうして、彼の修行の徳そのものが言い伝えられているところでは、60年間、祭壇(thysiasterion)のそばに侍して、祭司として沙漠から出て行ったことがなく、自分の両手の仕事で得たパン以外は食べたことがなかったという。この人物といっしょに住んだのが、隣人のなかのイアコーブという人で、跛と添え名されていたが、最高の覚知者(gnostikotatos)であった。両者とも、浄福のアントーニオスの知己であった。
47.3.
 ところが、ある日のこと、ケパラと綽名されたパプヌゥティオスも馳せ参じてきた。この人物は、旧約・新約の聖書の知識(gnosis)の賜物(charisma)を有し、書物を読まなくても、それをすべて解釈したが、柔和な人物であったので、預言の徳が隠されるほどであった。この人について伝えられているところでは、80年間、外衣2枚を一度に持ったことがないという。こういった人たちに、わたしと、浄福のエウアグリオスとアルバニオスとで面談したとき、堕落する人たちとか脱落する兄弟たちとか、しかるべき人生において躓く人たちの理由を学ぶことを渇仰した。
47.4.
 というのは、そのころ、修行者カイレーモーンも座ったまま命終し、両手に仕事を持ったまま、肘掛け椅子の上で彼は死人として発見されるということが起こった。さらにまた別の兄弟も、井戸を掘っていて、その井戸に生き埋めになるということが起こった。さらにまたスケーティスから下向してきた別の〔修行〕者も、水不足で死ぬということが〔起こった〕。これらのなかには、恥ずべき放蕩三昧(asotia)に転落したステパノスの件も、エウカルピオスも、アレクサンドレイア人ヘーローンの件も、パライスティナ人ウゥアレースの件も、スケーティスのアイギュプトス人プトレマイオスの件も含まれていた。
47.5.
 そういうわけで、こういうふうに沙漠で生きた人々が、或る者たちは心(phren)をたぶらかされ、或る者たちは放縦(akolasia)によって引き剥かれる理由は何かと、わたしたちはいっしょになって質問したわけである。
 すると、最高の覚知者(gnostikotatos)パプヌゥティオスは次のような答えをわたしたちに与えたのである。それはつまり、「すべての出来事は、神の善意(eudokia)によるものと同意(synchoresis)によるものという2つに分けられる。例えば、徳に従って、神の栄光(doxa)のためになされるかぎりのこと、これは神の善意(eudokia)によって生じる。しかし、今度は逆に、天罰(epizemia)とか危難とか悲惨とか転落とかいったかぎりのこと、これは神の同意(synchoresis)にもとづいて生じるのである。
47.6.
 ところで、同意(synchoresis)は、道理(logos)にもとづいて生じる。なぜなら、正しく(orthos)知慮し、正しく(orthos)生きる人が、ダイモーンたちの醜行(aischyne)ないし惑乱(plane)の躓きによって転落することは不可能だからである。ところが、腐敗堕落した狙い、つまりは、ご機嫌取りの病気や、思念(rogismos)の厚かましさ(authadeia)によって、徳を求めていると思いなしているかぎりの者たち、この人たちは、躓きに転落する。神が彼らの益になるよう、彼らを置いてきぼりにし、そうやって、その置き去り(enkataleipsis)によって、決意(prothesis)にしろ行為(praxis)にしろ、変節(metabole)から来るよそよそしさを感知して、これを直くするようにさせるためである。
47.7.
 というのは、決意(prothesis)が罪を犯すときがある。悪しき狙いで行われるときである。また行為も〔罪を犯すときがある〕。腐敗堕落して〔なされ〕たり、あるいは、為すべき仕方でなされないときである。これこそしばしば起こることだが、放縦な人も、堕落した狙いをもって、若い女たちのために醜い目的で施しをする。これに反し、孤児女や独り身の女や、修行している女に対するように、ひとに援助を与えることは、祝福さるべき行為である。さらにまた、正しい狙いをもって、病人たちや年寄りたちや富を喪失した者たちに施しをなす、しかし物惜しげにぶつくさいいながら〔施しをなす〕ということがある。この場合は、狙いは正しいが、行為は狙いにあたいしないことになる。なぜなら、憐れむ者は機嫌よく、惜しみなく憐れむべきだからである」。
47.8.
 さらにまた、次のことも彼ら〔クロニオスとパプヌゥティオス〕は言った。「多くの魂たちには、長所(proteremata)がある。ある魂たちには、精神(dianoia)の良稟(euphyia)が、ある魂たちには修行の適性(epitedeiotes)が。しかるに、行為(praxis)も良稟(euphyia)も、美そのものによって生じない場合には、長所を所有している人たちも、その善きものらの与え主を神に帰することなく、自分の選び(proairesis)と良稟(euphyia)と有能さ(hikanotes)に帰し、こういった者たちは置き去りにされ、あるいは醜行(aischrourgia)〔の自覚〕に、あるいは醜態(aischropatheia)〔の自覚〕に、あるいは羞恥(aischyne)に取りつかれる。〔置き去りにされた〕後に気づかかされる卑屈(tapeiosis)や羞恥(aischyne)によって、思いこんでいた徳を誇る傲慢(typhos)を、何とかゆっくりとこすり落とすからである。
47.9.
 というのは、傲り高ぶる者は、言葉の良稟(euphyia)に大得意になって、その良稟(euphyia)はもちろん、知識(gnosis)の豊かさ(choregia)までも神に帰することなく、自分自身の修行とか自然本性に帰するので、神はこの者から予見の御使い(angelos)を立ち去らせるからである。その〔御使い〕が立ち去ると、対抗者(antikeimenos)〔悪魔〕によって抑えつけられ、良稟(euphyia)に大得意となっている者は、その思い上がり(hyperephania)によって放縦(akolasia)に転落する。そうやって、慎み深さ(sophrosyne)の証人が奪いされるので、彼らによって言われていることは、信ずるにあたいしない内容となる。敬神者(eulabes)たちは、そういった者の口から出る教え(didaskalia)を避けること、あたかも、ヒルを含んだ水源を〔避ける〕がごとくである。それは、書かれたもの〔聖書〕がまっとうしているとおりである。『しかし、神は罪人に云われた。「なにゆえにおまえは、わたしの定め(diakiomata)を述べ、わたしの契約をおまえの口にするのか」と』〔詩篇50_16〕。
47.10.
 というのは、苦患のうちにある人々の魂たちは、真に種々の水源に似ているからだ。大食漢にして酒好きの者たちは、泥混じりの水源に。黄金好きで貪欲な者たちは、カエルを含んだ水源に。邪眼の持ち主で、知識(gnosis)の適性(epitedeiotes)を有するがゆえに思い上がっている者たちは、ヘビたちを養っている水源に。この水源には言葉がいつも淀んでいて、性格の辛さゆえに、何びともこれから快く汲むことができない。ここからして、ダビデは請願するとき3つのものを頼んだのである。『有用さ(chrestotes)と教育(paideia)と知識(gnosis)を』〔詩篇119_66〕。なぜなら、有用さ(chrestotes)なき知識(gnosis)は無用(achretos)だからである。
47.11.
 万が一、こういう者が直くされ、置き去り(enkataleipsis)の原因、すなわち傲慢(typhos)を脱ぎ捨て、卑下(tapeinophrosyne)を回復させ、自分の分際を自覚し、何に対しても大得意となることなく、神に感謝するようになれば、証明付きの知識(gnosis)が再び自分にもどってくる。なぜなら、霊的な言葉は、これに併走する謹厳で慎み深い生活を持たなければ、風に吹かれた穀物の穂、 — 姿は持っていても、滋養になるものはくすね盗られているからである。
47.12.
 さて、あらゆる転落(ptosis)は、それが舌のせいであれ、感覚のせいであれ、行為による転落であれ、身体全体による転落であれ、思い上がり(hyperephania)の比率に応じて、置き去り(enkataleipsis)の程度が生じる。神は置いてきぼりにされた者たちを惜しまれるからである。だから、放縦(akolasia)の状態にあっても、彼らの良稟(euphyia)を、主は言葉の豊かさ(choregia)をもって証拠立てられるのだが、思い上がり(hyperephania)が彼らをして、不浄さに大得意となったダイモーンたちにさせるのである」。
47.13.
 さらに次のことも、あの人たちがわたしたちに言ったことである。「あなたが目にするのが」と彼は謂う、「生活には難点があるが、言葉は説得的だという人の場合、聖なる書を引用してクリストスと話を交わすダイモーンと、次のように言っている証言とを思い起こしなさい。『さてヘビは、地上にある動物たちすべてのなかで最も賢い』〔創世記3_1〕。彼〔ダイモーン〕の賢明さ(phronesis)は〔ヘビ〕以上である。彼は害するために生まれたのであって、その他の徳が彼のもとに馳せ参じることはないのだから。なぜなら、忠信で善なる人は、神が与えたことを知慮し、知慮したことをしゃべり、しゃべることを実行しなければならないからである。
47.14.
 というのは、言葉の真実さに、生活の同族が併走しないなら、イオーブ〔=ヨブ〕によれば、それは塩なきパンにほかならず、これはけっして食されることはなく、たとえ食されても、これを食した者たちを身体の悪い状態に導くだけだからである。『いったい、食されようか』と彼は謂う、『塩なきパンが。虚しい言辞のなかに味があったとしても』〔ヨブ6_6参照〕〔その言辞が〕行動の証言によってまっとうされていなければ。
 さて、以上が、置き去りにされた者たちの諸々の原因である。それは、ひとつには、隠された徳によっておこる。イオーブ〔=ヨブ〕の〔徳〕のごとく、明らかにされるために。〔このことは〕神が彼に託宣し、言っているところである。『わが裁き(krima)を拒むな。わしがおまえに託宣してきたのは、ほかでもない、おまえが義人として顕彰されるためだと思え』〔ヨブ40_8〕。
47.15.
 なぜなら、おまえはわたしにとっては知られた存在である。わたしは隠されたものらを見るのだから。ところが、おまえは人間たちには知られない。〔人間たちは〕おまえが富によってわたしに仕えているのだと想像している。だから、わたしは惨禍をもたらし、富を絶った。彼ら〔人間たち〕に、おまえの愛知(philosophia)が嘉せられたものであることを示すためだ。
 もうひとつは、思い上がり(hyperephania)の転回(apotrope)によっておこる。あたかもパウロスの身に起こったごとくに。というのは、パウロスは置き去りにされ、惨禍と〔悪魔の〕打擲(kolaphismos)とさまざまな患難に投げこまれたが、このとき言った。『サタンの使い(angelos)が、わたしの肉に棘として与えられた。わたしを打擲するために。わたしが高ぶらないために』〔第2コリント12_7〕。
47.16.
 驚くべきことだが、休息(anesis)も繁栄(euthenia)も名誉(time)も、彼に具わっても、これが彼を悪魔のように尊大となして、傲慢さ(typhos)の中に投げこむことは決してなかったのである。罪によって中風となった者も置き去りにされた。イエースゥスが言っているとおりである。『見よ、おまえは健康となった。二度と罪を犯すな』〔ヨハネ5_14〕。イウゥダス〔=ユダ〕も置き去りにされた。言葉(logos)よりも黄金を優先したからである(だからこそ、彼は縊死したのだ)。エーサウも置き去りにされ、放縦(akolasia)に転落した。父親の祝福よりも、内蔵の糞を優先したからである
47.17.
 かくして、以上すべてのことをパウロス理解して、一部の者たちについて言ったのである。『なぜなら、彼らは知識(epignosis)において神を保持する〔=神を知る〕ことを是認しなかったので、神は彼らを失格した理性(nous)に引き渡し、してはいけないことをなすに任せられた』〔ロマ1_28〕。また、腐敗堕落した知識(gnome)を持ちながら、神の知(gnosis)を保持していると思っている別の人々については。『なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめたり祈ったりしないので〔ロマ1_21〕、神は彼らを不名誉の苦患(pathos)に引き渡された〔ロマ1_26〕』。こういうわけで、わたしたちは知ることになったのである、 — 誰か神の御心(pronoia)によって置き去りにされないかぎりは、放縦(akolasia)に転落しようにも、転落の仕様がないのだということを」。

48."t".
第48話 エルピディオスについて
48.1.
 ヒエリコー〔=エリコ〕にあるアモッライオイ〔アモリ〕人たちの洞窟群 — これは、昔、ナウエー〔=ヌン〕の息子イエースゥス〔=ヨシュア〕の時代に、他の諸部族をドゥカ山まで追ったときに、蹂躙を避けて〔アモリ人たちが〕岩山に穿ったもの — の中に、エルピディオスというカッパドキア人が〔住持して〕いた。彼は後に長老として尊崇され、カッパドキアの地方監督(chorepiskopos)ティモテオス — 有能至極の人物であった — の修道院に所属することになったのであるが、〔このエルピディオスが〕やってきて、洞窟群の一つに住みついたのである。この人物が修行の自制を示すこと、すべての人たちの影を薄くさせたほどである。
48.2.
 例えば、〔ここに住持すること〕25年間、〔食事を〕摂るのは主の日と安息日のみ、夜な夜な、立ちどおしで讃美歌を歌った。ちょうど蜜蜂たちの王のごとく、この人を真ん中にして兄弟大衆が居住し、わたしも彼といっしょに住んだことがある。じつにそうやって、山を都市となした。そして、そこでは、さまざまな行住坐臥(politeia)を眼にすることができた。あるとき、夜、このエルピディオスが讃美歌を歌い、わたしたちが唱和しているとき、サソリが彼を刺した。彼はそれを踏みつけ、その姿勢を変えることもなく、サソリから受ける苦痛は気にしなかった。
48.3.
 ある日のこと、ひとりの兄弟がブドウの一枝を持っていた。それを受け取って、山の高台に住持していたので、植えるように土を盛っておいた。時期外れではあったけれど。それがどんどん生長し、ブドウ樹となり、教会を覆うまでになった。この人物とともに完徳に達したのは、語るにあたいする人物アイネシオスという人も、また彼の兄弟エウスタティオスもそうである。また、無心(apatheia)の極に駆り立てられ、身体がミイラ化して、太陽〔の光〕が彼の骨を透過したほどである。
48.4.
 また、彼の真面目な弟子たちによって伝えられている話では、彼は日没の方角に向くことはなかった。山が洞窟の戸口の高さまで迫っていたからである。また、太陽は第6刻以降は見たことがない。〔第6刻=正午には〕山頂にかかって、日没の方に傾くからである。また、日没の方に昇る星々も〔見たことが〕ない。それが25年間であった。彼は洞窟に入って以来、埋葬されるときまで、山を降りなかった。

49."t".
第49話 シシンニオスについて
49.1.
[このエルピディオスの弟子が、名をシシンニオスという人であった。家内奴隷の女〔を母親とする〕という運命(tyche)を背負って出生したが、信仰上は自由民、生まれはカッパドキア人であった。というのは、こういったことも銘記すべきだからである、わたしたちを良い生まれにしてくださるクリストス、つまり、わたしたちを真の生まれの良さ(eugeneia)へと導いてくださるクリストスの栄光(doxa)のために。この人物は、6、7年間、エルピディオスのもとで時を過ごし、後に、塚(mnema)にみずからを閉じこめ、3年間、その塚の中で、祈りのうちにすごした。夜も、昼も、坐ることなく、休むことなく、外に出ることなく。この人物はダイモーンたちに対抗する賜物(charisma)で尊崇された。
49.2.
 今は祖国に帰り、長老として尊敬され、男たちも女たちも、兄弟姉妹を集めている。謹厳な行住坐臥(politeia)によって、自分自身の欲望の男性性をも追い出し、女たちの女性性をも自制(enkrateia)によって口籠をはめ、かくして書かれたもの〔聖句〕がまっとうされることになったのである。『クリストス・イエースゥスにおいて、男も女もない、ひとつである』〔ガラテア3_28〕。また彼は、無所有であるにもかかわらず、旅人をもてなすことを愛するひと(philoxenos)でもあって、人に分け与えようとしない富裕者たちを非難する。

forward.gifラウソス修道者史(6/7)