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back.gifラウソス修道者史(6/7)


原始キリスト教世界

ラウソス修道者史(7/7)






60."t".
第60話 ある処女と殉教者コッルゥトスについて
60.1.
 他に、わたしの隣人の処女がいた。彼女の容貌(opsis)をわたしは見たことがない。人前に出たことがなかったからだが、人々の言うのには、それは彼女が遁世したとき以来のことだという。こうして、60年間、自分の母親とともに修行をまっとうし、いよいよ生を替えるときになった。すると、この地の殉教者、名をコッルゥトスという者が彼女に臨み、彼女に言う。「今日、そなたは主人のもとに旅立ち、あらゆる聖者たちを眼にするはずである。そこで、行って、殉教者廟〔礼拝堂〕でわたしたちといっしょに正餐をとれ」。そこで、彼女は明け方、立ち上がって、着物を着て、自分の籠の中にあったパンとオリーブと刻み野菜をとると、これほどの年齢であるにもかかわらず出かけていって、殉教者廟〔礼拝堂〕に赴いて祈った。
60.2.
 そうして、一日中、好機をうかがい、内に誰もいなくなったので、坐って殉教者に祈って言った。「わたしの食べ物を祝福してください、聖コッルゥトスよ。そして、あなたの祈りによって、わたしと同道してください」。
 こうして、食べて、再び祈ってから、太陽の沈むころ、家に帰った。そうして、自分の母親に、預言者アモースに寄せたクレーメンスの『(Stromateus)』という著書を与えて、云った。「これを、追放されている監督〔パッラディオス〕に渡して、あの方に云ってください。『わたしのために祈ってください。わたしは旅立ちましたから』と」。
 こうして、その夜、彼女は命終したが、発熱することなく、頭痛を患うことなく、みずからを埋葬する準備をしたのであった。

61."t".
第61話 若きメラニオンについて
61.1.
 先の箇所で、メラニオンの女の子について話すと約束したからには、務めをはたさなければならない。というのは、彼女の肉体的な若さを看過して、これほどの徳 — ただ単に老いて熱心なだけの者たちよりもはるかに抜きんでた女性 — を記録されぬまま棄て去るのは義しくないからである。両親は彼女を、ローメー〔=ローマ〕の第一人者階級の出身者と無理矢理結婚させた。彼女は自分の祖母の話にいつも刺激され、針を備えた者となったので、結婚〔生活〕に専従できなかった。
61.2.
 というのは、彼女に2人の男の子が生まれたが、両方とも亡くなったとき、結婚に対する嫌悪に駆り立てられ、自分の夫ピニアノス — もと執政官のセウエーロス〔Valerius P. Severus〕の息子 — にこう云ったほどである。「もしも、貞節(sophorosyne)の言葉に従ってわたしといっしょに修行することを選ばれるなら、そのときは、あなたを主人、わたしの生の主として認めます。しかし、あなたはまだお若いので、もしもそれがあなたにとって重荷なら、わたしのものをすべてとって、わたしの身体を自由の身にしてください。そうしたら、神に対するわたしの欲望をまっとうし、祖母の渇仰の相続人となります。名前もその〔祖母の〕ものを持っているのですから。
61.3.
 というのは、わたしたちが子をつくることを、もしも神がお望みだったら、幼い子どもたちをお取り上げにはならなかったでしょうから」。
 こうして、彼らは久しく夫婦喧嘩をしたが、後に、神はその若者を哀れに思し召して、これにも遁世の渇仰をお植えつけになり、彼らのために書かれたことがまっとうされるようになさった。『なぜなら、妻よ、あなたが夫を救えるかどうか、どうしてわかるか?』〔第1コリント7_16〕。
 かくして、彼女は13歳のときに結婚し、夫と連れ添うこと7年にして、20歳のときに遁世した。そして、先ずはじめに、絹の薄着(hemiphorion)を聖餐台(thysiasterion)に施した。聖オリュムピアスもそれと同じことをしたことがあった。
61.4.
 そして、残りの絹物は切り裂いて、さまざまな教会用品をつくった。また銀や金は、パウロスという長老 — ダルマティアの修道者 — に任せ、海を渡って日の出の方に人を遣わして、アイギュプトスとテーバイ州に貨幣1万枚、アンティオケイアとその地の各派に貨幣1万枚、パライスティネーに貨幣1万5000枚、島嶼の諸教会や、その彼方の諸教会に貨幣5000枚、日没の方の諸教会にも同様に、自分を通して寄進した。
61.5.
 これらすべてを、それも4度、彼女は自分の信仰によって、神のもとづいて言えば、アラリコスという『ライオンの口から』〔第2ティモテ4_17〕攫ったのである。また、〔解放を〕望む人足奴隷たち8000人を自由の身とした。というのは、残りの者らは〔解放を〕望まず、彼女の兄弟の奴隷となることを選んだからである。代価として貨幣3枚を受け取って、全員をこれに引き渡した。また、スパニアイ、アキュタニア、タラコーネーシア、ガッリアイにある資産は売り払い、シケリア、カムパニア、アプリケーにある資産だけは残して、修道院の寄進用にのけておいた。
61.6.
 これが、財産という荷物に対する彼女の知恵であった。また、これが、彼女の修行であった。彼女は1日おきに食事をした — 初めのうちは、5日あるいはそれ以上であった — 。自分の女奴隷たちの日々の仕事を自分に課し、彼女たちをも修行仲間とした。彼女は、自分とともに、母親のアルビナも同様に女子修道者として持った。〔アルビナ〕もまた自分の財産を自分で喜捨した。こうして彼女たちは田舎に — あるときはシケリアに、あるときはカムパニアに — 住んだ。15人の宦官と、60人の処女たち — 自由民も奴隷女もいた — といっしょに。
61.7.
 同様に、彼女の夫ピニアノスも、30人の修道者たちとともに、読書し、菜園に、厳粛な面談(syntychia)に従事していた。監督であった浄福のイオーアンネースのために、わたしたちがローメーに赴くのを讃え、宿と、ありあまるほどの旅行用品でわたしたちを休養させたのも彼らであった。神よりたまわった仕事によって、最善の行住坐臥(politeia)から、大いなる感謝を持って、永遠の生という果実を摘み取ったのである。

62."t".
第62話 パムマキオスについて
62.1.
 この人たちの親類で、名をパムマキオスという人は、もと州総督(anthypatos)であったが、同じく遁世し、最善の生を生き、自分のすべての富を、あるものは生きている間に喜捨し、あるものは亡くなるとき乞食たちに遺した。同じく、もとビカリアのマカリオスという人も、イタリアの州総督(eparchon)の同僚であったコーンスタンティオスも、謹厳至極で博識このうえなく、神を愛することの極みに達した人たちである。この人たちは、肉においても最善の生活を修行しつくしたひとたちであると、今でもわたしは信じている。

63."t".
第63話 浄福のアタナシオスを歓待した処女について
63.1.
 アレクサンドレイアの処女をわたし知っている。わたしが出会ったとき、彼女はおよそ70歳。聖職者(kleros)みなが彼女のために証言しているところでは、彼女はおよそ20歳の若さのとき、すこぶる見目うるわしかったので、その美しさゆえに〔世を〕避け、憶測からひとを傷つけることのないようにしたという。さて、アリウス派の人たちが、アレクサンドレイアの監督であった浄福のアタナシオスに対して陰謀を企てるということが起こった。これを教唆したのが、長官(praipositos)エウセビオスで、コーンスタンティオス皇帝〔コンスタンティウス2世、在位337-61〕の世のことであった。そのため、誣告者たちが彼を無法に弾劾し、堕落した法廷での裁判から逃れたとき、信を置ける相手は誰も — 親類も、友も、聖職者も、他に誰もいなくなった。
63.2.
 それどころか、州総督の役人たちが、突如、監督館に押し入って、彼を探索したので、自分の上衣(sticharin)と外套(birin)をとって、真夜中、この処女のもとに庇護を求めた。この事態に、彼女は訝り仰天した。
 そこで彼女に言う。「アリウス派の人たちから探索され、無法に誣告されたのです。だから、わたしまでが〔彼らに〕道理なき評判を着せて、わたしが罰せられることを望んでいる人たちを、罪に陥らせないよう、逃げ出そうと思い立ったのです。
63.3.
 すると、今夜、神がわたしにこう啓示なさったのです。『そなたは誰のところにいっても救われない、彼女のところのほかは』と」。
 すると大いに喜んで、彼女は疑念をすべて棄て、すっかり主のものとなった。そして、かの至聖の人を6年間、コーンスタンティオスの存命中、かくまったのである。彼女は、かつは〔彼の〕足を洗い、かつは排泄の世話をし、彼の必需品をすべて差配し、書物を貸し出してもらって、彼に差し出した。こうして、全アレクサンドレイアの人々の誰ひとりとして、浄福のアタナシオスが、6年間、どこで暮らしているのか知らなかった。
63.4.
 さて、コーンスタンティオスの死が報じられ、彼の耳にも入ったので、美しく着込んで、再び、夜、教会にあらわれた。皆はびっくりして、あたかも死人の中から生き返った人のように彼を見つめた。すると自分の真正な友たちにこう答えた。「あなたがたのもとに庇護を求めなかったのは、あなたがたが誓いを守れるためにほかならない。探索されていたことは別問題です。だから、うるわしくて若くて、誰ひとり嫌疑をかけるはずのない女性のもとに庇護を求めたのだ。そのさい、2つのことを強請した。彼女の救い — なぜなら、彼女は益されたのだから — と、わたしの栄光(doxia)である」。

64."t".
第64話 イウゥリアネーについて
64.1.
 また、イウゥリアネーという処女が、カッパドキアのカイサレイアにいた。学識の深さと誠実さこのうえなき女性であった。その彼女は、著作者オーリゲネースがヘッラス人〔異教徒〕たちの反乱を逃れてきたのを、2年間、自分の費用で受け容れ、仕えて、この人物を休養させた。
 次の話は、非常に古い詩篇の書の中に書かれていたのを、わたしが見つけ出したもので、その書の中にオーリゲネースの手で書かれたものである。
64.2.
 「この書を、わたしはカイサレイアの処女イウゥリアネーのところで、彼女のもとに匿われていたときに見つけた」。彼女は、イウゥダイオイ〔=ユダヤ〕人たちの通訳者シュムマコス本人からこれをもらったと言っていた。
 ところで、これらの女たちの諸々の徳をも〔この書に〕差し挟んだのは、もののついでではなく、わたしたちが望むなら、〔諸徳を〕わがものにする仕方はいろいろあるということを学ぶためである。

65."t".
第65話 ヒッポリュトスの話
65.1.
 ほかの非常に古い本 — 使徒たちの知己ヒッポリュトスの名が冠されている — の中に、わたしは次のような話を見つけた。
 ある生まれのよさも麗しさもこのうえないひとりの処女が、コリントス人たちの都市にいた。彼女は純潔(parthenia)を〔神に捧げることを〕誓願した。当時は、迫害の時代で、〔コリントス人たちは〕この女性をヘッラス人で当時裁判官をしていた者に告発した。時代も王たちも冒涜し、偶像を誹ったとして。しかし、彼女の美しさは、こういったことに関わった商人たちもほめそやしていた。
65.2.
 ところで、裁判官は女狂いであったので、耳をつかまえられた馬のように、その告発を嬉々として受理した。そうして、ありとあらゆる手を尽くしてみたが、その女性を口説くとができなかった。そのとき、彼女に対して狂ったようになり、彼女に罰を言い渡さず、拷問にかけず、これを売春宿に置いて、そういった女たちを抱えている者に、こう指図した。「この女を受け取れ。この女を使って日に貨幣3枚をわしに払え」。
 しかし相手の男は、黄金を搾り取ろうと、彼女を引き渡された者として望む連中に差し出した。よく知られているように、こういったことに関わる女たらしたちが、破滅の製作所には居座っているもので、代金を払うと、彼女にたぶらかし事を話しかけた。
65.3.
 すると彼女は連中に懇願し、こう言って頼んだ。「わたしは秘所に潰瘍のようなものができていて、それがひどく悪臭を放つのです。ですから、わたしを憎むようになられるのではないかと怖いのです。そこで、数日の猶予期間をわたしにください。そうすれば、あなたがたは、わたしが恩恵を受けるという権利までも手になさることになるのです」。
 こういう次第で、その数日間、彼女は神に嘆願した。そういうわけで、神は彼女の貞淑(sophrosyne)をごらんになって、ひとりの若者 — 役所の長で、考えも姿も美しい — に、火と燃える〔殉教〕死への渇仰の念を起こさせたのである。こうして、彼は放縦な〔人の〕恰好をして出かけ、夕刻もおそくなってから、その手の女たちを雇っている者のところに入ってゆき、これに貨幣5枚を払って、これに言う。「今夜、この女と泊まることをわたしに認めてくれ」。
65.4.
 こうして、隠し部屋に入ってゆくと、彼女に言う。「立ちなさい、自分を救いなさい」。そうして、彼女を脱がせ、自分の衣服 — 外衣(kamision)に、上着(chlanis)に、男子用衣服すべてに — 交換して、彼女に言う。「上着(chlanis)の裾ですっかり覆い隠して出て行きなさい」。じつにそういうふうにして、十字架の印を捺された者として、彼女は堕落することなく出て行き、汚れなきまま、無事救われたのである。
 さて、次の日、芝居は知られるところとなった。役所の長は引き渡され、獣とたちに投げ与えられた。これによって、ダイモーンは確信させられることになった、 — この殉教は、自身〔若者〕のためと、かの浄福の女のためと、2重であったということを。

66."t".
第66話 長官階級(comes)出身のウゥエーロスについて
66.1.
 ガラティアのアンキュラ — この都市でわたしがめぐりあったのは、ウゥエーロスというきわめて著名な人であった。この人とじつに長い知り合いとなったが、彼はもと長官(comes)であった。同時に、この人の自由民の妻ボスポリアにも〔めぐりあった〕。
 この人たちは、有用な希望に駆り立てられるあまりに、自分たちの実子たちに対して計算をごまかしたほどである。行動によって未来を眺めたからである。というのは、地所から上がる収入を、貧しい人たちのために出費したからである。彼らは2人の娘と4人の息子をもっていた。この子たちには、結婚した娘を除いて、遺産を引き継がず、こう言っていた。「わたしたちが生まれ変わった後は、すべてはおまえたちのものだ」。所有物の果実を運んで、諸都市と村々の教会に配分した。
66.2.
 これこそは、彼らにおける有徳さにほかならない。飢饉が起こったとき、肉親の情を離れ、異端者たちを正統派に変え、多数の地所に、貧者たちの食料のために自分たちの穀物倉を提供した。そのほかの点では、謹厳至極な、しかもみすぼらしい恰好をして、非常に安物の着物をまとい、みすぼらしいことこのうえない食べ物で生活し、神への慎み深さをよろこび、たいていは田舎人たちに話しかけて、都市をのがれていたので、都市の騒がしさの中から何か普通の楽しみを引っ張り出して、決意(prothesis)から転落するということも決してなかったのである。

67."t".
第67話 マグナについて
67.1.
 この都市アンキュラには、他にも数多くの処女がいる。その数およそ2000ないしそれ以上。自制心深く際だった女性たちとして知れわたっている。その中に、敬神の念で圧倒していたのがマグナ〔「偉大な女」の意〕という、謹厳至極な女性である。彼女の〔本当の〕名前は何というのか、処女なのか寡婦なのか、わたしは知らない。というのは、自分の母親によって力づくで男とめあわされたが、この男を誘惑することなく、多衆の主張では、〔接することを〕延び延びにさせて、ついに接することなきままにとどまったという。
67.2.
 しばらくして、夫が命終したので、身を神に完全にゆだね、自分の家人たちを厳格に配慮し、最高の修行的・知的生活を生き、その面談(syntychia)は、敬神の極端さに、監督たちでさえ、彼女の前に恥じ入ったほどである。彼女は必需品の残りを余らせ、外人宿や乞食たちや巡礼中の監督たちに寄進し、その業が自分によってだとわからぬよう、最も忠実な家僕たちを通して行ってやめず、夜な夜な教会から離れることもなかった。

68."t".
第68話 憐れみ深い男子修道者について
68.1.
 同じく、この都市で、修道者をわたしたちは見つけた。彼は長老職に選任されながら、受け容れることを選ばなかった。しばらくの間、軍隊ですごした。この人物は、20年間、修行に明け暮れ、次のような行住坐臥(politeia)を送った。〔すなわち〕この都市の監督のもとにとどまり、人間愛と憐れみの念があまりに深く、夜な夜な歩きまわって、必要な者たちに憐れみをかけたのである。
68.2.
 この人は、牢屋も施療院も、乞食も金持ちもなおざりにすることなく、あらゆる人たちに援助した。ある人たちには、無慈悲な人たちに対するがごとくに慈悲深い言葉を与え、ある人たちは、前に立って守り、ある人たちは和解させ、ある人たちには身体に必要なものや着物を差し出した。どんな大都市にもよくあることが、この都市にもあった。すなわち、教会の柱廊には、多数の病者たちが横たわり、日々の糧を物乞いしていた。その或る者は未婚者たち、或る者は既婚者たちであった。
68.3.
 ところが、ある日のこと、冬の真夜中、この柱廊でひとりの女が子を産むということがあった。そういうわけで、彼女が苦痛のせいで叫び声を上げたのを〔彼は〕耳にとめ、いつもの自分の祈りをそっちのけにして、出て行った。けれども自分は助産婦を見つけられなかったので、自分がその役割をはたした。子を産む女たちにつきものの汚れを忌まわしくもおもわなかった。憐れみ深さが、彼の内なる無感覚(anaisthesia)を働かせたからである。
68.4.
 この人の恰好はといえば、着物には1オボロスの値打ちもなく、食べ物は着物と似たり寄ったりであった。書物にかがみこむことがなかったのは、人間愛が彼を読み物から追い立てたからである。彼にもしも兄弟たちの誰かが本〔聖書〕を恵贈したら、すぐさまそれを売り払ったことであろう。嘲笑する者たちにこう付言して。「何をもってわたしの師を説得できようか、先生の術知は学び終えましたといって。その術知の達成(katorthoma)のために、あの方〔の言葉〕そのものを売りに出さないとしたら」。

69."t".
第69話 転落したのち改心した処女について
69.1.
 ある女子修行者の処女が、他の2人といっしょにとどまり、9ないし10年間、修行した。この女性が、ある弾奏家に誘惑されて転落し、さらに胎にみごもって出産した。そして、この女性を誘惑した男に対する極端な憎しみに駆り立てられ、魂の深部を刺し貫かれて、激しい改心に駆り立てられたあまりに、ひたぶるに禁欲して、みずから飢え死にしようとした。
69.2.
 そして、祈って、神の願を立ててこう言った。「偉大な神よ、あらゆる被造物の悪事をにない、躓いた者たちの死や破滅をお望みにならぬ方よ。もしもわたしが救われることをお望みなら、ここであなたの驚異をわたしに示して、わたしの罪の果実、わたしが産んだ子をお召しください。わたしが〔首を吊るための〕縄を使ったり、身投げをしたりしないために」。こういうことを願って、聞き届けられた。ほどなく、生まれた子は命終したからである。
69.3.
 こういうわけで、その日以来、この女性を虜とした男にはもはや面談することなく、引き渡された者としてみずからを極端な断食にゆだね、病人たちや不具者たちに奉仕のかぎりを尽くすこと30年。神を畏れるさまたるや、聖なる長老たちのひとりに、こう啓示なさったほどである。「某女はわがこころにかなえり。純潔(parthenia)によってよりは、その改心(metanoia)によって」。
 こういうことをわたしが書くのは、真正に改心した人たちを、わたしたちがないがしろにしないためにである。

70."t".
第70話 誣告された読師(anagnostos)について
70.1.
 ある長老の娘が、パライスティネーのカイサレイアにいたが、この処女は転落して、これを堕落させた男に、この都市のある読師を誣告するよう教唆された。そして、彼女はすでにみごもっていたので、父親から問いつめられて、その読師に罪を着せた。そこで長老はあえて監督に提訴した。そこで監督は聖職者会議(hierateion)を召集し、読師を召喚させた。問題が吟味された。監督から訊問された読師は、告白しなかった。というのは、なされないことが、いったいどう申し立てられようか。
70.2.
 監督は立腹して、鼻息も荒く彼に言った。「認め(homologein)ないのか、哀れで惨めで、不浄に満たされた者よ」。
 読師が答えた。「わたしはありのままのことを申し上げました。わたしにはかかわりあいがないと。その女に対する認識(ennoia)についてついてもわたしは無実ですから。しかし、あなたがありもしないことをお聞ききになりたいのであれば、わたしはしました」。
 かれがこう云ったので、〔監督は〕その読師を解任した。このとき〔読師は〕進み出て、監督に頼んで、これに言う。「それでは、わたしは躓いたのですから、彼女がわたしの妻に与えられるようお命じください。これからはわたしはもはや聖職者(klerikos))でもなく、彼女も処女ではないのですから」。
70.3.
 こうして、〔監督は〕彼女を、引き渡された者としてこの読師に与えた。この若者が彼女と暮らし、まちがっても彼女との関係(synetheia)を断ち切るすべなどありえないと予想したからである。ところが、若者は彼女を監督から、また、その父親から受け取ると、女たちの修道院に預け、彼女の出産まで、そこで姉妹の世話(diakonos)を受けられるよう頼んだ。かくしてしばらくたって、出産までの日々が満たされた。その決定的な刻限がやってきた。数々の呻吟、数々の陣痛、数々の苦しみ、地下の数々の幻影……。それでも胎児は出てこなかった。
70.4.
 第1日目がすぎ、第2日目が、第3日目が、第7日目が〔すぎた〕。女は、苦悩のあまり、冥府に話しかけて、喰わず、飲まず、眠らず、大声をあげて言う。「ああ、わざわいなるかな、惨めなこの女は、あの読師を誣告したために危険に瀕しているとは」。
 〔修道女たちが〕出かけていって、その父親に言う。父親は、誣告者として有罪となることを恐れて、さらに2日間、平静を装っていた。乙女は、命終することも産むこともならなかった。こうして、彼女の叫声が堪えられなかったので、修道女たちは走って、監督にこう報告した。「ここ数日、某女が大声をあげて告白(exomologesthai)しています。読師を誣告した、と」。
 そこで、彼〔読師〕のもとに執事たちを遣わし、これに明らかにする。「祈ってやりなさい、あなたを誣告した女が産めるよう」。
70.5.
 しかし彼は、彼ら〔執事たち〕のために応答を与えないのはもちろん、自分の〔僧坊の〕扉を開けることもなかった。〔僧坊に〕入った日以来、神に願をかけていたからである。
 再び父親が監督のもとに出かけてゆく。教会で祈りが行われる。そういうふうにしても、やはり産めなかった。このとき、監督が立って、読師のもとに出かけてゆき、扉を叩いて、彼のところに入っていって、これに言う。「エウスタティオスよ、立ちなさい、あなたがかけた願を解きなさい」。
 そこで、ただちに、読師が監督とともに膝を屈すると、女は子を産んだ。さて、この人の願かけ(deesis)と、祈り(proseuche)の持続が、誣告をも証明し、誣告した女をも教え導くことを可能にした。ここからわたしたちが学ぶのは、祈りに専念すべきこと、そしてその力を知ることである。

71."t".
第71話 自分〔=筆者〕とともなる兄弟について
71.1.
 それでは、若いころから今日に至るまで、わたしとともなる兄弟について、少しく述べた上で、この書(logos)を終わることにしよう。この人は — わたしは知っている — 長い間、苦患(pathos)をもっては喰わず、苦患(pathos)をもっては断食しない。わたしの想うに、〔この人は〕金銭の苦患(pathos)つまり虚栄(kenodoxia)の大部分に打ち勝っている。手持ちのもので満足し、外衣で美装することはなく、軽んじられても、感謝することであろう〔と想う〕。真正の友人たちのために危険を冒し、ダイモーンたちの試み(peira)は千度以上も受けた。例えば、ある日も、ダイモーンが彼のところに押しかけ、云った。「一度でもいいから、罪を犯すことをわしと申し合わせよ。そうしたら、おまえがわしにどんな女を云おうとも、その女を生きたままおまえのところに連れてこよう」。
71.2.
 また、別のときも、14夜の間、〔ダイモーンは〕彼と殴りあい、彼がわたしに話してくれたところでは、夜、〔ダイモーンは〕足を引っ張り、声をかけて言う。「クリストスを拝むな。そうしたら、わしはおまえに近づかないでおこう」。彼は答えて云ったという。「だからこそわたしはあのかたを拝み、際限なく栄光を讃え、拝みつづけるつもりだ。そうすればおまえがまったく嫌がるからこそ」。
 彼は106の諸都市をめぐり、その大抵の都市で過ごし、女の試み(peira)は、神の憐れみのおかげで、夢の中でさえ遭ったことはない。敵対者は別だが。
71.3.
 彼は — わたしは知っている — 3度、必要な食べ物を御使いから受け取った。ある日、沙漠の最深部で、パン屑ひとつも持っていなかったとき、ヒツジの毛皮の中にあつあつのパン3個を見つけた。また別のときには、葡萄酒とパンを。また別のときには、 — わたしは知っている — こう言う者がいた。「〔食い物が〕不足している。行って、何某から穀物とオリーブを受け取れ」。そこでくだんの人が、自分が遣わされた相手のところに行って、これに言う。「あなたが何某ですか?」。すると〔相手が〕云った。「そうだ。あんたのために穀物30モディウスとオリーブ12セクタリウスを手に入れるよう誰かが命じた」。
71.4.
 「こういう人をわたしは誇る」〔第2コリント12_5〕、この人はそういう人であった。彼は — わたしは知っている — 貧しさのために余儀なく窮している人々のために、しばしば涙を流し、持てるかぎりのものすべてを、肉は除いて、彼らに提供した。さらに、 — わたしは知っている — 彼は罪に転落した人のためにも泣いた。その涙によって、転落した人を改心へと導いた。この人が、あるとき、誓ってわたしにこういった。「誰をも、とりわけ富んでいる者たちや劣った者たちの誰をも突き刺さないよう、神にお願いした。必要なものを何かとわたしに与えてくれたのですからと」。
71.5.
 さて、わたしが書に著したこれらの事柄が、記憶にあたいすると思われれば、それだけでわたしは満足です。なぜなら、神意によらずしては、この本の著述を言いつけ、これら聖人たちの生活を書に著すことに、あなたの精神が動かされることはなかったでしょうから。少なくともあなたは、クリストスの最も信仰篤き奴隷よ、喜んで彼らに出会い、よみがえりの充分なる証明として、彼らの諸々の生活、諸々の労苦、これほどの堅忍(hypomone)を受けとめ、熱心についてゆきなさい。有用な希望に養われながら。前にある日々は、後にある日々よりも、だんだん短くなっているのを見て。
71.6.
 わたしのために祈ってください。あなた自身を護持しなさい — タティアノスの治世から、今日に至るまで、わたしがあなたを見たような者として、また、あなたがこのうえなく敬神的な寝室の長官として選任されたのをわたしが見出した者として。というのは、財産を伴ってのこのような位階(axia)、これほどの権勢(exousia)が、神に対する畏れを減じさせなかったような、そういう人は、クリストスにあやかる人だからです。悪魔に〔こういわれるのを〕聞いたクリストスに。「これらをすべておまえに与えよう。もしもひれ伏してわしを拝むならば」〔マタイ4_9〕。

訳了 2004.06.19.

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