title.gifBarbaroi!
back.gifラウソス修道者史


原始キリスト教世界

シリア修道者史





[シリア修道者史について]

 テオドーレートス QeodwvrhtoV (Lat. Theodoretus),(後393頃〜後466頃)
 古代末期のキリスト教神学者。シリアのキュッロスの主教(在任・423-466頃)。アンティオケイアに生まれる。ネストリオスの友人。アリウス派、マルキオーン派には反対したが、公然とネストリオスを支持(431)、些末な神学論争に巻き込まれ、エペソスの「強盗会議」において免職・追放に処された(449)。しかし、451年のカルケードーン公会議に召還され、ネストリオスを裏切り弾劾することで復職を認められる。カイサレイアのエウセビオスの『教会史』の続編として、323年から428年までを扱った『教会史』Ekklesiastike Historiaを著わしたほか、護教諭や聖人伝、書簡などを残した。剣闘士試合をやめさせようと闘技場に割り込んだ修道士テーレマコス Telemakhos(? -391年1月1日)が、激怒した観衆から石を投げつけられて殺され、この事件が契機となってホノーリウス帝による剣闘士試合禁止令が発布されるに至った話は、彼の『教会史』に見出される。ソークラテース・スコラティコス・ソーゾメノスと彼の史書をあわせて後世、ラテン語訳の3部作Historia Tripartitaが編集された。(松原國師『西洋古典学事典』)

 〔パッラディオスの〕少し後代になると、キュッロスのテオドーレートスが『修道者史」(Historia religiosa)を著して、シリアの修道者の修徳修行を描いた。その描写はいっそう詳細で、異常な悔俊の業に対してはより好意的である。異常な悔俊は前に見たように、早い時期からシリアの修道者の特徴であった。しかし、ここでも祈りが修道者の至上の目的である。ただしテオドーレートスは、エウアグリオスにとって中心的であった神秘的な形態の祈りにそれほど固執しなかった。彼はアンティオケイア派の一人として、聖書の不断の黙想と詩編朗誦の熱烈な実践のほうに、自然と心を向けた。(キリスト教神秘思想史「教父と東方の霊性」p.407)

[底本]
TLG 4089
THEODORETUS Scr. Eccl. et Theol.
(A.D. 4-5: Cyrrhensis)
4 1
4089 004
Historia religiosa (= Philotheus), ed. P. Canivet and A.
Leroy-Molinghen, Théodoret de Cyr. L'histoire des moines de Syrie,
2 vols. [Sources chrétiennes 234, 257. Paris: Cerf, 1:1977;
5
2:1979]: 1:124-144, 160-508; 2:8-250, 254-314.
Philotheus 31 = Oratio de divina et sancta caritate.
(Cod: 50,561: Eccl., Hagiogr., Hist., Orat.)


"pin"."t"
シリア修道者史の目次
forward.gifシリア修道者史(1/6)
back.gif表紙にもどる