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back.gifシリア修道者史「解説」と「目次」


原始キリスト教世界

シリア修道者史 2








"t".
テオドーレートス『修道者史(Historia religiosa)』

1."t".1
イアコーボス
1.1.1
 モーウセース、神的な立法者、海の底をあらわにさせ、水気なき沙漠を水であふれさせ、その他あらゆるものに驚異の業をなした方が、昔生まれた聖者たちの生き方を書き留めたのは、アイギュプトス人たちから受け継いだ知恵を用いてではなく、上界からの恩寵の輝きを受けたがゆえである。それよりほかに、アベルの徳、エノークの愛神、ノーエの義、メルキセデクの敬虔な聖職者の務め、アブラアムの召命、1.1.10 信心、堅忍、懇ろな歓待、周知のわが子の犠牲、そして、その他の正しい行為の目録と、つづめて言えば、あの神々しい人々の闘い、勝利、宣明を、学び得たであろうか。もしも、新しい神的な霊の光線を受け取らなかったとしたら。目下の目的のために、わたしにもこの共働が必要である。わたしたちより少し前の人たちや、わたしたちの同時代の輝かしい聖者たちの生を著し、いかなる立法であったのかを、探究したいと思う人たちに提示したいと望む〔わたしにも〕。それでは、この人たちの祈りを助けとして、物語を 1.1.20 始めなければならない。

1.2.1
 ニシビスは、ローマ人たちとペルシア人たちの王国の境にある都市で、昔はローマ人たちに年貢を納め、その統治下に属していた。こ〔の都市〕を出発点として、大イアコーボスは、世捨て人的な寂静の生活を喜び、最も高い山々の頂を手に入れて、そこに住持し、春・夏・秋には、薮を用い、天を屋根とした。冬の期間は、洞窟が彼を受け容れ、わずかな避難所を提供した。食べ物として彼が得たのは、苦労して 1.2.10 播かれたり植えられたりしたものではなく、勝手に芽生えたものであった。つまり集めたのは、野生の樹の勝手に成った果実や、草のうち、食用になるものや野菜のようなもので、これらの中から、生きるために費やされるものを身体に与えたが、火の使用は拒んだのである。また、彼にとっては、羊毛の使用も余計であった。というのは、山羊たちの最も粗い毛が、それらの用を満たしたからである。それらから彼の下着も、簡単な外套も出来たのである。

1.3.1
 このようにして身体を責め苛んで、霊的食糧をたえず魂に供給し、思考(dianoiva)の眼を清浄にし、神的な霊の透明な鏡を準備したのは、神的な使徒によれば〔2Cor. 3:18〕、「顔覆いを引き上げられた顔で、主の栄光を見つめ、同じ似像を栄光から栄光へと変えられてゆくためである、主の霊からのように」。そういうわけで、神と彼との神交(parrhsiva)は、日ごとに増し、彼が神に要請しなければならないことを要請するや、たちまち手に入れたのである。そういうわけで、1.3.10将来起こるであろうことをも預言者のように予見され、全-聖なる霊の恩寵から驚異の働きをするための能力を受け取ったのである。それらのうちのわずかをわたしは説明し、知らない人たちに、彼の使徒的光沢を赤裸にしよう。

1.4.1
 その当時、偶像をめぐる人々の狂気は最盛期にあり、魂なき木像が神的な崇敬をわがものとし、神への奉仕(qerapeiva)はたいていの人々によって顧みられなかった。そして、その人たちと酩酊を共有することを拒んだ人々はさげすまれたが、平静だから、有るものら〔真実〕の厳密な判別を有し、偶像の弱さを笑い、あらゆるものらの制作者(dhmiourgovV)を崇拝した人たちである。この時期、彼はペルシアに到達した、敬神の植えつけられたものを観察して、1.4.10自分たちにふさわしい奉仕を提供するためである。で、とある泉に彼が通りがかったとき、何人かの乙女たちが洗濯場に立って、着物を足で踏み洗いしていたが、その恰好の珍奇さを恥ずかしがることもなく、羞恥心を投げ捨て、赤らめることもない顔と、恥知らずな眼で、この神的な人をじろじろ見つめ、頭を隠すことも、たくし上げられた着物を降ろすこともなかった。このことに憤慨して、この神の人は、この機に、驚異の働きによって不敬から自由にするため、神の力を示そうと、泉に呪いをかけた、たちまち、1.4.20流れは涸れ、若い女たちに呪いをかけ、彼女らの無恥な若さを、早すぎる灰色の髪で懲らしめた。すると、その言葉に事実が続いて起こり、髪の毛の黒さは変わり、秋の葉を身にまとった春の新木のようになった。こうして罰を察知して──というのは、泉の流れがとまり、お互いの頭を眺めあって、あの一様の変化をしたのを目にしたから──町に駆けもどって、起こったことを報告した。そこで人々が走ってきて、偉大なイアコーボスをつかまえ、怒りを弛め、罰を解くよう1.4.30懇願した。そこで彼は少しの猶予もおかず、主に嘆願をささげ、他方、もう一度流れを噴き出すよう命じた。するとそれは、たちまち再び自らの貯蔵庫から現れ出て、義しい人の指図によって水路を変えたのである。彼らはこれに与り、娘たちの巻き毛にももとの色を取りもどすよう懇願した。すると彼はこのことにも譲歩したと謂いつたえられるが、あの教育を受けた乙女たちを探したものの、やって来なかったので、罰はそのままにしたという。慎み(swfrosuvnh)の教えと礼儀正しさ(eujkosmiva)の理由根拠、神的な力の不断の目に見える1.4.40思い出として。

1.5.1
 この若きモーセースの驚異はそのようなものであり、杖(rJavbdoV)の一撃によって生じるのではなく、十字架の象徴によってその活動を受け取るものであった。わたしとしては、驚異の働きに加えて、柔和さ(pra/ovthV)にすっかり驚嘆する。というのは、偉大なエリッサイオスとは違って、あの無恥な乙女たちを生肉喰らいの熊たちに引き渡す〔Cf. 2Kg. 2:24〕こともせず、一種の無害な教育と、小さな不体裁(ajkosmiva)を有する〔教育〕を適用して、敬神(eujsevbeia)と同時に礼節(eujkosmiva)を教えたのである。こうわたしが謂っている意味は、預言者の乱暴(ajphvneia)を悪くいっているのではなく──それほど愚かでありたくないものだ──、あの力を有していることを示して、1.5.10クリストスの柔和さと新しい契約に適うことを遂行したということである。

1.6.1
 他のある時、この人物はペルシアの裁判官が不正な評決を下すのを目撃して、そばにあったある非常に大きな石に、粉々になって飛び散るよう呪いをかけ、このことによってその者の不正な評決を駁することを伝えようとした。するとたちまちその石が無数の部分に分解したので、居合わせた人々は震えあがった。裁判官はといえば、震えに満たされながら、先の〔評決〕は撤回し、別の義しい評決を申し渡した。ここにおいても、彼は自分の主を見習ったのである、受苦を自発的に耐え忍び、その気になれば1.6.10罪人たちを懲らしめられることを示すことを望みながら、彼らに罰を加えるのではなく、魂なき無花果を言葉で枯れさせ〔Cf. Mt. 21:19〕、ご自身の力を示された〔主〕を。彼自身もこの人間愛を真似て、不正な裁判官を懲らしめるのではなく、石を撃つことで義しさをその者に教えたのである。

1.7.1
 これらのことで目立つ者となり、万人に恋され、人口に膾炙し、司教職に選ばれ、祖国の知事(prostasiva)に当籤した。そこで山のあの暇つぶしを変え、意に反して、町中の暮らしを選んだが、食べ物も着物も変えることはなかった。いや、場所は変えたが、生き方は変化を受けなかったのである。それで、苦労は増え、それまでの何層倍にもなった。つまり、断食や地面に寝ること、1.7.10襤褸を身にまとうことに、すべてにわたって必要なことに対する配慮が付け加わった。わたしが謂っているのは、寡婦たちに対する配慮、孤児たちに対する世話、不正する者たちに対する譴責や、不正される者たちに対する援助のことである。いったい、この先慮を任命されている人たちを包囲していることをすべてを、知っている人たちに向かって数えあげるどんな必要があろうか。しかしあの人は、これらの労苦を格別歓迎したのは、羊たちの主を敬仰することでも畏敬することでも格別であったからにほかならない。

1.8.1
 このように、徳の富をより多く積めば積むほど、ますます大きな、全-聖なる霊の恩寵を彼は享受した。そしてあるとき、彼がある村ないし都市──わたしはその場所を正確に言うことはできないが──に来かかると、数人の貧しい者たちが近づいてきて、仲間のある1人を死人だといって前に置き、この者の埋葬のために何か必要なものをくれるよう嘆願した。で、彼は嘆願者たちに屈した。そこで、神に、死者のためとして嘆願を捧げ、彼のために存命中に犯された罪を許し、義しいことの合唱隊を重んじるように彼〔神〕に頼んだ。1.8.10すると、これらのことが言われているとき、それまで死を装っていた者の魂が飛び立った。その身体には経帷子が供された。そしてこの神々しい人が少し行ってしまうと、演技を仕組んだ者たちが横たわっている者に立ち上がるよう命じた。だが、〔相手が〕耳をかさず、偽装が真実となり、仮面が顔になるのを目にするや、彼らは大イアコーボスをつかまえ、哀願し、足もとにひれ伏し、敢行した芝居の原因が貧しさであることを言い、自分たち自身の罪を解き、横たわっている者に取り上げられた魂を返してくれるよう1.8.20嘆願した。そういう次第で、彼は主的な人間愛を真似、嘆願を受け容れ、驚異の働きを見せつけた、つまり、祈りによって取り上げられた命を、横たわっている者に祈りによって返したのである。

1.9.1
 このことは、少なくともわたしには、アナニアースとサッペイラとが、くすね虚言したのを死に引き渡した偉大なペテロスの驚異の働きに似ているように思われる。というのは、この人物〔偉大なイアコーボス〕も、同様に、真実をくすね、虚偽を用いた者から生命を取り上げたのだから。いや、前者は盗みを知っていて──というのは、霊の恩寵がそれを隠していたから──裁きを課した。後者は演技の意図を知らないまま、祈りを捧げ、ふりをした者の人生の行路を決定した。そして、前者の神的な使徒は、1.9.10死者たちの禍を解くことはしなかった。救いの告知の序段には恐れを必要とするからである。対して、後者は、使徒的恩寵に満たされていたから、好機に懲らしめもし、また、その懲罰を解きもした。このことが、躓いた者たちに利することを彼は知っていたのである。しかしながら、その他の事柄にも進まねばならない、これらもまた簡潔に説明すべきである。

1.10.1
 すなわち、時あたかもアレイオスが、つまり、神の一人子論(monogenhvV)と全-聖なる霊に対する涜し言の教父にして制作者が、創造者に対してその舌鋒を揮い、アイギュプトスを騒乱と混乱で満たし、これに対し大王コーンスタンティーノス、つまり、われわれ畜群のゾロバベル──というのは、あのかたに倣って、敬神者たちの捕虜全体を外地から連れもどし、地面に投げ捨てられていた神殿の神々を高みへと引き上げたからだが──、再び話を続ければ、この人物があのときに、諸教会の司教(proevdroV)たち全員を1.10.10ニカイアに集めたとき、他の人たちとともに大イアコーボスもやって来た、全密集隊の最勇者とか先陣として、正しい教説のために戦うためにである──というのは、当時、ローマ人たちの嚮導権を有していたのが、ニシビスだったからである。

 さて、大会議において、多くの人たちは善く、かつ、美しく弁じたが、多くの人たちはさらに別様に弁じた──というのは、反対のことを知慮するような人たちは少なく、1.10.17彼らは自分たちの不敬を裸にする勇気なく、万人には知られないが、真理の明確な秘儀伝授者たちにはもちろん明白な、一種の罠によって〔自分たちの不敬を〕覆い隠した者たちであったから──、目下〔人の住まいする〕全世界を1.10.20支配し、布令された信仰告白が布告され、全員が署名し、手でも筆でもそういうふうに信仰し知慮することに同意した。たしかに、大多数の者たちは喜んでそれをなしたが、アレイオスの涜言の賛同者7人は、舌と手では同意したが、舌とは相反する考えを持ち続けていたことは、次の預言の通りであった、「この民は唇ではわたしを敬うが、心臓ではわたしから遠く離れている」〔Is. 29:13〕。また、ヒエレミアースのあからさまに叫ぶ声のとおりである、「おまえは彼らの口に近いが、彼らの腎臓からは遠い」〔Jer. 12:2〕。また、このことについてこの人たちと同じことを浄福者ダヴィドも1.10.30謂っている。「彼らはその口では祝福しているが、その心臓では呪っている」〔Ps. 62:4〕。さらにまた、「彼らの言葉は油よりも滑らかだが、彼ら自身は飛び道具である」〔Ps. 55:21〕。この者たちは、アレクサンドリア人たちの〔都市の〕監督である偉大なアレクサンドロスに、あの全密集隊によって破門されたアレイオスを憐れむよう懇願した。だが相手は、この連中の偽装を知り、あの者の邪を見抜いて、だからこそ、その要請を受け容れなかったとき、単純さとともに生きてきた他の何人かの人たちは、人間愛の祝福の数々を言い立てた、あらゆるものらの神もこれを嘉したもうと言って。しかし偉大なアレクサンドロスは、ひとりの人に対する不正な人間愛を反人間愛(ajpanqrwpiva)と名づけ、多衆をそこね、1.10.40家畜の群全体を害する契機になるだろうと言ったとき、神的なイアコーボスは全員に断食の労苦を行うよう、そして同時に、7日間、諸々の教会の益になることでもてなしてくれるよう神に嘆願することを勧めた。そして、全員がこの神々しい人の提案を受け容れたので — というのは、彼が使徒的恩寵に輝いてることを彼らは畏敬していたので —、断食は礼拝と混ざり合い、諸教会の操舵者は教会に益することを評決した。そうして、多数派が異端者を迎え入れることに期待を置いた決まりの日がやって来て、神的奉公の好機となり、神の敵が憐れみを受けるのを見ることを全員が期待した、まさにこの時、本当な神的な、意想外の驚異が生じた。すなわち、あの忌まわしい人物は、おぞましく悪臭ふんぷんたる処々方々に、飽くなき食べ物の余り物を排泄していたのだが、それらといっしょにその容れ物をも排泄したのだ。それで、そういうふうに彼の内臓が融解し、糞といっしょに流れ出してしまったので、惨めな男はたちまち窒息し、あの醜悪きわまりない死を甘受し、おのれの悪臭ふんぷんたる冒涜の責任を取り立てられ、偉大なイアコーボスの舌による殺戮を受け入れたのである。だから、聖書が聖職者ピネエース〔ピネハス〕に感嘆し、またその感嘆が当然なのは、民にとって〔疫病による〕破滅の客遇者となったザムブリ〔ジムリ〕を抹殺したからなのである。それゆえ、浄福者ダビドは弾琴してまで言ったのである。「ピネエースは立って、仲裁に入ったので、〔疫病による〕破壊は止んだ。そうしてよろず世まで、とこしえに彼の義として評価された」〔Ps.106:30-31〕。とはいえ、しかし、後者〔ピネハス〕は戦争の道具を使って、義とあの周知の殺戮をしでかした。だが、前者〔イアコーボス〕には、槍と剣の代わりに、舌で足り、主の栄光を見ないよう、この不敬虔な者を亡き者にしたのであった。アレイオスの不信仰の跡継ぎたちの無知を反駁するには、これだけでも足りた。なぜなら、これほどの人物が、わたしたちによって伝道された教説の使者であり、唱道者であって、連中の不敬虔を徹底的に嫌悪するあまり、その〔不敬虔の〕父をも刺し殺したからである、武器として舌を使って。

1.10.70
 だが、あの聖なる会議が解散され、各人が家路をたどったので、勝利をもたらした最善者のように、敬虔さの優賞牌を宣告されて引き上げていった。

1.11.1
 さて、時が過ぎ去って後、あの偉大で驚嘆さるべき王は、敬神の花冠を戴いて生を退いた。そしてあの方の子どもたちが覇権を相続した。この時、ペルシア人たちの王 — その名はサボーレースであったが — は、子どもたちが父親と同じことはできないと見くびって、多数の騎兵、多数の歩兵でもってニシビス侵攻した。さらにまたできるかぎり多数の像をも率いた。そうして、攻囲するため軍勢を分けて周囲に配置し、兵器を設置し、1.11.10 塔を組み立て、柵を打ちこんで、その中間地点は枝を斜めにして防禦し、将兵たちに命じて土類を積みあげ、城塔に対抗して城塔を建てさせた。次いで、ここに弓兵たちを登らせて、市壁の上に配備されている敵勢に対して矢弾を射つよう命じ、他の兵たちは下から市壁を掘り崩すよう命じた。しかし、神々しいひとの祈りのせいですべてが打破され、効果なしとなるや、ついに、傍を流れる河の流れを人海作戦で妨げ、堰きとめられた河の流れをできるかぎり多数集めて、市壁に対して 1.11.20 一気に放出し、これを強力このうえない一種の兵器のように用いた。するとこれは水の突撃を持ちこたえられず、それに対面した全体が勢いに揺り動かされて、たちまち崩壊した。彼らは大きな悲鳴をあげた、町が今にも占領されるかのように。というのは、居住者たちの大いなる市壁が何か、彼らは無知だったからである。しかしながら、〔敵勢は〕攻撃を延期した、水で都市が足を踏み入れられないのを目にしたからである。そういう次第で、自分たちの骨休めをするため、遠くに撤退して、自分たちは一時休息し、馬たちの世話をした。1.11.30 そこで都市の住民たちは、偉大なイアコーボスを使者に立て、いっそう熱心に嘆願に意を注いだ。他方、年頃の者たちは全員、熱心に再建した。美しさも調和も気にせず、石でも煉瓦でも、何でもひとが運んでくるものを手当たり次第に集めて。そうして一夜のうちに仕事がはかどり、馬たちの突進も、兵士たちの梯子なしの攻撃も防衛するに足るだけの高さを手に入れた。このとき、全員で神の人に、市壁の上に現れ、敵勢に呪いを浴びせる嘆願した。そこで彼は聴従し、上ってゆき、その幾万という多数の者たち眺めつつ、1.11.40 これにブヨや蚊の雲を送るよう神に嘆願した。そして彼が言い、神が送ったのは、モーウセースによってと同様〔Cf. Ex. 8:16〕、説得されたからである。そうして、兵たちは神的な矢弾に負傷したばかりか、馬たちや象たちも、縄目を引きちぎって、こちらあちらと散り散りになり、あの針に耐えられずに駈け去った。

1.12.1
 そういう次第で、異教徒の王は、あらゆる兵器も何らの利をもたらさなかったことを目にし、河の突撃も無益となり — 崩壊した市壁が再建されたのだから —、全軍も、その労苦によっても苦しめられ、外気にも害され、神の送った打撃〔疫病〕にも駆り立てられているのに、さらには神的な人が市壁の上を闊歩しているのを目にして、— 紫の式服と飾り紐を身にまとっていると見えたものだから — 王みずから仕事を監督しているのだと推測して、欺いて、出征するよう説得し、王はいないと主張した連中に立腹した。そこでその連中に死刑を宣告し、軍隊を解散させると、できるかぎりの速さで自分の王宮にもどった。

1.13.1
 以上が、このエゼキアース〔ヒゼキア〕の上に働いた神の驚異の業であるが、あの〔昔のヒゼキアの驚異の業〕に劣ることなく、むしろより大きいとわたしには思われる。なぜなら、市壁が崩れたにもかかわらず、都市が攻略されないことを超えるような、いかなる驚異があろうか。さらにこの点に加えてわたしとしては、次のことを大いに驚嘆するのである。つまり、呪いを使っても、落雷や稲妻が持ち出されることはなかった、これこそ、あの偉大なエーリアース〔エリア〕が、五十人隊の長のめいめいが五十人隊を率いて自分のところにやって来たときにしたのとは異なる。〔つまり〕イアコーボスとイオーアンネースとのために、まさに次のことをしようとなさった主が、あからさまに云ったのを彼〔エリア〕は聞いたのである、「あなたがたはいかなる霊から成っているかを知らぬ」〔Lk. 9:55(var.)〕。それゆえに、大地が彼らに口を開けることを要請することなく、密集隊が火に焼き尽くされることを願うこともなく、あの小さな生き物たちに傷つけられ、神の力能を分別して、いつか後になって敬虔を学びなおすことを〔願った〕のである。

1.14.1
 これほどの神交(parrhsiva)を、この神的な人物は神に対して持っていた。これほどの恩寵を上方から享受していた。これらの事柄に精励し、日々、神的な事柄に成長し、最大の好評を人生に捧げ、此岸からの出郷を達成した。そして時が過ぎ、この町が当時の権力者によってペルシアの王国に引き渡されたとき、都市の住民たちは全員出て行ったが、先陣の身体は携え、この移住を悲しみ歎きはしたけれど、勝利をもたらす最勇者の力能を讃美しつつであった。あの方が健在であれば、非ギリシア人の手に下ることはなかったからである。以上のことを、この神的な人に関して詳述したうえで、別の物語に移ることにしよう。この人の祝福に与ることを切願しつつ。


2."t".1
イウゥリアーノス

2.1.1
 イウゥリアーノスは、土地の人たちは彼のことを尊敬して、呼び名をサバース — この名前は、ヘッラス語で「老人」を意味する — と呼んでいたが、昔はパルテュアイオイ人たちの、今はオスロエーノイ人たちの〔地〕に修行用の小屋を建てた。この〔地の〕範囲は、西は河 — これの名前はエウプラテース河 — の堤そのものまで、太陽の昇る方角は、ローマ人たちの覇権の果てに及んでいた。というのは、アッシュリアが継承して、ペルシア王国の西の果てをなしていたからで、これを後の人たちはアディアベーネーと名づけていた。この族民の中に、都市は多くの大きな、人口稠密なのが、領土は人の住む広大な地と、人に住まぬ広大な沙漠とが含まれていた。

2.2.1
 この沙漠の果てにたどり着き、この神的な人物は洞穴を見つけた、それはひとの手の加わらぬ、善くかつ美しく掘られたのでもなく、逃避しようとする者たちにとってほんのちょっとした避難場所を提供できるものにすぎなかったが、この場所に住みついたのは、金や銀に輝く王宮よりも高価だと考えたからである。この中で過ごしたが、食事に与るのは、1週間に一度であった。彼にとっての主食としては、炒り大麦とただの糠でつくったパン、おかずは塩、最高に快適な飲み物は、川の真水の流水であったが、それも、満腹で測定するのではなく、最初に口に入れられた食べ物の〔呑みこむのに〕必要なだけに限定されていた。しかし彼にとっての栄華、華麗、ありとあらゆる種類の御馳走とは、ダビデの讃美歌吟唱と、神との絶えざる交わり(oJmiliva)であった。そしてそれらを存分に享受しても、飽きることを拒み、いつも満腹して、いつも叫ぶのであった。「あなたの言葉はわが喉に何と甘く、わが口に蜂蜜や蜜蝋よりも甘い」〔Ps. 119:103〕。さらに、浄福者ダビデがこう言うのを彼は聞いたことがあったのだ。「主によって喜びをなせ、そうすれば、汝の心の願いを汝に与えられん」〔Ps. 37:4〕。さらにまた、「主を尋ね求める者たちの心をして機嫌よくせしめよ」〔Ps. 105:3〕。また、「わが心を機嫌よくさせたまえ、御名を恐れるゆえに」〔Ps. 86:11〕。また、「主が有用なことを味わい、知れ」〔Ps. 34:8〕。また、「わが魂は神に、強き方に、生ける方に渇いている」〔Ps. 42:2〕。また、「わが魂は御身にすがりついてきた」〔Ps. 63:8〕。そして、こういったことを述べていた人の恋情を彼は自分自身へと転移させたのであった。なぜなら、その〔恋情〕ためにこそ、イダ院ダビデもそれらを歌って、多数の人たちを神の共有者にして恋を共にする者たちにしたと教えたのだから。そして期待を過つことなく、この神々しい人をも無量の他者をも、神的な恋情で傷つけたのである。これほどの愛情の灼熱をこの人は受け取ったので、渇望に酩酊し、地上的なものは何ひとつ目にすることなく、夜も恋される方のみを夢みつつ、昼間も幻視するほどであった。

2.3.1
 彼のこの究極の哲学を学ぼうと多くの人たちが、あるいは近くに住んでいる人たち、あるいは遠方の人たちが — というのは、評判は至るところ翼あるごとくだったので — 馳せ参じて、格闘技に当籤するよう、そして、何か鍛錬者とか家庭教師のような者として彼のもとで余生を生きることを嘆願した。というのは、狩りをするのは、小鳥たちが小鳥たちを、歌って、同種のものらを自分たちの方へと呼び寄せ、張り巡らされた罠にかけるばかりでなく、人間たちも本性の同じ者らを、或る者らは災害の中に、或る者らは救いの中に捕らえるのである。こうして寄り集まって、すぐに10人となり、次いで2倍3倍となって、しまいには百の数を満たした。

2.4.1
 しかしこれほどの人数になっても、あの洞穴は受け入れた。というのは、彼らは老師から身体の養生を小さくすることを学んだからである。そこで自分たちも、訓練指導者に似て、塩で味つけされた焙り大麦のパンを食した。また後には、野生の野菜を集め、次には、陶器に保管して、必要なだけを塩水で混ぜ、養生を必要とする者たちがおかずにした。しかしこの野菜には、住み家の湿気が敵であった。というのは、これに黴と腐敗が自然ととりついたからである。そういうわけで、この状態がこのおかずに生じるので — 洞穴はどこもかしこも多くの湿気を取りこんだから —、信奉者たちは、ほんの小さな小屋を建てることを自分たちに任せるよう老師に嘆願した。しかし彼は、初めはその要求を受け入れなかった。だがずっと後になって、あるとき説得され — 自分の都合を求めるのではなく、低き者たちといっしょに身を低くすることを、偉大なパウロスに教えられたので〔1Co. 10:33〕—、規模をかなり少なくして小さいのを許したが、神にいつもの嘆願を捧げるために、洞穴からは遠く離した。というのは、しばしば15スタディオン、時にはその2倍ほども、沙漠を歩き、あらゆる人間的交わりから遠ざかり、神と交わり、あの神的で言い尽くせない美しさを鏡に映すように見るのが習慣であったからである。その暇を得て、あの方の世話を申し出た者たちは、必要性には調和するが、いいつけられたよりも大きな小屋を建てた。そして、十日後に、モーウセースという方のように、山と言い表し得ぬ観想とから帰ってきて、できあがった小屋が望んだのよりも大きいのを見て、「わたしは恐ろしい」と彼は謂った、「おお、諸君、われわれが地上の住居を広くしたために、天上のことを軽視するのではないかと。しかしながら、前者はかりそめのことであり、われわれにとって必要性はわずかであり、後者こそ永遠であり、終わりに到り得ないものである」。しかしこういうことを、合唱隊に教えこむためにもっと完全なことを言ったのだが、それにもかかわらず我慢したのは、使徒の声を聞き入れたからである。「わたしが求めるのは自分の利益ではなく、多衆のそれである、彼らが救われるために」〔1Co. 10:33〕。

2.5.1
 さらにあの者たちに教えこんだのは、内にあっては、神に通常の参加を捧げること、夜明け直後は、二人ずつ沙漠に出かけて行き、一人は膝を屈して義務となっている礼拝を主に捧げ、もうひとりは立ったままダビドの詩篇を15回歌い、次には役割を交代して、一人は立ち上がって歌い、もうひとりは大地に前屈みになって礼拝することである。それも早朝から夕方おそくまでしつづけた。太陽が沈む前には、暫時休息し、この人たちはこちらから、あの人たちはあちらからと全員が至るところから洞穴に集まり、夕べの讃美歌詠唱を同じところで主に捧げるを常とした。

2.6.1
 老師自身も、よりすぐれた者たちの中のある一人を、勤行の共同者とするのが常であった。しょっちゅう彼のお伴をしたある男は、生まれはペルシア人で、体格が大きく立派で、体格よりも立派な魂の所有者で — その名はイアコーボス —、この人物は老師の死後も、あらゆる徳の点で異彩を放った人であった。彼が際立ち、衆目を集めたのは、当地における〔哲学の観想〕においてのみならず、シュリアにおけるそれにおいてもで、この中で実際に生きて命終したが、言われているところでは、百と四歳であったという。2.6.10 この人物が、偉大な老師と沙漠への道行の共同者となって、遠くからついて行った。というのは、接近することを教師が許さなかったからである。それによって彼らに対話の口実がうまれ、この会話が、神について鏡像を理性から盗まないためであった。

 そこで、ついて行っていると、道に巨大な大蛇のようなものが横たわっているのを目にした。次いで、見ていて、進む勇気なく、恐れから何度も避けようとしは、再び気持ちを奮い起こされた。そこでかがんで、小石を拾って、これを命中させると、大蛇が同じ恰好のまま、まったく動けないのを目にした。そこで死骸なのだと合点して、獣の死は老師の仕業だと推測した。そこで道行を終え、讃美歌吟唱の勤行を満たして、休息の機会がやって来たとき、老師は座って、彼にしばし身体を休めるよう言いつけ、初めは黙って坐っていた。だが、老師がちょっとした会話をはじめたので、イアコーボスはちょっと微笑しつつ、自分にとってわからないことを明らかにするよう嘆願した。するとこのかたが尋ねることを許したので、「わたしは見ました」と彼は謂った、「道にとても大きな大蛇が投げ捨てられているのを、そして、初めは、これが生きていると想って、恐れました。でも、死んでいると見てとったので、勇を鼓して前進しました。どうかわたしに云ってください」と彼は謂った、「おお、師父よ、誰がこれを殺したのでしょうか。というのは、あなたは道の先を行っておられました。他には誰も通っていませんでした」。すると老師が、「やめなさい」と謂った、「そんなことを穿鑿するのは。〔そういう〕振る舞いをする人たちに何の利ももたらすことができないのだから」。しかし、それでも、驚異の人イアコーボスは、真実を聞き知ることに夢中になって、せがんだ。そこで老師は、長い間隠そうと試みたが、愛者をそれ以上悩ませることに耐えられず、「わたしはそなたに」と彼は謂った、「聞き知りたいことを述べるが、わしが生きている間、他の誰にも述べられることの間知者にしないよう申しつける。というのは、こういうことはしばしば自慢と自惚れを目覚めさせるものゆえ、隠すのがふさわしいからじゃ。だが、わしがこの世から去り、そういった情態から自由になったら、言って、神的な恩寵の力を物語ることを妨げはせぬ。そこで、よく知るがよい」と偉大なイウゥリアーノスは謂った、「道を行くわしを、あの獣が襲ってきて、大口開けて、呑みこもうとした。そこでわしは主の御名を唱えつつ、指で十字の勝利印を示すと、恐怖はすっかりかなぐり捨て、獣はたちどころに大地に倒れるのを目撃し、共通の主を讃美しつつ、前に向かって進んでいったのじゃ」。こういうふうに物語をし終えると、立ち上がって、洞穴への道に就いたのであった。

2.7.1
 他の時には、名門の出で、贅沢に養育されたが、しかし能力よりも大きな熱意を持った青年が、沙漠への旅行に自分を同道するよう老師に嘆願した。それは全員によって毎日行ぜられる普通の旅ではなく、最も長い、しばしば7日、時として十日かかる旅であった。で、その人物は周知のアステリオスであった。そこで、神々しい「老師」は断り、沙漠に水がないことを言ったのだが、若者はこの賜物を享受することをしつこくせがんだ。そこで嘆願に負けて、老師は容認した。そこで彼は、初めは勢いこんでついて行った。だが、1日目、2日目、3日目と過ぎるにつれ、太陽の光線に焼かれ — というのは夏で、暑さの盛りとて、もちろん炎熱をいっそう激しいものとしたので —、渇きで消耗しつづけたのである。そして初めは、苦境を告げることを恥じた。先生にあらかじめ告げられていたことを思い出したからである。しかし負けて、卒倒にさえとりつかれたので、自分を憐れむよう老師に嘆願した。すると相手は、あらかじめ告げたことを思い出させ、もとに帰るよう命じた。ところが若者が、洞穴に通じる道も知らず、知っていても、渇きで体力が尽きたので、歩くこともできないと言うので、神的な人は若者の苦境を憐れみ、身体の弱さに寛恕を与え、膝を屈して主人に嘆願し、熱い涙で地面を濡らし、若者のために救いの道を求めた。すると、自分を恐れる者たちの意志を実行し、彼らの要求に耳を傾ける方が、涙の雫が塵に触れるや、これを水源として現された。じつにこういうふうに真水を補給した若者に、すぐ立ち去るよう指図したのであった。

2.8.1
 ところでこの泉は、今に至るも存続し、神々しい老人のモーウセース的な祈りを証言している。というのは、あたかもあの方〔モーウセース〕がいつか昔、杖であの不毛の岩を打って、川の水の一族に、何千もの渇きを満腹させるよう命じたように〔Cf. Ex. 17:6〕、そのように、この神的な人は、乾ききったあの砂に涙をふりかけて、泉の水の流れを引き出したのである、何万もの多数の渇きをではなく、ひとりの若者の渇きを癒すために。

2.9.1
 というのは、神的な恩寵に魂を照らされて、若者にあるであろう完全性を至極鮮明に予見したからである。それで、ずっと後になって、別の者たちにも同じ徳を仕込むよう神的恩寵に召し出され、ギンダロス近傍の地 — その村は、アンティオケイアに貢納を課せられていた最大の村であった — に修養道場を建てた。そして多数の他の者たちを、哲学の競技者として自分のもとに引き寄せたが、大アカキオス、わたしが言うのは周知の偉大なアカキオスのことだが、これをも引き寄せた。この人は隠修者的生活に傑出し、徳の輝く光線を発散して、主教職の資格を認められ、ベロイアを司牧に当籤した。そして50と8年間、この群の世話を手がけ、修道的生活の形を手放すことなく、修道的徳と政治的徳とを混合した。つまり、前者からは厳格さを、後者からは管理を取り立て、離ればなれのものをひとつに結合したのである。

2.10.1
 しかしながら、この徳の狩人にして調教者だったのは、あのアステリオスであった。この人物は、偉大な老師に対する篤き愛慕者でありつづけ、しばしばは1年に二度も、しばしばは三度も、彼のところに行く旅にのぼったほどであった。やって来るときには、信奉者たちに干し無花果を、3ないし4頭の家畜に荷を載せて持参するのが常であった。さらに2メディムノスを集め、まる1年間老人のために使うとして、このような荷を自分の肩に載せ、自身のことを先生の家畜と呼びもし為しもした。それもこの荷を運んで歩いたのだが、10スタディオンとか20スタディオンとかではなく、7日間の旅をやり遂げた。実際あるとき、彼が干し無花果の荷を肩に運んでいるのを老師が目撃して、不機嫌になって、これを食糧とはしない、あの者がこれほどの骨折りを耐えているのに、自分があの者の汗を愉しむのは義しくないからと謂った。すると彼は、運ばれる食糧を老師が摂ることを承知しないなら、この荷を肩から下ろさないと誓言したので、「いうとおりにしよう」と老人は言った、「とにかくすぐに荷袋を下ろしなさい」。

2.11.1
 つまり、この点でも彼は使徒たちの第一位の人を模倣したのだ。その人は、主が自分の足を洗おうとしたとき、先には、これが為されないよう逆に主張して、断った。だが、それを同意しなければ、主との共同を断ちきられると聞いたので、足に加えて手も頭も洗うよう嘆願した。そのように大イオーアンネースも、救い主を洗礼するよう命ぜられ、最初はみずからの隷従を認めもし、主を指摘しもした。しかし後には、無鉄砲さをいだいてではなく、主に説得されて、命じられたことを仕遂げた。そのようにこの神的な人も、他者が苦労しているときに、自分が食べ物を享受することに悩みはした。が、奉仕者のこのうえない熱意を目にして、みずからの選択よりもその人の奉仕を優先させたのである。

2.12.1
 おそらく、口やかましく、美しい事柄を貶すことばかり教えられてきた人たちの中には、この話は言及にあたいするものではないと謂う人もいるであろう。しかしわたしが、この人物の他の驚異の業に加えて、これをも追加したのは、彼に対する偉大な人たちの尊敬を見せつけたいからだけでなく、彼の性格の甘さと程よさを明らかにすることが有益だと考えたからである。というのは、徳においてこれほどの人物であり、このような人物でありながら、自分自身をかりそめの名誉にあたいするとは思いもよらず、それ〔名誉〕は、自分にはいかなる点でもふさわしくないとはねつけながら、今度は、行為者たちに対する好意から甘受したのである。

2.13.1
 これ〔名誉〕を逃れるために — というのは、名声ゆえに、善き事どもの愛慕者たちを自分の方へと惹きつけたことは万人に明らかであったから —、ついにシナイ山へと、少数のより知己たちともども出発した。都市に足を踏み入れることなく、村に〔足を踏み入れること〕なく、人跡未踏の沙漠を通り道として。肩にかついで携行したのは、やむを得ぬ食糧 — わたしが謂っているのはパンと塩である — と、木で作られた水筒と、紐を結びつけられた海綿。これは、深い湖を見つけた場合、海綿によって汲みあげ、水筒に搾り入れて飲むためである。じつにこういう次第で、多日を要した旅程を終え、憧れの山に到着し、みずからの主に平伏礼拝し、そこで長い間過ごした。土地の荒涼さと魂の平静を最大の贅沢と考えたからである。また、預言者たちの司モーウセースが、神を見ることができるよう隠れて、神を見る資格ありとされたあの岩に、教会を建て、今日に至るも存続している神的な供犠壇を聖別し、みずからの道場に引き返したのである。

2.14.1
 だが、同名ではあるが無敬虔な王の脅迫 — 敬虔な者たちを全滅させると脅迫したうえで、ペルシア攻めの行軍に出発し、同じ考えをもつ連中が、あのいまわしい帰還を大口開けて待っていたのだから — を聞き知り、その時に、彼は懸命の礼拝を神に捧げ、これを十日まで延長したのだが、汚らわしく悪臭放つ豚ころは亡くなったという声が響くのを聞いた。礼拝も終わっていないにもかかわらず、すぐに祈りをやめて、祈願を讃美歌吟唱に変え、親らの仲間たちの救済者にして、異教徒たちに対しては辛抱強く害悪に耐え忍び、敵対的な権力者たる〔救済者〕に感謝の祈りを捧げた。というのは、不敬虔者にできるかぎり長い間寛大であった。しかし、その寛大さが、異端者をより大きな狂気へと教練したので、好機に罰を科したのである。そして、祈りを満了し、親らの仲間たちの方に向き直ったとき、好機嫌な気持ちになっていることは明らかであった。なぜなら、好機嫌になっていることを顔が示していたからである。そこで、会衆が光景の珍しさに驚いて — というのは、いつも陰気に見えたのに、この時ばかりは微笑んでいるように見えたからだが — その理由を問いただしたところ。

2.14.20
「今こそ」と彼は謂った、「諸君、陽気と好機嫌の好機だ。ヘーサイアースの声によれば、不敬者は終われり〔Is 26:10〕、そして敢行にふさわしい償いをし、創作者にして救済者たる神に対して僭主的であったが、右手にある聴従者によって義しい殺害を受け取った。それで、わしがいい気持ちになっているのは、あの者によって敵視された教会が踊り跳ねているのを眺め、異端者が彼によって尊敬されたダイモーンたちによる援助を何ひとつ受けられなかったのを目にするからじゃ」。この不敬者の殺害については、このような予知を彼は味わったのである。

2.15.1
 さらに、ウゥアレースも、彼に次いでローマの統治権の実権を受け継いだが、福音の教義の真実を放棄し、ペテン師アレイオスの欺瞞を受け容れたので、この時に、教会に対するより大きな豪雨が沸き起こり、舵取りたちは至ることをから追放され、代わって海賊に類した敵対者たちが導入された。しかし、あの悲劇すべてを説明しないために、今はその他のことは置き去りにして、ただひとつ、この長老に花開いた神的霊の恩寵を 2.15.10 想起しよう。

 アンティオケイア人たちの〔都市〕から追放されたのは、この〔都市〕を司牧するよう世界の神によって信任されていた偉大なメレティオス。神的な神殿から追放されたのは、同信の民ともども、聖なる職分に精励する人たちのすべて、つまり、三位一体の神的な有を信ずる人たちであった。そして、時には、山麓にたどり着いて、そこで聖なる巡礼団を形成し、時には、河の堤を祈りの場所となし、他の時には、北門の前にある戦争の教練場をそうした。敵対者たちが、敬虔な者たちがひとつの場所に定住することを 2.15.20 許さなかったからである。

2.16.1
 また、虚偽の育て子たちが、偉大なイウゥリアノス — わたしが謂うのは、この長老のことだ — が、自分たちによって信奉される教義の共有を喜んだという噂まで、あの都市の中に流布させた。この噂が、よりお人好しで、より単純な人たちを騙して、異端者たちの網でからめとるのではないかと、敬虔な人たちを特に悩ませた。しかしながら、神々しくも浄福な人物であるプラビアノスとディオドーロス(祭司にふさわしく、敬虔な民の保護者である)、またアプラアテース(この人の人生は、神の助けを得て、それ自体単独であなたがたに提起しよう)が、すでにわたしたちが言及したあの偉大なアカキオスを説得し、自身の教師ではあるが、聖なる老人の弟子であるあの大アステリオスを同道して、敬虔の共通の装飾、福音の教えの支えのもとに駈けつけ、荒れ野での暇つぶしを後にして、欺瞞によって滅ぼされたこれほど無量の人たちの援助のために到来し、旅立ちの露によって、アレイオスの炎を消火するよう説き伏せさせようとした。

 神的なアカキオスは駈けつけ、すでに指図を受けていた偉大なアステリオスを連れて、教会の最大の光のもとに到着して、挨拶した。「わたしにおっしゃってください」と彼は謂った、「おお、師父よ、快感を持ってこのすべての労苦を耐え忍ばれるのは、何故ですか」。すると相手は次のように答えた。「身体よりも、魂よりも、生命よりも、全生涯よりも、わたしにとって神への奉仕は尊く、汚れのできるかぎり清浄な勤行をあのかたに献げ、万事を通してあのかたに喜ばれようとしているのだ」。— 「あなたにお教えいたします」とアカキオスが謂った、「今よりもっとあのかたにあなたが奉仕する仕方を。わたしが申しますのは、思量だけを使うのではなく、あの方の教えから学んできた 2.16.30 仕方です。というのは、かつてペテロスに、他の人たちよりも多く自分を愛するかとお尋ねになったとき、『あなたはご存知です、主よ、わたしがあなたを愛しているということは』とペテロスが発言する前でさえ、彼が何を知っていることをわかったうえで、何をすればもっと多く自分に奉仕できるかを彼に示されました。『もしもわたしを愛するなら』とあの方はおっしゃった、『わたしの羊たちを牧し、わたしの仔羊たちを飼え』〔Cf. Jn 21:15-17〕。これこそあなたにとって、おお、師父よ、為すべきことです。なぜなら、狼たちによって羊の群があやわ堕落させられようとしているけれど、あなたに愛されている方は、それをあまりに愛しておられるのですから。恋される人たちを喜ばせることになるそのことを為すことこそ、恋する者たちの特徴なのですから。とりわけ、危険と、あの、数多くの大いなる発汗の損失とは小さくはない。真理が困難な戦争を仕掛けられ、これに専心する人たちが捕獲され、あなたの呼称が狩られる者たちの罠となっているのを黙って見過ごすことを是認するならば。というのは、アレイオスの汚らわしさの保護者たちは、自分たちの不敬虔の共有者としてあなたを持っているといきり立っているのですから」。

2.17.1
 聞くやすぐに老師は時宜を得て寂静〔生活〕に別れを告げ、都市の騒がしさに対する不慣れさに悩むことなく、アンティオケイアへと向かった。そして沙漠の〔道〕を、宿駅を二つ三つ終えて、夕暮れになるころ、あり場所に到着した。すると、裕福な者たちの一人の婦人が、あの聖なる合唱隊がやって来ると伝え聞いて、彼らの祝福を採集しようと駈けつけた。そうして足許に転げまわって、自分の家が宿泊所となるよう懇願した。老師は譲歩した。それも、40年以上もの間、このような〔女を目にするというような〕光景から遠ざかっていた 2.17.10 にもかかわらずである。さて、あの驚嘆すべき女が、あの聖なる人たちの世話に忙しくしているとき、7歳の子 — たまたまサッラーの客遇〔Cf. Gen 18:6〕を渇望した母親のひとり子であった — が、夕暮れで暗かったので、井戸の中に転落した。当然ながら、このことで騒ぎが持ちあがったとき、母親は察知して、皆には平静にするよう頼み、顔覆いのようなものを井戸に被せ、奉仕(diakoniva)をつづけた。そして、食卓が神的な人たちに供されると、神的な老師は女の幼児が呼び入れられるよう、祝福に与るように 2.17.20 命じた。そこで驚嘆すべき女が、〔子どもは〕病気に罹りましたと言うと、それが連れて来られるよう伝達して言い張った。そこで母親が受難を打ち明けたところ、老師は食卓を後にして、井戸のもとに駈けつけ、顔覆いを剥ぎ取って、灯火がもってこられるよう命じると、その明かりで、幼児が水の上に坐り、戯れに手で水を叩き、死とみなされたものも一種の遊びで玩具のようなものと考えているのを目にした。そこで〔居合わせた人々は〕ある人を綱で縛って降ろし、その幼児を引き上げた、すると彼はすぐに老師の足許に駆け寄り、2.17.30 彼が水の中を運んで、水面の下になるのを妨げてくれたと言った。驚嘆すべき女が、客遇愛の報酬として浄福な老師から受け取ったのは、こういうことであった。

2.18.1
 しかし、その他、道中に起こったことは置き去りにして、彼らはアンティオケイアに到着した。すると、あらゆる人たちがあらゆるところから集まり、神の人を見ようと渇望し、めいめいが受難の幾ばくかの癒やしを得ることを求めた。そこで彼は山麓にある洞穴の中に居を定めた。そこは、神的な使徒である浄福のパウロスも居を定め、隠されと謂いつたえられるところである。しかしながら、すぐに、彼が人間であることをあらゆる人々が知ろうとしたため、きわめてひどい熱病の周期的発作のようなものが彼に起こった。そこで偉大なアカキオスは、集まった人々の多さを目にし、結果した病気に不機嫌となった — というのは、あの人の手で治癒を見つけることを期待している人々が、この病を知ったら、集まった連中はびっくりするだろうと考えたからである。「落胆しなさんな」と老師は言った。「健康というものが必要なら、それをもたちどころに神がお与えになるだろう」。すると、この言葉の後ですぐに嘆願にとりかかり、いつもどおりに両膝と額を地面につけて、ここに集まった者たちに何らか利するところがあるならば、健康に与れるよう懇願した。その祈りをいまだ完了しないうちに、たくさんな汗が 2.18.20 吹き出て、熱病の炎を消してしまった。

2.19.1
 それから、多衆をさまざまな病から自由にしたうえで、敬虔者たちの集まりに赴いた。しかし、彼が王宮の門を通過すると、ひとりの乞食が、足の代わりに尻をついて、地面の上に這っていたのが、手を延ばして、老師の山羊毛の外套に近づけたので、信仰によってその受難を追い払い、立ち上がらせて、病気の前の走りを見せつけ、ペトロスやイオーアンネースが立ち上がらせた足萎え〔Cf. Ac 3:1-8〕と同じことを行った。このことが起こったので、町の大衆がみな集まり、軍事訓練場は 2.19.10 押しかけた人々で一杯になった。で、中傷者たちや虚偽の細工師たちは恥じ入ったが、敬虔の育て子たちはすっかり好機嫌で陽気な気分になった。

2.20.1
 それから、治癒を必要とする人たちは、敬虔の光を家々に引き入れた。そうして、最大の支配権を手中にし、東方の舵をとることを信任されている人物までが、ひとを遣って、彼にやって来て、負わされている病から自由にしてくれるよう嘆願した。すると彼は、何ら躊躇することなくやって来て、共通の主に嘆願し、言葉でその受難を解き、感謝を神に告白するよう言いつけた。

2.21.1
 以上のことを、また、以上のようなことを為し遂げたうえで、以後は、修行小屋にもどる決心をした。そこで、キュッロスを通る旅をして — しかしこの都市はアンティオケイアから宿駅2つ分離れていた —、勝利をもたらす殉教者ディオニュシオスの境内に腰を落ち着けた。ところが、かの地の敬虔の保護者たちが集まって、たしかな破滅を予想される自分たちに来援するよう嘆願した。というのは、彼らが謂うには、知者ぶった虚言に育てられ、次いで自分を異教徒たちの教会に引き込み、2.21.10 監督の勤行にあたいするものとみなされ、恐ろしいほどに虚偽を弁護し、真理に対して悪しき技を弄しているという。「そしてわたしたちが恐れているのは」と彼らは言った、「一種の囮のように、口のうまさで虚偽を包み隠し、手のこんだ議論の組み合わせを、一種の網のように広げて、単純さに凝り固まっている人たちを捕獲するのではないかということです。このためにこそ、反対者たちによって呼び寄せられたのですから」。すると老師が、「元気を出しなされ」と謂った、「そうして、わたしたちといっしょに神に嘆願しなされ。絶食と労苦を祈りに加えて」。そのとおりに、この人たちが神に懇願したところ、2.21.20 虚偽の弁護人にして真理の敵が言説を為すはずの全祭の1日前に、彼〔真理の敵〕は神来の打擲を受けとり、1日のみ病んだうえで、生者の名簿から外されたが、当然ながら、あの声を聞いたうえである。「無考えな者よ、今晩にも汝の魂〔生命〕は汝から取りもどされる。して、汝が準備した悪しき漁網と網は汝のものにして、別人のものにはなるまい」〔Cf. Lk 12:20〕。

2.22.1
 彼が蒙ったのは、バラアム〔バラム〕と同じことであった。この人物も神の民に対して呼び寄せられた。が、彼は、民に対して神法に悖ることをバラクに忠告したため、イスラエール人の右手で殺害を受け、民に償いをした。だから、この人物も、神の民に卑劣きわまる企みをくわだてたので、神の民によって命を取り上げられた。この 2.22.7 救いこそ、この人の祈りによってキュッロスが享受したものである。この話をわたしに伝えたのは、神的な頭、つまり、偉大なアカキオス、彼に関することすべてをはっきり知っていた人である。

2.22.10
 さて、ここから旅立ち、信奉者たちに再会し、少なからざる間彼らとともに過ごしたうえで、不老・無痛の生にすこぶる熱心に与った。死すべき自然の中で無心を修練し、身体の不死を待ちつづけて。

 わたしとしては、ここで、この説明の言葉を留めて、他のひとに進みたい。この説明に含まれる聖者たちが、使者による上からの好意でわたしをもてなすよう懇願しながら。


3."t".1
マルキアーノス

3.1.1
 いかにすれば、わたしたちは大マルキアーノスを価値相応に讃嘆できるであろうか。明らかに、エーリアーやイオーアンネース、またこの人たちに準ずる人たち —「羊の皮や、山羊の皮を着て歩きまわり、無一物となり、悩まされ、苦しめられ(この世は彼らの値しなかった)、荒れ野をさまよい、山々や洞穴や、大地の穴をさまよいつづけた」〔Heb 11:37-8〕人々と対比することによってではないか。つまり、この人は祖国として、もとは、前にもわたしが言及したキュッロスを持ち、その後では荒れ野を〔祖国として〕持った。そうして、これとあれとを後にして、今は天を〔祖国として〕持っている。そして、第一の〔祖国〕は彼を生み、3.1.10 第二の〔祖国〕は養育して勝利をもたらす者と宣明し、第三の〔祖国〕は、花冠を戴いた者として受け容れたのである。

3.2.1
 というのは、生まれの素晴らしさ — 貴族階級に属していたから — と、王宮での輝かしさ — そこでこそ彼は花開いたのであって、自然の造物者から、身体の大きさと、明敏さに飾られた魂を持っていたので — とを軽蔑して、神と神の事とに愛情のすべてを置き換えた。そうして、あらゆるものにおさらばして、荒れ野の臍にやって来て、身体にも釣り合わない小さな小屋を建て、他のかなり小さな壁をめぐらせ、いつも閉ざした、3.2.10 あらゆる人間的交わりから遠ざかり、総体の主人と対話し、あの甘い声に耳を傾けるためである。というのは、神的な言葉に出会うと、神的な声を味わっているように考えた。祈って嘆願を献げると、自身が主と対話したからである。そうして、これほどの贅沢を味わいながら、飽きることを拒んだ。なぜなら、偉大なダビドを通して、神的霊が次のように弾奏するのを聞いたからである。「昼も夜も主の律法を心にかける人は、水の流れのほとりに植えつけられた樹木のように、おのれの好機に、3.2.20 おのれの果実を与え、おのれの葉を散らすこともない」〔Ps 1:2-3〕。これらの果実を渇仰することで、この労苦を最高の快楽として喜び、祈りは詩篇〔の頌歌〕が、詩篇〔の頌歌〕は祈りが受け継ぎ、今度は両方を神的な預言の読誦が〔受け継いだ〕。

3.3.1
 彼にとって食べ物はといえば、パンのみで、それも目方によって供されたものであった。が、その目方たるや、乳離れしたばかりの赤ん坊にとっても必要を満たすものではないほどであった。というのは、言い伝えでは、パン1リトラが4つに分けられたのが、4日に配分され、1日に1切れずつが割り当てられたという。実際、毎日、夕方に食べ、決して満腹することなく、いつも飢え、いつも渇き、生きることを満ち足りさせるものらを身体に供することなきようにしようと決めていた。というのは、彼が言いならわしていたのによれば、より多くの日々の間中食べ物を取る者は、3.3.10 断食の日々の間主の勤行の勤め方がより脆弱である。が、再び食べ物を摂る日には、当然ながら、より多く供されるので、胃袋に負担をかける。しかし、これ〔胃袋〕が重くなれば、徹宵に関して魂をより怯懦にする。だからより善いのは、日々養分に与って、決して満腹を待たないことだ、不断の欠乏こそが真実な断食なのだから、と言いならわしていた。あの神的な人は、このことを立法しつづけ、最大の身体を持ち、彼の同時代の誰よりも最大で、最美であったにもかかわらず、わずかな食べ物でこれ〔身体〕を 3.3.20 養ったのだった。

3.4.1
 かなりの時が過ぎ、二人の供住者を迎えた。あの聖なる庵の相続者となったエウセビオスと、この福音的律法をアパメイアに植え替えたアガペートスである。というのは、最も大きく人口稠密なひとつの村があったが、その名はニケルテー。そこで、ここに哲学の最大の思索所2つをこしらえた。ひとつは自分の呼称と同名のもの、ひとつは最も驚嘆すべきシュメオーネースのそれである。この人は数にして50年間この哲学において異彩を放った人物である。これら〔の思索所〕には、今日に至るも 3.4.10 400人以上の、徳の闘技者たち、敬虔の愛者たち、諸々の労苦によって天を購おうとする者たち過ごしている。しかし、この生活態度の審判者はアガペートスとシュメオーネース、偉大なマルキアーノスからその律法を受け取った人たちである。だが、これらの人たちから、修行者たちの別の無数の住居が植えつけられ、これらの律法によって秩序づけられているのであるが、その数を数えあげることは容易ではない。しかしながら、これらのすべてを植えつけた人は、あの神々しい人である。最美な種子をもたらした人こそ、当然ながら、善き植物の因と呼ばれ得るであろう。

3.5.1
 たしかに最初は、わたしが謂ったとおり、ひとりであの好き好んでの牢屋を持った。次いで、これら二人を迎え入れたが、供住者として持たのではなかった。というのは、小屋は自分ひとりだけでも充分ではなく、あまりに小さくて、立つにも横になるにも、自分に多大な苦労をもたらしたからである。なぜなら、立つと、直立することもできず、屋根が頭をも頸をも曲げるのであり、横になると、足を伸ばすこともできなかった、家の長さが身体に釣り合わなかったからである。そこで彼らに、別の〔小屋〕をこしらえることを任せ、3.5.10 そこで過ごし、自分たちで讃美歌を歌い、祈りを捧げ、神的な預言を読むによう命じた。もっと多くの者たちがこの益に与らねばならなくなったとき、離れたところに別の住居を建てるよう申し渡し、望む者たちはそこで過ごすよう命じた。彼らを嚮導したのがエウセビオス、偉大なマルキアーノスの教えを伝承した人である。

 また、あの神的なアガペートスの方は、必要な教練を受け、鍛錬され、この闘技術を最善に教育されたうえで、わたしが謂ったとおり、立ち帰り、あの神的な魂から受け継いだ種子を播いた。そして非常に異彩を放ち、耳目を驚かす者となった結果、司教職(ajrcieratikh; proedriva)に値するとみなされ、司牧的監督職(poimenik; khdesmoniva)を手中にし、みずからの祖国の世話役を委任された。

3.6.1
 結集した群の保護者となり、教師の世話をも引き受け、彼のみが、時宜を得て彼〔師〕のところに通い、何か望むものはないか尋ねるに値するとみなされた。あるときのことだが、夜、〔師が〕何をしたか見ようとして、思い切って窓 — それはちっぽけなものであったが — に近づいた。そうして覗きこむと、光が見えたが、それは灯火ではなく、人工のものでもなく、神来の、上方からの恩寵の〔光〕で、師の頭頂から閃いているもので、神的な預言に含まれる文字の構成を示すものであった。というのも、3.6.10 〔師は〕たまたま聖書をとって、神的な意向の侵害されることなき財宝を探し求めていたのだ。そこで、これを見て、驚嘆すべきエウセビオスは恐怖に満たされ、震えでいっぱいになり、神的な奉仕者にあふれる恩寵を教えられ、僕たちをめぐる神の好意を学んだのであった。

3.7.1
 他の時には、前庭で偉大なマルキアーノスが祈っているとき、一匹の大蛇が東に面した壁に這い上り、覗きこんで大口を開けると同時にぞっとするぐらい凝視し、襲いかかるそぶりをみせた。だが、エウセビオスは離れたところに立っていたが、身の毛のよだつその光景を 3.7.6 に恐怖し、師が知らないのかと怪しみ、大声をあげてしらせ、逃げるよう懇願した。すると相手は叱りつけ、怯懦を追い出せと命じ — それこそが破滅的情動なのだから —、指で十字を切り、3.7.10 口で息を吹きかけ、古来の敵をあばいた。するとそれ〔大蛇〕は、口の息によって、あたかも一種の火によってのように、干からび、燃え尽きた藁のように粉々に分解されたのであった。

3.8.1
 それでは、わたしのために見てもらいたい。ひとのよい家僕のように、彼は主を模倣したのでないかどうかを。というのも、主は、かつて弟子たちの船に海が荒れ狂い、この者たちが不安がっているのをご覧になって、弟子たちを叱責して不信心をやめさせるまでは、海の嵐を抑えられなかった〔Mt 8:24-26〕。これに倣って、この驚くべき人は同じことを教育し、先ずは直弟子の怯懦を追い出し、次いでそのように獣を罰に引き渡したのである。

3.9.1
 偉大なマルキアーノスの知恵も、驚異の業も、神との神交(parrhciva)も、以上のようなものであった。しかしながら、このような恩寵にも値し、大きな驚異を行うこともできたにもかかわらず、その力を一生懸命隠そうと努めたのは、徳の追い剥ぎの策謀を猜疑したからである。というのは、彼はうぬぼれの情動を種蒔き、労苦によって刈り集める果実を分捕ろうとしたのである。そのうえ、授けられた恩寵を隠すことに熱心になり、驚異の業を行うのは不承不承、成功の輝きが閃き、隠されていた力を露わにするときなのだった。そうして、いつかあるとき次のようなことが起こることになったのである。

 貴族階級に属し、軍隊の指揮権を何度も手中にした、シュリアのベロイア出身のある人物がいたが、娘が長い間コリュバースの秘儀に与り、邪悪な精霊に悩まされ、気がふれたので、荒れ野にやって来て、偉大なマルキアーノスの知己であったので、彼に会い懇願することを、昔の誼で期待したのである。だが、期待は欺かれ、神的な奉仕者に会うことを得損ない、その当時、神的な人物の召し使いに携わっていたある老人に、3.9.20 オリーブ油の入った小さな瓶を受け取って、庵の扉のすぐ傍に置くよう嘆願した。しかし老人は、引き受けることを何度も断り、また何度も呼び出されて、嘆願にさらされた。その騒ぎを、偉大なマルキアーノスが察知して、誰が、何の必要があって来たのかと訊いた。しかし〔老人〕は、真実の理由は隠し、何か言いつけるものがないか知るためにやって来たようなふりをした。そうして、こう言うと、〔老人は〕追い返された。しかし明け方、乙女の父親が再び、瓶を自分に返してくれるよう嘆願した。そこで相手は恐れをなし、できるかぎり静かに出かけて、3.9.30 手を延ばして、気づかれないよう瓶を手に入れようとした。しかし、彼が再び、何を思ってやって来たのかと訊ねた。そこで、夕べにも明かした同じ理由を謂ったところ、神的な人が不機嫌になっのは、老人の来訪が仕来りに反して生じたからで、真実を言うよう命じた。そこで彼は恐れおののき、神的な恩寵に満たされた人に隠すことができず、誰がやって来て、受難の悲劇を教え、小瓶を見せたかを言った。すると彼は、徳を示すことを望まぬ者には当然ながら、憤慨した。それでも、3.9.40 もう一度同じことをしでかしたら、あの交わりも奪われ、奉仕も取り上げられるぞ — その利得を理解している者たちにとっては最大の罰であった — と脅したうえで、与えた者に返すよう命じて送り出した。そうして、彼も同じことを命じた。すると、宿駅4つ分も離れたところにいたダイモーンが、追い出す者の力に悲鳴をあげた。つまりマルキアーノスはベロイアにいながらにして裁判官たちの仕事をしたのである、ダイモーンに対する一種の処刑吏を使い、異端者を追放し、あの人の活動で乙女の清浄を証明することで。それも、乙女の父親ははっきりと悟った。というのは、彼が引き返し、3.9.50 町から数スタディオン離れたところで、女主人によって田舎に使いに出されていたひとりの家僕が出会った。するとこの者が主人を見て、生起した驚異の吉報を告げ、この驚異は4日前に起こったと言った。そこで日を数え、その日を精確に決めると、老人が小瓶を持ち出してきたその日だとわかったのである。

3.10.1
 わたしがいだく想いとは、この偉大な人が驚異の業を行おうと望む場合、行えないような何があったか、ということである。というのも、彼が授けられた恩寵を隠すことに努めたなら、どんな怪異を好んで働くことを拒んだであろうか。同様に、自分の霊的知恵をも、あらゆる人々に明らかにしたのではなかった、ただし、最終的には、救い主の受難と主的甦りの祝祭の後に、自分のところに入ることを望む人たちに許したのであるが。

3.11.1
 実際、あの好機に、あらゆる人々が彼と面会することに真剣だった。まさしくその時、彼のもとには、司教たちの第一人者大挙してやって来た、アンティオケイア人たちを司牧を信任された偉大なプラビアーノス、先にもわたしが言及した神的なアカキオス、カルキス人たちの〔都市の〕エウセビオスと、かつてキュッロスの舵取りを信任されたイシドーロスといった、徳に抜きん出た人たちである。この人たちには、ヒエラポリス人たちの〔都市の〕手綱を取り、修道と柔和さで照り輝くテオドトスもいっしょだった。また、完徳と名望の点で、3.11.10 信仰の閃きを持っていた幾人かの者たちも同席していた。さて、全員が沈黙して坐り、あの人の聖なる声に耳を傾けている中で、彼〔テオドトス〕も長い間黙って坐り、舌は休ませ、傾聴は働かせていた。このとき、座っている人たちのひとりが、魂の世話を通して彼と知己であるが、とりわけ名望の点で輝かしい者が、「神的な師父たちも」と謂った、「おお、師父よ、みな御身の教えを渇望して、御身の最も甘いナーマを待っています。ですから、居合わせる者たち全員に益に与らせ、善行の迸りを妨げないでください」。すると相手は大きく溜め息をついて、「万物の神は」3.11.20 と謂った、「日毎に、かつ、被造物を通して、発言なさっており、神的な書物を介して対話なさり、必要なものらを勧告し、役立つことどもを紹介し、脅しで脅迫し、約束で励まされるが、われわれは何ひとつ利を摘み取ることがない。それなのに、マルキアーノスが発言したからとて、どうして益することがあろう。その他の〔益〕ともどもこれほどの利益を送り、そこから利を見出すことを望まぬのに」。ここから、多くの議論が師父たちの間で沸き起こったけれども、それをこの説明から省略することに決めた。さて、立ち上がり、祈り、そうして聖職への従事を彼に望んだけれど、3.11.30 今度は攻撃を恐れた。そうして、この人はあの人に、あの人はこの人にと譲った。かくて全員が同じように断って、帰っていった。

3.12.1
 しかし、もちろん、これらにわたしは他の説明、彼の神的な悟りに含まれる象徴をも付け加えたい。アービトスという者が、別の荒れ野に修業者の庵を初めて打ちたてた。ただし、この〔マルキアーノスの庵〕よりやや北、東風に近い北風の風下にあった。この人物は、期間の点でも労苦の点でも、偉大なマルキアーノスより年長であったが、哲学者であり、厳格な人生と共に育った人物であった。この人物が、この人〔マルキアーノス〕の徳が至るところで評判となっているのを知り、3.12.10 このような会見の方が長期間の寂静よりも得になると思って、渇望されていることを見ることに真剣となって急いだ。

 かくて、彼の到来を知るや、偉大なマルキアーノスは扉を開けて自分のもとに迎え入れた。そうして驚嘆すべきエウセビオスに、豆をも、また、もし彼〔エウセビオス〕が持っているなら野菜をも煮るよう 3.12.15 言いつけた。かくて、お互いの対話に満足し、お互いの徳を知りあった時、共に九時間の勤行をつとめた。そこでエウセビオスが食卓を運び、パンを供するためやって来た。そこで偉大なマルキアーノスが神々しきアービトスに、「こちらへ」と謂った、「わたしにとって誰よりも親愛なる方よ、3.12.20 そしてこの食卓を共にしましょう」。すると相手が、「いや」と謂った、「いまだかつて、夕べの前に食べ物に摂ったことがありませぬ、2日も3日も同じパンで過ごすことしばしばなもので」。すると偉大なマルキアーノスが、「ともかく、わたしのために」と謂った、「今日は習慣を変えてください。身体の具合が弱いと、夕べを待つことができないものですから。しかし、こう言っても、最も驚嘆すべきアービトスを説得できなかったので、彼は溜め息をついてこう謂ったと言われている、「いや、わたしとしてはひどくがっかりし、魂に咬みつかれた想いです、一種の愛労者にして愛知者を見るために、これほどの労苦を耐え忍びながら、その希望 3.12.30 を欺かれて、愛知者ではなく商人や放蕩者をご覧になったのだから」。これに対しては、最も神的なアービトスが悲しんで、これを聞くよりは肉に与る方がより楽だと謂ったとき、偉大なマルキアーノスが謂った。「わたしたちも、おお、愛友よ、あなたと同じ生を究め、同じ生活態度を喜び、休息よりは労苦を尊重し、養分よりは断食を選択して、夜がやって来て初めてそれに与ってきました。しかしながら、愛餐の有用性は、断食よりも価値あることをわたしたちは知っています。なぜなら、前者は神的律法の働きですが、後者はわたしたち自身の気随に 3.12.40 に属することだからです。しかし、神的律法はわたしたちのそれよりもはるかに尊いと考えるのがふさわしいことです」。

 こういったことをお互いに対話して、そうしてわずかな食事にあずかり、神を讃美して、3日間をお互い共に暇つぶしした後、彼らは分かれ、お互いに再会したのは、聖霊によってであった。

3.13.1
 されば、この人物の知恵に驚嘆しない者が誰かいるであろうか — その知恵に舵とられて、断食の〔好機〕を知り、兄弟愛の好機を知り、徳の諸部分の違いを知り、何が何に譲歩するのがふさわしいか、また好機に勝利を与えられるのが何であるべきかを知るところの知恵に。

3.14.1
 さらに他にも、神的な事柄における彼の完全さを知らしめる話をわたしは持っている。すなわち、彼のもとに祖国から妹が、その息子、夫、ならびにキュッロスの第一人者を伴い、彼のために必需品をたっぷりと運んで、やって来たことがある。しかし彼は妹に会うことは認めなかったが、甥は迎え入れた。というのは、規定された会見の時だったからである。そこで、持ち来たられたものらを受け取るよう彼らが嘆願すると、「いかほどの」と彼が謂った、「修道院をあなたがたは通過してきたのか。それらの幾つに、これらそのものの中から分け与えたのか」。そこで或る者が、どこにも与えなかったと 3.14.10 述べると、「去りなさい」と彼が謂った、「あなたがたが運んで来たものを持って。われわれは、それらの何ひとつ必要とせず、必要だとしても、受け取ることはないのだから。なぜなら、あなたがたがこれらでわたしたちに親切にするのは、自然の同族関係を配慮してのことであって、神的な奉仕を配慮してのことではないのだから。というのは、あなたがたが血縁の近さのみを尊ぶのでなければ、あなたがたが運んで来たものにわたしたちだけを与らせることはなかっただろう」。こう言って、甥を妹とともに送り返したのであった、彼らによって運ばれてきた物をわずかをも受け取られることのないよう命じたうえで。

3.15.1
 このように、彼は自然を超越し、諸天の行住坐臥へと移行した。いったい、これ以上にはっきりしたどんな範例をひとは差し出せるであろうか、彼が神に値することは、神ご自身の声に従っているのだから、「というのは」とおっしゃっている、「父、母、兄弟、姉妹、妻、子を後に置き去りにしない者は、わたしにふさわしくない」〔Cf. Mt 10:37, Lk 14:26〕。だが、置き去りにしない者がふさわしくないなら、置き去りにして、これほど厳密な完全さを行じる者は、明らかに最もふさわしい者であろう。

3.16.1
 わたしとしては、以上のことに加えて、彼の神的教義の厳密さにも驚かされる。というのは、一方では、あの当時、皇帝権力によって点火されたアレイオスの狂気を嫌悪した。他方では、アポリナリオスの錯乱をも嫌忌した。さらには、サベッリオスの説に心を傾ける連中、三つの位格を一つに統一する連中とも気高く戦い通した。さらには、Eujci:tai〔祈祷派Massalianoiv4世紀後半、メソポタミアに興り、シリア・小アジアに拡がった。人間の自然本性に内在する悪は、洗礼や修徳修業ではなく、ただ祈りによってのみ克服されるという主張を展開した。431年のエペソス公会議で断罪される。〕と名づけられる連中、修道的見せかけの中にマニ教徒の教義に病んでいる連中をも、徹底的に却けた。

3.17.1
 で、教会の教義のための渇仰が有する熱意のあまり、驚嘆すべき神的な人物に対してさえ義しい戦いを受け容れるほどであった。あの荒れ野に、アブラアメースという老人がいた、髪は白髪、思慮はもっと白い人物で、あらゆる徳に光り、無意識のうちに涙をいつもほとばしらせていた。この人物は、初め、一種の単純さにたぶらかされて、従前通り過ぎ越の祭りpavscaを挙行することを甘受した、それは、ニカイアーの教父たちによってこれに関して立法されたことを、当然ながら、知らず、古い慣例に 3.17.10 隷従することを選んだからである。しかし、他にも多くの人たちが、あの当時、同じ無知に病んでいた。しかしながら、偉大なマルキアーノスは、しばしば数多くの言葉を使って、老アブラアメース — 彼のことを土地の人たちはそのように命名していたから — に、教会の協和に変わらせようと試みた。しかし聴従しないとみるや、自分との公然たる交わりを却けた。しかし時が過ぎると、あの神々しい人は非難を棄て、神的な祝祭の協和を歓愛し、真実に詩篇を唱えた、「道中に瑕疵なく、主の律法に歩む人たちは浄福である」〔Ps 119:1〕。そうして、3.17.20 これこそは、偉大なマルキアーノスの教えの成就である。

3.18.1
 この人のために、多くの人たちが至る処に祈りの埋葬所を建てた、キュッロスには甥のアリュピオスが、カルキスには生まれの点でも輝かしく、徳の点でも抜きん出、富の豊かさの点でも盛んなゼーノビアネーという女性が。他にも少なからざる人たちがこの同じものを築き、勝利をもたらしたあの闘技者奪い取ろうと愛勝した。これを知って、神の人は、驚嘆すべきあのエウセビオスに、あらゆる恐怖に満ち満ちた誓いを自分に立てさせたうえで、遺体をあの場所に安置し、その墓は、より親しい同居者たちの二人以外には、3.18.10 多数の年月が過ぎるまで、誰にも知らせないよう言いつけた。そうして、この誓いを、あの驚嘆すべき人は果たした。というのは、勝利をもたらす人の臨終がやって来て、天使たちの合唱隊があの聖にして神的な魂を諸天の住居に移し替えたとき、二人の知己の人々とともに、墓を掘って遺体を地表を平にするまでは、彼の命終を明かさなかった。そうして50年とそれ以上が過ぎるまで、無量の人々が馳せ参じ、遺体を捜しまわったが、墓は不明のままだった。しかし、前述の埋葬所の各々が 3.18.20 あるものは使徒たちの、あるものは殉教者たちの遺品を迎え入れたとき、以後はあの人の庵と教えを受け継いだ人々が勇を鼓して、これらの年月の2年前に、石棺をこしらえ、価値ある遺体の遺物を移した、一人が墓を教示したからである。というのは、3人の中でこの人だけが存命だったからである。

3.19.1
 ところで、あの人の徳の渇仰者となった、驚嘆すべきエウセビオスは、もっと多くの労苦で身体を消尽させつづけた。というのは、120リトラの鉄を身にまとったが、自分には、最も神的なアガペートスの50〔リトラ〕を別に上乗せし、さらに偉大なマルキアーノスの80〔リトラ〕をも付け加えたのである。また、水の涸れた池を祈祷所兼住居として有し、数にして3年間、この仕方で住持した。ところで、これらの言説にわたしが逸れたのは、偉大な業績のうち、他にもどれだけの事柄にとって、3.19.10 偉大なマルキアーノスが保護者であったかを示したいがためである。

3.20.1
 この人の哲学におかげを蒙ったのは、驚嘆すべきバシレイオスもそうだった3.20.2。〔これは〕多年の後、セレウコベーロス — これはシリアの都市であるが — 近郊に修道者の住居を築き、徳の数多くの他の種類において輝き、とりわけ、愛餐の神に愛さるる所有と、客遇の神的な行いで輝いた人である。この人もどれほどの働きを、使徒的に云うなら、恥ずべきところのない働き手として、真理の言葉を言い切る者として〔Cf. 2Tim 2:15〕神に提示できたか、誰が容易に数えあげられようか。

3.21.1
 称讃にあたいするが、話に長さをうえこむ他の人たちのことは、目下のところ省略することにして、そのうち一人だけに言及したい。この人にひとりの弟子がいて、これをサビーノスと命名されていた、無量の労苦で身体を消耗させた人であった。というのは、パンを摂ることもなく、おかずのようなものを摂ることもなかったからである。彼の食べ物はといえば、水に浸された小麦粉であった。一月の食べ物をみな混ぜ合わせたので、黴が生え、猛烈な悪臭を放つのが習いであった。このような食べ物の特徴が、彼に、3.21.10 身体の欲求を鈍らせ、食べ物の悪習で快楽を消え失せさせることを意図しのであった。しかし、自分ではこういうふうに過ごしながら、知己の誰かがやって来たときには、どんなものが献げられても、単純にそれを摂った。

3.22.1
 で、彼はこれほどの恩寵を神から受けていたので、生まれにおいても富裕さにおいても立派な貴顕階級に属する一人の婦人が、アンティオケイア人たちの〔都市〕からみずから馳せ参じ、ダイモーンに襲われている娘を助けてくれるよう嘆願した。「というのはわたしは」と彼女は謂った、「夢を見ました、ここに馳せ参じるよう、そうして、修道院の嚮導者の祈りによって娘に救いを得るよう、ある人が告げるのを」。そこで、返答をした者が、指導者は女と対話することは習慣にないと言った。そこで婦人が涙を流し、歎き、ひどく金切り声をあげて 3.22.10 せがんでいると、出てきたのは修道院の嚮導者であった。ところが婦人は、自分に教示してくれたのは彼ではなく、別の血色のよい、頬に一種の吹き出物の或る者だったと主張した。そこで、探し求められている者がわかったので — ただし、修道院の第三位の者であって、第一位の者ではなかった —、これを説得して婦人のもとに案内したところ、たちどころに婦人はその顔を認知した。邪悪なダイモーンの方は、叫び声をあげて乙女から離れたのであった。

3.23.1
 このようなことが、偉大なマルキアーノスの弟子たちの中の弟子たちが成就したことである。このような植物を至る処に植えつけてこそ、最善の栽培者である。わたしとしては、この話に再び終わりを与えたうえで、これらすべての人たちの使者を通じて、神的な援助を得られるよう懇願し、要請する。


4."t".1
エウセビオス

4.1.1
 実りなき荒れ野が神に捧げた実りがいかほどのものであったか、季節に合った、熟した、高価な、植栽者に愛される、よく知慮する人間たちに恋され、三倍渇望される〔実り〕であったことを、すでに書き記された話の中にわれわれは示してきた。しかし、徳が場所に限定されるとか、このような収穫の産出にふさわしいのが荒れ野だけであるとかひとが推測することのないよう、いざ、ここからはひとの住まいする地に言葉で移動し、哲学の所有にとってそれが決して障害にならないことを示そう。

4.2.1
 アンティオケイアの東、ベロイアの西に横たわって高い山があり、あたりの山々を圧し、最も高い山頂は、円錐に似た形をしていて、その高さにちなんだ名称をもらっていた。つまり、これを周住民たちはKorufhv〔「山頂」の意〕と称する習いであった。これのまさしく頂上に、以前、近隣の人たちから非常に尊ばれていたダイモーンたちの境内があった。南には、湾曲した平野が広がり、両側から、あまり高くない丘に囲まれていた。これらが 4.2.10 馬車道まで延び、南から北へと両側から切断した道を許していた。この〔平野〕に、両側の山地に接して、小さいの大きいのと、村落が建設された。一方、高い山のまさしく裾には、最大にして人口稠密な村があり、土地のことばでは、テレダと名づけられている。山麓には、それほど険しくはないが、件の平野に向かって程よく傾斜し、南風を望む谿谷があった。

 この〔谿谷〕に、哲学の思索所をアムミアーノスなる者が 4.2.20 建設した、これは徳の数多くの他の種類の点で輝き、とくに程よい知慮の点で他の人たちを凌駕した人物であった。証拠はといえば。例えば、みずからの崇拝者たちに教育を尽くすのみならず、その数を2倍にさえし、偉大なエウセビオスのもとにしばしば馳せ参じ、協働者になってくれるよう、自分によって設立された道場の鍛錬者にして教師になってくれるよう嘆願するためである。

4.3.1
 ところで、彼〔エウセビオス〕は5スタディオン離れ、明かり窓さえない、ひどく小さな住まいに閉じこもっていた。彼をこの徳へと導いたのは、マリアーノス、この人の叔父で、神の忠実な仕える者(qeravpwn)であった — というのは、主は偉大なモーウセースをも、同じ名で尊重したのだから〔Cf. Heb 3:5〕、これだけ云えば充分だからである —。このマリアーノスは、神の愛者となって、ひとりで善き事どもに耽ることを拒み、多数の他の人たちをも愛者仲間となし、偉大なエウセビオスをも、その兄弟をも狩り取った。4.3.10〔その兄弟は〕生き方においてもたしかに兄弟であった。というのは、自分と何ら異ならない連中を徳のために捕獲しながら、甥たちの方は捕獲せずに置き去りにすることを、道理あることとは思わなかった。これら両方を庵の中に閉じこめて、福音的生き方を短期間のうちに教育した。しかしながら、兄弟には病が降り懸かり、あの行路を中断させた。病には死も付随した。というのは、そこから出て後、わずかな日数を生きながらえたうえで、生の終わりを迎えたのであった。

4.4.1
 偉大なエウセビオスが、叔父のほとんど全生涯の間、誰かと対話することもなく、光りを見ることもなく、たえず閉じこもりつづけた。そうして、その人の命終の後、驚嘆すべきあのアムミアーノスが、数多くの嘆願によって彼を呪縛して説き伏せるまで、この生き方を喜んだ。「どうかわたしに云ってください」と彼〔アムミアーノス〕は彼〔エウセビオス〕に謂った、「おお、最善の方よ、誰を満足させると思って、この骨の折れる、むさ苦しい生を追求なさってきたのですか」。そこで相手が、もちろん、尤もなことではあるが、徳の立法者にして教師である神を述べると、「では、あなたがその方を恋しておられるからには」とアムミアーノスが謂った、「あなたが恋する者をもっと燃えあがらせるとともに、恋される者に仕えられる仕方を、わたしがあなたに教示しましょう。というのは、あらゆる配慮(ejpimevleia)のようなものを自分自身にまとわせることは、わたしが思うに、自己愛(filautiva)の咎を免れられないでしょう。なぜなら、神的な法は、自分のように隣人を歓愛することを宣明しているからです。他方、富の共有を多衆に受け容れさせることはアガペーの徳行に固有のことです。これ〔アガペー〕をしも、神々しいパウロスは『律法を満たすもの』〔Rom 13:10〕と命名しました。さらにまたもう一度彼は叫びます。すべての律法と預言者たちが次の言葉の中に総括されているのですが、その中で、『汝自身のごとく汝の隣人を汝は愛するであろう』〔Cf. Rom 13:9〕4.4.20。さらにはまた主は、ペテロスに、他の者たちよりもより多くあの方を愛すると告白したとき、あの方の羊たちを牧せといいつけられた〔Cf. Jn 21:16〕。しかるに、これを果たさなかった者たちを非難して、預言者を通して叫ばれた。『おお、牧者たちよ、牧者たちは自身を養うべきではないか。羊たちを牧さないのか』〔Ezk 34:2〕。このためにこそ、この生き方を究めた偉大なエーリアーにも、不敬虔な者たちの真ん中を経巡るようお命じなった。第二エーリアー、つまり、荒れ野を喜んだ大イオーアンネースにも、イオルダノスの堤に赴かせ、そこで洗礼し布令するようお言いつけになった。だから、4.4.30 あなたも、創造者にして救済者たる神の熱き愛者 4.4.31 であるからには、多数の他の人たちを愛者に仕立て上げなければなりません。それこそが共通の主にとってきわめて親愛なことだからです。だからこそです、イエゼキエールを見守る者(skopovV)と命名し、罪人たちを戒めるようお言いつけになったのも。イオーナーに、ニネウエーに急ぐよう命じ、拒む彼を囚人として赴かせたのも」。

 以上のことを、そして以上のようなことを〔アムミアーノスは〕言って、その神的な人物を魅了し、あの自発的な牢屋を破って引き出し、連れ去って、信奉者たちの世話を引き渡したのである。

4.5.1
 わたしとしては、前者の程よさ(metriovthV〔謙遜〕)と、後者の聴従しやすさと、どちらをより多く驚嘆すべきかわからない。というのも、前者は嚮導から走り去り、むしろ聴従者の一人になることを望んだが、それは先導することの危険を怪しんだからである。だが偉大なエウセビオスは、より多くの人たちとともに過ごすことを避けたにもかかわらず譲歩し、アガペーの網に捕らわれ、羊の群の世話を引き受け、合唱隊を教育へと導いたが、多くの言葉を必要とすることはなかった。というのは、〔彼が〕現れるだけでも、すこぶる怠惰な者さえ、4.5.10 徳の走路めざして鋭く働くに充分だからである。会見した人たちは、彼はいつも不機嫌な顔をしていて、会見した者たちに恐れの念をいだかせるに充分であったと謂う。

 食べ物はといえば、自分は3ないし4日おきに享受し、共住者たちには、毎日与るよう命じた。しかしたえず神と交わり、いかなる時もこの行動に無縁のままにすることなく、共同して所定の勤行をつとめ、1日のそれらの合間の部分は、各人が自分で、樹の一種の蔭とか、岩の傍とか、ひとが何らかの4.5.20 寂静を味わえるところとかで、立つなり、地面に坐るなりして、主に懇願し、救いを求めるよう言いつけた。で、こういうふうに、身体の諸部分の各々に対し、思量のみが委ねること、これを為すよう、徳を教えこんだのである。

4.6.1
 そこで、このことが万人に明らかになるよう、彼に関する話のうちのひとつに言及しよう。

 ある岩の上に、当の本人と、驚嘆すべきアムミアーノスとが坐り、神的福音の歴史を、後者は朗読し、前者ははっきりしない事柄に対する思いつきを披露していた。すると、何人かの耕作者たちが、眼下の平野で台地を鋤き返していたので、この光景に偉大なエウセビオスは魅了されていた。で、神々しいアムミアーノスが、福音の箇所を朗読し、その解釈を求めたとき、4.6.10 偉大なエウセビオスは再度の朗読を命じた。そこで相手が、「どうやら、鋤く者たちに見とれて、聞いていなかったらしい」と云ったので、両眼に対し立法し、あの平野を二度と眺めることもなく、天上の美や星辰の合唱を宴楽することもなく、非常に狭い小径 — 1掌尺程度だと謂われる — を使って、礼拝堂に行き、以後、この〔小径〕から外れることを我慢しなかった。そうして、40年以上の間、彼はこの法とともに生き通したと謂われる。さらに、決心とともに、これに加えて一種の強制も自分を引きずるために、鉄の帯を腰に結びつけ、4.6.20 非常に重い首輪を頸に巻き、他に一種の鉄鎖で頸の輪に繋いだのは、この仕方で大地の方に曲げられて、不断に前屈みを強いられるためであった。あの耕作者たちを眺めたことに対して、みずからこれほどの罰を課したのであった。

4.7.1
 このことをわたしに教えたのは、あの人を語り伝え、彼に関する事を正確に知っている人たちのうち、多くの他の人たちである。が、まさにこのことを話してくれたのは、老師である偉大なアカキオスもそうである。彼のことは、前でも、太の話の中でわたしたちは言及した。彼が謂うには、あるとき彼が二つ折りになっているのを見て、天を仰ぐことも、眼下に広がるあの平野を眺めることも、あの狭い道を外れて歩むことも許さず、どんな利が収穫できるのかと訊ねもしたという。すると彼は、邪悪なダイモーンの企みに対して 4.7.10 これを工夫したのだと謂ったという。「というのは」と彼は謂った、「重要なことに関して — 慎み(swfrosuvnh)や正義を盗もうと試みたり、気性を武装したり、欲望に火を点けたり、自惚れを嵩じさせ、ふくらませられるよう整えたり、他にもこういった限りのことをわたしの魂に対して企んだりしてわたしに戦争を仕掛けないために、これら小さなことに戦争を転移させようと試みているのだ。ここで〔邪悪なダイモーンが〕勝利したとしても、重大なことで不具にすることはなく、まして負ければ、ますます嘲笑される者となるだけである、小さなことでさえ圧倒することができないのだからして。そういうわけで、この戦いはより危なくないことをわたしは知っているのだ — ここにおいて打ち倒されても、大きな害を受けることはない 4.7.20 のだから。いったい、平野を見たり、天に目をあげることに、どんな害があろうか。—、対抗布陣のまさにこの種類に彼〔邪悪なダイモーン〕を向かわせるのです。これでは打ち倒すことも殺すこともできない。これらの矢弾は死をもたらすものではなく、あの鉄の顎〔かかり〕を持たないのだから」。

 これを聞き、その知恵に感嘆し、彼の戦闘的勇気と経験に驚嘆したと偉大なアカキオスは謂った。それゆえ、こういったことを学ぶことに耽っている人たちにとって、感嘆に値することであり、記憶に値することとして、この話をも伝承するを常とした。

4.8.1
 彼のこの令名は、至る処に流布し、徳の愛者たちをみな彼のもとに引き寄せた。やって来たのは、長老、つまり、最も神的なイウゥリアーノス(彼の話は先にわれわれがすでに詳述した)の最善の畜群の家畜たちもそうであった。というのは、神々しいあの人物は、人生の終点に達して、より善き生命へと移ったとき、ペルシア人イアコーボスとアグリッパス、あの群を嚮導した人たちが偉大なエウセビオスのもとに馳せ参じた、嚮導することよりも、美しくすごすことの方がより善いと思ったからである。

4.8.10
 イアコーボスにについては、先にもすでに思い起こし、その徳を要約的に教えたが、今もまた、彼の先端的な哲学のはっきりした証拠を明示しよう。というのは、神的なエウセビオスが、此岸から旅立つ際、彼に畜群を指導するよう申し渡し、そうして彼〔イアコーボス〕が断ったが、あの世話に耽る人たちを説得できなかったとき、別の畜群へと立ち去り、牧することよりは牧されることを選択し、非常に長い間生きながらえ、こうしてその生涯を終えたのであった。

 そういうわけで、あの嚮導を引き継いだのがアグリッパス、4.8.20 数多くの他の善きものらで、とりわけ魂の清浄さで際立つ人物で、これによって神的な美の間断なき出現を受け、あの恋情の灯火に燃焼されて、絶え間なき涙で両頬を濡らしていたのだった。

4.9.1
 さらにまた、この人も長い間、あの選民的で神的な畜群を適法に牧し、次いで生を退出するとき、わたしのその会見を享受した神的なダウイデース嚮導を引き継いだが、彼は、神的な使徒の言を借りれば、「地上に肢体を本当に殺した」〔Cf. Col 3:5〕人物であった。というのは、偉大なエウセビオスの教えからそれほどの裨益を受けた結果、45年間あの思索所で過ごし、気性と怒りを離れてその全時間を生き通した。というのは、嚮導後、彼がこの情動に負かされたところを誰も見たことはなかった、それも、当然ながら、無量の必然があったにもかかわらずであるというのは、150人があの人の右手のもとに牧され、或る者たちは徳を究め、天上の生き方を模倣し、或る者たちは羽が生え始めたばかりで、大地からの跳びあがりかたと飛び立ちかたを教えられている。しかるに、神的な事柄において教育される者たちはあまりに多く、違背する者たちも当然ながら — 弟子になったばかりの者がすべてを達成するのも容易ではないからして — かなりいるにもかかわらず、あの神的な人は、身体なき者のように、不動のままとどまった、4.9.19 彼を気性へと駆り立てる原因が4.9.20 何もないからである。

4.10.1
 わたしがこれを伝承するのは、伝聞に基づくだけでなく、体験にも基づいている。というのは、かつて、あの神的な群を観ることを欲して、旅行を共有し、わたしと同じ生を喜ぶ他の人たちと連れ立って、到着したことがある。そこで、7日まる1週間、わたしたちはこの神的な人のもとで過ごしたが、顔が何らの変化を受けることなく、あるときはくつろいでいるが、あるときは陰気な様子をしているということもなく、瞳も同様で、他の時は溌剌としているが他の時はきらめいているということなく、いつも同じ端正さにとどまっている眼を 4.10.10 わたしたちは観たのである。それら〔の眼〕こそ、魂の凪を証するに充分である。いや、彼がそういう人であると見られていると考えるのは当然である、動揺させる理由が何もないのだから。それゆえ、われわれの前で何か次のようなことが起こったことを話すよう強制されるのだ。

 わたしたちの傍にあの神的な人物が坐り、哲学に関する議論を引き起こし、福音的生活の究極を探求していた。さて、このような議論が行われている最中に、オリュムピオスなる者が、生まれはローマ人で、性格は本人も讃嘆に値する者で、聖職の名誉に与り、あの嚮導の第二の者としてふるまっていたが、わたしたちのところにやって来て、神的なダウィデースに対して 4.10.20 大声をあげ、あの寛大さ(ejpieivkeia)を普通の有害さだと名づけ、柔和さ(pra/ovthV)が万人を害していると言い、あの究極の哲学を寛大さではなく愚かさだと呼びながら。すると彼は、まるで不壊の魂を持っているかのように、その言葉を受け、針刺すよう生まれついた〔言葉〕によって針刺すのではなく、顔色を変えることもなく、目下の対話をやめることもなく、声と言葉の優しさで魂の晴朗さを表しながら、あの老人を送り出したのである、彼に望む者たちの世話をするよう頼みながら。「わしとしては」と彼は謂った、「ご覧のとおり、われわれのところにやって来られたこれらの方々と対話しておる、4.10.30 この奉仕が必要じゃと思うゆえに」。

4.11.1
 いかにすれば、ひとは魂の柔和さをより善く示すことができるのであろうか。というのは、あの指導権を信任されたにもかかわらず、第二位の地位を有する者によってこのような狼藉を受け、とりわけ、客人たちが居合わせ、悪罵を聞いているところで、気性から起こる豪雨や騒乱をひとつとして持たぬということが、どれほどぬきんでた勇気と堅忍の後に残すことか。だから神的な使徒は、人間の自然の弱さに注視して、自然に立法を適用したのである。「すなわち、汝らは怒っても」と謂う、「罪を犯すなかれ。汝らが怒っている間、4.11.10 太陽をして沈ましめるな」〔Eph 4:26〕。というのは、気性の動きは、自然のそれ〔動き〕であって、意思のそれ〔動き〕ではないが、あまりに苦しく、おそらくは不可能事でさえあると知っているので、立法することは我慢しなかった。その代わり、自然の動きと気性の嵐に、1日の間という限度を規定した、思量で締め上げ、はみを押しつけるよう命じ、全体よりさらに遠く踏み越えることを許さずに。しかし、この神的な人は、所定の法を超えて奮闘し、着地点を跳び越え、夕方まで気性に動かされることを容認しなかったどころか、そもそも動かされることに身を任すことさえ容認しなかった。こういうことを、この人も、偉大なエウセビオスの交わりから 4.11.20 裨益されたのであった。

4.12.1
 さらに、多くの他の、この哲学の愛者たちや、渇仰者たちがあの修屋にいたのをわたしは観た、或る者たちは身体の盛りにあり、或る者たちはじつに高齢であった。というのは、90歳以上生きぬいてきた人たちであったが、労苦に満ちた生を置き去りにすることを拒み、若者の発汗に抜きん出、夜通し日通し神に懇願し、あの光り輝く勤行を実行し、二日おきにあの安価な穀物を摂る人たちであった。

4.12.10  また、その他、ちんもくではなく、逆に祝福とあらゆる種類の称讃にあたいする人々は置き去りにして、しかし程よさを超えて話を長くしないために、あの神的な地域にある人がいた— 人々は彼をアッバースと名づけていた —、彼はイシュマエル族の根から芽生えた者であったが、祖先はアブラアムの分家ではなく、父系の相続をイサアークと共有していたが〔Cf. Gen 21:10〕、むしろ諸天の王国そのものを掴み取った人物であった。この人物が、この修行的生活態度にすぐに接したのが、当時荒れ野に住んでいた人で、こういうことの最善の鍛錬者 — その名はマローサース — のもとであった。その後は、あの人〔マローサース〕も他者を嚮導することを後にし、アッバースといっしょにこの群にやって来て、少なからざる間生きながらえ、輝かしく闘技し、歌い讃えられる者となって、生を退出した。

 他方のひと〔アッバース〕は、もはや38年をそこで暮らした。労苦を始めたばかりの者のように、そのように労苦に耽った。というのは、今日に至るも足を履き物で包んだことはない。寒冷の中では日陰に坐り、炎熱の中では太陽を歓迎し、4.12.30 そこからの炎を西風のように受け容れた。この全期間は、水を摂ることを拒み、飲まないことを行ずる人たちに提供する慣わしであったあのものら — というのは、この人たちは水気の多い食べ物を享受する慣わしであったから — を食することなく、他の人たちと同じ食べ物を味わい、しかしわずか、わずかな力を植えつけられるだけを食べ、水の用は充分と考えていた。腰には、重い鉄鎖を帯びていたが、坐ることは稀で、夜と昼の大部分は、立ったり跪いたりして、祈りの勤行を主に捧げ、4.12.40 横臥の必要性を完全に否定した。というのは、今日に至る迄、彼が横臥するのを観た者はいまだかつてなく、合唱隊の指揮者として宣明され、指導することを抽籤して、その労苦全体に熱心であり、自分自身を哲学の手本として傾聴者全員に公示したからである。

4.13.1
 このような、勝利をもたらす闘技者たちを神的なエウセビオス、これらの競技の鍛錬者にして体育者は神に供えた。他にも非常に多数をそういう者として宣明し、別の道場に教師として増援し、この者たちが、あの聖なる山全体を、これらの神的な芳香かおる牧草で満たした。というのは、初め、修行用修屋が打ちたてられたのは東であったが、この哲学の子孫が、月のまわりで星辰が合唱舞踏するように、あるものはギリシア語で、あるものは土地の発音で、創造者を讃美するのを観ることができるのは、4.13.10 西と南である。しかしながら、もちろん、あの神的な魂によって成就されたことすべてを詳述することに耽るのは、不可能事に手を染めることになる。だからこそ、この話は終わりにし、別の〔話〕に向かい、そこからもう一度利益を加えるべきである、この偉大な人たちの祝福に与るよう嘆願したうえで。

forward.gifシリア修道者史(3/6)