シリア修道史(2/5)
5."t".1
プゥプリオス
5.1.1
同じ時代に、プゥプリオスという人がいて、彼は体つきも見栄えよく、魂も、体つきに合致したのを有していた、いや、むしろ、〔魂は〕身体よりもはるかに驚異的なところを示した。この人は元老院階級の出で、都市を有していた。この都市の近くで、あの周知のクセルクセースが、ヘッラスに遠征し、軍隊にエウプラテース河を渡河させることを急ぎ、多数の艦船を集結させ、これを互いに繋ぎ合わせて、この仕方でその河を架橋し、その地をゼウグマ〔「軛」〕と名づけ、この事績にちなんで都市に同名を与えたのであった。ここの出で、そういった家門から生まれ、ある高地にたどり着いたのだが、都市から30スタディオン以上は離れていなかった。ここにほんの小さな小屋を建て、父祖から引き継いだものすべてを譲り渡した。わたしが謂っているのは、家屋、所有物、蓄群、衣裳、銀や金の調度類、これらに付随したその他のもののことである。
5.2.1
これらを、神的な法に従って、必要としている人々に分配し、あらゆる地上的気遣いから自由にしたうえで、それらすべての代わりにひとつの気遣い、召命されたかたへの奉仕を受け容れ、これを魂の内に展開し、夜も昼も、これを生長させるよう、考察し探究しつづけた。このゆえに、労苦は彼にとって不断に生長し、日毎に強度を増したが、しかし甘く、快楽に満たされ、満腹をはるかに享受させるものであった。というのは、1日のほんのわずかな部分さえ、彼が休息をとっているところを 5.2.10 観た者はいまだかつておらず、詩篇朗誦には祈りが、祈りには詩篇朗誦が、両方には、神的な言葉の朗読が引き続く。次いで、到来した客人たちの世話が、それに続いて、必然的な仕事の他の何かが起こった。
5.3.1
こういったことで人生を歩み、徳の手本として、渇仰する人たちに垂範し、よく鳴く鳥のように、同族の多数を救いのこの網の中に集結させた。しかしながら、初めは、誰をも共住者として持つことを認めなかった。しかし、隣り合った小さな小屋を建て、集まってきた人たちの各人に、自分ひとりで過ごすよう命じたが、住人たちたえず検査し、必要以上に余分なものを持っていないか問いただした。言い伝えでは、彼は秤さえ携えて、パンの重さを厳密に知り、5.3.10 決められた以上を見つけたときは、不機嫌になり、それを為す連中を大食漢(gastrimavrgoV)という汚名をきせたという。というのは、食べる者も飲む者も、満腹を期待することなく、身体に生命をもたらすに役立つだけを享受するよう彼は命じていたからだ。籾殻の離れた小麦でも目にしようものなら、放蕩者の贅沢を享受する者としてこれをしでかした連中を悪罵した。また夜には、とつぜん各人の戸口にやって来て、目覚めていて神を讃美しているのを見れば、黙って再び立ち去る。が、眠りに取り憑かれているのを感知した場合には、手では 5.3.20 扉を叩き、舌では、必要以上に身体に奉仕を捧げている者として、横になっている者に叱責を浴びせた。
5.4.1
彼の子の労苦を、ある同志の人たちが見て、みんなのために住まいをひとつ建てることを導入した。というのは、現在散らばっている人たちがもっと厳格に生き、彼がより多くの気遣いから解放されるだろうと彼らは謂ったのである。最知の人は勧告を受け容れ、すべての〔住み家〕を統合もし、あの小さな住み家を壊しもし、集まった人たちのために住み家ひとつを建て、共同して生活し、お互いに切磋琢磨するよう命じ、この者はあの者の穏やかさを真似、あの者はこの者の優しさを渇仰に混ぜ合わせ、5.4.10 さらに他の者には徹夜を分け与え、断食の学びに与るよう〔命じた〕。「なぜなら、そういうふうにしてお互いから」と彼は謂った、「足らざるところを得て、われわれは完全な徳を成就すべきである。なぜなら、ちょうど都市の市場においてのように、或る者はパンの売人、或る者は野菜の、或る者は衣服の商人、さらに他の者は履き物の製造者で、お互いから必要なものを手に入れて、より心にかなって生活する、つまり、或る者は服を与えて代わりに履き物を手に入れ、或る者は野菜を売ってパンを受け取る。そのように、われわれは徳の高価な諸部分をお互いに報い合うのがふさわしい」。
5.5.1
このように、方言を同じくする者たちが鍛錬し、競い合い、ギリシア語で神を讃美したので、同じ生活態度に対する恋情が、土地の発声を用いる者たちをもとらえた。そうして、一部の人たちは馳せ参じて、群の一員になって、彼の聖なる教えに与ることを嘆願した。そこで彼は要請を受け容れたが、その際、聖なる使徒たちに課した主の律法を想起させた。「行って」と言っておられる、「すべての民族を弟子となせ」〔Mt 28:19〕。そうして、あの住まいの傍に別の〔住まい〕を建て、ここで 5.5.10 過ごすよう彼らに指図した、神的な一種の神殿(naovV)をこしらえ、ここに、一日の初めと終わりに、後者も前者も集まり、晩祷も暁天の讃美も共同で神に捧げるよう言いつけた、二手に分けられ、めいめいがみずからの方言を用い、順番に頌歌をささげて。
5.6.1
で、今日に至るも、生活態度のこの形は持続している。そうして、同じことや同じようなことを推移させることに対して喧嘩好きな時間はもちろん、あの人によって責務を引き継いだ人々、それも二人や三人ではなく、より多数の者たちがこの嚮導権を受け継いだにもかかわらず、あの人によって定められた条項のいずれかを覆すよう説き伏せることはなかった。というのは、あの人が闘技を充足し、この生を退出して、苦痛なきあの生命へと移行するやいなや、テオテクノスはギリシア語の、アプトニオスはシリア語の嚮導権を 5.6.10 引き継ぎ、両者とも一種の入魂の標柱、あの人の徳の似像となったからである。というのは、いっしょにいる者たちにも、外から到来した者たちにも、あの人の命終を何ひとつ感知することを許さないよう、自分たち自身をあの人の生きざまの鋳型として示したからである。しかしながら、神的なテオテクノスの方は、多くない期間生きながらえた後、テオドトスにその嚮導権を引き渡した。アプトニオスの方は、非常に長期間、群の世話をし続け、既定の律法どおりに導きつづけた。
5.7.1
ところで、このテオドトスは、アルメニアの出身で、あの修道的信仰集団を観て、初めは、従順な人たちの麾下に配置され、舵とりの偉大なテオテクノスに聴従した。ところが、わたしが謂ったように、後者が出郷し、当人が指導を引き継いだので、あまりに善きものらで際立ったあまり、前任者たちをほとんど隠すばかりであった。というのは、神的な渇望があまりに彼を圧倒し、これほどの、しかもこのような矢弾で彼を傷つけたあまり、夜昼問わず無感覚の涙を 5.7.10 あふれさせたからである。で、これほどの霊的恩寵に満たされた結果、彼が礼拝するときは、居合わせる者たちはみな沈黙し、聖なるあの言辞を傾聴のみした、耳を傾けることが真面目な祈りだと考えるからである。魂とその頑固さが魅了され、軟弱になることを説得されず、神的奉仕へと変えられぬようかくも真正にあの言葉がふるまっているとき、いったい誰が不壊であったろう。
こういうふうに、日々、富を増し、瑕疵のない宝を、こういう明らかに善きものらで満たし、25年間、羊を牧した後、神的な書き物こ言い廻しによれば、自分の父祖たちのもとに加えられた〔Cf. Gen 15:15〕、生まれは甥だが、性格は兄弟であるテオテクノスに手綱を引き渡して。
5.8.1
さらに、神的なあのアプトニオスも、40年以上、合唱隊の聖職を指導した後、主座を受け継ぎ、修道者の外套を変えることも、山羊の毛からこしらえられた外衣を変えることもなかった。また食べ物は、主座以前から享受してきたようなものを享受した。さらに、この責務を引き受けながら、あの群の世話をゆるがせにすること決してなく、より多くの日々をそこでつぶした。そうして、あるときは仲違いした者たちの諍いを解き、あるときは誰かに不正された者たちに対する 5.8.10 気遣いをして、また他のときには、信奉者たちに神的な勧告を寄せた。そうして、こうしたことの各々を行いながら、その合間に、僚友たちの襤褸をつくろったり、豆をむいたり、食べ物を洗ったり、そういったことの何か他のことを手がけたりした。こういうふうに、主座職も整序し、徳も積んだうえで、5.8.15 その〔徳の〕荷を積載して、神的な港に入港したのであった。
5.9.1
テオテクノスと、その人の後継者グレーゴリオスについて、言うべきことが何かあろうか。前者は、若いころ、哲学のあらゆる種類に当籤し、先祖の令名を携えて出郷し、後者は今日に至るもなお高齢で、身体の盛りにあるかのように労苦している。というのは、ブドウの実を完全に断ち、酢とか乾し葡萄とかも摂らず、牛乳は、搾りたてであれ凝固したものであれ、摂らなかった。というのは、そういうふうに生きるよう、偉大なプゥプリオスが立法したからである。オリーヴは、復活祭の時機に、必要なだけ 5.9.10 摂ったあとは、それを取ることを再び忌避した。
5.10.1
こういったことどもを、偉大なプゥプリオスについてもわれわれは学んだ、あるものは、伝聞によって伝承したものだが、あるものは、あの人の弟子たちを観て、弟子たちの中にその師を認知し、闘技者を通してその鍛錬者を見てとったものである。だから、これほどの利益を沈黙に委ねるのは不正であり、悪意でさえあると考えて、知らない人たちにこの話を提起したのであり、ここからの益を彼らのために努め、記憶から得られる利得をわたし自身に手に入れたのだ。というのは、わたしは主がこう言われるのを聞いたことがあるからだ。「誰であれ、人間どもの前でわたしを受け容れる者を、5.10.10 わたしもまた、諸天にますわたしの父の前でこれを認めよう」〔Mt 10:32〕。そうしてわたしははっきりと知っているのだ、人間どもにこの人たちの記憶をもたらすことで、全体の神の前での記憶を、この人たちからわたしが享受するであろうということを。
6."t".1
昔の人シュメオーネース
6.1.1
老シュメオーネースをば、もしひとが故意に省略して、あの人の哲学の記憶を忘却に引き渡すなら、当然、不正と邪視の訴えを逃れられないであろう、称讃の価値あることを称讃しようともせず、益されることを望む人たちに、模倣をめざして恋される価値あることをあてがわないからである。
わたしとしては、非難に対する恐れによってではなく、祝福の渇望ゆえに、この人の修道生活の話をしよう。
すなわち、この人はできるかぎり最多の時間、沙漠生活を喜び、ある小さな洞窟の中で過ごしつづけた。人間的な魂の慰め(parayuchv)は何ひとつ享受せず というのは、独りで生きることを選んだのだから 、全体の神にはしきりに対話を仕掛けるを常とした。食べ物としたのは、食用の植物であった。
6.2.1
この労苦は、彼に、上からの富める恩寵をも授けた、このうえなく野性的で勇猛な獣たちにさえ指図するほどの恩寵を。そしてこれは、敬虔な人たちにとってのみならず、信仰なきイウゥダイオイ人たちにとっても明らかであった。というのは、何らかの用事のために、彼らはわたしたちの住まいする地の外にある要塞のひとつに旅した。ところが、猛烈な雨が起こり、突風が襲い、彼らは道を誤った。前方を見ることができなかったからだ。そして沙漠を彷徨した。村も、洞窟も、道も見つけられなかったのだ。で、難破した者たちそっくりに、陸之まん中で翻弄され、とある碇泊地のように、神的なシュメオーネースの洞穴にたどりつき、むさ苦しく汚く、わずかな襤褸の毛の外套を両肩の上に載せた人間を目にした。相手は見ると同時に喜び というのも、彼は愛想がよかったから 、来訪の経緯を尋ねた。そこで、起こったことを説明し、要塞に通じる道を教えてくれるよう嘆願すると、「お待ちなさい」と彼は謂った、「そうしたらあなたがたに、渇望している道を教えてくれる案内人たちをすぐに進ぜよう」。そこで彼らは聴従して、一休みした。さて、彼らが座っていると、2頭のライオンがやって来たが、狂暴には見えず、一種主人に対してのように尾を振り、隷従の意を示していた。このものたちに、人々を客遇するよう、また、あの、逸れたためにさまよう羽目になった道まで案内することをも、合図で命じた。
6.3.1
いや、何びとも、この物語を神話のようなものと見なすなかれ。真理の共通の敵対者たちを、真理の証言者として持っているのだから。というのは、その善行に与った人たち本人が、そのことを歌い継いでいたのだから。しかも、これをわたしに物語ったのはあの大イアコーボスであるが、あの人たちが神々しいマローンにこの驚異を物語っているところに居合わせたと彼は謂っていた。そういうわけで、イウゥダイオイ人たちがキリスト教徒の驚異の業を証言しているのに、これをまったく信じない人が、イウゥダイオイ人たちよりも不信心者だと呼ばれたとしても、どうして当然でないことがあろうか。いやしくも、前者は悪意の或る者どもではあっても、真理の光線には譲歩しているのに、後者の善意の人と見なされ、信仰を共にしている者たちが、恩寵の力を証言している敵対者たちを信じないとするならば。
6.4.1
とにかく、このような驚異の結果として、あの神的な人は有名な人となり、近隣の非ギリシア人の中から多数の人々を惹きつけ あの沙漠に住んでいたのは、イスマエールを祖先として自慢している人たちであった 、寂静を恋慕したため、洞窟を後にすることを余儀なくされ、長い道のりの果てに、アマノスと呼ばれる山にたどり着き、これは昔は多くの多神教の狂気に満ちていたが、現在ここで支配的な敬虔を植えつけた。
6.5.1
しかしながら、すべてが物語られるのは、あまりに骨の折れることであり、わたしにはたぶん不可能でもあろう。そこで、ひとつのことに言及し、つまり、彼の使徒的、預言者的驚異の業の一種の性格のようなものを提示して、読者諸氏には、そこから、彼の得た恩寵の強さを理解するよう残して置こう。
夏、収穫の時であった、〔麦の〕束が脱穀場へと運びこまれていた。ところが、ある男が、正当な労苦〔の結果〕に満足できず、他人のものに欲を出し、隣人の麦束からこっそり抜いて、これによって自分の山を増やそうと試みた。しかしながら、盗みに対する神的な投票を下され、旋風が起こり、脱穀場が燃えあがり、あの情けない男は、村からほど遠くないところに宿泊していた神の人をつかまえて、災難を話し、盗みを隠そうと試みた。しかし真実を言うよう命じられて、盗みを告白したところ 受難が自分を告発するよう強制したから 、あの神的な人は、不正からの解放によって罰を解くよう指図した。「なぜなら」と彼は謂った、「おまえがあの麦の束を返すとき、神意に基づくあの火は消えるであろう」。そういう次第で、走っていって、不正された人に、盗まれた麦の穂を差し出し、水もなしに火が、神的な老人の祈りと執り成しによって、消えるのを目にすることができた。
6.6.1
これは周住民たちを畏怖で満たしたのみならず、都市全体を わたしが言っているのはアンティオケイアのことである。この地方はその〔都市〕に帰属していたから かしこに走るよう強い、或る者はダイモーンの狂気からの解放を告げ、或る者は熱病の停止を、或る者は何か他の悩みごとからの癒やしを〔告げざるを得なかった〕。しかし彼は、内住する恩寵の葡萄酒を惜しみなく注ぐを常とした。
6.7.1
しかしながら、さらなる寂静を恋慕して、彼はシナイ山に行くことを欲した。しかし、最善者たちの多数の、同じ哲学を追求している人たちが聞き知って、旅立ちを渇望して、彼と共にすべく参集した。そういう次第で、数多の日々、旅路をつづけて、ソドムの沙漠にやって来たとき、奥深くから手を高く突きだしている人々を遠くから目にし、最初は、ダイモーンの欺瞞かと疑った。そこで彼らはますます熱心に祈ったが、同じものが見えるので、その地点に出発し、狐たちが自分たちのために工夫してつくるよう生まれついているような小さな巣穴を見つけた。しかし、そこに見えたものは何も見えなかった。足音を感知して、両手を突きだしていた者たちは穴の中に隠れたからである。
6.8.1
そこで老人は、〔穴を〕覗きこんで、人間的自然を持っているなら、そして、ダイモーンのようなものが欺くためにああいった恰好をしたのでないなら、わが身が見えるようにくどくど懇願した。「というのも」と彼は謂った、「わたしたちは修道的生活を求め、寂静を恋慕して、この沙漠をさまよっているのです、シナイ山で、あらゆるものらの神を礼拝することを欲して。ここ〔シナイ山〕で、奉仕者モーゥセースにみずからを顕現させ、律法の板を授けられたからであって、神性が場所によって境界を決められていると考えるからではなく というのは、わたしたちはあの人が、「天と地をわたしは満たす、と主は言われた」〔Jer. 23:24〕と、また、「地の蒼穹で、そこに住む者たちをイナゴのように見られる」〔Is. 40:22〕と、言っているのを聞いているから 、熱く恋慕する者たちにとって、恋慕される者たちは3倍渇望されるのみならず、それらの臨在と交際を受け入れる場所も、恋慕されるからです」。
6.9.1
これらのことを、そしてこういったことを老人が言うと、隠れていた人間が穴から姿を現した。実際、見かけは粗野で、髪はもじゃもじゃ、顔はしわくちゃ、身体の四肢はみな骸骨のようで、ナツメヤシの新芽で縫い合わされた汚い襤褸のようなものをまとっていた。そして〔野人は〕歓迎し、平安の挨拶を与えたうえで、何者で、どっからやって来て、どこへ行くのかと尋ねた。そこで彼〔老人〕が質問に答えもし、どこからやって来て、いったいどうしてこの生活を選んだのか、問い返しもした。すると相手が、「あなたがたが持って出かけたと同じ欲求をわたしも持っていた」と謂った、「そして、ある知己で、考えを同じくし、わたしと同じ目的を所有する者とこの道中を共にした。で、死によっても交わりを棄てぬとお互いに誓いを交わした。まさしくそういうわけで、旅の途上、その者がここで生の終わりを迎えることになった。そこでわたしは誓いの枷にしたがって、可能なかぎり穴を掘り、死体を埋葬に付したのです。そして、この墓の傍に、わたし自身のために別の墓を掘り、ここで生の終わりを待ち、主にいつもどおりの勤行を捧げているのです。食べ物としては、ある兄弟が運ぶよう保護者によって下命されたナツメヤシを持っています」。
6.10.1
これらのことがそういうふうに言われたとき、遠くからライオンが現れた。しかし、老人に同行した者たちが怯えるので、穴の上に坐っていた彼が察して、立ち上がって、別の部分に移動するようライオンに合図した。すると〔ライオン〕はすぐに聴従して、行って、ナツメヤシの房を持って来た。次いで再びくるりと向きを変えて立ち去り、人々から遠く離れて寝そべり、眠った。そこで、〔行者は〕ナツメヤシを全員に分配し、自分たちのために祈りと詩篇詠唱を共にし、勤行が終わると、夜明けに挨拶して、新奇な光景に驚いている人たちを送り出したのであった。
6.11.1
もしも、述べられている事柄を信じない人がいるなら、大エーリアースの生活態度と、鴉たちの給仕を思い起こすがよい。〔烏たちは〕朝にはパンを、日没時には肉を彼に運びつづけたのだ〔Cf. 1Kgs. 17:6〕。全体の創造者には、みずからの者たちに対する奉仕への種々多様な通路を見出すことは、容易なのだ。そういうふうにして、イオーナース〔ヨナ〕を海獣の腹の中で3日3晩守り抜き、穴倉の中でライオンたちがダニエールを畏怖するように調え、無魂の火が合理的に働いて内にいる者たちは照らし、外にいる者たちは燃えあがらせたのである。もちろん、神的な力についてわたしが証明を捧げるのは、余計なことであるが。
6.12.1
さて、渇望されていた山に彼らが着くと、謂われているところでは、あの驚異の年寄りは、モーウセースが神を見る価値ありとされ、死すべき者の自然によって可能なかぎり目にしたあの場所で、跪き、主的好意を彼に告げる神的な声が聞こえるまで、立つことがなかったという。そしてまる1週間の期間、そういうふうにかがみこみつづけ、少しの食べ物も摂らなかった時、生じた声が、彼に差し出されたものらをも摂るようにとも、喜んで喰うようにとも言いつけた。そこで彼が手を延ばし、3個の林檎を見つけて、授けた者の言いつけどおりそれらで満腹し、完全な力に満たされるとともに、当然ながら、いっしょにいる者たちを心の喜びをもって迎え入れた。そういう次第で、大喜びし、いい気持ちになって帰った。神的な声を聞きもし、さらには、神からの賜物たる食べ物を享受しもしたからである。
6.13.1
そして帰ると、哲学の觀行堂場を2つ建てた、ひとつは、わたしたちが前述した山の尾根に、もうひとつは、山麓の下のすぐ裾に。各道場には、徳の闘技者たちを集め、それとこれ〔両方の〕体育教師にして家庭教師となり、対戦者や敵手の攻撃を教え、競技審判者の好意を請け合い、勇むよう励まし、知慮を注入し、本性の同じ者たちには適度であること(metriavzein〔慎ましくあること〕)を命じ、敵対的な者には、度胸を発揮するよういいつけた。
6.14.1
このようなことを教え、そういうふうに生きて、これほどの驚異の業をし、閃光を放ったうえで、骨の折れる生の終わりを迎え入れ、不老、無痛の生へと彼は旅立った、消えることなき利得と、いつまでも持続する記憶を後に残して。しかし、存命中のこの人の祝福を、わたしの浄福にして、三倍浄福な教母は享受し、この人の物語の多くをわたしにしばしばささげられた。わたしとしては、今、彼の有力な執り成しに与れることを願い、また与れるであろうことをわたしは知っている。というのは、要請を完全にかなえられるであろうから、主の人間愛を模倣して。
7."t".1
パッラディオス
7.1.1
周知のパッラディオスはといえば、この人と時代も生き方も同じで、馴染み深くて、知己であった。というのは、言い伝えでは、お互いのところに通い合い、お互いに利益を享受していたという。お互いに切磋琢磨し、神的な渇仰へと励まし合って。とある小屋に閉じこもっていたが、その小屋は最大の、人口稠密な村の近くにあった。イムメーというのが、その村の名前であった。さて、この人の堅忍、断食、徹夜、絶えざる礼拝について詳述することは、余計なことだとわたしは考える。なぜなら、それらにおいては、7.1.10 あの神的なシュメオーンと同じ軛を引いていたからである。
7.2.1
しかし、今日に至るもなお讃えられている驚異──あの人の声によっても手によっても行われた──は、詳述さるべきだとわたしは考えた。祝祭が前述の村で開催され、あらゆる所から貿易商人たちを集め、大変な数の大衆を迎え入れた。この中で、ある貿易商人が、携えてやって来たものを売り払い、金貨を掻き集め、夜の間に引き上げたいと思った。ところがある人殺しが、集められたその金貨を目にして、一種の激情と狂気に憑かれ、眉目から眠気を追い払い、7.2.10 その人の旅立ちを見張った。そして雄鶏が時を告げた後、前者は勇んで出発した。後者は先回りして、待ち伏せに適したある場所にひそみ、不意に襲って一撃をくらわせ、血塗られた殺人を敢行した。さらに、他にもこの穢れに不敬行為を付け加えた。というのは、金貨を取った上、その死体を、大パッラディオスの扉のところに投げ捨てたのである。
7.3.1
さて、朝になり、噂が走り、祝祭のすべてが出来事を騒ぎ立て、あらゆる人々が押しかけ、扉をぶちこわして、殺害のかどで神的なパッラディオスを厳しく責め立てた。そうする者たちの一人は、殺害の張本人であった。とにかく、これほどの人たちに取り囲まれながら、神々しい人は、天を見上げ、精神によって天を越え、誣告の虚偽を反駁し、隠された真理を明らかに表すよう、主に嘆願した。そのように祈って、横たわった者の右手をとって、7.3.10「云ってください」と彼は謂った、「おお、お若い方よ、誰があなたにこの一撃をくらわせたのか。穢れの張本人を示し、7.3.13 この邪な誣告から自由にする無実を明らかにしたまえ」。すると、言葉には言葉が従い、右手には人間が〔従って〕、横たわった者は居合わせた人々を見まわし、指で人殺しを指し示した。すると皆から叫びが起こった──驚異に圧倒され、出来した誣告を嘆く人たち皆から。そこで、その血塗られた人殺しを脱衣させて、なお血に染まったままの戦刀と、7.3.20 殺害の引き金となったあの金貨をも発見した。こうして、神的なパッラディオスは、以前からも立派な人であったが、当然ながら、この件でなお立派な人となった。というのは、驚異は、神のもとでのこの人の神交(parrhsiva)を示すに充分だったからである。
7.4.1
さらにまた神々しいアブラアメースも、同じ講中の人であった。彼はいわゆるパラトモスという所に住んでいた人で、あらゆる所に徳のきらめきを発散していた。生の光明によって証しているのは、死後に活動した驚異である。すなわち、その人の容れ物〔=墓〕は、ありとあらゆる癒しをほとばしらせ、証人は、信心によってそこからそれら〔癒し〕を惜しみなく汲みとった人たちである。わたしもまた、その人たちの助けに与れますように、その人たちの思い出によってわが舌を捧げるわたしも。
8."t".1
アプラアテース
8.1.1
あらゆる人間どもの自然はひとつであり、ギリシア人であれ非ギリシア人であれ、望む者たちにとって哲学することは容易であるということを学び知るのは、多くのところで、他のところからも、簡単だけれど、これを明らかにするには、アプラアテースひとりでも充分である。
というのは、この人物は、無法きわまりないペルシア人たちの中で生まれも育ちもしたが、そういう親から芽生え、あの連中の掟を教育されながら、これほどの徳へと駆り立てられて、敬虔な者たちからうまれ、子どもの時から敬虔な養育を受けてきた者たちをも隠すほどになった。というのは、第一には、生まれ それは名門であり輝かしいものであった を軽蔑し、父祖のマゴス僧を模倣して、主への跪拝へと馳せ参じた。次には、同族たちの不敬虔を嫌悪して、みずからの〔国〕よりは他国を優先させ、エデッサ これは最大にして人口稠密、敬虔さをとりわけ自負している都市であった に到着し、市壁の外に小屋を見つけ、自分自身を閉じこめて、みずからの魂の世話をした、あたかも最善の農夫のように、情動の茨を根こそぎ切り捨てて、神的な畑をきれいにして、福音の種子から 8.1.20 季節の果実を主に捧げて。
8.2.1
そこ〔エデッサ〕からは、異端の嵐のせいでひどく紛糾したアンティオケイアに至り、街の前にある哲学の思索所に腰を落ち着け、ギリシア語のわずかな言い廻しのようなものを学び、できるかぎり多数の人々を神的預言への傾聴に引きつけ、ギリシア語・非ギリシア語半々の舌で、精神の陣痛を表出した、神的な霊の恩寵からこのようなナマを受けたからである。雄弁を自負し、眉を寄せ、尊大に発声し、演繹論の罠に浮かれた連中のうち、いったい、無教養で非ギリシア的な発声を凌駕した者が、誰かかつていたであろうか。というのは、思量には思量を、神的な言葉には哲学者たちの言葉を彼は対峙させた、偉大なパウロスとともに叫んで、「言葉においては素人だとしても、知識においてはそうではない」〔2Col 11:6〕。この仕方を彼はいつも貫いた、使徒的な声によれば、「思量を破壊し、神の知にさからう高慢を破壊し、あらゆる考え(novhma)を捕虜にして、キリストに聞き従わせる」〔2Col 10:5〕。実際、押し寄せるのを見ることができた、高位高官にある名望家たちも、何らかの兵役に配置された者たちや手作業に携わっている者たちも、簡単に言えば素人たちと兵士たち、教育を受けた者たちも言葉に参入していない者たちも、貧しさとともに生きる者たちも富に際立つ者たちも、そうして、或る者たちは〔あの人によって〕黙って差し出されたものを受け取り、或る者たちは、問いもし、聞きただしもし、言葉〔対話〕のきっかけをつくりもするのを〔見ることができた〕。
8.3.1
しかし、これほどの労苦を呈しながら、共住は決して認めず、他者から自分に寄せられる奉仕よりも自家労働を優先させた。そうして、中庭の扉のところで交わりをし、入って来る者たちに自分で開け、退出する者たちを〔自分で〕送り出した。誰かから何ひとつ、パンも、おかずも、衣服も、受け取ったことはなく、知己の中の一人だけが、彼にパンを調達した。しかし、高齢に達してからは、日没後野菜をも摂った。
8.4.1
言い伝えでは、後に属州総督と執政官となったアンテミオスが、使節に任ぜられて、ペルシアへの旅をしたとき、ペルシア人たちによって織られた内衣を彼〔アプラアテース〕に運んで、こう云ったという。「おお、師父よ、人間どもの各人にはみずからの祖国は甘く、そこに生え出る果実は最も甘いと知っておりますので、御身の祖国からのこの内衣を運んでまいりました、御身はこれを受けとり、わたしめは御身の祝福を返礼いただくことを嘆願します」。すると相手は、最初、それを腰掛けに置くよう指図した。別の話題が話されている最中に、思量が2つに分離して元気が失せたと言った。そこであの者が理由を尋ねると、「わしは一人の」と彼が謂った、「共住者をいつも選び、二人の共住を完全に否定することをわし自身に法としてきた。そういうわけで、16年間、或る者がわしと共住し、喜んでいたところが、ある友がやって来て、わしと共住しようとし、これをとるよう要請する。このことがわしの理性を引き裂く。二人を同時に持つことは許されない。わしは、友は友として歓迎する。だが、わしの心にかなった先の者を追い出すことは嫌でもあり不正でもあると思うからじゃ」。すると相手が、「尤もなことです」と謂った、8.4.20「おお、師父よ、長い期間奉仕してきた者を、ふさわしくない者として追い出し、みずからの性格の試みをまだ与えたことのない者を、祖国〔が同じという〕だけで引きこむのは、神法にかなったことではないのですから」。これに対して神的なアプラアテースが、「それでは」と謂った、「おお、驚嘆すべき人よ、この内衣は受け取らないことにしよう。2つを取ることは我慢ならないのじゃから。これほどの期間わしに仕えてきた者は、わしの票に従えばより甘く、あなたの票に従ってもまさっているのじゃから」。このようにアンテミオスを計略に掛け、機知の驚異を見せつけて、以後、内衣についてあの者の言葉を自分に持ち出さないよう納得させたのである。
8.4.30
わたしが以上のことを詳述したのは、2つのことを同時に示したかったからである、つまり、彼はたったひとつ〔の衣服〕から身体にとって満ち足りた奉仕を受け取っているということ、また、受け取ってはならないということに賛成票を投ずることを嘆願者が受け容れるよう整えさせるほどの知恵に満たされていたということである。
8.5.1
しかしながら、以上のこと、また、以上のようなことは後に残して、もっと大きなことを話したい。
神に憎まれるイウゥリアーノスが、非ギリシア人〔の地〕で不敬の償いをしたとき、敬虔の養育者たちは、わずかな凪を享受した、イオビアーノスがローマ人たちの嚮導の操舵を受け継いだからである。しかし、この人物も、ごくわずかな期間王支配した後、生涯を終え、ウゥアレースが東方の嚮導権を引き継いだので、再び旋風と暴風が、われわれのまわりの海洋を煽りたて、8.5.10 大波の困難さが目覚め、第三波が至る処から船に突撃してきた。しかし、嵐をもっと困難なものにしたのは、操舵者たちの欠如であった。というのは、こういう人たちを、敬虔に対してのみ不敵な王が、辺境を超えた〔地〕に住むよう強いたからである。しかも、これほどの違法を発揮しながら、涜神に満腹することがなかった。むしろ、敬虔な人たちの集団すべてを散らした、その群を野獣のように引き裂くことを愛勝して。そのため、彼らをあらゆる教会から放逐しただけでなく、辺境からも、河の土手からも、練兵場からも〔放逐した〕 というのは、これらの場所 8.5.20 すべてを変えつづけていたからである、軍務の 8.5.21 片手間に行ったので。スキュタイも他の非ギリシア人も、イストロスからプロポンティスに至るトラーキア全土を破廉恥に蹂躙した。しかし彼は、連中には、俗諺でいえば、静止した耳にも傾聴することを受け容れられず、同族の者たちやその服従者たちや、敬虔において輝かしい者たちに対してさえ、武器を用いたのであった。?
8.6.1
他方、神の民は、時ならぬあの諸悪を慨嘆し、ダウィドの頌歌を朗誦した。「バビュローンの河のほとり、そこにわたしたちは坐って、わたしたちはシオーンを思い出して泣いた」〔Ps 137:1〕。しかし、頌歌の残りは、もはや彼らに合致しない。なぜなら、アプラアテースとプラビアーノスとディオドーロスは、教えの楽器が柳の樹に吊されることを許さず、こう云うことも我慢しないからである。「他所の地にあって主の頌歌を喜ぶことがどうしてあろうか」〔Ps 137:4〕。いや、山にあっても、平野にあっても、町にあっても、郊外にあっても、8.6.10 家の中にあっても、田畑にあっても、彼らは絶え間なく主の頌歌を歌った。というのは、彼らはダウィドから次のことを学知していたからだ。「大地と、そこに満てるもの、〔人の住まいする〕世界と、そこに住む者はみな、主のものである」〔Ps 24:1〕。さらにまた、同じ預言者がこう言うのを彼らは聞いていた、「主を祝福せよ、彼の仕事のすべてよ、彼の主宰するあらゆる場において」〔Ps 103:22〕。さらに、神々しいパウロスが伝達するのも彼らは聞いていた、「男たちはどんな場所でも、怒りと議論を去って、浄い手を挙げて祈るべし」〔1Tim 2:8〕。さらに主ご自身も、サマリア女と対話された際、もっとはっきりとこのことを預言なさった。8.6.20「というのは、アメーンを」と謂われた、「わたしはあなたに言おう、女よ、この場でもなく、ヒエロソリュモスでもなく、あらゆる場所で主に祈る時節がやって来る、今がそれである、と」〔Jn 4:21-23〕。このことを、家の中でも市場の中でも、つまり、使徒的に云うなら「公開の場でも家々の中でも」〔Act 20:20〕証人として、一種最善の将軍のように、みずからの味方は武装させ、敵対者は突き刺す者として、ありつづけた。
8.7.1
実際、偉大なプラビアーノスや神的なディオドーロスは、この時代、羊飼いの助手(uJpopoimaivnw)、次席座主にあたいする者として、わたしが前述した当のことを実践したことは、驚嘆すべきことであり、賞讃に値することであった。しかしながら、彼らがそれを実践したのは、前衛に立つ将軍として、将軍術の法に遵ったからである。これに反し、最知のアプラアテースがこれらの闘技に跳びこんだのは、志願者としてであった。というのは、寂静とともに養育され、単独で生きることを選択し、俗諺を借りれば、矢弾の外にあって、戦争の激しさを見ても、みずからの 8.7.10 安全性を歓愛することなく、寂静の好機におさらばして、敬虔者たちの密集隊の前衛となったからである、生き方と言葉と驚異とによって打倒し、打倒されることは決してなく。
8.8.1
実際、あるとき、あらゆる点で愚かな王が、彼が練兵場に入って行くのを見て というのは、そのとき、三位一体の信奉者たちがそこに集まることになっていたので、彼が河の土手に沿って歩いているのを、或る者が王宮から王に示したからだが 息せきってどこに急いでいるのかと尋ねた。そこで彼〔アプラアテース〕が、世界と王国のために祈りをするために行くのですと言上すると、今度は王が応えた。「一体また何で、単独の生を公言しながら、静寂を置き去りにして、8.8.10 ぬけぬけとおまえは市場を歩いているのか?」。そこで彼が というのも、主を真似て、いつも譬えを使って推論し慣れていたものだから 、「わたしに云ってください」と謂った、「おお、王よ、わたしがたまたま処女で、ある内室に隠れていたところが、一種の火が父の家に燃えついいぇいるのを目にしたら、何をするようわたしに忠告なさいますか、炎が燃えあがるのを目にし、家が焼けるのを見た処女に? 中に坐ったまま、家が燃えるのを座視するよう? いや、そういうふうであったら、わたしも火事の犠牲者となるでしょう。しかし、駈けていって、水を運び、あちらこちらに走りまわって、炎を消さねばならないとおっしゃるなら、わたしを非難してはなりません、8.8.20 王よ、それと同じことをしているわたしを。なぜなら、内室にこもった処女に忠告なさったこと、それを実行するようわたしは強制されているのですから、わたしは独生を公言しているのに。そこで、静寂を置き去りにしたわたしを非難なさるなら、神的な家にこの炎を投げこんだあなたご自身に非難を投げつけて、消火を強制されているわたしに投げつけてなりません。なぜなら、出火した父の家を援助するのがもちろんふさわしいことは、あなたご自身も同意なさった。で、地上の父たちよりも神が真正であることは、万人に、神事に完全には入信していない者にとってさえきっと明らかであろう。だから、目標に外れたことは何も、最初の選択と逆のことをわたしたちは行っているのではないのです、おお、8.8.30 王よ、わたしたちが敬虔の養い親たちを集め、牧し、彼らに神的な牧草を給するのは」。以上のことが述べられたので、王はといえば沈黙で賛成票を投じた、弁明の義しさに論断されたからである。
8.9.1
で、男にも女にも数えられず、父親になる時も奪われ、そのため王に好意的だと思われ、そこから名称を得た者たちの中のある一人、この人物が以前から神的な人を悪罵して、死をもって脅迫していたが、その不敵の償いをするまでに長くはかからなかった。というのは、王が浴場で身体を癒そうとしたので、この惨めな奴が、〔湯加減が〕いい具合に混ぜ合わさせたかどうか浴槽を検分しようと前もって入っていった。だが、心を眩まされ、かきまぜられていない熱湯の入った湯槽の中に跳びこんだ、そうして、誰も助けに来なかったので 具合がよいかどうか検分しようと、一人で入っていったので 煮られつづけて、ついに亡くなった。そのあいだ、時間がかかったので、王は別の者にあの者を呼びに遣った。しかしこの者は、宮居のどこにも見つけられず、王に報告した。このため、もっと多人数があらゆる浴場へと突入して調べあげ、最終的に、彼は転落して生命を失ったというあの見解に達した。そこで大騒ぎとなり、みなが泣き悲しみ、或る者はあの熱湯をかき出し、或る者は三倍不幸な 8.9.20 死体を引き上げたのだった。
8.10.1
ここから、恐怖が王と、敬虔に対して武装する連中全員に襲った。また、あの悲惨な男が、アプラアテースに対する酒乱のどのような償いを果たしたという噂が都市中にこだまし、誰もがアプラアテースの神を讃美しつづけた。このことが、せがむ連中がいたにもかかわらず、神の人が陶片追放されることを防いだ。というのは、王が怖がって、それを勧告する連中を追い払い、あの人を畏怖したからである。
8.11.1
また彼〔王〕は彼の徳を他所からも知った。
生まれつきのよい馬で、騎乗を非常によく調教されたのが、すこぶる王のお気に入りであった。これにある病状が結果し、王を悩ませた。つまり、それの分泌作用が尿の排泄を中止したのだ。この治療のために、この術知を修練した者たちが呼ばれた。だがそれも敗北し、王は苦悩し、馬たちの世話を信任されている者は嘆いた。しかし敬虔な者であり、信仰の強い者であったので、昼日中、馬を伴って 8.11.10 偉大なアプラアテースの住み家にやって来て、病状を云い、信仰を明かしたうえで、祈りによって病を解くよう嘆願した。すると彼は、何の躊躇もなく、ただちに神に嘆願したうえで、井戸から水が汲み上げられるよう命じ、これに救主の十字架の徴を当て、馬にやるよう指図した。そこで彼は、慣例に反して、飲ませた。次いで、オリーブ油を祈祷(ejpiklhvsiV)によって神的祝福で満たしたうえで、馬の腹に塗布すると、手が触れるとすぐに病状は治り、たちまち分泌作用は 8.11.19 もとどおりになった。そういうわけで、その人は喜んで、馬を連れて、8.11.20 ばばに帰った。
8.12.1
さて、夕方遅くなって というのは、王はこの時機に馬場に通うのが慣わしであったから やって来て、馬の具合はどうか尋ねた。そこで彼はその健康さを合図し、強壮で、踊り跳ね、嘶き、頸を誇らしげにのばした馬を引き出してきたので、健康の理由を問いただした。そして、云うことを何度も引き延ばしたが というのは、医師を教えることを恐れた、問われている者が嫌われていることを知っていたから 、ついには真実を云うよう強いられて、治療の仕方をも教えた。王は仰天し、8.12.10 男が讃嘆に値することを認めた。だが、それまでの狂気から解放されることなく、非ギリシア人の火の犠牲となるまで、反単生者にとどまりつづけ、家僕とか物乞いたちに等しく、埋葬の価値あるとさえ認められなかった。
8.13.1
神的なアプラアテースはといえば、あの豪雨の中でさえみずからの徳を示し、凪になっても、等しいことをしつづけた。他にも無量の驚異を働いたが、その中のひとつふたつに言及しよう。
貴族階級に属し、放縦な男と結婚の軛を分け合ったある女が、あの浄福な人のもとにやって来て、みずからの不幸せをがなりたてた。つまり、彼女が謂うには、夫はしばしば一種魔術的な策略に乗り移られて魔法にかかり、結婚の法によって軛につけられた 8.13.10 自分の方には敵意をもっている。女がこれを言ったのは、中庭の扉の前に立ってである。というのは、そういうふうに、扉の前で対話するのが慣わしだったからである。扉の内に女はひとりとして迎え入れられたことがなかったからである。さて、このときは、金切り声をあげる女に同情して、祈りによって魔法の活力を弱め、それによって、彼女に寄進されたオリーヴ油の壺を神的呪文によって聖別したうえで、これを塗布するよう指図した。その言いつけを彼女は果たすと、配偶者の恋情を自分の方へと変え、違法な同衾よりも適法なそれを選択する気にさせた。
8.14.1
さらにまた、言い伝えでは、あるとき、突如、イナゴが大地を襲い、火によってのようにあらゆるものを、作物も、植物も、湿地も、森も牧草も、さらに費やしたとき、ある敬虔なひとが彼のもとにやって来て、懇願した、畑はひとつ持ち、自分自身と妻と子どもたちと家僕たちを助けるようこれに加えて王への年貢を捧げる すると、またもや主の人間愛を真似て、水1クゥスを自分にもってくるよう言いつけた。そこで、祈りを申し出た人が1クゥスを持って来ると、8.14.10 この者に手を当て、神的な力のナマを注ぐよう神に嘆願した。次いで、祈りを終えると、地所の境界にその水をまくよう指図した。そこで彼はこれを持っていって、指図されたことを実行し、あの畑に、敵することもこぼつこともできない防壁の代用とした。というのは、あの境界に至るまで、軍隊のように這いまわり飛びまわっていたバッタたちが、押し当てられた祝言を恐れて再び後方へ引き、一種の轡によってのように押しつけられ、前進することを防止されたからである。
8.15.1
いったい、あの浄福な魂によって働かれた業すべてを言い尽くす必要があろうか。というのは、次のことも彼に宿る恩寵の輝きを示すに充分だからである。わたしも、まだ若者であり、あの人のもとへの旅を母と共にしたとき、あの人の目撃者となり、あの聖なる右手の祝福を採集した。そうして彼女には、仕来りどおり扉を半開きにして対話と祝福にあたいする者となした。しかしわたしは、内に迎え入れ、わたしのために礼拝の富に与らせた。今もその〔祈り〕8.15.10 を享受するのは、彼が生きていることを信じ、天使たちとともに合唱し、以前よりももっと多く神と神交(parrhsiva)していると信じるからである。というのは、かつては、それ〔神交〕は身体の死すべきものに より多い神交(parrhsiva)が自暴自棄の口実とならないよう、身体の可死性によって測られた。が、情動の重荷を棄てた今は、勝利をもたらした闘技者として、審判員と神交するのである。それゆえまた、彼から執り成しに与れるようわたしは嘆願する。
9."t".1
ペトロス
9.1.1
ガラタイ人たちというヨーロッパにおける西方の人たちのことは、われわれは聞いているし、アジアにおけるその人たちの同族、黒海のほとりポントスに住む人たちのことは、われわれは知っている。そこから芽生えたのが、三倍もそれ以上も浄福なペトロスである。噂では、陣痛から7年間は、両親のもとで養育され、以後の全生涯は哲学の競技で過ごした。命終したのは、99年生きた後と言われている。したがって、92年間闘技し、すべての昼も夜も 9.1.10 勝利をもたらす道を進んだ人を、誰がふさわしく讃嘆し得ようか。また、幼児期、少年期、青年期、成人期、中年期、老年期、高齢期に労苦され成就した事柄の話に足るいかなる弁舌があろうか。あの人の発汗を誰が測り得ようか。これほどの期間行われた格闘を誰が数えられよう。いかなる言葉が、彼によって播かれた種子とか束ねられた束に到達し得よう。美しき取引によって集められた利得を精確に見おろすほどの精神的高みに誰が達し得ようか。あの人の成功の大洋をわたしは知っている、9.1.20 だからこそ、話の報告に乗り出すことを、言葉が溺れはしまいかと恐れるのである。そのために、海沿いに歩み、大洋の前にある内陸側のことを讃嘆し、話すことにしよう。だが、深みは、神的な書〔Cf. 1Col 2:10〕にしたがって、深みを探り、隠されたことを知ろうとする人に残しておこう。
9.2.1
そういうわけで、この人は最初、ガラテイアで闘技した。そこから、調査研究のためにパレスティナにやって来た。救済が受難をこうむった場所を見て、救済した神をそれらの場所で礼拝するためである、場所に限定されたものとしてではなく というのは、あの方の自然の〔〕は無限定であることを彼は知っていたから 、渇仰されるものらの観想で両眼をもてなし、魂の視覚だけでなく、信仰によって、〔肉眼の〕視覚なしに、霊的逸楽をも享受するためであった。というのは、ある人を愛慕する人たちは、9.2.10 その人を観ることからだけでなく、家も衣裳も履き物も、まったき好機嫌さをもって観ることからも喜びを収穫するのが自然だからである。花婿についてこの恋情を持って、雅歌の中で花嫁は大声で言う。「林の中に林檎の樹があるように、わたしの愛する人は若人たちの中にそびえる。わたしはその蔭に、熱望して坐し、その果実をわたしの喉に甘い」〔Sg 2:3〕。だから、この神的な人は、花婿に同じ恋情を受け入れ、花嫁の言辞を使って詩作しても何らおかしなことではなかった。9.2.20「わたしは歓愛に傷つき」〔Sg 5:8〕。あたかも花婿の一種の蔭を観ることを渇望し、あらゆる人間どもに救いの泉をほとばしらせた場所を観に出かけた。
9.3.1
まさにそういう次第で、渇望しているものらを享受したうえで、腰を落ち着けたのは、アンティオケイアであった。で、この都市の愛神ぶりを観て、祖国よりも寄寓している都市の方を選択し、同市民と考えたのは、部族を同じくする者たちや生まれを同じくする者たちではなく、心を同じくする者たちや、信仰の共有者たち、敬虔の軛を引く者たちであった。そして、この暇つぶしを歓愛したため、天幕を張ることなく、修屋を建てることなく、小家を起こすことなく、他人の墓の中で全時間住持した。この〔墓〕は上階と、9.3.10 突きだした一種の露台を有し、これに梯子が付いていて、登ることを望む者たちを 9.3.11 受け容れた。この中にできるかぎり多くの時間閉じこもりつづけ、水は冷たいのを用い、パンだけを食べて、それも毎日ではなく、1日は食なしのまま、後の日にそれらだけを摂ったのである。
9.4.1
さて、ある人が、コリュバースのようになり、狂気に陥り、邪悪なダイモーンの活動に満たされてやって来たので、これを祈りによって浄め、あの熱狂から自由にしてやった。ところが、立ち去ることを望まず、その治療の返礼に奉公を熱心に嘆願し、みずから共住を買って出た。わたしはこの人をも知っており、驚異を記憶し、治療の報酬を目撃し、わたしについて彼らに生じた対話を耳にした。つまり、ダニエーロス これが彼の名前であった が言うには、9.4.10 彼のこの美しい奉公にわたしも共有したという。そこで、あの神々しい人は、わたしに関して生みの親たちの愛情を思量して、それが生じたと同意しなかった。そのかわり、しばしばわたしを膝に乗せて、葡萄の房とパンでわたしを育てた。というのは、彼の霊的恩寵の経験を母は受けて、各週に一度わたしがその祝福を採集するよう命じた。
9.5.1
ところで、彼が彼女の知り合いになったのは、次のような理由による。彼女の片眼に、医術の知識をしのぐ病状がふりかかったことが判明した。というのは、昔の人たちによって著されたことにしろ、その後の人たちに発見されたことにしろ、その病気に適用されなかったことは何もなかったからである。そこで、すべて〔の療法〕を吟味し、何ひとつ役に立たないことを示したとき、知己のある女がやって来て、神的な人物のことを報せ、これによってなされた驚異を教えた。すなわち〔彼女が〕言うには、当時東方の舵を取っていた人 この人物はペルガモン人であった の配偶者が、9.5.10 この病状に陥っていたのを、かの人物が祈りと〔十字の〕印を使って治癒させたと。
9.6.1
母は聞くや、すぐさま神的な人物のもとに急いだ。ところで、彼女は耳飾りと首飾り、他にも黄金の装飾品や、絹糸で織られた多彩な衣裳を身につけていた。というのは、もっと完全な徳をいまだ身につけていなかったからである。また、時も花盛りにあり、若さの飾りに身を許していた。そこで、神々しい頭〔=人〕はそれを観て、次のような言葉を使って、装飾愛の弱さを治療した。「わしに云ってくれ」と彼は謂った、「おお、小さい子よ(わたしは彼の声を使い、9.6.10 あの聖なる舌の呼びかけを変えない)、ある肖像画家で、その術知をよくよく修練し、術知の法が指示するとおりにある似像を描き、見ることを望む者たちにこれを差し出すが、別の或る者は、その術知を正確には知らず、何を描こうと思おうと、思われるものをぞんざいに扱い、次いで、あの術知的肖像に非難されて、眉毛や睫毛にもっと長い線を付け加え、顔はもっと白く、両頬に紅色を挿入するなら、最初の肖像画家が、彼によって術知があまりに侮辱され、無学な手によって不必要な付加を受け容れられたとして憤慨するのは尤もだとそなたに思われるのではないか。それなら」と彼は謂った、「万物の創造主、われわれの自然の造形者にして肖像画家たる方が、憤慨なさるのは尤もだと信じよ、口にすべからざるあの知恵を、無学の廉でそなたは告発しているのじゃから。なぜなら、そなたらにこの付け加えが欠けているとみなしたのでないなら、紅色や白色や黒色を注ぎこむことをなかったろうから。身体がそれらを必要としている推測したそなたらは、創作者を弱さの廉で有罪評決した。じゃが、〔あのかたは〕御心に見合った力をお持ちだということを知るべきである。なぜならダウィドが謂うには、9.6.30『主は御心にかなうことすべてを行われる』〔Ps 115:3〕のじゃから。これに反し、有益なことは万人に前慮して、有害なことをお与えになることはない。されば、神の似像を台無しにしてはならぬし、賢明にもお授けにならなかったことを付け加える試みをしてもなぬし、見る者たちに策謀して、慎み深い女たちをさえ害するところの、このまがいものの美に思いを致してはならぬ」。
9.7.1
これを、あらゆる点で最善の女性が聞くや、たちまちペトロスの曳き網の中に入った というのは、この人物もまた同名によって同じように漁師だったから〔Cf. Mt 4:18-19〕 、脚に触れ、鑽仰して、眼に治療を施してくれるよう嘆願した。しかしその人は、〔只の人〕であり、彼女と同じ自然をもち、過ちの多くの荷をにない、そのためにこそ神との神交(parrhsiva)を奪われていると言った。しかし、母が泣き、懇願し、癒やしに与れないなら、立ち去らないと主張するので、その癒やし手は 9.7.10 神であり、信ずる者たちにはいつも願いを奉仕なさると彼が謂った。「されば今もお授けになるであろう」と彼が云った、「恩寵をわしに贈りになるのではなく、そなたの信仰をご覧になればな。されば、そなたがもしもこの混ざり気なき、純真な、あらゆる迷いから免れた〔信仰〕を持っているなら、医師たちにも医薬にもおさらばして、この神与の薬を享がよい」。こう云って、手を眼に当て、救い主の十字架の徴を押し当てて、病を追い払った」。
9.8.1
それから〔母は〕家に帰ると、薬〔顔料〕を洗い落とし、外面的な飾りをすべてかなぐり捨てて、医師によってあてがわれた法習どおりに生活して、多彩な衣裳をまとうこともなく、黄金でめかしこむこともなくなった。それも、年齢的にすこぶる若い時を過ごしているにもかかわらずである。というのは、生年にして23歳で、まだ母親になっていなかった。というのは、7年生き加えてわたしを産む陣痛を受けたが、それを受けたのが最初であり、唯一の陣痛であったのだ。偉大なペトロスの教えからこれほどの利益を得、9.8.10 身体にも癒やしを追い求め、魂の良好をも加えて入手するという、二重の治療を受けた。このようなことを、あの人は言うことでも発揮し、祈ることでも強力であった。
9.9.1
他の折には、ある邪悪なダイモーンに悩まされている料理人の家僕を彼女は連れて来て、彼らからの助けに与るよう嘆願した。そこで神的な人が祈ったうえで、ダイモーンに、神の被造物に対する権柄の理由を云うよう命じた。すると相手〔ダイモーン〕は、まるで、人殺しか壁破りかなんぞが、裁判官の席の前に立って、しでかしてきたことを言うよう下命されたかのように、真実を言うよう強制されて、いつもとは違って恐れからあらいざらい詳しく述べた。そうして謂ったのは、ヘーリウゥポリスで、この家僕の主人が病にかかり、女主人の方は、9.9.10 まさに配偶者が病にかかったので傍に座っていた。彼らが住んでいる家の女主人の若い女奴隷たちは、アンティオケイアで哲学している修道士たちの生と、彼らがダイモーンたちに対して有する強力さとを説明した。次いで、この女たちは、まさしく乙女たちのように巫山戯て、ダイモンになった女や気の狂った女たちの芝居をし、当のあの、山羊皮の外套をまとった家僕を、あの女たちは修道士のようにお祓いをした。「これらが」と〔ダイモーンは〕謂う、「完了したとき、〔わしは〕扉のところに立っていたが、修道士たちに関する法螺話に我慢ならず、あの〔修道士〕たちが持っていると壮語した力能を経験によって学ぶことをわしは望んだ。9.9.20 そのため、若い女奴隷たちを後にして、こいつのなかにわし自身をもぐり込ませたのだ、どういうふうに修道士たちによって追い出されるのかを知ろうとして。今こそ」と〔ダイモーンは〕謂った、「わしはわかった、そうして別の経験は必要としない。おまえが命じるなら、ただちに出て行こう」。こう言って、逃げ去り、家僕は自由を享受した。
9.10.1
さらに別の田舎者でダイモーンに憑かれたのを、母の母で、わたしの乳母なる人が連れて来て、救助するよう悪の敵役に頼んだ。すると彼はまたもや、どこから来たのか、誰から神の被造物に対する権柄を手にられたのか、問いただした。しかしあのものが黙って、答えずに立ちつくしていると、9.10.6 彼は膝をついて祈り、みずからの奉仕者たちの力を異教徒に示すよう神に懇願した。そうしてもう一度立ち上がり、もう一度対抗して黙ったまま、これが第9刻まで及んだ。で、9.10.10 祈りをより熱く、より真剣に主に捧げたうえで、立ち上がって異教徒に向かって言った。「おまえに言いつけるのは、ペトロスではなく、ペトロスの神である。したがって、あの方の力に強いられて答えるがよい」。恥知らずであるにもかかわらず、異教徒は聖人の寛容(ejpieivkeia)を羞じ畏れ、大きな声でこう叫んだ。「アマノス山で暇つぶししておりました、するとこの者が、道で、とある泉から水を引いて飲もうとしているのを目にして、自分の住み家としたのです」。 「しかし出て行くがよい」と神の人は言った、「人の住まいする〔世界〕の十字架にかけられた方が、9.10.20 これをおまえに申しつけなさるのじゃから」。あのものは聞いて、逃げ出し、農夫は乳母のおかげで狂気から自由を取りもどしたのであった。
9.11.1
ほかにも、浄福なあの魂のこれに類した話は無数にあるが、わたしは多衆の弱さを恐れるゆえ、大部分を省略しよう。というのは、自分たちに信頼の眼を注ぐ人たちは、神的な人々の驚異の業を信じないからである。しかしひとつか2つを話したうえで、別の闘技者に移ることにしよう。
9.12.1
以前、放縦なある将軍がいた。さて、ある未婚の乙女が、結婚の時を迎え、この男と夫婦関係に入り、母と親族を後に、闘技者たちの団体を含む女部屋に庇護を求めた。というのは、女たちも男たちと同様闘技し、徳の競走場に降りていたからである。将軍はこの女の逃亡を知って、母親を鞭打ち、吊した。そうして敬虔な女たちの住まいを漏らすまで、縛めから解放しなかった。9.12.10 かくて、みずからの凶悪さを発揮して、そこから乙女を強奪し、屋敷に連れ帰った。かくてみじめな男は、みずからの放縦を満腹させることを希望した。しかしながら、偉大にして邪悪なる試みでパラオを吟味し、アブラアームの妻サッラーのことで、触れえぬ慎みを守り〔Cf. Gen 12:17〕、ソドム人たちが、無体の者〔天使〕たちを外国人として無礼な扱いをしたのを、眼に見えぬもので撃った〔Cf. 19:11〕方、この方が彼の視覚をも眼に見えぬものを投げつけて、網の中から獲物が逃げるよう準備なさった。そうして、部屋の中に当人が入ると、あの女はその中で守られて、たちまち跳び出し消え失せ、9.12.20 彼女にとって三倍渇望された住まいにやって来た。こうして、愚か者は、神的な求婚者を選択した〔女〕を凌駕し得ないことを知り、つかまえても、神的な力で逃げ去る〔女〕をもはや探し求められず、おとなしくならざるを得なかった。
9.13.1
時が過ぎ、彼女は難儀な病状に陥った 病状は癌であったが 。胸が腫れるとともに、苦痛も増大した。しかしながら、苦痛の最盛期に偉大なペトロスを呼び、あの聖なる声が耳に入るとすぐに彼女は、あの痛みのすべてが鎮まり、おかげであのひどい感覚は少しも感じない、と謂った。そのため、じつに繰り返し彼を呼びに遣り、魂の導きを享受した。というのは、あの人が傍にいるときはずっと、痛苦は完全に消え失せると 9.13.10言ったからである。しかしながら、こういうふうに闘技したあの女を、祝勝の称讃とともに、この生から送り出したのであった。
9.14.1
もう一度、わたしの母はといえば、わたしを出産する際の陣痛で、死の扉そのものにさしかかったのを、乳母に懇望されて〔ペトロスが〕やって来て、死の手からひったくった。というのは、謂われているところでは、彼女は横たわっていた、医師たちはあきらめ、家人たちは歎き、臨終を受け容れたので、彼女は眼を閉じ、高熱に取り憑かれ、知己の誰一人認知できなかったからである。ところが、使徒的な名称にも恩寵にも値する人がやって来て、「そなたに平安あれ、小さき子よ」 これが 9.14.10 彼の挨拶であったから と発声するや、たちまち目蓋を開け、彼の方を真っ直ぐ見、祝福の果実を申し出たと言われる。そこで、女たちの合唱隊が金切り声をあげ 落胆と好機嫌とが同時に混じり合っていたから その叫び声を上げると、神的な人は、自分と祈りを共有するよう全員に申しつけた。なぜなら、そういうふうにして、寡婦たちが歎き、偉大なペトロスが彼女らの涙を神に捧げたとき、タビタモ救いに与ったのだ〔Cf. Act 9:36-40〕と彼は言った。彼が命じたとおりに彼らは嘆願し、彼が預言したとおりに彼らは得た。なぜなら、祈りが終わりを迎えたとき、9.14.20 病気も終わりを迎え、とつぜん汗が至るところから流れ出し、あの火が消え、健康の徴が現れたからである。
9.15.1
こういったことが、わたしたちの時代においても、奉仕者たちの祈りを通して、彼の主が働いた驚異であった。この人の皮膚も、最も神的なパウロス同様に着物<を通して>活動した〔Cf. Ac 19:11-12〕。これをもわたしが勘定に入れたのは、かなり誇張してではなく、同意された真実性を持ってである。というのは、みずからの帯を2つに切って 幅広で長く、厚い亜麻布で折られたものであったが 、それの半分はみずからの腰に、他はわたしの〔腰〕に巻いた。これを、母はしばしばは病気したわたしに当て、9.15.10 しばしばは父に〔当てて〕病気を退散させた。また彼女自身も、これを薬として健康目的に使用した。さらに知り合いの多くも、これを知って、たえずこの帯を病人たちの援助のために受け取った。そうして至るところで、あの人の恩寵の活力を教えたのであった。このようにして、これを受け取った或る者が、与えた人たちから盗んだ、善行者たちのことは気にかけずに。この仕方で、あの賜物からわたしたちは裸となった。
9.16.1
このように照り輝き、アンティオコスの〔都市〕を光線で照らした後、闘技から外れた、勝利をもたらす人たちのためにとってある花冠を待機するためである。わたしはといえば、〔彼が〕存命中に享受した祝福、これを今も享受することを心より嘆願したうえで、この話も終わりとしよう。
10."t".1
テオドシオス
10.1.1
ローソスはキリキアの都市で、キリキア湾に入港せんとする者にとって右方にある。この〔都市の〕東と南方に高い山があり、鬱蒼たる蔭濃き樹木に覆われていた。また薮には野生の獣たちをも養っていた。ここに、海に向かって傾斜した谷を見つけ、偉大にして周知のテオドシオスは、ほんの小さな小屋を建て、ひとり、福音書の教えにかなった生活を敬慕していた。身はアンティオケイアの出で、生まれの輝かしさのおかげで有名人であったにもかかわらず、家も同族も、その他のすべてをも捨てたのは、福音書の言葉で云えば、高価な真珠を買う〔Mt. 13:46〕ためであった。 10.2.1
もちろん、断食、地面で寝ること、毛をまとうことについては、あの人の信奉者たちや弟子たちを訪問した人たちや、彼らにおけるその生活態度を目にしている人たちに向かって言うのは、余計なことであろう。とはいえ、それらの点であの人が格別であったのは、導かれる者たちに自分自身を手本として示した点においてであった。これらに加えて、鉄でできた重荷を、頸と、腰と、両手に着けていた。さらには、髪はぼさぼさで、足そのものまで達し、あるいはそれ以上にもなり、そのため、腰に結びつけられていた。
また、祈りと讃歌詠唱を絶え間なく行い、欲望や、怒りや、傲りや、その他魂の野獣たちを寝入らせた。
また、労苦にはいつも労苦を増し加えて、手仕事をも営み、時にはいわゆる籠や団扇を編み、時には谷の中に小さな畑をこしらえ、種子を播き、そこから充分な食糧を集めた。
10.3.1
しかし、時が経つにつれ、彼の名声があまねく知れわたったので、多くの人たちが多くのところから押しかけた、住まいも労苦も生き方も共有しようと欲したのである。そしてこの人たちを受け容れて、この生活へと道案内した。そして、或る者たちは帆布を、或る者たちは毛の上着を織り、或る者たちは敷物とか籠を編み、他の者たちは耕作を引き受けているのを目にすることができた。そして、地所は海のそばにあったから、後に渡し場をこしらえ、これを商品の用に使って、共住者たちの製品を運び出し、必要品を運び込んだ。
というのは、彼は福音書の声を思い出したのである、いわく、「あなたがたの誰にも厄介にならぬよう、夜も昼も働きつづけ」〔2Thess. 3:8〕とか、「この両手が、わたしと、わたしといっしょにいる人たちとを助け」〔Ac. 20:34〕、自分で働くとともに、魂における労苦に身体的発汗をも持ちこむよう、同僚たちに勧めている。「というのも、俗世にとどまっている人たちは、艱難辛苦し、労苦して、子どもたちや女たちを養い、かてて加えて税を納め、貢ぎ物を催促され、神に初穂を奉納し、乞食たちの窮乏をできるかぎり世話してやっているのに、わたしたちの方は、必要不可欠の用品を──それも、食べ物は安価でわずかのを、着物は安価なのを──労苦から得るのではなく、両手を持ちながら、他人の手の成果を享受するというのは、奇妙なことであろう」。これらのこと、および、このようなことを言って、労働へと促したのである、どこででも決まりとなっていた神的奉仕は、好機に挙行し、間の時間は労働に配分して。
10.4.1
客人たちの世話にはとりわけ気をつかい、親切で心ばえの程よさに飾られた者たち、隣人について歓愛心を有する者たちの手にその世話を委ねた。そして自らは、各々のことが決められた法習どおりに遂行されているかどうか精査しつつ全般を監督したのである。
ここからして周知の人物となった結果、航海する人たちや、1千スタディオン以上遠隔の人たちさえも、危難に際してテオドシオスの神に呼びかけ、テオドシオスの称名によって、海の豪雨を鎮めるまでになった。
10.5.1
この人物を、東方の大部分を掠奪し、奴隷としたふてぶてしい粗野な敵たちさえ畏敬した。いったい、われわれの同時代の世界に住んでいる者たちの中に、あの時代に、昔のソリュモイ族、今はイサウリア族と名づけられる者たちのせいでふりかかった諸悪を耳にしたことのない誰がいようか。都市であれ、村であれ、あの者たちは容赦なく、攻略できたかぎりのすべてを掠奪し、火をかけたにもかかわらず、彼らはあの愛知を畏敬し、パンだけを要求し、祈りをいいつけただけで、あの修行者の住まいはそのままに残した、それも一度ならず、二度までもそうしたのであった。
10.6.1
しかしながら、教会の上座たちは、悪魔があの非ギリシア人に、金銭に対する恋情を植えつけて、あの偉大な星が捕虜になるよう仕組むのではないかと──というのも、あの人のためなら、どこからでも、神事を崇拝するあらゆる人たちから、おびただしい身代金が彼らに送られたであろうから──恐れたので、アンティオコス行の旅に出るよう懇願して説得した。というのは、すでに教会の二人の上座を捕虜に取り、全き世話は尽くしていたものの、二人のために1万4千金を受け取って、かくして、いずこなりと望むところに帰ることを許したのであった。さて、アンティオコスの地に到着すると、川の傍の住まいに住みつき、こういったことの採集の仕方を知っている人たち全員を自分に惹きつけた。
10.7.1
ところで、言葉(lovgoV)の勢いに引きずられて、この神々しい人によって行ぜられた驚異を説明することを省略してしまった。それはおそらく多くの人たちには信じられないことでもあると思われようが、しかしながら今に至るまで言葉によって証言しつづけており、この驚異的な人物が神のもとでいかなる恩寵と神交(parrhsiva)に与っていたかを示しているのである。
彼が自ら建てた思案所には、かなり切り立った岩が覆い被さっていた。それで、以前はまったく湿り気なく、乾燥していた。ここに、山頂から修屋に通じる水路を、彼はあたかも水の産出を手許に持っているかのようにつくった。で、神に対する信頼に満たされ、勇んで、当然ながら、好意ある主を所有し、まぎれもない信心を持って、夜間、目をさます、信奉者たちがいつもの祈りをするために起床する前に、水路の先端に登り、礼拝によって神に誓願すると、彼〔神〕を恐れる者たちの意志(qevlhma)を実行する方に信を置いて、たまたま身を支えていた杖(rJavbdoV)で岩を衝いた。するとこれが打つや、水を川のようにほとばしらせた。そうして、水路を通って修屋の中に至り、あらゆる用途に完全に奉仕し、そばにあった海に放出し、今日に至るまで大テオドシオスの恩寵がモーゼの恩寵〔Cf. Ex. 17:6〕として働いたことが示されたのである。
10.7.20
このことだけでも、この人の神との神交(parrhsiva)を示すに充分である。
10.8.1
だが、少しの間生きながらえてのち、彼は天使の合唱舞踏隊の中に移った。そこで、町の中央を通って、その聖なる身体が運ばれたのだが、あの鉄が一種の黄金の冠のように飾られ、万人が、それも大いなる執政を信任された人たちが嚮導した。だが、棺台のまわりには、争いと喧嘩が起こった。これを運ぶことをみなが熱望し、そこから祝福を狙ったからである。このようにして運ばれ、聖なる殉教者たちの廟に安置され、敬虔の競い合いの勝利者イウゥリアノスと同じところ、同じ屋根の下の者となった。また、彼を迎え入れた墓は、あの神々しくも浄福なアプラアーテースをも迎え入れたのである。
10.9.1
ところで、この群の嚮導を引き継いだのは、驚異的なヘッラディオスで、彼はあの場所に60年間住持し、次いでキリキア人たちの上座を神から受け、それまでの哲学を置き去りにすることもなく、日々、あれらの労苦に主教職の発汗を増し加えたのである。
浄福者ローミュロスもこの人の聴聞者であって、最大の群の嚮導者と宣明された。そうして、あの人の合唱舞踏隊は、今日まで同じ生き方を維持しつづけているのである。思案所の傍には、シリア語でマラトーと呼ばれる村がある。
わたしとしては、これで、この説明の終わりに達したので、ここから祝福に与れることをも嘆願しよう。
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