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原始キリスト教世界

シリア修道者史 5








21."t".1
イアコーボス

21.1.1
 公表された徳の闘技者たちの格闘をわたしたちは詳述し、その練習における労苦も、格闘における発汗も、また最も輝かしく、かつ、最も輝きわたる諸々の勝利も、かいつまんで説明したのだからして、では、さあ、今なお存命で、高邁に格闘し、この生き方の先魁をなした人たちを発汗の点で勝利することを愛勝した人たちのことをわたしたちは著し、将来の人たちに利益をもたらす記憶を残すことにしよう。なぜなら、昔、異彩放った聖者たちの生き方が後進に大いなる益を 21.1.10 もたらしたように、われわれの後から来る者たちにこの人たちの話が手本となるだろうから。

21.2.1
 この人たちの先頭を、わたしは偉大なイアコーボスとしよう。というのは、この人物は、期間の点でも労苦の点でも、自余の人々を凌駕し、この人物を渇仰することで、渇仰者たちが最高の驚異と意想外な業を行ったのである。
 しかし、どうしてかは知らないが、この名前は、逝去した人たちもまだ存命する人たちも凌駕しているのである。というのも、あの人たちの生き方を話した際に、神的なあのイアコーボスを先頭としたが、それは彼が、ペルシアのあの軍勢を祈りによって散らし、街の囲壁が崩壊したとき、21.2.10 町が攻略されることも許さず、敵勢が敗走することを強制したのである、彼らに蚊や虻を襲いかからせて。それゆえ、あの方の同名にして同じ性格の彼をして、今なお現存する闘技者たちの集団を凌駕せしめよ、それは命名を共有するからではなく、あの方の徳を渇仰し、自分自身が自余の人たちに対して哲学の手本となったからである。

21.3.1
 というのは、あの大マローンの仲間にして、彼の神的教えに与った彼は、より大きな労苦において師を隠したのであった。というのは、前者は、昔の迷妄の神域を囲い地としてもち、獣皮の毛でこしらえた天幕も張り、これを使って雨や雪の襲来を免れていた。しかし後者は、そういったものすべて、21.3.7 天幕にも小屋にも囲いにもおさらばして、天を屋根とし、大気と反対の襲撃すべてを受け容れ、あるときは猛烈な雨に浸され、21.3.10 あるときは寒気と雪に凍え、他のときは光線に燃え、点火されながら、あらゆることを堅忍したのである。そうして他人の身体においてのように闘技し、身体の自然に勝利すべく熱心に愛勝し — というのは、死すべきものであり情動的なそれ〔身体〕をまとって、無心のように生活するのだから —、身体なき生命を身体において修練しつつ、神々しいパウロスとともに叫んだ。「われわれは肉において歩んでいるが、肉に従って出征しているわけではない。というのは、われわれの武器は肉の〔武器〕ではなく、神による、要塞を破壊することの可能な〔武器〕である。諸々の思量〔議論〕(logismovV)と、神の知識に対して立つ 21.3.20 あらゆる高ぶり(u{ywma)を破壊し、あらゆる思い(novhma)を捕虜にして、クリストスに聞き従わせるためである」〔2Col 10:3-5〕。

21.4.1
 しかしながら、自然を超えたこれらの格闘を、彼はより少ない労苦によって修練した。というのは、最初、とても小さな小屋のなかに自分自身を閉じこめて、外部からの騒ぎから魂を自由にし、神の記憶に理性を釘付けにして、そうやって完全な徳の修練を実践した。しかし、最善のことを鍛錬し、よき労苦に魂が慣れたことを判明させてから、より大きな闘技を敢行した。そうして、この町から30スタディオン離れたこの山にやって来て、以前は無名で、まったく不毛であったのを、21.4.10 有名かつ崇拝されるものと判明させたのである。しかし今は、これほどの祝福を受けた結果、上にある土は、至るところからやって来た人たちが、その益のために運び、なくなったと信じられているほどである。

21.5.1
 ここで過ごすところを居合わせた者たちすべてに見れらたが、それは、彼が、わたしが謂ったように、垣を持たず、天幕を持たず、庵を持たず、冠石を持たず、掩護する壁を持たず、祈っていても観られ、休憩していても、立っていても、坐っていても、健康であっても、何らかの病にかかっていても〔観られ〕、その結果、衆人環視のもとたえず闘技し、自然の必然をも却けることになった。なぜなら、わずかな自由のなかで養育された他の人間たちにとってさえ、他所人が居る所で、糞尿の排泄はふさわしくない、21.5.10 まして、先端的な哲学において修行してきた人物にとっては、いうまでもなくそうであるから。
 これをわたしが言うのも、他の人からこれを聞き知ったのではなく、自分が目撃者だからである。というのは、14年前、難病が彼を見舞い、死すべき身体を有する者に対して当然な?態にした。というのは、夏の盛りで、風は静まりかえり、大気は不動のままとなり、光線の炎がより激しく燃えついた。病状の方は、胆汁が氾濫を下方に運び、腸に咬みつき、突進し、外部へと走らせた。このとき、この人物の大変な堅忍を 21.5.20 わたしは目にしたのであった。というのは、非常に多数の地方出身者たちが、勝利をもたらす身体を引っ捕らえようと集まっていたとき、彼は2つの側に引っ張られながら坐っていた。というのは、自然は、排泄に行くことを強要していたが、傍にいる多衆に対する羞恥は、体面を保つよう強制したのである。で、わたしは、それを知って、参会者たちに一方では数多くの勧告を、他方では数多くの脅迫さえ提示し、立ち去るよう命じた。しまいには、聖職の枷さえ課して、多大な労苦を払って、夕方遅く、送り出したのであった。ところが神的な人は、彼らが立ち去った後でさえ、自然に負けることなく、21.5.30 深夜になるまでずっと堅忍しつづけ、全員が家に帰らざるをえなくさせたのであった。

21.6.1
 また次の日に、再び彼のもとにやって来て、炎熱はより激しく、彼に取り憑いた熱は外部の火に養われて増大しているのをわたしは観たので、頭痛を口実にして、光線の突撃に不機嫌であるとわたしは言い、わたしのために彼の傍にほんの少しの蔭のようなものを急ごしらえするよう頼んだ。そうして彼が指図したので、わたしたちは葦を3本突き立て、これに2枚の山羊の毛皮を被せて蔭を工夫した。で、わたしに入るよう命じたので、「恥ずべきことです」とわたしは謂った、「おお、師父よ、わたしは若くもあり、21.6.10 強壮でもあるのに、涼しくするこの処置にあずかり、あなたこそ、すごい発熱に見舞われ、このような涼しさを必要としているのに、太陽の光線の突撃を受け容れて外に坐っているというのは。だから」とわたしは謂った、「わたしが蔭を享受することをお望みなら、どうかわたしのためにこのわずかな天幕の共有者となってください。というのは、わたしはあなたのおそばにいたいと望んでいるのに、光線によって妨げられるのですから」。そこで、これらの言葉を聞いて彼は譲歩し、わたしの〔わたしに対する〕奉仕を優先させたのである。

21.7.1
 さて、わたしたちが共同で蔭を享受したので、わたしは再び別の言葉を開始して、こう謂った、わたしには横になる必要がある、坐ると尻が無痛ではないから、と。ところが、またもや彼はわたしが横になることを一方では当然視し、他方では、彼が坐っているのを目にしながらわたしが横になることは堪えられないという答えを聞いた。「ですから、もし」とわたしは謂った、「わたしがこの休息をも享受することをお望みなら、いっしょに傍に横になってください、おお、師父よ。そうすれば、わたしだけが横になって赤面することもないでしょうから」。こういう言葉で彼の堅忍を口車に乗せて、横臥から得られる涼しさを 21.7.10 わたしは彼に寄進したのであった。

21.8.1
 地面の上に身を投げだした彼に、わたしが親切な提案をしたのは、魂をもっと心地よいものに転換させようとしたからである。そこで、外衣の中に手を入れ、背中を程よくさすろうと試みた。このとき、鉄の多くの重荷が、腰をも頸をも縛っているのをわたしは目にした。さらに別の鎖も、頸のまわりから、2つは前に、2つは後ろに、斜めに下の輪にまで延び、前と後ろでXの字母形をなして、相互に2つの輪で結びつけられていた。さらに 21.8.10 両手も、別もそのような縛めを、〔外衣の〕裡で手首に有していた。そこで、何タラントンもするこの重荷を目にして、病気で、自発的な重荷と心ならずもの病とを同時に持ち堪えることはできない身体を助けるようわたしは嘆願した。「というのは、今は」とわたしは謂った、「おお、師父よ、熱病が鉄のことを実行しているのですから。だが、これ〔熱病〕が全快したら、そのときこそ鉄に由来する労苦を再び身体に負わせましょう」。彼はこれにも従ったが、このような数多くの呪文をかけられたうえでのことであった。

21.9.1
 しかしながら、このときは、少しの日々病んだうえで、たやすく恢復した。
 しかし、後には、もっと難儀な病に見舞われた。すると多数の人々が、至るところから、その身体を奪い取ろうと参集したので、これを聞いて町の者たちは、将兵たちも私人たちも全員が馳せ参じ、或る者たちは敵の家具を取り上げ、或る者たちは手当たり次第の武器を使った。そうして、播き散らかして争い、命中させようとしてではなく、ただ恐れさせようとして、矢弾を放ち、投石具で石を投じた。そういうふうにして 21.9.10 周住民を追い払い、五種競技の闘技者を寝椅子に乗せが、生起していることには全然感知せず — というのは、自分の髪が田舎者たちによって引っ張られても感知しなかったから —、都市に赴いた。

21.10.1
 で、預言者の神殿に到着して、これに隣接する思索道場に寝椅子を収容した。ところで、ある人がベロイア — わたしはたまたまそこにいたのであるが — にやって来て、生起したことを告げ知らせ、最期の報せをもたらした。そういう次第で、ただちに走り、夜通し歩行についやし、夜明けとともに神的な人のもとに着いたが、〔その人は〕発声することもなく、居合わせる者たちの誰をも見分けられなかった。ところが、わたしが話しかけ、偉大なアカキオスが彼に敬意を表しているとわたしが謂うや、たちまち 21.10.10 両眼を見開き、彼はいかがしているかと尋ね、わたしがいつやって来たのかと問いただした。そこで、わたしがそれらのことに答えると、再び両眼を閉じた。さて、3日が過ぎた夕方、彼は自分がどこにいるのかと尋ねた。そこで、知ると、21.10.14 ひどく腹を立て、ただちに山へ運び返すよう要求した。しかし、万事に渉って彼に奉仕することを望んで、寝椅子をすぐに運び、渇望されている地域に運び返すことをわたしは請け合った。

21.11.1
 わたしにとって尊い頭〔=人〕の功名心のなさを目の当たりにしたのは、この時だった。というのは、翌日、わたしは彼のために大麦粥の濾し汁を冷やして給した。というのは、熱いものは何ひとつ摂らないと固執し、火の使用を完全に拒否していたからだ。そこで、摂ることを拒んだので、「わたしたちみなのことを」とわたしは謂った、「おお、師父よ、思いやってください。というのは、わたしたちはあなたの健康を共通の救いと考えているのですから。というのは、有益さの手本として目指されているのみならず、祈りを通して救助し、神的な好意をわたしたちのために取り次いでくださるのですから。そこで、不慣れがあなたを疲れはてさせるのでしたら、21.11.10 このことをこそ」とわたしは謂った、「おお、師父よ、堅忍してください。これも哲学の一種なのですから。なぜなら、健康で栄養を欲求していたとき、堅忍によって欲求に勝利なさったように、少しも欲求することのない今は、摂取の堅忍を披露してください」。以上のことを言ったわたしに、神的な人ポリュクロニオスも居合わせて、その言葉に助太刀してくれ、自分が最初にすすんで栄養を摂った、しかも夜明けにである。彼はしばしば7日おきに身体を養った人であったのだが。そういう次第で、言葉に負けて、濾し汁1杯を両眼をつぶって呑みこんだ。あたかも、わたしたちがいつも苦い飲み物をそうするように。21.11.20 さらに両足も、衰弱から歩行がだめになっていたので、水に浸すようわれわれは説得したのだが、これ〔以下の例〕も、彼の魂の哲学を露わにするのに役立つとわたしは信じる。というのは、傍近くに甕があった。給仕者の一人がこれを、彼のところにやって来た人たちに見えないよう、蓆のようなもので隠した。すると彼が、「なぜ隠すのか」と謂った、「甕を」。そこで彼が云った、「やって来た人たちの目に触れないためです」。—「除けよ」と彼が謂った、「おお、わが子よ、全体の神に明らかなことを、人間どもに隠してはならない。なぜなら、あの方のためにのみ生きることを望むわたしは、21.11.30 人間的な想いを気にかけたことはないのだから。いったい何の益があろう、この人たちがわたしの修行をより多く共知しながら、神はより少なく〔共知なさる〕としたら。というのは、労苦の見返りの報酬の授け手は、この人たちではなく、神が供給者なのだから」。されば、この言葉にも、言葉を生んだ理性、かくも人間的想いを超えた理性にも、一段と驚嘆しない者があろうか。

21.12.1
 他の機会にも、何かこういったことが生じたことをわたしは学んできた。夕暮れ、夕暮れも遅く、食餌の時であった。されば、持ち合わせの陶器を取って、水に浸した豆を摂っていた。というのは、彼はそれを食餌としていたからである。すると町から、一種の軍の強制取り立てに任ぜられた者がやって来た。すると彼は、遠くからそれを見て、豆を仕舞うことなく、いつもどおりに食餌を呑みこみつづけていた。だが、ダイモーンの幻像と解して、言葉を投げつけ、敵のように追い払った。そうして、恐れていないことを示して、21.12.10 その間も口に豆を運んでいた。ところが、悪罵を投げつけられた相手は、嘆願し、〔自分は〕人間であり、日暮れ方に町を離れるよう一種の誓約に付け加えられ、この時間に到着したのだと謂った。すると彼は、「元気を出せ」と謂った、「恐れるな、祈ってから、立ち去れ。また、わしの食卓仲間ともなり、食餌をわしと共にするがよい」。そうして、これを言うと同時に、右手を豆で満たし、分け与えた。このように空虚な想いの情動を、精神のその他の諸々もろとも追い出したのである。

21.13.1
 だが、堅忍については、言うのも余計なことであって、見たままが証言している。というのは、3日間、またそれほどの夜間も雪が降り続いたとき、うつぶせになって、神に嘆願していたため、彼のまとった襤褸服のほんの少しも見えないほどに埋まってしまった。そこで、隣人たちがシャベルと鋤を使って、この仕方で、積もった雪をすくうことしばしばであった、横たわった彼を引き上げ、目ざまさせるために。

21.14.1
 これらの労苦から、神的恩寵の贈り物、望む者がすべて摂取する贈り物を彼は摘み取った。というのは、あの人の祝福によって、多くの熱病は敬虔になり鎮火した。多くの瘧は全快し完全に撤退した。多くのダイモーンは敗走を余儀なくされた。あの人の右手に祝福された水さえも、悪を寄せつけない薬となる。

 死んだ子の、この人の祈りによって生じた甦りを知らない者が誰がいようか。つまり、都市の郊外に、この〔子の〕両親がいたが、彼らは多くの子どもたちの父となったが、どの子も時ならずして墓に送った。そこで、この赤児が最後に生まれたとき、父は神的な人のもとに走り、長い生命に与れるよう彼に嘆願し、もし生きながらえたら、神に捧げると約束した。すると、4年間生きながらえ、生の終わりを受け取った。しかし父は不在であった。しかし、とつぜん帰ってきて、これからそれが葬送されるのを見て、寝椅子〔棺台〕からひったくって、「ふさわしいのは」と彼は謂った、「わしが約束を満たし、神の人に 21.14.20 死んだ子も返すことだ」。そこで、述べたとおりに運んでいって、あの聖なる両足の前に置き、家人たちにも述べたあのことを言った。すると神的な人は、幼児を前に置き、膝をかがめて、うつぶせになり、生と死の主人に懇願した。すると夕方遅く、幼児は声を発し、父親を呼んだ。こうして、神々しいあの人は、嘆願を主人が受け容れてくださり、生命を給してくださったと察知し、立ち上がり、これを怖れる者たちの願いをかなえ、彼らの要求に耳を傾ける方に礼拝したうえで、21.14.30 嘆願を完了し、その幼児をもうけた者に返した。このことはわたしも目にし、父が驚異を語るのを聞き、多くの人たちにも、使徒的話としてもたらしたのは、聞く者たちに多大な益の客遇になると知っているからである。

21.15.1
 またわたしも、この人の援助をしばしば享受した。そこで、一つないし2つ〔の例〕を想起しよう、沈黙に引き渡し、善行の種々を教えないのはあまりに恩知らずだと考えるからだ。

 いまわしいマルキオーンは、不敬の数々の茨を、キュッロスの都市の地域にばらまいた。これを根こそぎ抜き取ろうと試みて、舟のすべてを動かせ、あらゆる工夫を凝らしつづけた。しかし、わたしによって奉仕を享受した人々は、「わたしを歓愛するのではなく、預言者風に云えば、21.15.10 わたしを誹謗し、わたしに対して善ではなく悪を、わたしの歓愛に対して憎しみを報いた」〔Ps 109:5〕。魔術的な呪文さえ使い、邪悪なダイモーンたちを協力者として使って、目に見えない戦争を試みた。実際あるとき、夜、異端者のあるダイモーン大声をあげながらやって来て、シリア語を使って、「なぜおまえは、某よ、マルキオーンに敵対するのか。いったいなぜ彼との戦いを受けて立ったのか。どんな苦痛をお前に働いたことがあるのか。戦争をやめよ、悪意を捨てよ、そうすれば、平静がどれほど善いものか経験によって学知するだろう。というのは、よいか、イアコーボスを含む殉教者たちの合唱隊がお前を守護するのを目にしなかったら、わしはおまえをもっと前に 21.15.20 射殺していたのだから」。

21.16.1
 これを聞いてわたしは、知り合いたちのうち近くで眠っていた一人にも、「聞いたか」と謂った、「某よ、言われていることを」。すると相手が、「すべて」と云った、「聞いた。そして、起きて、誰が発言しているのか探して知りたいとおもったが、君のために静かにしていた、君は眠っていると推測したので」。そこで両人とも起きあがって、捜しまわったが、われわれは動く者は誰もいないのを目にし、発言するのを聞きもしなかった。しかし、われわれの他の共住者たちもあの言辞を聞いていた。そこでわたしの理解では、殉教者たちの合唱隊とは、殉教者たちのオリーブ油の小瓶 21.16.10— 非常に多くの殉教者たちからわたしが祝福を持って集め、わたしの寝椅子の傍にかけられていた小瓶のことを言ったのだということであった。21.16.12 さらに、わたしの頭の下には、偉大なイアコーボスの古い外套が、わたしにとってどんな不壊の防壁よりも堅固なものとして置かれていた。

21.17.1
 さらに、まさにこれらの者たちの最大の村をわたしが攻撃せんとし、次いでその最中に何か多くのことが出来して出発を妨げたとき、わたしはわたしのヘーサイアース〔Cf. 2Kg 19〕のもとにひとを遣り、神的共闘を享受することを懇願した。すると彼は、「元気を出しなされ」と彼は言った、「というのは、あの邪魔はすべて、蜘蛛の〔巣の〕ように破られておるのじゃから。これもわしに、夜、神が教えられた、夢としてではなく、幻として披瀝して。というのは、わしは見たのじゃ」と彼は言った、「詠唱を始めると、あの諸地域があるあの部分に、火のようなある蛇が、21.17.10 西から東に這い、空中を運ばれるのを。そこで、さらに3つの祈りをし終えると、それがとぐろを巻き、輪になった形を見せつけ、頭で尻尾に触れているのを観た。しかしさらに8つの祈りを仕遂げると、真っ二つに切られ、煙と解体するのを観たのじゃ」。

21.18.1
 以上を、彼自身はそういうふうに予見し、わたしたちは、予言が成り行きと一致するのを観た。というのは、明け方から、元凶の蛇によって出征され、古い人々はマルキオーンの仲間だったが、今は使徒的密集部隊の一員となり、西から出発して、抜き身の剣をわれわれに見せつけた。が、1日の第3刻ぐらいには、戦列を密集させて、みずからの守りを思案するばかりで、あたかも蛇が尻尾で頭を覆い隠しているかのようである。第8刻には散り散りになって、村に入る余裕をわれわれに与えた。21.18.10 そうして、たちまち、連中によって跪拝されている蛇が、青銅の素材でつくられていることをわれわれは見出した。というのは、全体の造物者にして創造者に対する戦争を公然と受け容れることで、呪われた蛇をあの方の敵対者として奉仕することに熱心だからである。こういった善行を、わたしにとっての敬虔な頭からわたしも頂戴したのである。

21.19.1
 ところで、言葉は神的啓示の話に入ったので、いざ、偽りなきあの舌からわたしが聞いたことを話すことにしよう。だが、彼が話したのは、名誉欲からではなく — というのは、神的な魂はこの情動からも遠いのであるから —、隠そうと望んだことを云うよう、一種の必要が強制したからである。わたしのために麦畑を毒麦から清浄なものとして明らかにして、〔麦畑〕全体を自由にするよう、全体の神に懇願してくれるよう彼に嘆願した。いまわしいマルキオーンの迷妄が大部分を席捲し、21.19.10 ひどくわたしを悩ませていたからである。すると、懇望されて彼は謂った、「わしも、他の誰かも、そなたと神との使いとなる必要はない。なぜなら、大イオーアンネースを、言葉の声と、主人の先駆け、この嘆願をそなたのためにたえず伝送する者として持っているのだから」。そこでわたしが、この人の祈りも、その他の聖なる使徒たちや、後世、その遺物がわたしたちに伝えられた預言者たちのそれをもわたしは信じていると言ったところ、「元気を出せ」と彼は謂った、「洗礼者イオーアンネースをそなたは持っているのだから」。

21.20.1
 しかしながら、それでも沈黙を守っていることに辛抱できなかった。むしろますます、いったいどうして特にこの人に言及したのか、尋ねることを迫られ、知ることを求めた。すると彼が、「彼の慕わしい遺物を」と謂った、「抱きしめることをわたしは望んだものだ」。そこで、何を観たか述べることを請け合わなければ、それを持って来ませんとわたしが言ったところ、彼自身が約束を与え、わたしは、翌日、渇望されているものを持ってきて、彼はみなに遠ざかっているよう命令し、わたしだけにそれを話した。

 「ポイニクスやパライステネーからやって来たこれらの都市の守護者たちを」と彼が謂った、21.20.10「ダウィドの合唱をもってわたしが迎え入れたとき、これらが本当に大イオーアンネースの遺物であり、同名の他の殉教者のそれでないのかどうかという一種の思いつきがわたしに生まれた。しかし、1日後、夜、わしは詩篇詠唱のために起きあがった。そして、白衣を着たある人を見た、すると〔その人物が〕『兄弟イアコーボスよ』と言う、『いったいどうして、われわれが到着したにもかかわらず、おまえは出迎えなかったのか、云え』。そこでわしが、いったい何者ですかと質問すると、答えて言う、『昨日、ポイニクスとパライスティネーからやって来た者たちである。そうして、万人は、羊飼いも、民も、町衆も地方人たちも、21.20.20 熱心にわれわれを迎え入れたにもかかわらず、そなただけは栄化を共有しなかった』。彼がほのめかしたのは、生じた両義性であった。そこで、これに対して、『あなたがたやその他の方々が居合わせなくとも、あなたがたを尊敬し、あらゆる人たちの神を礼拝します』と云ったと彼は謂った。しかし再び次ぎの日、同じ頃合いにあの当人が顕現し、『見よ』と謂った、『兄弟イアコーボスよ、あそこに立っている方を。その衣装は色の点で雪に類似し、火の炉がその前にある方を』。そこでわたしはそちらに視線を移し、洗礼者イオーアンネースだと察した — というのも、衣裳も彼のをまとっており、21.20.30 手も、洗礼をする人のように前に伸ばしていたからだ。『本人だ』と彼は謂った、『そなたがそれと推察したとおり』」。

21.21.1
 「またほかのおりにも』と彼は謂った、「夜、そなたが第一の村に、党争する連中として教育するために、そして、より真剣な祈りを神に捧げるよう申しつけたうえで、そなたが出かけたとき、わしは眠ることなくずっと主人に懇願しつづけていた。すると、声がこう言うのをわしは聞いた、『何も恐れることはない、イアコーボスよ。なぜなら、偉大なイオーアンネース、洗礼者が夜通しで全体の神に懇願するから。というのは、あの人の使者の役によって悪魔の不逞を鎮圧できないとしたら、たいへんな殺戮であろうから』」。

 以上のことをわたしに話して、ただ知って、21.21.10 他の人たちを関知者としないよう申し渡したのである。しかるにわたしは、有益さのために、多くの人たちにこの話を聞かせただけでなく、著書にも預けたのである。

21.22.1
 さらに、族長イオーセープも観たことがあると彼は謂った。頭も髭も灰色で、老齢にあって若々しさの輝きを放ち、徳の極みにあって、自分自身を聖者たちの最後の者と名づけていた。というのは、わしは」と彼は謂う、「彼と墓所を共有する者たちのうち最初の者と言っているのに、彼自身が自分を最後の者と名づけたからである」。

21.23.1
 また、邪悪なダイモーンたちによって彼に生じたありとあらゆる襲撃をも彼はわたしに話してくれた。「というのは」と彼は言った、「わしがこの生き方を始めてすぐのころ、裸のやつが見えた、アイティオピア人の姿をして、両眼から火を放っているやつじゃ。そこでわしは見て、恐怖に満たされ、祈りに専念し、食を摂ることも我慢できなんだ。やつはその頃に顕現するのが常だからだ。しかし、7日、8日、10日間と過ぎ、わしは食わないままだったので、ついに、邪悪な猛襲を意に介しなくなったので、坐って 21.23.10 食料を摂った。しかし、やつはわしのこの度胸(megalofrosuvnh)に堪えられず、笏で殴るぞと脅した。しかし、わしは」と彼は謂った、「言ってやった。『全体の主人から任せられているなら打つがよい、そうすれば、あの方によって打たれたと思ってその打擲を快く受けよう。しかし、もし任せられていないなら、おまえは打たないであろう、無量回発狂するとしても』。これを聞いて〔悪魔は〕この時、走り去ったのじゃ。

21.24.1
 しなしながら、やつはひそかにずっと狂気のままであった。というのは、週に二度、わしのために麓から運ばれる水を運ぶ者に出会って、わしの姿を模倣して〔水を〕受けとり、立ち去るよう命じたうえで、そのナーマを空にした。そしてこれを二度のみならず三度も実行したので、渇きの情動がわしに向かって進軍してきた。そこですこぶる苦しんで、いつも運んでくる者に尋ねた、『いったいどうして、5日も十日も経つのに、水を運んでこないのか』。すると相手が、すでに三、四回運び、わたしもそれを受け取った、と言った。『いったい、どこで』とわたしは謂った、21.24.10『運んで来たおまえからそれをわしが受け取ったのか』。するとその場所を指し示すので、『無量回』とわしは謂った、『そこにわしが居合わせるのを見ても、容器を渡してはならぬ、この場所にやって来るまでは』。

21.25.1
 こういうふうにして、自分に対するこの攻撃をも破ったが、今度は別のやつに試みられた。というのは、大声をあげてやつは謂った、21.25.3『何びとも、どこにおいてもおまえを見たがらないほど、それほどの悪臭でおまえを満たし、それほどの悪評を広めてやろう』。しかし、わしは」と彼は謂った、「これに対してこう答えてやった、『おまえに感謝を白状しよう。なぜなら、神の記憶により多く耽るよう設えることで、おまえは心ならずも、悪意に善行をほどこしているのじゃから。というのは、より多くの暇を享受して、神的美の幻視を仕事として絶えず持つことになろうから』。そういう次第で、数日を経て、21.25.10 昼日中、いつもの勤行を執り行っているとき、わしは見た」と彼は謂った、「2人の女が山から降りて来るのを。そこでわしは、普段どおりでないことに腹を立て、石を投げつけようと企てが、報復鬼の脅迫を思い出し、これこそ悪評だと悟った。そこで先にこう叫んだ、たとえ肩の上に坐っていようと、石を投げつける気はなく、追い払う気もなく、ただ祈りに耽るのみ。さて、わしがこれを謂ったところ、女たちは消え失せ、神的女の幻視は言葉どおりになったのじゃ。

21.26.1
 その後再び、夜、わしが」と彼は謂った、「祈祷しておると、運搬の騒がしさ、馭者の叫びや、いななく馬たちの〔それ〕が運ばれてきた。しかし、事の新奇さがわたしを当惑させた。というのは、そのとき執政官も都市に滞在しておらず、運搬の道もなく、運搬に適した時期でもないことにわしは思い至ったからじゃ。そこで、わしはこれらのことを思量したとき、大勢が行進してくる相当な騒がしさが聞こえ、笏持ちたちと考えられるかなりの連中が大声をあげ、しっしっといい多衆を真ん中から追い立て、嚮導者のために通り道を 21.26.10 整えるためである。そこで、わしにひどく近づいたと思われたときに、わしは云った」と彼は謂った。『何者か。いったいどこからやって来たのか。いったい何の必要があって、こんな時刻にやって来たのか。いつまで巫山戯ているのか、おお、惨めな者よ、そして、神的な寛容を軽蔑するのか』。これをわしは言った。東に向いて、神に嘆願を捧げながら。すると相手が押したが、倒すほど強くはなかった —; というのは、神的恩寵が支えたから —、そしてたちまちそのすべてが消え去ったのじゃ」。

21.27.1
 さらに、あのいまわしい盗賊たちの時代、イサウリアから出撃し、東方の大部分を焼き払って略奪したときも、ひどく恐れたのは、殺戮ではなく — それほど身体を愛する者ではなかったから —、奴隷に売られ、捕虜となり、不敬や違法を目撃することであった。すると、この恐れを感知した悪魔は — 彼が知己たちに向かってしばしば言い放っていたのを聞いたので — 夜、女たちの哀号を模倣した。『しかし、わしは』(と彼は謂った)『敵勢がやって来て、21.27.10 村々に火を放ったと聞こえたように思えた。それですぐに頭髪を2つに分けて、一つは右から、もうひとつは左から、両肩を越して胸に垂らし、剣の切断のために頸を好都合にした。それは、打撃を手短に受けて、逃れることを祈るあの光景から免れるためである。こうしてあの一晩中を過ごし、ずっと連中の襲撃を待ち受け、夜が明けて、人びとがやって来たとき、イサウリア人たちについて何か聞いたか訊いた。すると彼らは、この数日は何も知らないと言った。じつにそういうふうにして』と彼は謂う、『21.27.20 あれも悪魔の幻視であったと知ったのじゃ』。

21.28.1
 『他の時には』と彼は謂った、『若さに光り輝き、金髪に飾られた、壮健な若者に身をやつして微笑すると同時にからかいながら近づいてきた。そこでわしは』」と彼は謂った、「『気性で完全武装し、罵りながら追い払った。しかし、やつは、依然として仲間の風をし、微笑と発言に快楽を噴きだしつづけた。それで、事ここに至って、気性をますます強めて、「どうしておまえは強いのか」とわしは言った、「全世界をうろつき、万人にこのような策謀をもたらすとは』。すると相手が言った、一人ではなく、大勢のダイモーンたちが全世界に散らばり、21.28.10 一斉にこのような悪ふざけをし、熱中しているのだ。というのは、見せかけの悪戯によって、人間どものあらゆる自然を消滅させることに熱中しているのだ、と。「しかし、少なくともおまえは立ち去れ」とわしは謂った、「全軍団を仔豚のように深淵に派遣なさるクリストスがおまえに命じておられるのじゃから」。やつは聞くと同時に逃走した、主人の名称の力に耐えられもせず、〔クリストスの〕家僕の哲学の輝きを見つめることもできずに』。

21.29.1
 他にも、これより多くの話を知っているが、著すことをわたしは拒む、より脆弱な人たちにその多さが不信仰の口実となることがないためである。もちろん、神的な人に面会した者たちには、言われているこのようなことが何ひとつ非説得的にみえることはない。目に見える徳が、言われていることを確証するからである。しかし、話の著書は、後世の人たちにも伝えられるであろうが、多衆にとって耳は眼よりも非説得的だから、傾聴する人たちの弱さを斟酌してわたしたちは話をすることにしよう。

21.30.1
 さて、この人のために、一方では他の人たちも最大の墓所を、隣村に、何スタディオンも離れていないところに建造した。他方わたしも、美しき勝利の使徒たちの墓所の中に棺をこしらえた。しかしながら、これを聞き知って、あの山に遺体を埋葬するため引き渡すよう、何度もくどくど懇望した。しかしわたしはそのたびに、現存する命に無関心な人が、埋葬の先慮をするのはふさわしくない、と云った。しかし、それが彼の本心だと知って、首肯し申し合わせ、棺桶が伐りだされ 21.30.10 運び上げられるよう手配した。しかし、石が霜でだめになっているのを見て、棺桶のために小さな小屋ができることを許した。さて、〔彼が〕命じ、われわれが建造を完成し、屋根を載せたとき、「この塚が」と彼が謂った、「イアコーボスのと呼ばれることにわしは堪えられない、わしが望むのは、この墓所が美しき勝利者である殉教者たちのものとなり、わしが一種の移住者のようなものとして別の棺の中に入れられ、彼らの傍に住むことを要請する」。そうしてこのことを云っただけでなく、為しもした。そうして、数多くの預言者たち、数多くの使徒たち、できるかぎり数多くの殉教者たちを、至るところから集めて、21.30.20 一つの棺桶に安置したのである、聖者たちの集団と共住することを欲し、彼らとともに甦り、神的観想に値するとみなされることを渇望して。

21.31.1
 これこそ、思慮の節度を証するに充分である。なぜなら、徳のこれほどの富を積み、極端な貧しさとともに生きながら、富裕者たちの仲間の傍に住むことを欲したのである。そこで、わたしにとって敬虔な頭〔=人〕の労苦がどのようなものであったか、闘技はどれほどのものであったか、神からのどれほどの恩寵を享受し、どれほどの勝利を勝利したのか、どのような花冠に飾られたのか、これらのことをも教えるに足りる。

21.32.1
 だが、一部の人たちは性格の気むずかしさを問責し、孤独愛と静寂を嫌悪し、この点について少し云ったうえで、話にけりをつけよう。
 すでにわたしが謂ったとおり、彼は垣で囲われることもなく、何らかの修屋とか天幕で隠されることもなく、万人注視の中に身をさらした。到来した者たちの各々は、何の囲いにも妨げられることなく、すぐに傍に行って、対話することを望んだ。これに対し、この哲学のその他の愛者たちには、垣も扉も、寂静の享受もあり、21.32.10 閉じこもった者が好きな時に開扉し、望むだけ延期して、神的観想を好きなだけ堪能する。しかし、ここにはそれらは何もない。これこそ、礼拝の時に彼の邪魔をする連中を嫌悪する所以である。彼が命じたときすぐ立ち去るなら、再び祈りをつづける。しかしいつまでも邪魔し、一度も二度も言いつけるのに聴従しないなら、そのときこそ不機嫌になり、叱りつけて追い出す。

21.33.1
 わたしには、この点についても、彼と言葉〔議論〕が生じたことがあり、一部の人たちは、とわたしは謂った、祝福にも与らず追い出されて歎いている、しかし、この人のために来訪し、多くの日数の道を完了した人たちが、21.33.5 立腹してではなく、悦びを注ぎこまれ、あなたの哲学の話で無知な連中をもてなすために帰るのがふさわしいでしょう、と。すると彼が、「誰か他の人のためではなく」と彼が謂った、「わし自身の〔ために〕山にやって来たのじゃ。そして、罪のあまりに多くの傷に包まれているので、わしは数多くの癒しを必要とし、そのために、21.33.10 われわれの主に、悪の解毒剤をわたしに下さるようわしは嘆願しておる。されば、奇妙であまりに愚かでないことがどうしてあろうか、嘆願の連続は切断し、その最中に人間どもとの対話をすることが。というのは、たまたま等しく生まれついた人間の家僕でありながら、主人への給仕の時に、食べ物とか飲み物を時宜を得て給することを置き去りにして、奴隷仲間の一人と対話していたら、ひどい殴打を受けるのが義しいのではないか。さらにまた、執政官のところに行って、或る者からわしが甘受している不正を話しながら、その最中に対話を中断し、何か他の言葉〔話〕を 21.33.20 居合わせる者たちの一人と始めたとしたら、裁判官は不機嫌になり、援助は保留し、笞をも加え、門から追い出されるとあなたに思われるのではないか。されば、主人には家僕として、裁判官には嘆願者としてふさわしくふるまい、わたしの方は、永遠の主人でもあり、最も義しい裁判官でもあり、あらゆるものらの王でもある神に近づく際に、接近をそれらに同じようにするのではなく、礼拝の最中に奴隷仲間に向かい、長ったらしい対話をすることが、どうして神法にかなうことであろうか」。

21.34.1
 わたしは以上のことを聞きもし、不機嫌になった者たちに伝達しもした。じつに善く、かつ、美しく〔彼は〕述べているようにわたしには思われる。というのは、述べられたことにさらに加えて、恋する者らの特徴でもあるのは、自余のすべてを大目に見ることであるが、あの人にとっては、自分が愛し、渇仰する方にしがみつき、夜もその方を夢に見、昼間も幻視すること〔が特徴〕であった。それゆえ、不機嫌であったようにわたしには思われるのは、渇望される観想中であるのに、慕わしい美に満たされるのを妨げられるときである。

21.35.1
 以上を、讃辞を述べるようにではなく、物語的にわれわれは著し、すこぶる簡潔を心がけたのは、長さで読者を疲労困憊させないためである。もしもこの話に時間を生き延びさせていたなら、もちろん、他にも無量の成就をそれ以前の〔成就〕に付け加え、それをも別の人たちが著述するであろう。なぜなら、なぜなら、われわれにとって此岸からの出郷の渇望は大きいからである。敬虔の競技者たちの競技判定者は、この人に競合にふさわしい最期と、それまでの走路に一致する残りを得させ、21.35.10 勝利をもたらす者としてゴールに達しますように。そうして、われわれの弱さを、この人の祈りによって克服させたまい、われわれが力強くなって、われわれの数多くの敗北を回復し、勝利とともに生を出て逝くことができますように。


22."t".1
タラッシオス、または、リムナイオス

22.1.1
 ティッリマという村がわれわれのところにある、以前はマルキオーンの不敬の種子を受け入れたが、今は福音の耕作を享受している〔村〕である。この〔村の〕南向かいに、荒れすぎてもおらずひどく険しくもない山稜がある。ここに修道者用住居を立てたのが、驚嘆すべき人タラッシオスで、数多くの他の善きものらに飾られ、正確の単純さと、優しさ、心の穏健さで、少なくとも彼の同時代の人たちを凌駕している人物であった。そしてわたしがこう言うのは、風聞に説得されてのみならず、体験もしたからである。というのは、わたしはこの人物に面会し、しばしば彼との甘い交わりを享受したのである。

22.2.1
 この人物の合唱舞踏隊に所属したのが、現在万人から歌い讃えられるリムナイオスである。いたって若くして、あの格闘道場に出会い、この極端な哲学で美しく教育された。そして先ず第一に、舌の滑りやすさを知り、まだ青年である間は、これに沈黙を立法し可能なかぎり多くの期間、何者に対しても何ごとも発声しないことを持続した。しかし、神的な老人の教えに満足に与り、その人の徳の鋳型で自己表現したとき、先の箇所でもわれわれが言及した偉大なマローンのもとにやって来た。同じ時期に、神的なイアコーボスもやって来た。そこでさらに数々の益を採集し、野外での生を渇仰したうえで、タルガッラと人々が名づけるある村の上に横たわる別の山頂を手に入れた。

22.3.1
 ここに今日まで、庵をもたず、天幕なく、小屋なく、石でできているが泥で接合されていない建造された裸の壁に囲われて住持している。ほんの小さな扉がついているが、いつもは泥で塗りこめられていて、他の者たちがやって来たときには、これを開けることはないが、わたしが訪れたときだけは、そうすることを許すのである。そのために、わたしの到来を感知するや、至るところからじつにおびただしい人々が、入ることをわたしと共有しようと渇望して寄り集まるのである。しかしそれ以外の時に彼のもとに通ってくる人たちには、とても小さな扉を通して対話し、できるかぎり多くの人たちを祝福に与らせ、それ〔祝福〕によって健康を授けようとするのである。というのは、わたしたちの救主の名前を使うことで、諸々の病を阻止し、諸々の悪霊を追い出し、使徒の驚異的な業を模倣するからである。

22.4.1
 しかし、彼のところにやって来た人たちに癒やしをほとばしらせたばかりでなく、みずからの身体にそれを適用することもしばしばであった。というのは、昔、腸の病状が彼を襲ったことがある。経験を受け入れた人たちは、ここから生じる痛みと苦痛を正確に知っおり、それの観察者たちとなった人たちも知っている。すなわち、発狂した者たちそっくりに転げまわる、こちらへあちらへとひっくり返ると同時にまた足を伸ばしたり縮めたりしながら。また、座りこんだり立ち上がったり歩きまわったりするときもある、少しでも中断する方途を見つけようと工夫して。そのために、浴場のそばに座ったり、入浴することもしばしばである、少しでも安らぎを享受しようとして。しかし、万人に明らかではっきり言い尽くされていることで長話する必要があろうか。このような病状と格闘し、これほどひどく、かくもおびただしい苦痛に圧倒されながら、医術の助けを享受することなく、寝椅子を甘受するができず、薬とか食べ物からの安らぎを受け入れることなく、地面に横たえられた板の上に坐して、祈りと〔十字架の〕印による治療を受け、神的な称号の呪文で苦痛を眠らせたのである。

22.5.1
 また他の時には、夜、歩いていて、眠っているマムシを踵で踏みつけたことがある。するとそいつは足の平をとらえると牙を撃ちこもうとした。そこで足を守ろうとして、かがみこんで、手をそれの方に差し出したが、それ〔手〕の方に獣の口を移しかえたにすぎない。そこで今度は左〔手〕で別の〔手〕を助けようとして、これに対しても獣の激情をかき立てた。こうして、狂気を飽きるまで満たすと — というのは、十箇所以上彼に咬み傷を負わせたからなのだが —、かたや立ち去って、自分の巣穴に引っこみ、かたやいたるところ激しい痛みに見舞われた。しかしながら、このときでさえ、医術を我慢することなく、傷には信仰の薬を、つまり〔十字架の〕印と祈りと神への祈願だけをあてがったのである。

22.6.1
 それゆえ、わたしの思うところでは、万物の神も、あの獣が聖なる身体に対して発狂することを許したもうたのは、あの神的な魂の裸の堅忍を見せつけるためである。なぜなら、高貴なるイオーブについても彼〔神〕の同じ計略をわたしたちは目にするからである。というのは、数多くの多種多様な大波に彼が洗われることを許したもうたのは、操舵手の知恵を万人に示そうとなさったからなのだから。いったい、あの人の勇気やこの人の堅忍をどこか他所からわれわれは知ることができようか、敬虔の格闘相手が、彼らに対して多種多様な矢弾を放つ余地をもたなかったとしたら。だから、以上のこともこの人物の堅忍を示すに充分なのである。

22.7.1
 では、違った側面から人間愛を見せよう。というのは、視力を奪われた人たちや物乞いをせざるを得ない人たちを数多く集め、東と西と両側に住居を建て、そこに住み、神を讃える歌を歌うよう督励し、彼らに必需の食糧は、自分のところにやって来る人たちに調達するよう命じた。しかし自分自身は、中央に閉じこもり、こちらの者たちとあちらの者たちを讃美歌へと鼓舞し、彼らが絶えず主を讃美するのを聞くことができるのである。同本性の者たちについてこれほどの人間愛を彼はいだき続けている。野外での生の強合の期間は、彼と大イアコーボスと同じである。というのも、彼らはすでに38年間を満了したからである。


23."t".1
イオーアンネース

23.1.1
 同じ生き方を渇仰したのはイオーアンネース、その他の〔美質〕に加えて、温和さ(hJmerovthV)と柔和さ(praovthV)の点で光り輝いていた人物であった。すこぶる荒れ果てた、冬の寒さ厳しく北向きの尾根を手に入れて、ここで25年間、大気の対照的な攻撃を受けつつ、満了した。その他のすべての点は──一つひとつ詳述しないために言うのだが──食糧、衣服、鉄の携行は前述の人たちとそっくりである。人間的なあらゆることを超越していたあまりに、そこからはいかなる慰めも収穫することはないほどだった。そのはっきりした証拠をすぐに提示しよう。

 すなわち、熱心な人たちの1人が、寝床のすぐ側にアーモンドの樹を植えたところ、やがて時を経て樹木になり、蔭と見た目に馳走を彼にもたらすようになったところ、伐り倒すよう彼が命じたのは、そこから何らの慰めも享受しないためであったのだ。

23.2.1
 この生を喜んだのは、ラーマー村にそびえる高き山頂で競い合ったモーウセースであり、まったく無人の山中に囲いを建てた老人アンティオコスであり、老体をもって若者たちとそっくりの競合をしたアントーニーノスであった。彼らにとって衣服も、食べ物も、姿勢も祈りも同じ、労苦は夜を徹し日を徹したものであった。そして時間の長さも、老齢も自然本性の弱さも堅忍を咎めることはなく、労苦に対する恋情を自分たちの内に盛りにあるものとして保持している。

23.2.10
 他にもこのうえなく多くの競技者たちを、徳の審判者たる神は、われわれの山々や諸々の平野の中に持っておられる。その数をかぞえることだけでも容易ではなく、ましてや各人の生を書き記すなどとんでもないことだ。されば、彼らから益を得ることを望む人たちにとっても満足できることを目標に、彼らの祝福に与れることをも求めて、別の種類の叙述に方向転換しよう。


24."t".1
ゼビナース、または、ポリュクロニオス

24.1.1
 ゼビナースを、あの人との面談の光栄に浴した人たちは、今日にいたるも誉めたたえている。謂われているところでは、彼は後期高齢に達してなお、命終するその時までも同じ労苦を修し、このうえなく重い老齢に強制されても、若いときの〔労苦〕を何ひとつ変えることがなかったという。しかし、人々の謂うには、礼拝への精励の点で、彼と同時代のいかなる人間をも凌駕していた。というのは、それにおいて日を徹し、夜を徹しながら、飽きるということがないのみならず、その熱望をますます熱くしていたからである。いやそればかりか、自分のところに来訪した人々にも、少しばかり対話するけれども、精神(diavnoia)を諸天から引きずり降ろすことに我慢ならず、すぐにその人たちから解放されるや、あたかも全体の神から暫時どころではなく離れていたかのように、再び嘆願を捧げるのであった。しかし、休みなく立ち続けることを老齢が苦痛なくすることを許さなくなったので、杖をこれの支えに添え、これに寄りかかって、主を讃美し、祈った。

24.2.1
 ところで、その他の善き〔諸徳〕に加えて客遇好きに飾られ、自分のところにやって来た人たちの多くに、夕方まで留まるよう命じた。しかし彼らは、彼の夜を徹して立ち続けることを恐れて、暇がないというようなことを口実に、あの労苦から自分たちだけ退散させるのだった。

 この人には、あの大マローンも一段と驚嘆し、走ってゆくよう、そして、老人の祝福を採集するよう言い広め、師父とか教師とかなづけ、あらゆる徳の原型と呼称した。そして、この人と墓を共有することさえ願った。しかし、あの聖なる身体をひったくり、前述の地に運び去った人たちが許さなかった。

 さて、神々しいゼビナースは先に命終し、彼の近くにある村 — それはキッティカと呼ばれる — で、仕来りどおりの〔葬礼〕を享受した。そして墓所には最大の廟を建てた。というのは、信仰をもって接近する者たちに、彼はあらゆる種類の癒やしをほとばしらせたからである。現在は、殉教者たちとも屋根を同じくしている。〔その殉教者たちとは〕ペルシア人たちのもとで闘技し、われわれのもとで年ごとの全祭において崇拝されている人たちである。

24.3.1
 この人の教えは、大ポリュクロニオスが享受した。最も神的なイアコーボスは、毛の肌着を最初に彼に与えたのはこの人だと謂った。しかしわたしは、いまだかつてあの人と面会したことがない — わたしの来着の前に生の終わりに行き着いたからだ — が、まさしくこのポリュクロニオスの中に、神的なゼビナースの哲学を目にする。なぜなら、蜜蝋が指の痕跡をぬぐい去ることがないのと同様、前者は後者の刻印を帯びているのだから。このことがわたしにはっきりわかったのは、後者に関する話を、前者によって為された事柄と比較したからである。というのは、神的な渇望によって火に焼き尽くされ、あらゆる大地的なものらを超越している点では同等だからである。そうして、身体に縛りつけられながら、有翼の魂を有し、大気圏をも霊圏をも飛び超え、諸天よりも高き者となって、神的な観想を絶えず顕現させるのだから。そして、精神をそこから引きずり降ろすことは決して我慢せず、来訪者たちと対話しているときでさえ、上方界を遍歴しているのである。

24.4.1
 わたしは彼の、夜を徹しての不眠と不動(stasiV)とを、以下から学んだ。彼が年齢の点でも弱さの点でも同時に老衰していながら、何ひとつ世話(qerapeiva)を享受していないのを目にして、二人の共住者を得て、それらから慰めを享受するよう何度も懇望し、説得した。すると、別の思索道場で自分だけでひとり住まいし、徳の点で異彩を放つ者たちを要請したので、神的な人の世話を何よりも優先させるよう、この者たちをも説得した。この者たちは、暫時彼と行を共にした後、逃亡を試みた。24.4.10 夜を徹しての不動(stasiV)に堪えられなかったのである。そこで、わたしは神的な人に、身体の弱さを斟酌して労苦をあてがうよう嘆願した。「わしは彼らに」と彼は謂った、「不動をわしとずっと共有するよう強制しなかったのみならず、横になってもよいと何度も告げたぞ」。すると彼らが、「いったい、どうしてできましょうか」と言った、「労苦の中で年老いた方が不動立ちし、身体の弱さを軽蔑なさっているのに、一人前で健康で中年のわれわれが横になるなんてことが」。とはいえ、わたしにとって尊い頭〔=ひと〕の夜の労苦を、こうしてわたしは知悉したのである。

24.5.1
 しかし、これらの人たちは、やがて徳を加えた結果、この偉人と同じ哲学を究めた。そうして、モーウセース — これが彼の名前であった — の方も、現在に至るまで、師父にして主人に対してのように、あらゆる世話を捧げ、あの聖なる魂から星のように煌めく徳を精確に模造した。他方、ダミアノス — これがもうひとりの名前であった — の方は、それほど遠く離れていないところにあるある村 — で、その名はニアラーであるが — に着き、脱穀場の傍にある小さな小屋を見つけてそこに住持し、24.5.10 同じ生き方を究めたあげく、この人とあの人とを正確に知悉している人たち彼を見て、偉大なポリュクロニオスの魂を別の身体の中に観た解するまでになった。というのは、単純さ(aJplovthV)も、温和さ(pr/ovthV)も、(metriovthV)も、発言の温和さ(hJmerovthV)も、交わりの甘美さ(glukuvthV)も、魂の覚醒(ejgrhvgorsiV)神の熟慮(katanovhsiV)も、不動(stavsiV)も、労苦も、不眠も、摂食も、神的律法に遵った不所持(ajkthmosuvnh)も同じだったからである。というのは、水に浸した豆を入れた小さな行李 24.5.18 以外、住居を何ひとつ持たなかったからである。偉大なポリュクロニオスとの交わりから、これほどの益を 24.5.20 自分に配当したのである。

24.6.1
 しかし、弟子のことは措いて、わたしは教師の方へもどることにしよう。なぜなら、泉が奔流を湧出させるのは水源からなのだから。そういうわけで、この人〔ポリュクロニオス〕は、その他の情動とともに魂の名誉愛を追い出し、虚栄の僭主を打倒して、労苦を隠すことにいつも熱心だった。実際、鉄を身につけることは我慢ならなかった。それは、そこから、つまり魂が高慢の炎上を受け入れるところから、何らかの弊害を引きこむのではないかと恐れたからであった。そこで、樫の樹のこのうえなく重い根を自分のために運んでくれるようある人に命じ、いかにも別な用途に必要としているかのようににして、夜間も、これを両肩に載せ、背負ったまま、昼間も暇を享受しつつ、礼拝するのが常であった。だが、誰かが来訪して、扉を叩いたら、これをどこかの場所に隠すのだった。これを目撃したひとがわたしに教えてくれたのである。そこで、その重さがどれくらいか知ろうとしたところ、両手で持ち上げるのがやっとだった。すると彼はわたしを見て、放置するよう命じた。しかしわたしは、〔彼の〕労苦の原因を取り去るため、もらうことを逆に頼んだ。しかし苦悩している彼を目にしたとき、勝利の渇望にわたしは譲歩したのであった。

24.7.1
  これらの労苦から、神授の恩寵も彼に花開き、数多くの驚異もあの人の祈りによって働いた。というのも、あの困難な干魃が人間どもをやつれさせ、嘆願を呼び起こしたとき、彼のところに聖者たちの大衆がやって来た。その中には、アンティオケイア人たちの地方の、多数の村落を司牧するよう配置された人も含まれていた。この人物は、傍にいる人たちの年長者たちに、ある水差しに右手を当てるようその人を説得するよう嘆願した。しかし彼らが、許されていないと述べ、その後祈りが行われ、わたしにとって神々しいこの頭〔=人〕が 24.7.10 拝跪したとき、あの人が後ろに立って両手で水差しを差し出した。するとそれ〔水差し〕は、居合わせる人たちの二、三人が両手を伸ばして、それをオリーブ油で満たされたのを手に入れたぐらいあふれていた。

24.8.1
 しかしながら、恩寵の光線をも放ち、多種多様な達成で重くなり、哲学の富を日々集めても、知慮が適度なあまり、自分のところにやって来る人たちの各人の両足をかき抱き、将兵であれ、手工者であれ、農夫であれ、大地に額を当てるほどであった。

 彼の単純さも寛大さも示すことの可能なことをちょっと話そう。ある真面目な人物が、この族民の嚮導権を引き継ぎ、キュッロスにやって来て、24.8.10 わたしといっしょにこれら偉大な競技者たちとの面会を享受しようとした。そこで、その他の人たちを歴訪して、今その徳を話しているこの人物のところにもやって来た。そこでわたしが、わたしといっしょにやって来たのは嚮導者であり、義の思慮者であり、敬虔者たちの愛者だと述べると、神々しい人は両手をさしのべて、両足を掴んで、「ひとつの要請を」と彼が謂った、「あなたに報告したい」。そこで相手が、あまりに不機嫌になって、立ち上がるよう嘆願し、何でも命じることを実行しようと請け合ったので — というのは、従者たちの誰かについて彼が勧告するだろうと睨んだから — 24.8.20 神々しい人は謂った、「では、約束し、誓いによって約束を確証したからには、わしのために神に祈りを真剣に捧げてくだされ」。そこで相手が、額を殴って、誓いを解くよう嘆願した、自分のための嘆願を主人に捧げることさえ値しないとしてである。哲学のこれほどの高みにおいて、思慮のこれほどの節度(metriovthV)を有する人を、いかなる言葉が価値ある祝福を満足させられるであろうか。

24.9.1
 この人物の愛労を、多種多様な受難が降りかかっても反駁することなく、多彩な病に攻囲されても同じ労苦を持ちこたえた。しかし、多数の言葉をしばしば使って、やっとのことでわたしたちはこの小屋を建築し、まったく凍えた身体にわずかな熱を工夫した。多くの人たちが取り巻いてこの人物に黄金を寄進し、命終するときは遺贈した。しかし誰からも何ひとつ受け取ったことはなく、それらが寄進されたもの管理人になるよう命じた。さらに偉大な 24.9.10 イアコーボスは、ある人から彼に持ってこられた山羊皮の外套を彼に送ったことがある。しかし窮屈すぎて上等すぎると見て、これをも送り返した — あまりにみすぼらしくて、安価な長衣をずっと使いつづけていたからである。

 この人物の蜂蜜は、見る人たちにも3倍渇望され、聞く人たちにもあまりに恋しい。というのは、わたしは知っている、人間どものうち誰一人として、特別嘲笑好きな人たちでさえ、この人物に非難を浴びせたことの或る者は 24.9.20 いない。それどころか、誰しもが讃歌し、祝福し、彼のもとに通う人たちは、離れることを拒むのである。


25."t".1
アスクレーピオス

25.1.1
 この講中には、驚異の人アスクレーピオスも属し、距離は10スタディオン隔たっていたが、同じ隠修者生活を渇仰していた。すなわち、彼の食べ物も同じ、着るものも、性格の適度さも、客遇愛も、兄弟愛も、穏やかさ、親切さ、神との交わり、極端な貧しさ、徳の豊かさ、哲学の富、その他、あの聖なる頭についてわたしたちが述べたかぎりのすべてが〔同じであった〕。謂われているところでは、彼は村に住む兄弟たちの数に入れられていたとき、修道的で端正な生活を喜び、多衆との交流から何らの弊害を引きこむことはなかったという。そういう次第で、市民的生活、隠遁的生活、いずれの生活においても傑出した者となったので、当然ながら二重の花冠にあたいするとみなされるであろう。

25.2.1
 また、他にも多くの人たちがこの人の徳を渇仰し、われわれの〔都市〕のみならず、近隣の諸都市や村々もこのような哲学に満たされた。で、これらの一人が、ニムゥザと呼ばれる村で、ある僧坊に閉じこもった、最も神的なイアコーボスもそうであり、彼は生のまさしく終わりが近い — というのは、齢90歳以上であった — にもかかわらず、独り閉じこもり、斜めに掘られたほんの小さな孔を通して、見られることなく応答をなし、火を用いることもなく、洋燈の光を享受することもなかった。ところがわたしをば、二度、戸口を掘り抜いて中に入るよう指示し、これによってわたしを光栄に浴せしめ、わたしに関していだいている愛情を示してくれたのである。ところで、なお存命の人たちは、わたしからの言葉を必要としない。これらの人たちの哲学の目撃者に、なろうと思えば、なれるからである。ところが、未来の人たち、これらの人たちと面談することに与れない人たちには、これらの事柄でさえ、益するに充分である。この人たちの哲学の性格を示すからである。そういうわけで、ここからこの人たちに関する言葉を結論づけ、祝福の交換を申し出たうえで、別の話に移ることにしよう。


26."t".1
シュメオーネース

26.1.1
 大シュメオーネース、人の世の大いなる驚異を見知っているのは、ローマ人たちの覇権の聴従者たち全員であり、聞き知っているのは、ペルサイ人たちも、メーディア人たちも、アイティオピア人たちもそうであり、その評判はスキュティアの遊牧民たちにも及んで、この人の愛労と愛知を教えていた。ところがわたしは、言葉を超えた競合の証人として、いわば全人類を有していながら、その話は真実味のない御伽話だと将来の人たちに思われるのではないかと恐れてきた。なぜなら、為されたことは人間的自然よりあまりに高いからである。そもそも人間は、言われている事が自然に適度であることを好むものである。もしその〔自然の〕限界を超えたことが言われた場合には、神的な秘儀に与らぬ者たちにとってその言葉は嘘とみなされるのである。しかし、大地と海は敬虔な人たちに満ちており、その人たちは神的な事柄で教育されてきて、全聖なる聖霊の恩寵を教えられてきたので、言われるであろうことを信じないどころか、確信するであろうから、わたしは熱心に、勇んで話をしよう。そこで、上界からの召命にも価値ありとされたところから、始めよう。

26.2.1
 ある村が、われわれの〔地方〕とキリキア人たちの地方との中間に位置してある。これをばシカーと〔人々は〕名づけてる。ここの出自で、初めは生みの親たちによって家畜の飼い方を教えられたが、この点でも、偉大な人々、族長イアコーボス〔CF. GEN 30:29-43〕、慎み深いイオーセープ〔CF. GEN 37:2〕、立法者モーゥセース〔CF. EX 3:1〕、王にして預言者ダビド〔CF. 1SAM 16:11〕、預言者ミカイアや、彼らと同時代の神々しい人々に照応している。しかしあるとき、降雪が大量にあり、羊たちが屋内にとどまることを 26.2.10 余儀なくされたとき、休息を享受し、両親と一緒に神殿に参詣した。以下は、彼の聖なる舌が話すのをわたしが聞いた内容である。そういう次第で、彼は聞いたと謂う、福音的な声が、悲しみ歎く者たちを浄福視し、笑う者たちをみじめなやつ呼ばわりし、清浄な魂を所有する者たちや、その他彼らに結びつくかぎりのことどもをも、羨ましいものらと名づけるのを。次いで、居合わせる人たちのひとりに、どうしたら、ひとはそれらの各々を所有できるのかと質問したという。すると相手が、彼に単住的生を示唆し、あの究極の哲学を例示したという。

26.3.1
 そういう次第で、神的な言葉の種子を受けとり、魂の深い畝にこれらを美しく仕舞い込み、聖なる殉教者たちに近い墓所に急いだ、と彼は謂った。そこでは、地に膝と額を押しつけ、あらゆる人間どもを救おうとなさる方に、敬虔の完全な道に自分を道案内するよう嘆願したという。で、長い間、その仕方で時を過ごした彼に、一種の甘い眠りが訪れ、次のような夢を見たという。「土台を掘っていたように思われる」と彼は謂う、「次いで、26.3.10 ある人が立っていて、わたしが堀をもっと深くしなければならないと〔いうのを〕聞いたように思われる。そういう次第で、彼が命じたとおり深さを加えたうえで、再び暫時休憩しようとした。しかしながら、またもや、わたしに掘るよう、そうして労苦をやめぬよう彼が指図した。で、三度も四度もわたしにこれを実行するよう言いつけ、ついに、深さは満足であると彼が謂い、今後は労苦なく建設するよう命じた。労苦は熄み、建設は苦労なくなろうから、と」。この予言には出来事が証言している。事実は自然を超えるからである。

26.4.1
 それから起きあがり、近隣の何人かの修行者たちの住まいを訪れた。で、2年間、彼らといっしょに過ごし、もっと完全な徳に恋し、前の箇所でもわたしが言及した、テレダというあの村を訪れた。ここには、アムミアーノス、エウセビオスといった偉大にして神的な人たちが修行的格闘場を引率していた。いや、ここに神々しいシュメオーネースが来訪したのではなく、ここから別の〔格闘場〕に芽を出したのである。というのは、エウセボナースとアビビオーンは、偉大なエウセビオスの教えを享受し、哲学の 26.4.10 この思索道場を建設した。で、生涯を通じて、同じ考えを持ち、同じ性格を有し、あたかもひとつの魂を二つの身体に示すがごとくで、人生の恋仲間を数多く有していた。そしてこの人たちが、令名とともに人生を超出した時、驚嘆すべきヘーリオドーロスが共住者たちの嚮導を受け継ぎ、彼は65年間生きながえたが、62年間ずっと内に閉じこもりつづけた。というのは、3年間、生みの親のもとで育てられた後、この群の中に入り、人生に起きたことを何ひとつ観たことがなかったからである。で、豚とか雄鶏とか、その他のそういったものらの姿そのものさえ 26.4.20 知らないと彼は主張した。わたしもこの人との面談をしばしば享受したが、性格の単純さに驚き、魂の清らかさには大いに一段と驚嘆しものだ。

26.5.1
 この人のもとに到着して、敬虔の五種格闘技のこの競合者は、十年間ずっと競いつづけた。80名の競合仲間を有していたが、誰よりも抜きん出ていた。実際、他の者たちは、一日おきに栄養を享受していたが、彼のみはまる1週間ずっと食なしでありつづけ、指導者たちは〔そのことが〕我慢ならず、いつも内輪もめし、その事態を戦列の乱れ(ajtaxiva)呼んでいたが、言われることで説得できず、〔彼の〕渇仰に歯止めをかけることもできなかった。

 あの、現在、同じ群の嚮導者となっている当の本人が 26.5.10 話してくれるのをわたしが聞いたところでは、あるとき、ナツメヤシからこしらえられた縄 — しかしそれは手で触ってもあまりに粗末なものであった — を得て、これを腰に帯をした。外から巻いたのではなく、皮膚にじかに締めて。そして、そういうふうにしてひどく引き絞ったので、取り巻かれたあの輪の部分全体を傷つけるほどであった。しかし、十日以上ずっとこの仕方でありつづけ、傷がもっと困難なものになって、血の滴りを放射したので、ある人が観て、血の原因は何かと彼に質問した。すると彼は、問題は何もないと言ったが、その競合仲間は強要し、26.5.20 手を差し入れ、原因を悟って、これ〔原因〕を指導者に告げ口した。そこで、たちまち叱りつけもし、訓戒もし、事の野蛮さを詰りもして、やっとあの緊縛を解かせた。しかしながら、そういうふうにしても、あの傷に手当てのようなものを施すよう説得できなかった。他にもそういったことをするのを見て、あの格闘場を離れるよう彼らは命じた。身体の点でより弱い連中に、力を超えたことを張り合って、害の原因にならないためである。

26.6.1
 そういう次第で、出ていって、山のもっと人気のないところに辿り着き、水の涸れた、それほど深くない貯め池のようなものを見つけて、そこにわが身を降ろし、神に讃歌を捧げた。かくて五日が過ぎ、あの格闘道場の嚮導者たちは心変わりして、ある二人を派遣して、彼を探索して連れ帰ることを任せた。それだからこそ、この者たちは山をさまよい、そこで家畜を飼っていた或る者たちに訪ねた。これこれの肌色をして恰好をした者を誰か見たかどうか。すると、牧童たちがため池を示したので、26.6.10 すぐにさんざんに大呼し、縄を持って来て、さんざん労苦して彼を引き上げた。下りほどには登りは楽ではなかったからである。

26.7.1
 そういう次第で、あの人たちのところで少しの期間時間をつぶした上で、テラニッソス村にやって来た。これは、現在彼が立っている頂上の下にある。ここに、小さな小屋を見つけ、3年間ずっと閉じこもりつづけた。そして常に徳の富を増やすことに貪欲で、モーゥセース〔Cf. Ex 24:18〕やエーリアー〔Cf. 1Kgs 19:8〕といった神的な人々と同様、40日間ずっと食なしで居続けることを欲した。そして驚嘆すべきバッソス、これは当時、村の主教たちを監督するため、数多くの村々を巡廻し、屋内に何も残さず、26.7.10 扉を泥で塗りこめさせていた人である。ところが彼は、事の難しさをも指摘し、暴力的な死が — それこそ最大にして第一の告発だから — 徳だと考えてはならないと訓告したとき、「いや、少なくともあなたは」と彼が謂った、「おお、師父よ、わたしにパン10個と水の壺を下され、そうすれば、身体が栄養を必要としていると見れば、それらを摂ることにしよう」。彼が命じたとおりになった。そうして、あるものらは取り除かれ、扉は泥で塗りこめられた。かくて40日が終わってから、あの驚嘆すべき人にして神の人バッソスがやって来て、泥を取り去り、扉から中へ入って、見出したのは、26.7.20 パンの〔そのままの〕数、見出したのは、水の満ちた壺、そして呼吸もなく横たわって、発声することも動くこともできない彼であった。そういう次第で、海綿を要請し、これで口を湿らせ、すすいで、彼に神的秘儀の割り符を奉った。そしてこういうふうにして、それらのおかげで 26.7.25 元気回復し、身を起こし、幾ばくかの程よい栄養を摂った。レタス、セロリ、こういったものらに近いものを細かく噛み砕いて、胃に送りこんだのである。

26.8.1
 そういう次第で、感嘆措く能わず、偉大なあのバッソスは、自分の群に辿り着いた。大いなるこの驚異を話すためである。というのは、二百人以上の信奉者たちに託宣していたからである、所有物も騾馬も持つことを許さず、黄金の寄進を受け取ることも、何か必需品を買うためであれ、誰か知人に会うためであれ、扉の外に出ることも〔許さず〕、屋内で過ごし、神的恩寵から遣わされる栄養を受け取るようにと。この律法を、今日に至るも信奉者たちは守り、人数もより多くなって、授けられた 26.8.10 掟を踏み外すことがなかった。

26.9.1
 しかし、わたしは偉大なシュメオーネースに移ることにしよう。
 さて、その〔時〕から今日に至るまで — 28年が経過したのだが —、40日間食なしのままである。しかし、時間と修行は労苦のより多くを剥ぎ取った。というのは、最初の日々は、立ったまま不動でいることや神を讃美することが習いであった。次いで、断食のせいで身体がもはや不動を持ちこたえる力無く、以後は坐って神的な勤行を執り行うようになり、最期の日々は、寄りかかるのが習いとなった。というのは、体力が徐々に使い果たされ、消えゆき、26.9.10 半死にで横たわることを余儀なくされたからである。しかし柱頭にあったので、降りることを認めず、不動を別の仕方で工夫した。つまり、ちょっとした紐を柱に縛りつけ、この紐に今度は自分を小綱で結びつけて、そうやって40日間を持続したのである。その後は、以後、上方からの恩寵をより多く享受して、この補助を必要とすることもなく、40日間不動で立ち続けた。食べ物を享受することなく、渇仰と神的恩寵によって強化されて。

26.10.1
 さて、わたしが謂ったように、あの小屋に3年間住持した後、周知のこの山頂に辿り着き、囲壁が輪状につくられるよう言いつけ、鉄で20ペーキュスの鎖をこしらえ、これの一方の端をとある最大の岩に釘付けし、他方〔の端〕を右足に結びつけ、望んでもその限界以上には離れられないようにして、絶えず内ですごした。天を幻視し、諸天の上方のことを観想することを望んで。というのは、精神の飛翔を鉄の縛りが 26.10.10 妨げたからである。しかし、驚嘆すべきメレティオスが、当時、アンティオコスの都市の地方を監督するよう配属され、この人は精神健全で、洞察力に輝き、抜け目なさに飾られた人物で、鉄が多すぎる、決意は身体に道理にかなった枷をまとわせれば充分なのだから、と謂ったので、譲歩して、その忠告を従順に受け容れ、青銅細工師が呼ばれるよう命じ、縛りを解くよう指図した。そこで、足に皮も結びつけられていたのだが、それは、鉄によって身体が損なわれないためで、これも — 縫い合わせられていたものだから — 剥ぎ取らねばならなかったとき、20匹以上の最大の南京虫が20匹以上、26.10.20 その中にひそんでいるのに気づいたと謂われる。これも、驚嘆すべきメレティオスが観たと謂った。わたしが〔このことに〕言及したのは、ここからもこの人物の大いなる堅忍を証示するからである。というのは、手で皮を圧し、すべて簡単に潰すことができるのに、堅忍して苦痛な咬み傷を我慢したのである、小さなことの中により大きな競合の鍛錬を歓迎して。

26.11.1
 されば、評判が至るところに広まり、あらゆる人たちが、近隣の者たちのみならず、多くの日数のかかる道のりを離れた者たちも、を押しかけた。或る者たちは、身体の弱った者たちを連れ、或る者たちは、患った者たちに健康を要請し、或る者たちは、師父になってくれるよう頼み、自然からは得られないものを、彼を通して得ることを嘆願した。そして、得て、要請を享受した者たちは、好機嫌で帰って行き、手に入れた善行を触れたので、同じことを必要とする幾倍もの人たちを送りこんだ。で、こういうふうにして、26.11.10 あらゆる人たちがあらゆるところから来訪し、あらゆる道が河のようになったので、人間の海が、諸々の河をあらゆるところから受け容れて、あの場所にできているのを見ることができる。なぜなら、蝟集してきたのは、われわれの住まいするところに住んでいる者たちのみならず、イスマエーリタイ人たち、ペルサイ人たち、アルメニア人たち、これらの手下の人たちや、イベーリア人たち、ホメーリタイ、あの人たちの内側の人たちであった。また、来訪したのは、西の端の多くの住民たち、つまり、スパノイ、ブレッタノイ、ガラタイ、それらの中央を領有している者たちであった。というのは、イタリアについては言うのも余計なことである。なぜなら、最大のローメーではこの人物はあまりに周知 26.11.20 となったので、仕事場のあらゆる出入り口に、彼の小さな似像を立てたと謂われる、自分たち自身の一種のお守りと安全を授かるためである。

26.12.1
 そういう次第で、数えられぬほどの来訪者たちが、みな、触れ、何か祝福を、あの毛皮の外衣から摘み取ろうと企てるので、最初は、栄化の行き過ぎを奇妙なことと思っていたが、次には、ことの辛さを忌避するためにも、柱上で立ったままの不動を工夫し、最初は〔柱が〕6ペーキュスに伐られるよう命じ、次いで12〔ペーキュス〕、その後では22〔ペーキュス〕、今は36〔ペーキュス〕に〔伐られるよう命じた〕。というのは、天に飛びあがり、この地上の暇つぶしを逃れることを彼は志しているからである。

26.12.10
 わたしとしては、神的計画なしにはこの立ったままの不動もなかったと理解する、それゆえ、非難する人たちに、舌に轡をかけ、勝手気ままに任せぬよう、むしろ、主人はもっと無頓着な人々の利益のために、こういうことをしばしば工夫なさるということを考察するようお勧めする。というのも、ヘーサイアース〔イザヤ〕に、裸体にして裸足で歩行するよう指図し〔Cf. Is 20:2〕、ヒエレミアース〔エレミア〕に、腰に帯を巻きつけ、そうやって聴従しない連中に予言をもたらすよう〔Cf. Jer 13:1〕、また他の箇所では、樹の首輪を、その後では鉄のそれを頸に巻くよう〔指図した〕〔Cf. Jer 28:13〕。また、オーセーエ〔ホセア〕に、売春婦を娶るよう〔Cf. Hos 1:2〕、さらに 26.12.20 今度は邪な姦通女を歓愛するよう〔指図した〕〔Cf. Hos 3:1〕。また、イエゼキエールに、右脇を下にして40日間横たわり、左脇を下にして150日間〔横たわるよう、指図した〕〔Cf. Ezk 4:4-6〕。さらにまた、壁を掘り抜いて、逃れ出るよう、そして囚われの身を自分で素描するよう〔指図した〕〔Cf. Ezk 12:4-5〕。さらに他の箇所でも、剣を切っ先まで研ぎすまし、これで頭を剃り、4つに髪を分け、一つはこれこれに、一つはこれこれに分配するよう〔指図した〕〔Cf. Ezk 5:1-4〕が、すべてを列挙することはやめておこう。こういったことの各々が生じるよう、全体の差配者(pruvtaniV)が指図したのは、言葉で説得されぬ連中、予言に耳を傾けることさえ我慢せぬ連中を、26.12.30 観想の意想外さによって寄せ集め、予言に耳を傾けるよう仕立てるためである。いったい、誰が、神的な人が裸で歩いているのを観て、仰天しないことがあろう。預言者が売春婦と同居するのはいったいどうしてかと、質問しない者がはたしてあろうか。されば、あれらのことの各々が起こるようにと全体の神が指図なさったのは、安易さとともに生きてきた者たちにとっての有益さを先慮なさったからであるように、そのように、この新奇でもあり意想外でもある見物(みもの)を差配なさったのは、物珍しさによってあらゆる人々を見物に引きつけ、来訪者たちに提示された勧告を 26.12.40 説得的なものに仕立てるためである。というのは、見物の新奇さは、教えの価値ある保証となり、見物にやって来た者は、神的な事を教育されて帰って行くからである。そうして、あたかも、人間どもを王支配することに当籤した人たちが、ある周期で貨幣の似像を変え、ある時はライオンの表象を刻印し、ある時は星辰や天使たちの〔それ〕、他の時には馴染みのない型で、金貨をより高価なものとして表明しようと試みるように、そのように、全体の全王は、26.12.48 一種の型のようにこれらの新奇で多種多様な生き方を、敬虔にまとわせることで、信仰の養分のみならず、不信仰に病んでいる人たち舌を祝福へと動かせるのである。

26.13.1
 これらのことがこういう仕方を有しているということを証言しているのは、言葉ではなく、事実の叫びである。なぜなら、何万人ものイスマエーリタイ〔イシマエル人、北アラビア地方の遊牧民族の総称。アブラハムの子イシマエルの子孫といわれる〕が、不敬の闇に隷従していることを、柱頭の不動が照らしているからである。

 というのは、あたかも、一種の燭台の上に据えられた最も明るいこの灯火が、太陽のように、くまなく光線を放ったからである。そうして、わたしが謂ったように、イベーリア人たちも、アルメニア人たちも、ペルシア人たちも、来訪して神的洗礼を享受するのを見ることができる。イスマエーリタイにいたっては、講中をなして来訪し、同時に200人、300人、時には 26.13.10 1000人もが、父祖伝来の欺瞞を叫び声とともに否認し、あの人たちによって崇拝されていた偶像を偉大なあの光の前で潰し、アプロディテーの狂宴を放棄し — というのは、もともとこのダイモーンの奉仕を彼らは迎え入れていたのだから —、神的秘儀を享受するのである。聖なるあの舌からの律法を受け容れて父祖伝来の習慣におさらばして、野生ロバやラクダの嗜食を拒んで。

26.14.1
 わたしはそれらのことの目撃者ともなり、父祖伝来の不敬を拒否する人たちからも、福音的教えに賛同する人たちからも聞いたのである。さらにまた、一度、わたしは最大の危険を持ち堪えたこともある。というのは、彼本人が、彼らに、やって来るよう、そして、わたしのもとで司祭の祝福を受けるよう、命じた。彼らがそこから最大の利得を果実として収穫すると謂うのである。すると、あの人たちはとても野蛮な仕方で馳せ参じ、或る者らは前から〔わたしを〕引っ張り、或る者らは後ろから〔引っ張り〕、他の者らは脇から〔引っ張り〕、或る者らは遠くから他の者らにのしかかって、手を差しのばし、或る者らは顎髭を 26.24.10 引っ張り、一方、或る者らは外衣を引っつかんだ。わたしはあの者たちのあまりに熱心な押しかけのせいで窒息したことであろう、もしも彼が大声を出して、全員を追い散らさなかったとしたら。このような利益を、嘲り好きな連中によって笑いものにされる柱がほとばしらせたのであり、神知のこれほどの光線を、非ギリシア人の精神に送りこんだのである。

26.15.1
 また他にも、これらの人たちによって次のことが起こったのをわたしは知っている。神的な人が、ある祈りと祝福を自分たちの部族長に送るよう、一つの部族が嘆願した。しかし、他の部族が居合わせて反対した。祝福を送る必要があるのは、あの部族にではない、自分の嚮導者にだ。なぜなら、前者は不正このうえないが、後者は不正とは無縁だからという。そこで長々しい愛勝と野蛮な争いが起こり、ついにはお互いに対して間合いを取った。そこでわたしは、さんざん言葉を尽くして、平静になるよう勧告した、神的な人は、26.15.10 これにもあれにも祝福に与らせるに充分であるからと。しかしながら、この者たちも、あの方はそれ〔祝福〕に関与してはならないと言い、あの者たちも、相手からそれ〔祝福〕を奪おうと試みた。すると、上方から彼らを威嚇し、犬どもと呼び、かろうじて愛勝心を鎮火させた。これをわたしが謂ったのは、彼らの精神の信仰を示そうとしたからである。というのは、彼らはお互いに対してこうは怒り狂わなかったであろう、もしも、神々しい人の祝福が最大の力を有していると信じなかったならば。

26.16.1
 さらに他の時にも、謳歌される驚異が起こるのをわたしは観た。つまり、ある人 — これもサラケーノス族の部族長であった — が入ってきて、神的頭〔シュメオーネース〕に、道中、身体の四肢の弛緩した者を助けるよう嘆願した。〔その人物が〕言うには、カッリニコス — これは最大の要塞であった — でこの病状を持ちこたえてきたという。されば、真ん中に運ばれた人に、祖先の不敬を否定するよう彼〔シュメオーネース〕は命じた。そこで喜んで聴従し、命じられたことを満たすと、父とひとり子と聖霊を 26.16.10 信じるかどうか尋ねた。相手が、信じると同意すると、「これらの」と彼は謂った、「呼称を信じるなら、立ち上がれ」。そこで立ち上がると、部族長を肩に乗せて宿営そのものまで運ぶよう指図した — ところが、彼は最大の身体を持っていた —。彼はただちに受け取って、立ち去り、居合わせた者たちは、神の讃美に舌々を衝き動かせた。

26.17.1
 彼がこれを指図したのは、主人を模倣したからである。〔主は〕中風患者に寝椅子を運ぶよう命じられた〔Cf. Mt 9:6〕。しかし、何びとをしても、この模倣を僭主的と呼ばせしめてはならない。発言があの方のものだからである、「わたしを信じる者は、その者も、わたしが為す業を為すであろう、それらよりももっと大きな〔業〕を為すであろう」〔Jn 14:12〕。わた、この公言の結果をもわたしたちは観た。というのは、主の影はどこにも驚異を働かないが、偉大なペトロスの影は〔Cf. Ac 5:15〕死をも破り、病気をも追い出し、ダイモーンたちをも敗走させたからである。しかしながら主人は、僕たちを介して 26.17.10 これらの驚異をも活動させ、今はこのようにあの方の呼称を用い、神的シュメオーネースが無量の驚異の業を為すのである。

26.18.1
 例えば、ほかの驚異も、前のそれにけっして劣らぬのが生起することになった。というのは、主たるかたクリストスの名を救いと信じた者たちのうち、イスマエーリタイ族の無名ならざる或る者が、彼〔シュメオーネース〕を証人としてそのもとに祈りと約束をなした。その約束とは、以後、命終するまで、あらゆる有魂の栄養を断つというものであった。どうしてかは知らないが、あるとき、この公言に違背し、小鳥を犠牲にして食しようとした。しかし、神は、彼〔シュメオーネース〕が譴責によって回心させ、違背される約束の証人になっているご自身の奉仕者を栄化することを欲したので、26.18.10 小鳥の肉は石の自然に変化し、そのおかげで、以後、これ〔小鳥〕を食することができなくなった。いったい、どうして出来ただろうか、喰らおうとした身体が石化したのに、食うことが。この意想外な光景に仰天して、非ギリシア人は大急ぎで、神意にかなった人をつかまた。隠されていた罪を光明のもとに曝し、違背を万人に公表し、躓きの赦しを神に要請するため、聖者を援助に呼んで、そうやって、彼の全力の祈りによって罪の縛めから自分を解放できるためである。]

26.19.1
 さて、わたしは諸々の驚異の目撃者のみならず、未来に起こることの予言の聞者ともなった。というのも、生起する干魃や、あの年のたいへんな不作や、付随する飢饉ならびに疫病を、2年前に彼は予言し、笏が人間どもに揮われ、これによって笞をあらかじめ表しているのが観られる、と述べていた。また他の折にも、いわゆるイモムシ〔kavmph〕の襲撃をあらかじめ明らかにし、何ら大して害されることはない、それは神的な人間愛がその罰に伴うからだ、という。しかし、26.19.10 30日が過ぎると、限りない大軍が飛来し、光線を遮り、造作なく影をつくり、しかも、われわれははっきりと観るであろう。しかし、言葉なき〔動物〕の飼い葉のみ害され、人間どもの栄養には何らの害ももたらさなかった。わたしにも、誰かによって戦争を仕掛けられたときには、15日前に、敵の壊滅を告知し、経験によって予告の真理性をわたしは学んだのである。

[さらに彼には、あるとき、2つの笏が天から運ばれ、東と西の大地に落下するのが見らた。するとすぐに、ペルシアとスキュティアの族民の、ローマ人の支配に対する叛乱と、26.19.20 神的な人はこれを明らかにした。居合わせる人たちにこの幻を説明し、おびただしい涙と止むことなき哀願によって、世界に対する脅迫の打撃を静止させた。だが、ペルシア人たちの族民がすでに武装し、ローマ人たちに対する攻撃も楽であるとき、26.19.24 反対する神的力によって目前の出撃を阻止され、内部のみずからの恐怖に完全に占められた。]

26.20.1
 他にもこういったことを非常に多く知っているが、省略しよう、言葉の長さをまぬがれるためである。以上のことも、少なくとも、彼の精神の聖霊的観想を示すに充分である。

 この人の令名は、ペルシア人たちの王のもとでも甚だしかった。例えば、あの人のもとを来訪した使節たちが話したとき、この人の生が何であり、驚異はいかなるものかしきりに訊きただした。またこの人〔ペルシア王〕の配偶者は、この人の祝福の光栄に浴したオリーブ油を所望し、最大の贈り物として受納したと謂う。さらに王の取り巻きたちもみな、26.20.10 その評判に圧倒され、マゴス僧たちから彼に対する中傷を数多く受け取っていたにもかかわらず、詳しく訊きただし、教えを受け、神的な人と名づけた。まして残りの群衆は、騾馬追いたち、家僕たち、兵士たちに近づき、金銭を寄進し、オリーブ油の祝福に与ることを嘆願した。

26.21.1
 また、イスマエーリタイの女王は石女で子どもを切望し、初めは、最高位にある人たちの何人かを派遣し、母になれるよう嘆願した。かくて要請を手に入れ、渇望したとおりに産んだので、生まれた王子を連れて、神的な長老のもとに急いだ。しかし、女は入ることが出来なかったので、彼のもとに赤児を送り、彼からの祝福を得られるよう嘆願した。「なぜなら」と彼女は謂った、「この束はあなたのものですから。というのは、わたしは涙とともに祈りの種子を捧げ、あなたはその種子を束と 26.21.10 ななされたのですから、祈願をもって神的恩寵の雨を引き寄せて」〔Cf. Ps 126:5〕。

 しかしながら、いつまで、アトラース海の深さを測ることを愛勝するつもりか。というのは、あれが人間どもにとって測り得ないように、日々あの人によってなされることは話を超越しているのだから。

26.22.1
 しかしわたしとしては、それらのすべてより前に、彼の堅忍にわたしは驚嘆する。というのは、夜昼別なく、万人に見られながら彼は立ち続けた。というのは、扉を取り去り、囲いの部分は少しも残さず、万人にとっての新奇で意想外な見物として身をさらし — あるときは長い間立ちつくし、あるときは繰り返し身をかがめて神に礼拝を捧げて。さらに、そこに立っている者たちの多数が、跪拝を数える。しかし、わたしに同行した者たちの或る者は、一度、千二百40と4回まで数えたが、26.22.10 次にはしゃがみこんで票を投げ出した。いつもはかがみこんで、両足の指に額を近づける。というのは、1週間に一度栄養を、それもわずかを胃が受け容れるので、楽に曲げることを背に譲るからである。

26.23.1
 しかし、立ち不動の結果、悪性の腫瘍が片方の足に出来、そこから不断に非常に多量の体液が流れ出たと謂われる。しかしながらやはり、それらの病状の何ひとつ、哲学を反駁することなく、自発的なことも不本意なことも気高く堪え、これもあれも熱望によって包んだ。しかし、あるとき、この傷をある人に見せざるを得なくなったことがある。そこで、その理由をもわたしは話そう。

 ある人がラバイネーからやって来た、真面目で、クリストスの助祭の名誉を受けていた人物である。この人物があの 26.23.10 山頂にやって来て、「わたしに云ってください」と謂った、「人間どもの種族を自身の方に転向させる真理そのものにかけて、あなたは人間なのですか、それとも、身体なきものの自然なのですか」。居合わせた人たちがこの質問に不機嫌になったとき、みなに静かにするよう命じ、あの者に向かって言った。「いったいどうしてその質問を持ち出したのか」。すると相手がこう述べた「万人が囃し立てているのをわたしは聞きました、あなたが食べもせず、眠りもせずと。しかし、どちらも人間にとって固有のことです。なぜなら、この自然を有する者は、栄養と眠りなくして生きながらえられないでしょうから」。柱に梯子を立てかけるよう指図し、あの者に、26.23.20 登ってくるよう命じ、先ず最初に両手を調べるよう、次いで毛皮の外套の中に手を入れるよう、そして、両足だけでなく、厄介このうえない傷をも見るよう〔命じた〕。そこで、見て、件の人物は傷の過度さに驚嘆し、彼から、栄養を享受していることを学び、そこから降り、わたしのところにやって来て、すべてを話してくれたのである。

26.24.1
 公的全祭のおりには、他の堅忍をも見せつける。すなわち、日没後、これが再び東の地平線に出るまで、両手を天に差しのべて、夜通し、立ったままでいる、眠りに魅せられることもなく、労苦に勝利されることもなく。

26.25.1
 しかし、これほどの労苦と、成就の量と、驚異の多さにもかかわらず、心ばえ(frovnhma)の程よいこと、価値の点であらゆる人間の最後である。さらに、程よい心ばえに加えて、非常に近づきやすく、甘く、優美で、対話する人たちの各々に答える人である、〔相手が〕手仕事人であれ、物乞いであれ、田舎者であれ。また、気前のよい主人から教えの贈り物をももらった。そして、毎日2度、勧告を行い、聞く者たちの耳をあふれさる、26.25.10 非常に優美に対話し、神的聖霊の教育科目を提案し、天を仰いで飛翔するよう告げ、大地から解き放たれ、期待される王国を幻視し、ゲヘナの脅迫を恐れ、地上的なことを軽蔑し、来たるべき事を待つよう〔告げて〕。

26.26.1
 また、彼が裁判もし、真っ直ぐで義しい票決を下すのも目にすることができる。しかし、これらやこういった事どもを遂行するのは、第9時以後である — というのは、全夜と昼は、第9時にいたるまで、ずっと礼拝しつづけているからである。しかし第9時以後は、先ず第一に神的教えを居合わせる者たちに提起し、次いで、各人の要請を受けて、いくつかの癒しの業を働き、言い争っている者たちの争いを解決する。しかし日没後は、以降、神との対話を始めるのである。

26.27.1
 しかしながら、このような〔活動〕に従事し、これらのことをすべて行いながら、聖なる教会の先慮(promhqeiva)をゆるがせにすることもない — 時には、イウゥダイオイの向こう見ずを崩し、他の時には異端者たちの講中を解散させ、またある時は、これらのことについて王に書簡を送り、ある時は、支配者たちを神的熱心へと目覚めさせ、他の時には、諸々の教会の羊飼いたち本人たちにも、羊の群にもっと多くの世話をするよう言いつけて。

26.28.1
 さて、以上をわたしは詳述してきたが、それは、雨滴から雨を示し、人差し指を使って蜂蜜の甘さを読者に味あわせようとする試みであった。しかし、万人から歌われていることは、以上のことの幾層倍もあり、少なくともわたしが公言しているのは、すべてを著すということではなく、各人の生き方の性格を示すということである。当然ながら、他の人たちも以上のことよりもはるかに多くを著すことであろう。そして、彼が生きながらえれば、多分、より大きな驚異を付け加えるであろう。

 わたしとしては、彼も、みずからの祈りに救われ、26.28.10 こういった善き労苦にとどまれるよう、渇望もし、神に嘆願もする。〔彼は〕共通の飾りであり、敬虔の装飾なのだから。そうして、わたし自身の生も調律され、福音的生活へと方向づけられますように。

[ しかし、数多くの驚異と労苦を生き延びた人も — 太陽の火焔にも、冬の寒さにも、風の猛烈な襲撃にも、人間的な自然の弱さにも、かつてあった人々のなかでただひとり、打倒されざる者としてとどまった — その所以は、それから後は彼はクリストスと共に在り、度外れた競合の花冠を受け取らねばならなかったからであるが — 〔その人も〕死によって、人間であることを、信じない人たちに確証し、死後にも、26.28.20 揺るぎない者としてとどまり、そうして、天は魂が掴み、身体は転落することをこんなにも我慢せず、競技の場に 26.28.22 真っ直ぐに立つ様は、四肢のどの部分も大地に触れないよう愛勝する不敗の闘技者のごとくである。そのように、クリストスに遵う競技者たちには、死んでも、勝利が共に在りつづける。とにかく、あらゆる種類の病状の治癒と驚異と神的活動の力は、存命中のごとく、今も成就する。聖なる遺物の容れ物の傍のみならず、彼の最優秀賞と長年にわたる競技の記念物 — わたしが言っているのは、この人、もちろん、義しく誉めたたえられるシュメオーンの偉大な、謳歌される柱のことだ — の傍でも、彼の聖なる執り成しによってわたしたちは祈る、26.28.30 わたしたち自身が救済され、真っ直ぐな信仰に支えられ、われわれの主イエースゥス・クリストスの名前が添え名されるあらゆる都市と地方が、天と敵からあらゆる種類の攻撃と害によって試みられることなく守られますよう。栄光は彼のもの、永遠の永遠にいたるまで。]

 

27."t".1
バラダトス

27.1.1
 人間どもに共通の復讐霊(ajlavstwr)は、人間どものあらゆる自然本性を全滅の悲運に引き渡すことに愛勝することで、悪の数多くの道を見出し、敬虔さの養分は、天に至る登り道の数多くの異なった梯子を工夫するものである。すなわち、或る者らは仲間内で競技し — そのような共同体が無数あり、数において勝っている —、不老の花冠を享受し、渇望される登り道に与っている。或る者らは隠者的人生を歓迎し、神にのみ語りかけることを気づかい、人間的な慰めには何ひとつ与ることなく、そうやって勝利の宣告を享受する。また他の者たち — わたしたちがこのうちの何人かに言及したが — は、洞窟を、洞穴を、天幕を、小屋を持つことを説く伏せられることなく、剥き出しの大気に自分たちの身体を任せ、逆境に耐える。時には容赦ない寒気に凍え、時には〔太陽の〕光線の火に焼かれて。そしてこの人たちの生もまたさまざまである。すなわち、或る者たちは常時起立し続け、或る者たちは一日を着座と起立とに分ける。また或る者たちは、囲い壁のようなものの中に隠遁し、多衆との交わりを避け、或る者たちは、そのような被いを何ひとつ用いることなく、誰であれ望む人々の見物に身をさらすのである。

27.2.1
 しかし、これらの者たちの各々は、目下のところ省略せざるを得ない。驚異のバラダトスの生涯を著したいからである。というのは、この人も、堅忍の新しい行道(ejpithdeuvma)を考案したのである。すなわち、初めに、修屋に長い期間自身を閉じこめ、神的な魂指導術(yucagwgiva)のみを享受したのである。そこから、聳え立つ断崖に住持し、身体とも合わない小さな箱のようなものを材木でこしらえ、この中ですごしたのである。常時しゃがんでいなければならなかったのだが。というのは、高さが人体の丈に等しい長さを持っていなかったからである。しかも、この箱は板で継ぎ合わせることができず、格子戸に似て開いており、光の広々とした入口を持つ明かり窓に似ていた。そのため、雨の襲来を逃れることもできず、太陽の炎から自由になることもできず、他の野外修道者たちに似て、その両方を受け入れたが、隠遁の労苦だけは〔彼らを〕凌いでいたのである。

27.3.1
 長い期間、この仕方をやり遂げた後、出て行った。神々しいテオドトス──アンティオケイア人たちの〔管区〕の大祭司の監督を拝命していた──の勧めに屈したからである。しかしながら、彼は常時起立したままであった、両手を天に差しのべ、あらゆるものの〔創造者たる〕神を賛美し、身体全体を毛皮の上衣で包みこんで。ただし、鼻と口だけは、呼吸のために小さな開口部を残しておいた。普通の外気を受け入れて、呼吸するためである。さもなければ、人間どもの自然は生きられなかったであろうからである。かくしてこういったあらゆる労苦を持ち堪える。壮健な身体を恵まれていたどころか、あまりに数多くの病状に見舞われていたにもかかわらずである。熱意が沸きたち、神的な恋情に火と燃えて、労苦不可能な人に労苦を強いるからである。

27.4.1
 そしてまた、心を洞察力に飾られ、質問をするのも応答をするのも最善である。推理力は、アリストテレース的謎を読んだ人たちよりもより善く、より有力な時がある。徳のまさしく高みにありながら、心が舞い立つことを拒み、山のまさしく裾のあたりに引き下げるよう命じる。というのは、精神が虚栄によって点火されると、どれほどの害を引き寄せるか、彼は知っていたのである。この人の哲学も、要点は次のごとくである — 走路の目標をつかめるほどに生長しますように、というのは、こういった勝利をもたらす者たちの名声は、敬虔な者たちに共通の好機嫌なのだから。わたしとしては、この人たちの祈りに助けられて、この山から遠ざかることなく、少しずつ登り、この人たちの観想に耽ることができますように。


28."t".1
タレライオス

28.1.1
 タレライオスの叙述をも黙っているわけにはゆかない。というのは、その光景は驚異に満ちているからである。多くの人たちの叙述をわたしは耳にしたばかりでなく、思いもよらぬ光景の目撃者となったのである。

 すなわち、ガバラ — それは小さくて雅やかな都市である — から20スタディオンのところに、とある丘に住持した。ここにはダイモーンたちに奉納された神域があり、昔の不敬者たちによって数多くの供儀で崇敬されていた。ここに彼は小さな小屋を建てた。彼らはあの残忍なものたちにいつも奉仕し、言い伝えでは、それらの数多くの残忍さを奉仕によって宥めようとしたという。というのは、通りがかったものたちであれ、近隣のものたちであれ、多くのものらに乱暴を働いたのである。人間どもに対してばかりか、ロバたちにも騾馬たちにも牛たちにも羊たちにも。言葉なきものらに敵意をいだいたのみならず、それらを通して人間どもにも策謀して。そんなある時、この人物がやって来たのを見て、叩き出そうと試みたが、できなかったのは、信仰も擁護し、恩寵も防戦したからである。まさにそのために、忿怒と狂気に満たされて、そこに生えていた樹木に向かって進撃した。その丘のまわりには、数多くの無花果やオリーヴ樹が繁茂していた。それらのうち五百本以上が、突然引き抜かれたという。こういうことも、近隣の百姓たちが語るのをわたしは聞いたことである。彼らは、昔、不敬の暗闇に憑かれていたが、この人の教えと驚異の働きのおかげで、知神の光を受け入れた者たちであった。

28.2.1
 しかし、こういうことを残忍なダイモーンたちがしても、哲学の競技者を怖がらせることができなかったので、他にもまた別の工夫を凝らした。すなわち、夜、喊声を上げ、燈火を見せつけて、怖がらせ、思念に騒動を投げこもうと試みたのである。しかし、彼らのあらゆる計略を笑いとばしたので、後には、置き去りにして逃げ去った。

28.3.1
 この人は、直径2ペーキュスの車輪2つをこしらえ、両輪を板で、ぴったり合わさるようにではなく、離ればなれになるように結びつけた。次いで、中に坐り、木の留め具や釘で、その離れた板を固定し、車輪を宙づりにした。地上に別の3本の高い木を立て、その上端を別の木で結びつけ、その真ん中にあの2つの車輪を結びつけて、吊り下げて — これの内側は高さ2ペーキュス、幅1ペーキュス —、この中に坐って、というよりは吊り下げられて、これまで十年間を彼は過ごした。彼は身体が大きいので、坐っても首を真っ直ぐにすることができず、いつもかがんで坐り、両膝に額を押しつけている。

28.4.1
 彼のところにやってきて、わたしは彼が神的な福音の益を収穫し、そこからの益をきわめて入念に集めているのを見出した。そこで、この新しい暮らし方の理由を学びたいと渇望してわたしは質問した。すると彼は、ギリシア語で — というのは、彼の生まれはキリキアであったので —、「わたしは」と彼は謂った、「数多くの罪を負い、迫りくる罰を信ずるがゆえに、生のこの形を思いついたのじゃ、身体に程よい懲らしめを工夫して。待ち構えているあの群を取り去るために。というのは、それら〔待ち構えているものら〕は、数においてばかりか質自体においてもすこぶる困難なものらである。心ならずのものらであるゆえに。だが、意に反して生ずるものはおぞましい。その気のものは、辛いとはいっても、苦痛は少ない。なぜなら、自己選択したものであって、労苦は強制ではないのじゃから。されば」と彼は謂った、「これら小さなおぞましさによって、待ち構えているものらを減じることができ、ここから大いなる利得を持ち去れよう」。これを聞いて、彼がすこぶる賢明であることにわたしは圧倒された。おきまりの土俵で競技するばかりか、自家製の競技を思いつき、そればかりか、その理由を知り、他の人たちにも教えたことに。

28.5.1
 また驚異も、この人の祈りによって、多く〔の驚異〕が起こったと、周住民たちは謂った。人間どもばかりか、駱駝や驢馬や騾馬までもが奉仕を享受して。ここから、かつて不敬にとらわれていたあの族民は、父祖伝来の欺瞞を拒み、神の光の輝きを受け入れた。こういった奉仕によって、ダイモーンたちの神域を破壊し、美しき勝利を獲得した殉教者たちに最大の墓を興し、偽名の神々に神的な死体を対置した。

 この人たちの使者たちによって、この人も同じ勝利をもって競技の決勝点をつかみ、わたしたちも、この人たちやあの人の助けで、哲学の競技の熱き恋者となれますように。

2010.10.21.

29."t".1
マラナとキュラ

29.1.1
 最善な男たちの生活法を著してきたが、女たちの、それ以上競技したのでないにしても、それ以下ではけっしてないそれを言及するのがふさわしいとわたしは考える。なぜなら、彼女たちはより多くの賛美にあたいするからである。より脆弱な自然を受け継ぎながら、男たちと同じ熱意を見せつけ、先祖伝来の生まれついての恥から自由になった者たちであるから。


29.2.1
 そこで、目下の問題のために、マラナとキュラに言及しよう。彼女らは、堅忍の競技においてその他すべての女に勝利していた。彼女たちの祖国はベロイア、生まれは祖国の貴顕の出、養育は生まれに見合ったものであった。しかるに、そういったことすべてに見向きもせず、町の前にある小さな場所を手に入れ、これの中に入り、泥と石で扉を塞いだ。彼女たちと行を共にしたのが、この生を熱望する処女たちで、この囲いの外に小さな住居を建て、その中で過ごすよう命じた。そしてこの女たちは、小さな窓を通して、彼女たちによってなされることを見張る。そしてしばしば祈りのために起こし、神的な恋のために燃え立たせる。しかし彼女たちは家も小屋ももたず、野外の生を歓迎するのである。

29.3.1
 扉の代わりには、小さな窓が彼女らによってこしらえられ、これを通して、必要な食糧を受け入れ、自分たちのところへやってくる女たちと語り合う。だがこの交わりには、五旬祭の時機が定められていた。というのは、他の時期には平静の生活を歓迎しているからである。やってくる女たちと語り合うのは、マラナに限られていた。というのは、別の発言を耳にした者は、いまだかつてひとりもいないからである。

29.4.1
 また、彼女らは鉄を身に帯びるが、あまりに重いのを身に帯びるため、キュラは、身体がより弱かったので、大地にかがみ、全然身体を真っ直ぐにできないほどであった。被服はあまりに大きく、後ろに引きずり、文字どおり両脚をすっかり隠し、前方は帯そのものにまで届き、顔もろとも首も胸も両手も文字どおりすっかり隠していた。

29.5.1
 この女性たちと、あの扉の中に入って、わたしはしばしば面会した。というのは、彼女たちは〔扉を〕掘り抜いて、祭司職の監督を崇拝することをわたしに要請したからである。そこで、頑丈な男でさえ運べないような、あの鉄の重量をわたしは見たのである。そして何度も頼んで、さしあたっては取り去ることができたが、わたしたちが立ち去ると、再びそれを自らの四肢にひっつけたのである、首には首飾りとして、腰には帯として、手足には、それらに割り当てられたのを。

29.6.1
 そして、この生き方を彼女らは生きている、五年とか十年とか15年を達成するのみならず、42年間を。そしてこれほどの期間を競技したにもかかわらず、競技に接したばかりのように、汗を恋しているのである。というのは、花婿の美しさを幻視し、楽々と易々と、走路の労苦に耐え、競技の目的を獲得するべく駆りたてられ、あの中で恋される者が立って、勝利の花冠を指示しているのを凝視するからである。このゆえに、雨、降雪、太陽の攻撃を受けても、嫌がることなく、苦痛に感ずることもなく、嫌と思われる事柄から歓びを収穫するのである。

29.7.1
 そして、神々しいモーウセースの断食を熱望し、これほどの期間に3度、食べ物なしで過ごした。というのは、40日の間に、わずかな食べ物を摂った。さらにまた神的なダニエルの絶食に憧れ、3週間達成し、そのときに身体に食べ物を供給した。また、クリストスの救済の受苦に焦がれ、聖なる場所を見ようとアイリアに走り、道中ひとつの食事も取らず、あの都市に着き、礼拝をすませた後に食べ物を摂り、再び食べ物なしで旅を続けてもどった。その間の宿駅は20をくだらない。さらにまた、美しき勝利のテクラの、イサウリアにある神域を見物することを熱望した。神に対する愛の燃え木に、どこからでも点火するためである。行きも帰りも食べ物なしで、それほどまでに神的な魅力が彼女らにとりつき、そのあまりに、花婿に対する神的な恋情が彼女らを狂おしくさせたのである。  こうして彼女らは、このような生き方で女としての生まれを飾り立て、他の女たちにも模範となり、勝利の花冠を主によって冠されるであろう。わたしとしては、ここから得られる益をも供え、祝福をも摘んで、別の叙述に進みたい。


30."t".1
ドムニナ

30.1.1
 先にもわたしたちが言及した神々しいマローンの生を渇仰して、驚異の女(ひと)ドムニナは、母親伝来の家の菜園にとても小さな小屋を造作した。だが、彼女の小屋を形成したのは、黍の茎であった。そして、その中で日もすがら、とめどない涙で両頬を濡らすばかりでなく、髪の被り物をも〔濡らしたのであった〕。そのような衣裳で身体を包み隠していたからである。ただし、鶏鳴の頃おいには、遠くないところにある神殿に出かけて行って、女たちも男たちも、他の人々ともども、全体の主に讃美歌を捧げた。しかし、これを一日の初めのみならず、日の終わりにも実行したのは、神に聖別された土地は、別のどんな地よりも尊いと解し、他の人たちにもそう教えていたからである。このゆえに、彼にはじつに多くの心尽くしをする(ejpimeleiva)価値ありとし、母親と兄弟たちを説得して、財産をこれに費やさせた。

30.2.1
 食べ物としては、水に浸した豆を摂った。そうして、骸骨のようにやつれた、半死にの身体で、このすべての労苦を耐え忍んだ。というのは、皮膚は極薄の膜のようになって、細い骨を包み、脂肪と肉は、諸々の労苦のせいでやつれはてていたからである。そして、彼女を見ることを望む人たちには、男たちにも女たちにも、誰にも顔をさらすことはなく、顔を見ることもなく、他人に顔を見せることもなく、被り物にきっちり包み隠され、両膝までかがみこんで、あまりにか細い、わかりにくい言葉を発し、しかもいつも涙にくれながら口にしたのである。例えば、しばしばわたしの右手を取って、両眼に押し当て、びしょ濡れになったのを放したので、当の右手が涙をしたたらせるほどであった。

 そういうわけで、哲学のこれほどの富の中で、極端な貧しの中に生きた人たちと同じく落涙し、歎き、呻吟した女性を、称讃するにふさわしいいかなる言葉があろうか。なぜなら、あの涙を生んだのは、神に対する熱き恋情、神的観想へと理性を燃えあがらせ、光線で刺し貫き、そこから移行(metavbasiV)へと急き立てる〔恋情〕なのだから。

30.3.1
 さらに、これらのことにおいて日もすがら、夜もすがら過ごしながら、その他の種類の徳をゆるがせにすることもなく、わたしたちが言及し、また、省略した最善の闘技者たちには、可能なかぎり奉仕(qerapeuvein)した。さらにまた、自分のところに来訪する人たちにも奉仕し、村の羊飼いのところに宿泊するよう命じ、自分は必要品すべてを送りつけるのだった。なぜなら、彼女には母親と兄弟たちの〔財産〕が消費目的で供されており、彼女を通して祝福を収穫していたからである。わたしにも、あの地方 — われわれの地の南である — を訪問したとき、パンも、果物も、浸された豆も、送ってくれたのである。

30.4.1
 いや、この女性の徳すべてを詳述することにまで必死になって、いつまで長引かせることがあろうか、他の女たちの生をも話題の中心に据えるべきなのに。彼女たちは、この女性をも、また、先にわたしたちが言及した女性たちをも模倣した女たちである。というのは、他にも多数の女たちが、或る者たちは独居生活を喜び、或る者たちは、多数の者たちとの修道生活を歓愛し、およそ250人も、あるいはそれ以上か、それ以下の者たちが、同じ仕方で生活し、ひとつの食べ物で辛抱し、蓆の上でのみ眠ることを選び、手は羊毛に割り当て、舌は讃美歌で聖化していたのである。

30.5.1
 こういう無数の、数において打ち勝った、哲学の観想道場があるのは、われわれの地のみならず、東方全体である。で、これを満たすのは、パライスティネー、アイギュプトス、アシア、ポントス、エウローペー全体である。つまり、主クリストスが、処女から生まれることによって処女を栄かした時以来、処女性の草地を自然は芽生えさせ、これらの香りよき、凋むことなき花々を創造者に捧げたのである。徳を男と女とに分けることなく、哲学を2つの相違に区分することもなく。というのは、相違は身体にあるのであって、魂にあるのではないから。「イエースゥスのクリストスにあっては」神的な使徒によれば、「男も女もない」〔Gal. 3:28〕からである。そして、男たちにも女たちにも、1つの信仰が授けられてきた。なぜなら、「主はひとつ、信仰はひとつ、洗礼はひとつ、神、すなわち、すべてのものの父、すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、われわれすべてのものの中にいます神はひとつ」〔Eph. 4:5-6〕だからである。さらにまた、諸天の王国もひとつであって、これを競技審判者は勝利を得た者たちの前に置きたもうたのである、この賞品は闘技者たちに共通と定めて。

30.6.1
 そういう次第で、わたしが謂ったように、男たちのも女たちのも、敬虔の道場は数多く、それがあるのはわれわれのところのみならず、全シリア、パライスティネー、キリキア、メソポタミアである。アイギュプトスでは、噂では、いくつかの観想道場がそれぞれ5000人も擁し、〔彼らは〕制作し、合間に主を歌で讃え、必要な食べ物をこの労働から供給するのみならず、来訪する客たちや貧する者たちに援助しているという。

30.7.1
 しかし、すべてを詳述することは、わたしにとってのみならず、いかなる著作者にとっても不可能である。たとえ可能だとしても、余計なことであり、何ら利得をもたらさない功名心だとわたしは考える。なぜなら、利を収穫することを望む人々にとって、すでに述べられたことでも、渇望されていることをもたらすに足るからである。だからこそ、相違した生にも言及し、女たちのそれを、男たちのそれにわたしたちは付け加えたのである、それは、老人たちも若い者たちも女たちも、哲学の原型を有するため、そして各人が心にかなった生を模造し、話のなかにあった生を、みずからの〔生の〕一種の規準や指針として有するために。そして、ちょうど肖像画家のように、原型を凝視して、両眼も、鼻も、口も、両頬も、両耳も、額も、頭と鬢の毛そのものも、かてて加えて、坐っているところも、立っているところも、もちろん両眼の性質も、喜ばしいにしろ、険しいにしろ、模倣するように、そのように、この著書を読んだ人たちの各々も、模倣さるべき何らかの生を選んで、選ばれたあの生めざして、みずからの〔生〕を鍛錬するのがふさわしい。そして、大工たちが墨縄で板を真っ直ぐにし、定規を当てて、板が水平になるように見えるまで、出っ張りを削り取るように、そのように、何らかの生を渇仰することを望む人は、定規の代わりにそれを自分自身に当て、悪の余分を切り取り、徳の不足を補うべきである。そのためにこそ、わたしたちは著作の労苦をも引き受け、利益のきっかけを、望む人たちにあてがったのである。そこで、わたしは、読者諸氏が他の人たちの労苦を苦労なく狂喜し、この労苦を祈りに変えてくれることを要請する。

30.8.1
 さらにまた、わたしがその生を著した当人たちにもわたしは嘆願する。自分たちの霊的合唱隊からは遠くかけ離れたわたしを見過ごしにすることなく、下に横たわる〔わたし〕を引き上げ、徳の高みへと導き上げ、ご自身の合唱隊に触れさせてくださるよう。そうすれば、わたしは他人の富を祝福できるばかりか、自分もまた祝福のきっかけのようなものを得られるでしょう — 行いにおいても、言葉においても、精神においても、全体の救主を栄化することで。聖霊とともなる栄光は彼とともに父のもの、今も、常に、永遠の永遠に。アメーン。

forward.gifシリア修道者史(6/6)