Barbaroi!
[底本] TLG 0032 010 De republica Lacedaemoniorum, ed. E.C. Marchant, Xenophontis opera omnia, vol. 5. Oxford: Clarendon Press, 1920 (repr. 1969). *1.1-15.9. 5 (Cod: 5,026: Hist., Phil.) 第1章[1] ところで、かつてわたしは、きわめて人口の少ない諸都市の中で、スパルタのみはヘラスの中で最も強力にして最も有名であること明らかなことに気づき、いったいどうしてそのようなことが可能なのかと驚いたことがある。しかしながら、スパルタ人たちの諸制度に納得してからは、もはや驚嘆することはなかったのである。 [2] そのかわり、リュクウルゴスが彼らに法習を制定し、この法習に聴従することで彼らは繁栄したのであるが、この人物には驚嘆もし、賢明この上ない人物だとわたしは考えるのである。すなわち、この人物は、自余の諸都市を模倣するどころか、たいていの諸都市とはむしろ反対にさえ論結し、かくて祖国を繁栄ぶりの点で一頭地を抜いたものたるの実を示したのである。 [3] というのは、例えば、最初から始めるために、子づくりについてみれば、自余の人々は、やがては出産することになる娘たちを、美しく教育されたとの評判を得るよう、食べ物もできるかぎり程々にし、おかずも可能なかぎり少量にして養育する。さらには、酒はまったく控えるなり、〔認める場合も〕たっぷり水で割るなりして、過ごさせる。あたかも、手に技術を持った人たちの多くが座業従事者であるように、自余のヘラス人たちも、〔娘たちが〕おとなしくして、毛織物をすることを重視する。とにかく、このようにして養育された娘たちが、何ほどか偉大な子を生むことになろうと期待できようか? [4] これに反してリュクウルゴスは、衣装を作るのなら女奴隷でも充分に足ると考えたが、自由人の女にとっては、子づくりが最重要事であると確信し、まず第一に、女性も男性族に劣らず〔身体の〕鍛錬をするよう定めた。第二には、走りや体力も、男たちと同様、女性もお互いに競い合うようにさせたが、それは、強い両性から生まれてこそ、生子もより強くなると確信したからである。 [5] さらには、女が男のもとに嫁ぐと、始めのうちは妻と過度に交わるのを〔リュクウルゴスは〕眼にして、これについても正反対の結論に達した。すなわち、〔妻の部屋に〕入るのを目撃されることを恥じ、〔妻の部屋を〕出て行くのを〔目撃されるのを〕恥じるように制定したのである。かくすることによって、彼らはみな性交を恋いこがれるのが必然となり、かくして何かを生み成した場合には、お互い飽き飽きした者同士が〔生み成す〕場合よりも、より強壮な児が生まれるのが必然となる。 [6] これに加えるに、いつでも好きなときに各人が妻を娶ることをやめさせ、身体の盛りに結婚するよう定めた。このことも良産に寄与すると確信したからである。 [7] しかしながら、老年者が若妻を娶ることになった場合、これほどの年齢の者たちは、おのが妻を厳重この上なく監視するのを眼にして、これについても正反対の結論に達した。すなわち、年長者のためには、誰であれその身体と魂とにおいて感嘆される男――これを請じ入れて、子づくりをなすようにさせたのである。 [8] 逆に、妻と同居することを望まない者で、それでも語るに足るほどの子どもは欲しいという者の場合には、これも法制をつくり、誰であれ子宝に恵まれるような、生まれよろしき婦人を見つけたら、その所有者〔=良人〕を説得したうえで、その婦人によって子づくりをするようにさせたのである。 [9] これに類したことは、じつに多くのことを彼は許容した。なぜなら、〔スパルタの〕女たちは二つの家を取り仕切ることを望み、男たちは子どもたちに兄弟を付けてやることを〔望む〕からである。兄弟というものは、出生と権勢とを共有する一方、財貨のことでいがみ合うことはないからである。 [10] 子づくりについては、かくのごとくに、自余の〔国の〕人々とは正反対の結論に達したのだが、偉大さの点でも強さの点でも、かなり秀抜な男たちでスパルタを充満させたのかどうか、望む者は調べてみられるがよい。 第2章[1] ところで、わたしは、出生について詳述したのであるからには、それぞれ〔スパルタとその他の国と〕の教育についても説明したい。そもそも、自余のヘラス人たちのうち、息子たちを最美に教育すると称する人たちは、自分の子どもたちが言われていることを理解し始めるやいなや、ただちに、子どもたちのために付き人(paidagogos)として従僕を任命し、ただちに、教師たちのもとに送り出す。鍛錬も音楽も、角力場(palaistra)での事柄をも学ぶためである。これに加えて、子どもたちの足は履き物で軟弱にし、身体は上着を替えることで甘やかす。さらには、彼らの食事は満腹がふさわしいと信じている。 [2] これに反して、リュクウルゴスは、各人が個人的に奴隷を付き人に任命する代わりに、最高権職に就任している人たちの中の人物が彼らを統率するするようにさせたが、この人物こそ少年監督官(paidonomos)と呼ばれるものである。また、彼〔リュクウルゴス〕はこの人物に、子どもたちを召集すること、および、調査した上で、軽挙妄動する者がいれば、強く懲らしめる権限を与えた。さらに、この人物には壮丁たちの中から鞭持ちたち(mastigophoroi)をも付け与え、必要に応じて罰することができるようにした。かくして、大いなる謙虚さ(aidos)と、大いなる従順さ(peitho)とは、かしこ〔スパルタ〕では表裏一体なのである。 [3] さらに、足を履き物で軟弱にする代わりに、裸足で強化するように定めたが、それは、この訓練をすれば、登り坂ははるかに容易に越えることができ、下り坂はより安全に下ることができ、とりわけ跳ぶこと、はねること、走ることは、より速くできると確信したからである。 [4] また、上着で甘やかす代わりとしては、一年中1着の上着に慣れ親しむようにも定めたが、それは、かくすれば、寒さに対しても暑さに対しても、よりよく心構えができると確信したからである。〔註1〕プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』5 [5] さらに、食事は、エイレンが会食する際に保有する量は、決して満腹してだるくなることなく、欠乏状態で過ごすことに無経験でない程度と定めたが、それは、こう確信していたからである――このように教育された者たちは、必要とあらば、欠食のまま働き続けられる可能性大であり、下知されれば、同量の食事でより長時間持ちこたえられる可能性も大であり、おかずの必要性は小、いかなる食べ物を前にしてもより平気、しかもより健康に過ごせる、と。そして、背丈を伸ばすには、身体をほっそりさせる養育の方が、食事で太らせる養育よりも、より容易であると考えたのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』13 [6] だが、逆に、あまりに飢えに苦しむことのないよう、〔子どもたちが〕さらに必要とするものがあれば、面倒なしにはこれを手に入れることは彼らに〔リュクウルゴスは〕認めなかったが、しかし、何か飢えをしのぐ助けになるものがあれば、これを盗むことは赦したのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』12 [7] もちろん、〔子どもたちが〕自分たちの養育〔身過ぎの方法〕を策することを赦したのは、何か与えるものに窮してではないこと、このことに気づかない人はいないとわたしは思う。明らかに、盗みをしようとする者は、夜も眠ってはならず、日中も、騙したり待ち伏せたりし、さらには探りを入れて、何かを盗まれる相手を物色しなければならない。したがって、明らかに、こういったことすべてにおいて、子どもたちを必需品のよりすぐれた策士にすることを望んで、かくすることによってより戦闘的な者に教育したのである。 [8] そこで質問する人がいるかもしれない、――盗みが善いことと彼が信じたのなら、〔盗むところを〕捕まった子にひどい鞭打ちをくらわせたのは、はたしてなぜなのか、と。それは、――わたしの主張だが――、その他のことでも同じだが、人間は、教えることに美しく従わない者は懲らしめるものなのである。だから、あの〔ラケダイモン〕人たちも、捕まった子どもたちを、盗み方が美しくないとして罰するのである。 [9] ここにおいて彼が明らかにしているのは、必要とするのがいかなる機敏さであれ、だらしのない者は益されること最も少なく、面倒を招くこと最も多い、ということである。〔註2〕 [10] また、少年監督官がいないときでも、子どもたちが決して指揮者不在になることないよう、市民たちの中でその都度居合わせる者が権限者となり、何であれ善いと思われることを子どもたちに申しつけ、何か過ちを犯した場合には懲らしめるようにさせた。そしてこれを実行したことで、子どもたちをじつに謙虚にさせることに成功した。なぜなら、子どもたちも大人たちも、指揮者の前においてほど謙虚になることはないからである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』8 [11] さらにまた、たまたま大人がひとりも居合わせない場合でも、やはり子どもたちが指揮者不在のようなことにならないよう、エイレンたちの中で最も俊敏な者が、それぞれの少年組(ile)を指揮するように制定した。かくして、かしこ〔スパルタ〕においては、子どもたちが指揮者不在になることは片時もないのである。 [12] さらに、子どもたちの恋愛についても語られるべきだとわたしには思われる。なぜなら、このことも教育と関係するところがあるからである。そもそも、自余のヘラス人たちは、あるいはボイオティア人たちのように、大人と子どもとが一番(ひとつがい)になって交わるとか、あるいはエリス人たちのように、恩恵を施して年頃を手に入れるとか、さらには、愛者たちが子どもたちと対話することを完全に禁止している人たち〔=国〕もある。 [13] ところが、リュクウルゴスは、これらの人たちの誰とも反対の結論に達し、みずからがしかるべき人物である者が、その子どもの魂に感じ入り、愛友を非難されることなきようにさせて交わろうとするなら、〔リュクウルゴスは〕称讃し、これこそが最美な教育だと確信した。これに反し、ひとが子どもの身体に手をつけようとしていることが明らかな場合には、それを恥ずべきことと制定し、ラケダイモンでは愛者が子どもを忌避するさまは、あるいは生みの親が子どもに対する〔性愛を忌避し〕、あるいは兄弟が兄弟に対する性愛を忌避するのに劣らぬぐらいにさせたのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』7 [14] とはいえ、このことが一部の人たちには信じてもらえぬことに、わたしは驚きはしない。なぜなら、多くの諸都市にあっては、法習は子どもたちに対する欲情に反対してはいないからである。 さて、教育のことは、ラケダイモンのそれと自余のヘラス人たちのそれとが述べられた。だが、より従順で、より謙虚で、足らざることにも我慢できる男子が形成されるのは、両者のいずれからなのか、このことをも、望む者は調べてみられるがよい。 第3章[1] さらに、子ども時代から青年に成長すると、この年頃になると、自余の〔国の〕人たちは付け人をやめさせ、教師をやめさせ、もはや彼らを指揮する者は誰もなく、自立者として放任する。これに反してリュクウルゴスは、これらの点でも正反対の結論に達した。 [2] すなわち、この年頃の者たちには、思慮は最大のものが内生するものの、暴慢は最高潮に達し、快楽に対する欲求も最強のものが湧き起こるのを学び取って、この年頃になると、彼らに労苦を最多に加増し、多忙さを最多になるよう策した。 [3] しかも、これを免れようとする者があれば、美しいことにはもはや何ひとつ与れないように制定したので、公職にある者たちはもとより、それぞれの親戚の者に至るまで、〔青年たちが〕怯懦のために国家において完全な無資格者になることのないよう気づかうようにさせたのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』21 [4] これに加えて、謙虚さが強烈に彼らに内生することを望んで、路上でも、上着の中に両手を入れて、黙って進み、決してきょろきょろせずに、足の爪先のみを見つめるよう取り決めた。まさしくこれによって、男性族は慎み深さにかけても、女性の自然本性よりもより強いことが明らかとなったのである。 [5] とにかく、あなたは石像の〔声を聞くことはあっても〕、彼らの声を聞くことはめったになく、銅像の〔眼を惹くことはあっても、彼らの〕眼を惹くことはめったになく、彼らを衆人環視の中にあるいかなる花嫁よりも謙虚だとみなすことができるであろう。まして彼らが友愛会食場(philition)にやってきたときに至っては、質問されたこと〔の答えを〕彼らから聞けただけでも歓ぶべきことである。少年(paidiskos)たちについても、じつに以上のように、〔リュクウルゴスは〕配慮したのである。 第4章[1] さらに、壮丁になった者たちについては、〔リュクウルゴスは〕格段に真剣であったが、それは、彼らがしかるべき人物に育てば、この者たちこそが国を善い方向へと傾けるにちがいないと確信したからである。 [2] そこで、愛勝精神が格段に内生した者たちであれば、その者たちから成る合唱隊は聞くにあたいするものとなり、体育の競争も見物にあたいするものとなるのを見て、壮丁たちも徳について競い合わせれば、そうすることで彼らも勇徳の極みに達しうると確信した。それでは今度は、いかにして彼らを競争させたか、詳述しよう。 [3] つまり、監督官たちは彼ら〔壮丁たち〕の中の花盛りにある者たちの中から三人の人物を選出した。これこそ馬廻り組(hippagretai)と称される者たちである。そして、この中の各人が100人の人物を選抜したが、その際、ある者たちは抜擢し、ある者たちは失格させた所以を明らかにしたのである。 [4] そのため、美しきことに与れなかった者たちは、自分を排除した者たち、および、自分の代わりに選出された者たちと敵対し、美しいとみなされている事柄に何らかの点で軽佻浮薄かどうか、お互いに監視しあうことになる。 [5] これこそが、神の最も愛したもう争い、最も市民的な争いとなり、この争いを通して、善勇の士の為すべきことがすべて検証されるのであって、〔だから〕各人が最も勝れた者になるべく格別に修練し、いったん必要のある時は、一人一人が全力で救国の働きをするのである。 [6] しかも、彼らが良好状態を心がけるのは必然である。というのも、この争いが原因で、行き会ったところで殴り合うことになる。だが、喧嘩しているこの者たちを、誰でもその場に居合わせた者が仲裁する権限を有する。そしてこの仲裁に聴従しない者がいれば、これを少年監督官は監督官たちの所へ連れて行き、彼ら〔監督官〕が厳しく処罰するのであるが、それは、法習に聴従しないような衝動が決して優勢になることのない情態にならせることを望むからである。 [7] さらに、彼らが壮丁の年齢をまっとうし終えると、その中からやっと最高権職も就任するのであるが、自余のヘラス人たちなら、自分たちの強化を心がけることをもはや放置するくせに、依然として彼らに兵役に就くことが制定されているけれども、これに対してリュクウルゴスは、この年齢の者たちに、何か公的な仕事が妨げないかぎり、狩りをするのが最美ということを法制として、この人たちも壮丁に劣らず兵役勤務をになうことが可能なようにしたのである。 第5章[1] それでは、各年齢層にリュクウルゴスが立法した諸制度については、ほぼ述べつくされた。そこで、いかなる生活様式を全体にも制度化したのか、今から詳述してみよう。 [2] つまり、リュクウルゴスは、自余のヘラス人たちと同様、自宅に住まうスパルタ人たちを受け継いだのだが、そこではたいてい軽佻浮薄であるとの結論に達し、公然と寝食を共にすることを導入し、かくすれば、下命されたことを逸脱すること最も少なかろうと考えた。 [3] しかも、彼らの食物たるや、超過することも不足することもないように定めた。にもかかわらず、多くの余得が狩りの獲物から生じた。また、富裕者たちが、小麦パンとでも代わりに交換することもあったのである。その結果、宿舎を去るまでは、食卓に食い物がないことも、有り余ることも、あったためしがないのである。 [4] さらには、無理強いの飲酒もやめさせた――これ〔無理強いの飲食〕は身体を躓かせ、分別を躓かせる――のであるが、各人が飲むことを渇望するときには容認した。かくすれば、飲酒が無害この上なく、快適至極になると確信したからである。たしかに、寝食を共にしているかぎり、暴食や暴飲によって、自分や家庭をだめにする者がどうしてあり得ようか。 [5] というのも、じっさい、自余の諸都市では、たいてい同年齢の者たちがお互いに交際しているが、同年齢の者たちと一緒では、謙虚さが具わることも最も少ないのである。ところがスパルタでは、リュクウルゴスが混合した〔結果〕、若者たちは老年者たちの経験に多くを学ぶことができるのである。 [6] というのも、じっさい、何であれ国において美しく為した者は、友愛会食場で言いはやされるのが慣習であった。その結果、かしこ〔スパルタ〕では暴慢(hybris)の生じることは最も少なく、酒乱(paroinia)の生じることも最も少なく、醜態(aisxhourgia)や悪態(aisxhrologia)の生じることも最も少ない。 [7] それどころか、この外での食事は、もっと善い結果をうみだすもする。すなわち、家宅への往復を強いられるばかりか、もちろん、飲酒によって躓くことのないよう心がけることをも強いられるのであるが、それは、食事をとった当の場所にはとどまれないため、日中にすることを闇夜にしなければならないということを知っているからである。じっさい、まだ守備隊に属している者は、明かりを持って行動することも許されないのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』3 [8] さらに、リュクウルゴスは、同じ食事をとっても、骨身を削る者たちは血色よく、肉付きよく、力強いものとなるが、骨惜しみする連中は、息切れがしてしまい、不恰好で、脆弱となることを学び取って、このことも忽せにすることなく、ひとがみずからの判断で愛労するなら、身体を十全に保つようになることに気づいて、いずれの鍛錬場においても、その場の最年長者が、自分たちが食い扶持に釣り合わぬ者となることの決してないよう配慮することを定めた。 [9] そして、この点においても、彼は躓かなかったとわたしには思われる。とにかく、スパルタ人たち以上に健全、身体において有用な者を見つけだすことは容易ではあるまい。なぜなら、彼らは脚を使っても、腕を使っても、頸を使っても鍛錬しているからである。 第6章[1] さらに、次のことも、〔リュクウルゴスは〕たいていの人たちとは反対の結論に達した。すなわち、他の諸都市なら、子どもたちにせよ家僕たちにせよ金銭にせよ、各人は自分のものを指揮する。ところが、リュクウルゴスは、市民たちが何ら害することなしに、お互いから何か善いことを享受できるように制度化することを望んで、各人が子どもたちを、自分自身のも他人のも、指揮するようにさせた。 [2] かくして、子どもたちの父親は自分たちなのだということを自覚するならば、自分が指揮する相手を、自分の子どもたちを指揮したいと望むのと同様に指揮するのが必然である。そして、他の〔父親〕によって鞭をくらった子が、自分の父親に言いつけるようなことがあったら、その息子にさらに鞭をくらわさないのは、恥ずかしいことである。かくすることで、子どもたちに何ら恥ずかしいことを指令しているのではないと、彼らはお互いに信じあえるのである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』11 [3] また家僕たちにも、ひとが必要とする場合には、他人の家僕たちにも対応するようにさせた。さらに猟犬の共有をも持ち込んだ。その結果、狩りのために必要とする者たちは要請し、自分で暇のない者は、よろこんで送り出す。さらに馬も彼らは同様に扱う。すなわち、病弱であったり、運搬に必要であったり、どこかに急いで到着したいと望む者は、どこかに馬のいるのを見つけたら、つかまえて使った上で、美しく〔=きちんと〕もとどおりにしておく。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』23 [4] もちろん次のことも、自余の人たちの間では習慣にもなっていないことだが、彼が制度化したものである。すなわち、狩りのために行き暮れて、必需品を必要とするときに、たまたま用意していないという場合、この場合でも、所持者は使われた残りを後に残し、必要とする者は封を開けて、必要なだけを取得した上で、封をして後に残しておくように制定したのである。 [5] だからこそ、お互いに融通しあって、少ししか持っていない者たちでも、何かを必要とする場合には、領内にあるものならどんなものにも与れるのである。 第7章[1] さらに、次のことも、自余のヘラス人たちとは反対にリュクウルゴスはスパルタに法制として施行した。すなわち、もちろん自余の諸都市では、誰しもが可能なかぎり金儲けをしようとする。すなわち、農夫になる者あり、廻船商人になる者あり、貿易商人になる者あり、さらには手に職をつけて身過ぎする人たちもいる。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』41 [2] ところがスパルタでは、リュクウルゴスは金儲けに関わることには何ひとつにも接すべからずと禁止し、国に自由をもたらすかぎりのこと、これのみをおのが務めとみなすようにと定めた。 [3] というのも、じっさい、次のような地で、富に真剣になるどんな必要があろうか、――必需品は等しく供給し、暮らしぶりも平等であるように定め、享楽のために金銭に手を出すことのないようにした土地で。いや、それどころか、上着のためにさえ金儲けする必要もなかった。なぜなら、着物の豪奢さによってではなく、身体の良好さによって彼らは飾られていたからである。 [4] それどころか、同宿者たちのために浪費する目的で金銭を集める必要もなかった。身体を労することで交際者たちに益することの方が、浪費することで〔交際者たちに益すること〕よりも名誉なこととしたからである。前者は魂の働きだが、後者は富の働きにすぎないと指摘してである。 [5] さらに、これに類した事柄の中でも、不正な手段で金儲けすることを防止した。すなわち、まず第一に、流通貨幣を施行したが、この貨幣たるや、たった10ムナでも家に持ち込むには、主人はもとより、家僕にさえ気づかれないではすまない代物であった。というのも、大いに場所をとり、運び込むには荷車が必要となったはずだからである。 [6] さらに、金銀を求めても、万一露見した場合は、所持者は罰せられる。したがって、かしこ〔スパルタ〕で金儲けに真剣になることがどうしてありえたであろうか、――その使用が愉悦をもたらすよりは、その所有が多大な苦痛をもたらす国で。 第8章[1] いうまでもなく、スパルタでは、権職や法習に聴従すること格段に甚だしいということは、われわれが誰しも知るところである。しかしながら、わたしは、リュクウルゴスはこのような秩序正しさ(eutaxia)を、自国の最有力者たちを同調者となすまでは、着手しようともしなかったとわたしは想像している。 [2] その証拠とするのは、自余の諸都市においては、より権力のある者たちは、権職を恐れているように思われることを望まぬばかりか、それを不自由人のすることと確信しているが、これに反してスパルタでは、最高権威者は権職に臣従することも格別で、へりくだった者であること、および、呼ばれた場合には、歩いてではなく走っていって承伏することを誇りとしているのだが、それは、徹底的に聴従することを自分たちが先駆けて行うならば、その他の者たちもついてくると確信しているからである。そして、それはまさにその通りとなった。 [3] したがって、監督官庁(ephoreia)の権力を、その同じ人たちが共同で制度化したのも道理である。まさしく、聴従することは、国家においても軍隊においても家においても、最大の善だとの結論に彼らは達していた。というのは、権職がより大きな権力を持てば持つほど、ますますもって権職は市民たちを〔承伏〕驚倒させると考えたからである。 [4] かくて、監督官たちは誰でも望む相手を罰する資格を有し、たちどころに徴収する権限を有し、権職者たちを任期途中でも解任し、投獄さえもし、さらには、魂〔=生命〕を賭しての争訟に持ち込む権限も有する。これほどの権力を有しているからして、自余の諸都市とは違って、選ばれた者たちが1年間ずっと、いかようにも望みのままに指揮するに任せるようなことはせず、あたかも僭主や体操競技における監督のように、何か違法した者を感知すれば、すぐさま、その場で懲罰する。 [5] さらにまた、市民たちが法習にすすんで聴従するよう、他にも多くの美しいことがリュクウルゴスによって策定された中で、次のことも最美なものの中に入るとわたしには思われる。つまり、最高権威者たちといっしょにデルポイに赴き、自分が制定した法習に聴従するのが、スパルタにとってより望ましく、より善いことなのかどうか、神にお伺いを立てるまで、それまでは法習を大衆に引き渡すことをしなかったということである。そして、あらゆる点から見てより善いとの託宣を得て後、巫女の下された法習に聴従しないのは無法であるばかりでなく、神法にも悖ると制定した上で、初めて引き渡したのである。 第9章[1] また、リュクウルゴスのしたことで、次のことも驚嘆にあたいする、――国家においては、恥ずべき生よりも美しき死を選ぶべきであるという考えを完成させたことである。たしかに、調べてみると、こういった者たちが死亡するのは、恐怖に駆られて退却することを選ぶ者たちよりも少ないのを人は見いだし得よう。 [2] 真実を言うならば、より久しく生きながらえることは、悪徳によりはむしろ徳に付随さえするのである。というのも、〔徳は〕より容易、より快適、より融通無碍、より強力だからである。また、名声も格段に徳に付随すること明らかである。というのも、何とかして善勇の士たちと共闘したいと望むのは、誰しものことだからである。 [3] とはいえ、こういった結果になるよう策定する手だてがありながら、これを看過するのは美しいことではない。だから彼は、はっきりと、善勇の士には善運を、悪者たちには悪運を準備したのである。 [4] すなわち、自余の諸都市においては、悪者になる者がいても、悪者というあだ名を付けるだけで、その悪者が、善勇の士と同じ市場通いをし、着座し、鍛錬するのである、――そいつが望めばだが。これに反してラケダイモンでは、誰であれ全員がその悪者を同宿者として迎え入れることを恥じ、角力場でいっしょに鍛錬するのを全員が恥じる。 [5] また、こういうやつは、球技相手を選出するときには、除け者となり、合唱隊においても、最も屈辱的な場所に追いやられることしばしば、さらには、やつは路上では道を譲らねばならず、座席では若輩者たちにさえ起って席を譲らねばならず、家では、身内の年頃の娘(kore)たちを扶養しなければならぬばかりか、彼女たちの不婚(いかず)の責めまで受けなければならず、〔自分は自分で〕妻のいない竈を我慢すると同時に、そのことで罰金まで払わなければならず、要は、〔人前で〕陽気に歩き回ることもできないのはもとより、非の打ちどころなき人たちの真似をすることさえしてはならず、さもなければ、より善き人たちの鞭打ちを受けなければならないのである。 [6] わたしとしては、悪者たちにはこれほどの不名誉がふりかかるのだからして、かしこ〔スパルタ〕では、このような不名誉や屈辱的な生よりは、死を先取りすることに、何も驚かないのである。 第10章[1] また、老年に至るまで徳が修練されるようリュクウルゴスが立法したのは、美しいとわたしには思われる。すなわち、長老会(gerontia)の被選挙権を人生の終着の時期に制定して、老年においても善美さ(kalokagathia)を忽せにすることのないようにさせたのである。 [2] また彼の〔したことで〕驚嘆にあたいするのは、善勇の士たちの老年を擁護したこともそうである。すなわち、長老たちを魂〔=生命〕にかかわる争訟の裁判官と制定し、老年は、盛りにある者たちの腕力よりも尊敬されるようにという目的を達成したのである。 [3] だから、この競い合いが人間的な所行の中でも格段に真剣になされるのは当然なのである。なぜなら、たしかに鍛錬した者たちは美しい。しかし、それは身体の美しさにすぎない。だが長老会をかけての競い合いは、善き魂なりという判定をもたらすのである。だから、魂が身体に勝っている分、同じ競争者でも、魂の競争者たちは身体のそれよりも真剣になる値打ちがあるのである。 [4] さらに、リュクウルゴスの〔やったことで〕次のことが、どうして、大いに驚嘆にあたいすることでないことがあろうか。つまり、彼は、望む者たちが徳を心がけるだけでは、祖国を拡大させるのに充分でないということを学び取ったので、スパルタにおいては、全員があらゆる徳行を修練するように公的に強制したのである。かくして、個々人についてみれば、徳の点で修練した者が修練しなかった連中よりも秀抜であるのと同様、スパルタもまたいずれの諸都市よりも徳の点で秀抜である所以は、善美(kalokagathia)を公的に制度化しているのがこの都市のみだからである。 [5] というのは、次のこともまた美しいことではなかろうか。つまり、自余の諸都市は、何びとかが誰か別の者に何らかの不正をした場合に懲罰するにすぎないが、〔スパルタでは〕できるかぎり最善な者になることを忽せにしたことが判明する者があれば、これをも〔不正者に〕劣らず罰を課す。 [6] なぜなら、どうやら、彼は信じていたらしいのである、――人さらいをする連中とか、何かを詐取する連中とか、盗む連中とかによっては、被害者たちが不正を受けるにすぎないが、悪者たちや男らしくない連中によっては、国家全体が裏切られるのだ、と。だとすれば、こういった連中に最大の罰が課せられるのは当然だと、わたしとしては思われるのである。 [7] さらにまた、市民的なあらゆる徳の修練を、抗い得ない必然として彼は課した。すなわち、法制を成就した者たちには、全員に等しく国家〔市民権〕をみずからのものとさせた。貧弱さは、身体のそれも財産のそれも、何ら考慮に入れずにである。これに反し、法制を励行することに怯懦な者がいれば、この者をあの人〔リュクウルゴス〕は、平等者たちの一員とはもはやみなすべからずと規定したのである。 [8] いうまでもなく、これらの法習が古風至極なものであることは、はっきりしている。なぜなら、リュクウルゴスは、ヘラクレイダイの時代に生まれたと伝えられているからである。しかし、かくのごとくに古風でありながら、今もなお自余の人たちにとっては新奇である。というのも、何にもまして驚くべきことだが、これらの制度を万人が称讃しているけれども、これをすすんで真似ようとする都市はひとつもないからである。 第11章[1] 以上〔述べきたった〕ことは、もちろん、和平時においてはもとより、戦時においても共通した善きこと〔利点〕である。そこで、征戦のために彼が策定したことで、自余の事柄よりも善いこととは何なのかを学び取りたいと望む人がいるなら、そのことについても聞くことができる。 [2] つまり、まず第一に、監督官たちは、何歳までが出征しなければならないか、その年齢を騎兵たちにも重装歩兵たちにもあらかじめ布令を出し、次いで、手工業者たちにそうする。かくして、ひとびとが国家のために役立てるかぎりの、そのすべてのものを、ラケダイモン人たちは征戦のためにもたっぷり持っているのである。さらにまた、軍隊が共通して〔一般的に〕必要とするかぎりの道具類はすべて、あるいは荷車で、あるいは荷曳き獣で提供するよう命令されたのであった。かくすれば、足らないものが見落とされること、最も少ないからである。 [3] さらに、重装備での戦いのために、次のことを策定した。つまり、外套は深紅のを持参すること――この外套なら、女物といっしょにされることは決してなく、最も戦闘的だと信じたからである――、また楯も青銅のを〔持参するように〕――というのも、磨き上げられること最も迅速で、汚れること最も緩慢だから――ということである。さらにまた、壮丁の年齢を越えた者たちには長髪にすることを許したが、それは、より大きく、より自由人らしく、より猛々しく見えると確信したからである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』24 [4] さらに、かくのごとく制度化した上で、軍団は、騎兵のも重装歩兵のも、6軍団に分け、重装歩兵の軍団は、おのおのの軍団が軍令官(polemarchos)1人、旅団指揮官(lochagos)4人、五十人隊指揮官(pentekonter)8人、結盟隊指揮官(enomotarchos)16人を擁する。そして、これらの軍団から、号令一下、時には結盟隊を〔……二つ?〕に、時には三つに、時には六つに〔彼らは〕編成するのである。 [5] ところで、たいていの人たちは、ラケダイモンの重装備編隊は錯雑としているように思っているのであるが、それは事実とはまったく反対に理解しているのである。というのは、ラケダイモンの編隊においては、陣頭に立っているのは指揮官たちであり、各縦列(stichos)も、発揮すべき事柄はすべて有している。 [6] したがって、この編隊のわかり易さたるや、およそ人間を識別可能なほどの人なら、見損なうような人は誰もいないほどである。なぜなら、前者には嚮導権が与えられており、後者には追随することが定められており、〔縦隊から戦闘隊形への〕展開〔の下知〕は、あたかも伝令官によってのように、結盟隊指揮官によって言葉で伝えられ、密集隊〔の縦深は〕浅くも深くもなる。このことの中には、いかようにも、わかりにくいことは何もないのである。 [7] とはいえ、〔戦闘最中に〕混乱に陥った場合に、その突発事の後でも依然として戦闘を続けられる所以に至っては、この編隊はもはやわかり易くはないのである。リュクウルゴスの法習によって教育された者たちでなければ。 [8] また、ラケダイモン人たちは、重装備戦闘者たちにとってまったく困難と思われるようなことでも、まったく易々とやってのける。すなわち、縦隊で行軍している時には、後尾には、もちろん、結盟隊が結盟隊に追随する。しかし、このような状態で、前方から敵密集隊が現れた場合には、楯〔左〕方向に前衛の配置につくよう、結盟隊指揮官によって下知がまわされ、いかなる場合もそういうふうにして、ついに〔自軍〕密集隊が〔敵と〕正対するに至るのである。さらに、こういうふうであるときに、後背から敵勢が現れた場合には、各縦列ごとに折り返して、最強の戦列が敵勢と常に正対するようにする。 [9] この時は、指揮官は左翼になるが、この場合には、不利と考えないのはもちろん、有利とさえ〔思える〕時もある。なぜなら、包囲作戦を採ろうとする者たちがいる場合には、裸の側面〔右側〕ではなく、武装した側面〔左側〕を封じ込めようとするからである。しかしながら、何らかの理由で、嚮導者は右翼を受け持つのが有利と思われるときには、〔嚮導者の率いる左翼の〕部隊縦列を旋回させるために、密集隊を折り返していって、ついに嚮導者が右翼に、殿が左翼になるまでこれを続ける。 [10] さらに、今度は、縦隊で行進しているときに、右側から敵勢の編隊が現れたときには、他には何もかかずらう必要はなく、ただ、三段櫂船のように、各旅団を相手勢と向かい合わせになるよう旋回するだけであるが、かくすることによって、今度は後尾の旅団が槍〔右〕側になる。さらに、左側から敵勢が接近してくる時も、これを放置しないのはもちろん、〔そのまま〕突進するなり、あるいは、向かい合わせになるように旅団を旋回させるなりする。かかる場合には、後尾の旅団は今度は楯側〔左翼〕の配置になるのである。 第12章[1] さらにまた、陣営の設置にはいかなる方法を用いるべきだとリュクウルゴスが信じていたかを述べよう。すなわち、方陣の四隅は無用であるゆえに、背後に安全な山がなかったり、城壁とか河川とかを有しない場合は、円陣をしいたのである。 [2] さらに、昼間の見張り番には、武具のそばで見張るようにさせた。なぜなら、見張り番を立てるのは、敵のためではなく、友軍のためだからである。さらに、敵勢を見張るは騎兵である。誰か接近する者があれば、遠距離からでも先に見つけられるような場所から。 [3] しかし、夜間は、密集隊の外回りをスキリティア兵によって哨戒されることを〔リュクウルゴスは〕法制とした。(しかし、今ではもう、外人兵が何人か居合わせる場合は、彼らばかりで〔哨戒されている〕)。 [4] また、巡回するときは、常に長柄を携行するというのは、これもよく知られているはずのことであるが、これは、武具のそばから奴隷たちを排除しているのとまったく同じ理由からであって、やむを得ない理由で〔持ち場を〕離れる者たちも、お互い同士からも、武具からも、相互に心配ない程度以上には遠ざかることをしないというのは、何ら驚くべきことではない。というのも、安全のために彼らはこれをなすのだからである。 [5] さらに、彼らが頻繁に陣替えをするのも、敵勢に損傷を与えるため、友軍を利するためである。さらにまた、征戦の間でさえ、全スパルタ人たちには、鍛錬が法習によって宣明されている。その結果、彼らは自分自身に誇りを持った者となり、自余の人たちよりも自由人に見えるのである。また、自分の武具から遠く離れる者がないようにするために、散歩も駆け足も、軍団が許容する範囲よりも遠くに行ってはならない。 [6] そして、鍛錬の後は、腰をおろすよう首席軍令官が布令を出すが、それはちょうど閲兵のようなものである。さらにその後で、朝食をとり、すみやかに歩哨任務を交代するよう〔布令を出す〕。この後は、今度は暇つぶしと、夕方の鍛錬までの間の休息がある。 [7] さらに、その後には、夕食をとるよう布令が出され、それから、瑞兆をくださった神々への讃歌をうたい、武具のあるところでやすむのである。ところで、長々とわたしが書ききたったことに、驚いてはならない。なぜなら、軍事に関して、配慮を必要とすることで、ラケダイモン人たちに見過ごしにされた事柄を、ひとはほとんど見出しえまいからである。 第13章[1] それでは、リュクウルゴスが征戦中の王のために制度化した権力と礼遇についても詳述しよう。すなわち、まず第一に、出陣中は、王とその麾下の将兵を扶養するのは国家である。また、軍令官たちは王と寝食を共にして、常にいっしょにいて、何か必要な場合は、評議もともにできるようにする。また、他にも寝食を共にするのは、3人の平等者の兵士である。これは、これら〔幕僚たち〕のためにあらゆる必需品を世話するのだが、それは、彼らが軍事に専念する暇がないというようなことのないようにするためである。 [2] では、どういうふうに王は軍隊を率いて進発するのか、取り上げなおそう。すなわち、先ず、自宅にあって、ゼウス・アゲートール〔指揮者のゼウス〕と双神とに供儀をする。そして瑞兆を得たら、松明持ち(pyrphoros)が祭壇から火を採って、領土の境界へと先導する。そして王は、そこでも再びゼウスとアテナとに供儀する。 [3] そして、これらいずれの神によっても瑞兆を得たら、そのとき初めて領土の境界を越えるのである。また、これらの犠牲から採られた火は、消されることもなく先導する一方、ありとあらゆる犠牲獣が付き従う。また、供儀するときは、いつもかわたれ時にその仕事を始めるが、それは神の好意を先取したいと望むからである。 [4] この供儀に陪席するのは、軍令官たち、旅団指揮官たち、五十人隊指揮官たち、外国人将兵の指揮官たち、軍輜重隊の指揮官たち、さらに諸都市から〔派遣された〕将軍たちのうちで望む者である。 [5] さらにまた、監督官たちのうちの2人も陪席するが、彼らは、王が諮問しないかぎりは、何の干渉もしない。が、各人が何を為すかを眼にし、当然のことながら、全員に自覚を促すのである。さて、犠牲が成就すると、王は全将兵を召集して、為されるべきことを下知する。かくして、以上のさまをごらんになれば、あなたは自余の者たちは軍事の素人にすぎず、ひとりラケダイモン人たちのみは、本当に戦争の技術者なのだとお考えになるであろう。 [6] さらに、王が嚮導するときには、誰も相手〔敵〕が見あたらない場合は、スキリティス兵たちと斥候の騎兵とを除いて、彼の前を行く者は一人としていない。だが、交戦が始まると思われる場合には、王は先頭軍団の部隊を引き具して、長柄〔右〕方向へと旋回して引率し、二個軍団つまり二人の軍令官の真ん中に達する。 [7] ここに配備さるべき人々は、公の宿舎の成員中最年長者が統率をたすける。そして、その成員とは、平等者の同宿者たち、占い師たち、医者たち、笛吹きたち、軍隊の指揮官たち、および、居合わせた何人かの志願者たちである。かくて、為されるべき事柄で困るようなことは何もない。なぜなら、予期できないことは何もないからである。 [8] とりわけて、次の点では、わたしに思われるところでは、リュクウルゴスは重装備の戦いに格段に益することを策定した。すなわち、敵勢がすでに視界に入っているときに、雌山羊を〔生け贄に〕屠殺する場合、陪席する全員が、笛吹きたちは笛を吹くよう、また、ラケダイモン人たちにして何びとも、花冠をかぶらぬ者なかるべしとの法習がそれである。また武器も、磨き立てるよう宣明される。 [9] また若者には、塗油して交戦し、輝かしく評判よろしき者となることが許される。さらにまた、〔彼らは〕結盟隊指揮官と声をかけあう。なぜなら、各結盟隊指揮官から、それぞれの結盟隊全体にまで、野外で声が届くことはないからである。だから、いかにすれば美しくなされるか、軍令官は気をつけなければならないのである。 [10] さらに、宿営する時機と思われる場合、そのこと、ならびに、どこに〔宿営す〕べきかの指示ぐらいは、王の権限である。しかしながら、友好のためであれ戦争のためであれ、使節団を派遣すること、これは王の権限ではない。また、何かしたいことがある場合、全員が王を最初にする。 [11] しかし、裁きを求める者がやってきた場合は、王はこれを軍事法廷(hellanodikai)に送致し、資金を〔求める者がやってきた〕場合には、財務官のもとへ、戦利品を運び込む者がいる場合には、戦利品取扱官(laphyropolai)のもとに〔送致する〕。こういうことを実行する以外、神官としては神々に関すること、将軍としては将兵たちに関することより他には、出陣中の仕事は何もないのである。 第14章[1] では、今でもなお、リュクウルゴスの法習は不動のまま存続しているとわたしに思われるのかどうかと、わたしに尋ねる人があれば、神かけて、これはもう意気込んで言うことはできない。 [2] なぜなら、昔なら、ラケダイモン人たちは家郷にあって、程々のものを所持して、お互い同士で交際することを選んだのであって、諸都市にあって順応し追従して、堕落するようなことは選ばなかったのをわたしは知っている。 [3] また、以前なら、黄金を持っていることが露見するのを彼らは恐れたのをわたしは知っている。しかるに今や、所有を威張っている者たちまでがいる。 [4] さらにまた、わたしの識っているところでは、以前はそのために外人退去令(xenelasia)があって、外地にあることは許されなかったのだが、それは、外国人たちのせいで市民たちが軽佻浮薄さに充たされることのないようにさせるためであった。しかるに今や、わたしの識っているところでは、第一人者と思われている人たちが真剣になっているのは、外国に順応するのを決してやめないということである。プルタルコス『ラケダイモン人たちの古習』19 [5] たしかに、嚮導者たるにあたいする者になるよう心がけたときもあった。しかるに今や、彼らがはるかに格段にかかずらわっていることは、そういったことにあたいする者となるようにということよりは、むしろ支配せんとすることである。 [6] そうであるからこそ、ヘラス人たちは、昔なら、ラケダイモンに赴いて、不正すると思われる連中に向けて嚮導するよう彼らに頼んだ。しかるに今や、多くの人たちが、彼らが再び支配するようなことになるのを阻止せんがために、お互いに呼びかけあっているのである。 [7] しかしながら、かかる酷評が彼らに浴びせられるのは何ら驚くべきことではない。神に聴従することもせず、リュクウルゴスの法習に〔聴従することも〕していないこと明らかだからである。 第15章[1] さらにまた、王と国との間にいかなる盟約をリュクウルゴスがこしらえたかをも詳述したい。というのは、そもそもの初めに取り決められたとおりに持続しているのは、ひとり〔ラケダイモンの〕この支配のみである。自余の諸国制(politeia)は、改変されてしまい、今もなお改変されつつあるのを、ひとは見出だしえよう。 [2] すなわち、王は神の末裔として、公的な犠牲はすべて、国家のために供儀するよう、そして、征戦は、国がいずこに遣わそうとも、〔王みずからが〕嚮導するよう、〔リュクウルゴスは〕制定した。 [3] さらにまた、供儀された〔生け贄〕からゲラを取る特典をも与え、さらには、周住民の都市のうち、適度さにも欠けず富者を凌ぎもせぬ程度なのを選び取ってよいと規定した。 [4] さらにまた、王たちも外で宿営するよう、彼らに公的宿舎を規定し、また夕食には2倍の量をもって礼遇したが、それは、彼が2倍を喰らいつくすためではなく、それによって誰かを〔礼遇〕したいと思ったときに礼遇できるためである。 [5] さらにまた、王には、寝食を共にする相手をそれぞれ二人ずつ選び取る特典を与えたが、この人たちこそピュティオイ(Pythioi)と呼ばれる人たちである。さらにまた、あらゆる豚の生子の中から、仔豚を取る特典も与えたが、神々に何かお伺いを立てねばならなくなったときに、王ともあろう者が犠牲獣に窮することのないようにするためである。 [6] また、居宅のそばには水のたっぷりある湖をもあてがう。そして、これが多くのことに役立ったことは、これを持っていない者たちには大いに理解できるところである。さらにまた、誰しもが王のために席を起つ。ただし、監督官たちは監督官用の椅子から〔起つことは〕ない。 [7] さらにまた、彼らは月ごとに、お互いに、監督官たちは国のために、王は自身のために、誓いを交わしあう。その誓いとは、王のは、「国家の現行法にしたがって王制支配せん」というものであり、国家のは、「汝が誓いを遵守するかぎり、王制を揺るぎないものとせん」というものである。 [8] ところで、これらの礼遇は、家郷にあっては、存命中の王に与えられるものだが、私人たちをそれほど凌駕するものではない。というのは、〔リュクウルゴスは〕、王たちに僭主的な高慢を惹起することも、同市民たちに権力に対する妬み心を植え込むことも望まなかったからである。 [9] 他方、王が命終したときに与えられる礼遇があり、かかる仕方でリュクウルゴスの法習が明らかにしたいと望んでいることは、人間としてではなく、半神〔英雄heros〕として、〔ラケダイモン人たちは〕王たちに敬意を払ってきたのだということである。 1998.01.23.am.1:41 訳了 |
[訳註] 〔註1〕 末尾1行を削除した。おそらく後世の書き込みであろう。 「裸足の者が、脚を訓練した場合の方が、履き物を履いた者よりも」 もとにもどる 〔註2〕 冒頭4行を削除した。この4行は、おそらくは、後世の書き込みか、さもなければ、原文に欠損があると見られる。内容は以下の通りである。 「じっさい、オルティア女神〔アルテミスの別称〕の〔祭壇〕からできるかぎり多くのチーズを盗むことを美しいと定めながら、その〔子ども〕たちを鞭打つよう他の人たちに申しつけたのだが、この場合も、短時間の苦痛を受けることで長時間にわたる名声を享受できるという、このことを明らかにしたいと望んだからである」。 もとにもどる リュクウルゴス スパルタの半ば伝説的な人物。彼らの社会・政治組織は、当時においてさえ特異なものであったが、そのすべてがリュクウルゴスに帰せられると、少なくとも彼らは信じていた。 もとにもどる エイレン スパルタでは、男子は7歳になると、親の手から国家に預けられ、共同生活をしながら、ここで30歳まですごす。しかし、その内部の仕組みがどうなっていたのか、諸説入り乱れて、確かなことはわからない。 諸家の同意を得られそうなところをまとめると、7歳になった男子は、少年隊(agelai←ageleの複数形)に編入される。12歳ころにひとつの画期あるいは移行期があり、1年間に1枚の上着を与えられ、もはや下着なしで過ごすようにさせられる(プルタルコス「リュクルゴス伝」16)。 16歳ころにもう一つの画期ないし移行期があり、さらに次の段階に進む。 おそらく、18歳ころにもう一つの画期ないし移行期(準エイレン)があり、ここで述べられているエイレンと呼ばれる年齢層に達する。 もとにもどる 少年組(ile) これも諸説あって定まらぬが、おそらくは、上で述べた少年隊の下位組織であろう。 もとにもどる 流通貨幣 リュクウルゴスは貨幣を鉄で鋳造したといわれる。そのため、10ムナではおよそ1450キロに達する。「十ムナの支払いには、家の中の大きな倉と二頭立てで運ぶ車を必要とした」とプルタルコスは伝えている(「リュクルゴス伝」9)。 もとにもどる |