さみしいアマノジャク
こういう晩は、きまって悪路の吠え声がするもんじゃ。ほれほれ、心をすまいてよう聞いてみいや。 ちがう、ちがう。風の音のずうっと向こうの、リンドウ平の奥のほうから、おおおおぉ〜んちゅう声が聞こえてこようが。ご〜おおおぉ〜ん、こおおおぉ〜ん、ごおおおぉ〜ん……。あれが悪路の吠える声じゃ。 しッ、これッ、大きな声で悪路の悪口を言うちゃーいけん。ほれ、耳をすましてみい。吠え声が、だんだんこっちに近づいてきたろうが。「どこのどいつじゃー、わしのことを話しとるんはー?」 悪路は、こういう吹雪の白い闇の中を、ああやって一晩じゅう、さまようとるんじゃ。 鬼ガ瀬の源造じいさんが行方知れずになったんも、こんな晩じゃったぞい。じいさんが夜なべに縄をないながら、「くそッ、悪路のやつ、いつまでうろうろしとるんじゃ」と、ついつい大きな声で悪態をついてしもうた。そのとたん、背戸の板戸が、ど〜ん、ばった〜んと音をたてて開いて、家の中に雪と風とが、どうっとなだれこんできたそうな。ほうだら、源造じいさんはうつけのようになって、ふらふらーっと家の外に出ていってしもうた。屋根につもった雪のようすでも見に行ったんじゃろうと思うて、家のもんは気にもせなんだが、いつまでたっても帰ってこん。みんなで手分けして、さんざんさがしたら、軒下の雪に埋もれて死んでおったそうな。 なんで悪路のせいでないことがあろうぞい。屋根から落ちてきた雪で生き埋めになるなんぞ、わしはこの歳になるまで、聞いたためしがないぞい。それになぁ、源造じいさんを雪の中から掘り出してみたら、じいさんの顔は、いつの間にか悪路のものすごい形相に変わっておったそうな。これはわしがオチカばあさんからじきじきに聞いた話じゃぞ。 なに、悪路の話を聞かしてくれいと?……ナウマク、サンマンダ、ボダナン、ナンバ、ボダボウジ、サトバ、カリダヤ……こう言うてからでないと、恐ろしいたたりがあるんじゃと、わしの婆さんも言うとらした。 とんと昔、岩手のお山が、まんだもくもくと煙ばぁ噴いておったころ、この大空のしたはみんな日高見の国とゆうてな、それはそれは豊かにくらしておった。太陽の昇る国からも、一年じゅう海に氷が張っとるという北の方の国からも、世界中の人間が、岩手のお山の煙を目じるしに集まってきたということじゃ。珍しい宝物を交換しようとしてな。 ところが、いつのころからか、南の方にヤマトという国ができてな、日高見の者らを、北へ北へと追いはらいはじめた。それだけじゃーありゃーせん。食い物も宝物もみんな取り上げてしもうて、あげくのはてに、日高見の者を、奴隷のようにこき使うというありさまじゃ。 ヤマトの手が、とうとう胆沢にまでのびてきたとき、和賀にアテルイという人がおってな、「このままでは、わしらは熊やシシのように、北の冷たい海に追い落とされてしまうぞ」とゆうて、戦いのノロシをあげたので、とうとう大きないくさが始まったとよ。 ヤマトからは何万、何十万という数の兵隊が、まるで兵隊蟻のように、まっくろな集団となって、この日高見めざしておしよせてきよった。じゃが、勇敢なアテルイの仲間たちは、これとわたりおうて一歩も引きさがらなんだ。敵の大将は、すごすごとヤマトに引き返して行ったということじゃ。 そうやって、アテルイの仲間たちは、ヤマトから送りこまれてくる敵の大将を、次から次へと追い返したのじゃが、最後に現れた敵将タムラは、いくさのやりかたがまるでちごうとった。 日高見に生まれた者にとって、いくさちゅうのは、勇敢な男と勇敢な男とが、力のかぎり、知恵のかぎりをつくして戦うことのはずじゃった。ところが、敵将タムラのひきいる兵隊どもは、女や子どもや年寄りしか残っとらん村に襲いかかって、奪いつくし、殺しつくし、焼きつくしていったのじゃ。まるで、人間を殺す機械のようにな。そのため、和賀の大地は血にそまり、ヤマトの軍勢の通りすぎた後には、草木の一本も残らなんだ。アテルイの村も襲われ、年とった両親も、妻も子も、一族の者を皆殺しにされてしもうた。 「これは、なんといういくさじゃ」 どんなに恐ろしい目におうても、太い眉根をぴくりとも動かしたことのないアテルイも、その知らせを聞いたとき、さすがに血をはくような声をだしてうめいたんぞ。 「わしらは、子どもを連れた母熊や母鹿は絶対に殺さず、たけだけしい雄熊や大鹿だけを相手に、命懸けでわたりあう。けだものはすべて、勇敢な者たちだけに神々が贈ってくださる贈り物と信ずるからじゃ。ましてや、人間を相手のいくさで、相手の村に襲いかかって、戦いの飾りもつけぬ女や子どもを殺すなどということは、わしらの悪霊でさえ思いつきはせなんだぞ。わしらが戦ったのは、戦うだけのねうちが相手にあると信ずればこそじゃった。じゃが、そうでないとわかったからには、わしらの戦いに、もはや何の意味があろうぞ」 こう考えたアテルイは、五百人の仲間ともども、敵将のまえに降伏してしもうた。村に残された者たちを、ヤマトの死の手から何とか逃げのびさせようと考えてのう。 敵将タムラは喜んで、アテルイを遠い遠いヤマトの都まで引き立てて行った。そうして、アテルイのことを、ヤマトを苦しめた野蛮人の王「悪路王」と名づけて、見せしめのために河内の杜山というところで首をはね、晒しものにしたんじゃ。それでもアテルイの首っこは腐りもせず、じいっと眼を閉じたまま、北の空をあおいでおった。それはまるで、日高見の者たちに向かって、無事に生きのびてくれいと祈っているようじゃったということじゃ。 やがて北から吹く風に乗って、アテルイといっしょに降伏した日高見の五百人の勇者たちが、和賀の平野でことごとく首をはねられたという噂が、杜山まで伝わってきた。それを耳にしたとたん、悪路王の首は、ものすごい声で吠えはじめた。血走った眼をかッと見開き、ぼうぼうの髪の毛を、マムシの群がもつれあうように、ことごとく逆立ててのう。そうして、晒し台に打ちつけた杭から身を引き離そうと、生首はゆさゆさ身をゆすった。そのたびに、裂けたまなじりからは、赤い涙がほとばしっていたということじゃ。 そうやって、夜も昼も吠えつづけ、やがて悪路王の首っこは、ごとごと身をゆすって、ついに晒し台から跳びあがると、あお〜ん、あお〜んと泣きながら、そのまま北の空めざして飛び去ったということじゃ。…… 和賀には、もう、冬の気配がただようておった。桶に張った氷のように、冷たく丸い月だけが、暗い夜空に張りついておった。この夜の空を、もしも、ふりあおいだ者がおったら、きっと、鏡のように光る月のまわりを、しきりに飛びまわっておるものを見たことじゃろう。それはまるで、月の光を翼にはじきながら飛ぶフクロウのように、銀のしずくをふりまきながら、和賀の草むらに降りたっては、また飛びあがるという動作を、さいげんもなく繰り返しておったそうな。 それは悪路王の生首じゃった。悪路王の首っこは、和賀の高原を、あちらこちらと飛びまわり、かつての仲間の屍体が、草むらの中に、首をはねられて横たわっているのを見つけては、その首と胴体とをつなげてやっていたのじゃ。そうやって、悪路王の涙のしずくがふりそそぐと、屍体はいつしか、つづまやかな青い花となって、自分の村の方へと首をかしげ、その細い葉が、さやさやと悲しげに風に鳴るのじゃった。 悪路王の首が、夜空の月をめざして飛びたつたんびに、和賀の高原には、あちらにもこちらにも、青い花が、ほっちりほっちり咲き出たのじゃった。 じゃが、最後にどうしても胴体のない首がひとつ残った。それは悪路王自身の首じゃった。悪路王は、自分の身体をヤマトに残してきてしもうたからのう……。 それからどうなったかじゃと? それからは、悪路王の首っこが、銀の涙をふりまきながら、このリンドウ平をさまようことになったのじゃ。自分の身体をもとめてな。じゃが、悲しみと憤りのあまり、気が狂いそうな夜は、あのように吠える吹雪となって、涙のひと滴ひと滴が、肉をもそぐ刃のように鋭く、生あるものみなに襲いかかるのじゃ。 ほれほれ、家がみしみし悲鳴をあげだしたぞい。悪路王の生首が、わしらの家にのしかかっておるんじゃ。ほれ、悪路王の声がはっきり聞こえようぞ。「貸してくれんかー。戦う男の身体をわしに貸してくれんかー。それとも、このまま雪の下敷きになって死を待つんかー」とゆうてな。 どえらいことになったぞい。おまえらは、いったい、どがいする……。 |