悪路王の首
大阪城の天守閣の上から、太閤はんがまだ天下をにらんだはったころのことや。何を血迷わはったんか知らんけど、西国の武将たちに命じて、いきなり朝鮮の国を攻めさせはった。 初めはあんじょういっとった。そらそうやわな。ぽっかり青い空しかなかった海のあっちゃから、ある日とつぜん、いくさばっかしさらしとる連中が、十六万人も攻めこんできたんやで。それに、朝鮮の者らも、おのれらをいじめくさっとった役人どもが、命からがら逃げてゆくのを見て、ええ気味やとぐらい思うとったんや。 ところが、日本人ときたら、えげつないで。百姓が丹精した田畑は踏みにじるは、住む家は焼きはらうは、金目のものは残らずかっさらうは……まあ、ここまではええわいな。力を持ったやつのやることは、どこでもいっしょや。生きてる人間は殺す。これも、しょうないとしよう。戦争やしな。そやけど、殺した人間の耳や鼻を切り取って、塩づけにして日本に送るんやで。おまけに、生き残った者は、女も子どもも坊さんまで、かたっぱしから日本にさらって行くんや。これを見て、朝鮮の者はもう卒倒してしもうた。倭人(ウェノム)、朝鮮の者は日本人のことをそう呼んどったんや。倭人は人間を生きたまま食いよるに違いない思うてな。 朝鮮の百姓らはもう怒ってしもうた。鍬や鎌を手に、鬼のような倭人に向かって立ち上がったんや。晋州というところでは、勝った勝った言うて酒のんでうかれとった毛谷村六助ちゅう武将に、妓女の論介(ノンゲ)はんちゅうのが抱きつくふりして、いっしょに河の中に身を投げたということや。腹の底から怒った人間ちゅうのはこわいもんやで。朝鮮の民百姓は、とうとう十六万の倭人を海の中に追い落としてしもうた。 倭人のサムライは、くそ重たい鎧兜に身を固めていよるさかい、よう泳ぎよらん。そやから、軍船の船頭らが海にとびこんで、背に負うて泳いだるんや。一人の船頭が力つきたら、次の船頭がというぐあいにな。船頭いうても、もとは太閤はんに狩りだされた漁師やがな。加古川からは百人の腕のええ漁師が狩り出され、九十六人までがあっちゃの海で溺れてしもうたんやて。 「漁師が溺れて死ぬやなんて、こないな情けないことがおますかいな」 生き残った四人の仲間は、涙を流して悔しがっとったけれど、そんなこと気にするやつは居よらん。あっぱれお国の役にたったんや言うてな。 ところが、名のある武将はみんな生きて帰ってきて、難波の町では毎日のように港から大阪城まで行列がつづいとった。朝鮮からかっさらってきた人や財物を、太閤はんに献上するための行列や。 なにを見てもあんまりびっくりせえへんのが難波の者やけど、加藤清正はんが朝鮮の金剛山で生けどったちゅう人食い虎を見たときは、さすがに肝をつぶしてもうた。オリは大人の太ももぐらいもある丸太を組んでこさえてあった。そんなオリに入れられた、黒と黄色のしましまの毛皮を着たやつが、眼からは金色の光をぴかーと出しとんのや。そんで、オリの格子の間から、歯くそで真っ黄い黄になった二本のキバむきだしてな、 「(ワイハ金剛山ノ人食イ虎ヤデー!)」と吠えまくっとんのや。そのうなり声のものすごいこというたら、みんなもう背筋が寒うなってもた。 「えぐいもんやおまへんか」 「そやからよろしおますんや。あの虎の皮やと、千貫文の値打ちはありまんな」 さすがは難波の商人やで、小便ちびりそうになりもってでも算盤をはじきよる。 太閤はんもこの人食い虎がえらい気にいりはってな、さっそく黄金づくりのオリをこさえさせて、小野師丹後の守に「お虎かかり」を命じやはった。 ところが、なにしろ人食い虎やさかい、やすもんの肉は食いよらん。そこで丹後の守は、百姓が食う物も食わんと大事に育てとる牛や馬を召しあげて、お虎さまのオリの中に入れてみたんやが、見向きもしよらんで、 「(ワイハ生キタ人間ノ肉シカ食ワヘンデー!)」 とわめきまくりよるんや。 すっかり困りはてた丹後の守が、 「おそれながら……」 と太閤はんにおうかがいをたてたら、 「あほんだら! 人食い虎がけだもんの肉を食うかいな」 と、えらい怒られてしもうた。 「生きた人間なら、そこいらへんに、いっぱいおるやろが」 と言うて、太閤はんが扇子でさしはったんは、どうやら難波の町の方や。 「へへー……」 さっそく難波の旦那衆にお触れが出された。それぞれの町組から、お虎さまの餌を差し出せというのんや。 金持ちの町組は、餌の代わりに千両箱を差し出したけど、貧乏な町組はそういうわけにもいかん。だれがいちばんお虎さまの餌にふさわしいか、ああでもないこうでもないと相談しておったが、そのうちガタロの九助はどうやろかということになった。 ガタロというのは、川の底をさらえることを仕事にしとる者のこっちゃ。九助のようなガタロは、こんな寄り合いにも出させてもらえへん。その寄り合いで、「九助は、さいわい、貧乏なあまりにまだ結婚もしとらへんし、生きていてもなんの望みもない者や」ということになった。そこで町組の若い衆が九助のあばら家におしかけ、泥まみれの九助を風呂に入れて、ごしごしみがいて、みんなでかついで、「お虎かかり」の小野師丹後の守のもとに送り届けたんや。 九助は、二人の役人に両腕をがっちりとられ、虎のオリの前に連れていかれて、 「ヒヤァー!」 思わず叫び声をあげよった。虎よりもオリを見て肝をつぶしたんや。どこもかしこも黄金でできてるやないか。 「なにか言い残すことがあるんやったら、聞いたってもええで」 さすがにかわいそうに思ったのか、丹後の守が声をかけた。 「ほんまに寿命の伸びる思いをさせてもらいましたよって、このまま帰してもらえしまへんやろか」 「帰したらへんわ。お虎さまに食べられるやて、ありがたい思わんかい」 「そんなら、あんたはんが食べてもらわはったら、よろしおまっしゃろ」 九助が口の中でぶつぶつ言うとったら、丹後の守は九助をオリの中にどんとつきとばし、ばたんと扉を閉めてしもた。 腹すかしてた虎は、ますますえげつない眼の光をしとった。のそりのそりと九助のほうへ近寄ってきて、九助の足のあたりをかぎまわりはじめた。そんで、いよいよ虎が九助をひとかぶりしようとし、九助が「かんにんしてえな」と叫んだ次の瞬間、虎は黄金のオリの格子に牙を噛み立てて怒りよった。 「(ワイハ金剛山ノ人食イ虎ヤデー。コンナ泥クサイ倭人ノ肉ガ食エルカァ。ワイハ生キタ朝鮮人ノ肉シカ食ワヘンノヤ!)」 虎に食べられもせんと帰ってきた九助から話を聞いて、難波の町の衆はみんな胸をなでおろした。 「そやけど、自分と同じ国の者しか食べへんやて、朝鮮の虎いうんは、ほんまにえらいもんやおまへんか」 難波の町の衆は妙に感心したもんや。 困りはてた丹後の守は、 「おそれながら……」 と、もういっぺん太閤はんにおうかがいをたてたら、 「なるほどなあ。どおりで、日本には人食い虎がおらへんかったんか」と、太閤はんはへんに関心しておいでやった。「さいわい、朝鮮からひっぱってきた捕虜が、ぎょうさんおるやろ。あれを食わせてみい」 「へへー……」 と、丹後の守は引き下がってきたのやが、朝鮮からひっぱってきた捕虜はほとんどみんな奴隷として南蛮人に売りとばしてもた後やということを、気の弱い丹後の守はよう言わなんだのや。仕方ないんで、丹後の守は自分の嫁はんをお虎さまの餌に差し出すことにしよった。実を言うと、丹後の守は、朝鮮に行った武将の一人が朝鮮からさらってきた若い女をこっそり譲り受けて、自分の嫁はんにしとったんやな。 今では日本の名前をつけられていたその嫁はんは、恐れるふうもなく虎のオリの中に入っていきよった。すっかり腹をすかせた虎がよだれをたらしながら近づいてくると、嫁はんは朝鮮の言葉でしみじみと言うた。 「アイゴー、人間になろうとしてなれなかった畜生のあさましさかな!」 朝鮮には、熊と虎が人間になりとうて、いっしょうけんめい修業したんやが、虎はその修業が苦しなって逃げ出してしもうた。熊のほうは最後まで修業してついに人間となり、それが朝鮮人の祖先になったという神話があるんやそうや。 「親も兄弟も倭人に殺され、私はこんな遠い仇の国に連れてこられた。さらわれて来るとき、姉さんは海に身を投げて死んだが、私だけ生き残って辱めをうけている。故郷の海で死んだ姉さんを、どんなにうらやんだことか。もうこれ以上は生き恥をさらしたくない。なつかしい金剛山で生まれたお前に食べられるのは、せめてもの慰めだ。でも、倭人の国で自分の国の虎に食べられるとは!」 そう言うて人食い虎の牙の前に身を投げ出したら、虎は悲しそうに顔をそむけた。もっと身を寄せると、虎はじりじりと後ずさりする。しばらくそんなことをくりかえしていたんやが、嫁はんが虎の耳もとで何か言い聞かせると、虎は悲鳴のような声をあげて女に襲いかかり、一気に八つ裂きにしてしもうた。そして手も足も胴も頭も、かたっぱしから食うていった。その肉も皮も骨も、むしゃむしゃ、ばりばりとむさぼり食う虎の眼は三角につりあがっとったが、その大きな目ん玉からは、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ち、顔中にべっとりとへばりついた血の上に何本もの筋をつけて流れ落ちた。その光景にはさすがの丹後の守も震え上がってしもうた。 次の日も、何とか朝鮮人を見つけ出してきて、虎のオリの中に入れようとしたけど、虎は人間の姿を見たとたん、まだ血糊のついている牙をむきだして、 「(ワイハモウ〈ブンシンスギル〉ノ肉シカ食ワヘンノヤ! 〈ブンシンスギル〉ノ肉ガ食イタイ!)」 と怒るので、オリに近づくこともできんありさまやった。 「〈ブンシンスギル〉て何や?」 と、丹後の守が餌になるはずやった朝鮮人に聞いてみても、そいつはわなわな震えて口もきけんありさまや。 それからちゅうもんは、虎は夜も昼も、 「(ワイハ〈ブンシンスギル〉ノ肉ガ食イタイ!)」 と言うてわめきつづけ、何も食わへん。おかげで毛皮の色つやものうなって、だんだん痩せていきよった。丹後の守はもう気が気やあらへん。「ブンシンスギル、ブンシンスギル……」いうて、手をつくして探しまわったけど、朝鮮人はみんな恐ろしそうな顔をして、だまって首を横に振るだけや。 丹後の守は、もうどうしたらええのんか、わからんようになって、自分がその〈ブンシンスギル〉とやらの身代わりに虎の餌になろうと決心して、お虎さまのオリの中に入ろうとしたら、虎は今はもうがりがりに痩せてたけど、それでも眼だけはらんらんと光らせもって牙をむきだし、 「(ワイハ〈ブンシンスギル〉ノ肉ガ食イタインヤ!)」 と怒るだけで、食べてもくれよらへん。とうとう小野師丹後の守は、責任をとって虎のオリの前で腹を切ってしもうた。 かわいそうはかわいそうやけど、もっとかわいそうなんは虎のほうやで。丹後の守が死んでからは、だれも虎のオリに近づかんようになってしもうたんや。虎はだれからも忘れられ、黄金づくりのオリの中で飢えていったんや。 ある日のことや。太閤はんが、 「そういえば、このごろ丹後の守の泣き言が聞かれんが……」 と、ふと虎のことを思い出さはって、わざわざ虎を見にいかはった。ほしたら、黄金のオリの中で、藁と同じくらい痩せ細った生き物が、ぼろきれみたいな毛皮を引きずりもって、ひょろひょろと身を起こした。それを見て、太閤はんもびっくりしやはったが、虎かてびっくりしたわな。長い間だれも来なんだのに、いきなりハゲネズミみたいな男が、ぎょうさん家来を連れて来たんやからな。それでも虎は、切れ切れの声で、 「(ワイハ〈ブンシンスギル〉ノ肉ガ食イタインヤ!)」 と吠えとった。 「なんやねん、これは!」と太閤はんはびっくり。「虎は死んだら皮を残すちゅうけど、こんな皮では一文にもならへんわい。城の堀の中へでも捨ててまえ」 太閤はんの命令で、金剛山の人食い虎は、まだかすかに息のあるうちに、大阪城のお堀の中に、ごみといっしょに捨てられてしもうた。ぼろぼろになった虎の死骸が、お堀の水に沈むこともなくしばらく浮かんどったけど、そのうち大雨の日に大川へとおし流され、川底の泥の中に沈んでしもた。 ある日、ガタロの九助が川ざらえをしていて、動物の牙をすくいあげた。その大きさといい、ドスのような鋭さといい、人食い虎のものに違いない。そんなもんが何で泥の中にあるのか、九助にはわからなんだけど、家に持って帰って、うちのそばにある「けもの塚」の中に、他の動物たちといっしょに埋めてやった。その上にわずかばかりの酒をふりかけ、残りは自分が呑んでから、泥のように眠ったんやて。 ところで、朝鮮語では豊臣秀吉をブンシンスギルと言うということを、本人はもとより、日本人はだれも知らなんだちゅうこっちゃ。 |