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休暇村あっちこっち

休暇村 茶臼山高原






[奥三河 茶臼山高原へ]

 休暇村茶臼山高原へは「東名高速道路豊川 ICから、国道151号線経由で約80km。冬期(12月〜3月)は、タイヤチェーンまたはスタッドレスタイヤが必要」と、案内にはある。そのため、雪はしっかりあるだろうと考えていたが、2007年、厳寒のはずの2月、奥三河に雪はなかった。少しもなかった。ほんとうになかった。まったくなかった。

 出発予定日の二、三日前、「雪がないので、宿泊をキャンセルされては.....」と、休暇村女性スタッフから親切な電話がかかってきた。近畿地方も2月とは思えないような暖かさだったが、長野に隣接する奥三河の高原に雪が少しもないとは予想だにせず、愛知県下のもう一つの休暇村、"伊良湖" にも予約を入れてあったため、「予定どおり出発しますので、よろしく」と応える他なかった。心がすっかり出発モードになっていたこともある。
 この年、休暇村茶臼山高原のイベントに、休暇村スタッフによるスノーシューイング(snowshoeing)講習と周辺ハイク(hiking)があるのを知った私が、かねがね一度スノーシューイングなるものを経験してみたいと思っていたこともあり、連れ合いに「お願い」を繰り返し、「そんなに言うなら、まあ」ということで、ようやく実現した茶臼山高原行であったのだ。なのに、何という間の悪さ、何という巡り合わせ、雪がないとは。

 出端は挫かれたが、とにかく出発する。
 JR豊橋駅で飯田線は「天竜峡行」各駅停車に乗り換え、東栄に向かう。昼間の列車は乗客も少なく、窓外をのんびり眺めることしばし、
「あっ、長篠って、あの長篠?! 」
「ああ、あの長篠だ」
「天正三年の?」
「そう、天正三年の。確か『影武者』の終わりの場面がそうだったよなあ.....」
「そうでしたっけ。そう言えば、このあたり、合戦場があったりするので、盗賊や野武士が跋扈していて "十三人の侍" のようなことが昔あったかも.....」
「十三人は、"侍" ではなくて "刺客" 。それは 『七人の侍』 」
「あっ、あああ、ポリポリ。そうでした、"七人" でした」
「大丈夫か?!」
「ちょ、ちょっと混乱を。ところで、この辺には フォッサ マグナ が走ってましたよね」
「フォッサ マグナ は、糸魚川・静岡を結ぶ線を西の端にした帯状の窪みで、もうちょっと東。この辺を走ってるのは"中央構造線" のはずだよ」
「どっちにしても、地震が起こったら、怖そう.....」
「まあ、我々の旅行中には起こらないだろうけど」
豊橋から東栄駅までの所要時間、約1時間25分。他愛のないことを話したり、過ぎゆく景色を眺めたり、雑誌を読んだりしているうちに、列車は東栄駅に到着。時刻表どおりだった。

 宿泊を予約した際、併せて送迎もお願いしてあったので、駅にはすでに休暇村スタッフが迎えにきてくださっていた。東栄駅・休暇村間は車で約1時間。路線バスはない。
 車中では、その年の冬、雪は降るには降ったが、すぐに溶けてしまい、根雪にならなかったばかりか、茶臼山高原にどれほど少ししか雪が降らなかったか。雪が少ないだけならまだしも厳冬の2月に雪がないことが、いかに異常な状況か、運転してくださるスタッフから話を伺う。だが、いかに雪がないといっても、日陰には少しくらいあるだろう、雪がないないというのは雪のある地方の人の誇張だろうぐらいに私は思っていた。しかし、車が山の中に入り、どんどん高度が上がっていっても、雪は一向に見あたらなかった。

   愛知県の最高峰茶臼山(1415m)の中腹、標高1237mにある休暇村茶臼山高原周辺に広がるなだらかな起伏ある草地や放牧地は、一面の枯れ草色。向かい側にあるスキー場のゲレンデが白く光って見えただけだった。
 到着した休暇村茶臼山高原は、1993年に改築された鉄筋二階建て、赤い屋根の建物である。1992年改築の吾妻山ロッジとは外観がよく似ている。ただ、宿泊定員74名、客室数25室(和室23室 / 洋室2室)と、部屋数や宿泊定員の点で吾妻山ロッジよりは少し多く、建物もやや大きいという違いはある。
 エントランスを入ってすぐ右の、受付カウンターの素朴な趣がどこか懐かしい。
 迎えの車の中で、スノーシューイングができないことから、プランを "奥三河の温泉巡り" へと変更するよう勧められていたので、その旨を伝えて宿泊手続きを終える。電話をくださったと思われる女性スタッフが「雪がなくて生憎でした」と慰めてくださる。「自然のことですから、仕方ありません。ご配慮ありがとうございました」と応えて、気持ちがさっぱりした。

 部屋に荷物を置き、茶臼山への準備をしていると、迎えに来てくださったスタッフがわざわざ私たちの部屋にまで赴き、翌日の "温泉巡り" の予定について説明してくださったうえで、休暇村と温泉の間を車で送迎してくださるという。プランとはいえ、申し訳ない気がした。私たちは温泉に執着がない。わざわざ遠い日帰り温泉に行かずともここでゆっくりとは思ったが、せっかく言ってくださるのだから、とお願いすることにする。
 一息入れた後、茶臼山に向かう。宿舎そのものがすでに標高1237mにあり、頂上との標高差はわずか178mに過ぎない。
 斜面に並ぶコテージの前を通り、遊歩道を行くと四阿があり、スキー場が見渡せた。ゲレンデ最上部より一気に滑り降りる人が豆粒のように見える。人が少なく、その意味では軽快に滑ることができそうだ。「でも、雪はざれざれだろうね」と話しながら、気持ちよさそうなその人の滑りを目で追う。ターンも滑らかだ。
 暖かいので、シャツ姿で出たのだが、頂上までのわずかの間に汗ぐっしょりになってしまった。
 頂上からは、白銀に輝く南アルプスの峰々が望めた。あれが塩見か、悪沢か。赤石は、兎は、聖は、上河内は、茶臼は、光は。どれがどの峰だかうまく特定できないので、大きそうな峰を "聖" と見なす。縦走山行後半のハイライト、聖を越え、黙々と二人で歩いた日が想い出された。

 
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 茶臼山頂より南アルプスを望む。
 身震いするほど美しい!

 宿に戻り、お風呂に入る。誰もいない。大きなお風呂が「貸し切り」というのは贅沢この上ない。
 浴槽には、袋に入った「段戸鉱石」なる天然鉱石が沈めてあった。ガイドには、段戸鉱石とは「愛知県北設楽郡の出来山鉱山のみで産出される」鉱石で、「遠赤外線・波動効果に優れ、マイナスイオン効果も認められている」とある。
 この石は「約2,000万年前、二つのプレートがぶつかり合って起きた大規模な地殻変動により、10,000気圧の超高圧と超高温で生成されたと推定される中央構造線上にある領家変成帯の石英片岩の一種」で「ナチュラルセラミックス」ともいわれるらしい。中央構造線の走る、このあたりならではの「産物」ということか。
 段戸鉱石の遠赤外線・波動効果やマイナスイオン効果はともかく、私たちにとって、誰もいない大浴場でのゆったりとした静かな入浴タイムは、最高の癒しとなった。

 この日の夕食がどんなだったか、残念なことに思い出せないが、多分スタンダードなコース(記録には「白樺コース」とある)ではなかったかと思う。それに、お勧めの「馬刺し」をひとつとビールをそれぞれに注文する。
 隣席のグループは、休暇村協会企画の "プロと楽しむ 自然とのふれあい写真教室" に参加の人々らしく、講師(日本旅行写真家協会会員のプロの写真家)を囲んでの夕食のようだった。

 部屋に戻り、ゆったりと高原の夜を過ごす。空には雲がかかって星も見えず、あたりは漆黒の闇。風の音もしない静かな夜だった。


 翌朝は、ちょっと重い曇り空だったが、雪の降りそうな気配はなかった。
 朝食は「ご飯」と「パン」のいずれかを選ぶシステムで、宿泊手続き時に尋ねられる。私たちはいつもどおり「パン」をお願いする。
 テーブルに着くと、サラダ・ソーセージ・スプラングルエッグなどがしっかり盛り合わされた大きなお皿、籠に入った温かいパン、数種の果物、オレンジジュース、コーヒーが運ばれてきた。窓の外に広がる朝の牧草地を眺めながら、ゆったりした気分で食事をする。バイキングもいいが、私たちは落ち着いて食事の摂れるこちらのスタイルがずっと好きだ。
 写真教室のグループは、被写体を求めてどこかに移動するのか、休暇村近辺を撮影するのか、講習の予定があるらしく、どこか急いで食事している様子である。参加者は全員が年輩者と見受けられた。

 "温泉巡り" に出発までの間、近くの芹沼池と矢筈池周辺を歩いてみようと、身支度を調え、ぶらぶら出かける。

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 "連れ合い"撮影の1枚 (矢筈池)。
 左手前に「春を待つ枝」を入れて。

朝の空気はさすがに身を切るようで、冷たかった。池の周縁部は凍っている。夏には白鳥もいるようで、釣りやボート遊びもできるようだが、冬の池は寒々として、泥に生えた植物の枯れた茎が池の面につき立っているだけだった。

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  私の1枚 (矢筈池)。
  氷と水と枯れ枝と。

だが、氷の造形が面白く、写真を撮るにはおもしろそうと思いながら歩を進めていると、池の周りや林立する木々の間、池のくびれに架けられた "八つ橋" 上に三脚を立てている人々を発見。防寒服に身を包んだ写真教室の人たちであった。池を巡る小径は、撮影に余念のない人で通るに難く、早々に池を離れて草地に出る。日が昇るにつれて雲は薄くなっていくようだった。
 宿舎に戻って、コーヒーを飲んでいると、窓越しに、写真教室の人々がそれぞれに機材を車にのせ、こもごもに挨拶を交わして、講師に礼を述べ、思い思いに帰っていくのが見える。
 彼らは作品を "国立・国定公園の自然を撮ろう「ふれあい写真コンテスト」" (休暇村協会主催) に出品するのだろうか。よい作品には賞が与えられるようだ(2010年現在、コンテストが行われているか否か、寡聞にして知らない)。
 彼らが去ってしまうと、人の動きがなくなり、辺りは急に静かになった。

 お昼前(10時半ごろ)、休暇村の車で "温泉巡り" に出発。
 乗車時間は30分くらいだったか、到着したのは、休暇村茶臼山高原と同じ、豊根村内(上黒川字長野田)にある "兎鹿嶋温泉 湯〜らんどパルとよね" という日帰り温泉であった。
 迎えの時間を確認し、休暇村スタッフと別れて建物に入る。
 休暇村で手渡された "入浴券" (入浴料は500円) を受付に出してそれぞれに浴室へ。お湯が温泉というだけで銭湯だ。昼間だが、けっこう入浴客がある。旅行者だろうか、村の人たちだろうか、若い人はいない。衣服を脱いだり着たり、面倒だなあ、とは思うが、ここまで来れば入るしかない。とにかく入って、出るまでの間、約30分。外にはすでに連れ合いの姿があった。
 館内のレストランでお昼を済ませ、その後、売店に豊根村特産品を見、しばらく椅子にかけていたが、することもないのでソフトクリームを買って外に出る。いいお天気で暖かい。植え込みの縁に腰をかけたり、駐車場内をぶらぶら歩いたりしながら、迎えを待った。

 この "湯〜らんどパルとよね" は、豊根村が900万円を出資する「とよね観光株式会社」の事業で、この会社の代表取締役会長は豊根村長、副村長が代表取締役社長、取締役には豊根村議会議長、副議長が名を連ねている。"パルとよね" 館内のレストラン・バーベキュー・売店・カラオケルーム・温泉浴場日常管理も、この会社の温泉事業の一環である。
 温泉の泉質は「ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉」とのこと。「神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・挫き・慢性消化器病・痔疾・病後回復・健康増進」に効能があるようではある。

 約束の時間を少し過ぎたころ、迎えの車が到着。ほっとする。私たちに温泉巡りのプランは向いていないことを痛感した。
 休暇村に戻り、お風呂に入り直す。浴室には誰もいなかった。「貸し切り」のお風呂は、やっぱり最高! お風呂がなければしかたないが、大きな浴室があり、入浴後は部屋に戻って、ほてった身体から汗が引くまでゆったり浴衣を羽織り、ゆっくりお茶も飲めるのに、どうしてわざわざ "銭湯" に行くことがあろう。
 それから夕食までの時間は部屋にあって、雑誌を読んだり、テレビのニュース番組を見たりしながら、のんびりと過ごした。

 二日目の、この日の夕食には「ちゃんこ鍋コース」を予約しておいた。
 「お腹すきましたねえ」等と言いながら、食堂に入っていったが、私たち以外、宿泊者らしい人の姿はない。その時間帯に食事をするのは私たちだけらしい。テーブルセッティングからは、他に二、三の宿泊者があるようだった。
 卓上コンロの上で大きなお鍋が湯気を立てている席に私たちが着くと、大きなお皿に盛り上げられた具材(記憶に残るものとしては、白菜・菊菜・白ネギ・にんじん・エノキ・椎茸・豆腐・戻した葛きり・魚介類(鮭 他)・鶏のつくね・つみれ・豚肉・お餅 等々)が運ばれ、順次煮えにくいものからお鍋に入れて、火の通ったものから食すようにと指示がある。それにしてもかなりの量である。一瞬、食べ切れないかもしれない、との不安がよぎる。連れ合いも同じ気持ちだったらしく、二人顔を見合わせた。「これ、ほんとに二人前かなあ」「ずいぶん量がありますけど、二人前のようですよ。お豆腐や鮭が二つずつですから。頑張っていただきましょ」と、指示どおり具材を入れ、煮えたはしから小鉢に取っていただく。出汁がよく出ていて、味もなかなかいい。
 窓の外はすっかり暗くなり、食堂の明かりが外の草地に落ちている。余人のいない静かな食堂で、「温まるなあ」「ほんとに。おいしいですね」「そうだな」「つくね、どうですか」等々と言いながら、ついにスープの最後の一滴まで、二人で平らげた。ちゃんこ鍋は「食欲をかき立て、ついつい食べ過ぎてしまう」と言われるが、二人とも「食べ過ぎ」は明らかで、「お腹が横を向いて」苦しいほどだった。この夜の食事は、今もって私たちの話題にのぼる、未だかつてない"食べっぷり"だったのである。下げられたからっぽのお鍋を見て、厨房のかたがたもさぞ驚かれたことだろう。思い出すと、ちょっと恥ずかしくなる。「もったいないも卑しいから」ということばがあるくらいだから。

 部屋に戻る際、出会った女性スタッフが「今夜は宿泊者が少なく、さびしくてすみません」とおっしゃる。休暇村にとって、宿泊者の少ないのは経営上好ましくないだろうが、私たちにとっては願ったり適ったりの、得難い一夜となった。
 旅館などでは、他の宿泊者の気配を感じさせないよう配慮したところがあるが、実は、私たちにとっては、それが理想なのだ。あくまで静かなのがよい。喧騒は避けたい。もちろん、食事に際しても、大きな声で話したり笑ったり、はやし立てたり、嬌声をあげたりするような人々との同席は、御免被る。私たちは、宴会に出ているのではなく、非日常に身を置くことによって心のゆとりを取り戻すため、旅に出ているのだから。
 ただし、休暇村においてはそのような贅沢は言わない。だからこそ、この夜は得難い一夜として私たちの記憶に強く残っているのだ。

 前夜は、廊下を話しながら歩く人たちがあったが、この日の夜は、ほんとうに静かだった。物音ひとつ聞こえない。今夜は貸し切りかしら、と思うほどであった。
 満ち足りた気持ちで就寝までのひとときを過ごし、心地よく眠りに就いた。


 朝。薄雲はかかっていたが、陽が差し、雪になる様子はない。
 朝食には連泊者への配慮があり、それだけで心温まる。美味しくいただいたことは言うまでもない。

 海への旅には不似合いな大きめのザックを担いで、伊良湖に向かう。やって来た時と同様、東栄駅までは休暇村送迎車のお世話になった。

 豊橋への列車を待つ間、線路沿いに建ち並ぶ、宿場町のような古い造りの家々を眺めながら、二月の奥三河への旅は、雪を見ることもなく、スノーシューイングもできなかったが、 "雨に向かひて月を恋ふるも なほあはれに情深し" というところか と、ひとり思う。

forward.gif休暇村 伊良湖