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休暇村あっちこっち

休暇村 竹野海岸






[竹野海岸・猫崎半島へ]

 猫崎半島をご存知だろうか。

 私たちは知らなかった。休暇村竹野海岸に行くと決めるまで、知らなかった。竹野海岸に行くと決めて初めて知った。2008年9月中旬のことである。

 たけのスタイル推進協議会のパンフレットに「山陰海岸国立公園特別保護地区の原生林を通って、兵庫県最北端の燈台までのちょっとハードなハイキング」として、 "兵庫県最北端・猫崎半島をめぐる旅" が紹介されていたので、行ってみることにしたのだ。

 休暇村に宿泊して二日目の朝、9時ごろだったか、フロントで "地図" を二枚、一枚は休暇村から駐車場を抜けて竹野橋に向かう手書きの地図、もう一枚は "TAKENO" という竹野町観光案内図のモノクロコピーをもらって出発する。
 ところが、休暇村敷地内でいきなり迷う。道なりに駐車場の前まで行ったが、その地図では駐車場のどのあたりに道があるのか、どう見ても分からない。連れ合いが、自動車道を行けば遠回りでも行けるからいいじゃないかと言うので行きかけたものの、私は何だか口惜しくて、草刈りをしておられた男性のところまで戻り、もらった地図を見せて教えを請う。結局、その地図では行くべき道が分からないことが分かった。もらった地図は地図の体をなしていなかったのだ。今(2014年)も希望者にはあの地図が手渡されているのだろうか......。
 草刈りの男性に教えられたとおり、駐車場を突っ切って木立の方に向かい、コンクリート上を山水の這う、苔の一面に生えた、あまり人の通らないと見える道を行くと、左手に海、前方に橋の見える開けた所に出た。
 橋を渡り、古い漁師町の面影を留める街並みの狭い通りを抜けていく。土壁に板張りの、なんでもない瓦屋根の古い造りの家々がなんとも懐かしい。

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遠浅の、9月の竹野の浜、
寄せる波もささめくがごと優しい。

 竹野浜に突き当たった後は、海岸沿いの自動車道を左に折れ、猫崎半島のつけ根へと向かう。

 

 猫崎半島は、休暇村のロビーから見ると、ほんとうに猫が背を丸くしてうずくまり、沖を眺めているように見えたものだ。

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見つめる先には何があるのだろうか。
たずねてみたい気のする背だ。

 半島先端部へは、波喰甌穴に至る道との分岐を右にとり、シーサイドホテルに沿うように設けられたコンクリートのゆるやかな上り坂を上っていくのだが、ややあって、「山陰海岸国立公園竹野賀嶋公園」と大きく書かれた木の標柱(側面に「標高五七・七米 北緯三五度四○分」とある)と「朝日・夕日・漁火が見える丘」と記された看板が立つ、賀嶋公園に至る。公園には桜が植えられ、ベンチなども設置してあったが、この季節、草など刈ってはあるものの、人の踏み歩いた形跡はまったくなかった。

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夏草の中にひっそりと立つ、
ちょっと傾いだ標柱と看板。

 公園の西に開けた場所に立つと、日本海が一望でき、右方には "猫" のむっくりした "背中" が見えた。夜ともなれば、ここからは烏賊釣り船の漁り火が見え、「朝日の見えるポイント」とあるあたりからは、元朝には初日が拝めるのだろうか。

 「この先 猫崎半島北端まで歩道未整備のため危険 環境省・兵庫県」と、周囲の様子からは浮き立つまでにはっきりと大書された立て札を横目に見て、半島北端に向けて進む。
  [注:環境省により、2014年3月、猫崎半島北端までの歩道が整備されたと聞く]

 

 道の脇に、番号と「本尊十一面観世音」「本尊阿弥陀仏」等々と刻まれた、いかにも古い石仏が祀られていたが、これは高野山真言宗 "竜海寺" (竹野町竹野)が、かつて四国八十八箇所霊場を擬し、新四国霊場として奉置したものらしい。とすれば、八十八体の石仏があるはずだが、順は追わなかった。当地にいつごろ "新四国霊場" が開かれたのか知らないが、人々の信仰が遠退いて久しい趣きであった。

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どんな人が奉納したのだろう、
花の模様の、紅いよだれかけ。

 しばらくして、 "立江地蔵尊" と刻まれた、それまでの石仏より大きな石像が祀られてあるのに至る。お詣りし、尊像の脇を通ってさらに前進すると、141.4m のピーク、半島の最高所、三角点のある賀嶋山の頂上に達する。眺望はない。
 さらに、けっこう傾斜のある石段を下っていくと、やがて左側が海に向けて切れ落ちた鞍部に金属製の踏み板が掛けられてあるのが見えてくる。その踏み板の手前で、先を行っていた連れ合いが、立ち止まってこちらに合図を送っている。「静かに!」というそぶりだ。何があるのかと思いながら近づく。彼の背後で一匹の大ぶりの蜂が音を立てて威嚇していた。腰をかがめて静かに通り過ぎる。
 再び登りに転じ、96m のコブをまく。
 眼下に猫崎灯台の頭部を見ながら、急な坂道を下り、急な石段を降って、灯台の狭いコンクリートの敷地に降り立つ。敷地はほんとうに狭い。

 足もとを気遣って下方に注いでいた目を上げると、澄んだ蒼穹と碧琉璃の海が広がり、眼の奥底まで蒼く染まるようだった。潮風が心地よく頬を撫でる。来てよかったと心底思う。空気の澄んだ晴れの日にここを訪れ得たことがどんなに素晴らしいことか。ただただ立ちつくして見る。

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どこまでも碧い蒼い海と空。
"かもめ" になる夢を見そうな予感にとらわれて。

 空の蒼、海の碧に映えて美しい、真っ白な猫崎灯台は海抜42mにあり、光達は18海里だそうだ。

 柵から下をのぞくと、釣り道具の入っているらしい荷物がひとつ、広い岩盤の上に置かれてあった。釣り人の姿はない。どこからその地点に降り立ったのか.....。荷物を置いて釣り人はどこに行ったのだろう。気配もなかった。

 

 灯台敷地の脇からは、結び目を施した太めのロープが垂らしてあり、磯に降りることができる。彼は早くもロープを手に降りに掛かっていたが、ここで、もし地震が発生し、津波が来れば "7分" ばかりで駆けあがることができるのか.....。
 もうずいぶん前のことになるが、秋田県男鹿の浜辺(加茂青砂)に遠足に訪れ、折しもお弁当を食べていた小学生たち(北秋田郡合川町立合川南小学校の児童43人)が津波に襲われたことを思い出した。日本海中部地震の発生した日(1983[昭和58]年5月26日)もよく晴れていたと記憶する。
 私もすぐ、彼の後を追おうとしていたが、下にいる彼に「もし今地震が起きて、津波が来たら、すぐ戻れる?」と、大声で尋ねた。一瞬あって「そんなことないやろけど止めとこか」と言って、彼は上がってきた。

 どこか夏の名残りをとどめた、穏やかな初秋の日本海に心残して猫崎灯台を後にした。やって来た道を引き返すだけだったが、灯台の尖塔が見えなくなるところで、私は一度振り返った。今もその一瞬を忘れない。


 

 休暇村に戻る道すがら、小腹が空いたので、喫茶店にでもと思ったけれど、それらしい店を見つけることができなかった。10時半ごろだったせいか、この町はまだ動き出しているという感じがなかった。観光客向けに動き出すにはまだ早い時間帯だったのだろう。お昼は休暇村で摂ることにして、ちょっと "遠回り" だったが、一筋先の広いバス通りをとって休暇村に戻る。

 午後は、入浴時間の3時を待って、ハイキングの汗を流しに「天使の湯」と名付けられた浴場へ行く。
 当休暇村の温泉は「自家源泉の天然温泉」だそうで、泉質は「カルシウム・ナトリウム — 硫酸塩・塩化物泉」、動脈硬化症や切り傷、火傷、慢性皮膚病に効能があるという。近くの城崎温泉も「カルシウム・ナトリウム・塩化物泉」のようだが、効能が「神経痛・筋肉痛・うちみ・慢性消化器病 等々」と、異なる。
 それにしても、温泉の効能というのは何日くらい入れば体感できるのだろうか。自宅に源泉を持ち、毎日温泉に入っているという人に会ったことがあるが、高齢にもかかわらず、確かに顔の色艶もよく小太りで、いかにも健康そうではあった。しかし、たまに温泉地に出かけても、一、二泊がせいぜいという身には、なかなか効能を実感するまでには至らない。


 さて、食事である。
 到着した日の夕食は "秋の夫婦い〜旅プラン" だったらしい。"らしい" というのは、まったく記憶に残っていないからである。"バイキング" というので、"バイキング" だったのだろう。一品の但馬牛たたきを注文したようだが、それも覚えていない。
 問題は二日目。午前中、猫崎半島から戻り、午後を "何となく" 過ごして、それなりに旅の楽しみのひとつ、夕食に向かったのだったが.......。

 旅先での食事は、普段はあまり食べ慣れない当該地の食材が料理人の手による "味・盛りつけ・意匠" で出されることから、"舌”の記憶として、けっこう旅の思い出に繋がっている。そのため、旅にあってはできるだけその地の食材が多く使われた料理を、ついでに、宿泊した宿(ここでは、休暇村竹野海岸)の "心意気" が感じられる料理を選ぶことにしている。
 "竹野海岸" では、パンフレットに 「日本海の高級魚「のどぐろ」や兵庫県のブランド牛「但馬牛」などを取り入れた秋の名品特別会席をぜひご賞味ください」として、「秋の名品特別会席「但馬の秋づくし」は上質な脂ののった白身魚「のどぐろ」や名物牛の素牛「但馬牛」、但馬地方特産の「コウノトリ育むお米」、竹野町で作られた「手作りコンニャク」、荒波にもまれ育った日本海の魚(刺身)など、但馬地域の名産を一度に味わえる特別な会席となっております」と説明のあった"但馬の秋づくし" を予約していた。

 

 この日の食事会場は大広間。案内された席にガックリし、急に食欲も萎えた。私たちの席は上がり框の柱の際のうえ、おまけに、背後に人一人通れるほどの空間をおいて衝立が立てられ、座敷用のテーブルと椅子が奥に向かって並べられていたのだ。衝立が立てられているとはいえ、私たちはちょうどテーブルで食事する人の足もとに座して食事する体だった。
 上がり框をスタッフに案内された人たちがひっきりなしに上がり下りし、私の背をかすめるように通って行く。その案内の声が頭の上から降ってくるようだ。埃っぽいうえに騒々しくてまったく落ち着かない。"とにかく忙しいのだから、さっさと食べてさっさと立ち退いてもらいたい" という意図があまりに明白で、心遣いのなさに唖然とするばかりであった。
 しかも、出されたノドグロは "開き" だ。完全に "のどぐろ" のうま味を殺いでしまっている。この魚は、よほど大きなものでないかぎり、"腹" を出した後、丸のまま焼くのが、最も美味しい食べ方だと私は思う。 "のどぐろ" が手に入れば、我が家では開いたりせず、丸のまま焼いて "ぷっくり旨い のどぐろ" を食べている。
 竹野海岸まで行って、冷めかけてちょっと乾いた、何の心遣いも感じられない魚の開きを食べようとは思わなかった。
 旅をすれば、当然いろいろな経験をするものだが、思い出すのも苦痛.....というのは実に悲しい。

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竹野の旅を終え、帰京の朝、
さようならを猫崎半島に......。


        

 今、これを書いている 2014年5月半ば、連休に旅行したある人が「最近は、宿に接客や接待の"プロ" がいなくなり、宿泊しても疲れる。これではリピートする気も起こらない」と。また、工芸技術か何かのその道のプロが、"技術" は教えられても後を継ぐ人間を育てられない、今はそんな時代になっている、とラジオで話しているのを聞いた。
 近年、大学に観光学科ができ、サービス業に就く人が多くなって、観光や旅行が盛況だが、日本中のどこもが騒々しく猥雑で、私には息苦しい。そろそろ真剣に、ゆったり落ち着いた、心安まる豊かな "スペース" を探し出さねば.......。探せば、きっとどこかにあるに違いないと思うものの、そんなスペースなどもう何処にもありはしないと、心の隅でささやくものがある。


 

 「片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあ」った時、 "人" に、"もの" に、乗り物に、そして まるで落ち着かない銭湯のような騒々しいおしゃべりの飛び交うお風呂に疲れることを承知で旅に出るか、道祖神の招きを袖にし、涙をのんで旅をあきらめるか......。
 究極の心のせめぎ合いは、体力が衰え、旅に出られないことが現実になるその日まで続くにちがいない。

            
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