休暇村 越前三国
[竹野海岸・猫崎半島へ] 猫崎半島をご存知だろうか。 私たちは知らなかった。休暇村竹野海岸に行くと決めるまで、知らなかった。竹野海岸に行くと決めて初めて知った。2008年9月中旬のことである。 たけのスタイル推進協議会のパンフレットに「山陰海岸国立公園特別保護地区の原生林を通って、兵庫県最北端の燈台までのちょっとハードなハイキング」として、 "兵庫県最北端・猫崎半島をめぐる旅" が紹介されていたので、行ってみることにしたのだ。 休暇村に宿泊して二日目の朝、9時ごろだったか、フロントで "地図" を二枚、一枚は休暇村から駐車場を抜けて竹野橋に向かう手書きの地図、もう一枚は "TAKENO" という竹野町観光案内図のモノクロコピーをもらって出発する。
竹野浜に突き当たった後は、海岸沿いの自動車道を左に折れ、猫崎半島のつけ根へと向かう。 猫崎半島は、休暇村のロビーから見ると、ほんとうに猫が背を丸くしてうずくまり、沖を眺めているように見えたものだ。
半島先端部へは、波喰甌穴に至る道との分岐を右にとり、シーサイドホテルに沿うように設けられたコンクリートのゆるやかな上り坂を上っていくのだが、ややあって、「山陰海岸国立公園竹野賀嶋公園」と大きく書かれた木の標柱(側面に「標高五七・七米 北緯三五度四○分」とある)と「朝日・夕日・漁火が見える丘」と記された看板が立つ、賀嶋公園に至る。公園には桜が植えられ、ベンチなども設置してあったが、この季節、草など刈ってはあるものの、人の踏み歩いた形跡はまったくなかった。
公園の西に開けた場所に立つと、日本海が一望でき、右方には "猫" のむっくりした "背中" が見えた。夜ともなれば、ここからは烏賊釣り船の漁り火が見え、「朝日の見えるポイント」とあるあたりからは、元朝には初日が拝めるのだろうか。 「この先 猫崎半島北端まで歩道未整備のため危険 環境省・兵庫県」と、周囲の様子からは浮き立つまでにはっきりと大書された立て札を横目に見て、半島北端に向けて進む。 道の脇に、番号と「本尊十一面観世音」「本尊阿弥陀仏」等々と刻まれた、いかにも古い石仏が祀られていたが、これは高野山真言宗 "竜海寺" (竹野町竹野)が、かつて四国八十八箇所霊場を擬し、新四国霊場として奉置したものらしい。とすれば、八十八体の石仏があるはずだが、順は追わなかった。当地にいつごろ "新四国霊場" が開かれたのか知らないが、人々の信仰が遠退いて久しい趣きであった。
しばらくして、 "立江地蔵尊" と刻まれた、それまでの石仏より大きな石像が祀られてあるのに至る。お詣りし、尊像の脇を通ってさらに前進すると、141.4m のピーク、半島の最高所、三角点のある賀嶋山の頂上に達する。眺望はない。 足もとを気遣って下方に注いでいた目を上げると、澄んだ蒼穹と碧琉璃の海が広がり、眼の奥底まで蒼く染まるようだった。潮風が心地よく頬を撫でる。来てよかったと心底思う。空気の澄んだ晴れの日にここを訪れ得たことがどんなに素晴らしいことか。ただただ立ちつくして見る。
空の蒼、海の碧に映えて美しい、真っ白な猫崎灯台は海抜42mにあり、光達は18海里だそうだ。 柵から下をのぞくと、釣り道具の入っているらしい荷物がひとつ、広い岩盤の上に置かれてあった。釣り人の姿はない。どこからその地点に降り立ったのか.....。荷物を置いて釣り人はどこに行ったのだろう。気配もなかった。 灯台敷地の脇からは、結び目を施した太めのロープが垂らしてあり、磯に降りることができる。彼は早くもロープを手に降りに掛かっていたが、ここで、もし地震が発生し、津波が来れば "7分" ばかりで駆けあがることができるのか.....。 どこか夏の名残りをとどめた、穏やかな初秋の日本海に心残して猫崎灯台を後にした。やって来た道を引き返すだけだったが、灯台の尖塔が見えなくなるところで、私は一度振り返った。今もその一瞬を忘れない。 休暇村に戻る道すがら、小腹が空いたので、喫茶店にでもと思ったけれど、それらしい店を見つけることができなかった。10時半ごろだったせいか、この町はまだ動き出しているという感じがなかった。観光客向けに動き出すにはまだ早い時間帯だったのだろう。お昼は休暇村で摂ることにして、ちょっと "遠回り" だったが、一筋先の広いバス通りをとって休暇村に戻る。 午後は、入浴時間の3時を待って、ハイキングの汗を流しに「天使の湯」と名付けられた浴場へ行く。 さて、食事である。 旅先での食事は、普段はあまり食べ慣れない当該地の食材が料理人の手による "味・盛りつけ・意匠" で出されることから、"舌”の記憶として、けっこう旅の思い出に繋がっている。そのため、旅にあってはできるだけその地の食材が多く使われた料理を、ついでに、宿泊した宿(ここでは、休暇村竹野海岸)の "心意気" が感じられる料理を選ぶことにしている。 この日の食事会場は大広間。案内された席にガックリし、急に食欲も萎えた。私たちの席は上がり框の柱の際のうえ、おまけに、背後に人一人通れるほどの空間をおいて衝立が立てられ、座敷用のテーブルと椅子が奥に向かって並べられていたのだ。衝立が立てられているとはいえ、私たちはちょうどテーブルで食事する人の足もとに座して食事する体だった。
今、これを書いている 2014年5月半ば、連休に旅行したある人が「最近は、宿に接客や接待の"プロ" がいなくなり、宿泊しても疲れる。これではリピートする気も起こらない」と。また、工芸技術か何かのその道のプロが、"技術" は教えられても後を継ぐ人間を育てられない、今はそんな時代になっている、とラジオで話しているのを聞いた。 「片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず」「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあ」った時、 "人" に、"もの" に、乗り物に、そして まるで落ち着かない銭湯のような騒々しいおしゃべりの飛び交うお風呂に疲れることを承知で旅に出るか、道祖神の招きを袖にし、涙をのんで旅をあきらめるか......。 |