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back.gif休暇村 羽黒

休暇村あっちこっち

休暇村 妙高






[休暇村 羽黒へ]

 小雨の中、羽黒を発ち、妙高へと向かったこの日は、折しも7月7日。

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大きな七夕飾りを囲む子ら。
     地方新聞の記者たちも駆けつけて。

 鶴岡駅では大宝幼稚園の子どもたちが、駅舎コンコースの天井にも届かんばかりの大きな笹飾りを囲んで "たなばたさま" を歌っていた。
 主要駅とはいえ、どこかうら寂しさ漂う地方駅構内が、かわいらしい声とちょっと華やいだ雰囲気にあふれ、本数の少ない列車を待つ数少ない乗客の心をなごませる。

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  思いがけない "送別のセレモニー"
     旗振る子らを前に私たちは何か面映ゆい。

 定刻どおりホームに入った特急列車 "いなほ 8号" に乗り込んだ私たちを、行事を終えたばかりの子どもたちがホームに居ならび、青い小旗を振って送ってくれた。

斜陽の幹線を少しでも "元気づけたい" というのが、"おとなたちの思惑" らしいが、列車の到着を待つ間、小旗を持った子どもたちはてんでに遊んでいて、その子どもらしさに思わず笑ってしまう。

 羽越本線上り特急列車 "いなほ" の車内は乗客もまばらで、私たちが若いころに乗車した羽越本線とはとても思えなかった。うら寂しさがつのるばかり。これでは幹線といえど例外ではなく、ますます列車の本数も少なくなって、先細りしていくのは必至だ。


 新潟駅で信越本線下り特急列車 "しらゆき" に乗り換え、上越妙高に。上越妙高駅で再び "えちごトキメキ鉄道" [注:2015年3月、北陸新幹線が長野駅ー金沢駅間延伸開業した際に、並行在来線として信越本線より経営分離される]に乗り換えて、午後4時半、ようやく "休暇村 妙高" の最寄り駅 "関山" に降り立つ。

 この時間帯は、路線バスもなく、休暇村の送迎バスの時間からも外れているというので、関山駅から"休暇村 妙高" まではタクシーを使用するよう休暇村スタッフから促されていた。
 一日がかりの移動と、全村巡りというだけの、私たちにとって是非にという目的のない旅に疲れ、「タクシーの配車依頼までして行く意味あるの」と言いながら、駅前のバス停でバスのないのを確かめていると、"地元のおじさん" が私たちに話しかけてきて行き先を尋ね、ここら辺はこのごろ不便になって、バスもほとんどなくなってしまったと、ぼやく。そして、この時間はバスもないから、タクシーに乗るしかないねえ、と言うと、「あそこがタクシー会社だけど、タクシーはあっちの方から来る」と指さして去った。
 人気の途絶えた薄暗い駅周辺は、潮垂れた感じさえした。

 タクシーは、わずかに対向車のライトが認識できるだけの、全くといっていいほど視界のきかない濃霧の中を、ライトをつけて走った。聞くと、あたりはすべて広大なゴルフ場だという。私たちには無縁の領域だ。



 上信越高原国立公園 [近年、妙高戸隠連山国立公園という名称になった模様] にある "休暇村 妙高" は、前身の国民休暇村が発足した当初より造成が予定された施設で、昭和40(1964)年夏ごろに営業が開始されたものと思われる。
 当初は、妙高山麓 標高1300m付近の笹ヶ峰地区に、定員40名のセントラルロッジとキャンプ場ケビンが設営され、現休暇村のある標高800mの五最杉地区には定員95名の宿舎とスキーリフトが造設されたらしい。
 その後、1997年に五最杉地区の施設が、鉄筋3階建て、52室 (和室51室 / 洋室1室)、定員237名の建物に改築され、関山本館と呼ばれるようになって、笹ヶ峰ロッジ(7月〜10月営業) の予約なども、本館で一括受付けされるようになったようだ。  この新潟県妙高市関山地区は、かつてスキーが流行したころ、温泉に近いスキー場として人気を博したと聞く。

 現在、笹ヶ峰地区にロッジはない。7月1日〜9月30日の間、キャンプ場(オートサイト / フリーサイト / レンタルテントサイト がある様子)として稼動しているのみ。
 現 "休暇村 妙高" の建物は、1997年改築当時と変わりはないようだが、客室が
    * 和室:禁煙44室 ・ 喫煙5室  /  洋室:禁煙 3室
    * 定員:168名
となって、洋室が2室増え、収容人員にゆとりを持たせた形になっている。

 駐車場については、どこの休暇村も広さに若干の違いはあるものの、広い屋外駐車場が設けられている。"妙高" も車輌100台 (車椅子対応スペースは2台分) 収容が可能。かつての信越本線、現えちごトキメキ鉄道に並行して国道18号線 (北国街道) が通っているうえ、上信越自動車道が並行して走る当地の、車での利便性が大いに関係しているものと考えられる。



 到着が遅くなったため、何はさておきお風呂に。"休暇村 妙高" のお風呂は「妙高高原に湧き出ている名湯のひとつ」、"越の湯" という温泉。
    * 泉質:含鉄食塩泉(塩化物泉)。
              ※「赤い湯の花」は鉄分によるのだろう。
    * 効能:慢性胃腸病、慢性皮膚病、関節痛、リューマチ等。
 妙高高原には、他にも、それぞれ泉質の異なる、関、燕、赤倉、新赤倉、池の平、妙高、杉野沢 等の温泉があるという。


 食事会場はリニューアルされたのか、透け感のあるロールスクリーンを使ったモダンな演出がしてあり、スタッフは軽やかにサービスにつとめている。
 食事は、"妙高じょんのび[新潟方言:のんびり]プラン" 。牛肉はしゃぶしゃぶだったか焼いたか.......忘れてしまったが、肉(頸城牛?!)そのものの扱いが適切で柔らかく、味わいを楽しめたという印象が残っている。


 

 翌日は妙高山に。
 上信越の山は、越後の三山や谷川連峰等々、また妙高近辺では雨飾を歩いたが、妙高そのものには全く縁がなかった。心のそそられることが一度もなかったのだ。
 だが、この度は "足もと" まで来ているのだからと、休暇村玄関前から8時30分過ぎだったかのバスに乗り、最も近い登山口の燕温泉に向かう。

 温泉街(?)は、廃業したような旅館もあり、さびれた感じが漂っていた。それでも両側に温泉旅館の建ち並ぶ道を突き抜け、出外れたところにある薬師堂の前を通って山に入る。しばらくは嫌なコンクリート道が続き、やがてバギーかと思われるような太いタイヤ痕の長々と残る細い地道を行く。なぜタイヤ痕が........と思いながら進んでいくと、どうやら源泉の取水口らしい工作物があった。そこでタイヤ痕は途絶え、葦簀掛けの小屋の入口にゴム長靴が見えて、人の気配がした。
 しばらくして、ごろくた岩の重なる "胸突き八丁" を直登する。途中、中高年男性二人を追い越し、したたかに汗をかいて、やれやれと行き着いたのが天狗平。"平" というので、もう少し広い所かと思ったら、なんのことはない、祠の前にあるちょっとした広場にすぎなかった。眺望はない。

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  左の道をとると、笹平方面へ。
       頂上へは祠の右横の道を直進する。

 11時前で、お昼には早かったが、小腹も空いていたので、コーヒーを入れてお昼にする。と、連れ合いが「頂上まで、まだ2時間ほどあるし、宿に帰ると夕方になるだろうから、ここで止めて帰ろう」と言う。即座に受け容れる。歩きながら、 "宿に帰ったら慌ただしくお風呂に入り、慌ただしく夕飯を食べなければならないのだろうな" と考えていたからだ。
 クロワッサンを食べ終え、ゆっくりコーヒーを飲んで話していると、先ほどの男性二人連れが到着。ここで、彼らが地元柏崎の人だと知る。お湯も残っており、余分にコーヒーを持っていたこともあって、二人にコーヒーを振る舞う。

 "車で来ていて日の暮れまでに下山できればいいので頂上を目指す" という彼らと別れ、私たちは引き返す。下りは途中から麻平の方に道をとり、吊り橋を渡って燕温泉に戻る。
 昼間の温泉街に人影はなく、向かい合った二軒の土産物屋も暇を持て余している様子。そのうちの一軒でアイスクリームを買い、バス停のベンチにかけて、アイスを食べながらバスを待つ。その間、見かけたのは5人。なんとも寂しい温泉地の昼下がりであった。

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この温泉街が賑わうのはいつなのだろう.....。
"鄙びた温泉" というにはあまりに中途半端。

 バスに乗ったのは、もちろん私たち二人だけ。私たちが降りた後、バスは空で走り去った。

 休暇村の玄関前では、湯上がりの赤い顔をした幼稚園児たちが手拭いを手に迎えのバスを待っていた。あまり見ることのない光景である。温泉地の幼稚園ならではの "お風呂タイム" ということか。

 私たちの入浴時間は3時からということなので、部屋に戻ろうとしていた時、清掃スタッフらしい人とすれ違う。ちょうどよかったと、冷水の交換について尋ねたところ、「今ですか、後ではだめですか。急がれてるなら、ポットをフロントに持っていって交換してもらってください」と険しい表情で言われる。「わかりました」と応じながら、ふと "この人、労働に疎外されているのかも........." と思う。羽黒でも同様の思いを抱いたことが思い出された。




 往路は、関山駅到着が遅くなり、休暇村送迎バスの時間帯から外れてしまって不便を託ったが、復路は、休暇村 9:30発ー上越妙高駅10:10着の送迎バスへの乗車がかなう。
 ただ、休暇村から上越妙高駅間の長かったこと......。
 この日、送迎バスの利用者は私たち二人だけのようで、私たちが乗り込むと、すぐに発進。だが、車内の空気がなぜか重い。運転のスタッフに、付近の様子など尋ねてみたが、「そうです」だったか、何だったか........、一言二言で会話が途切れてしまう。空気のほぐれる様子がない。
 北陸新幹線上越妙高駅の西口で車を降り、お礼を言って、改札に向かう。
 階段を上りながら「車でなければ来るなと言わんばかりの不機嫌さでしたね」と言う私に、連れ合いは「まあそんなとこだったんだろう。でも、シャイな奴だったのかもよ」と。"そうか、シャイな人だったのか.......。そういうことにしておこう" 、そう思い做すと、肩の力が抜けた。


 この年、新潟地方の梅雨が明けたのは7月22日。東北の梅雨が明けたのは7月29日のことだった。  

          
forward.gif休暇村 裏磐梯