休暇村 佐渡
[休暇村 奥武蔵:旧埼玉県宿泊施設 "奥武蔵あじさい館" ]
※ 後尾に新規参入施設「リトリート安曇野ホテル」の情報を付記。
"日本共産党飯能市議団" が、平成24(2012)年6月24日付 1829号報告において「奥武蔵あじさい館を民間に売却 県方針を飯能市に報告」とする、以下の一文を公表した。
「埼玉県は、奥武蔵あじさい館を民間に売却する方向で準備に入っていることが、3日開かれた議会全員協議会に報告されました。
報告によると埼玉県は、県が宿泊施設をもつ理由がなくなったとして、(1)奥武蔵あじさい館を廃止し、民間に売却する(2)宿泊機能を継続し、地元雇用への配慮を条件とする(3)譲渡時期は平成25年度の可能な限り早い時期とする(4)9月県議会であじさい館条例を廃止する条例案を提出する(5)条例案可決後売却のための入札手続きを開始するというものです。
[高齢者、障害者等福祉目的のもの]
県は、高齢者、障害者、母子家庭などのレク、休養施設として平成8年4月にオープン。本館棟1棟、ログハウス3棟、ふれあい工房などを備え、125人の宿泊が可能です。手軽な料金で利用でき、県下全域からの利用がある施設です。
福祉目的の施設ですから、県が指定管理料を年間6000万円程度支出しています。
[飯能市は誘致に12億円もの財政負担]
飯能市は、「福祉施設の位置付けで設置された施設が、オープンからわずか8年後の平成16年には県が宿泊施設を設置する必要性に乏しいことを理由に民間に譲渡すべきという方針に至ったことは誠に残念」とした上で、(1)この施設を建設するにあたって、寄付金3億円、橋の架け替え8000万円、水道施設整備費に8億3000万円、総額12億円もの財政負担をしていることから、応分の考慮をすること(2)9月県会前に地元説明会を開催すること(3)地元雇用確保の具体策を説明することを要望していく考えであることを明らかにしました。
また、飯能市が施設を引き受けることについて打診があったが、多額の修繕費等が予想されることから譲り受ける考えがないことを明らかにしました。
今後、県の誠実な対応が求められます」と。
上記報告から三月後の平成24(2012)年9月、県は埼玉県議会定例会に、付議議案(知事提出分:平成24年9月24日提出)第94号「埼玉県奥武蔵あじさい館条例を廃止する条例」(要旨:「埼玉県奥武蔵あじさい館を廃止するための条例の廃止」)を提出。原案は可決され、
埼玉県報(2433)に告示された。
「 条 例
埼玉県奥武蔵あじさい館条例を廃止する条例ををここに公布する。
平成二十四年十月十六日
埼玉県知事上田清司
埼玉県条例第四十七号
埼玉県奥武蔵あじさい館条例を廃止する条例
埼玉県奥武蔵あじさい館条例(平成七年埼玉県条例第六十九号)は、廃止する。
附則
この条例は、平成二十五年四月一日から施行する」と。
この間の事情を、平成25(2013)年4月13日、埼玉県飯能市・日高市を主な発行エリアとする日刊地方紙「文化新聞」(代表取締役:吉田鉄之助) が、"あじさい館 「休暇村奥武蔵」へ 今夏に開館予定" という見出しの記事を掲載する。
「飯能市吾野の県宿泊施設「奥武蔵あじさい館」が先月末で閉館し、4月1日から一般財団法人休暇村協会(中島都志明理事長)に所有権が移転し、「休暇村奥武蔵」として、今夏開館へ準備を進めている。
" 奥武蔵あじさい館の敷地が、県所有から民間所有になることによって、これからは県営時代には入らなかった土地の固定資産税が飯能市の歳入になるのだと思います。(たぶん) "
" 市議会でこの固定資産税のことを質問した市議はいませんでしたが、「休暇村協会」が飯能市に支払うことになる固定資産税の金額を6月か9月の一般質問では訊いて欲しいものです。"
同館は(中略)平成8年にオープン。当時の飯能市が積極的に誘致を進め開館したが、利用者が減り、その後、施設の運営を民間企業に任せていたが、県は売却を決めた。
"「運営を民間企業に任せていた」といっても、赤字まで負担させたわけではなく、累積赤字の殆どは県の負担だったから、県は売却を決めたのです。"
" 私は機会が無かったのでこの奥武蔵あじさい館には1泊しかしたことはありませんが、「市内に市民が宿泊できる旅館やホテル、レジャー施設が有る」ということは市民にとっては市外の人に自慢できる楽しいことなのです。"
" 飯能市が積極的に誘致したのであれば、「利用者が増える」ことに飯能市はどのような協力をしたのでしょうか? 市民に「宿泊利用」を呼びかけたことがあるのでしょうか? "
昨年11月に入札が実施され、一般社団法人休暇村協会が3億1920万円で応札した。
"この金額が高かったのか、安かったのかは、その後の「営業努力」次第です。"
現在開館準備のため、同館に事務所が設置され、今後営業準備、改修作業が行われ、今夏にオープン予定。
"休暇村協会のwebサイトには、もう「予約受付頁」が開設されていました。5月13日から「予約受付開始」だそうです "」と。 ※「文化新聞」および "BUNKA ONLINE NEWS" には、 "奥武蔵あじさい館" のその後の情報が掲載されている[1]。
他方、休暇村協会でも、情報誌「倶楽部 Q」において、37番目の休暇村 "奥武蔵" のオープンが喧伝され始める。
手もとに残る情報誌「倶楽部Q」に見ると、
*2017(平成29)年8月 vol.69 p.50
「秋を彩る曼珠沙華・紅葉の東郷公園 葡萄や栗の味覚狩りも満喫できます
♪ 」として、明かりのともるログハウス3棟の写真を中心に、休暇村 奥武蔵の紹介がなされている。
*2017(平成29)年11月 vol.70 p.52
"休暇村 奥武蔵" は「平成30年春〜夏にかけて増築・リニューアルオープン予定のため、平成30年1月10日より休館になります」とある。
*2018(平成30)年2月 vol.71 p.48
トップ囲み記事上段には "奥武蔵" の浴場の写真他とともに、
──第1期 大浴場・レストランリニューアルオープン
平成30年4月26日(木)──
「・寛ぎの大浴場「こもれびの湯」
檜柄の壁と御影石の内風呂、地元西川材の壺湯、里山の景色と一体となった
露天風呂、機能的な洗い場スペースなど、和を意識し、木や風を感じる空
間。
サウナも完備。
・ビュッフェレストラン「彩さいたま 和彩ビュッフェ」
森をテーマに、地元西川材の白木の格子を用いた、和モダンな内装に一新。
ご夕食は「彩さいたま 和彩ビュッフェ」と題して、埼玉県全域をフィール
ドとした地元食材とこだわりの和食、オープンキッチンでの粋な演出を
メインにご提供」
とする一方、
下段には、3階客室内部の写真を中心に各階客室内部、増築棟の外観の写真を掲げ、
──グランドオープン [23室の客室棟増築] 平成30年7月10日(火)──
「フロア毎にテーマを設けて、くつろぎの和モダンを基調とした客室棟が新たにオープンいたします。里山の風景を望む開放的な窓やバルコニー、アウトドアリビングが象徴する身近な自然、地元の良質な杉・檜「西川材」を用いた木のぬくもり。お客様に心からのときめきをご提供します」として、宿泊料金を明示。
■ 1泊2食基本料金表(夕食・朝食:ビュッフェ)
1室2名 : 14,500円
1室3名 : 14,000円
1室4名 : 13,500円
*2018(平成30)年5月 vol.72 p.52
見出しは、
──平成30年4月26日第一期リニューアル
大浴場・レストランがさらに充実 !! ──
リニューアルオープンした "奥武蔵" の大浴場とレストランの大小の写真が掲げられ、さらに、「7 / 10 グランドオープン(新築棟完成)まであとわずか! 皆様どうぞご期待ください!」とある。
*2018(平成30)年8月 vol.73
表紙に「特集◎埼玉県 奥武蔵 増改築グランドオープン」という文字と、浴衣姿の若い女性二人が床几に腰掛け、高麗川に足を浸けて談笑する姿が一面を飾る特集号だ。
特集記事は pp.3〜9 。大浴場や増築棟の写真は言うに及ばず、ハイキングコースから「豊かな自然と伝統が育んだ 秩父グルメ」、秩父・飯能 おすすめスポット 等々が写真とともに紹介されている。
"奥武蔵" 個別頁 p.52 でも、「彩さいたま 和彩ビュッフェ プラン」や増築棟の写真掲載が繰り返されているが、このページで目に止まったのは「本館から徒歩60秒 !! 清流「高麗川」が一望 ログハウスに泊まろう!」の記事。
「清流「高麗川」沿いの本格的なログハウス」の写真の下に、
戸数:6名用1棟 (ペット(犬):可) / 7名用2棟
環境:川沿いの林間
設備:ベット・ソファベット・風呂・トイレ・洗面所・冷蔵庫・電子レン
ジ・冷暖房
料金 (1泊2食付き ログハウスで夕食BBQ)
・1階建て (6名定員) / 2階建て (7名定員) 共に、
1室2名 : ¥15,000
1室3名 : ¥14,500
1室4名 : ¥14,000
1室5〜7名 : ¥13,000
と、詳細な案内がある。ログハウス自体は "あじさい館" の時代からあったようではある。
*2019(平成31)年には、"奥武蔵" の記事は
vol.75:「おかげさまで平成31年4月に、本館「あがの館」がリニューアル
1周年を迎えます」
vol.77:「おかげさまで「にしかわ館」グランドオープン1周年」
となる。
新規参入施設「奥武蔵」の、休暇村における "地歩" は、ここに定まったようだ。
当初 "国" の肝いりで設置が開始された "国民休暇村" 。時代・社会の変容に伴って、表看板から "国民" の文字が消えて久しい。経営不振に陥った "公共施設" の落札・立て直しは、"休暇村" のどんな理念の反映なのだろうか。
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私たちの休暇村全村巡りも、2018(平成30)年夏の終わりに佐渡行を終え、いよいよ残すは「奥武蔵」のみとなっていた。
ここまでくれば一挙に ”やっつけよう!" と、その年の9月下旬「奥武蔵」を目指すことになる。
ただ、"武蔵国" は、埼玉、東京、一部神奈川にわたる地域である上、畿内に住む私たちにとってついぞ縁のない地。そのあたりに国立・国定公園はあったかしら.......と、まず躓く。 "休暇村 奥武蔵" は埼玉県立奥武蔵自然公園内に位置するらしい。
見当がついたのは『倶楽部Q』vol.73 (2018(平成30)年8月) にあった文言 "「豊かな自然と伝統が育んだ 秩父グルメ」「秩父・飯能 おすすめスポット 」の中の "秩父" による。
私たちにとって、"秩父" の地名からは、秩父山地・奥秩父山塊がイメージでき、足を踏み入れたことはないが、瑞牆山や金峰山、甲武信岳などの山名が思い浮かんだ。
それに "秩父困民党" [2] のこと。それがどの書籍に書かれてあったか、今では思い出せないが、明治17(1884)年秋、蜂起に向け、一人の若い農家の女性が草履をつっかけて、子どもを手負いし、軽々と峠を越えて何里もの道を伝令に走ったという一節が思い出された。
彼女の駆けたであろう峠の道を行ってみたいものだと思ったが、休暇村巡りの "序で" に行くには無理がある。 "観光化" されたところに行くつもりはない。まして、映画「草の乱」の撮影場所を訪ねるつもりは端からない。"次の機会" があろうとも思えなかったが、この時、秩父行は断念。
計画を進めるうち、だんだんと心が萎えていった。山手線の "あの混雑・雑踏" を抜けなければ目的地には到達できそうにない。高崎経由、八高線使いも考えたが、回り道に過ぎる。仕方ない。アクセスガイドにあるとおり「池袋から西武池袋線に乗車。飯能駅で各駅停車に乗り換えて、吾野駅で下車。休暇村の定期送迎バスで約5分」で行くことにするが、連れ合いも「考えただけで嫌になるなあ」と憂鬱顔。
ただ、せっかく出かけるのだからと、最盛期も過ぎ、人出も少しは収まっていようと、一日目は、NHKのラジオ放送(R 1)で聞いた "曼珠沙華公園:巾着田" に立ち寄ってから "奥武蔵" に向かい、次の日は休暇村から徒歩で行ける範囲のハイキング (西吾野駅 → 高山不動尊 → 関八州見晴台(標高771m) → 高山不動尊 → 瀬尾 → 吾野駅) をすることとした。
連れ合いはこの計画にほとんど関心を示さない。「ふむ、ふむ」と同意し、説明を聞いてはくれるが、休暇村全村巡りの残る最後の一村を "こなす" だけの体。 「それしかないんやろ、それでいこ」と言うばかり。
薄曇りの空が広がる朝、 6時30分の新幹線で東京に向けて出発する。
列車はこの日も早朝から満席。目的地が東京近郊のせいか、先を思ってひどく憂鬱だった記憶がある。
当初、東京駅で乗り換えるつもりでいたが、池袋へは品川駅の方が近そうな車内アナウンス。急遽、品川駅で下車。
"気がつけば持っていたのはよその人の袖" なんてことにならないよう、彼の腕をしっかり持って駅構内を移動。山手線のプラットフォームにたどり着くと、それはもう "えらい" 人。誰の後ろに並べばいいのかわからない。人がホームからあふれ落ちないのが不思議なくらい。ひと電車見送って何とか並び、車内に。彼とはぐれないよう、思わぬ駅で一人押し出されてしまわないよう緊張していたため、肩や首が強ばって頭痛さえした。
渋谷で少し空き、原宿で空いて、席に座る。池袋まで "長い道のり" だった。実際のところ東京駅から回るのとどちらが近かったのだろうか。
池袋駅で下車し、西武池袋線方面に移動。これは大阪で言えば、難波で南海本線に、天王寺で近鉄南大阪線に、鶴橋から近鉄奈良線、梅田から阪急宝塚線に乗り換えるような感じ。
飯能までは特急 "レッドアロー号" に乗ろうと思っていたが、それには待ち時間が長すぎた。それならと飯能駅に先着する電車に乗車。通勤の時間帯、郊外に向かう電車は空いていた。
旅行気分にはほど遠く、"しんどいな" と思いながらぼんやりと、聞くとはなしに車内アナウンスを聞いていると、聞き覚えのある地名が耳に飛び込んできた。
へぇ〜、"練馬大根" の "練馬" ってこんな所にあったの?!
↓
「石神井公園」の "石神井" は "光化学スモッグ" 報道でたびたび耳にした
地名。
↓
所沢には昔飛行場があったような....と思っていると、管制塔のような建造物
が見えてきた。
↓
「狭山ヶ丘」の狭山って、終戦後進駐軍の基地があったような。それに狭山
事件の狭山?
↓
入間という地名を聞くに及んでは、いくつかの凄惨な事件の報道がよみがえ
った。
それまで、具体的な場所の特定をせず、漠然とどこか遠い所として頭の中で処理してきた地名が実在感をもって立ち現れた。
連れ合いは、秩父はともかく、このあたりの地にはまったく興味が湧かないらしい。黙ったまま電車の揺れるのに身を任せている。"頭がひとつあればいい。考えることはいくらでもある。退屈はしない" と言って。
飯能に近づくにつれて雲が重くなり、雨が落ちてきそうな空模様になった。
飯能駅で秩父行き各駅停車に乗り換え、二駅先の高麗(こま)駅に。巾着田は高麗にある。
高麗駅構内を出て、天下大将軍・地下女将軍と記された一対の赤い大きな将軍標を見上げた時、とうとう雨がひとつ、ぽつりと顔に落ちた。
日高市の掲げた説明板によると、巾着田は、埼玉県日高市大字高麗本郷に所在。
「巾着田周辺は、今から約一二〇〇年ほど前に高句麗から渡ってきた高句麗人が住みつき、大陸文化を取り入れた高度な生活を営んでいた場所である。当時、水田を作ることは大変な事業であったが、高句麗人は高麗(こま)川が蛇行していることを巧みに利用し、川をせき止め、その内側にあふれた水を導き、水田とした。
その形が山の上から見ると、巾着の形をしていることから、巾着田と呼ばれるようになった。
昭和五十七年三月 」
とある。
出発時、高麗駅から徒歩30分〜40分の日和田山 (標高305.1m) より巾着田を望見しようと思っていたが、雨とあって中止。直接巾着田に向かう。
駅から遠ざかるにつれて雨は強くなり、本降りになった。彼岸花の盛りは過ぎつつあり、人出も少しは少なくなっているかに思ったが甘かった。雨模様の平日に巾着田への道をたどる人、人、人に激しく後悔する。
人は高麗駅からばかりではなかった。公園周辺には何台もの大型観光バスが止まっていて、それらのバスから吐き出された人々が、強い雨の中、大きな水たまりが広がる公園入り口の狭いゲート前に蝟集していた。
連れ合いがいつ「止めよう」と言い出すかと思っていたが、「ここまで来れば入らないわけにはいかんだろう」と言う。避けようにも大小の水たまりがそこここにあって、靴の中には水がしみ込み始めていた。
入場券 (一般 ¥300) を買って並び、"曼珠沙華公園" に入る。
水たまりをよけながらの人の歩みは遅い。しかも人々は、雨脚の強いにもかかわらず、あちこちで立ち止まり、写真撮影に余念がない。それらの人々を避け、人のちょっと途切れた田中の道で顔を上げて見渡してみると、雨天の薄暗さが幸いして花の衰えが目立たず、雑木の根方に群生する彼岸花であたりは一面赤く染まっていた。「土手とか畦道の彼岸花ってよく見るけど、雑木林の中に群生する彼岸花ってあまりないよな」と、連れ合いがつぶやく。
盛りの燃えるような一面の "朱" はさぞ華やかなことだろう 。
遠い日の野辺の送りの、あの寂しい朱の色とは違って。
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人の途切れを見計らい、大急ぎで一二枚の写真を撮った後は、人を避けて外周の土手道に上がり、後をも振り返らず歩速をあげて公園を後にした。
雨は土手から河原側に激しく流れ落ちて不安になるくらい。それでも人は後から後から巾着田目指してやってくる。
人の流れに逆らい駅へ戻る途中、 "ALISHAN Cafe" [3] に入る。お昼には少し早かったが、お腹が空いていたし、雨に濡れて体は冷えていた。"豆と季節の野菜カレー" を注文、コーヒーで一息つこうとしたが、次々と店内に入ってくる人に落ち着いてもおれず、食事もそこそこに雨の降りしきる外に飛び出した。
散々な "旅" の1ページ。
駅に戻り、再び西武池袋線に乗って、三つ秩父寄りの吾野駅に移動。
吾野駅は郊外によくある閑散とした駅だったが、有人駅ではあった。改札正面のただ一軒の仮設店舗(?!)は、この日閉まっていた。他に、駅周辺に店舗らしいものは見当たらない。
午後の送迎バスの時間までにはかなり間がある。
"あじさい館" への道を駅員の方に尋ねると、道を下って国道299号線に出た後は、左手方向へ道なりに行けばよいとのこと。「歩くと、けっこう距離がありますよ」と言われる。
連れ合いはすでに歩く態勢。坂道を下り始めていた。
坂下には "曹洞宗 補陀山 法光禅寺" があり、覗く。武蔵野観音霊場第三十一番札所らしい。裏山を500mばかり上った所には、奥の院 "岩殿観音窟お堂・窟石龕" があるとのこと。行ってみたかったが、雨脚の衰える様子もなかったので断念する。
山里を貫く国道299号線は、幅員が狭いうえ、白い線引きの "歩道" が有ったり無かったり。大型ダンプカーがひっきりなしに行き交い、その煽りを受けて体が持って行かれそうになる。傘を体に引き寄せ身を固くして道路脇を行くが、巻き上げられる雨水や跳ね返る水しぶきで、足もとは言うに及ばず上半身まで濡れていく。
黙々と前を行く連れ合いの背に何度も「もう嫌!」と叫ぶが、ダンプカーの音にかき消され、聞こえているふうはない。
現"奥武蔵" 正面。旧"あじさい館" の面影を残すか.....。
屋根の形、縁取る緑青。"油屋" のような......。
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30分も歩いただろうか、二人とも濡れに濡れ、ようやく日帰り温泉のような暖簾のかかる旧あじさい館、現休暇村奥武蔵の前に立った。
"旅" の2ページ目も散々だった。
暖簾をくぐり館内に。ロビーの高い天井際に飾られた "オブジェ" が目に入る。
私には "顔" のdeformationのように見える 。
目と鼻は木象嵌か、全体が寄せ木のようにも。
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チェックインにはかなり間があるので、手続きだけを済ませ、時間が来るまでロビーで待つことに。
この37番目に参入した施設の第一の印象は、出自によるものか、まだまだ "事務的" で、やや "お役所的上から目線" ふう。若い女子の "ため口ふうもの言い" にも心がざわつく。ひとり金井とおっしゃる女性のみがプロの対応のできる人物で、好印象を持ってネームプレートを見た。
衣類が濡れていて腰掛けるのも躊躇われたが、座面が布でなかったので椅子にかけた。ズボンの裾から滴がしたたり気が揉める。
待つうちに、館内に入ってくる人が増え、何だかちらちらと視線を感じるようになった。何だろうと思っていたが、どうも私たちは浮き上がっている様子。"濡れ鼠" の二人が異様に映ったものか。
私たちに "あてがわれた" のは、にしかわ館2階の部屋だった。
"にしかわ館" への渡り廊下に設けられたギャラリー。
伝統木工の基本の技術とその "美しさ" に懐かしささえ湧く。
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部屋に上がる前に濡れた衣服を脱ぎ、床を汚さないようつま先立ちで、濡れたバックパックとともにバルコニーに出す。
"和モダン 雅" と名付けられた部屋は「贅沢で、非日常的な和モダンなデザインです。天蓋に掛かる "布" が空間に幾通りもの表情を作ります。部屋の中に、"内の外" "外の内" の関係をつくり、その曖昧さが心地よさを演出します。決して煌びやかではなく雅な艶やかさが和モダンのセンスを際立たせます」と、パンフレットにはある。
が、問題は "居住性" 。
部屋のドアを開けると、所謂 "たたき" があり、靴を脱いで小廊下に上がるのだが、"上がり框" のすぐ左に、ほぼ小廊下の幅に、奥行き浅い作り付けクローゼットが取り付けてある。設計の段階でクローゼットの位置がまるで計算されておらず、急遽後から無理矢理設置したような設えだった。
バルコニーに置いたバックから乾いた衣服を取り出し、着替えをし、濡れた衣類をバルコニーの "レジャーベッド" に掛けて干したまではいいが、その他の衣類をクローゼットに収めるのに部屋を出たり入ったり。就寝時も浴衣・パジャマに着替えた後、脱いだものを持って、トイレ、洗面所の前を通って、行ったり来たり。
部屋に長押があるわけでもなく、脱いだものをそのままにしておけない "性分" の私は、その都度あっちに行きこっちに行きする羽目になった。そこに奥行き浅く狭い収納スペースへとあって、心が萎えた。
よき建築デザインとは "人間工学的配慮" や "居住性" あってのものではないかと思うことしきり。
食事会場は確かに新しく、特にテーブル席とビュッフェエリアとを仕切る組子細工のパネル (可動式?!) に心引かれた。七宝つなぎや子持ち菱、八重麻の葉などの伝統的デザインの組み合わせ。最近ではとんと目にしなくなった細工の、精巧な技術と緻密な意匠に心和む。懐かしさのかえるほんのわずかな時に遊んだ。
食事に関してのこの施設のコンセプトは、私たちには合わなかったが、それについて云々することはない。利用者多数の嗜好なのだろうから。また、テーブルに給仕するスタッフに "訓練" を要しそうな気もするが、ここでそれを言うのも状況にそぐわない気がする。
私たちは、人々のざわざわと動き、声高に話す中、とにかく早々に食事を終え、部屋に下がった。
翌朝も雨。里山に雲がかかり、霧が降りて湿気ていた。近場のハイキングは取り止める。
部屋にあって本を読んでいたが、少しの止み間に、施設内の稲荷神社まで行ってみた。だが、再び雨が降り始めたので、周辺の歩道に足を伸ばすことなく戻る。
ロビーの一角に設けられた売店で地のお味噌を買って帰ろうと、品物を手にレジ前に立って係の人が来るのを待っていると、ロビーにいた人々の内のひとりが私の様子を見ていたらしく、気づかずにいたフロントのスタッフに「お客さん、お客さんだよ」と知らせている。それはちょうど "身内" の者をサポートでもしているように見えた。スタッフもその人に何かひと言声をかけて、こちらへと急いでやってきた。
"そうか、ひょっとすると、ここにいる大方の人たちは "地元" の人たちで、あじさい館当時からの利用者たちかもしれない"、そう考えると、私たちが "浮き上がって" いるように思えたことと辻褄が合う。
翌朝も、谷あいの山里の狭く小さな空は重く曇っていた。
雨に濡れ、大型車両に煽られながら歩いた吾野駅・宿舎間は、到着時に予約しておいた送迎バスで、短時間のうちに吾野駅へと運ばれ "楽チン" だった。ふたり顔を見合わせて「嘘みたい!」と呟く。
復路は新幹線始発駅の東京駅に出た。通勤時間帯ではなかったので、そこそこに精神的余裕のあったのは幸いだった。ただ旅行気分からは遠く、早く帰宅して落ち着きたい気持ちに駆られていた。
帰宅翌日、 "くたびれ" が出たのか、私はめずらしく 37.1℃の微熱を出し、ダウン。時間差はあったが、連れ合いもダウン。「歳を重ねるとはこういうことなのだな」と、ふたりで妙に納得したことだった。
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ここに「 "奥武蔵" 訪問によって私たちの休暇村全村巡りもついに完遂」と、結ぶはずであった。ところが、このころさらに、安曇野に38番目の休暇村が生まれつつあった。
その施設、元は愛知県豊田市が運営する温泉宿泊施設「豊田市民山の家 リゾート安曇野」であったが、豊田市の売却決定に伴う一般競争入札公募に、休暇村協会が応募、落札したものである。[4]
施設名称:リトリート安曇野ホテル
* re・treat (n.) : 隠棲、避難所、隠れ家 の意か。" a summer retreat "
は "避暑地"
※「倶楽部Q」に、"リトリート" とは「仕事や家庭など日常生活を離
れ、自分だけの時間や人間関係に浸り、心身をリセットして新たな
活力を得ること」を意味すると説明されている。
OPEN:2020年4月22日
場所:〒399-8301 長野県安曇野市穂高有明7682-4
JR大糸線穂高駅下車、送迎バスまたはタクシーで約10分。
電話番号:0263 - 31 - 0874
Mail address:http://www.qkamura.or.jp/azumino/
施設の規模:鉄筋コンクリート造り3階建て、延べ4654平米。
収容人数:100名
客室数:30室(全和洋室 / シャワー付き・禁煙)
・スタンダードルーム(27平米 / 34平米):4室
・スタンダードフロアワイドルーム(42平米 / 44平米):14室
・スタンダードフロアワイドルーム [バス付き](44平米): 4室
・プレミアムフロアルーム(38平米):4室
・プレミアムフロアルーム [バス付き](36平米): 2室
・プレミアムフロアルーム [展望風呂・テラス付き] (63平米 /
73平米):2室
基本宿泊料金:
・スタンダードルーム: ¥14,000〜
・スタンダードフロアワイドルーム: ¥15,000〜
・プレミアムフロアルーム: ¥17,000〜
・プレミアムフロアルーム [展望風呂・テラス付き] : ¥19,000〜
付帯施設:安曇野ダイニング 2F / 暖炉ラウンジ 2F
星見暖炉 / 陽だまりデッキ 他
駐車場: 30台
以上が、休暇村新規参入施設 "リトリート安曇野ホテル" の概要である。
"リトリート安曇野ホテル" の最寄り駅 "穂高" はJR大糸線にある。私たちにとってJR大糸線は山行の行き帰りに利用し、慣れ親しんだ路線。
だが、ひところ婦人雑誌に作り上げられ、 "これでもかと言わんばかりに" 繰り返し喧伝された「安曇野」に関心はなかった。今もわざわざ、かの「安曇野」を訪ねようと思わない。
もし "休暇村 リトリート安曇野ホテル" を訪れるとすれば、唯一、1982年春「修那羅」行に際し、時間がなくて行きそびれてしまった「霊諍山」に行くべく、連れ合いが腰を上げた時以外にない。その「霊諍山」も今では人の多く知るところとなり、すっかり整備されてしまっているようで、連れ合いは興味をなくしているらしい。
よって、「いづれの年よりか片雲の風に誘はれて」始めた私たちの休暇村全村巡りの旅は、完全には成らなくても、"休暇村 奥武蔵" 訪問を最後に終了ということになりそうな "雲行き" である。
───────────────────────────────────
[注]
[1] 「文化新聞 BUNKA ONLINE NEWS 」より、
*投稿日:平成29(2017)年12月18日
───新館増築、既存館リニューアル 休暇村奥武蔵───
「飯能市吾野の「休暇村奥武蔵」(合田忠功支配人)が、新館を増築し、既存館をリニューアルする。いずれも一部に地元産の西川材を使用する予定という。増築・リニューアルに伴い、平成30[2018]年1月10日から工事休館に入る。休館期間は4月下旬まで、増築棟は7月頃オープン予定。また、職員寮も建設するとしている。
新館は、「里山の宿 自然にときめくリゾート」をコンセプトに、里山の風景を望む全室バルコニー付きの客室を擁した客室棟を増築する予定。西川材を使用した新館は、1階はハンモックなどを設置して外で過ごす時間に重点を置いた部屋を。2〜4階は、階ごとにテーマの異なるデザインの部屋を用意することを検討している。8月に地鎮祭を執り行い、現在は基礎工事が進んでいる。
既存の建物については、1月10日から全館完全休館に入り、リニューアルオープンに向け、主にレストラン、厨房、大浴場の3点の改装を行う。大浴場については、露天風呂に西川材を使用した「ヒノキ風呂」を設置するという。
増築・リニューアルについて、地元関係者たちから「ぜひ西川材の利用を」との声があり、今年6月には、飯能市議会の加藤由貴夫議員、平沼弘議員、林業関係者として小峰材木店の小峰康夫氏、森田建設緑化の森田美明氏、飯能市役所産業環境部の久保寿夫部長の5人が台東区にある一般社団法人休暇村協会を訪問。同協会の中島都志明理事長、休暇村奥武蔵の合田支配人ら4人が対応した。
懇談では、中島理事長が「当初から宿泊施設としては小規模だと考えていたが、これまでの実績などから増築することを決定し、運営体制を整えるため職員寮も建設することにした」と増築・リニューアルの経緯を説明。
また、西川材の利用については、「吾野の地に開設した時から、西川材のことは聞いていたが、今回の増築などでは、地元とのつながりを大切にしたいということもあり、ぜひ地元産の木材である西川材を使いたいと考えている。また、休暇村奥武蔵の中に、西川材に関して紹介出来るようなエリアを設けることも考えている。ぜひ飯能市にも協力頂きたい」と述べた。
これを受けて森田氏は、「飯能市では木材需要の喚起、木材の販路拡大に向けて一生懸命取り組んでいるが、実際にはなかなか難しい部分もある。これまで、休暇村奥武蔵には雇用などの面でも地域振興に大変貢献を頂いている。今回、このような形で西川材を活用していきたいとのお話を伺って、私たち木材関係者としても大変ありがたいという思いで一杯。ご意向に沿えるよう、私たちも一生懸命ご協力させて頂きたい」と話した。
休暇村奥武蔵は、平成25年7月、旧あじさい館跡地を利用してオープン。37ある休暇村の施設のほとんどが国営公園や国定公園などに立地しているが、同施設は里山の空間を生かし、都心に近い場所でありながら、豊かな自然に囲まれた施設として評判を呼んでいる。今年度、宿泊者が8万人を突破した」
*投稿日:2018年7月11日
───休暇村奥武蔵「にしかわ館」
家具や壁材、西川材の存在感前面に───
"休暇村奥武蔵に完成した新館「にしかわ館」"
飯能市吾野のリゾート施設「休暇村奥武蔵」(合田忠功支配人) が建設を進めていた新館「にしかわ館」が完成し、10日オープンした。同館は地上4階建てで延床面積1561平方メートル。里山の風景を望むバルコニー付きの客室23室を設け、建物の名前の通り、壁材や家具に地元産の西川材をふんだんに活用した。中でもテーブルや椅子などの家具は、軟質のスギ材を家具に適した強度に高める「圧密加工」と成形合板技術を用いた国内唯一の製法で仕上げられ、西川材の新たな需要の提案にも一役買っている。新館の完成に伴い既存施設は「あがの館」と名付けられ、こちらは大浴場、レストランをリニューアル。やはり木のぬくもりを重視し、大浴場の露天風呂にヒノキ風呂を新設するなど西川材を多用、レストランでは厳選した地元食材を使ったビュッフェや会席料理を堪能できる。
にしかわ館の完成により、客室数は従来の27室から50室へとほぼ倍増。新館の客室には全てバルコニーと大きな窓が付き、各室から自然に恵まれた吾野の風景を一望できる。1階「和モダン・遊」、2階「和モダン・雅」、3階「TENDO STYLE (テンドウスタイル) 森」、4階「スタイリッシュ・宙(そら)」と階ごとにテーマを設け、それぞれに特徴を持たせた。
このうち、3階「TENDO STYLE 森」は、家具や壁材に地元の西川材を用い、その魅力を肌で感じられる空間としてデザイン。本来、軟質のスギ材は家具には不向きとされていたが、スギ材を圧縮し何層にも重ねて強度を高め、自在に成形することのできる圧密加工と成形合板技術を有する山形県天童市の天童木工が西川材を使ってテーブルや椅子などの家具を製造。国内唯一の製法として、西川材の新たな活用を提案するコンセプトルームとして存在感を示している。
1階の「和モダン・遊」は、和の風合いを感じさせる室内のベッドルームと、室内とほぼ同じ広さを持つ屋外のアウトドアリビングが一体化。部屋ごとにハンモックや木陰のベンチなど異なるしつらえが施され、光、風、木陰、せせらぎなど四季折々の魅力を感じながらくつろげる空間を演出。
新館オープンに先立って行われた既存施設「あがの館」のリニューアルでは、大浴場の露天風呂に樹齢200年のヒノキを使った一人用露天風呂を新設し庭園部分を拡大したほか、館内の至る所に西川材を多用し、木のぬくもりを前面に際立たせた。テーブルや椅子に西川材を使用したレストランでは、施設の隣を流れる高麗川のアユや契約畑のジャガイモなど、地元食材を使った和食ビュッフェや会席料理を味わえる。
一般財団法人休暇村協会が運営する休暇村奥武蔵は、平成25年7月、全国37番目の休暇村として旧奥武蔵あじさい館を活用し開業。都心から約50キロに位置しながら豊かな自然に恵まれた里山リゾートとして人気を集め、年間2万人が利用している。
新館オープンに先立って開かれた記者発表会には、合田支配人、西川地区木材業組合の本橋勝組合長、西川材家具を製造した天童木工の西塚直臣常務が出席。新刊の概要をはじめ、西川材活用の経過などが説明された。
合田支配人は「おかげさまで休暇村奥武蔵は平成25年7月の開業以来85%以上の高い稼働率を実現している。新館建設やリニューアルにあたり、その土地ならではの魅力をお客様に提供するため、家具にも良質な地元の西川材を使用したいとの思いが強くあった」と語り、「国内唯一の加工技術を持つ天童木工で家具作りの工程を見学し、全国各地の木材が家具となり里帰りする姿を目の当たりにした。良質な木材と成形合板技術のコラボレーション、木目の美しさや肌触りを感じて頂けたら」。
地元の木材関係者を代表して、西川地区木材業組合の本橋勝組合長は「江戸から見て西の方角から筏で運ばれてくる優良材として西川材と呼ばれるようになった」との西川材の由来を説明。「ヒノキ風呂には西川材の中でも最もきめの細かい油気の強い材を使って頂き、最高の肌触りが感じられるのでは。そしてスギで作られた家具は、白太(しらた)と赤身の色合いがとても素晴らしく、木の特性を最大限活かし、コンセプトに沿って西川材の変化を楽しむことができる。新館の名称をにしかわ館と名付けて頂き、地元としても大変ありがたく思っている」。
また、家具製造を手がけた天童木工の西塚常務常務は「平成24年頃から、有り余るほどの国産針葉樹、スギ、ヒノキ、カラマツ等を使って家具作りができないかと研究を続けてきた。特にスギは強度が弱く家具作りには不向きだったが、これを圧縮することで、ブナやナラに匹敵する強度に加工することができた」と振り返り、「今回、家具に使用した西川材は80年〜100年のスギ。丸太を製材した時に吉野杉に勝るとも劣らない素晴らしい材と感じた。地域で育った材を使い、地域にお返しすることに価値がある。このように宿泊施設へ家具を提供することができ、我々も喜ばしい」と語った。
(略)
吾野駅下車、送迎バス5分」
[2]『ニュースで追う「明治日本発掘」』編者 鈴木孝一
河出書房新社刊 1994年10月
"秩父困民党一万人が蜂起" 33p.
「◎農民九千人、起ちあがる 茨城の暴動も事なく鎮静に帰し、暴徒どもはおおかたは縛に就きたりとの賀すべき報を聞く今日に当たりて、我々はまたまた不祥にも埼玉の警報に接したり。(中略)
[十一月二日零時埼玉発電報] 本県下秩父郡の暴徒、既に九千人に及ぶ。銃器、刀剣等を携え、同郡小鹿野町に火を放ち、大宮郷に向け押し出す模様なり。その勢い猖獗、ために巡査七名死傷あり。よって警部、巡査にて速やかに鎮制しがたき勢いあり。もし遷延久しきに亘らば、他の地方に波及すべきの恐れあるのみならず、輦下に接近の地なるにより、万一影響を都下に波及する事ありては容易ならざる儀につき、速やかに鎮定したし。至急憲兵の出張ありて取り鎮められん事は県下良民一般の企望なり」
(以下、略)
[編者の解説・説明] pp.39〜40
「明治十七年二月、自由党の大井憲太郎が遊説に訪れたのを契機に、貧窮した秩父農民の多くが、"世直し" を求めて自由党に入党、十月には田代栄助・井上伝蔵らは蜂起延期・自重を主張したが、ついに農民の怒りに押されて、十月三十一日、蜂起を決定した。田代の尋問調書によれば、それより前に「一、高利貸のため身代を傾け、目下生計に困しむもの多し。よって債主に迫り十カ年据え置き、四十カ年賦と延期を乞う事。一、学校費を省くため三カ年間休校を県庁に迫る事。一、雑収税の減少を内務省に請願する事。一、村費の減少を村吏へ迫る事」を議決していたという。十一月一日、三千人が決起・襲撃、二日には一万に達したが、三日、内務卿山県有朋が軍隊を出動、四日には総崩れとなった。田代調書によれば、「総理田代栄助、副総理加藤織平、会計長井上伝蔵・宮川津盛・柴岡熊吉、参謀長菊地貫平(長野から参加)」の陣容で、軍律は「一、私に金品を掠奪する者は斬、二、女色を犯す者は斬、三、酒宴をなしたる者は斬、[※注 "四、" 二字脱字]私の遺恨をもって放火その他乱暴をなしたる者は斬、五、指揮官の命令に違背し私に事をなしたる者は斬」とある。
十八年二月十九日、浦和重罪裁判所は田代・加藤ら五人に死刑、逃走中の菊地・井上にも欠席裁判で死刑の判決を下した。しかし井上は北海道に逃亡(国会開設の特赦も知らぬまま)、偽名を使って生活、大正七年、臨終の際、自分が井上伝蔵であることを告白して死んだ。このことは大正七年七月八日の「東京朝日」に記事が見える」
2020年のCOVIT-19(新型コロナウイルス感染症)蔓延に伴う経済対策に接し、当時の困窮する農民の蜂起を時代の制約とのみ見てよいものか、民主主義の未成熟と両断してよいものか、私は立ち止まる。
[3] 「アリサンについて:
1988年、アリサンはジャックとフェイが、当時手に入りにくかったオーガニックやベジタリ
アンの食材を輸入し、家族や友人たちと分かち合ったことから始まりました。川のほとりに建てた赤い納屋には世界各地の信頼を寄せる生産者の食材が集まり、みなさんとを繋ぐ架け橋役であり続けています」 有機乾燥種実(有機くるみ 生) パッケージより。
我が家では、輸入オーガニック食材は "ALISHAN" のものを購入することが多く、パッケージに記された加工者表示から "ALISHAN" が高麗本郷にあるのは知っていたが、巾着田への途次にあるとは知らなかった。Cafe に入ったのはほとんど偶然。
[4] 「豊田市民山の家 "リゾート安曇野" 」売却については、
「朝日新聞(DIGITAL) 2018.9.8」や「建通新聞 2018/9/11 大阪」等が報道しているが、経緯のわかりやすい2紙(「矢作新報」・「CHUNICHI」)を取り上げて紹介しておく。
(1) 矢作新報(毎週金曜日発行の週間地方新聞)
──豊田市議会一般質問 2017.3──
「豊田市民山の家 リゾート安曇野 閉鎖へ
都築繁雄議員(69)=自民クラブ4期・桝塚東町=は、新年度に発足スタートする「一般社団法人ツーリズムとよた」=旧・豊田市観光協会=を中心とした、市の新たな観光戦略について質問。そのなかで、長野県安曇野市にある豊田市民山の家「リゾート安曇野」の今後について聞いた。
従来の「豊田市観光協会」は、税金を使って市民に観光情報を提供する組織。コミュニティーづくりの色も濃い市の内部組織だった。
これに対して新年度に市から独立してスタートするツーリズムとよたは、市内に豊富にある観光資源をあらためて見直し、魅力を高めることで、市内・市外へ新たな形の観光サービスを提供する組織になる。地域が稼げる "観光の産業化" を進めていく方針だ。4年後の東京オリンピック開催時までに県内一の観光地を目指す。
このように豊田市は観光の転換期を迎えており、リゾート安曇野のような旧来の観光形態は市の大方針から外れてしまった。
リゾート安曇野は平成2年、週休2日制が本格化して余暇の充実が求められる社会動向のなかで設置された豊田市民専用の温泉宿泊施設だ。まだ人気はあるものの、利用者は平成5年の2万人をピークに減少している。利用者の8割がリピーターである一方、新たな利用者を確保できない傾向もあった。
都築議員は「今まさに豊田市はツーリズムとよたの設立を機に、新しい観光振興に梶を切っていく時期にある。このような中、リゾート安曇野について今後どのような方向性を考えているのか」と市の姿勢を聞いた。
原田裕保産業部長は、ツーリズムとよたの設立を契機とした観光施策の方針をあらためて述べたうえで、「豊田市の新たな観光施策を進める中で、リゾート安曇野については一定の役割を終えたと判断し、廃止する方向で今後検討していく」と答弁した。
(2) CHUNICHI 2018.11.9 THE WORLD NEWS JAPAN
「リゾート安曇野、来秋民営化 豊田市、休暇村協会に売却(11月9日)
民営化が決まった「リゾート安曇野」=豊田市提供
豊田市が長野県安曇野市で運営する温泉宿泊施設「豊田市民山の家 リゾート安曇野」の売却が8日、決まった。市は2019年3月に営業を終える施設の一般競争入札を実施。全国で「休暇村」を運営する休暇村協会(東京)が落札した。協会はリフォーム後、9月上旬をめどに民営化で再オープンする意向だ。
リゾート安曇野は総事業費18億円余りを投じ、1990年11月に開業。穂高温泉郷にあり、客室22室や露天風呂を備える。市内在住・在勤者であれば、大人一泊二食付きでも9,000円かからず利用できる。
年間利用者は93年度の約2万560人をピークに減少し、ここ数年は1万5千人前後で推移。部屋の稼働率は70%台を維持し好調に見えるが、1グループ当たりの人数が少なくなり、定員に対する利用率は14年以降、50%を下回っている。
市が「レジャーの多様化もあり、役割を果たした」として、昨年3月の定例市議会で廃止の意向を示した。11月には存続を求める市民 2,178人の署名も提出されたが、市は今年3月の定例市議会に廃止条例案を提案し、可決された。
市は敷地1万2615平方メートルと鉄筋コンクリート造3階建ての施設を最低価格 4650万円で売りに出した。3社から入札があり、1億5300万円を提示した休暇村協会が落札した。最低価格の3倍での落札に、市ものづくり産業振興課の脇迫博文課長は「競争原理が働き、良かった」と安堵(あんど)する。
休暇村の担当者は「公有財産で丁寧に使われており、手入れをすればまだまだ十分に活用できる」と評価。「来年9月上旬をめどに修繕し、再開したい」と表明。施設については詳細は今後詰めるが、「豊田市民に愛された建物と聞いているので、大切に使いたい」と大掛かりな手入れはしない方針。利用料金は「他の休暇村の平均価格を大きく逸脱することはないと思う」と話した。
<休暇村協会> 1961年発足の一般社団法人。1泊2食付きで平均1万円〜1万3000円程度の価格帯で楽しめる保養所「休暇村」シリーズを、愛知県の伊良湖や茶臼山高原など全国37カ所で運営する。2013年には埼玉県が同県飯能市で運営していた保養所を落札してリニューアル。人気を集め、今年7月には新棟を増築した実績がある」
[筆者注: 文中の漢数字をアラビア数字に変更した]
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