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back.gif刺客列伝「摂政」


名作選


スウィフト
提案






[出典]
スウィフト/山本和平訳『書物合戦・ドレイピア書簡ほか3編』(現代思潮社・古典文庫20、1968.6.所収)




アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案

 このダプリンの町を歩いたり田舎を旅したりしていて、女の乞食が、襤褸をきた子供を、三人、四人、六人と連れて、街路やあばら屋の前に群らがり、通行人とみれば施しをせがんでいるのを見るのは、憂欝な光景である。これらの母親たちは真面目に働いて生活することができずに、哀れな餓鬼どもの口に糊するために日がな一日乞食をしてまわらねばならないのである。またその子供らが成長しても、仕事がなくて泥棒になるか、愛する祖国をすてて、スペインにいて王位をねらう者の兵隊になるか、パーベイドウズ島に身売りするかしかないのである。

 母親たちの〈父親のこともしばしばあるが)腕に抱かれ、背に負われ、あるいはその後に随いて歩く子供たちは実におびただしい数にのぼるが、彼らが現在のわが国の嘆かわしき状況の中におかれて、その悩みをいっそう深刻にしていることはあらゆる方面の人のひとしく認めるところだと思う。したがって、これらの子供を国家有為の材たらしめるための、公正、廉価、かつ容易なる方策を発見した者は、救国の土として、国家社会から手厚く遇され、その像を建ててもらう価値があるであろう。

 しかし、私の意図するところは、たんに、公然と乞食を名乗る連中の子供の扶養のみに限られない。その範囲ははるかに広く、街路で喜捨をせびる連中同様、事実上ほとんど扶養能力のない親をもっ、一定年令の子供全部に及ぶのである。

 私事をいわせてもらえば、多年この間題を考え、他の企画者たちの計画を充分に考量して、彼らの計算のひどい誤りにたえず気がついてきた。生まれたばかりの子供なら一年間は、母乳のほかはほとんど栄養をとらなくもすむ。せいぜい二シリングかければ充分に養うことができる。二シリング、またはそれ相当の残飯なら乞食という歴とした職業でたしかにまかなえるであろう。子供が両親や教区の負担にならず、しかも彼らが生涯衣食に不足することもなく、逆に多数の人の食料や、いくぶんかは衣料に寄与しうるような方策を彼らに授けてやろうという私の提案は、彼らが丁度一歳の時なのである。

 さらに私の策にはもうひとつ大きな利点がある。それは、最も野蕃で非人間的なひとの胸にも涙をさそい、憐憫の情をかきたてるあの堕胎とか、われわれの聞によくみられるような、女が私生児を殺害するとか、おそらく恥をかくすというよりむしろ出費を避けるためにであろう無邪気な赤児を犠牲にするとかのおそるべき風習の防止ともなるものである。

 アイルランドの人口はふつう百五十万と数えられているが、そのうち、私の計算では、妻が出産能力のある世帯は約二十万、それから子供を養育する能力のある三万世帯をさし引く。今日のわが国の困窮ぶりではこんなに多くはないかもしれないが、まあそれはそれとして、あとに十七万の出産能力者が残る。さらにそこから、流産したり、生後一年以内に事故や病気で死ぬ子供があるから、五万を引く。残るのはわずか十二万人で、これだけが毎年貧しい親から生れるわけである。そこで問題は、この数の子供をいかに養育するか、いかにあてがうかである。前述のように、現状では、いままで提案された方策ではこれは不可能である。なぜならわれわれは彼らを手職にも農業にもやとうことができないし、家をたてることも、(地方でのことだが)土地を耕すこともできないのであるから。泥俸に好都合な地方にいるものは別として、六歳になるまでは、盗みで食っていけるのは滅多にない。もっとも基本は六歳になるまでに学んでいることは認めるが、しかしその期聞は、見習いとみるのが本当だろう。キャヴァン州のある偉いお方に開いたのだが、この技術の熟達がいちばん早いので有名な地方でも、六歳以下の例はひとつか二つしか知らないと断言している。

 十二歳以下の少年少女は売れる商品ではないし、十二歳になっても、相場ではせいぜい三ポンドないし三ポンド・二シリング・六ペシスほどにしかならないと商人たちは断言している。これでは親にも国にも儲けにならない。食わせる、着せるで、少くともその四倍はかかっているからである。

 そこで私の意見を言わせていただきたい。これには異議を申しこまれるおそれはまあないと思う。

 私がロンドンで知りあいになった大層物知りのアメリカ人がはっきり言ったことだが、ちゃんと育てられた健康な子供は、一歳の時が、極めて美味で滋養にとみ、健康によい食物で、シチューによく、焙ってよく、焼いてよく、煮てよいそうである。さらにまた、フリカッセにしてもラグーにしてもいいだろうと私は確信する。

 そこでどうか次の提案を御考察いただきたい。上に算出せる十二万のうち二万を繁殖用に残す。男はその四分の一でよい。これでも、羊、黒牛、豚のばあいより率がいい。というわけは、これらの子供は、結婚の所産であることは滅多にないからであるが、わが未聞人にとっては結婚なんぞは少しも重要視すべき事柄ではないから、男一人で女四人を充分相手にすることができよう。残った分は一歳になった時に、全国の貴族や富豪に売りつけることができよう。母親には忠告して、最後の一月にはたっぷり乳を飲ませて、子供が立派な献立にむくように丸々肥らせる。友人の勧待には、子供一人で二品できる。家族だけの食事であれば、頭や民の四分の一だけでかなりの料理になる。少量の胡椒か塩で味つけし、四日目に茄でるとおおいによろしい。冬は殊更である。

 私の計算では、生まれたばかりの赤子の目方は平均十二ポンドであった。かなり良く育てればまる一年で二十八ポンドまで増える。

 この食物はいささか高価である、だから*地主向き*の食物であることは認める。彼らはすでに多勢の親を貧り食った実績があるからして、その子供を食う資格もいちばんあるようである。

 子供の肉は、一年中が*しゅん*であるが、三月とその前後が比較的多い。そのわけはある著名なフランス人の医者で真面目な作家である男の話によると、魚は繁殖を促進する食物であるから、ローマ・カトリックの諸国では四旬節の九カ月後の頃が他の季節より出産が多い。したがって四旬節の一年後ぐらいに市場は供給過多になるであろう。なぜならわが国のカトリック教徒の子供の数は、少くとも三対一の割合で多いからだ。そうなるとわが国のカトリック教徒の数が減ることになって一石二鳥であろう。

 私はすでに、乞食の子供(この中に、小作人、労働者、及び自作農の五分の四をいれて考える)ひとりの養育費は衣服もいれて年額約ニシリングだと計算した。よく肥えた子供の屍体に十シリング出ししぶる紳士はよもやあるまいと私は信ずる。前述の如く、ある特別な友人が来ている時とか、家族のものと食事する時など、子供一体で、すばらしく栄養に富んだ肉料理が四品もできるからだ。かくしてその紳士は、心やさしき地主となり、小作人の評判がよくなるし、母親には八シリングの純益がはいるし、次に子供が生まれるまでは心おきなく仕事に励むことができるだろう。

 節倹の土は(時勢のしからしむるところ致し方ないが)屍体の皮を剥ぐとよい。この皮を加工仕上げすると、見事な淑女用手袋や紳士用の夏靴となるであろう。

 わがダプリンの町はといえば、これを目的とする屠殺場を、最も便利な場所に指定する。屠殺人には不足しないと確信する。もっとも、子供は生きてるのを買い、焼豚料理のときのように、殺したてを料理する方を私は推薦するが。

 真の愛国者で、私がその美徳を高く評価しているある立派な方が、最近、この問題で話をした際、私の案を改良した一例をお示し下さった。最近わが国では鹿を殺す紳士が多いために鹿肉が不足しているが、それは十四歳未満、十二歳以上の少年少女の肉で補つてはどうか、働き口がなくて現在餓死寸前の男女が多いのだから。親が生きていれば親が、いなければ一番近い縁者が、これを処分してはどうかと思うと。卓越せる友人、功績ある愛国者を蔑ろにするつもりはさらにないが、私は彼の意見には必ずしも賛成できない。なぜなら、友達のアメリカ人がしばしば経験したそうだが、少年の肉というのは男子小学生の肉のように、いつも運動をしているために大抵固く痩せていて、とても食えた味ではないという。とすれば、肥らせてみてもひきあわないだろう。しからば少女はといえば、国家社会の損失になるのではないかと思う。なぜなら彼女らはまもなく子を産むようになるであろう。さらに、良心的な人たちから、このようなことは残酷にちかいという非難をうける(全く不当な非難だが〉ことが充分考えられる。だが、私がいままでいかに善意に発する案といえども強く反対してきた理由も、それが残酷だということであった。

 しかしながらわが友のために弁解しておくと、この方法を思いついたのは実は台湾の原住民、かの有名なサルマナゾールのせいだそうである。彼は、二十年以上前台湾からロンドンにやってきて、わが友人との会話の中で話したところだと、彼の地では、青年が処刑されるようなことがあると、死刑執行人は、遺体を最高の御馳走として高貴の方々に売るという。また彼が台湾にいた時分、皇帝の毒殺を企ったかどで処刑された十五歳の肥えた少女の遺体は、絞首台からおろしてこれを大切りにし、総理大臣及び宮廷の高官連に四百クラウンで売られたという。財産は一文もないくせに椅子駕寵がなければおもてへも出られず、また自分では買う金が一文もないくせに舶来のおしゃれで身を装い、芝居小屋やら社交の場に現れるような、わがダプリンの肥った少女をそんな風に活用してみても、わが国の損失を招くことはないであろう。

 悲観的精神の人たちは、あの実に多数の、老齢、病気、不具の貧民たちのことを心配して、この悲しむべき厄介物をわが国から除去するにはどんな方法をとるとよいか考えてくれと頼まれたことがある。だが私はこの間題についてはなんら心配しない。なぜなら彼らは、寒さ、飢饉、不潔、毒虫などによって毎日、当然予想される速さで痩せ衰え、死んで行くからである。また若年労働者は、現在最も有望な状態にある、働くに職なく、したがってたまたま普通の労役にやとわれでも働く力がないほど栄養不良でやつれている。このように国も国民も、来るべき害悪からまもなく救われるに有望な状態にあるのだ。

 脱線しすぎた、本題にかえろう。私の提案は利点が多くかっ明瞭であり、また重要性を有すると思う。

 なぜなら第一に、上述のごとく、毎年毎年はびこって行くカトリック教徒の数を大幅に減らすことになる。彼らは最も危険な敵であるばかりかわが国第一の多産種である。多くの新教徒は、国にとどまって、偶像を崇拝する国教会の牧師に良心に反して十分の一税を払うよりか国を捨てることを撰んだが、こうした新教徒の不在につけこんで、彼らは、王位をねらう者にわが国を売り渡そうという目的で国にとどまっているのである。

 第二に、貧しい小作人も、法的に差押えの対象となり、地主に地代を払うたしになるような、価値ある財産をもつことになる。穀類も牛もすでに差押えられ、金など知らない彼らである。

 第三に、十万人の子供を二歳になってもまだ育て続けるとすると、一人年額十シリングを下らないから、私案を用いれば年五万ポンド国家の財産が増加することになる。おまけに、味にうるさいわが国の金持の食卓に新しい料理がもちこまれるという得もある。またわれわれの聞にも金が流通するだろう。この商品は完全に、自国産の自国製品なのだから。

 第四に、しょっちゅう子供を生むものは、子供を売って年に正貨で八シリング儲けるほかに、一歳以後養育する費用をださずにすむだろう。

 第五に、この料理にひかれて酒場の顧客がぐんと増えるだろう。酒屋は実に抜け目がないから、最上の料理法を獲得して、うまい料理の知識を自慢する紳士方でいつも店は満員という寸法。客を満足させる方法を知っている名料理人は、お客のすきなだけ高い値をつけようとするだろう。

 第六に、これは大いに結婚の奨励になる。賢明な国はどこでも、褒美をだして奨励したり、法や処罰で強制しているのである。あわれな赤ん坊に至るまで、あるていどまで国家社会が一生の身のふり方を決めてくれ、出費ではなく毎年儲けをうんでくれるのが確かなら、母親は子供の面倒をよくみ、可愛がるようになるだろう。だれがいちばん肥えた子を市場に出せるか、既婚婦人の間の公正な競争がまもなくみられるだろう。夫は妻の妊娠中は、孕んでいる牝馬、牝牛、分娩ま近の牝豚を現在大切にするように、妻を大切にするようになるだろうし、また、流産がこわいから撲ったり蹴ったり(日常茶飯事としてやっているが)しようとしなくなるだろう。

 その他もろもろの利点をあげることかできよう。たとえば、樽詰の肉の輸出が千体ほど増加する。豚肉が普及する。良質ベーコンの製造技術が進歩する。近時これを食卓に供することが多いため、豚の屠殺が多く、大いに不足しているし、味や立派さの点では、発育のいい肥えた一歳児に及ぶべくもない。こちらは丸焼きにすれば、市長閣下の宴とかその他公けの宴会でもかなり異彩を放つであろう。しかしその他は簡潔を旨とし一切省略する。

 このダプリンの一千世帯が幼児の肉を常時食べ、また更に、結婚式、洗礼式などの祝いの席でもこれを食べるとすると、私の計算では、ダプリンでは年に約二万体をたいらげることになろう。またダプリン以外で(たぶんいくらか値は下がるだろうが)残りの八万体をたいらげるはずである。

 この提案にたいしては、ただのひとつも反論がなされようとは思えない。このためにわが国の人ロの激減をきたすという主張は別としてである。この点は私も率直に認める。これはわが提案の主要な眼目のひとつであったのである。かつて地上に存在し、あるいは現に存在し、あるいは将来存在するやもしれぬ国家のためではなく、まさにこのアイルランドという一王国のための方策を私は考案している点に御注目願いたい。したがってこれ以外の方策など私に話さないでもらいたい。すなわち、不在地主には一ポンドにつき五シリング課税しろとか、衣服や家具の使用は国産品に限れとか、外国種の贅沢を助長するような材料器具を全面的に排斥せよとか、わが国の婦人たちの驕慢、虚栄、怠惰、賭事などの浪費癖を矯正せよとか、節倹、慎慮、節制の気風を導入せよとか、ラッブランド人やトピナンブウの住民とは違うのだから、祖国を愛することを学べとか、憎悪や派閥根性をなくせ、自分らの町が占領されようとしている瞬間にも互に殺戮しあっていたあのユダヤ人のような振舞いはもうやめろとか、一文の得もないのに祖国と良心を売るようなことのないよう少しは注意しろとか、地主は小作人にたいして少くともなにがしかの慈悲心はもつように教えろとか、また商店主には誠実、勤勉、分別の精神をたたきこめとか。彼らは、国産品だけを購入せよという決意をするとすぐに、ぐるになって値段、分量、品質の点でわれわれをごまかし、むりやり取りたてるであろうし、幾度も熱心に説いてみても決して公正な取引きをしようなどと一回だって提唱する気にはならないだろう。

 繰り返していう、だからもう誰もこのような方策など言わないでくれ。少くとも、真面目に実行にうっそうという意欲があらわれてきそうな希望がわずかながらでも持てるまでは。

 しかし私としては、多年、空しい、役にも立たぬ、夢みたいな意見を提案しつづけたあげく疲労困憊し、成功するあては完全になくなったが、運よく以上の提案を思い付いた次第である。これは、全然新企画であるうえに、堅実かつ現実的、費用は一文もかからず、面倒もあまりない、全く自分でできるというものだ。これがためイングランドに不義理をする恐れも全くない。なぜなら、この種の商品は、その肉の質が軟かすぎて長期の塩蔵をゆるさず輸入に湛ええないからである。もっとも、塩づけにしなくともわが国民をまるごと食いつくしてさしあげようという国の名前を、なんなら挙げてもよいが。

 畢竟するに、私案同様無害、安価、容易にして実効に富むとみられる提案を出してくれる賢人がおられるなら、私はこれを拒否するほど私見を固執するものではない。ただし、私案とことなるもっといい案をお出しになる前に、充分次の二点について御考慮願いたい。第一に、現状からしてはたしてその提案は、役にも立たぬ一万人の連中に着せたり食わせたりする方途たりうるか。第二に、わが国にはおおよそ百万の、人間の姿をした動物がいるが、その生活費を全部、共同資産のなかにいれると、匝貨で二百万ポンドの負債が残るし、さらに乞食を業とするものばかりか、事実上の乞食である農夫、小作、労働者及び彼らの妻子がいるのだから、私の提案を嫌い、敢えて反対意見をお出しになろうという政治屋があったら、私は彼らにお願いしたい、まずこれらの子供の親たちに、以上私が指示したやり方で一歳の時食用に売られちまったら、彼らが現在まで経験してきたような不断の辛酸を免れえただろうし、その方がはるかに幸福だったと今では思っていないかどうか、訊ねてみてもらいたい。地主に虐待され、金も仕事もないため地代は払えず、粗末な食料も、厳寒酷暑を凌ぐ家屋も衣服もなく、そして子供たちも自分と同じ、あるいはそれを上まわる悲惨な運命にみまわれることは目にみえている彼らなのだ。

 この必須不可欠の事業の推進に努力するに際して私の方になんら個人的利害感情はない、ひたすら、わが国の貿易を振興し、子供らに衣食を与え、貧乏人を救済し、金持にはなにがしかの悦楽を与えて、わが国の公共の福祉のために寄与せんというのが動機であるとはっきり申しあげておく。一ペニーの儲けをはかろうにも私にはそんな子供がいない。一番末は九歳だし、愚妻はもち子供をつくれる齢ではない。

2012.06.22. 入力。

カフカ「出発」
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