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松尾大社

 鳥居をくぐると、石畳のむこうに楼門がうずくまっている。楼門は縦材と横材の組み合わせがいかにも力学的で、そのくせ重くるしさがなく、軽やかに安定している。シックイ壁の白さと、露出した茶黒い構造との色合いもよく、京都で完成された日本建築の一つのゆきついたかたちともいえる。

楼門

 楼門をくぐると、回廊と組み合わされた拝殿が展開する。回廊の蔀の構造がぜんたいに軽快感をあたえ、瀟洒でさえある。瀟洒だけでは神聖感の表現に欠けるが、拝殿の要所要所に打たれた黄金のかざり板がみごとにそれを救っている。 松尾大社は、何度か火災に遭った。今の結構の中で最もふるいのは本殿で、室町末期、天文十一年(1542)の建造である。(以上 街道を行くより抜粋)松尾大社のご祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)と中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の二神である。

拝 殿

古事記に、「大山咋神、またの名を山末之大主神。此神は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐す鳴鏑を用ふる神なり」とあるように、大津市坂本の日枝大社の主神と同じ性格の神である。琵琶湖西岸一帯の住民がその守護神として比叡山に山の神を祀ったのが、日枝神社であり、山城丹波の住民がその守護神として松尾山に山の神を祀ったのが松尾神社であって、両社に本末はないと考えられる。

中津島姫命は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同神である。市杵島姫命は、古事記に、天照大神が素盞鳴命と天安河を隔てて誓約された時、狭霧の中に生まれられたと伝えられる神であり、古くから、多紀理姫命、多岐都姫命と共に宗像三神と称され、福岡県宗像郡玄海町の元官幣大社宗像神社の祭神になっておられる。(以上 松尾大社境内整誌士より)

           嵯峨人形

木彫りの人形に、胡粉を盛り上げて模様を描き、極彩色を施して仕上げた人形。角倉了以と交遊のあった当時の名匠達の着想により作成されたもの、或いはまた、角倉の手すさびに生まれたものだとも伝えられている。木彫りの模様に特色のある極彩色の人形で芸術的な匂いがあり、その顔には宗教的な神秘さが秘められている。その美しさを取り入れて加茂人形が作られ、また伊豆倉人形ともなって、、京人形の始祖とされている。写真の人形「翁」は桃山時代の作で、現存している嵯峨人形のうち最も古いものの一つといわれている。

   翁

参考文献

司馬遼太郎 街道をゆく 25

松尾大社境内整備誌

観光嵐山新聞〔昭和37年早春号)

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