No. | 113 |
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Date: | Sat, 25 Sep 1999 14:58:25 +0900 |
Subject | 平和って、日蓮宗って |
ハンドルネーム: | 考え中 |
Name: | (匿名) |
E-mail: | sumiuti@ya2.so-net.ne.jp |
発言: | なんとなく石原莞爾という人物は知っていたが、たまたまこのHPに辿り着いて興味が湧いた次第です。 私は、戦争=反平和ということに疑問を持っていました。 現状の国家としての単位は、基本的に、民族ごと又はイデオロギーごとでまとまっており、その概念が現在あたりまえになっている以上、国家間の対立は必ず生まれ、だいたい利害を計算して、国家は正義の名のもとに戦争を行う。 正義の戦争という価値観も、日本でしか通用しない一国平和主義も、本質から大きく離れた話であることは、戦争を仕掛けられる立場からすれば、戦争は自国の平和を守るための手段であり、戦争を仕掛けてくるような国があれば、それに対抗して戦力を持たなければならないということで全く矛盾していると思う。 石原莞爾の言う最終兵器の誕生は、結局は、パワーバランスによって世界に平和をもたらしたのだろう。 幕末以後、日本は植民地化の危機にさらされ、それまでに起こしてきた戦争は、石原莞爾が出現する前までは日本にとって他国からの侵略に対する防衛戦だったと思う。(石原莞爾のことを責めているわけではないし、植民地経営は当時は当たり前のことであったと思う。) 石原莞爾が、日蓮宗の一神教的な発想(単純に言って)で、行動したものであるならば、宗教的に寛大だった鎌倉幕府が迫害した理由ということにもつながるが、その考えは、それまでの日本人にとって特異な発想であり、 通常の日本人の枠を離れていたという点で超越していたということなのかなということに、第2次世界大戦がおこった経緯について、当時の陸軍の空気を考えるにあたって、これからの自分の考え方の参考になるのではないかと思う。 石原莞爾のような人物の出現は日本にとって有益か不利益かということは誰にも判断できないと思うが、歴史的に大きな役割を果たした人物であることは間違いない。 ただ、その歴史が、これからの日本の為に参考になるようなことであれば、これから研究すべき人物なのだろうと思う。 非常に観念的な発想で、まとまっていない文書ではあるが、そう間違っていないのではないかと思っています。 日本人が、いつまでも自由に、この繁栄を享受できるように。(そんな都合がいいことはないだろうけれど) |