石原莞爾フォーラム
No.132
Date:2000.1.12 7:06 PM
SubjectRE:最終戦争は起こらなかった。
ハンドルネーム:砂原慶之助
Name:(匿名)
E-mail:(匿名)
発言: 砂原慶之助です。私は核武装論者ではないので、この問題について私見を述べることは、中村さんのご要望に反することとは思いますが、「最終戦争は起こらなかった」という命題は大変重要だと考えられますので、私なりの見解を申し上げたくなり敢えてキーを打たせていただきました。
 まず、ヒロシマ、ナガサキ後の戦争について石原莞爾がどう言っているか検索してみましょう。
 「かくて人類文明の進歩が戦争の惨害をいよいよ増大するに反比例して、戦争の効果はますます減じてくる。即ち戦争は最早その意義を失おうとしている。万物は生々発育し、発育の終局に至って死滅する。一般文化と平行して整然たる進歩を遂げて来た戦争術は、今や発育の終局に近づいた。原子爆弾の出現を契機として、人類は我等の唱道してきた最終戦争時代に突入せんとしているのである」(『新日本の建設』昭和20年10月)
 最終戦争時代とは核戦争の危機を孕みつつも、戦争が衰亡、死滅してゆく時代であります。最終戦争時代という言葉にとらわれて、この時代に必ず最終戦争が起こると思ってはいけません。最終戦争時代と最終戦争は別物であります。かといって絶対に最終戦争が起こらないという保障はありません。冷戦が終結したからもう核戦争はないと断言する人もいますが、これは大変に甘い考えです。
 石原莞爾はその最終戦争を避けるために、人類は最大限の努力をせよと言っているのです。
 「…指導者たちは戦争の勃発をあらゆる力で抑えようとするが、一歩を過ぎれば惨憺たる次の戦争を起こす可能性がある。これが私の永年唱えた最終戦争であり、その姿は悲惨を極めるものであろう。私は衷心より、このような悲惨な戦争を経ずに恒久平和の来ることを念願している…。」(『新日本の建設とわが理想』昭和20年12月)
 中村さんは
 「旧ソ連の崩壊で最終戦争は回避され、将軍の考えるようには進まなかった」
と言っておられますが、将軍は平和憲法が出来る前に「戦争放棄」を主張し、日本自らが最終戦争回避の原動力たれと言っているのです。石原莞爾が『最終戦争論』を書いたからといって、石原を最終戦争必然論者と見ることは事実に反すると思います。
 戦争中、石原莞爾は確かに最終戦争必然論者でした。
 「人類歴史の最大関節たる世界最終戦争は数十年後に近迫し来る機たれり。昭和維新とは東亜諸民族の全能力を綜合運用してこの決勝戦に必勝を期することに外ならず」
 (『昭和維新論』昭和14年8月)
 然し、昭和20年8月の敗戦と同時に石原は最終戦争必然論を撤回したのでした。
 「いよいよ世界統一の前夜として戦争史は最終戦争時代に入る。20億の全人類が今ぞ叡智の全能を動員して、その惨害を避け道義によって平和裡に世界一家の実を挙げねばならぬ」(『新日本の建設』昭和20年10月)
 それでは石原莞爾はウソを言ったのではないかという声も聞かれますが、私はそうは思えません。むしろ中村さんの指摘される「代理戦争」の実態を見ると、「戦争の効果がますます減じてついには戦争が死滅する」という石原莞爾の見通しが当たっているように感じられますが如何でしょうか。
 要するに石原莞爾は、戦争中は最終戦争が「来る」と言っていたのに、戦後は「回避せよ」と言い直したのです。世に石原研究者は多いのですが、この大変化に着目する人は極めて少数です。というのも、研究者が戦後の石原莞爾の著作を注意して読んでいないからだと思います。
 中村さんの問題提起に対して私なりの意見を申し上げました。これをキッカケにして、さらに多くの方が討論に参加されることを期待致します。


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