No. | 141 |
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Date: | 2000.1.18 10:32 PM |
Subject | 冷戦時代と最終戦争 |
ハンドルネーム: | |
Name: | 中村光三 |
E-mail: | (匿名) |
発言: | どうも冷戦時代の雰囲気が若い人には伝わっていないのではないか、あるいは若くない人でも記憶が急速に薄れてきているのではないかとの思いを感じています。同じ冷戦時代でも1980年代は完全にソ連の負けが見えていた時代で、ピーター・ハクゾーセン他著「敵対水域」(文芸春秋)がいい例です。1975年以前の冷戦時代の緊張が問題です。 小松左京氏はこの正月の新聞インタビューに答えて、氏が大学生であった1950年ころは「あと50年生きれるとは思わなかった。遠からず全面核戦争が起こるものと信じていた。」と述べています。また1970年頃であったと思いますがそのころ核シェルター(防空壕)が欧米でビジネスになっていました。1960年代は頻繁に核実験があり、しばしば日本の雨に放射性物質が検出されたとの報道がなされていました。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも核攻撃をすべしとの意見が米軍内あったそうです。そこまで進んだときに日本は、世界はどうなるか?共産圏に対しては常に断固とした態度であったアメリカですが、ボタンを押さなかった英知には感謝すべきでしょう(特にベトナムで)。個人的にわたりますが私は転勤で関東に来たとき、「核戦争が起こったとき東京にかならず核攻撃がある。その時どう動こうか」と言うことをまじめに考えました。 今でも核戦争の可能性は依然ありますが、あのころと比べればなくなったも同然の感があります。それが「最終戦争はおこらなかった」で「(今後も)回避されたと考えていいのではないでしょうか」とあたかも0になったように言ってしまった理由です。(一方、冷戦時代55年間の部分については回避されたのは既定の事実です) 石原莞爾も戦前戦後で「最終戦争はかならずおこる→避けよ」と豹変したとのことです。それは、当初の彼の最終戦争のイメージが、全面核戦争という全人類破滅と言うところまで行っておらず、せいぜい「国破れて山河あり」正確には「世界大戦があれば国勝っても国破れて山河あり」だったからでしょう。広島長崎をみてこれは予想以上だと認識しての豹変だと思います。当然の豹変とも言えます。なおソ連が初めて核実験に成功したのは石原莞爾の死の翌9月でした。将軍の予見力はたいしたものです。 冷戦の終結はいつでしょうか?一般的にはソ連邦崩壊・ベルリンの壁崩壊あたりでしょうが、個人的には1975年ベトナム戦争終結のあたりと思っています。確かに北側(東側)は勝ち、ラオス・カンボジアまでドミノが倒れましたがそこまで。第三次世界大戦の恐れは、ベトナムの終結の仕方を見てから薄れたように思います。アフガン戦争の時はもう戦火が拡大するなど露ほども思いませんでした。 ただ最近の、威勢のいい右派諸氏の発言はどうも? 先行きを恐れているこの頃です。 |