石原莞爾フォーラム
No.161
Date:2000.4.8 8:56 PM
Subject瀬島龍三回顧録「幾山河」にみる石原莞爾
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Name:(匿名)
E-mail:(匿名)
発言:帝国国防方針の書類には赤表紙がつき、最高の軍事機密として作戦課作戦室の大金庫に納められていた。
当時は私が機密書類の保管責任者であった。
作戦室の大金庫に保管されていた機密書類の中には、昭和11年6月、国防方針の改定が行われた際、当時の石原莞爾作戦課長が書き残した記録もあった。
私の記憶では、石原課長は「日本は一切の努力を満州国の建設と育成に注ぐべきである。これがため、陸軍はソ連の脅威に、海軍は米国の威力干渉に、それぞれ対処し得る兵力を整備し、他の方面で我が国力を消耗することは、一切回避すべきである。」それが、支那事変勃発(12年7月)により、国の命運は志と異なる方面に進んでいってしまった。今日、石原課長の手記の一節には今さらながら深い感銘を禁じ得ない。と回顧しています。「幾山河 」 を読みまして石原莞爾が支那事変に絶対反対した理由がよく分りました。


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