歴史の記述と著作権が理解できない作家・津原泰水氏



『日本国紀』(百田尚樹著)を執拗に批判したことで、

幻冬舎からの出版取りやめとなり、

朝日新聞や毎日新聞なども巻き込むほどの騒動になっている

作家の津原泰水氏だが、私もTwitter上で彼に絡まれて、

ちょっとした話題になったことがあったので、

その件について改めて解説しておこうと思う。


『日本国紀』の記述に、ネット等からの改編利用があるということで、

ネット上で「コピペ」だと批判している人が少なからずいた。

私のところにもそれを言ってくる人が何人もいた。

そこで私が親切心から下記のとおりツイートした。


--------------------谷田川--------------------
一応、私の知りうる法解釈を述べておきます。

コピペとは、本当にコピーしてペーストしたものでなければ、

著作権侵害には当たらないという判例があったと記憶してます。

であれば、そうでないものをコピペとして宣伝し訴えられた場合、

かなりの確率で損害賠償を請求されることになるのでご注意ください。
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コピーペーストとは、一文字も変えずに、そのまま貼り付けることである。

そして、一般的に著作権法では、そのまま貼り付けるだけでなく、

一部表現を変えて使用する場合(改編利用)も著作権侵害に当たると考える。


ただし、例外がある。

著作権法を取り扱う法律家なら常識的な話だが、

これについて津原氏が下記リプを送ってきた。


----------------津原泰水氏--------------------
一応、これまでに築いてきた立場がおありだろうに、

そんな程度の低いデマと引換えに台無しにする気ですか?

訂正するなら早い方が良いですよ。


僕は『日本国紀』のある箇所について、

web歴史街道の1記事のコピペを縮めたものだと感じて記しました。

貴方はそれを著者や版元の損害と見做し、賠償の対象となる、

つまり僕が違法行為をおこなっていると公言したのだ。

こちとら看板を背負って作家をやってるんだ。

速やかに論拠たる判例を出しなさい。
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デマではなく、単なる法律問題の基礎知識であるので、その旨を伝える。

ただし、具体的な判例を示した解説はすぐにやらず、

Twitterのフォロワーさんや、アンチ日本国紀たちを楽しませるため、

クイズ形式にしてしばらく遊んでみた。

すると、津原氏がまたリプを送ってきた。


----------------津原泰水氏--------------------
ふざけなさんな。

即答できないなら下のツイートを即座に撤回し、僕に謝罪しなさい。

貴方と「別の人」との事情など知るか。

そちらが身勝手に判例提示を引き延ばしているあいだに拡散する、

「津原泰水は『日本国紀』を批判せんがため違法行為に及んだ」

という風聞への責任を、貴方はとれるのか?
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私は津原氏からリプが送られてくるまで、

彼が日本国紀の批判をしていたなど知らなかった。

こちらこそ、あんたの事情など知らない(笑)

私はあくまで一般論を述べただけだ。

それで私は次のように答える。


--------------------谷田川--------------------
そっちもレベルが低いとか、デマだとか突然言ってきたのだから、

急に親切に教えてもらおうなんて思いなさんなよ。

己でまず調べてみなさい。

少なくとも著作権法を扱っている弁護士1人にでも聞いたらわかる話。

私はあんたに言ったのではなく、法律一般論として解説しただけ。
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当然の話。

私は幻冬舎および著者となんの利害関係もない。

津原氏個人を相手にしているわけでもない。

私が答え合わせをする前に、正解を言ってくる人がいるか、

ただ楽しんでいただけ。

そして、いよいよ答え合わせの時間。


--------------------谷田川--------------------
答え合わせ。

育鵬社の教科書についての裁判で、

文章の改編利用が著作権を侵害するかどうか争われました。

教科書に載っているような歴史的事実は、

個人の創作のような著作権には該当しないという判決が出ました。

歴史的事実だけでなく、

調べればわかるような一般的事実についてもこれに該当します。


ぼくが指摘した判決では、「歴史的事項を説明したありふれた表現に

特有の創作性は認められない」と示された。

この判決への評価は別にして、こういう事実が存在すると説明しただけ。

もし、これが理解できない人は、国語力がないと判断せざるをえない。
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著作権法の第9条では

「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、

著作物に該当しない」」と規定している。

要するに著作権として保護されるのは「創作」なのだ。

音楽の作曲や、小説など「創作」と扱われる。

歴史というのは過去に起こった事実であり、

その事実を書いたものは創作ではないので、

著作権として保護されないということ。

では、歴史について記載したものは一切著作権の保護対象にはならないのか、

というとそうではない。

例えば、歴史小説は、歴史的事実を基にした創作なので、

創作部分は著作権の保護対象となる。

この判決でも


歴史上の事実又は歴史上の人物に関する事実(歴史的事項)の記述であっても、

その事実の選択や配列、あるいは歴史上の位置付け等において

創作性が発揮されているものや、

歴史上の事実等又はそれについての見解や歴史観を

その具体的記述において創作的に表現したものについては、

著作権法の保護が及ぶことがある



と述べている。

「及ぶことがある」という書き方がポイントだ。

そして、


中学校用歴史教科書については、

文部科学大臣が公示する教科用図書検定基準並びに

文部科学省が作成した中学校学習指導要領及びその解説により、

法令上及び事実上、その記述内容及び方法が相当程度に制約されているほか、

想定される読者が中学生であることによる教育的配慮から、

その記述事項は、通常、一般的に知られている

歴史的事項の範囲内から選択される



と示す。

一般的に知られている歴史的事項の範囲とは、

国史大辞典に記載されている程度の内容ということだと

解説している人がいたので、

私も表現が簡潔だと思い、この表現を使っている。


そして判決文は続く。


歴史教科書に係る著作権の侵害の有無が

問題となる書籍が歴史教科書に限られるわけでもない。

そうすると、歴史教科書は、

簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって、

一般の歴史書と同様に、その記述に前記した観点からみて

創作性があるか否かを問題とすべきである。

(中略)

当該歴史的事項に一般的な歴史的説明を

補充、付加するにすぎないものである場合には、

歴史書の著述として創意を要するようなものとはいえない。


これを簡潔に説明すれば、

国史大辞典に書いてあるような歴史事実について、

わかりやすくありふれた文章で記述したとしても、

そこに「創作性」はなく、著作権は認められないということ。

これは私が述べた意図であり、法律論としては当たり前の話なのだ。

すると、津原氏は下記のリプを送ってきた。


----------------津原泰水氏--------------------
早くこっちを立証してほしいんだけど。

1)本当にコピーしてペーストしたものでなければ、

著作権侵害には当たらないという判例。

2)そうでないものをコピペとして宣伝し訴えられた場合、

かなりの確率で損害賠償を請求される。
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ツイートだけでは上記のように詳しく説明していなかったが、

作家としては国語力が欠落していると言わざるをえない。


----------------津原泰水氏--------------------
俺の国語力評価なんかどうでもいいから、早くこれを立証しなさい。

1)本当にコピーしてペーストしたものでなければ、

著作権侵害には当たらないという判例。

2)そうでないものをコピペとして宣伝し訴えられた場合、

かなりの確率で損害賠償を請求される。
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いや、だから、、、それが国語力なんだけど(苦笑)

この人が理解できるかどうかは別にして、

ツイートでは、一般向けにもう少し丁寧に説明してみた。


--------------------谷田川--------------------
新しい教科書をつくる会から分裂した人たちが別の出版社で教科書を出した。

もともと同じところで作っていた人たちだから、

教科書の記述の言い回しを変えて使った箇所がそれなりの量あって、

それが著作権の侵害に当たるかどうか、裁判になった。

判決は、著作権の侵害に当たらないと。

判決では、国史大辞典等に既に書かれている歴史事実などを

わかりやすくありふれた文章で記述したとしても、

その教科書には著作権は認められない、というものだった。

つまり、国史大辞典等に書いてある程度の内容の場合は、

必ずしも著作権の侵害にはならないということです。
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本能寺の変の説明は、誰が書いてもそんなに変わらない。

事実の伝達なので、そこには著作権は認められないということ。

文章のごく一部を変えただけでも著作権侵害にならないということは、

もはや、コピーしてペーストしたものでなければ

著作権侵害にならない事例と言って何の問題もないだろう。

まさかとは思うけど、判決文に

「コピーしてペーストしたものでなければ」って書いていないから

津原氏は納得しないのか?

そうでないことを心から祈る。

もし、そうだとしたらあまりにも知能レベルとして気の毒なことになるから。


また、「この裁判はコピーしてペーストしたものでなければ

著作権侵害になるかならないかを争ったものではない」

と批判している人もいるようだが、そんな話はまったく関係がない。

過去の判例を調べるときに、争点は参考程度のことで、

裁判所がどういう判断を下したかを見る。

法律家相手なら常識過ぎる話なので、こんな説明をする必要もないのだが、

一般の人に対してはここまで説明しなくてはいけないということか。


続いて津原氏は次のように述べてきた。


----------------津原泰水氏--------------------
その主語は「歴史教科書の著作権」なんだが、『日本国紀』となにか関係が?
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この判決を教科書に限定した話であると法律家は読まない。

なぜ歴史教科書に著作権が認められないのか、

この「なぜ」の部分を考えて判断する。

教科書に書いてある内容は、

国史大事典に収録されている程度の内容なので、

著作権侵害には当たらないという判決である。

ということは、教科書でなくても、

国史大辞典に書いてある程度の内容を、

わかりやすく説明しているものには著作権が認められないと、

法律の世界では当然のように考える。

事実、判決でも

「歴史教科書に係る著作権の侵害の有無が問題となる書籍が

歴史教科書に限られるわけでもない」と述べている。

津原氏の法知識や理解力が不足して、私の説明がわからないにしても、

せめて自分で判断するのではなく、著作権のわかる法律家に聞いてもらいたい。

これだけ説明しても津原氏は納得しない。


----------------津原泰水氏--------------------
学習指導要領をふまえ検定をクリアすべく厳しい制約下で執筆される教科書と、

自由自在に記せた文学作品である『日本国紀』とが、

どういう世界のどういう評価に於いて「同程度」なのかも、

いちおう訊いておこう。

もちろん答えられる筈はないが。
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この人はとことん理解力がない。

というより、理解しようという思いがないのか。

認めたくないのだろう。

この判決は、「引用元」の著述に著作権が認められるかどうかを問うたのだ。

引用先が教科書であろうと、『日本国紀』であろうと、エロ本であろうと関係がない。

繰り返すが、引用先が教科書だから引用元に著作権が認められないのではなく、

引用先が何であろうと、引用元が国史大辞典に書いてあるレベルの

歴史的事実を平易に説明した文章であれば

著作権が認められないと裁判所は判断した。

彼が私に教科書と日本国紀が「同程度」と聞いてくることそのものに意味がなく、

いかに問題の本質を理解できていないかということを物語っている。

例えば、教科書やありふれた歴史の記述をかき集めて私が書籍を作っても

著作権違反にならない可能性が高く、

その部分に関しては他で無断転用されても文句は言えない。

その中で私独自の表現が出てくれば

そこに「創作」としての新たな著作権が出てくる可能性があり、

誰かがその表現ごと一部文字を変えた使用しても

著作権侵害に当たるかもしれない。

文章を書く側からすると、単なる歴史事実をわかりやすく説明するのも

技術と工夫が必要なのだが、

裁判所はそれを著作権だとは認めないと判断した。

自由社と育鵬社は同根なので、

むしろ、限りなく教科書に限定した話にしてもらった方がよかったと思う。


私は『日本国紀』に改編利用があるのか、あるならどの程度のものなのか、

確認していないので、状況をまったく知らない。

しかし、一般論として基本的な歴史の記述は、

改編利用しても、著作権侵害にあたらない可能性が高く、

それに該当して営業妨害で訴えられたら、損害賠償を支払わなくてはならず、

もし、この著作権法の基礎知識を知らないのであれば、

最低限知っておいたほうがいいという、親切心からの発言だった。

私は、「当たり前」のことしか書いていなかった。


津原氏は理解できないのではなく、認めたくないのかもしれない。

なぜなら下記の記述があるからだ。


----------------津原泰水氏--------------------
ここまで豪語するんだから、以下の2点を立証できなかったら、

きっと筆を折ってくださるんだろう。

1)本当にコピーしてペーストしたものでなければ、

著作権侵害には当たらないという判例。

2)そうでないものをコピペとして宣伝し訴えられた場合、

かなりの確率で損害賠償を請求される。
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私が間違っていたら筆を折るぐらいの事態と認識しているのだから、

反対に津原氏が間違っていたら筆を折らなくてはいけない。

これは単なる法律の基礎知識なので、

私は筆を折るなどという大げさなことを考えもしていなかったが、

津原氏は自分から言い出したことである。

もちろん、私はこんなことぐらいで

津原氏に筆を折れなどと要求するつもりはないが、

これだけのことを私に言ってきたのだから

謝罪ぐらいあってしかるべきだとは思う。

今のところ謝罪・訂正があったという事実は聞いていない。

もし、本当に理解できていないだけなのなら、

こんなことも理解できないまま小説家としての人生に幕を下すとなると、

気の毒で仕方がない。

心の底から同情を申し上げる。



番外編1:津原氏からの要望


番外編2:津原氏への謝罪







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