ますます迷走する所功氏




雑誌『Voice』で4回にわたり(平成24年12月号〜平成25年3月号)、

女性宮家創設論を含む皇位継承論、皇統論について

竹田恒泰氏と所功氏による論争が行われた。

まず12月号で竹田氏が「所氏の浅薄な女性宮家創設論」というタイトルで批判を行ったところ、

所氏は1月号で「旧皇族の末裔・竹田恒泰氏への応答」という反論文を寄せた。


ところが、その内容は竹田氏の批判に反論するものではなく、

うまく話を逸らして逃げようとしている姿勢が伺えた。

そのことについては、幣コラム「所功氏は戦後民主主義に嵌っている」で詳しく述べた。


竹田氏も同じことを感じられたようで、2月号の「失望せざるを得ない所氏反論」では、

論点を曖昧にする所氏に対して、

竹田氏の批判と所氏の反論がどのようなものであったかを明確に整理し、

所氏の論理破綻により議論がすでに決着していることを確認した。


それに対して所氏は3月号に寄稿したことから、再び反論を試みるのかと期待したところ、

「2月号の竹田さんによる再論は、はなはだ意図的な自説の繰り返しとみられ、

管見は正月号に述べ尽くしたので、あらためて応答する意味がないと思われる」(141頁)

とだけ冒頭で記し、全然議論とは関係のない話を書き続けたのだ。

学者として、また皇室について論じる識者として、

不誠実極まりない対応であると判断せざるを得ない。

他ならぬ私も、かつて雑誌『正論』で所氏を批判したところ、

まったく関係のない話ばかりを展開されてごまかされた経験をもつ。


しかし、今回の所氏による「議論とは全然関係のない話」から、

氏の主張における“決定的”かつ“致命的”な論理破綻を見つけてしまった。


まず竹田氏の批判のなかで中心的な論点となるのが、

所氏が女系天皇を容認する根拠についてだ。

所氏は「従来の天皇は一貫して父系継承であり、(中略)

この史的事実が持つ意味は極めて大きく、

今後も持続していけるならば、それに超したことはない」と発言しながら、

一方で「これから女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がない」と主張する。

なぜ“極めて重たい史的事実”が変更されることに“本質的に問題がない”のか、

その根拠を示してもらいたいというのが竹田氏の問いかけである。


それに対して所氏はどのように“応答”したのかというと、次の一文のみとなる。

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私は皇室の来歴を可能なかぎり調べたうえで、

皇位継承の資格を今後「女系(母系)にも広げること自体は、

本質的に問題がない」(拙著139頁)と考えている。

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所氏が示した著書(『皇室典範と女性宮家』)139項には何と書いてあるか読んでみよう。

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皇室には元来、氏(姓)にあたるものがなく、結婚により一般から入る人の氏(姓)は消えるため、

女性であれ男性であれ、その生家により皇胤=皇統が左右されることには

決してならないのである。

それゆえ、皇位継承の資格を男系(父系)だけに限る現行のあり方を、

これから女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がないと思われる。

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まず確認しておかなければならないのは、

所氏が「(皇室で)結婚により一般から入る人の氏(姓)は消える」というのは、

歴史的な経緯のことなのか、単なる明治時代以降における戸籍法の話なのか、

ということである。

これまでどちらかよくわからなかったので、私は両面から批判してきた。


ところが、『Voice』(3月号)により、その内容が明らかとなった。

同143頁には、養老令の「継嗣令」の説明として次のように記されている。

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皇親(天皇の親族)は、皇室に生まれ育った方々のみで、

結婚により皇室に入る人々を含まない。

かような区別は、中国伝来の父系宗族絶対主義に影響を受けたもので、

それが明治前半まで続いている。

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ここで所氏が以前から述べている「(皇室で)結婚により一般から入る人の氏(姓)は消える」

というのは、歴史的なことではなく、明治以降の戸籍法の話であることが確定した。

要するに皇室には、一般国民でいうところの戸籍がないので、

皇族と結婚した一般国民の女性は、事務手続き上、戸籍がなくなるだけのことだ。

したがって、所氏は、皇室の長い歴史的な事実ではなく、

近代以降に人間が制定した戸籍法に基づき、

「これから女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がない」と述べていたのだ。


しかし、それでは所氏が『Voice』(1月号)で、

「私は皇室の来歴を可能なかぎり調べたうえで、皇位継承の資格を今後、

女系(母系)にも広げること自体は、本質的に問題がないと考えている」

と述べたことはどうなるのだろうか。

皇室の来歴を調べたのではなく、近代以降の法制度だけで論じていることになる。


さらに致命的なことは、繰り返し指摘している所氏の発言である

「従来の天皇は一貫して父系継承であり、(中略)この史的事実が持つ意味は極めて大きく、

今後も持続しているならば、それに超したことはない」と明らかに矛盾する。

所氏による一連の主張を整理すればどのように考えても、

「史的事実」よりも「明治以降の法制度」が重要であるという結論しか導けない。

所氏の論理は完全に破綻していることが明らかとなった。


ところで、『Voice』(3月号)の所氏の論考は、事実関係に誤りがあることや、

この号にかぎった一文だけでも自家撞着を引き起こしていることを明らかにしておこう。


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わが国の皇室は、天皇と皇族から成る格別な大家族である。

その公式系譜として、宮内庁の書陵部に「皇統譜」(「大統府」と「皇族譜」に分かれる)がある。

その「大統府」では、神代の「天照皇大神」を「世系第一」とし、

人代の「神武天皇」を「皇統第一、世系第六」と記す。

つまり、皇家の「皇統」は神武天皇からはじまるが、

その祖先として「神代」の天照皇大神を「世系」の初めとする伝承が公認されている。

したがって、皇室の歴史をトータルに考えるならば、

その系譜が天照大神から神武天皇を経て歴代天子孫へと

同じ一家系により続いてきた(中断・交代がない)ことこそ、最大の特色であって、

それ自体に男系・女系の区別とか男子・女子の優劣があるわけではない。

(141頁・142頁)
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これはまったく事実に反する。

私も「皇統譜」を丹念に検討しているが、「世系」は男系の世代数を示しているものだ。

具体的には皇極天皇(斉明天皇)と天智天皇は、母と子の関係であるが、

同じ「世系第三十」である。

天智天皇にとって皇極天皇は、母であると同時に、父である舒明天皇の姪でもあるので、

男系で数えると、同じ「世系第三十」となる。

両親が天皇であっても、「世系」は父方のみで示されている。

文武天皇のように、父が天皇ではなく、母が天皇であっても、

父方だけで「世系」はつながっている。

つまり「世系」は男系と女系を区別し、男系のみを系譜として示しているのだ。


さらには天照大神が「世系第一」であることについて、

「世系第二」が女系にならないことは明確に説明することができる。

「皇統譜」における系譜のなかで、子がいるのに配偶者が記されていないのは

「世系第一」の天照大神だけとなる。

したがって、「皇統譜」における世系とは、天照大神が単独で「成らしめた」神(子)を、

以後、一貫して父方の一系により継承されたと解釈するより他はない。


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(明治の皇室典範では)第42条で「皇族は養子を為すことを得ず」と、

従来活用されてきた皇族間の養子を禁止。
(144頁)


(現在の皇室典範では)皇位継承者を“皇統に属する皇族”のうち「男系の男子」に限定する

(しかも第6条によれば、その皇族は嫡出子孫に限り側室の庶子を認めない)のみならず、

皇族間の養子縁組も皇族女子の宮家創立も禁じて三重の厳しい制約を課したのである。

(146頁)
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所氏は養子と猶子の区別も出来ていないようだが、

それ以前に皇族間の養子の禁止は、何の制約にもなっていない。

皇室の歴史における猶子とは、ほとんどの皇子女が出家していた歴史的背景により

意味があったのであり、明治以降の永世皇族制では何の意味も持たないどころか、

井上毅は「宗系の紊乱」につながるとして禁止したのである。


わかりやすく説明すると、A宮家とB宮家があるとして、

A宮家に男子が2人いて、B宮家に子がいないとする。

A宮家の跡継ぎ以外の子は出家しなければならない制度であれば、

出家する予定の子がB宮の養子となってB宮の宮号を継げば、皇族の数が減らないことになる。

しかし、永世皇族では皇族全体の人数に変動はないのであるから、

皇族間の養子が認められようが禁止されようが、

皇族数の維持ということでいえば、何の制約にもならない。

子がおられない宮家が消滅すると同時に、新しい宮家が創設させるので、

プラスマイナスゼロである。

皇族全体の数に変動がないのに、宮家を継ぐためだけに養子を繰り返せば、

血筋が混乱して、皇族といえども系譜がよくわからなくなるので、

井上毅は「宗系の紊乱」を防止するために養子の禁止規定を盛り込んだのである。

所氏ともあろう人が、なぜこんなこともわからないのか不思議でならない。


最後に、あまりに明白過ぎる論理矛盾となる記述を指摘する。

私の理解力が不足しているのか、信じられないレベルの自家撞着に思わず目を疑った。


所氏は『神社新報』主筆の葦津珍彦氏が、男系男子による継承が大原則であるとしつつ、

旧皇族の復帰については否定的に捉えていた事実を紹介し、次のように述べる。

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旧典範の増補第6条「皇族の臣籍に入りたる者は皇族に復するを得ず」との定めは、

「わが皇室の古くからの・・・不文の法」(同上)でもあるから、

占領政策により臣籍降下した傍系宮家の「元皇族の復籍」は、本質的に好ましくない。

まして「旧宮家」系の現存者は、古希以上か一般国民として生まれた子が孫の世代だから、

その皇籍取得は法的にも実体的にも難しいであろう。

(147頁・148頁)
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このように述べたあと、「では、どうしたらよいのか」ということで、

女性宮家創設の必要性を展開していく。

ところが、その最後の部分で次のようなことが書かれている。

それが目を疑った部分である。

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しかし、もしこれ(女性宮家)が法的に実現したとしても、

皇族女子が本当に適任の配偶を迎えて宮家を立てられるか、

その間で確実に跡継を儲けられるかは、予測し難い。

(中略)

それゆえ、旧宮家(とくに現皇室と血縁の近い5家)子孫の皇籍取得ができるのか、

またそれら方々が継嗣のない現宮家の養子に入ることもできるか、

などさまざまな案を実際的に検討すべきだろう。

(149頁)
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『Voice』(3月号)から引用した上記二つの文章は、

見開きで同じ面に掲載されているのである。


「占領政策により臣籍降下した傍系宮家の元皇族の復籍は、本質的に好ましくない」、

「一般国民として生まれた子が孫の世代だから、その皇籍取得は法的にも実体的にも難しい」

と述べているにもかかわらず、同じ見開き面である次の頁には、

「実際的に検討するべきだろう」と主張している。

私の理解力が不足しているだけのことではないとするなら、

議論以前に「所先生、大丈夫ですか」と心配しなければならないレベルの話である。


真面目な性格の所先生には、わが国の歴史・伝統にない女系天皇論の主張は、

元々、無理筋だったのではないだろうか。

無茶苦茶な論理を展開してまで主張するのはもうやめにして、

そろそろ楽になられた方がいいのではないかとご進言申し上げたい。








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