イタリア世界遺産物語〜人々が愛したスローなまちづくり
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オルチャ渓谷の文化的景観の保全

 

■世界遺産と観光振興

 お断りしておきますが、イタリアでは世界文化遺産に登録されたことで観光客数が増えたケースはほとんどありません。

 ですから自治体もそんなに熱心ではありません。登録しなくても観光客はそこそこ来るし、むしろ増えすぎると困るという考え方も多いからです。

 しかし、これから紹介するオルチャ渓谷はその例外です。

 ですが元々極めて少なかった。ゼロに近かかったのです。だから増えたと言っても年間数万人というオーダーに過ぎません。

 だから観光振興、地域再生策として世界遺産はあまり考えられていませんし、また話題にもなりません。

 なおイタリアでは「世界遺産」ではなく「人類の遺産」という人が多いと思います。そのほうが正しいのです。日本は世界に対して日本がどうアピールするかという考え方をしますが、イタリアは人類共通の遺産という言い方をして、それが人類の歴史にどういう文化的な意味を持つのかを考えています。


■オルチャ渓谷の概要

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オルチャ渓谷(3枚ともローマ大学、パオラ・ファリーニ教授提供)
 
 オルチャ渓谷は写真のように丘です。丘と丘の間に川がありますが、かかっている橋も5mぐらいで、とても渓谷という感じではありません。

 アグリツーリズムが生まれ発展してきたトスカーナにありますが、一般の人はそこまでは知りません。

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地域の概要
 
 6万6千ヘクタールが世界遺産に登録されていますが、市街地面積は0.59%しかなく、数千人の街が五つあります。

 ここでは維持すべき文化遺産として「中世の景観」を上げています。なぜか。

 実は世界遺産登録するときに、ロレンゼッティの絵をコンセプトにしたのです。この絵はヨーロッパ人なら必ず知っているそうです。小学校の教科書に載っている。ロレンツェッティと言われても日本人は知りません。何の絵?と聞きますと、「善き政府」という絵だそうです。悪い政府の。絵もあります。シエナの市役所(議会場)に描かれた壁画です。

 この絵のなかに都市と農村の関係、役割、都市と農村で人びとが行うべき事、すなわち中世の自立した都市圏における人々の暮らしが克明に書かれています。

 背景に書かれた景観そのものが今でも良く残っている。だからシエナ周辺のオルチャ渓谷の景観が文化的価値を持っていると言うわけです。

 なお巡礼のルートがあり、それを文化的ルートとして登録したかったそうですが、ロレンゼッティの絵ということで説明していたので、出来ませんでした。


■保全の仕組み

 村ではパンとオリーブとワインを作っています。牛もいますからバターもありますが、普通はオリーブオイルをパンに塗ります。

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シエナ県地域計画土地利用規制・保存対象台帳
 
 これがシエナ県地域計画土地利用規制・保存対象台帳です。

 この一つ一つの農地とか森とかに、1個、1個名前をつけて写真をとって記録しています。

 凄いことに、ほぼ全体を、自分たちで、日本でいうと国立公園にしようとしたのです。

 国立公園内では一切の建築に許可が必要となります。生活に必要だからといって水道をひくことも電気をひくこともできません。かなり制約を受けます。

 それだけの犠牲を、この五つの街と村が受け入れました。

 自分たちの地域が生き残るためには美しくなければダメだ。1人1人が勝手に好きなものをつくっていてはダメだ。バラバラに好きにものをつくっていてはダメだ。そうならないように枠を決めたほうが得だということが分かってきたからです。

 モンタルチーノは村ですが、ここでは20年前から条例があり規制されていました。

 最初は日本で言えば鎮守の森のようなものを守っていこうとしました。イギリスだったらナショナルトラストとかシビックトラストといった市民運動で守っていこうとしますが、イタリアは古代ローマ法の法治国ですから、条例とか法律で守ろうとします。

 では法律をよく守るかと言われたら、守らないと言うのもイタリア人の特徴なんですが。

 でもまあ、制度をつくるわけです。


■まちづくり会社としてのヴァル・ドルチャ有限会社

 長い議論のあとに88年に五つの自治体が合意文書に調印し、89年にシエナ県に公園計画の策定を提起します。

 五つの街や村はとても小さいので、それぞれの街に計画をつくる能力をもった職員がいない。そこで96年にヴァル・ドルチャ有限会社を設立します。

 3セクをつくるお金もないので、村長さんたちや議員さんが100万円とか150万円と少しずつポケットマネーを出し合ってつくった会社です。97年には五つの自治体の地域協議会がつくられ、実際のまちづくりの整備はこの有限会社にやってもらうことに決めました。

 京都市景観・まちづくりセンターと性格が似ていますが、まちセンよりはるかに大きな権限を持っていて、環境、地域整備と都市計画、農業、工業と手工芸、文化と観光、公共サービスとインフラストラクチャに取り組んでいます。

 それぞれの街には都市計画部門はもともとありませんでした。農業部門はあったのですがこれも切り離しました。工業もあったのですが、人口が2000人くらいしかいない村で、そんな職員がいても意味がない。

 そして1999年になってヴァル・ドルチャを州立自然保護区域に登録しています。ついに法律によって厳しい規制内容が決められるようになったのです。

 地域協議会には首長さん、そして一部の議員さんが加わっています。五人の首長さんはヴァル・ドルチャ有限会社の重役にもなっています。もちろん無給です。

 職員は常勤が3名、非常勤が5名の8名でやっています。

 常勤スタッフの1人はマッシモ・ビッティで、私(宗田)と同じ年の男性です。あと2人は若い女性です。給料は12〜13万円ぐらいです。

 マッシモ・ビッティはここで非常に良い仕事をしていました。

 有限会社が出来たときに地元の町長に頼まれてフィレンツェから夫婦で故郷に戻ってきて10年頑張っています。ところ給料がいまだに25万円ぐらいで、ボーナスもない。大学生の子どもが2人いるし、家内はよく我慢してくれたが、老後も心配だし、勘弁してくれっと辞表を出そうかな、という話もしておりました。


■資金源

 資金源をみてみると、EUの補助金が大きいことが分かります。農村地域活性化のための補助金で、アグリツーリズム推進の最大の要因です。

 次に民間企業、とりわけ地元シエナの銀行です。中世以来の蓄積もありますし、彼等は地元の事業者を大切にしていますから、地元のためになるならそれなりに出すのです。地元の事業が伸びていかなかったら、生きていけない、そうでなければグローバル市場に出てゆくしかない、その嵐の中でローカルは生き残りにくくなってしまうからです。

 その一方、イタリア政府は情けない金額です。公債もあります。借金です。

 えらいな、と思うのは地元がちゃんとお金を出すということです。日本でも合意形成と言いますが、地元の合意があるから規制をかけるといったレベルではなくて、ちゃんとお金を出してもらうという意味での合意形成をしていることです。


■成果

 オルチャ渓谷の保護と保存については、農地が放棄され荒廃が進むという憂慮すべき状況でしたが、これらによって保護と再生が一気に進みました。あわせて忘れられていた遺跡とかモニュメントが修復再生されました。

 誰も見に来ない、誰も守らなかった遺跡が守られ、有限会社がガイドブックを出し、今では若者が来るようになりました。

農業との連携
 そして、これが大きなことですが、景観の質と農産物の質を関連づけて農業振興がはかられ、成果を上げたのです。

 農産物に新しい商標(品質認定標)がつけられました。たとえば、ワイン(DOC原産地統制名称)、オリーブオイル(DOP保護指定原産地表示)、栗(IGP保護指定地域表示)などです。

 農産物が売れるようになって、農地の価格も上がりました。ここは有名なトスカーナ赤ワイン(ブルネッロ・モンタルチーノ村産)がありますから、その効果も大きいのですが、それを除いても農地価格は3倍になっています。

 これは別に世界遺産のおかげではありません。イタリアの農業協同組合がずーと進めてきたアグリツーリズムの長年の取り組みがあります。それとスローフードと景観保全が密接に結びついているのです。

宿泊者数の増加
 登録前後を比べてみると、宿泊者数が着実に伸びています。

 一番よく伸びたピエンツァが7千人ぐらいから3万人まで伸びています。

 宿泊施設は、五つの街・村をあわせて30数人だったのが、80人とか90人も収容できるようになっています。

 これらは京都の規模(宿泊者数1700万人とか収容人数3万5千人)と比べれば、極少ですが、小さくとも増えていることが重要です。

人口の下げ止まり
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人口
 
 人口は1950年頃の1万人から急激に減っていましたが、90年頃から下げ止まっています。

 これはイタリアでも奇跡だと言われています。それは宿泊者数や収容人数の増加、農産物の値上がりがあるからです。

 足しても1万人もいかない五つの街や村が、その美しさのために元気になっているのです。

規制への評価が変わった
 もう一つ重要なことは州立公園の提案のころは住民の間で反対の声がありました。

 それが現在は幅広く支持されています。私も世界遺産登録のあとに講演会に呼ばれました。みんなお祭りなどのイベントを一生懸命やっていました。


■映画に描かれたオルチャ渓谷、その文化的価値

 ここでイタリア映画『輝ける青春』を紹介します。日本でもDVDが出ていますが、1966年夏から2003年までのローマの2人の兄弟を中心に家族を描いたテレビドラマです。

 1966年ですから日本で言えば全共闘の時代、イタリアなら1969年の暑い秋の時代から始まります。当時、若者だった人たちが年寄りになるまで、どういう人生を歩んできたかを描いています。

 主人公は2人の兄弟。そのうちの1人は自殺します。もう1人は結婚しますが、その奥さんがなんと赤い旅団の闘士で、テロを起こしてしまって長い間、収監されてしまいます。

 面白いのは最後にオルチャ渓谷が出てくるのです。

 最初は農村観光で泊まりにくるだけなんですが、そのうち古い農家を買って別荘に改装します。農業を片手間にしながら友達をよんだり、豊かな休日を過ごします。

 そこで主人公の娘の婚約パーティをしようとします。そのときに赤い旅団だったお母さんから「長い間独房に入れられていたけど、刑期があけて社会復帰している。古文書館で働いている。もし良かったら会いたい」という手紙が来るわけです。

 その手紙を娘はお父さんに見せます。

 そしてまさに今みていただいたオルチャ渓谷の畑を見下ろせる丘の上で、お父さんがにこっと笑って、「今日はお前の婚約パーティで友達もみんな集まってくれている。この日に、このオルチャという場所で何ができるか。今日こそお前が寛容になれる日だよ」というんです。寛容。トレランスです。「だからお母さんに会いにいってあげなさい」。

 ずっと20何年間、見捨てられていた娘が母に会いに行くときの理由付けが、オルチャ渓谷の景観なのです。

 このオルチャ渓谷は無宗教で、宗教色は全くないけれども、イタリア人が寛容になれる街なのです。イタリア人がイタリア人らしさを取り戻すことができる風景があるんです。これが文化的な価値なのです。

 登場人物は何十人もいる、それぞれの闘争時代のエピソードをもった人物たちの大団円は、オルチャ渓谷の農家を改造した別荘のなかで、みんなが輪になって、物語が終わっていくという素晴らしいドラマのなかで、景観の意味が伝えられているのです。


■お洒落で贅沢な大人の楽しみ

 地元では、世界遺産登録は、必ずしも歓迎されていません。

 ホテルアドラーという超高級ホテルが増床しました。ただ景観規制が厳しいので、低層で、あまり遠くから見えないように灌木で隠しています。

 もちろんプール付きで温泉付きです。

 8割が女性のお客様ですから、温泉に入って、エステに入って、グルメを楽しむというちょっとお洒落で贅沢な大人の楽しみを提供しています。

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