「まちづくりコーディネーター」セミナー記録
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立誠学区〜立ち上げ時期の課題(繁華街での取組)

京都市まちづくりアドバイザー 佐藤友一

 

 本の中では上司である高木さんと二人で立誠について書きました。

 私は2004年から、2年間ほどまちセン(京都景観・まちづくりセンター)のメンバーとして立ち上げ時期に関わりました。その後は高木さんや他のメンバーが関わっていました。

 だから今日は実際に自分が関わった立ち上げ時期についてお話ししたいと思います。

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 京都の中心部、繁華街にあります。

 点線で囲まれたエリアです。

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 人口です。850人です。中京区でも最少です。

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 左側が立誠学区の人口です。棒グラフが人口。折れ線が世帯数です。

 右側は本能学区ですが、ここにかかわらず都心はマンションの増加で人口が増えています。なのに、立誠学区だけが、唯一減っています。

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 都市繁華街ですので、ご商売が多い地区です。ほとんど飲食業です。

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 たくさんの商店街組合や事業者組合が集まっています。

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 治安、性風俗、違法看板、放置自転車、ゴミなど、都心の繁華街としていろんな課題が集積していました。

 それに対して、写真のようにパトロールや清掃といった活動が行なわれていました。

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 都心の繁華街の課題を考えてみると、お店の撤退から性風俗の増加、そして客引きや派手な看板の増加、そして近寄りがたい雰囲気ができ、一般のお客さんが減ってお店がさらに撤退し、そこに性風俗が入るという悪循環が起こっていました。

 自転車の放置も同様に、ほとんどゴミ捨て場のような雰囲気になり、ここなら自転車を止めても良いかといった悪循環を起こし、街の魅力が損なわれていました。

 そのころ烏丸や四条が元気になって、人が移っていました。

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 まちセンのメンバーとして入る前の取り組みです。

 このあたりは本には書けませんでした。

 93年に立誠学校の閉校により風営法の規制がなくなったのが、悪循環の切っ掛けだという指摘があります。

 様々な課題、特に治安の問題が出てきていました。NPOの設立も空きビルで女性が暴行されたという事件がきっかけになったそうです。ガーディアンエンジェルスも活動を開始しました。

 また河原町通りに違法改造の車が集結したり、歌舞伎町のビル火災もあり、防犯カメラがクローズアップされていました。

 一方、性風俗店が増え客引きが増加していました。

 個別課題対策としては駐輪場が整備され、多少緩和されていました。

 また街を綺麗にしようと掃除をする京華やぎ隊など様々な活動、議論が行なわれていました。

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 この時期を個別課題対処期と呼んでいます。

 治安に対してパトロールが行われていました。NPOと地域が協力し、警察も協力していました。地元は交番や防犯カメラを望んでおられました。

 また駐輪場は出来たけれども、放置自転車問題は解決できませんでした。駐輪場をつくっても足りないし、中央に大きな駐輪場があるだけではなく、町なかにたくさん駐輪場がいるだろうという議論もありました。

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 当時は自治連合会の部会が、対応する担当部署を呼んできて要望や説明を求めていました。中京区役所が対応されていましたが、輻輳する課題には複数の部署の対応が必要でした。それにたいして一気に関連の部署を集めるのは区役所サイドとしては難しかったという問題もあったそうです。

 また看板などは性風俗だけではなく一般のお店の看板も景観を悪くしていました。だから事業者自身が考えるべき課題でもあり、行政に要望するだけでは難しいという自覚も生まれていたようです。

 そういう背景からまちセンが入ったということです。

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 この時期、自治連合会が中心で、事業者の参加が少なかったので、いろいろな人が入れるまちづくり委員会が地域主導で設立されました。

 とくに肝心の木屋町のあたりに事業者等の組合もなく、事業者の巻き込みが出来ていなかったので、事業者・住民の有志も参加できるようにしました。

 また地域が主体となり、行政を巻き込んでいくことを、まちづくり委員会の姿勢としていました。

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 課題の把握、整理からまちのビジョンを考えるという段階では、平成17年に都市再生モデル調査を受託したのが大きかったと思います。

 その調査では、多様な主体の協力体制の構築と、将来像の共有を目指しました。

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 商店街とか事業者組合さんのやる気を引き出すために、アンケートを取りました。お店とお客様からとりました。飲食店の五分の一が協力してくれました。

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 ライトアップや公開討論会をやりました。

 右下がビジョンの柱です。治安と賑わい、高瀬川を軸とした環境整備です。

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 事業展開期です。私はこのあたりで退職して、その後、高木さんが引き継がれました。このあたりは本をご覧下さい。

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 個別課題対処期には区役所は調整役しかできていなかったと思います。地元の主体性を引き出せずに、地元からなんとかしてくれと言われたことにその都度対処してきたようです。

 まちセンが入ったときは、まちづくり委員会を地元の主体的な組織として立ち上げようという点に力点をおいていました。

 都市再生モデル調査は立ち上げ後の第一歩として求心力を高めるのに役にたったと思います。

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 最後に指摘したいのは、中京区役所はコーディネーターになれず、地域も行政依存体質のままだったいうことです。

 区役所は地元の要望を聞いて対処することをずっとやってきましたので、仕方がないかと思う面もありますが、関わり方によってはコーディネーターになれる可能性はあると、今になってみると思います。

 その点は6章に北川さんらと一緒に書いていますので、読んでください。

 今はまちセンを退職してまちづくりアドバイザーをやっています。行政が地元に入るときのお手伝いをしてコーディネーターになるお手伝いをしているというところです。

リム

 全然、おもしろくない報告ですね。

 立誠学区がどんなところで、まちづくり委員会がどんなことをやったかという説明だけでした。区役所がやっていたことは行政依存体質を助長していたと指摘しながら、逆説的に、行政もコーディネーターになれると言われました。

 立誠で佐藤さんがいることで何ができたのか、何が提案できたのかを言って欲しかったと思います。

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