「まちづくりコーディネーター」セミナー記録
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まちづくりコーディネーターは何を仕掛けたのか

 

リム

 どういう事実があったかは本に書いてある。それは分かった。だが、何を仕掛けたんだ。球根を植えて、そのあとどうしたんですか? 学生が入ってうまくいったというなら、コーディネーターはいらないんじゃないか。自分は何を仕掛け、その先に何をみていたんですか?
朝倉

 お話しの中では、まずできることから始めるという小さなきっかけのように言いましたが、私のなかでは活かすべき資源は田んぼであり、畑であり、近くの山林だと思っていました。でもこちらが「これをしましょう」と言ってしまうと、地域のみなさんは「またやらされるのか」となるので、そのような言葉が出てくるのを待っていました。

リム

 デザインしたんですね。では、それはどのぐらいの段階からそれが見えていたんですか。事前に調べた段階ですか。

朝倉

 こういう手法があるな、というのは入ってから考えたことです。田んぼがあってといったことは調べたらわかりますが、どんな人がいるかは実際に会ってみて初めて分かることです。その中で、こういう人たちなら、こんなこともできるのではないかと考えました。

リム

 佐藤さんは?。

佐藤

 地元の人に主体意識を持ってもらうことを最大の目的に入ったけれども、正直、どういう状態になれば主体意識を持ったと言えるのか最初はわからなかったんです。大きく変わったのは都市再生モデル調査という大きなモデル事業を受託できてからです。最初に何かをやろうという大きなプロジェクトができたことです。

 それに、学識の先生に誰を選ぶかということもポイントですが、リム先生を選んだのが大きかった。

リム

 ゴマすったってだめですよ。

佐藤

 いや、地元を甘やかさないで、叱咤激励してくださるかと思ったのです。

リム

 住民主体なんて、あり得るのですか? 自分でビジネスをやって自分で仕事をやっているというのは主体だけど、まちづくりで住民主体ってあるんですか(もちろん、ある場合はあるのですが)。

 まちづくりセンターを通じてコーディネーターを派遣するという仕組み自体、まちセンは京都市の下部組織でしょ。都市計画局の意向に逆らえないでしょ。コーディネーターはガス抜きに使われるだけかもしれない。小野郷なんて、そんな危険もあったでしょ。

 立誠まちづくり委員会が天満天神繁昌亭のようなビジネスをやって、儲けて、自分たちの原資で朝倉さんや佐藤さんを雇うなら住民主体ですが、全然違うじゃないですか。都市再生モデル調査も取ってきて持っていってあげた。そういう関係にすぎないじゃないですか。

佐藤

 我われは刺激を与え続けることしかできないんです。モデル調査も刺激です。その刺激で何が出てくるか。立誠では木屋町にお店の組織がなかったのですが、事業組合が立ち上がりました。直接ではないでしょうが、我われが刺激を与えたことで変わったという部分も少しはあるんじゃないかと思います。

リム

 立誠まちづくり委員会の山本会長にお話しをお聞きしたいんですが、佐藤さんはちゃんと貢献していると評価していますか。

山本

 たしかに佐藤君は多大なる貢献をしていただいたと認識しております。これで良いですか。

リム

 それだけですか?。

山本

 最初にリムさんが、このまちづくりを続けていくんかと啖呵を切られたときに、思わず「続けます」と言ったことが印象に残っています。佐藤君は地元に良く溶け込んでくれたと思います。彼は訳のわからん音楽をやっているんですが、イベントのときや、新年会でやっていただいて、楽しませていただきました。

リム

 刺激を与えているのは明らかなんですが、今日、言いたいのは、そこに留まっていて良いのか、まちづくりコーディネーターは、ということです。

 天満の繁昌亭はすごいことをやっている。ああいう類の地域を転換するビジョンを持ち込んで実現させる仕掛け人にならないといけないんだけど、その点、お二人はどうなのかということです。

朝倉?

 呼ばれたかどうかは別として、自分たち自身の関わり方からデザインしていくということです。そして、まちづくりをするうえで、今こういう部分がかけているなあ、たとえば調整役がいないとか、身体を動かす人がいないとか。

 そういうなかで自分の立ち位置をデザインし、抜けてもらったら困るという状況をどうつくれるかがコーディネータとして動いていく際の前提で、そのうえで、どういうまちづくりをどうデザインするかです。

朝倉

 呼ばれたか押しかけたかどうかは別として、自分たち自身の関わり方からデザインしていくということです。そしてまちづくりを進める上で欠けている部分、例えば調整役がいないとか、身体を動かす人がいないとかを考えながら自分の立ち位置をデザインし、抜けてもらったら困るという状況をどうつくれるかがコーディネーターとして動いていく際の前提かと思っています。その上で、どいいうまちづくりをどうデザインするかです。

リム

 佐藤さんは『まちづくりコーディネーター』の98ページから99ページにかけて、城巽学区に入られたときに、私のやってきた仕事は何なのかと、自問自答しておられる。まさに今日のテーマを書いているじゃないですか。ここには無意識のうちに事務局がコーディネート力を高めることだ、と書かれている。会議の能力がアップするというのはすごい事じゃないですか。

 なんでこんなことを言うかというと理由があります。こうしてみると、やっぱりまちづくりコーディネーターは優れた能力を持っているのに、職業として確立していないじゃないですか。昔は国や自治体からの発注で仕事が成り立ったけど、もうそんな時代じゃなくなった。だから自分で仕掛けていかないと仕事がこなくなるという危機意識をもっているのです。

佐藤

 私はまちセンとして初めて入ったのは城巽学区だったんで、試行錯誤しながら関わりほんとに自問自答してしまったのです。今後仕事としてどう仕掛けていくのかは、まだ分かりません。

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