都市計画の新たな挑戦(蓑原敬)
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メールでの議論

 

 兵庫県でまちづくりに取り組んで来られた難波健さんとの往復書簡です。


■難波さんから蓑原さんへ

 日頃、考えたり悩んだりしていることが披瀝された感があり、基本的に蓑原さんに賛同するものです。とはいっても、現在の計画(土地利用計画)をめぐる状況ははなはだこころもとない、われわれ現場の意に反するところがあります、それをまとめてみました。

 何かにまとめる時に頭の片隅に置いていただければと思います。

1《住民にとっての計画》⇒住民に分かりやすい計画体系。
・わかったところの隣からしか理解できない。

・抽象的概念でなく、具体的なことでないと理解が難しい。

2《住民と計画》⇒住民に土地利用計画がつくれるか。
・住民がつくるのが望ましいが。

・専門家が登場するシチュエーションをうまくつくる。

・誰かがコーディネートしないとうまくいかない。

3《計画のあり方》⇒現況を肯定する都市計画の発想。
・都市計画は、現状と変化の把握から出発する計画。

・それができていない、地図、データ、分析手法。

・計画を策定する手法を担保し、実現に導く制度設計が必要。

4《行政と計画1》⇒都市計画の総合性。
・少なくとも都市マスの7つの柱を所管する行政がある。

・土地利用/自然環境/都市交通/都市環境/市街地整備/都市防災/景観形成。

・この項目が正しければ、これを所管するセクションに組みかえるべき。

5《行政と計画2》⇒土地利用計画をまもる責任。
・英国は、town and country planningのために環境省ができた。

・韓国は体系的に法律整備を行った。

・英国や伊国はplannerが体を張って計画を支え、個人で訴えられることにより制度が確かなものになっていく。

・日本の現状は、だれでも身を切ることがないような業務となっている。

・個人に体を張れというと、きっとplannerになる人はいなくなる。

6《分権の進め方》⇒地方分権は住民のためになるか。
・今、すべての市町に権限を移すことが住民のためになるか。

・市町に権限を移す準備はどのように進められているか。

・分権を円滑に進める責任は権限を受ける側より移す側にある。


■蓑原氏から難波さんへ

1。分かりやすい計画体系
 全くその通りです。今の体系が分かりにくくなっている原因は下記のように幾つもあります。それを根本的に直すには、地域主権化しかありません。

 1)国の事務官僚は、法令を秘儀化して自らの専門的立場の優越性を確保したがる。

 さらに、内閣法制局という組織が、立法時に法令の細部に渡って介入する。法的な整合性だけではなく、実態論的な判断にまで介入する。従って、立法化の過程で実効性を失ったり複雑化したりする可能性が高い。今後の方向は、実態論的な側面は、現場で判断するという観点から、極力、法令ではなく、基礎自治体の条例で決めるようにしたい。ただし、同じような問題が自治体の法務官僚との間で発生する可能性が高いので、その点は注意する必要があるが、国のレベルとは違う力関係が働くので、大きく変わる可能性があると信じている。

 同じ流れとして、国の法令は、同じ内容を持つ条文の繰り返しを作らないという原則で書かれている。従って、関連条文を理解、参照した上でしか、条文が読めないという極めて咀嚼が難しい書き方の美学に貫かれている。例えばアメリカの条例では、必要に応じて繰り返し条文が書かれ、当該場所を読めば、一応の理解が出来る構造になっている。(もちろん、重複条文の間の優先順位を明確化しておく必要があるが)。条例化することになれば、市民に分かりやすいアメリカ型の条文の書き方になっていくだろうと期待する。

 2)縦割りの法令間の関係が複雑で理解し難い。

 例えば、同じ都市デザインを考える上でも、国の縦割りの結果生じている計画関連法体系が複雑で内部矛盾を抱えている。例えば、都市計画法、建築基準法、景観法の間にある価値観の不整合が生じているだけでなく、その他個別の公共施設の管理法(道路法、都市公園法、市街地事業関連法、道路交通法など)の実体規定を包括的に理解できないと、現場では収まらない。そこで、国においては厳然として存在するこのような縦割り間の亀裂を、分権化、条例化によって単純化、総合化できると信じている。当然、今は抵抗して改正されていない個別の管理法体系を、地方自治法の精神に基づいて廃止、改正する必要があるし、自主財源の強化や一括補助金化によって、財源的にも分権化が図られるべきだし、それに伴って、国と地方自治体間の公務員の再配分、再配置が必要不可欠である。

 3)法制度が、高度成長期に築かれ、生活優先ではないし、機関委任事務時代の手続きを引き継いでいるので、民主的な、市民参加型の手続きがないまま、許可、確認などの行政行為を起こす必要がある。そこで、現場では必要に迫られて、手続き的な面に限る条例、要綱などによる補完をしている。また、生活上、文化上、街の賑わいなど法制面で弱い部門について、強制力を持たない条例、要綱などで補完してきた。このような補完的な仕組みの上にさらに景観法のように補完部分に関わる法令を作ると、ますます全体が見えなくなる。このような法体系が並列的な位置付けのまま置かれ、市民からすると全体の行政体系が全く見えない複雑怪奇な仕組みになってしまっている。これを分権化によって簡素化、単純化するのが不可欠である。

 結果として、理解しやすい構造になると信じている。

2。3。住民の「計画能力」
 計画とは、長期的、広域的、文化的、社会的な公正に関わる利害を合理的に調整する仕組みである。住民や短期的な任期しかない政治家には、本来的に「計画」よりは短期的、狭域的、実利的利害、力の強いものを優先する傾向がある。しかし、だからといって、賢い、清廉な官僚組織が政治や市民をリードするという神話を信じる人はもう居ない。とすると、学者を始め専門家が、常に長期的、広域的、文化的利害、公正の観点に立って考え、当面の計画に反映させる努力を積み重ねるより他無い。また、実際には機能するのが難しいが、審議会などの第三者機関を強化し、そこに賢くて清廉な専門家を送り込む努力を続けることも必要になろう。民主的な市民社会においては、専門家は、メデイアが自らの間で、計画的な議論を持続的に行い、市民に情報を届け、啓発するという努力が欠かせないだろう。ヨーロッパでは、計画の専門家の社会的、行政的な地位が極めて高く活安定しているが、それは、歴史的にエリート社会が成立し、今に到るまで社会的な強い基盤を持っているので、計画が尊重される。しかし、日本やアメリカでは、それが極めて難しいと思われる。計画や技術、社会的調整の専門家を業者として扱うのではなく、専門家として市民が敬意を払うようになるには時間が掛かるだろうが、地道な積み上げの努力しかないだろうし、避けては通れない道であろう。

4。5。都市計画の総合性とそれを担保する制度、仕組み
 上で述べたように、都市計画、土地利用計画など長期的、広域的な利害に関わる責任を誰がどう負うか、それを誰が支えるのかという基本問題を解くのは時間と社会的な経験の積み重ねが必要である。今の制度で一番悪いのは、計画という制度が、縦割り、ばらばらな上に、遠い霞ヶ関の官僚群によって支配されており、計画とその成果について、現場での合理的なチェックと制度転換へのフィードバックができない無責任構造になっていることである。少なくとも、計画を廻る制度を単純化し、意志決定を可視化できれば、責任の所在と判断の当否について、市民が評価できるようになる。今はそれが出来ないのだ。

 僕が提案するような制度(法令、財政、組織・人事)になっても、それが上手く機能するかどうかは分からない。日本における市民の政治的な成熟度や政治家、官僚の資質が新しい制度に馴染むかどうか、だれも確信が持てないだろう。だが、今の制度には合理的なフィードバックシステムが欠けていて、このままでは混迷のまま、乱雑で無秩序かつ浪費型の都市田園資産を作ってしまうことは、確信を持って言えるのではないか?選りすぐれた提案があれば歓迎するが、少なくとも、現状の方がましだとは到底思えない。

6。分権の進め方
 この点に関しては、僕はNさんの意見に真っ向から反対である。

「分権を円滑に進める責任は権限を受ける側より移す側にある。」などと暢気なことを言っていれば何時までも権限は移されず、日本の国土は荒廃の一途を辿るだけだろう。

 明治維新のとき、「移す側」に期待した結果が、天皇制の飛躍的な強化と天皇の官僚、ついには天皇の軍隊の肥大化を招き、国民は酷い目にあっている。この過ちを繰り返さないために、本当に歴史的に始めて民主的な市民社会に向けて動く可能性があるときに、主権を放棄して、自律的な意志決定能力を持つ民主的な社会への移行への意志を持たずに他力本願になるのは、間違っている。僕は、自治体から、地域主権革命を起こすべき時だと信じて疑わない。行きつ戻りつしながらも、政治的な状況自体、その方向へ大きく動いているのではないか?
 (今の、ひらがなの「まちづくり」は、革新自治体が作り出した思想であり、それに既に半分は載っているのではないか?)。


■難波さん返信

 蓑原 様。

 お世話になっております。

 要点筆記のような意見に、丁寧にご回答いただき恐縮しております。

 これを材料に仲間内、市町の連中とも意見交換してみたいと思います。

 「分権の進め方。この点に関しては、僕はNさんの意見に真っ向から反対である」について、小浦先生、元東北大の近江先生に投げかけた時も蓑原さんと同じ意見をもらいました。「権限を移せばそこからはじまるので、慎重にやるような配慮は必要ない、ちゃんとできる」という趣旨だと思います。

 県と市町の関係で幾分優位な立場にあるせいかもしれませんが、6日の議論でH先生が少しお話された点で、たとえば開発許可権が県にあれば市町は許可権者のせいにして対抗できるが、許可権を持つと地元有力者に対抗できないとか、有力営農者の所有する沿道の土地は簡単に農地転用がおりる、といった、例は適切ではないかもしれませんが、エンドユーザーである一般住民の利益を継続的に担保できるような権限移譲のセイフティネットを持ちながら権限を禅譲していくステージプランも「計画」の重要な部分を持っているのではないかということを考えております。

 ご活躍、議論の活発化をお祈りいたしております。

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