街の遺伝子記録
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「創造力」と「想像力」の方程式

 

 今日の基調講演でお話する事は、 冊子の「都市環境デザインを考えるヒント」という所にほとんど書いてあります。

 「創造力(クリエイティブ)」と「想像力(イマジネーション)」ということがよく言われますが、 これらは実態としては非常にわかりにくいものです。

 教育・学校関係の方はよく「想像力豊かな子供に育てよう」「創造力を身につけよう」と言われますが、 現状は本人もそれがどういうものかよくわからないまま話されている部分があり、 だから子供もよくわからなくて、 ちっとも想像力や創造力を身につけた子供が育たないという具合なのです。

 そこで、 例えばこのように考えたらどうかということで僕が示したものがこれです。


創造力の方程式

 実は、 全ての「創造」の根本を表すと「A+B=C」という簡単な式になるという結論に達しました。

 まず、 この「創造力(クリエイティブ)」の式というものは引き算や割り算ではなく、 多分足し算か掛け算だろうと考えました。 しかし掛け算だとすると「A×B=AB」となって、 Aの要素とBの要素が入ったものができてしまうことになります。 実は「創造」というのはそうではなく、 AとBを足すと、 AでもBでもない、 まったく新しいCというものが現われるという所がミソで、 それで足し算で表したわけなのです。

 よく「もし何の制約もなく無限のお金があればどんな映画を作りたいか」と聞かれるのですが、 これは物づくりを知らない人が言う事です。 少しでも物づくりを知っている人なら、 条件がないという状態ではなんにもできないという事がおわかりになると思います。 これは建築にも当てはまります。

 映画にもある程度の「目的」と、 劇場という「公表の場」があるのですが、 「こういう劇場でやるから、 お正月かお盆にやる映画を作って下さい、 予算はマーケットを考えれば2〜3億でしょうね」などとという所から、 じゃあ何を撮ろうかという発想が出てくるわけです。

 これを先ほどの方程式に当てはまめると、 A=「お正月またはお盆映画」、 B=「3億というお金」となり、 そのAとBを足す事によってC=「作品」が生まれるわけです。

 そういう意味で、 仮にA=「場所」、 B=「目的」とすると、 「場所」と「目的」を足す事によってC=「建築物」という形が決まってくるというのも、 一つの“クリエイティブ”と言えると思います。

 例えば、 いくらガウディが好きな建築家でも、 市役所や駅前の公共ビルの建築を依頼されたときにガウディみたいなものを建てないでしょう。 この場合にもA=「駅前(場所)」、 B=「それなりの予算」があって、 そのAとBを足す事によって建築家がどういうものを建てようかと考えるわけです。

 これ以外でも「場所」が駅前か郊外かとか、 「目的」がデパートか市役所か、 あるいは病院かとかいった要素が互いに合わさって建築物が建てられるのです。

 もし砂漠の真中に、 いくらでもお金を出すからあなたの好きな物を建ててくださいと言われたら、 建物というものは建てようが無いと思います。 中身として何が必要かとか、 そこに行くためのアクセスとか、 そういう事を考えることが「創造」であって、 砂漠の真中に好きな物を建てるという行為は決して「創造」ではないと僕は思います。

 映画も同じで、 「場所」は「映画館」、 「目的」は「誰が見るか」になります。

 見るのは子供か女性、 老人、 あるいは若いカップルかということがハッキリして、 そこに自分の作りたいものが合わさって初めて映画というものができるのです。

 例えば、 僕はゴジラ映画を2本撮っていますが、 シリーズ物というのは、 だいたいAがずっと決まっているわけで、 この場合は「ゴジラ」です。

 そうすると今度はBに何かを入れて新しいものを作るわけですが、 僕の撮った「ゴジラ対ビオランテ」では、 「遺伝子操作」を映画の中に取り入れました。

 これが割と客が入ったものだからまた作れと言われて、 今度もAは「ゴジラ」でBは何にしようかというときに、 隣の映画館で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が流行っていて、 あれくらいお客の入るものが出来ないかと言うことで、 ゴジラを「タイムスリップ」させるというシナリオを考えたわけなんです。

 またつい最近撮った「走れイチロー!」でも、 映画会社が話を持ってきた段階でA=「イチロー」で決まっていましたが、 Bが何かよくわからないわけです。 そこでBに震災から復興する「神戸の街」というのを入れたらどうでしょうと言うことで作ったわけです。

 さらにその前に撮った「ナトゥー・踊るニンジャ伝説」はウっちゃんナンちゃんのナンちゃん主演でインドで撮ったものですが、 これなどはA=「ナンちゃん」、 B=「インド」という両方の要素を向こうから与えられてスタートしました。

 このように、 僕達の「創作(クリエイティブ)」では、 AとBを足す事によってできる新しいCを追いかけていると言うことができます。


思考・知能の方程式

 さてそれで、 もう一つ「A=B B=C ∴A=C」という式があります。

 数学的にはおわかりだと思いますが、 実は“人工知能”も基本はこの式だそうです。

 これは以前、 人工知能の映画をやろうと思っていろいろ研究した時に知ったのですが、 実は人工知能というものは要するに「A=B」を沢山覚えさせて次に「B=C」を沢山覚えさせると「A=C」を勝手にどんどん創り出していくという、 簡単な仕組みになっているのです。

 これを“人間の思考・知能”に置き換えた場合でも、 例えば「冬は寒い」「寒いときは厚着をする」という二つのこれまでの経験から学習した事が頭に入っていると、 子供でも「冬は厚着をするものだ」と考えるわけです。

 それから「血を見ると怖い」と言う事がありますが、 これは皆さんが「出血したら死ぬ」という事を経験から知っていて、 また人間は元来「死ぬのが怖い」と思っているものなので、 それでこういう経験と学習した事が頭の中で結びついて「血を見ると」すぐ「怖い」となるのです。

 このような思考や感情の動きが瞬時にして起こるのが“人間の知能”というものなのです。


想像力の方程式

 さてここからが僕のオリジナルなんですが、 「A=B B=C ∴A=C」という式があります 。

 この場合BとBは違うものですが、 人間はこの場合でもすぐ「A=C」と考える事があります。

 式の途中に「B=B」が入ればこの式は間違いなく成り立ちますが、 それがなくても考えられる所が“人間”と“人工知能”の違う所であり、 それこそが「想像力(イマジネーション)」なのではないでしょうか。

 例えば「若い人は健康だ《A=若い、 B=健康》」という事は経験と学習からなんとなく皆が知っています。 そしてもう一つ「希望は前途洋洋である《B=希望、 C=前途洋洋》」という言葉は広辞苑にもあります。 ここで「B=B」のところに人間にしかない想像力が働いて、 「健康」と「希望」は言葉は違うが同じ様な意味なんじゃないかと考えることができると、 「若い」事はなんとなく「前途洋洋だ」となるわけです。

 それから「若いというのは未熟である《A=若い、 B=未熟》」という言葉と「不安は危なっかしい《B=不安、 C=危なっかしい》」という言葉も辞書に載っていますが、 これもよく見ると「未熟である」と「不安」とは同じじゃないかと想像することができます。 そうすると「若いと危なっかしい」という一つの考え方が出てくるわけです。

 この式を我々のやっている映画にあてはめてみます。

 まず「映画《A=映画》」とは何かというと、 これは自信を持って言えますが「表現《B=表現》」です。 それから「人生とは生きる事《B=生きる事、 C=人生》」、 これは当り前です。

 とすると、 ここで「B=B」、 つまり「表現とは生きる事」あるいは「生きる事は表現である」という事が成り立つならば、 「映画とは人生である」という結論が導き出されます。 これはしばしば使われる言葉です。

 この「生きる事は表現である」という文学的な、 ちょっと飛び越えた考えを深めて行くと「B=B」というものが何となくわかってくるのではないでしょうか。

 これこそが人間の「想像力」なのです。 その「想像力」を持ってすれば、 「映画とは人生そのものである」と考えられるわけです。

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