前田(学芸出版社):
映画を撮る場所が決まったとき、 そこの状況や歴史を読みこんで想像を膨らませるのですか?。
大森:
函館の街に関して言えば歴史とかいうよりもまさに直感で、 ビジュアル先行でした。 今はデフォルメされていますが、 当時は本当に歩けど歩けどレンガが続くといった感じでした。 レンガの上に裸ネオンをつけると良く似合うというのは、 皆が考える事なのか、 現在の街もそのようなモチーフになっています。 僕も撮影所中にネオンを持ってあちこちに付けた記憶があります。
もう一つ映画には面白いところがありまして、 こういう風に飾って街をつくる他に、 映画の「編集」という技術を持ってすれば遠く離れたいくつかの場所を一つの街にする事ができるのです。
外国人の監督はわりと地図を無視して簡単に別々のところをくっつけたりします。 例えば大阪を舞台にした「ブラック・レイン」という映画では、 大阪の心斎橋を抜けて行ったら神戸の元町通りの交差点に出てしまいます。 我々日本人、 特に神戸っ子は「え、 なんで大丸の前に出てくるの?」となるのですが、 世界の人は驚かないでしょうし、 それが映画的にはすごく良い空間なのです。
僕も以前「大失恋」という遊園地が舞台の映画をつくったときに、 一つの遊園地に全ての要素がないので、 五つくらいの遊園地をつなぎ合わせて、 あたかも一つの遊園地のように見せました。 八景島シーパラダイスから歩いていくと、 六甲にあったAOIA(アオイア)に出るといった具合でした。 映画というのは衣裳と登場人物が繋がっていたら同じ場所に見せることができます。 メリーゴーラウンドも良いものがなかったので5、 6箇所合わせて撮りましたが、 映画では一つの場所に見えます。
これは現実の世界ではできない、 映画の中での街のつくり方の一つです。
井口(京都造形大学):
僕達は建築という仕事上、 場面をどうしても3次元の空間としてイメージして考えますが、 映画は最終的に2次元で表現されるので、 場面を考えるときは「こういう場面《絵》が欲しい」という感じで2次元で空間を捉えられるのでしょうか、 それとも僕らと同じように3次元でイメージされるのでしょうか。
実は「不夜城」という映画の新宿のシーンで、 舞台デザインの担当者が「あれは完全に3次元で作った」と語っていたのを雑誌で読んで大変感心したのですが。
大森:
映画では平面図で打ち合わせしたりもしますが、 基本的には平面図から起こした立体的なものをアートパートに描いてもらって研究します。 もっと言いますと、 先ほどの函館の例もそうですが、 店の並びまで全部考えます。
なぜかというと、 映画は虚構の建物を創ると同時に、 虚構の「街の生活者」も動かすわけです。 どんな人物が街を歩いているかということまで考えるわけですから、 街の中のどこにどんな店があって、 どういう人が働いているかというところまで決めてしまうのです。 できれば立体モデルまでつくってCCDカメラで動かしてみたりします。
ですから、 3次元以上に、 生きてる街の「生活空間次元」まで考えるわけです。 そして撮影のときはおっしゃる通り二次元ですから、 そんなふうにつくったものから改めて場所の「絵」を切りとり、 その2次元の絵に対して、 例えば年代物の車を走らせるなどの小さな飾り付けをするわけです。 ここが映画製作の面白いところなのです。
しかし最近はCGなるものが出てきまして、 どんなふうに撮っても後でコンピューター上で勝手にいくらでも直せるようになってしまい、 便利なようで、 なんだかつまらなくなりました。
あの「不夜城」のシーンは、 本当にあの新宿の歌舞伎町のロケーションを一部つくっていますが、 そのとおりの街ではなくデザイナーのセンスでやや香港ぽい歌舞伎町を演出することで、 「こんな所あったかな?」と思わせるような空間を創っているわけです。
これはこれで映画の面白さですね。
映画の中の空間というのは本物の建築とは違い「誰もその中に入ることの出来ない」スクリーンの中にだけ存在する空間ですから、 そういう意味では今日のお話とはちょっと違うかもしれませんが、 「イメージ」という点では共通する所があると思います。
森川(アーバンスタディ研究所):
街の遺伝子と人間の遺伝子の二つのお話があったと思います。
先ほどの映画で言うと、 まず函館の街があり、 そこで育った人もそれなりに「函館の街の遺伝子」を持っていると思うのですが、 役者さんに対してそういう「遺伝子」を意識させるような演技の要望をされたのですか?。
大森:
まあ、 あまりしません。
この映画では函館としてではなく、 逆に「無国籍の街」として撮ったので、 やり方としてそういう事はあれこれ言いませんでした。
しかし別の映画で、 昨年福岡の商工会議所や行政が中心になって「ちんちろまい」という博多ムービーを作りました。
これは博多が舞台で全部博多でロケーションし、 出演者も全部博多出身者でやってくださいという事で、 武田鉄也さんをはじめとする博多出身の映画人・テレビ人を集めて撮りました。
そこで初めて体験しましたが、 博多出身の人が博多の街でやると意外と輝くのです。 「博多」という街が特別なのかもしれませんが、 博多の人が博多の街を歩くと「博多っぽい」というか、 先ほど言われたように「博多の勉強をしてきてください」と言わなくても博多なりの立ち振る舞いというものが随所に見られて興味深いものでした。
もちろん言葉の問題もありますが、 それを抜いてもまだなにか「その人の居場所の空気が街にフィットする」というのが感じられました。
横山:
ありがとうございました。
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