街の遺伝子記録
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ペンション経営で考える都市デザイン

都市プランナー 李有師

 

街の変化とペンション経営

角野

 李さんは南森町に住みながらペンションを経営される一方、 都市プランナーとして様々なまちづくりに関わっておられます。

 『ペンション』にはそもそも『年金』という意味があります。 ヨーロッパで「ペンションをやる」というと、 一般的には年金生活者がリタイヤ気味に生活を送るようになったときに自宅を開放し、 訪れて来た人を泊めてやることです。

 ところで、 私は27才の時に琵琶湖の志賀町ですでにペンションをやっていました。 当時最年少のペンションオーナーだったかも知れません。 そのころの志賀町は、 現在の南船場と同じような状況でした。 ウィンドウサーフィンが流行りだした頃だったので、 サーファー連中が集まってきて、 ぽつぽつとショップが増え、 人が人を呼んで街がリニューアルされていきました。

 その後結婚して子供が出来た8年ほど前、 大阪出身の嫁さんが「ネオンが恋しい」と言いだしたので、 大阪に帰ってきました。 「これからは街の時代だ」と思い、 天神さんの北側の門の前で敷地15坪、 建坪12坪のペンションを始めました。

 2人用の客室が5部屋であるので、 家族5人と合わせると最大15人が12坪の中でうごめいていますが、 建築基準法と旅館業法をクリアしています。 おそらく、 合法的に建てられた世界で最も小さなペンションだと思います。

 大阪に移ってからすぐに阪神大震災が起こりました。 APECがあって、 その次の年に消費税が3%から5%に上がりました。 そのころまでは従来型、 商都大阪の遺伝子を引き継いだような仕事を目的としたビジターが多かったように思います。

 その後、 会社が倒産したり、 出張が多い人は転勤をさせられたりして、 ウィークデーの固定宿泊客が消え去りました。

 えらいことだと思っていたら、 この春ユニバーサルスタジオができ、 プレオープンの頃から宿泊客が増え始めました。 今までとは違って、 関東を中心に若い女性が入ってくるんです。 この客層が何年か続くと思います。

 明らかに街のターゲットが変わってしまいました。 はっきり言って、 遺伝子操作の必要があるわけです。


都市デザインが目指す方向は何か

 今までフォーラムの話を聞いていて、 難儀だなぁと思いました。 商都大阪の脈略を受け継いだ層がいなくなって、 中国に生産拠点が全部移っているのに、 卸業がどうだと言ってもしょうがない。 商都大阪の遺伝子をひもとくことばかりやっていて一体どうなるのでしょうか。

 中之島あたりの一流ホテルに泊まると、 散歩が好きな外人さんは「どんなコースで散歩すればいいか」とフロントに聞きます。 フロントの係りは何の疑いもなく「中之島は大阪の表玄関で、 散歩するのにうってつけです」といいます。

 けれども、 実際に大阪市役所から東に向かって歩くと、 ホームレスが日中に裸でシャワーを浴びているという風景を見て帰ることになる。 これが今の大阪の実態です。 誰を顧客ターゲットにするかを考えたとき、 どのような都市デザインがあり得るのか、 起承転結があったうえで都市デザインを考えて欲しいのです。

 船場エリアを考えるときに、 北の淀屋橋エリア、 南の天王寺エリア、 西の大阪ドーム、 東の大阪城など、 周辺部との関係性が大きいと思います。

 ユニバーサルスタジオには、 毎日3万〜5万人のお客さんが入っています。 ここに遊びに来るお客さんは、 テンションがものすごく上がっています。 そのテンションで大阪を見たいというニーズがはっきりとあります。

 ユニバーサルスタジオが目的で私のペンションにきたお客さんに南船場を紹介すると、 「面白い。 こんな街があるんですね。 私も商売したくなってきました」と言って帰ってきます。 このような現実から都市デザインはどこに向けられるべきかを考えていただきたいと思います。

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