街の遺伝子記録
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ショップデザインからはじまる
まちづくり

インフィクス 間宮吉彦

 

盛り上がる街への関心

角野

 南船場や堀江で「あ、 いいお店だな」と思ったら、 たいてい間宮さんが関わっておられる、 というくらい旬のデザイナーです。

間宮

 肩書きでは「インテリアデザイナー」とか「空間デザイナー」といわれますが、 要するにお店のデザインをしています。

 今年、 エルマガジン社から『間宮吉彦設計の店』という本を発行してもらいました。 予想外に好評で、 売り切れ間近だそうです。 これは、 現在お店や街に対して興味を持っている人がすごく多いからだと思います。

 以前の情報誌は、 映画や音楽、 アートなどの情報で成り立っていたのですが、 最近はお店の情報がいっぱい載っています。 一般誌でもよくお店の話題が取り上げられています。


点からストリートへ〜ミナミの発展

 実際には、 私が一人でお店の設計しているわけではありません。 一つの「店」という空間で、 自分のしたいことがあるオーナー、 例えば「こういう料理を出したい」とか「こういうものを売りたい」という考えがあるオーナーと組んで、 初めて人を集める魅力的な店が出来ます。

 それが人を呼び、 街を活性化していくのだと思います。

 70年代の初め、 今のアメリカ村は「心斎橋の外れ」と言われていました。 そこでアメリカから持ち帰った商品をガレージで売り出してみたところ、 人が集まってきた。 そしてまたアメリカへ行って商品を買ってきた。 こうしてアメリカ村が出来たんです。

 それに目を付けた企業が「あの辺で商売したら売れるんじゃないか」と入ってきました。 そうすると段々初めのポリシーがなくなって、 街が面白くなくなっていくんだけれども、 そのぶん街は発展して活性化していきます。

 そして約20年くらい経ち、 アメリカ村に居続けてきた人々にとって、 家賃は高くなるし、 街に来る年齢層も低くなってしまいました。 そこで、 当時家賃が安くて空き物件もあったアメリカ村の外れ、 南船場や堀江に場所を移しました。

 この時、 企業や行政ではなく、 一人のオーナーが、 自分のやりたいことを求めて一軒のお店を出したのです。 そうすると一つの点だった店が、 2軒3軒と集まって、 ストリートになって、 発展していく。 大阪のミナミではこういった動きがよく見られます。


南船場・堀江でのプロジェクト

 実際私が関わったプロジェクトをご紹介します。

リムカフェ
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リムカフェ
 南船場のリムカフェです。 事務所ビルを改装してつくりました。

 5年ほど前に、 アメリカ村で美容室をしていた人から「アメリカ村がいっぱいになってきて家賃も高くなったから、 南船場にお店を出したい」と依頼されました。

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リムカフェ
 初めは、 1階と2階を両方使って美容室をしたいというお話でしたが、 2フロアーに分かれると、 美容室としてかなり無駄が多くなります。 それに加えて、 味気ないビルのファサードをどのようにデザインするかを検討した結果、 思い切って1階をカフェにして2階に美容室をまとめることしました。

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リムカフェ
 美容室という入りづらい空間の入り口を、 カフェというパブリックな空間にすることで、 入りやすくしたわけです。 当時、 南船場は人通りも少なかったのですが、 このパブリックな店が誕生したことによって、 若い女性が増えました。

ラポビル
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ラポビル1F コズミックワンダー(ブティック)
 それから1年後、 以前からこの辺でお店をやりたい人を集めていたのですが、 事務所ビルが移転のために空いたので、 お金をかけずに一つの複合ショップに作り変えた例です。

 1階部分は以前駐車場でしたが、 ブティックに変えました。 もともとあった向かって右側の入り口を上部への動線にしています。

 2階部分は事務所だったので窓がありましたが、 それを塞いでグレーチングで覆って、 ライティングしました。

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チャロン(カフェ) 通路
 入り口の通路です。 ここは以前事務所の廊下だったのですが、 2階の床を抜いてトップライトをつけました。 これによって自然光が入り、 パブリックな雰囲気の空間をつくりっています。

 出来上がった大きな壁面をギャラリーとして利用しました。

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チットチャットチョット

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チットチャットチョット
 この吹き抜けの空間を利用して、 2階にブティックを2軒つくりました。

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E&Y
 これは世界中の家具を扱っているメーカーの店です。 店として区切らずにパブリックな空間の延長として家具を置いています。

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チャロン
 ここは日本茶と中国茶をサービスするカフェですが、 ここでもお店を区切らずにカウンターを置きました。

 当時小さな店がたくさん出来はじめていたのですが、 ここまでお店がまとまった施設はなかったので、 南船場を個性的な街として位置づけた建築だと思います。

muse大阪
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muse大阪
 アメリカ村で活躍されていた日限萬里子さんの依頼で、 物件探しから関わったmuse大阪です。 アメリカ村は人が多くなってきたし、 ゆっくりお茶を飲めるカフェを堀江につくりたいということでした。

 堀江公園の前に30坪のちょうどいい土地が見つかったのですが、 すでに7階建てのテナントビルが計画されていて、 図面も完成していました。 「今のままじゃつまらない。 一軒の店を考えるのではなく、 エリア全体を考えないと街は活性化しない」と、 日限さんが地主さんに交渉した末、 計画をとりやめてもらって、 このカフェをつくりました。

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muse大阪
 1階は、 人が気軽に集まれるような吹き抜けの空間をつくって、 カフェにしました。

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muse大阪
 2階は、 大阪の若いアーティスト達に解放するという目的で、 小さいながらもギャラリーにしました。

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muse大阪
 3階は、 若い人だけではなくいろんな人が集まって語れる場として、 サロンをつくりました。 この店の誕生があって、 今の堀江の発展があると思います。


個人オーナーがまちづくりのきっかけ

 店をつくるとき、 私たちはあくまでサポートする側です。 まちをつくっていくきっかけは、 1人とか2人のオーナーがつくりたいものをつくろうとするところから生まれます。 そうやってひとつの店が人や街に刺激を与えて、 そこから新しい文化が生まれて、 街の遺伝子に発展していくと思います。

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