街が元気になる素として何に注目すればいいのか、 再度提案してください。 プレゼンテーションに対する質問でも結構です。
李:
最後にプレゼンテーションをされていた藤川さんに質問です。
「南船場の休日にトラブルがある」というお話しがありましたが、 平日はビジターがいないからトラブルがないけれど、 休日は入ってくるからトラブルがあるという意味ですか。
藤川:
ガーブ店長の津田さんからのご意見でした。
平日からそこで働いている人や近くに住んでいる人達は、 南船場なりのルールをちゃんとふまえて街を使ってくれている気がするけれども、 土日に雑誌片手に観光気分で来る人は、 ルールを知らずにトラブルを起こすことがあるということでした。
李:
このエピソードに大阪の問題が表れていると思います。
大阪はある程度知っている人じゃないと分からない上級者コースの街なんです。 海外の街は、 旅行者にも一目でわかるように考えられています。
ビジターを受け入れようと思ったら、 初心者にも分かるようにデザインしないといけないのです。
増井:
ビジターを大切にするまちづくりは重要だと思います。 先ほどご紹介した江戸時代の大阪の面白い町家の話も「大阪に来たらこんなおもろいもんがありますよ」という紹介の文章でした。
船場は「この街はこんなものだ、 ここを見て欲しい」という上手なプレゼンテーションがむずかしい街です。 良いか悪いかは別にして、 繁華街型の人も来るし上級者型の人も来ます。 間宮さんの作品集を買われれる方とるるぶを買う人は段々重なりつつある、 その辺が李さんの言いたいところでしょう。
間宮さんのお話のように、 アメリカ村ができるまで、 心斎橋の向こうはなかなか発展しませんでした。 ところが、 ここ数年の間に堀江や南船場など御堂筋の西にどんどん動くようになったという時代の流れがあります。 街にパワーがある感じがします。 今後は、 いつまた御堂筋の東に展開してもおかしくないと思います。
ひとつ気になるのは、 街が新しく展開していくときに、 遺伝子の存在とどう関係するかということです。 例えば、 北浜に新しく店ができていくときに、 堀江や南船場と同じようになって面白いかというと、 違うと思います。
角野:
間宮さん、 次に面白くなりそうな街のにおいというのはあるんですか?
間宮:
都市の魅力は、 変化することだと思います。 変化を確かめたいから、 みんなが何度もやってくる。 変化しうるエリアをもった街が発展していくと思います。
アメリカ村と南船場の間に、 クリスタ長堀があります。 すごくいい場所にあるのに、 みんなの頭の中にクリスタ長堀はありません。 たくさんお金をかけてつくってあって、 初めて行くとすごくいいけれども、 次に行っても変化がないことが分かっているからです。
南船場や堀江は、 1週間行かないとまた新しい店ができていたりして、 どんどん変化しています。 それが楽しい。 ブティックに行ったら偶然横に美味しいうどん屋さんを見つけた、 これもまた街の楽しさだと思います。 単純にポイント的に店をつくるだけでは街は発展しないと思います。
角野:
街の変化というと、 雑貨店や飲食店などの小売業はどんどん寿命が短くなっていますね。 あえて変化を売りものにしているのかも知れませんが、 果たして街に良いことなのでしょうか。
増井さん、 近世はどれぐらいのスピードで変わっていたんですか?
増井:
ある文書によると、 京都都心部の六角町では30年あまりでお店が余所の街に移っています。 おそらく大阪はもっと早いスピードで移動していたと思います。
人は動いているのですが、 街の特徴や個性は変わらないのが近世のパターンでした。 「場か人か」というと、 場の遺伝子が勝っていて、 人がそれに合わせていたんです。
一つの店で見ると、 裏長屋から店を起こして、 筋に店を構え、 表通りに出て、 最後は堺筋本町の角に本社を構える、 そしてまたどこか余所の街に出ていく、 このようなダイナミズムの中で変化していました。
角野:
近世の京都で30年スパンで変化しているのだったら、 現代の大阪でもっと早くて当たり前ということですか?
増井:
僕は構わないと思います。 ただそこで、 その街の持っている個性を考えないと、 南船場のお店が北浜に移って駄目になるということにもなりかねません。
間宮さんが言われたように、 街に新しく人が入って新しいものをつくっていくことは、 とても魅力的です。 南船場や堀江は成功している例だと思います。
近藤さんは、 それが画一的な結果になってしまう恐れを指摘されていると思います。 新しい店のインパクトで街ができていくとき、 地になる場所と、 デザイナーとのコラボレーションが問われている気がします。
二者択一の問題ではないのですが、 歴史的環境を保全する立場から考えると、 「変化も大事だけど、 場所の個性も大事じゃないか」という気がします。
街の遺伝子とは何かと考えたとき、 第1に元オフィスや元倉庫がレストランになっているように、 ハコ自身が持っているポテンシャルが考えられます。
それから、 第2に実際にそこで店主として経営したり、 デザイナーとして関わったり、 あるいは土地のオーナーとして土地を安く貸したりといったような、 人のポテンシャルもあります。 この他にも、 街の力を高めていくために注目したり大切にしなければならないことがあったら、 教えていただきたいのですが。
近藤:
島之内は色街とか芝居村が近くに多かったので、 活気のある派手な人達がいたと考えられます。
船場というと、 商家の出身で落ち着きがあって地味だけれども、 やるときはやるような人達がいたように感じます。
大阪にはいろいろな街がありますが、 それぞれにふさわしい感性を持った人が仕掛け人になってくれると良いですね。
増井:
船場は広いエリアなので、 遺伝子の捉え方が難しくなっていると思います。 昔は同業者町ごとに遺伝子がハッキリしていて分かりやすかったのですが、 今はほとんど区別がなくなっています。
都市デザインプランナーに求められているのは、 京都だったら格子窓にするといった表面的な都市イメージではなく、 その場に隠れている遺伝子を読みとることではないかと思います。
間宮さんの作品は、 ハコの使い方が上手いし、 街の遺伝子を捉えているから成功していると思います。
近世の大阪は今ほど交通手段が発達していなかったので、 短いスパンでお店を移動することは大変だったと思います。 それを支えるフィジカルなシステムとして、 建具や畳のサイズを共通にする裸貸システムがありました。
また社会的なシステムとして、 お町内が移転者の受け皿になっていました。 お町内にそれなりのお金を払えばそこで事業展開が出来て、 社会的地位もサポートしてもらえました。
今はそういうシステムが整備されておらず、 船場も堀江もキーパーソンが個人的な力で補っておられるような気がします。
ハコの話で確認したいのですが、 もともとオフィスや倉庫として使っていた建物は、 新しく商売をする人、 あるいは設計する立場にとって、 魅力があるものなんですか?
間宮:
僕がこういうこと言ってたら駄目なんですけど、 そんなに難しい問題ではなく、 まずは安いということだけでしょう。 安ければいろんなことが出来ます。
僕が6年前に南船場に事務所を借りたとき、 ビル1棟35万円、 坪1万円でした。 今年西本町に引っ越したのですが、 坪4千円くらいで借りられました。 そうすると事務所のスペースは倍になります。
自分のやりたいものに本当に自信があれば、 少々街外れの安い場所にショップを構えても、 店自体が魅力的だから人が来ると思います。
角野:
人気が出るとどうしても賃料が上がりますよね。 実際、 南船場も堀江も上がってきているんじゃないですか?
間宮:
そうですね。
角野:
李さんのペンションは、 昔はすごくお得だと思ったんですが、 最近とても安いホテルが増えてきています。 そうなったときに、 魅力を維持し続けるにはどうすれば良いんですか?
李:
街と懇ろにならないと、 しょうがないですね。 何とかしてシステムを考えないといけないと思います。
最近特に「一定の約束事に包まれている感じがしたら嬉しい」という傾向があります。 それをコミュニティと呼ぶのであれば、 シビリアンコントロールの在り方を考えたとき、 人はどう住まうことが出来るのでしょうか。
東京はいろいろあると思いますが、 大阪はみんながニュータウンに移住した時代から、 新しいパッションが出てきてないので、 今回の船場のムーブメントを大きく花開かせてもらいたいと思います。
角野:
住まうというお話が出ました。 ワークショップでも、 住まうことの重要性について提案がありました。
実際に都心に住むと便利だし刺激があるけれども、 変化を受け入れながら、 なおかつそこに住む難しさがあります。 昔話がちゃんと出来るように、 ある時代の体験や風景が固定されなければいけません。
どんどん代わっていくものを受け入れる一方で、 安定することの調整が難しいと思いますが、 その辺についてどうでしょうか。
李:
地方自治の仕組みが変わらざるを得なくなってくるので、 自治会に対する行政の在り方についても本格的な動きがあると思います。
間宮さん、 堀江や南船場でお仕事をされるときに、 そこに住んでいる人達と問題があった、 あるいは応援してもらったことはあるんですか?
間宮:
直接的ではないですが、 どちらかというと反対されます。 住んでいる人は外部から人がやってくると、 自分のエリアを侵されていると感じるようです。
本当は一緒に街をつくっていけばいいと思うのですが、 やはり拒否されてしまいます。 去年、 先ほどご紹介したmuse大阪の前の公園で、 パブリックアートを展示しようという話がありました。 ベンチや犬小屋、 ブランコなどをみんなにデザインしてもらって作品を集め、 公園協会にもきちんと手続きをしたのですが、 結局地域の方に反対されて店内に展示することになりました。
「アメリカ村のようになるのが怖い」という意見が第一でした。 いくら反対しても来るものは来るし、 あっちのパワーの方が強いからいずれアメリカ村みたいになる。 だから今のうちにお店のオーナーと一緒になってきちんとしていけば、 何とかなるかも知れない、 そうお話ししましたが、 その時点では受け入れられませんでした。
角野:
増井さん、 歴史的に見ると、 もともとそこに住んでいた人達と新たに入ってくる人の間に、 何かルールはあったんですか? 当時は職住一致でしたから、 必ずしも『住む』と『商売』を分けて考えられないと思いますが。
増井:
歴史を見ると、 うちの町内にこの業種は駄目とか、 初めからそこに入れないようなルールがあったんです。 業種が合う場合は、 何らかのお金をお町内に渡しさえすれば、 すんなり入ることができました。
大阪では約9割が借家の住人でした。 借家人は、 お町内に対して発言権はないけれども、 お町内からも何も言われないという気楽な立場で、 どこのお町内もそうだから、 みんな気楽に新しい街にいって商売をすることができました。 最低限のルールを守ればいいというフランクなところがあったと思います。
不動産を取得すると、 間口がこれくらいだったら町会費はこれくらいだとか、 がんじがらめのルールがあって、 難しい部分がありました。
角野:
オーナーの立場が重要になるわけですね。 現在の南船場や堀江でも、 オーナーが「土地を遊ばせておくよりはいいか」とか「面白いことをするなら協力しようか」とか、 受け入れてくれているところに面白い店ができています。
こういう状況が続いて、 賃料を上げられるような評判がたってきたとき、 今の動きが一気につぶれてしまう心配はあるんでしょうか?
李:
先ほども触れましたが、 都心居住のムーブメントをどう起こすかが重要だと思います。
例えば、 御堂筋沿いの大阪ガスビルをスケルトンインフィルで全部住居にする。 大きな会社が、 都心に人が住んでも良いことを社会にメッセージすることによって、 大きな変革が起きると思います。
終身雇用制が崩壊した今、 通勤時間に何時間もかけることが自分の将来にとって良いことなのか、 それとも都心に住んでチャンスを見つけて新しい就業機会を自力で確保するか、 ということをみんなが考えていると思います。 その時に基盤となるものが、 はたして今の大阪の街にどれくらいあるのか疑問です。
街の魅力を高めるためのシステムについて、 具体的な提言を頂きたいと思います。
近藤さん、 日本全国を見て、 船場に使えそうな有用性あるシステムはありませんか?
船場ビルディングは素晴らしいですね。 「あそこでイベントをやったり住んだりしたらどんなに楽しいだろう」とイマジネーションを掻き立てられます。
あのような伝統的建築の資源、 天井の高さや空間の広さを活かしたようなお店をどんどんつくって欲しいと思います。
もう一つは先ほども言いましたが、 同じようなテイストを持った人だけが集まるのではなく、 いろんな世代の人が集まれるような空間デザインを考えて欲しいということです。
盛り場の歴史を見ても、 いろんな年代のいろんなことを考える人達が一緒にいると一つの安心感生まれて、 それが重要なことだと分かります。
400年の間、 日本は東京を中心にして消費のピラミッドをつくってきました。 上から下へ『くだる』ものばかりをつくって、 『くだらない』街が出来てしまったと思います。 ここ2〜3年、 日本の都市ビジネスの集積地としてあらゆるものをつくり続けた大阪の街がもう持たなくなっていると、 天神さんのそばで住まわしてもらってつくづく感じます。
個人的なレベルでは、 私たちの年代の人が玄関先を掃いても気恥ずかしくないような、 コミュニティを共有している街になって欲しいです。
もう少し大きなレベルで言えば、 政府の都市再生プログラムで、 大阪は「北摂を生命科学の国際的拠点にすること」となっているようですが、 「船場の再生」も入れてもらえるよう、 大阪の財界や行政にしっかりと頑張って欲しいんです。
東京以外の全ての地方都市がどう再生していくかというときに、 船場の再生は非常に大きな意味を持つと思います。
遊ぶ場をつくっている側の人間からみると、 会社帰りにぶらぶら来る人達はそんなに深く考えていないと思います。 「あの街の歴史はこうだから行ってみよう」とかは、 まず考えていません。
一つの店や、 街全体を流れる『空気』を感じて、 とりあえず行きたくなるんだと思います。 美味しいものが食べたければコンビニで結構美味しいものが買えるし、 何か買いたかったら通信販売でもネットショッピングでも買えます。 わざわざそこに来て何をしているのかというと、 休みの日や会社帰りの余った時間を楽しく過ごしているんです。 その装置として、 店や場所がある。
もちろん僕は建築、 つまり天井や床、 テーブルやイスをつくっているんですが、 何をつくっているかというと、 『空気』を作っているんです。 それによって、 みんなに楽しい時間を提供していると考えています。 南船場はそうやって成り立っています。
何か来てみたくなるような『空気』をつくるには、 頭で考えるのではなく、 とりあえずここで何かやりたい人達を集めて土壌をつくってあげる。 そうすれば、 自然発生的に『空気』が出来ていくという気がします。
街を人とハコのポテンシャルで考えたときに、 ハコのポテンシャルは、 歴史的建物の再活用など、 分かりやすいし、 間宮さんのような質の高いデザイナーが活躍する場があります。 けれども、 人のポテンシャルについてはまだ改良の余地がある、 都市プランナーの活躍の余地があると感じます。
先ほど言いましたが、 現在大阪の街はどこに行っても遺伝子が分かりにくくなっています。 観察眼の鋭い方は『空気』を上手く捉えて建築作品をつくられるのですが、 街全体をどうするかとなると、 かなりの力量が必要だと思います。
歴史的町並み保全をやっている立場からいうと、 大阪のような都心であっても、 環境を読みとってそこにあった気風を計画に活かしていくセンスが必要だと思います。
移動のしやすさをサポートするシステムがなくなり、 街の移ろいを見続けているウォッチャーや語り部がいなくなっています。 世代間のタコ壺をつないでいく居住者が必要なのかなと思いました。
ディスカッション
ビジターを大切にするまちづくり
角野:
変化も大事だけど、 場所の個性も大事じゃないか
近藤:
街の力を高めるシステムは何か
角野:
安さの魅力と維持
角野:
都心に住まうことの重要性
李:
街の魅力を高めるための具体的提言
角野:
〈提言1〉建築資源を活用し、 多世代が集える空間をつくる
近藤:〈提言2〉都市再生プログラムに「船場の再生」を
李:〈提言3〉やる気のある人を集めて土壌をつくる
間宮:〈提言4〉世代間をつなげる居住者が必要
増井:
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