京都大学で文化系的観点からまちの研究をやっています。
李さんに質問です。 最後に「街を再生するに当たって、 行政に頼る」というようなことを言っておられた気がしたのですが、 どういうことですか?
李:
行政システムが変わってくるだろうから、 その中に新しい生活や新しい可能性を信じている人のチャンスの芽も出てくるんじゃないかということです。 「頼る」ということではありません。
みんな予定調和でやる、 何でもお金で解決するという仕組みでは、 この先どうしようもなくなると思います。 費用対効果の点から言っても、 参加型社会になっていかざるを得ないと思います。
篠原:
そうやって変化していく時に、 昔からの遺伝子を受け継ぐというお話がありましたが、 現在ある人間関係をふまえて変えていくべきということですか。
李:
そうだと思います。
お話を興味深く聞かせていただきました。 今は失業中ですが、 街をつくっていく気概は十分にあります。 印象に残ったことについてお話ししたいと思います。
船場は確かに人を集めていますが、 先住の方との隔たりがなくならない限りは、 根付いているとはいえないと思います。 けれども、 何かしら魅力があって人が集まってきているのは確かで、 そのインパクトを最初に大阪に与えたのは素晴らしいことだと思います。 若い人に限らず、 土壌さえあれば楽しい街をつくりたいと思っている人がたくさんいると思います。
私も、 直感的にその街の持っている遺伝子を察知して、 街をつくっていける人になれたらいいなと思いました。
間宮さんにお伺いします。
僕らのチームは船場の魅力について『セットバック空間』をキーワードに研究しています。 先ほどから人や業種の変化の話が出ていたのですが、 景観的な変化も一つの魅力だと思うので、 その辺をどう捉えておられるのか意見をお伺いしたいのです。
間宮:
南船場についてお話しすると、 今は2mの後退で計画されていますが、 歩いていて、 そのことに気がつく人は少ないと思います。
例えば、 アメリカ村と南船場の違いを一番感じるのは、 南船場は看板やサインが少ないということです(ただ、 今はどうなっているのか分かりませんが)。 南船場は自分の店をアピールするものが意外と少なくて、 店全体で存在をアピールしていると思います。 他の場所、 例えばアメリカ村や心斎橋へ行くと、 みんながよその店より目立つように看板を出し、 目立つような店構えにした結果、 ほとんど目立たなくなったという状況になっています。 通る人は店の前をただ通りすぎるだけです。
船場に出てきた店の場合は、 アメリカ村で育って自分のオリジナリティを表現したいという所から店のアピールの仕方が始まりました。 いつまで続くか分かりませんが、 今は自分の店に自信がありますので、 看板を出さなくても店全体で表現しているのが彼らのやり方なんです。 看板を前面に出さないからこそ、 通る人たちが「ここはどういう店かな」と興味を持ってくれる。 そんな店がある方が、 ぶらぶら歩いていても面白いと思います。
2m後退については、 通る人の視野も広がっていいと思っています。 ただ、 ご質問にあったように意識して看板を目立たなくしたというようなことは感じていません。
私は東京から大阪へ来て約2年になりますが、 まちづくりの仕事をしている篠原といいます。 出来れば4人にお答えいただきたいと思っています。
今日のテーマは「街の遺伝子」になっていますが、 大阪のフォーラムではだいたいが「古き良き大阪を振り返る」的内容が多く、 歴史や伝統に遺伝子を求める雰囲気があると感じています。 しかし私は古い大阪にこだわる必要はなく、 遺伝子をそこに求めるべきではないと思っています。 間宮さんのお話をうかがった限りでも、 昔の大阪にこだわった感じはなかったように思いました。 私自身、 どこに行きたいかと聞かれたら、 歴史を感じさせる場所ではなく、 今面白いところに行ってみたいというのが素直な気持ちです。
今日の前半では、 どうも歴史の中に遺伝子を求めているように感じました。 古い歴史を意識してまちづくりをスタートさせるべきか、 あまりこだわらずにまちづくりを進めるべきかということについて、 みなさんにご意見をうかがいたいと思います。
増井:
歴史が古いことと街の歴史性は別の問題だと思います。 東京のように街の歴史が新しい所では仕方のないことですが。
私は歴史性を古さと捉えるのではなく、 街の文脈、 つまり現時点での街の文脈として捉えたらいいと思うのです。 まちが出来上がってきたいろんな過程を、 環境デザインのソースとして使っていくのは当然のことですが、 大阪はその文脈がとても読みとりにくい都市です。 しかし、 そこを努力して読みとっていくのが大事だと思っています。
それと、 歴史性を感じさせるという形づくりは、 まちづくりの一つのオプションに過ぎないということです。 歴史の文脈を読みとる作業と、 歴史性を感じさせる空間の作り方は別々のものです。 間宮さんの作品はハコとして歴史的ストックを活用しているだけあって、 誰もそこで歴史性を感じることはないでしょう。 歴史を感じさせるとういうことだけが、 まちづくりではないと思います。
近藤:
私は今流行りの新しい空間も好きですが、 実は大阪の歴史や文化にもこだわっています。 大阪が育んだ町人文化や自治の精神で自分たちのまちづくりをしてきた気概や、 いろんなアイデアやひらめきを生んだ土壌、 いろんな人を育ててきた社会貢献の精神、 そんなもろもろを大阪のまちづくりに生かしたいと思っています。
李:
いま何人かの篠原さんから質問がありましたが、 私は篠原さんたちのように勇気を持って発言してほしいと思います。 私はこういう発言を伝統やらヘチマやらで押さえ込んできたのが近代の大阪ではないのかという気がします。 ですから、 そんな雰囲気にはどんどん抗うべきであると思っています。
司会:
えっ、 それが質問への答えですか?
李:
質問に対しては今二人の専門家が答えてくれましたから、 私としては今後も公共の場でどんどん発言する機会を増やしましょうと、 会場の人たちにエールを送った次第です。
司会:
なるほど。 では最後に、 間宮さんお願いします。
間宮:
私は今東京にも事務所を構え、 東京でのプロジェクトも何件か進めています。 大阪から東京へ行って感じることは、 このような和やかな雰囲気で話し合いながら事を進めていくことがほとんどないということです。 ないというより、 そんなことを考える以前に物事がいっぱい出来たり潰れたりしていくのが東京の時間の流れです。 こんな風にゆっくり喋れることは、 大阪のいい点かと思います。
大阪の歴史や文化について言うと、 私もとても好きです。 私自身も古い歴史のある堺という街で生まれ育ちましたし、 そういう背景は東京へ行っても仕事に生かせると思っています。
同業者もたくさん大阪から東京へ行っていますが、 大阪でたくわえた経験や商売の勘があると、 東京のビジネスでもけっこう成功しているみたいです。 ところが、 東京の同業者が大阪へ来るとなかなかいいものは出来ないんです。 いいものというのは、 ハード面のことだけじゃなく、 手がけた店舗が流行るかどうかも含めてです。
ですから、 私は歴史や文化がある方がいいかなと思っています。
先ほど岸田さんのプレゼンの時に紹介されました『林庄』の林と申します。 私の会社は船場で創業百年を迎え、 私で五代目になります。 南久宝寺町に生まれて、 今も船場に住んでいます。 その立場で考えると、 船場の街は大阪のど真ん中だからどうこう言う前に、 私の故郷だという意識の方が強いんです。 みなさんにもそれぞれ自分の故郷がおありだと思いますが、 その故郷をどう変えればいいのかというとき、 経済的な観点からのみ考えて欲しくないと思われませんか。 やはり、 私は船場を誇りと愛着を持って住んでいける町にしたいんです。
誇りを持つためには、 自分の街がどういう歴史を持っていたか、 どんな文化を育てたのかを分かった上で、 新しいファッションなどいろんな商売を考えていただきたい。 何も知らずに船場に来て、 ただ流行だから、 儲かりそうだからという理由だけで進めて欲しくない。 もし経済性のみを考えるのだったら、 今日の会場の歴史的な綿業会館も使い勝手が悪いからと壊されてしまうでしょう。 そんな考え方ではなくて、 もっと非合理的な考え方(小浦さんが前半で話された「遺伝子のジャンク」のような)も含めて、 まちづくりを考えて欲しいと思います。
僕は今、 堀江について研究を始めたところです。 先ほどサントリーの近藤さんから「文化のタコツボ化が恐ろしい。 街には居住者が必要だ」というご指摘がありましたが、 僕も居住者が変わりゆく街の中でどのように共存していくかに視点を置きながら研究を進めています。
間宮さんがされた堀江の話の中で、 「ここもアメリカ村化するだろう」というご指摘がありました。 この点について、 主に近藤さんにお聞きしたいのですが、 職住一致を進めるうえで、 一歩踏み込んだ方策にはどういうものがあるのでしょうか。
近藤:
職住一致の良いところは、 自分たちの街を大事にしようという気持ちが強くなるということに尽きると思います。
先ほど紹介した大須でも、 イベントをやる時は住民が中心になってやっています。 連盟会長にお話しを伺うと、 イベントの際にプロのコンサルタントを呼んでくることは殆どないということでした。
ただいろんな所を回っていますと、 まずいと思われる点に、 町内会長などの街の大御所がデンと座ってなかなか次の人に譲ろうとしないことが見受けられます。 例えば、 商店街でどんな活動をしているのかと聞くと、 各テナントからお金を集めてクリーン作戦をやるとかバーゲンセールをやるぐらいです。 そんなありきたりの活動だけではなく、 自分たちの知恵を集めて自分たちも楽しめる自治的な気概を育てることができれば良いのではないかと思います。
角野さんがパンフレットで「遺伝子とは乗り物を借りているだけで、 気に入らなかったら乗り物を捨てて、 よそへ行く」と書いています。 私は、 この商都大阪や船場の街の遺伝子、 つまり大阪商人の「根性」という遺伝子が大阪を離れて浮遊しているか、 もうなくなってしまったのではないかと思っています。
商人の遺伝子をもう一度グッとつかまえて、 大阪の船場へ戻すにはどうしたらいいのかをずっと考えていたのですが、 先ほどの林庄さんの五代目社長の話しを聞いて、 「あれっ、 まだ商人の遺伝子が残っているぞ」と一筋の希望を感じました。 私は船場の生まれではないものの、 北区末広町という生っ粋の大阪生まれ、 大阪育ちですので、 船場の話も親父から聞いてよく知っています。
結局、 遺伝子というのはそれなりのしつけをしとかないと、 どこかに浮遊してしまってなくなってしまうものじゃないでしょうか。 昔は、 家庭でもそうですが、 船場の小学校でも商人の考え方や行動の仕方というものをちゃんとしつけていたものでした。 ところが、 小学校が今や船場には一つしかなく、 しかも70人の児童しかいないという状況です。 しつけをすべき学校がもうないのです。
ただ、 船場で営業している会社は今でもたくさんあります。 そういう人たちがどこで育ったのかというと、 芦屋や箕面、 天理、 ひばりが丘なんです。 そんな所の小学校が、 大阪商人の教育なんてするわけがない。 結局、 商人のしつけをされてない人たちが増えるとともに船場がおかしくなってしまい、 今の大阪の地盤低下が極端になっていると思います。
しかし、 林庄さんのような商人がまだ存在している。 なぜ、 商人の魂を持ち続けられたかというと、 林庄さんが船場に住まいを構えていたからなんですね。 天三に住んでいる私の友人も未だにあそこに住みつづけています。 人を住まわせないと、 地域の遺伝子の継承は出来ないんじゃないでしょうか。
また、 もう一つ。 小学校、 中学校に商人のためのしつけを頼んでも無理ですから、 あとは大学に期待するしかないです。 大学および専門学校で、 まちづくりや商業道徳を教えていくしかない時代だと私は考えています。
最も一番効果があるのは、 林庄さんのような方が中心になって船場のこれからを考えていくことです。 自分たちのグループで活動を始めるのが一番いいと思います。 それに、 我々専門家も手弁当で協力していけたらと思います。
有り難うございました。 「住まう」ということがやはり大きな課題として考えるべきことのようです。
さて、 まとめなければならない時間になったのですが、 その時間がなくなってしまいました。
普通のシンポジウムでしたら、 ここで「さあみなさん、 これから遺伝子探しをしていきましょう」で終るところなのですが、 専門家の集まりであるJUDIのまとめでそういう終り方をすることはできません。 そういう意味ではまとめられないのです。
まず、 「空気感」というキーワードがありました。 それは街を訪れる人にとって意識するものではないのでしょうが、 なぜその街に行ってみたくなるのか、 どんな空気なのかを分析すると、 その中には「遺伝子」的なものがあるのかもしれません。 だから、 注目される店(例えば、 「おっ、 この店はちょっとよそと違うぞ」と思われる店)、 元気付けられ刺激される空間が何なのかをもっと考えていく必要があると思いました。
それから、 都心にはいろんな要素が混ざりあっているはずです。 変化することが都市の魅力の大きな要素であると思います。 その変化が面白い方向に変化していくためには、 それを支えるシステムがいるのではないか。 そのシステムには、 街が持つべきシステムと、 ハコが持つべき可能性や力量、 それに人の問題があるのかと思いました。
また、 いろんな方がいろんなことをおっしゃっているのですが、 いろんなことをつないだりマッチングさせていく仕事、 例えばオーナーと新しい店をやりたい人の組合わせだったり、 新しく店をやるために入ってきた人とそこの住人との組合わせをしていく、 つまり離れた者同士をつなぐ仕事が重要になるのではないでしょうか。
午前中の大森さんのお話の中で面白かったのは実はそこでした。 実際には無関係な場所が、 映画の中ではつなぐことができるという話です。 まちづくりをそれに当てはめると、 主人公は実際にそのまちに住んだり、 働いている人ですが、 我々外部のものもつながると、 そこで何かができるかもしれないという気がします。
それと「分かりやすい伝えかた」というキーワードも出てきました。 それも必要になってくるなと思います。
また、 遺伝子の中にはジャンク遺伝子もあるということ。 純粋な遺伝子だけで街を作ると、 それはただのテーマパークになってしまうわけです。 いろんな混ざりものがあるからこそ普通の街になり、 いろいろ発見したり自分たちで組立てていく意欲が出てくるものなのではないかと思いました。 ですから、 ジャンクな遺伝子も決して排除していってはいけないという気がします。
他にもいろいろあったのですが、 最後に一つだけあげるならば、 船場を一つの舞台にして、 日本各地の都心(但し、 東京は除きますが)を元気付けられるような提案、 および活動がいるであろうということです。 都市環境デザイン会議としても、 手伝える部分はあると思います。
「遺伝子」というテーマを決める時点から、 みんなそれぞれ言いたいことがあるだろうし、 それぞれに理解の仕方も違うだろうという恐れを持ちつつ進めてきました。 まとめになっていませんが、 みなさんがそれぞれの立場で街を考えていくヒントになればいいと思います。
「遺伝子」というテーマは歴史や古いものにそれを求めるという発想で決めたのでは決してありません。 しかし、 それぞれの時代の様々な蓄積を見て活用できるものがあれば活用していくのは、 あながち間違いではなかろうと思います。 そう言えば大森監督のゴジラシリーズに出てくるビオランテも遺伝子操作から出てきたそうですが、 もう一回映画を見直そうかと思います。
質疑応答
街の再生と行政の関わり方
篠原(京都大学):
遺伝子を察知してまちをつくりたい
伊藤(フリーター):
景観的な変化の魅力
久保(大阪市立大学大学院):
古い歴史の中にまちづくりの遺伝子があるのか
篠原:
船場を故郷とする立場から「経済性だけで動いてほしくない」
林:
職住一致のまちづくりとは?
河辺(大阪大学):
商人の遺伝子は船場に居住することで継承される
有光:
まとめに代えて―印象に残ったキーワード
角野:
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