プレゼンテーション・船場
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ワークショップ2

伝える

 

     
    2001年9月19日(水)大阪産業創造館にて
    明石整峰さん(整峰バック工房代表/革職人/南久宝寺町1丁目)
    石黒良彦さん(石黒(株)社長/せんば心斎橋筋卸協同組合理事/久太郎町3丁目)
    北原昭代さん(仕出し料理店・せんば権鯛女将/博労町1丁目)
    林 利治さん(輸入雑貨卸(株)林庄社長/協同組合大阪久宝寺町卸連盟副理事長、 大阪問屋街活性化協議会副会長等/北久宝寺町2丁目)
 
 
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ワークショップ風景
 
 船場の発展の原点となったのは卸問屋である。 そこで、 問屋業を営む方やその周辺で商売をされている方による問屋街としての船場についての議論を行った。


問屋街(卸の集積)の成立

     
     江戸時代、 大阪は天下の台所として全国から大量の物資が集まる流通拠点であり、 自ずと卸しが商業の核をなしていた。
 
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大阪市の主な問屋街一覧表
 「船場は船が着いて各地へ物資を分配する集積地であり、 これが名前の由来のひとつでもある。 明治維新の借金棒引きで、 大商人の多くが一旦衰退したが、 その後再び商業地として復活してきた。 また、 戦争ですべてが焼けたが、 戦後の復興の中で、 商売を始める人の仕入先としては問屋しかなく、 再び大阪に人が集まってきて、 問屋街が形成された。 このように船場はこれまでもスクラップ&ビルドを繰り返してきた場所である」


船場の問屋街の現状

     
     大阪は歴史的に高い問屋集積を誇り、 その多様さは世界的にも例を見ない。 問屋は扱い品目ごとに個性ある街をつくり、 全国から仕入れに来る小売商に、 多彩な商品と情報を提供した。 しかし、 流通変革により問屋は存亡の転機を迎えている。
 
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問屋が軒を連ねる南久宝寺通
 「東京の卸業は地域の偏りがあるが、 船場は全国から仕入れに来ることが特徴である」

 「バブルの頃までは商人宿も多く、 賑っていた」




     
    せんば心斎橋卸協同組合
    • 平成元年時点、 繊維業75社、 非繊維業36社、 現在、 繊維業52社、 非繊維業51社
    • 繊維業のうち小売をしない店は減少(卸のみは15軒前後)し、 非繊維業では飲食業が増加
    • 非繊維業も準会員で加入。 準会員は会費が半額であるため、 結果として組合全体の会費収入は減少
 
     
    協同組合大阪久宝寺町卸連盟
    • 昭和32年の南久宝問屋連盟が前身、 昭和37年協同組合化、 高度経済成長期に成長、 現金卸問屋は最大230社、 現在は114社と半減
    • 卸売業組織であり、 小売店は加入できない
 
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廃業した店が目立つ(南久宝寺町)
 「現在、 毎月倒産が出ている。 90年頃までは会員企業から倒産がでるようなことは誰も考えていなかった。 また、 文化面での衰退もおこしている」

 「繊維卸の問屋街としての機能のみではなく、 小売商店街としても成り立っている。 卸組合としても“卸”の看板をどうするかの岐路にある」


問屋街の衰退の背景

     
     中小卸問屋の得意先であった小売店が流通改革の中で減少している。 特に地方都市での中心市街地の疲弊は船場の問屋街にも影響を与えている。
 
 「バブルに浮かれて商売の原点を忘れてしまった。 不動産投資等により破綻した店も多い。 また、 商道徳がくずれ、 売れればよいという考え方の人が増えた。 問屋が小売を始め、 小売店の信頼を失った。 さらに、 グローバル化、 IT化により集積効果が薄れるとともに、 これに対応できる問屋が少なく、 努力を怠っていた。 そして、 人が住まなくなり、 地元を愛する気持ちがなくなった」

 「大規模店舗やアパレル直営店など流通の変化の影響が大きい。 商店街が疲弊し、 卸離れが生じた」

 「問屋なのに小売店に売れ筋情報を教えられないなど企業努力が足りない。 小売店を育てる努力をしてこなかった」


問屋とは? その可能性

     
     では、 問屋に将来の可能性はないのであろうか。
 
 「問屋=卸ではない。 米問屋はあるが、 米卸はない。 卸すということは問屋の機能の一つである。 問屋とは売り手と買い手をつなぎ商品を売る商売であり情報業とも言える。 売り手は産地でもメーカーでも中間業者でもよいし、 買い手は小売店でも消費者でもよい訳である。 一方、 卸売業は産地・メーカーから商品を調達し小売業に流す、 問屋機能の内の卸機能に特化した業態である」

 「私の店のホームページに新規登録する人が増えているなど、 新しく商売をはじめる人が増えている。 大手が相手にしない信用のない人が仕入れる先は現金問屋しかない。 船場は現金を持っていれば仕入れができる街であると言うアイデンティティがある。 問屋は便利な機能であり、 決して無くなることはない。 小売店の仕入れ機能、 産地の出荷機能、 両者へのアウトソーシングのプロであれば必ず生き残る」


地域の状況

     
     南船場など周辺の街の変化に伴ない、 治安の悪化が問題となっている。
 
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南久宝寺の現状図
 「夜遅くまでたむろしている者が増え、 夜の1人歩きは男性でも危険になっている。 組合にて街灯を整備するなどの対応をしている」

 「自動販売機荒らしが増えていた。 しかし、 最近は人通りが増えて、 減少し始めているらしい」



     
     堺筋より東側の区域では再び住民が増えつつあり、 街にも変化の兆しが見られる。 しかし、 町内会を中心としたコミュニティはまだまだ弱体である。
 
 「地価が下がりマンションが可能になってきた」

 「久宝寺でも老夫婦がいるし、 若い子が朝まで歩いていたり、 犬の散歩をしている人を見かけたり、 活性化しているように感じる」

 「松屋町より東は住みやすいし、 若い母親も増えている」

 「町内会はあるが、 ここに住みながら働いている人は少ないので商店街や町内会としての力が充分に出ない。 やはり近くに住んでいる気心の知れた人たちが普段から顔を合わすことが大切と感じる」


活性化へのアイデア

     
     廃業してシャッターを下ろした建物や駐車場となっている所も多い。 また、 夜は早くから人気がなくなってしまう。 こうした空間と時間を有効に使うことが考えられる。
 
 「閉まっている建物の前や内部をもっと有効活用するべきである。 アイデアはあるが金がない人のために、 そのスペースを活用できるようにならないか。 オーナーが柔軟になってほしい。 南久宝寺は歩道上にアーケードがあることが資産である。 夕方5時で問屋が閉めた後、 夜は屋台が並ぶ町になれば面白い」

 「空地の利用、 建物の利用については、 場当たり的ではなく、 まちづくりのビジョンが必要である。 さらに、 金を出してもらえるアイデアを練ることも必要である」

 「自分の店の前の歩道で、 朝市による生鮮品の販売をしたいと考えている。 周囲に拡がれば、 周辺に暮らす人にとっては、 とても便利になると思う」

     
     まちづくりにあたっては、 将来を見据えたビジョンの作成と適切な舵取りが求められている。
 
 「来年は卸連盟創立40周年の節目である。 派手なお祭りをするよりも、 これからのまちづくりを真剣に考える機会にしたい。 スクラップ化が進行している今がよいチャンスでもある。 やがて次の新しいビルドの動きが出てくるはず。 それをよい方向にもっていくためにも、 適切な舵取りが必要である」

 「問屋と小売とはハッキリと区別されるべき。 あいまいな店が多い。 問屋と小売店が混在して立地していることに問題はない。 まちづくりでは手を結ぶべきである」

 「南船場のようなショップが久宝寺へ進出してくる可能性もあり、 都市デザインが必要である」

     
     大阪の14の問屋街団体が加盟している大阪問屋街活性化協議会(おとく会)では、 問屋街の交流と回遊による活性化をめざして様々なイベントを実施している。
    大阪問屋街活性化協議会(OTK(おとく)会)基幹事業
      ○おもろいカー
       新大阪センイシティ、 道具屋筋、 船場センタービルなどを巡るバスを企画・運行。
       「クレイジーバス」へ発展
      ○秋の大阪ウイーク
       全問屋街の合同売り出し等連携事業のきっかけつくり。 将来的は全大阪的イベントに発展
      ○「問屋ナビゲータ」電子モール
       ITを活用した問屋街と市場・商店街との実務的連携を探る
      ○「週刊問屋」
       小売市場の空店舗への問屋の出前を行う
       新しい小売業との取引形態を見直すビジネスモデル
      ○「めちゃハピーコンテスト」
       問屋街と学生がタイアップ。 若いデザイナーの育成、 大阪文化の発信を行う
       年1回学生を中心として公募する
      ○「船場賑わいの会」の後援
       古典落語等のイベント開催を柱として大阪の伝統文化を温存し大阪に愛着を感じさせる運動
      ○インターンシップ
       現代版丁稚で問屋街の若返りをはかるとともに、 各大学との人的交流、 学生の就職活動支援を行う
      ○大阪メチャはぴー祭り関係
       イベントへの参加を通じて街の一体感を高め、 問屋街のレーン参加をうながす
 
 「問屋街を今後も船場のアイデンティティにしたい。 1年半前に発足したおとく会は、 問屋街のネットワークが拡大して、 顔の見える情報が交換されるようになったことが最大のメリットである」

 「“観光都市船場”へ行こうと思ってもらえるまちづくりが重要である。 そのためには、 北部は歴史と文化、 道修町は薬問屋、 中央は繊維問屋、 南部はファッションといったコンセプトも必要ではないか。 観光化のため、 船場の通り名の歌を作ってもおもしろい。 歌詞は残っているので、 曲を募集すればよい」

 「御堂筋から東へ人を流すためにも、 松屋町方面に集客力のある施設が整備されることを公共へ望みたい。 船場の中にコンサートなど人が集まれる場所を増やしていく必要がある」

 「御霊神社に儀式場があるので、 もっと活用しても面白い。 裏の美々卯からデリバリーしながらの集会なども企画できる」

     
     パブリック空間を再整備することにより、 住みやすい街に変えていく必要がある。
 
 「今は楽しい街ではない。 自転車が走りやすい街になれば便利で住みやすくなる。 また、 東横堀川に公園が整備されるとよい」

 「休日は南久宝寺を歩行者天国にしたいが、 警察は何も許可してくれないだろう」


さまざまな活動のネットワーク化に向けて

     
     今、 最も必要なのは、 活性化に向けた些細な活動や気の合う仲間の小さな組織を有機的にネットワーク化していくことである。
 
 「まずは誰が何を考えているかがわかることが重要であり、 情報が伝わりやすい仕組みが必要。 様々なイベントを行っていることも、 こうしたネットワーク作りの手段のひとつである。 まず、 知ってもらう、 知り合うことである」

 「何よりも“個”が重要と思う。 強いエネルギーを持った個人が存在の上に街全体に有機的な人のつながりが拡がっていくことが大切である」

 「議論を交わすことから始まり、 やがて運動が起こり、 行政を巻き込んでいく。 大きなものを整備するのではなく、 まずは手の届くところから、 地元の盛り上がりをうまく使い、 みんなが参加している意識、 身内感覚で街をつくっていくことが重要である」

文責:岸田文夫

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