しばらく前に読んだ、 『利己的な遺伝子』という本のことが忘れられない。 著者は生物学者のリチャード・ドーキンス。
彼の言い分は、 こうである。
生き物というのはすべて、 悠久の時を旅する遺伝子のヴィークル(乗り物)にすぎない。 遺伝子は自分のコピーを後世に残すために、 ヴィークルに、 子孫を増やすよう命令する。 個体は滅んでも、 遺伝子は受け継がれる。 個々の生き物は、 いくつもの遺伝子がたまたま乗り合わせたバスのようなもの。 遺伝子は、 安全で性能の良いヴィークルをさがし続ける、 という内容だったかと思う。
そこで、 僕にとっての「街の遺伝子」論は、 およそ次のようなものになる。
たくさんの利己的な遺伝子が街(ヴィークル)を取り合っている。 たとえば盛り場の遺伝子。 この2、 30年だけをみても、 若者の盛り場は変化し、 移動しつづけてきた。 難波千日前、 道頓堀、 心斎橋筋、 アメリカ村、 鰻谷、 ヨーロッパ村、 茶屋町、 南船場。
今の旬は、 堀江だろうか。 新しい流行スポットとして、 雑誌などにも取り上げられる。 家具の街立花通りは、 その一角。 老舗の店が多いが、 お客の嗜好の変化や、 郊外の大型店などに押されて、 苦戦気味のところも少なくない。
そこへ、 盛り場の遺伝子がもぐりこんできた。 悪いことではない。 知人の言によれば、 つぶれかけていた家具店が、 よみがえったともいう。
ところで、 大阪には近世以来、 いくつもの同業者町が発達してきた。 同業者町が大阪の都心を築いてきたといってもよい。 薬の道修町、 玩具の松屋町、 家電の日本橋に、 道具屋筋。 同業者町の活気は、 時代の変化に左右される。 栄える業種もあれば元気がなくなるところもある。 同業のゆえに、 時代の趨勢とともに街全体が一気に変わってしまう。 そこを、 盛り場の遺伝子が狙う。
だが、 同業者町にも、 それぞれの遺伝子があるはずだ。 それが、 よそ者の遺伝子に駆逐されるのだろうか。 街の遺伝子は、 新しい遺伝子と戦うこともあれば、 それを受け入れ、 ハイブリッド種を生むこともある。 長い間その街を牛耳ってきた遺伝子が衰えたあと、 潜んでいた遺伝子が息を吹きかえすかもしれない。
脳天気なアナロジーは慎むべきだが、 都心の変容をこのようにとらえた時、 ヴィークルとしての街は、 どんな条件を満たせばよいのだろうか。 ヨーロッパ中世都市のように、 都市が城壁で区画されていれば、 都心の位置と機能は理解されやすい。 しかし、 明確な境界を持たない日本の都市の場合、 都心の位置も機能も揺れ動く。
都市空間に慣性的傾向があることは論を待たないだろうが、 あまりにリジッドで固定的なシステムでは、 遺伝子は魅力を示さないだろう。
「都心」とは「みやこ」の「こころ」と書く。 「こころ」は当然、 揺れ動く。 揺れ動く「こころ」をつなぎとめるアンカーと、 多様性を受けいれられる都市システムが必要である。
そのアンカーとは、 2段階供給論でいうところのスケルトンなのか、 内部の改造を待ちわびる町屋なのか、 古い倉庫なのか。 そのシステムとは、 曖昧な空間を残しておける税制なのか。
もう少し考えてみた方がよさそうだ。
(この原稿は『大阪人』2001年8月号所収の短文を全面的に加筆修正したものです。 )
パネルディスカッションに向けて
遺伝子が生づくデザイン
武庫川女子大学 角野幸博
角野幸博(かどの ゆきひろ)
武庫川女子大学生活環境学部教授、同生活美学研究所教授。1955年生まれ。78年京都大学工学部建築学科卒業。80年同大学院修士課程修了。84年大阪大学大学院博士後期課程修了。福井工業大学非常勤講師、電通勤務などを経て、現職。工学博士。1級建築士。著書に『郊外の20世紀』\x(学芸出版社\x)『大阪の表現力』\x(共編著、パルコ出版\x)、『都市デザインの手法・改訂版』『駅とまちづくり』『都市のリ・デザイン』\x(以上共著、学芸出版社\x)など。
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