70年代のはじめ、 西海岸ブームが起こった。 多くの若者がアメリカから持ち帰った小物、 服をガレージや民家を改装して売りはじめたことからアメリカ村は生まれた。 30年たった今でもアメリカ村には多くの人が訪れ、 その流れは絶えることはない。 アメリカ村が心斎橋の町のはずれだったように、 南船場も今の堀江も町のはずれにあった。 それらは、 だれかが物を持ち込んだことにより、 あるいは一件の店の誕生により広がりを見せることになったのである。 アメリカ村や南船場、 堀江に限ったことではない。 町は常に揺れ動き、 変化し続けている。 永遠に変わらない町は存在しない。 町は、 変化することを宿命として背負っているのである。 そして、 その宿命は、 必ず人間の手によって達成される。 素晴らしい変化を遂げるか、 そうでないかは、 全て人間の為せるわざなのである。 もともと町はそこに住む人、 仕事をする人、 訪れる人の共同作業により変化することになる。 ただ、 私のような空間デザイナーは、 その中でも他より大きな役割を果たすことになると言わざるを得ない。 空間は確かに町の一つの要素である。 住む人、 訪れる人にとっては空間をとおして初めて町を認識することができるからだ。
町を見て歩くと一つの疑問を抱く。 敷地に対して効率的な形状で、 規制の高さ一杯に広々と建てられた町中のビル。 膨大な費用に相応しい立派な建物が出来上がる。 オーナーの思惑通りにテナントが集まるかと言えばそうではない。 中身はからっぽのまま。 空洞化が進んだビルを横目に一つ角を曲がれば路面にイスやテーブルを並べたままのカフェに人が集まり昼夜を問わず賑わっている。 なぜ、 こんなことになるのだろう?確かに完成されて立派である、 バランスもいいし、 新しく清潔だ。 けれど、 本来その土地に浸透しているはずの地域の特色、 独自の雰囲気、 人のリアリティが全く感じられない。 不特定多数を対象に商業ベースの安定を重視して建てられたビルは人々にとって使い方が見えにくいただの箱でしかない。 例えば、 形の整った野菜、 フラットに整備された道路、 ワープロで打たれた書体。 20世紀にもてはやされたのものは完成された美しさだった。 しかし、 整理された区画にバランスよく配置された地下の店舗より、 敷地の形も、 窓からの風景も、 その形状さえも変化に富んだ店に人が惹き付けられているように、 人々は今、 人工的でない『素』のままの形と存在に目を向けはじめたのではないだろうか。
人が求めている時代性、 地域性、 そして人に新たな刺激を与えるカルチャーが出会った時、 魅力的な空間が誕生する。 魅力的な空気は人を誘い、 さらに訪れる人と、 迎える人が刺激しあいながら2つ、 3つと空間が増え、 新しい店が肩を並べるころにはストリートが出来上げる。 気付くとポイントは一面に広がり新しいエリアと称されるようになる。
もし、 都心に遺伝子があり、 その中に『変化』という要素が込まれているなら、 空間デザイナーはその変化に大きな役割を果たすことになることはすでに述べた。 街も建築物も空間のインテリアもそこに人がいなければ始まらない。 刺激的な何かを探しながら、 心の癒しを求めもっと変わりたいと言う思いを秘めつつ、 永久に変わらないものが与える安心感も欲しい。 そんな矛盾した心境を包み込み、 感動を誘う空間作りに流行も様式もない。 そして、 空間は自然や社会、 建築、 ファッション、 アート、 文化、 すべてが渾然一体となったもの。 それらすべてと接点を持ち、 空間と時間に共存させることで気持のいい生活空間を創造し、 町に素晴らしい『変化』をもたらしたいと思う。
パネルディスカッションに向けて
都心の遺伝子
インフィクス 間宮吉彦
間宮吉彦(まみや よしひこ)
1958年生まれ。インテリア・建築デザインオフィス INFIX(インフィクス)代表。
様式や主義にとらわれず、時代が欲するムードをかつてないスペースとして表現することにこだわる。ミュゼ大阪、ノースクラブ、Pannamなど、話題の飲食店から、アクアガール、ドゥニーム、デコラといったブティック、クラブ、ライブハウス、美容室とあらゆる業態をこなし、常に若者達の圧倒的な支持を受ける。また、空間デザインの他、家具やプロダクトデザインの分野でもその才能を発揮している。今年7月には、京阪神エルマガジン社よりミーツ別冊『間宮吉彦設計の店』が出版された。
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