街の遺伝子(レジュメ)
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パネルディスカッションに向けて

ファンタジー!?
「大阪・船場」

ペンション経営・都市プランナー 李 有師

 

ニューヨークみたいや!

 建国200年祭を何年か後に控えたニューヨークの街は薄汚く物騒だった。 カッパライ、 ピストル、 マリファナが身近にある。

 地下鉄にはアブナイ「気」が満ちていたし、 夜の街には少年ギャングがたむろしている。 夢に見た「自由の女神」は足場が組まれ、 200年祭に向けて全面リフォーム中、 まったく見えない。 出来たばかり「世界一高い!」という世界貿易センタービルは行ってみたが、 ツルツル、 ノッペラで(当時は)不人気、 人影もまばら。 これならデコラティブなエンパイア・ステートビルに登ればよかった。

 ただ、 街に拡がる「闊達なニオイ」だけはプンプンしていた。 1970年代半ばのニューヨークは今日の大阪のようだった。

 いま大阪は全国一アブナイ、 折り紙つきだ。 大阪のWTCは不人気でガラガラ。 最近は街中の「らく書き」も当時のニューヨーク並になってきた。 あふれる浮浪者やゴミ、 吸殻はすでに70年代のNYを凌ぐ勢い。 立派な大都市、 大阪はNYみたいや!
 しかしその後、 コンピューターネットワークと金融の集中という、 グローバリズム・コンセプトで復権するNYは、 多くのビジターを受け入れ集住できる都市としての魅力をふり撒くようになる。 この継続はつい先頃まで確認できた。


大阪のコンセプトは?

 大阪の「闊達なニオイ」の素は、 都市の来歴や言語性からも一目瞭然だ、 「にぎわいの路上化」や「双方向性(やりとりの妙)」にあった。

 が、 近年はこの適正に欠けた投資の分散によって脱力感がヒドイ。 「大阪都心部と郊外」の関係はその象徴でもある。 ニュータウン開発同様、 ターミナルエリアの「過剰にパッケージされた開発」はもう止めてはどうか。

 繁栄をそのビル内や地下街だけに密閉しようとしても、 IT社会に生き、 「無垢な未来」を信じなくなってしまった大衆には、 この姿勢は最悪だ。 消費行為とは、 夢と希望に抱かれた人間の「もうひとつの排泄」だからだ。

 某地下街の不人気や、 某フェスティバルゲートの失敗は、 そんなあたり前の帰結であろう。 もう一度、 都市の適正に照準してみる勇気がほしい。 そして、 もっとマジメに都市をデザインしてみてはどうか。 コンセプト不在のデザインの継続は都市を堕落させる。 大阪という都市(マチ)に甘えた場所づくりは、 もう勘弁してや。


大阪に大阪を求めだした人々

 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開業して、 大阪にもいよいよ観光社会がやってきた。 そして人々はハッキリ「大阪」を求めだしている。 ワンパターンのお笑いもイイ、 粉モノ文化もイイ、 大阪という都市(マチ)にだらしなく甘えつづけるのもイイだろう。 しかし、 USJの“出し物”を見た人々は確実に「大阪」を求めだした。

 ディズニーの完成されたトリックに対して、 このUSJの真面目なリアリティとユーモアは、 まだ成熟はしていない。 が、 「にぎわいの路上化」と「双方向性(やりとりの妙)」という、 大阪の本来イメージに完璧にシンクロした。 結果、 人々は大阪の街にも、 生真面目なリアリティとユーモアを心から欲するようになっている。

 トリックと幻想としてのファンタジーは日本の中心、 大東京に存分に頑張っていただきたい。 一方、 大阪は想像力の都市としてのファンタジーを極めたい。

 船場や御堂筋という大阪・都心にこそ、 まずこのコンセプトがデザインされることが望まれる。 なぜなら「船場に暮らし、 活動する」新人種の出現は、 都会に集住する価値を問い直し、 「都市(マチ)のチカラ」という、 日本再生の大きなインセンティブになるからだ。


李 有師(り ゆうじ)
コンセプトプランナー。1954年生まれ。NPO都市計画家協会会員。社団法人生活文化研究所理事。都市生活者の視点から見たコンセプト立案が専門。都市型ペンションを経営しながらの提言はユニークで、新聞各紙やテレビ、ラジオメディアにも多く取り上げられている。大阪生まれの大阪育ち、在日韓国人三世。


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